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芽室町西伏美

芽室町西伏美(令和3年8月探訪)

芽室町西伏美は農村集落である。
大正時代、西伏美の奥地開拓が進み入植者の子弟は上美生小学校へ通学していたが、整備されていない山道を7,8キロ通学するのは容易でなく、早朝に自宅を出ても到着は昼近くなり、途中で学校をあきらめて遊んで帰るなどにより登校日数不足の為留年せざるを得ない者も出た。
このような状況の中、初代西伏美区長川端清太郎らが分教場の設置に努力し、伏美23線69番地の高橋尋助宅を仮校舎として開校したのが始まりである。
学校の沿革は以下の通りである。

昭和2 年  上美生尋常小学校伏美特別教授場として開校(4月)
同年    校舎新築移転(伏美24線72番地)( 11月)
昭和16年 上美生国民学校伏美分教場と変更(4月)
昭和22年 上美生小学校伏美分校と変更(4月)
昭和42年 閉校(3月)
昭和58年 本校 上美生小学校閉校(3月)

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令和3年8月、K.T氏、A.D.1600氏と訪れた。
上美生の市街地を抜け、山間部へ入っていく。

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道はこの先も続いているが、学校跡地はこの付近である。

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電柱の表記は「西伏見」である。

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学校跡地付近を歩くが、校舎の基礎は見つからなかった。

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折角なので、本校である上美生小学校跡も立ち寄った。
昭和13年建立の創立記念碑が目を引く。

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二宮像も健在である。

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創立50周年の記念碑には宮沢賢治の「雨ニモマケズ」が刻まれていた。

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懐風樹
霊峰剣山を背に聳えるこの柏は、上美生の象徴であり、上美生小学校に学んだ千六百有余名の懐古の樹である。
明治三十六年、柏の巨木が密生する原始林に開拓の斧が下され、六年後にこの地に小学校が移設されるや父祖の慧眼によってこの柏樹一株が伐採を免れた。爾来幾星霜の厳しい風雪に耐えて樹令を重ねつつ学童の成長を見守り続けてきた。
体育や教練で汗を流してはこの深い緑陰に憩い、勉学や人生の憂愁には毅然たる孤影を仰いで決意を新たにした。長じて他郷にある者は彷彿としてこの大樹を想い、旧友恩師と学舎に懐旧の情を禁じ得ず、故郷を継承する者はこの老木に開拓の労苦を偲んで温故知新と地域発展を改めて誓う縁としてきた。
昭和五十八年の学校統合により旧舎の姿は脳裏に留るにすぎない。校庭の一隅に枝葉を繁茂し、大地に強靭な根を張って教訓を賜わった由緒あるこの柏樹を幽遠に記念樹として保存するものである。願わくば樹霊の巌と慈をもって地域と卒業生の未来に加護あらんことを。
昭和六十一年十月 上美生小中学校同窓会

参考文献

芽室町2000『芽室町百年史』芽室町
プロフィール

成瀬健太

Author:成瀬健太
北海道旭川市出身。札幌市在住。
元陸上自衛官。
北海道の地方史や文芸を中心としたサークル『北海道郷土史研究会』主宰。

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