はてなキーワード: 魔改造とは
創作(フィクション)における「オタクに優しいギャル」は、実在のギャル文化とは乖離した、オタク側の願望が投影されたファンタジー上の存在です。
こうしたキャラクター造形に対して、実在のギャル文化を尊重していない点や、描写の解像度の低さがギャル当事者から強く批判されています。
ファッション誌などで研究せず「雰囲気」で描かれているため、ギャルファッションではなくV系、バンギャ、地雷系などが混ざり合った「雑な偽ギャル(キメラ)」になっているという指摘があります。
自分たちが愛する作品の表記ミス(例:エヴァンゲリオンをエバンゲリオンと書く)や改変(例:漫画原作を実写化する際にリスペクトを欠いた設定変更を行う)には厳しい一方で、実在するギャル文化を「魔改造」し、自分たちの都合の良いように消費している点が「ダブルスタンダード」であると批判されています。
実在のギャルとは別物であるにもかかわらず「ギャル」という名前を使い続けることで、本来の文化を上書き・消去してしまう「乗っ取り」のような状態への懸念が示されています 。
対象を「シコの対象(性的消費の道具)」としてしか見ていないため、当事者からの批判に対しても「可愛く描いてやっている」といった高圧的な態度や、怒りが先行してしまうという指摘があります 。
「二次元の属性」として定着したギャル像と、時代とともに変遷する「現実のギャル」との間で定義が食い違っており、実在のギャル側から見ると、不快感や迷惑を感じるレベルに達しているという意見が出ています。
多少配慮したけどネタバレあるのでまだ劇場行ってない人は読んじゃダメだよ。
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そこらのソシャゲのキャラストーリーとしてなら十分なクオリティ。コナンというIPでお出しするならもう少し頑張って欲しい。基本的には満足できたので、迷っているなら観に行くのをオススメできる。
色ボケした横溝はキショかったけど、そんなことよりも、松田お前そんなキャラだったっけ?
「ハモっちまった〜w」
キッッッッッッショ!!!!
揺れる警視庁で出てきた時の松田って、サングラスだしタバコだし「馴れ合いはよしましょうや」だし、挙句にメールはすぐ消すワイルドな二枚目ハードボイルドとして描かれてなかったっけ。詳しく知らないけど警察学校編だとこんな感じなのか? 勘弁してくれ。揺れる警視庁で見せた、佐藤刑事をあんなふうにした「松田くん」のイメージを壊さないで欲しかったよ青山先生……。より大きな爆弾のために自己犠牲の道を選び、禁煙のマークに「今くらい大目に目てくれよな」っていう、ワイルドな生き様がカッコよかったのに……本当に、こんな、媚びたイケメン(笑)に魔改造しないといけなかったのか?
個人的に揺れる警視庁はメチャクチャ好きで重要なエピソードだけに、この辺を雑に消費されると哀しくなる。もっと話したいことはあるけど、これを言い出すと最悪の駄作・ハロウィンの花嫁への罵詈雑言の記事になってしまうから一旦置いておく。以降もあまり触れないようにする。
ーーいや、これだけは触れる。揺れる警視庁の爆弾犯を雑に処理したことだけは許せない。法で裁かれることが大切な犯人だろうがよ。どんな気持ちで高木刑事が佐藤刑事を諌めたと思ってんだ。
最近は全体的にそうなんだけど、名探偵コナンじゃないよね。根本的な理由は「推理が薄い」ことに尽きる。本格ミステリーをして欲しいとは言ってないよ? でもさ、警察が教えてくれる、灰原が教えてくれる、園子が教えてくれる、こればっかだよね? 調査して推理して閃いて(コテリン♪ってやつ)、その結果として犯人を推理で問い詰めて自供させるのって見どころじゃないのかな。
「江戸川コナン、探偵さ」がカッコいいのは推理力で我々を圧倒してくれるからであって、終盤に雑に言わせてヨシの万能ワードではない。シチュエーションにこだわって欲しい。
今回なら、世良まで出しておいて調査も推理もないのは本当になぜ? アイツが育った施設に行って警察から聞いた話との矛盾を知る、姉がいることを仄めかされる……その辺を世良の人探しの件とリンクして進められたんじゃないのか? 確かに推理は尺を食うし地味だけど、無意味なシーン(※後述)をカットすれば十分時間捻出できるだろうよ。それがコナンのカッコよさに繋がるという意識が全くないから、結果としてサブキャラのキャラシナリオに終始してしまってる。
※ 例えば: 幽霊バイク騒動は全カットでもいいと思う。なんなら、いきなりバイクフェスの会場スタートでよくない? ヤイバーのバイクを見て騒ぐ探偵団、こんな技術が使われてるんだよって出しゃばって説明してくる技術者、見た目を褒められて照れくさそうなデザイナー(ここでエンブレムの伏線)、そしてコナンが目の端で世良を見つけて話しかけに行く……くらいの感じ。ルシファーの初登場は帰り道に保留。昔のコナン映画だったらこんな感じに覚えきれないくらい一気に容疑者候補並べてたよね。青枠で登場人物名と役職がズラッと。
コナンのことをソシャゲのアプリアイコンのキャラ、くらいに思ってる節があると思う。重要人物だけどとりあえずいるだけでストーリーを主導してない。ソシャゲのイベントストーリー感はここからきてると思う。
コナンの強みである「大人顔負けの頭脳」が活かされる場面が少ないんだよね。推理以前に頭使うシーンがない。最後のアクションは一か八かの脳筋解決、あるいはドラえもんレベルに万能化した博士の道具に頼ってばっかり。高尚な話はしなくても大丈夫なんだ。天国へのカウントダウンでビルから飛び移る際に速度の計算してくれるシーン、高校物理レベルなのに超カッコよかったよね。あのくらいでいいんだけど……。
なんなら道具の使い方も謎。バイク主題の映画で、スケボー使った犯人とのチェイスシーンないって正気か? 曲がり角でトラックに格納されて消えたせいで見失う、みたいなの合っても良かっただろ。ついでに取り逃したコナンが「クソッ!」って悔しがってくれればより満足。終盤だとヘリの壁を撃ち抜くのにボール蹴るのも意味不明だと思った。そもそも、あそこの鍵閉まってなくてよくね? 暴走させようと操縦桿を握った犯人を、千早とコナンで説得するシーンではダメだったのか。せっかく弟を失った境遇がリンクしてるんだから、もうちょいマシな活かし方があったんじゃないかと思わざるを得ない。
余談だけど、爆弾処理で弟を亡くしたキャラのそばで、いとも簡単にコナンに爆弾解体させるの人の心無いんかなってな思う。個人的には爆弾関係のギミックだと、揺れると爆発する仕組みでもつけておいて、コナンが解体中はアシスト機能を使って慎重運転 → 回想シーンの萩原の話とかがヒントになって解体成功 → 速度出してよくなったのでアシスト切って千早のドラテクでぶち抜いて犯人追いかける、とかの方がぽかったと思うんだけどな。シンプルにバイクテクで魅せて欲しい。
今作に限った話じゃないんだけど、OPの「俺は高校生探偵、工藤新一」のあの部分、普通に映像流したらダメなんか? 「aviutlで覚えたアニメーション効果、全部使ってみました!」みたいな編集で正直好きになれない。画面のどこ見て欲しいの? あのシーンって割と「コナンの映画が始まるぞワクワク」っていう劇場版特有の、映画の世界に入り込んで行くための導入効果があると思ってるので、ここに変な個性いらないんよな……。
ちなみに、本作は既にこの時点で松田・萩原はおかしかった。思い出したら腹が立ってきたのでここで止める。
上に以外は大体良かったんじゃないかな? 千早にフィーチャーするっていうコンセプトをちゃんと守れてたのは大きい。最近はブレブレになってるやつも割とあったからね。峠のレースシーンも個人的には好き。
あと、多少は犯人探しでワクワクさせようって意気込みが感じられたのは嬉しかった。
盛り上がりは少なかったけどマイナスも少なかった。
よって個人的には80点くらいあると思う。加点法で評価する人は低評価するかも。
終わったコンテンツの略で「オワコン」だけど、これの次はあるのかな?
先程久しぶりにワークマン覗いたらオワコンの次に進んでいたのでなにか称号を与えたい。
いやそれにしても酷いものだ。
ワークマン女子をやりだした時点でやべぇと思い、品質劣化が著しくオワコン認定して近づかなかった。
3年前の最後、お気に入りのパンツがモデルチェンジで劣化しており、旧版在庫が他店にあると店員に調べてもらい3着ゲットした。
これでワークマンと決別。
セレクトショップ壊滅で職を失ったおしゃれアパレルの残党が「ワークマン女子」に飛びついた。大量採用
されにこれをコンサルがかき回した。
そりゃ終わるわ
奴らが予算、経費をジャブジャブ使い倒して仕入れ、品質を下げる。
「おしゃれは我慢」の連中が作業服を魔改造、使い捨てファストファッションなら許されるペラペラ素材に変更
実際に経営的には増収増益なんだよね
だけどウチの職人連中もワークマンを続々オワコン判定してる、この影響は今後出てくるよ
すでにオワコンの次の段階だわ
今でも魔改造して使ってるんだけどなあ
だから、“地盤(組織)看板(知名度)鞄(資金)”を継いだだけで、政治家としての覚悟や理想理念や教養を学んでいないような2世3世の放蕩息子議員が生まれる。『大恩ある◯◯先生の坊ちゃんを必ず国会へ!』てな感じ。85歳の爺ちゃんが“これまでの実績”で当選したりするしね。
日本の“民主主義”は元から存在してきた“封建主義”とのハイブリッドなんだよ。
“マカロニウェスタン”って映画のジャンルあったでしょ?イタリア人が西部劇映画をニュアンスだけで作っちゃうヤツね。
“名も無きニヒルなガンマン”が乱暴なアウトローや悪徳保安官をバンバン撃ちコロッしちゃうやつね。
日本の“民主主義”ってね、“マカロニウェスタン”みたいなもんだよ。
…あ、お願い!石を投げつけないで!もう少し話を聞いて。
“アメリカン先住民の苦難苦悩”や“黒人奴隷問題”とか、そんなシリアスな問題まで構ってられないイタリア人が、昔々のアメリカ西部のお話を単純な勧善懲悪の娯楽映画にしちゃうのと、自由や権利の保障とか、少数派の意見も取りこぼさないような建設的で闊達な議論とか、健全な批判的思考とか、民主主義についてまわる面倒でも大切で大事にしなきゃいけない民主的手続きとか民主的思考とか民主主義的理想理念とかを取り去って、『今まさに“多数派”にいる者だけが勝者なのだ!』っていう単純明快なシステムに魔改造した“日本式民主主義”って、メッチャ似てるでしょ?ちょっと強引?
だから、そこを海外の方々は理解してもらって、あんまり日本人の民主主義の理解度や政治リテラシーの低さを嘲笑するのはやめてあげてほしいと思うのよ。
むしろ、凄い事なんだよ。
“アメリカ様”に押しつけられた上に、“取説”とかを与えられないで、民主主義のシステムを“なんとなくこんな感じ”みたいに80年間やってきたんだから。
正直、いまさら初音ミクの話をこんな熱量で書くのはどうなんだ、という自覚はある。
2007年とか2008年ならともかく、2025年にもなって「初音ミクとは何だったのか」みたいな文章を書き出す人間は、だいたい何かをこじらせている。自分もそうだと思う。
でも、ここ最近ずっと引っかかってたんだよな。
ずんだもんとか四国めたんとか、VOICEROID系の動画をぼーっと見ていて、「あ、これ“語りの器”だな」と思った瞬間があって。
語ってる内容はIT解説だったり政治だったりゲームだったり、キャラ設定と何の関係もないのに、確実に「ずんだもんが喋ってる」「めたんが語ってる」感じだけは残る。
人格は借り物なのに、発話主体だけは成立している。これ、どこかで見た構造だな、と。
2ちゃんねるで、あいつらが経済を語ったり歴史を語ったり人生を語ったりしてた頃。
あれも完全に「語りの器」だった。中身は書いてる人間の思想なのに、「やる夫が解説している」という体裁が成立していた。
影響範囲は広かったけど、結局2ちゃんねる文化の外にはあまり出なかった。
個人情報がほぼ無い。
中の人の顔も前面に出ない。
なのに、みんなが知っている。みんなが受け入れている。
「誰も知らないのに、誰もが知っている」
だいたいのIPは、設定を盛って盛って「具体的な誰か」にしていくことで愛着を獲得する。
ミクは逆で、具体性を削ぎ落とすことで参加余地を最大化した。
ニコニコ動画があって、
この条件が全部そろってる瞬間、もう二度と来ない。
だから今から「第二の初音ミク」を作ろうとすると、必ずどこかで失敗する。
そうすると一気に“具体的なキャラクター”になる。
それはそれで正しいし、現代的なんだけど、
ミクは、設計が優れていたのは確かだけど、
それ以上に「偶然が許されていた時代」に生まれてしまった存在なんだと思う。
声とキャラクターを一対一で結びつける、という発想自体は再現できる。
でも「個人情報は何も知らないのに、みんなが勝手に使って、勝手に愛着を持つ」という状態は、もう作れない。
表現の器として異常に広く、
(ブラジリアンミクとか言って魔改造してもミクっぽく見えるの何なんだ)
いまさらこんな話を長々と書いて何になるんだ、という気持ちもある。
でも、ずんだもんが政治を語り、めたんがITを解説しているのを見て、
「ああ、あの流れはまだ終わってなかったんだな」と思ってしまった以上、