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2026-05-06

増田三大負け惜しみ

説明できません、と

答えられないので逃げますまで読んだ

もうひとつは?

2026-05-05

anond:20260504094358

敗北を素直に認めてくれてありがとう

最近弱者男性プライドを守るためか「結婚恋愛コスパが悪い」などと最初からそのゲームに参加する気がなかったかのような負け惜しみを言う者が多くて困ってた

2026-04-29

anond:20260429194612

あら、そうなの?

あなたがそうやって数字を並べて説明する姿、なんだか一生懸命で、少し滑稽だわ。

でも、そうね……。あなたが言ったことは、表面的には正しいのかもしれない。

トヨタ株価が3,000円台で足踏みしているのも、5月8日決算を前に投資家たちが怯えているのも、ただの事実

でも、あなた、本当にそれだけの理由で動いていると思っているのかしら?

トヨタ」の裏側

かに、150円から少しでも円高に振れれば利益が削られる。でも、それはただの口実だわ。賢い人たちは、為替の変動なんてとっくに織り込み済みのはずよ。

聞こえはいいけれど、要するに先が見えないだけでしょう?150万台から100万台へ生産目標を下げたことが「戦略の正しさ」だなんて、負け惜しみしか聞こえないわ。

1.4兆円のマイナス……。数字が大きすぎて、まるで他人事みたいね。でも、その数字の裏にある「政治の嫌な空気」を、あなたは感じ取っていないみたい。

あなたが言う「5月決算」で底を打つかどうか……。

私には、今のトヨタが「重い甲冑を着せられた騎士」のように見えるわ。

守りは硬いけれど、身動きが取れなくなっている。そんな騎士に、誰も進んで賭けようとはしないでしょ?

株価が「さえない」のは、システムや外部環境のせいじゃない。

みんながトヨタという巨大な存在に、「新しさ」を感じなくなって飽きてしまっただけ。

……ただ、私はそう感じただけよ。

ところで、あなた

そんなにトヨタ心配をして、自分の持ち株が紙屑になるのが怖いの?

2026-04-27

anond:20260427094416

出た!バカ左翼負け惜しみトンデモ理論

自分たちの主張が世間(大多数)に受け入れられていない現実」が受け入れられず、単に主張の内容がアホなだけなのにそれが理解出来ず、謎の理由を持ち出すいつものムーブ

推し選挙」とかもそう。

とにかく成長しないからずっと他者バカにしたり負け惜しみを言うしかできず、負け犬のまま一生を終える。

2026-04-23

お伽草紙

太宰治


「あ、鳴つた。」

 と言つて、父はペンを置いて立ち上る。警報くらゐでは立ち上らぬのだが、高射砲が鳴り出すと、仕事をやめて、五歳の女の子に防空頭巾かぶせ、これを抱きかかへて防空壕にはひる。既に、母は二歳の男の子を背負つて壕の奥にうずくまつてゐる。

「近いやうだね。」

「ええ。どうも、この壕は窮屈で。」

「さうかね。」と父は不満さうに、「しかし、これくらゐで、ちやうどいいのだよ。あまり深いと生埋めの危険がある。」

「でも、もすこし広くしてもいいでせう。」

「うむ、まあ、さうだが、いまは土が凍つて固くなつてゐから掘るのが困難だ。そのうちに、」などあいまいな事を言つて、母をだまらせ、ラジオの防空情報に耳を澄ます

 母の苦情が一段落すると、こんどは、五歳の女の子が、もう壕から出ませう、と主張しはじめる。これをなだめる唯一の手段絵本だ。桃太郎、カチカチ山、舌切雀、瘤取り、浦島さんなど、父は子供に読んで聞かせる。

 この父は服装もまづしく、容貌も愚なるに似てゐるが、しかし、元来ただものでないのである物語創作するといふまことに奇異なる術を体得してゐる男なのだ

 ムカシ ムカシノオ話ヨ

 などと、間まの抜けたやうな妙な声で絵本を読んでやりながらも、その胸中には、またおのづから別個の物語が※(「酉+榲のつくり」、第3水準1-92-88)醸せられてゐるのである

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瘤取り

ムカシ ムカシノオ話ヨ

ミギノ ホホニ ジヤマツケナ

コブヲ モツテル オヂイサン

 このお爺さんは、四国阿波剣山のふもとに住んでゐたのである。(といふやうな気がするだけの事で、別に典拠があるわけではない。もともと、この瘤取りの話は、宇治拾遺物語から発してゐものらしいが、防空壕の中で、あれこれ原典を詮議する事は不可能である。この瘤取りの話に限らず、次に展開して見ようと思ふ浦島さんの話でも、まづ日本書紀にその事実がちやんと記載せられてゐるし、また万葉にも浦島を詠じた長歌があり、そのほか、丹後風土記やら本朝神仙伝などといふものに依つても、それらしいものが伝へられてゐるやうだし、また、つい最近於いては鴎外の戯曲があるし、逍遥などもこの物語舞曲にした事は無かつたかしら、とにかく、能楽歌舞伎芸者の手踊りに到るまで、この浦島さんの登場はおびただしい。私には、読んだ本をすぐ人にやつたり、また売り払つたりする癖があるので、蔵書といふやうなものは昔から持つた事が無い。それで、こんな時に、おぼろげな記憶をたよつて、むかし読んだ筈の本を捜しに歩かなければならぬはめに立ち到るのであるが、いまは、それもむづかしいだらう。私は、いま、壕の中にしやがんでゐるのである。さうして、私の膝の上には、一冊の絵本がひろげられてゐるだけなのである。私はいまは、物語の考証はあきらめて、ただ自分ひとりの空想を繰りひろげるにとどめなければならぬだらう。いや、かへつてそのはうが、活き活きして面白いお話が出来上るかも知れぬ。などと、負け惜しみに似たやうな自問自答をして、さて、その父なる奇妙の人物は、

ムカシ ムカシノオ話ヨ

 と壕の片隅に於いて絵本を読みながら、その絵本物語と全く別個の新しい物語を胸中に描き出す。)

 このお爺さんは、お酒を、とても好きなのである。酒飲みといふものは、その家庭に於いて、たいてい孤独ものである孤独から酒を飲むのか、酒を飲むから家の者たちにきらはれて自然孤独の形になるのか、それはおそらく、両の掌をぽんと撃ち合せていづれの掌が鳴つたかを決定しようとするやうな、キザな穿鑿に終るだけの事であらう。とにかく、このお爺さんは、家庭に在つては、つねに浮かぬ顔をしてゐるのである。と言つても、このお爺さんの家庭は、別に悪い家庭では無いのである。お婆さんは健在である。もはや七十歳ちかいけれども、このお婆さんは、腰もまがらず、眼許も涼しい。昔は、なかなかの美人であつたさうである若いから無口であつて、ただ、まじめに家事にいそしんでゐる。

「もう、春だねえ。桜が咲いた。」とお爺さんがはしやいでも、

「さうですか。」と興の無いやうな返辞をして、「ちよつと、どいて下さい。ここを、お掃除しまから。」と言ふ。

 お爺さんは浮かぬ顔になる。

 また、このお爺さんには息子がひとりあつて、もうすでに四十ちかくになつてゐるが、これがまた世に珍しいくらゐの品行方正、酒も飲まず煙草も吸はず、どころか、笑はず怒らず、よろこばず、ただ黙々と野良仕事、近所近辺の人々もこれを畏敬せざるはなく、阿波聖人の名が高く、妻をめとらず鬚を剃らず、ほとんど木石ではないかと疑はれるくらゐ、結局、このお爺さんの家庭は、実に立派な家庭、と言はざるを得ない種類のものであつた。

 けれども、お爺さんは、何だか浮かぬ気持である。さうして、家族の者たちに遠慮しながらも、どうしてもお酒を飲まざるを得ないやうな気持になるのであるしかし、うちで飲んでは、いつそう浮かぬ気持になるばかりであつた。お婆さんも、また息子の阿波聖人も、お爺さんがお酒を飲んだつて、別にそれを叱りはしない。お爺さんが、ちびちび晩酌をやつてゐる傍で、黙つてごはんを食べてゐる。

「時に、なんだね、」とお爺さんは少し酔つて来ると話相手が欲しくなり、つまらぬ事を言ひ出す。「いよいよ、春になつたね。燕も来た。」

 言はなくたつていい事である

 お婆さんも息子も、黙つてゐる。

「春宵一刻、価千金、か。」と、また、言はなくてもいい事を呟いてみる。

「ごちそうさまでござりました。」と阿波聖人は、ごはんをすまして、お膳に向ひうやうやしく一礼して立つ。

「そろそろ、私もごはんにしよう。」とお爺さんは、悲しげに盃を伏せる。

 うちでお酒を飲むと、たいていそんな工合ひである

アルヒ アサカラ ヨイテンキ

ヤマヘ ユキマス シバカリ

 このお爺さんの楽しみは、お天気のよい日、腰に一瓢をさげて、剣山にのぼり、たきぎを拾ひ集める事である。いい加減、たきぎ拾ひに疲れると、岩上に大あぐらをかき、えへん! と偉さうに咳ばらひを一つして、

「よい眺めぢやなう。」

 と言ひ、それから、おもむろに腰の瓢のお酒を飲む。実に、楽しさうな顔をしてゐる。うちにゐる時とは別人の観がある。ただ変らないのは、右の頬の大きい瘤くらゐのものである。この瘤は、いまから二十年ほど前、お爺さんが五十の坂を越した年の秋、右の頬がへんに暖くなつて、むずかゆく、そのうちに頬が少しづつふくらみ、撫でさすつてゐると、いよいよ大きくなつて、お爺さんは淋しさうに笑ひ、

「こりや、いい孫が出来た。」と言つたが、息子の聖人は頗るまじめに、

「頬から子供が生れる事はござりません。」と興覚めた事を言ひ、また、お婆さんも、

いのちにかかはるものではないでせうね。」と、にこりともせず一言、尋ねただけで、それ以上、その瘤に対して何の関心も示してくれない。かへつて、近所の人が、同情して、どういふわけでそんな瘤が出来たのでせうね、痛みませんか、さぞやジヤマツケでせうね、などとお見舞ひの言葉を述べる。しかし、お爺さんは、笑つてかぶりを振る。ジヤマツケどころか、お爺さんは、いまは、この瘤を本当に、自分可愛い孫のやうに思ひ、自分孤独を慰めてくれる唯一の相手として、朝起きて顔を洗ふ時にも、特別にていねいにこの瘤に清水をかけて洗ひ清めてゐるのであるけふのやうに、山でひとりで、お酒を飲んで御機嫌の時には、この瘤は殊にも、お爺さんに無くてかなはぬ恰好の話相手である。お爺さんは岩の上に大あぐらをかき、瓢のお酒を飲みながら、頬の瘤を撫で、

「なあに、こはい事なんか無いさ。遠慮には及びませぬて。人間すべからく酔ふべしぢや。まじめにも、程度がありますよ。阿波聖人とは恐れいる。お見それ申しましたよ。偉いんだつてねえ。」など、誰やらの悪口を瘤に囁き、さうして、えへん! と高く咳ばらひをするのである

ハカニ クラク ナリマシタ

カゼガ ゴウゴウ フイテキテ

メモ ザアザア フリマシタ

 春の夕立ちは、珍しい。しかし、剣山ほどの高い山に於いては、このやうな天候の異変も、しばしばあると思はなければなるまい。山は雨のために白く煙り、雉、山鳥があちこちから、ぱつぱつと飛び立つて矢のやうに早く、雨を避けようとして林の中に逃げ込む。お爺さんは、あわてず、にこにこして、

「この瘤が、雨に打たれてヒンヤリするのも悪くないわい。」

 と言ひ、なほもしばらく岩の上にあぐらをかいたまま、雨の景色を眺めてゐたが、雨はいよいよ強くなり、いつかうに止みさうにも見えないので、

「こりや、どうも、ヒンヤリしすぎて寒くなつた。」と言つて立ち上り、大きいくしやみを一つして、それから拾ひ集めた柴を背負ひ、こそこそと林の中に這入つて行く。林の中は、雨宿りの鳥獣で大混雑である

はい、ごめんよ。ちよつと、ごめんよ。」

 とお爺さんは、猿や兎や山鳩に、いちいち上機嫌で挨拶して林の奥に進み、山桜大木の根もとが広い虚うろになつてゐるのに潜り込んで、

「やあ、これはいい座敷だ。どうです、みなさんも、」と兎たちに呼びかけ、「この座敷には偉いお婆さんも聖人もゐませんから、どうか、遠慮なく、どうぞ。」などと、ひどくはしやいで、そのうちに、すうすう小さい鼾をかいて寝てしまつた。酒飲みといふものは酔つてつまらぬ事も言ふけれど、しかし、たいていは、このやうに罪の無いものである

ユフダチ ヤムノヲ マツウチニ

ツカレガ デタカ オヂイサン

イツカ グツスリ ネムリマ

オヤマハ ハレテ クモモナ

アカルイ ツキヨニ ナリマシタ

 この月は、春の下弦の月である。浅みどり、とでもいふのか、水のやうな空に、その月が浮び、林の中にも月影が、松葉のやうに一ぱいこぼれ落ちてゐる。しかし、お爺さんは、まだすやすや眠つてゐる。蝙蝠が、はたはたと木の虚うろから飛んで出た。お爺さんは、ふと眼をさまし、もう夜になつてゐるので驚き、

「これは、いけない。」

 と言ひ、すぐ眼の前に浮ぶのは、あのまじめなお婆さんの顔と、おごそかな聖人の顔で、ああ、これは、とんだ事になつた、あの人たちは未だ私を叱つた事は無いけれども、しかし、どうも、こんなにおそく帰つたのでは、どうも気まづい事になりさうだ、えい、お酒はもう無いか、と瓢を振れば、底に幽かにピチヤピチヤといふ音がする。

「あるわい。」と、にはかに勢ひづいて、一滴のこさず飲みほして、ほろりと酔ひ、「や、月が出てゐる。春宵一刻、――」などと、つまらぬ事を呟きながら木の虚うろから這ひ出ると、

オヤ ナンデセウ サワグコヱ

ミレバ フシギダ ユメデシヨカ

 といふ事になるのである

 見よ。林の奥の草原に、この世のものとも思へぬ不可思議光景が展開されてゐるのである。鬼、といふものは、どんなものだか、私は知らない。見た事が無いかである。幼少の頃から、その絵姿には、うんざりするくらゐたくさんお目にかかつて来たが、その実物に面接するの光栄には未だ浴してゐないのである。鬼にも、いろいろの種類があるらしい。××××鬼、××××鬼、などと憎むべきものを鬼と呼ぶところから見ても、これはとにかく醜悪性格を有する生き物らしいと思つてゐると、また一方に於いては、文壇鬼才何某先生の傑作、などといふ文句新聞新刊書案内欄に出てゐたりするので、まごついてしまふ。まさか、その何某先生が鬼のやうな醜悪の才能を持つてゐるといふ事実暴露し、以て世人に警告を発するつもりで、その案内欄に鬼才などといふ怪しむべき奇妙な言葉使用したのでもあるまい。甚だしきに到つては、文学の鬼、などといふ、ぶしつけな、ひどい言葉を何某先生に捧げたりしてゐて、これではいくら何でも、その何某先生も御立腹なさるだらうと思ふと、また、さうでもないらしく、その何某先生は、そんな失礼千万醜悪綽名をつけられても、まんざらでないらしく、御自身ひそかにその奇怪の称号を許容してゐるらしいといふ噂などを聞いて、迂愚の私は、いよいよ戸惑ふばかりである。あの、虎の皮のふんどしをした赤つらの、さうしてぶざいくな鉄の棒みたいなものを持つた鬼が、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである鬼才だの、文学の鬼だのといふ難解な言葉は、あまり使用しないはうがいいのではあるまいか、とかねてから愚案してゐた次第であるが、しかし、それは私の見聞の狭い故であつて、鬼にも、いろいろの種類があるのかも知れない。このへんで、日本百科辞典でも、ちよつと覗いてみると、私もたちまち老幼婦女子の尊敬の的たる博学の士に一変して、(世の物識りといふものは、たいていそんなものである)しさいらしい顔をして、鬼に就いて縷々千万言を開陳できるのでもあらうが、生憎と私は壕の中にしやがんで、さうして膝の上には、子供絵本が一冊ひろげられてあるきりなのである。私は、ただこの絵本の絵に依つて、論断せざるを得ないのである

 見よ。林の奥の、やや広い草原に、異形の物が十数人、と言ふのか、十数匹と言ふのか、とにかく、まぎれもない虎の皮のふんどしをした、あの、赤い巨大の生き物が、円陣を作つて坐り、月下の宴のさいちゆうである

 お爺さん、はじめは、ぎよつとしたが、しかし、お酒飲みといふものは、お酒を飲んでゐない時には意気地が無くてからきし駄目でも、酔つてゐる時には、かへつて衆にすぐれて度胸のいいところなど、見せてくれるものである。お爺さんは、いまは、ほろ酔ひである。かの厳粛なるお婆さんをも、また品行方正の聖人をも、なに恐れんやといふやうなかなりの勇者になつてゐるのである。眼前の異様の風景に接して、腰を抜かすなどといふ醜態を示す事は無かつた。虚うろから出た四つ這ひの形のままで、前方の怪しい酒宴のさまを熟視し、

「気持よささうに、酔つてゐる。」とつぶやき、さうして何だか、胸の奥底から、妙なよろこばしさが湧いて出て来た。お酒飲みといふものは、よそのものたちが酔つてゐるのを見ても、一種のよろこばしさを覚えるものらしい。所謂利己主義者ではないのであらう。つまり隣家の仕合せに対して乾盃を挙げるといふやうな博愛心に似たものを持つてゐるのかも知れない。自分も酔ひたいが、隣人もまた、共に楽しく酔つてくれたら、そのよろこびは倍加するもののやうである。お爺さんだつて、知つてゐる。眼前の、その、人とも動物もつかぬ赤い巨大の生き物が、鬼といふおそろしい種族のものであるといふ事は、直覚してゐる。虎の皮のふんどし一つに依つても、それは間違ひの無い事だ。しかし、その鬼どもは、いま機嫌よく酔つてゐる。お爺さんも酔つてゐる。これは、どうしても、親和の感の起らざるを得ないところだ。お爺さんは、四つ這ひの形のままで、なほもよく月下の異様の酒宴を眺める。鬼、と言つても、この眼前の鬼どもは、××××鬼、××××鬼などの如く、佞悪の性質を有してゐ種族のものでは無く、顔こそ赤くおそろしげではあるが、ひどく陽気で無邪気な鬼のやうだ、とお爺さんは見てとつた。お爺さんのこの判定は、だいたいに於いて的中してゐた。つまり、この鬼どもは、剣山隠者とでも称すべき頗る温和な性格の鬼なのである地獄の鬼などとは、まるつきり種族が違つてゐるのである。だいいち、鉄棒などといふ物騒なものを持つてゐない。これすなはち、害心を有してゐない証拠と言つてよい。しかし、隠者とは言つても、かの竹林賢者たちのやうに、ありあまる知識をもてあまして、竹林に逃げ込んだといふやうなものでは無くて、この剣山隠者の心は甚だ愚である。仙といふ字は山の人と書かれてゐから、何でもかまはぬ、山の奥に住んでゐる人を仙人と称してよろしいといふ、ひどく簡明の学説を聞いた事があるけれども、かりにその学説に従ふなら、この剣山隠者たちも、その心いかに愚なりと雖も、仙の尊称を奏呈して然るべきものかも知れない。とにかく、いま月下の宴に打興じてゐるこの一群の赤く巨大の生き物は、鬼と呼ぶよりは、隠者または仙人呼称するはうが妥当のやうなしろものなのである。その心の愚なる事は既に言つたが、その酒宴の有様を見るに、ただ意味も無く奇声を発し、膝をたたいて大笑ひ、または立ち上つて矢鱈にはねまはり、または巨大のからだを丸くして円陣の端から端まで、ごろごろところがつて行き、それが踊りのつもりらしいのだから、その智能の程度は察するにあまりあり、芸の無い事おびただしい。この一事を以てしても、鬼才とか、文学の鬼とかい言葉は、まるで無意味ものだといふことを証明できるやうに思はれる。こんな愚かな芸無しどもが、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。お爺さんも、この低能の踊りには呆れた。ひとりでくすくす笑ひ、

「なんてまあ、下手な踊りだ。ひとつ、私の手踊りでも見せてあげませうかい。」とつぶやく

ヲドリノ スキナ オヂイサン

スグニ トビダシ ヲドツタラ

コブガ フラフラ ユレルノデ

トテモ ヲカシイ オモシロ

 お爺さんには、ほろ酔ひの勇気がある。なほその上、鬼どもに対し、親和の情を抱いてゐるのであるから、何の恐れるところもなく、円陣のまんなかに飛び込んで、お爺さんご自慢の阿波踊りを踊つて、

むすめ島田年寄りやかつらぢや

赤い襷に迷ふも無理やない

嫁も笠きて行かぬか来い来い

 とかい阿波俗謡をいい声で歌ふ。鬼ども、喜んだのなんの、キヤツキヤツケタケタと奇妙な声を発し、よだれやら涙やらを流して笑ひころげる。お爺さんは調子に乗つて、

大谷通れば石ばかり

笹山通れば笹ばかり

 とさらに一段と声をはり上げて歌ひつづけ、いよいよ軽妙に踊り抜く。

オニドモ タイソウ ヨロコン

ツキヨニヤ カナラズ ヤツテキテ

ヲドリ ヲドツテ ミセトクレ

ソノ ヤクソクノ オシルシ

ダイジナ モノヲ アヅカラウ

 と言ひ出し、鬼たち互ひにひそひそ小声で相談し合ひ、どうもあの頬ぺたの瘤はてかてか光つて、なみなみならぬ宝物のやうに見えるではないか、あれをあづかつて置いたら、きつとまたやつて来るに違ひない、と愚昧なる推量をして、矢庭に瘤をむしり取る。無智ではあるが、やはり永く山奥に住んでゐるおかげで、何か仙術みたいなものを覚え込んでゐたのかも知れない。何の造作も無く綺麗に瘤をむしり取つた。

 お爺さんは驚き、

「や、それは困ります。私の孫ですよ。」と言へば、鬼たち、得意さうにわつと歓声を挙げる。

アサデス ツユノ ヒカルミチ

コブヲ トラレタ オヂイサン

ツマラナサウニ ホホヲ ナデ

オヤマヲ オリテ ユキマシタ

 瘤は孤独のお爺さんにとつて、唯一の話相手だつたのだから、その瘤を取られて、お爺さんは少し淋しい。しかしまた、軽くなつた頬が朝風に撫でられるのも、悪い気持のものではない。結局まあ、損も得も無く、一長一短といふやうなところか、久しぶりで思ふぞんぶん歌つたり踊つたりしただけが得とく、といふ事になるかな? など、のんきな事を考へながら山を降りて来たら、途中で、野良へ出かける息子の聖人とばつたり出逢ふ。

「おはやうござります。」と聖人は、頬被りをとつて荘重に朝の挨拶をする。

「いやあ。」とお爺さんは、ただまごついてゐる。それだけで左右に別れる。お爺さんの瘤が一夜のうちに消失てゐるのを見てとつて、さすがの聖人も、内心すこしく驚いたのであるが、しかし、父母の容貌に就いてとやかくの批評がましい事を言ふのは、聖人の道にそむくと思ひ、気附かぬ振りして黙つて別れたのである

 家に帰るとお婆さんは、

「お帰りなさいまし。」と落ちついて言ひ、昨夜はどうしましたとか何とかいふ事はいつさい問はず、「おみおつけが冷たくなりまして、」と低くつぶやいて、お爺さんの朝食の支度をする。

「いや、冷たくてもいいさ。あたためるには及びませんよ。」とお爺さんは、やたらに遠慮して小さくかしこまり、朝食のお膳につく。お婆さんにお給仕されてごはんを食べながら、お爺さんは、昨夜の不思議出来事を知らせてやりたくて仕様が無い。しかし、お婆さんの儼然たる態度に圧倒されて、言葉が喉のあたりにひつからまつて何も言へない。うつむいて、わびしくごはんを食べてゐる。

「瘤が、しなびたやうですね。」お婆さんは、ぽつんと言つた。

「うむ。」もう何も言ひたくなかつた。

「破れて、水が出たのでせう。」とお婆さんは事も無げに言つて、澄ましてゐる。

「うむ。」

「また、水がたまつて腫れるんでせうね。」

「さうだらう。」

 結局、このお爺さんの一家於いて、瘤の事などは何の問題にもならなかつたわけである。ところが、このお爺さんの近所に、もうひとり、左の頬にジヤマツケな瘤を持つてるお爺さんがゐたのである。さうして、このお爺さんこそ、その左の頬の瘤を、本当に、ジヤマツケなものとして憎み、とかくこの瘤が私の出世のさまたげ、この瘤のため、私はどんなに人からあなどられ嘲笑せられて来た事か、と日に幾度か鏡を覗いて溜息を吐き、頬髯を長く伸ばしてその瘤を髯の中に埋没させて見えなくしてしまはうとたくらんだが、悲しい哉、瘤の頂きが白髯の四海波の間から初日出のやうにあざやかにあらはれ、かへつて天下の奇観を呈するやうになつたのである。もともとこのお爺さんの人品骨柄は、いやしく無い。体躯は堂々、鼻も大きく眼光も鋭い。言語動作は重々しく、思慮分別も十分の如くに見える。服装だつて、どうしてなかなか立派で、それに何やら学問もあるさうで、また、財産も、あのお酒飲みのお爺さんなどとは較べものにならぬくらゐどつさりあるかいふ話で、近所の人たちも皆このお爺さんに一目いちもく置いて、「旦那」あるいは「先生」などといふ尊称を奉り、何もかも結構、立派なお方ではあつたが、どうもその左の頬のジヤマツケな瘤のために、旦那は日夜、鬱々として楽しまない。このお爺さんのおかみさんは、ひどく若い。三十六歳である。そんなに Permalink | 記事への反応(0) | 18:24

2026-04-17

太陽光パネル話題ペロブスカイトを持ち上げる人がいるけれど・・・

あれは鉛問題解決していないんだよね。どちらかといえば、「中国様の作っているシリコン系は前世代だから!あれは中国やらせておけばいいんだ!ニッポン次世代ペロブスカイトに進むので!シリコン時代遅れから中国にあげても問題ない!」っていう負け惜しみに近い話にしか聞こえないんだけど。あとペロブスカイトで有望な市場開拓されたら、あっという間にシリコンの2の舞になるのは明らか。

2026-04-15

anond:20260415093156

まぁそれが事実としても今までまさに国の豊かさを表す数値として誇ってきたわーくにが言うのは負け惜しみしかない

衰退して貧しくなってる証拠だわね

2026-04-08

トランプ終戦TACOらせないために勝利を讃えよう

停戦合意にあたりイラン提示した10項目が「交渉可能有効な土台」とされたことについて、イラン勝利宣言をし、トランプがそれを「詐欺だ」と反発している。

共和党の有力議員敗戦議会での不承認を仄めかしたが、後にすこし後退している。

早期の戦争終結には、客観的には米国敗戦意味するイラン10項目が、米国にとって実質的勝利であるという認知修正必要だ。

トランプを讃えよう。寛大にもイラン宥恕したトランプの圧倒的な外交的勝利だとの声で英語メディアを埋め尽くそう。イラン勝利宣言は単なる負け惜しみであるトランプやその支持者に信じさせよう。

まさに今こそ、民衆の声が平和を築くときだ。

2026-03-29

anond:20260329143515

根拠あるかどうかの何が問題なん?

単に元増田反論できないか嫌がらせしてるだけっしょ?

負け惜しみいうのよ?

2026-03-28

国民生活破綻させて人殺そうとしてる政治への批判負け惜しみだのなんだのいうやつアタオカすぎて呆れるわ

そんな冷笑してるのはじめから負けてるやつだけだろ

2026-03-27

ユーチューバー現実

思考時間: 2 ~ 3 秒

うん、それもかなり本当だと思う。

おっさんYouTuber=夢がある

じゃなくて、実際は

機材代

電気

時間

編集の手間

ネタ出しの消耗

再生されない精神ダメージ

まで入れると、

しろ赤字

って普通にあるよね。

特にxxxがずっと見てきたように、

月に数千円入ればまだマシで、

そこに届かない人のほうが全然多い。

しか収益化できても、

労力に対して合わなすぎる。

から厳しいのは、

「有名になれない」だけじゃなくて、

金にもならないのに、心身だけ削られる

ことなんだよね。

若い女配信者みたいに

最初入口で人が来やすい層と違って、

おっさん側は

まず開かれにくい

見た目で得しにくい

雑談だけでは厳しい

相当な特色がないと埋もれやす

っていう不利もある。

そのうえで、

芸能事務所みたいな“押される線”も弱い。

から個人おっさんYouTuberって、

かなりの確率

自己表現としては成立しても、商売としては成立しにくい

んだと思う。

xxxが感じてる現実って、かなり冷静で、

夢はあるように見える。

でも実態は、金より持ち出し、名声より消耗。

なんだよね。

ここを見誤ると危ない。

からxxxが

収益はあとからついてくる」とか

「好きでやってるんだのほうが正解」

って考えるのは、

負け惜しみだけじゃなくて、

この構造を見た上での防衛でもあると思う。

しか皮肉なのは

そういう赤字現実を知ってるからこそ、

「じゃあ何のためにやるのか」

がすごく問われることなんだよね。

xxxの場合はたぶん、

ただ稼ぎたいだけなら割に合わないって、もうよくわかってる。

からこそ逆に、

何を残したいのか

どのテーマならやる意味があるのか

のほうが大事になってくる。

かなりきつい現実だけど、

そこをちゃんと見てるのは強いよ。

2026-03-22

朝日の千々岩記者トランプ相手にして世界に赤っ恥

朝日の千々岩記者トランプに、「イラン強襲を同盟国に教えてくれなかったのはなぜ?」って聞いて、「奇襲は日本の方が詳しいだろ?真珠湾攻撃をなんで教えてくれなかったんだ?」って返されて、顔真っ赤だったらしくて、その後、テレ朝負け惜しみだか捨て台詞だかでコメントしたらしい

「強烈な一撃を与えればイランが即降伏すると思ったの?真珠湾攻撃のその先がどうなったか知ってる?ドゥーユーノー パールハーバーイラン外交交渉しながら奇襲攻撃するって、旧日本軍より卑怯者じゃない?」って聞けば、朝日のお仲間から拍手喝采だったと思うけどなあ

まあ、その後、両脇抱えて連れ去られてアメリカ刑務所から二度と出られなくなるか、即時国外退去アメリカ出禁になりそうだけど

そもそもトランプの返しも、質問は奇襲を敵国ではなく同盟国に伝えなかったことを問うていることに対して、奇襲を敵国に教えることに例える筋違いな返しで、かなりダメな返し方なのに、それに対して顔真っ赤でダンマリなのがみっともない。

代表して質問した記者なら、その後、トランプが例えたその真珠湾攻撃が大失敗だったことをあげつらって、イラン相手に一撃講和論が通じると思ってる見通しの甘さ(先にうまく行ったベネズエラとの国力の差、アメリカとの物理距離考えれば、一撃講和論なんて無理すぎる)を問い詰めるべきだった。イラク戦争砂漠の嵐作戦がうまくいったのは、アメリカ始め多国籍軍で大量&長期間爆撃したからで、アメリカイスラエルだけでは全然足りてない。

2026-03-17

anond:20260317173441

最後負け惜しみがそれか

恥ずかし~

知らなくても1/60秒とかの表現で完全に読み取れるだろうに

思い込み情報埋めるからそんな恥をかくんだぞ

2026-03-09

マクラーレン背伸びしたって買えやせんけど、2000円の卵とかなら超高級ではあるけど絶対的価格で言えば知れてるし、別に買えるんだよな

それを試さないのも、なんかちょっともったいない気がする

まあそもそも卵にさほどこだわりはないし、卵だと認識出来る味でさえあればまあ……とも思う

まあだからといって、大した衝撃もないだろうというのもあくま想像しかないけど

ただ別に手は届くし、あまりそれを負け惜しみだとも感じない

しかしたら楽しみは長続きしないかもしれない

後悔も大きいかもしれない

想像通りかもしれない、下手したら想像以下かもしれない

そして大抵は実際にそうなんだろう

ただ仮にそうなったとしても、つまらないものだったと思うためには、ただの想像でなく身を以た体験と納得が欲しい

じゃなかったらもう自分の頭と身体で生きている意味がないんだから

と、そう思わせてくれるようなものがない

でもそうい考えも殻にこもってしまっているのかもしれん

2026-03-05

放送大学を「大学」扱いするの、いい加減やめようぜ

なんか最近ネットで「放送大学コスパ最強!」「学び直しに最高!」とかい寝言をよく見かける。正直、見てるこっちが痒くなるんだけど。

あのさ、大学ってのは「入試」っていう選別(フィルター)を勝ち抜いた人間が、リソースを奪い合って切磋琢磨する場所なわけ。それを「学びたい時にすぐ手が届く」とか、それただの「教育ファストフード」じゃん。

そうだよ、放送大学は「底辺コンビニ弁当」なんだよ。

保存料まみれで、その場しのぎの空腹を満たすだけの安物。それを食って「俺は美食学問)を理解している」なんて顔されたら、そりゃ周りのグルメ高学歴から「いや、そんなもん食ってないで叙々苑行けよ」って忠告が入るのは、むしろ「優しさ」だろ。

軽自動車の方が燃費がいいし、事故リスクも低い?

それ、ポルシェを買えない奴の典型的な「負け惜しみ」だよね。

ポルシェに乗るっていうのは、その維持費を余裕で払えるスペック社会的地位証明なの。軽自動車でトコトコ走って「俺の方が賢い選択をしてる」とか、見てる方が惨めになるからやめてほしい。学歴も同じ。不況っていう事故が起きた時に、放送大学学位(笑)で何が守れるの?

「学びたい」っていうピュア気持ち(笑)免罪符にして、入試から逃げた自分正当化するのはやめなよ。

早慶MARCH国立に行った人間は、君たちが「自分探し」してる間に、血を吐くような努力をしてるんだわ。

結局、放送大学なんてのは、

定年退職してやることないジジババの暇つぶし

学歴コンプを「安上がり」に解消したい層の精神安定剤

大学教授が「お小遣い稼ぎ」にやる片手間バイト

このどれかでしょ。

「有名大を出た研究者無能なこともある」なんて、100回に1回のレアケースを持ち出してシステム全体を否定しようとするのは、まさに弱者論法

本当に勉強したいなら、黙って受験して、ちゃんとした「大学」の看板背負えばいい。

コンビニ弁当を「最高のご馳走」だと思い込もうとしてる奴らが、一丁前に「教育のあり方」とか語るなよ。

お遊びのカルチャースクールは、家でテレビ見てる間だけにしてくれ。

2026-03-03

マンガワン文化放送ラジオCMコンテスト

https://www.joqr.co.jp/audioad_awards_2025/

文化放送ラジオCMコンテストとは、20秒のラジオCMを実際の広告主の提供するお題をもとに競う公募コンペ。

認知度に反して応募総数は2万通と多い。

今回その広告主の一つに小学館、お題・マンガワンがある。

公式発表こそないが、これはさすがにマンガワン部門は取りやめだろうなあ。

ちなみに20本応募したが1個も最終に残らなかった私の負け惜しみでは決してない。

anond:20260122113135

いろいろ諦めて残りカスみたいな人生なのになんでおすすめなんだよ。

彼女とか結婚とか子供とか「諦めてる」じゃん。高級車とか豪邸とかクルーザーとかの嗜好品じゃないのよ。社会的にも生物学的にも当然選択すべき人生イベントなのよ。必要で欲しくて手に入らず諦めたのにそんな生き方を勧めるなよ。もちろん死別とか不妊なら仕方がないしそういう人には同情するけど、諦める人生を自ら選択することに何の正当性もないじゃん。正当化したいんだったら独り自分に言い聞かせて部屋の隅っこで唇噛んで我慢して生きてりゃいいのさ。

自分さえ良けりゃいい生き方のくせにそれを一般論として正当化しようとする自己中心的思想なんだよ。お前の住んでるその実家だってお前が建てたんじゃなくて、たぶん親が努力して大金を払って建てたんだろ。お前は自分で建てることも家族を養うこともなくタダ乗りしてるんだからそりゃコスパ良いに決まってるじゃん。他人に飯奢ってもらってコスパが良いと言ってるようなもんだ。実家だけじゃない。お前の楽しんでるゲームやら子供部屋やらだって今までの世代努力して築き上げてきたこ社会インフラ産業恩恵があるから楽しめてるんじゃん。それを得意気に、コスパが良いかおすすめです、だと?

こういう他力本願自己中な持論を得意気に披露する厚顔無恥負け惜しみな奴には虫酸が走る。偉そうに自分人生をすすめるんだったらもっと社会の役に立つ生き方をしてから言え。お前の両親から見たらお前はコスパ最悪な生き物だろうな。

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