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仁木町得志内

仁木町得志内(平成29年4月4日・平成30年6月9日他探訪)

仁木町得志内は戦後開拓の集落である。
得志内は国有林地が解放され、樺太からの引揚者や戦災で家を失った人たちなどが昭和21年より入植した。昭和26年で10戸暮らしていた。
学校の沿革は以下の通りである。

昭和26年 仁木小学校得志内分校開校(4月)
昭和41年 閉校(3月)

閉校記事を掲載する。
離農者多くついに廃校 仁木小得志内分校
「【余市】仁木市街から4キロほど離れた開拓地の仁木小得志内分校は、離農者が続出して児童が2人しかいなくなったため15年間の歴史にピリオドを打ち、30日、同校で廃校式を行った。
得志内は戦後、開拓者が入植、それに伴い26年、同分校が開校した。しかし、やせ地と打ち続く冷害のため開拓をあきらめ離農者が続出、一時は15、6戸もあった開拓農家もいまは2戸。これも離農が決定した。これまで同分校を卒業したのは30数人だが、ことしはたった1人。あと残るは新入学児と4年生の2人のみとなり、廃校に踏み切った。2人は本校(仁木小)に通うことになる。
30日は猛ふぶきのため分校までの道が不通となり廃校式も半日遅れるという状態。それでも町長、教育長、PTA役員、父母、児童ら10数人が出席。柏三次郎主任(60)らのあいさつがあり、高木町長から柏主任、谷口稔初代PTA会長に感謝状が贈られ、ひっそりとした廃校式だった。」(北海道新聞後志版昭和41年4月2日)

平成26年夏、大学生の頃に先生と一緒に初訪問を果たしたが、この時は学校跡地を間違えていた。
月日が流れ、平成29年4月に2回目の探訪を果たす。

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仁木駅から歩き、手前の最終人家方面を望む。

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残雪が多いが進む。

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地形図の文マークはこの辺りを指しているが、単独なのでこの時は自信がなかった。

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学校跡地周辺?の風景

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残雪の多さに驚きつつ、得志内をあとにした。

さらに月日が流れ、平成30年6月にHEYANEKO氏と3度目の再訪を果たす。
地元の方に話を伺うと、分校より奥に20戸ほどあったとのことである。

P1130243.jpg
HEYANEKO氏と旧版地形図を見て「ここが学校跡」と分かった。

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生い茂る草を手鎌で切り、進む。

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学校跡地はフキと笹薮になっていた。

KIMG3125.jpg
野生化した防風林だけが残っていた。

参考文献

北海道新聞1966「離農者多くついに廃校 仁木小得志内分校」『北海道新聞後志版昭和41年4月2日』
仁木町教育委員会2000『新仁木町史』仁木町
プロフィール

成瀬健太

Author:成瀬健太
北海道旭川市出身。札幌市在住。
元陸上自衛官。
北海道の地方史や文芸を中心としたサークル『北海道郷土史研究会』主宰。

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