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幌延町雄興(雄信内)

幌延町雄興(雄信内)(平成19年4月29日・平成25年6月8日探訪)

幌延町雄興は、現役の駅が近くにある高度過疎集落である。

雄興は元々「タンタシャモナイ」(旧上雄信内駅周辺)と「雄信内駅のある付近(オヌプナイ)」の2つに分けられていた。

その理由はタンタシャモナイと雄信内駅との間は急峻な山が突出していたため、土砂崩れや雪崩が頻出していた場所であった。
鉄道は、河畔にようやく陸橋を架けて通っていた。

明治33年 天塩川対岸の天塩町雄信内に泉波為治が泉波三蔵、泉波金蔵、泉波鉄蔵。永井大治らを連れて入地したことに始まる。

天塩町雄信内に入地したほうは良かったが、対岸の幌延村側はそう、多く入地する者はいなかった。 

明治36年頃 タンタシャモナイに入地が始まった。

明治44年頃 タンタシャモナイに13戸、オヌプナイに4戸居住していた。

大正14年7月20日 問寒別-幌延間の鉄道が開通したのに伴い、雄信内駅が開業した。

昭和4年 遠別方面で開墾の残り火が原因で火災が発生し、天塩町雄信内は全焼、雄興も19戸を焼いた。
この火災は問寒別、北見松音知にまで広がった。

昭和7年 鉄骨吊橋の雄信内橋が完成。天塩町雄信内と雄信内駅を結ぶために架橋されたもので完成後、雄信内駅周辺は急速に発展していく。

昭和12年4月1日 雄信内尋常小学校が開校した。

昭和16年4月1日 雄信内国民学校と改称。

昭和22年4月1日 雄信内小学校と改称。

昭和26年9月18日 雄興地区の電化が完成。住民は喜びに沸く。

昭和31年 上雄信内仮乗降場が完成。

昭和33年 雄信内小学校が改築された。

昭和34年4月1日 それまでの「タンタシャモナイ」と「オヌプナイ」が改まり、「雄興」となった。

名前の由来として、雄信内の「雄」の字と、地域を「興す」意味で「雄興」と名づけられた。
また「天塩町雄信内」の混同を避ける意味も併せ持っている。

昭和37年 雪崩が原因で下平鉄橋がすべて天塩川に落とされた。

その数ヵ月後、地滑りに伴い鉄橋の一部が流出。

さらに同年8月 大雨により山道を含め鉄橋までも土砂崩壊により天塩川の濁流に飲み込まれてしまった。

立て続けに災害が発生し「集団離農」の話しさえ持ち上がったが復旧作業を続け、再び山道を作った。

昭和39年 雄興農村地区も電化され、翌 昭和40年 鉄道最大の難所であったタンタシャモナイ-雄信内間に下平隧道が完成し、従来の危険はなくなった。

既存の鉄道跡地(下平陸橋)は道路として再利用されることとなった。

しかし、昭和40年以降、離農者が相次ぎ人口は急激に減少していった。

雄信内小学校は、昭和57年3月31日付で閉校となった。

木造校舎は暫く在ったが、平成11年度の雪害により倒壊し、同年更地になった。

平成7年現在の国勢調査による世帯数を示す。

昭和30年 53世帯273人

昭和40年 50世帯224人

昭和45年 38世帯154人

昭和50年 26世帯84人

昭和55年 35世帯70人

昭和60年 15世帯50人

平成 2年  5世帯20人

平成 7年  3世帯16人

現在、雄興地区は2世帯であるが、雄信内駅周辺はゼロである。

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まだ駆け出しだった平成19年4月、雄信内駅周辺を訪ねてきた。
当時は「廃村」に興味を抱いていなかったため、今のように調査はしていない。

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駅前に降り立ち、瓦礫と化した家の跡があった。

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正面には板張りされた廃屋があった。

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傍に、使われているのか判らない倉庫があった。

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近くには「竹内商店」の建物があったが、廃業して久しい様子であった。

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写真にとっていないが平成25年6月8日の再訪では、建物はあるものの傷みが進んでいた。

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あるのは廃屋と、平坦な土地と、庭先の野生化したマツくらいしかない。

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消防の半鐘も「骨組み」と化していた。

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校舎は既に無く、体育館と集会所があった。

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そして、閉校記念碑があった。

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駅前通の風景。
人通りもなく「ゴーストタウン」そのものであった。

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月日が流れ、平成25年6月8日に再訪した。

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駅前の風景。
正面にあった板張りの廃屋は無くなっていた。

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体育館と集会所は健在であった。

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しかし、体育館は永らく使われていない雰囲気であった。

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窓から内部を覗くと、床の傷みが進んでいた。
体育館も、近いうちに解体されるのだろうか。

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校庭の片隅に、旧校門が残されていた。

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その傍に「うんてい」の一部があった。
それもササに飲み込まれようとしていた。

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学校前より雄信内大橋を望む。
対岸の天塩町雄信内(おのぶない)は集落を維持している。

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下平陸橋は一般道路として今も使われていた。

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道路を進み、旧上雄信内駅付近には神社がある。
神社は今も維持されている。

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学校跡より駅方面を望む。
家や店が建ち並んでいた、と聞かされても信じ難い風景となってしまった。

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半鐘もツタが絡まり、自然に帰ろうとしていた。

上士幌町三股

上士幌町三股(平成25年10月6日探訪・学校跡地探訪未遂)

上士幌町三股は、森林資源の開発で栄えた集落である。

三股は上士幌駅から37キロ離れた場所にあり、周囲は山に囲まれ、海抜664メートルの盆地である。

昭和11年 秋の台風により風倒木が発生していたが、当時はまだ人の出入りは無く「またぎ」の話で、三股の奥地にかなりの風倒木があることが伝えられているに過ぎなかった。

昭和13年 十勝三股周辺の膨大な森林資源に目をつけた青山木工場(後 名和産業製材工場)が建てられた。

昭和14年11月18日 国鉄士幌線が十勝三股まで開通した。開通に伴い、周辺では、営林署の直営生産が始まった。併せて、昭和11年に発生した風倒木の搬出が始まった。

駅が開業した途端、周辺は急速に人家や商店が建ち並びはじめた。

昭和19年10月 三股国民学校として開校した。

来賓者の中には道庁林政部長、道内の営林所長、警察署長らが参列していた。

裏を返せば戦時中、国の政策でいかに重要視されていたか物語るものである。

昭和22年 三股小学校と改称、同年5月 中学校が併置された。

三股地区の最盛期である昭和39年 戸数221戸 人口1,162人が居住し「国立公園の中の木材の街」として知れ渡っていた。

また、同年10月 三股小中学校開校25周年記念祝賀会が催された。

しかし、昭和45年頃になると風倒木処理が終了したことや、原木伐採量の低下により過疎化が進行していった。

昭和50年 営林署の出先の撤退。

昭和51年3月 三股小中学校 閉校。

しかし、これだけでは終わらなかった。

同年 最後の木工場であった明和産業が上士幌市街へ移転した。

この時、8戸18名が残るのみとなった。

乗車する人もいなくなった国鉄士幌線糠平-十勝三股間は昭和53年12月 鉄道運行を廃止し、代行バス運転になった。
現在は2世帯が暮らす集落となってしまった。

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上士幌町 鉄道資料館収蔵の1666(昭和41)年9月6日付 航空写真より転写した住宅地図。
駅周辺は木工場や土場として活用されていたのがわかる。

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平成25年10月6日 学校跡地を探訪しようと訪れた。
これは元の森林鉄道車庫であり、後年は整備工場として使われた建物である。

三股山荘の方に伺うと「昭和29年の洞爺丸台風で発生した風倒木を運搬していた。昭和30年代に森林鉄道が廃線となり、その後整備工場として使われていたが、あまり長く使われていなかったとのことである。」

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この先に三股小中学校の跡地があるが、探訪当時は悪路のため断念せざるを得なかった。
跡地は平地が広がっているとのことである。

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十勝三股に残るカフェ「三股山荘」
ここには往時の三股集落の資料が展示されている。

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傍には、使われなくなって久しい家屋(保育所・元映画館)もある。

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三股山荘と映画館の間にも住宅が建ち並んでいたが、全て無くなっている。

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三股山荘の裏手には駅名標が残る。

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バスは一日1本しか止まらなくなってしまった。

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貯木場の寮や奥に物資購買部・理髪所などもあったが全て無い。

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三股山荘より三国峠方面を望む。
無人となったところはシラカバ林となっている。

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反対に、幌加方面を望む。
旅人たちが立ち寄るカフェ「三股山荘」は健在だが林業で栄えていた頃の面影は、自然に帰ってしまっていた。
プロフィール

成瀬健太

Author:成瀬健太
北海道旭川市出身。札幌市在住。
元陸上自衛官。
北海道の地方史や文芸を中心としたサークル『北海道郷土史研究会』主宰。

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