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苫前町霧立

苫前町霧立(平成25年5月8日探訪)

苫前町霧立は、特に北海道の道路・峠情報で耳にする地名であるが、ここも「学校跡がある廃村」である。

霧立の由来は山(錐立山)が切り立っているのと、山間部で霧が立ち込めることから名づけられた。

元々は苫前御料地と呼ばれていたが、山間部のへき地で交通も不便なことから開拓は昭和8年であった。

この時28戸が入植したが、子弟教育にあたり15坪の仮校舎を建造し、昭和8年5月27日 上古丹別尋常小学校 として開校、同年10月25日 新校舎が落成した。

昭和16年4月1日 上古丹別国民学校と改称されるも同年5月19日「霧立国民学校」と改められた。

昭和22年4月1日 霧立小学校と改称した。

昭和36年4月1日 霧立中学校が併置され、翌昭和37年11月14日 開校30周年記念式を挙行した。

しかし、昭和30年代後半から急激に過疎化が進行していった。

過疎化の一面もあるが、米の生産調整による離農で住民は急激に減少した。

北海道新聞 留萌・宗谷版 昭和50年3月28日付に「子ら壇上で絶句 苫前・霧立小中校の閉校式」という記事がある。
著作権の関係でアップできないが、校長や教員の励ましの言葉に対し、3名の生徒は記事の如く絶句し嗚咽し涙ながら閉校を惜しむ写真が掲載されていた。

霧立小中学校は昭和50年3月31日付で廃校となった。

また、霧立集落も昭和50年3月で11戸26名の人々が暮らしていたが、翌 昭和51年3月を以て解散となった。

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霧立小中学校跡地の眼前に聳える錐立山。
こんな山間部に学校があったなんて、信じられなかった。

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学校跡地は現在、霧立除雪ステーションとなっている。
学校の隣接地に、神社もあった。

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除雪ステーションに掲げられているカントリーサイン。

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目の前は国道239号線が走っている。
道路は立派である。

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霧立除雪ステーションの裏側。
神社や学校跡地が判然としない。

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奥も行ってみたが、傾斜地であるため学校を建てていたとは考えにくい。
何処にあったのだろうか?

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霧立峠方面を望む。
このマツも、もしかしたらかつて住まわれていた方の庭に植えられていたものかもしれない。

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橋を渡り、もう少し進んでみる。

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橋を渡り、進むと廃屋が見えた。

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これが霧立集落で現存する、唯一の家屋である。

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傍には物置?らしき建物もあった。
住居としては狭いので、考えにくいと思うが…。

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内部は瓦礫と化していたが、風呂場のタイルがきれいな状態で残っていた。

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この廃屋は国道沿いにあるので発見しやすい。

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廃屋の向かいの風景。
平地はかつての田畑や住まいの名残、これぐらいしか見出すことが出来ない。

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学校跡地正面の木々の間に、大きな大木が聳えていた。

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かつての営みは、もう忘却の彼方か。

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旧版地形図を見ると、対岸にも人家がある。
この時期、旧道や人家の跡(庭に植えたマツ)がはっきりと判るがそこへ渡る術がない。
もはや探訪することは出来ないのだろうか。

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木々の間から学校跡地を望む。

総卒業生数 小学校188名 中学校61名であった。
プロフィール

成瀬健太

Author:成瀬健太
北海道旭川市出身。札幌市在住。
元陸上自衛官。
北海道の地方史や文芸を中心としたサークル『北海道郷土史研究会』主宰。

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