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上士幌町三股

上士幌町三股(平成25年10月6日探訪・学校跡地探訪未遂)

上士幌町三股は、森林資源の開発で栄えた集落である。

三股は上士幌駅から37キロ離れた場所にあり、周囲は山に囲まれ、海抜664メートルの盆地である。

昭和11年 秋の台風により風倒木が発生していたが、当時はまだ人の出入りは無く「またぎ」の話で、三股の奥地にかなりの風倒木があることが伝えられているに過ぎなかった。

昭和13年 十勝三股周辺の膨大な森林資源に目をつけた青山木工場(後 名和産業製材工場)が建てられた。

昭和14年11月18日 国鉄士幌線が十勝三股まで開通した。開通に伴い、周辺では、営林署の直営生産が始まった。併せて、昭和11年に発生した風倒木の搬出が始まった。

駅が開業した途端、周辺は急速に人家や商店が建ち並びはじめた。

昭和19年10月 三股国民学校として開校した。

来賓者の中には道庁林政部長、道内の営林所長、警察署長らが参列していた。

裏を返せば戦時中、国の政策でいかに重要視されていたか物語るものである。

昭和22年 三股小学校と改称、同年5月 中学校が併置された。

三股地区の最盛期である昭和39年 戸数221戸 人口1,162人が居住し「国立公園の中の木材の街」として知れ渡っていた。

また、同年10月 三股小中学校開校25周年記念祝賀会が催された。

しかし、昭和45年頃になると風倒木処理が終了したことや、原木伐採量の低下により過疎化が進行していった。

昭和50年 営林署の出先の撤退。

昭和51年3月 三股小中学校 閉校。

しかし、これだけでは終わらなかった。

同年 最後の木工場であった明和産業が上士幌市街へ移転した。

この時、8戸18名が残るのみとなった。

乗車する人もいなくなった国鉄士幌線糠平-十勝三股間は昭和53年12月 鉄道運行を廃止し、代行バス運転になった。
現在は2世帯が暮らす集落となってしまった。

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上士幌町 鉄道資料館収蔵の1666(昭和41)年9月6日付 航空写真より転写した住宅地図。
駅周辺は木工場や土場として活用されていたのがわかる。

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平成25年10月6日 学校跡地を探訪しようと訪れた。
これは元の森林鉄道車庫であり、後年は整備工場として使われた建物である。

三股山荘の方に伺うと「昭和29年の洞爺丸台風で発生した風倒木を運搬していた。昭和30年代に森林鉄道が廃線となり、その後整備工場として使われていたが、あまり長く使われていなかったとのことである。」

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この先に三股小中学校の跡地があるが、探訪当時は悪路のため断念せざるを得なかった。
跡地は平地が広がっているとのことである。

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十勝三股に残るカフェ「三股山荘」
ここには往時の三股集落の資料が展示されている。

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傍には、使われなくなって久しい家屋(保育所・元映画館)もある。

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三股山荘と映画館の間にも住宅が建ち並んでいたが、全て無くなっている。

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三股山荘の裏手には駅名標が残る。

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バスは一日1本しか止まらなくなってしまった。

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貯木場の寮や奥に物資購買部・理髪所などもあったが全て無い。

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三股山荘より三国峠方面を望む。
無人となったところはシラカバ林となっている。

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反対に、幌加方面を望む。
旅人たちが立ち寄るカフェ「三股山荘」は健在だが林業で栄えていた頃の面影は、自然に帰ってしまっていた。
プロフィール

成瀬健太

Author:成瀬健太
北海道旭川市出身。札幌市在住。
元陸上自衛官。
北海道の地方史や文芸を中心としたサークル『北海道郷土史研究会』主宰。

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