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大滝村清原

伊達市大滝区(大滝村)清原(令和2年5月・10月探訪)

清原は農村集落である。

 元々はオロウエンシリベツと称され、現在の清原を含む豊里・宮城、喜茂別町御園・金山一帯を指していた。
 明治39年に植民地区画地が測設され、明治40年より入植者が現れ始めた。入植の草分けは小樽木材会社や伊達の早瀬吉松が豊富な木材資源に目をつけ小作人を入れて開拓した。その後、開拓の進展に伴い入植者も増えてきたが子弟の教育が悩みであった。
 明治44年4月、学校建設の世話人会が開かれ、新区画移住者40名の賛同を得て期成会が結成され、明治44年7月オロウエンシリベツ私立学校として開校した。
 開校後の校名の変遷は以下の通りである。

 明治44年 オロウエンシリベツ私立学校として開校(7月)
 明治45年 公立に移管 徳舜瞥教育所所属オロウエンシリベツ特別教授場と改称(8月)
 大正 3年 徳舜瞥尋常小学校所属第二尾路遠特別教授場と改称(4月)
 大正 6年 尾路遠尋常小学校所属第二尾路遠特別教授場と改称(4月)
 大正 9年 愛徳尋常小学校所属第二尾路遠特別教授場と改称(6月)
 大正12年 旧三階滝尋常小学校広島特別教授場を吸収合併し広尾特別教授場(注1)と改称(4月)
 昭和 9年 徳尾路遠尋常小学校と改称(4月)
 昭和16年 徳尾路遠国民学校と改称(4月)
 昭和22年 清原小学校と改称(4月)
 昭和44年 閉校(3月)

(注1)戦後開拓で入植した清陵にあたる地域である。

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令和2年5月、HEYANEKO氏らと訪れた。
この平地が清原小学校跡である。

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学校跡地。

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学校跡地には木製電柱が残っていた。

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学校前の道路。
神社跡を探すも、この時は分からなかった。

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学校跡から少し下った先の道。

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倒壊した家屋が残っている。

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傍には電柱も残っていた。
後に調べたところ、この屋敷は清原に最後まで住まわれていた方であることが分かった。

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同年10月、お世話になっているコンターサークルsの探索で清原周辺を訪れた。
清原の学校や分からなかった神社跡の探索をお願いして再訪を果たした。

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神社跡付近。
地図を見てもらったところ
「よく見たら学校と神社の等高線が一緒だね。神社近くにも建物が建っていたね。あの松が多分、参道ではないか」と貴重な情報をいただくことができた。
湿地帯で足元が沈む中、神社跡を目指す。

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神社跡の参道。
笹薮と化しているが、緩やかな傾斜である。

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神社跡地。
笹薮の中に、人為的に切られた木があった。
もしかしたら、神社跡の名残なのかもしれない。

参考文献
大滝村企画財政課1985『大滝村史』大滝村
プロフィール

成瀬健太

Author:成瀬健太
北海道旭川市出身。札幌市在住。
元陸上自衛官。
北海道の地方史や文芸を中心としたサークル『北海道郷土史研究会』主宰。

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