はてなキーワード: 独りよがりとは
ホームレスの振りして誰かが助けてくれたらその人に大金をプレゼントするみたいなドッキリ。
アメリカの見てたら助けようとする人もだいたい苦労人だったり家がない人だったり自分も全然お金ないんだけど
だから痛みが分かるのか数ドルでもなにかしら助けようとしてくれるんだけど
それだけじゃなくてもうひとつ特徴があってそれは必ず神に祈りをささげてる。
神を信じてるからあなたにも救いがある私があなたに会ったのも神の意思だみたいなこといって
あなたを助けることは神の意思、教えなんだ一緒に祈ろうみたなことを言ってる。
例えば悪い新興宗教にハマって、お金を吸い取られて、周りにも迷惑をかけるようなことがあったらそれは幸せではない。
世界をよくするとは思えないし、本人は幸せなつもりでもそれは独りよがりでしかない。
じゃあそういうのじゃない宗教ならどうなんだろう。
信じる神がいることで善き人であろうとする、そうやって生きようとすること。
信じる神がいるから辛いことにも耐えられる。いや、辛いことがありすぎるから信じる神が必要、どちらが先かみたいな話。
幼いころに母親と妹をいっぺんに亡くした。
父親は自分を見失ってしまい、子供だった俺ともう一人の妹は親戚の家でしばらく過ごした。
半年くらいして父親とまた暮らし始めたとき父はイエス・キリストを信じるようになっていた。
日曜には教会に通わされて教会の他の子供たちと遊んだり聖書をアニメにしたやつを見たりした。
俺は全然意味が分からないし、田舎にある仏壇のほうがどっちかっていうとしっくりきた。
俺だけがついていけなかった。
そうやって父と妹はクリスチャンになった。
「あんときな藁にもすがる思いなのになにに祈ればいいかわからんかった」
「だから神様がほしくてそれがたまたまキリストだった。仏とかじゃなかったのは俺もよくわからん」
「それで俺まで死なずにすんだと思った。お前らのことももちろんあったけど、それくらいギリギリだった」
「だから助けてくれたっていうのがあって、そっから真剣に向き合うようになった」
だけど、祈る先が欲しいと思う。
しんどいときに、これはあなたが与えた試練なんですねって言い聞かせたい。
日本には良い宗教観があると思う。八百万の神。万物に宿る神々。
素敵な考え方だとずっと思ってきた。
「あの人」と呼べることは依存性を高めてくれる。
あの人に祈ろう、あの人に祈りが通じること、それが具体的にイメージできるとき、強い力を生むのだと思う。
祈る神がいたら心が楽になるだろうか。
父ももういないし妹に聞いてみたらいつからでもいいのと言われた
わかんない、お父さんのついでになっただけだし、そんなに良い信者だとは思わない
だけどお祈りしてるときの雰囲気、神聖な落ち着いた感じ、あれで心が落ち着くってのはある。
確かに、神を本気で信じてるかどうかは置いとくとして、お祈りしてるときの神妙なムードは、心を落ち着かせるものがあると思う。
俺は死んだ母を神様の代わりにしてきたなと気づいた。
母が見たら悲しむぞ、と思うのは神様は見てるぞ、と同じ意味だ。
違いはそれを知らない人と共有できるかできないかだ。
心がいよいよ苦しくなったら100億年ぶりに教会に行ってみようかな。
SNS上では、時に「正義」の名の下に、当事者の置き去りにした議論が加速することがあります。
現在注目を集めているマンガワン・小学館の事件を巡り、成人済み腐女子を名乗るMさんが行っている発言は、その典型的な危うさを孕んでいます。
彼女は「被害者に寄り添っている」というスタンスを崩しませんが、その実態はどうでしょうか。
当事者の意思を軽視し、自分の正義感を押し付ける「独りよがりな支配」になっているのではないでしょうか。
2026年3月、マンガワン・小学館を巡る性加害事件の判決を受け、被害者(原告)本人が極めて冷静かつ切実な声明を発表しました。
しかし、この声明を巡り、SNSでは「被害者の代わりに怒る」代弁者気取りの正義厨の人々による、本人不在の議論が巻き起こっています。
特に、M氏の一連の発言は、一見すると被害者を擁護しているようでいて、その実は被害者の主体性を根底から否定するものでした。
まず、被害者本人が弁護士を通じて発表した声明の内容を正しく振り返りましょう。彼女は以下の点を明確に述べています。
小学館への感情: 強い怒りや恨みはなく、むしろ良い作品を世に出してほしいと願っている。
炎上の拒絶: 小学館や雑誌への過度な批判、炎上は望んでいない。
メディアへの訂正: 文春記事の「許せない」という見出しは本意ではなく、実際は「やるせない」と語ったのみ。
最大の願い: 自分の意思を勝手に解釈し、代弁者として正義を振るうのをやめてほしい。
大事なのは被害者は、自分が「怒り狂う被害者」としてネット民に消費されることを明確に拒んでいるのです。例え善意であってもです。
これに対し、M氏は被害者の声明をどう受け止めたのでしょうか。彼女の主張は驚くべきものでした。
> 「被害者の態度は虐待被害者特有の『認知の歪み』である」
> 「本来は怒り狂うべきなのに、それを抑えて謝罪するのは異常だ」
このように、普段より妄想と被害者意識の逞しい腐女子である彼女は、心理学的な用語を武器に、被害者の本心を「病的な反応」として処理しました。これは極めて危険な態度です。
被害者が自らの意志で「これ以上の争いは望まない」「前向きに活動してほしい」と言っているにもかかわらず、それを「認知が歪んでいるから、本心では分かっていないのだ」と決めつける。これは、被害者から「自分の感情を定義する権利」を奪う行為です。
M氏は、自分を「被害者の寛容さに甘えない、厳格で正しい大人」だと位置づけています。
しかし、その構図を整理すると、彼女の「寄り添い」がいかに独善的かが浮き彫りになります。
| 項目 | 被害者本人の意思 | ムラサキアジサイ氏の解釈 |
| 小学館への態度 | 良い作品を期待し、協力したい | 謝罪など論外。怒るべき。 |
| 社会の反応 | 炎上させてほしくない | 批判の手を緩めるのは甘え。 |
| 自身の発信 | 私の声を勝手に代弁しないで | 私は正しい。この歪みを指摘し続ける。 |
彼女が行っているのは「寄り添い」ではありません。
「自分が納得できる『理想の被害者像』への強制」でしかありません。
自分の正義感を行使するために、被害者を「正常な判断ができない弱者」に仕立て上げ、その声を封殺しているのです。
この独善的な振る舞いに対し、あおいとしき氏などが「素人が強く表明すべき内容ではない」「配慮が必要だ」とたしなめましたが、彼女の反応は極めて自己防衛的でした。
・ 「私は正しい」という信念を一切曲げない。
・「拡散される意図はなかった」と、影響力に対する責任を回避する。
・批判に対して「理解しましたが、私は否定し続けま)」という、対話を拒絶した形式的な返答。
他者の視点を取り入れ、自分の過ちを省みる柔軟さが欠如しているこの態度は、社会的に見れば非常に「幼稚」であると言わざるを得ません。
「被害者のため」と言いながら、実際には「自分の正義に酔っている自分」を守ることに終始しているからです。
M氏のような「暴走する正義」は、結果として被害者をさらに孤独にします。
本人が「やめてほしい」と言っている行為を、「あなたのためだから」と強行することは、加害者が行った心理的支配と構造的に何ら変わりません。
私たちは、彼女のこうした「専門用語を悪用した当事者軽視」に騙されてはなりません。真の寄り添いとは、相手の言葉をそのまま受け止め、その主体性を尊重することから始まります。たとえ納得できなかったとしても、自分が望む言葉を言わなかったからと言って認知の歪みだと言ってしまうような人を
「これが被害者に寄り添った態度だ」と持ち上げる人たちは、現実は腐女子の妄想とは違うことをまず認識すべきでしょう。世界は腐女子のイデオロギーでは動いていません。
M氏の発言は極めて幼稚なものと言わざるを得ませんが、本人は大人として発言しているつもりだそうなのでかなり救いがないですね。
「私は正しい」という鎧を脱ぎましょう。
そして当事者の静かな声に耳を傾ける。
私自身も男性という当事者性を有するがゆえに、当該の発言に対しては幾ばくかの憤りを禁じ得ない。
しかしながら、その指摘が蓋然性の高い事実であることもまた、認めざるを得ないだろう。
現状、男性側が何ら事前の合意や報酬の担保がない状態で、一方的に女性へ配慮を供与し、過剰な庇護を与えるケースが散見される。
その上で、期待した反応が得られない場合に「配慮に対する報いがないのは不当である」「礼節に欠ける」と独善的な義憤を露わにするのは、いささか筋違いと言わざるを得ない。
したがって、男性はこうした自己完結的な配慮を峻別し、是正すべきである。主観的な期待に基づき、独りよがりに配慮行動を先行させることは控えるべきだ。
報賞(リターン)を付与する対象は、既に社会や組織、あるいは個人に対して実質的な利益をもたらした者に限定すべきである。
何ら貢献の認められない女性に対して、一方的に配慮を先行投資する行為は、結果として双方に不幸な結末を招く。
結論として、配慮とは後発的な報酬として実行されるか、あるいは明確な契約・合意に基づき実行されるべき性質のものなのである。
昨日、近所のボロい弁当屋でメシ買ったんだわ。帰宅して袋開けたら、頼んでもねー謎の惣菜が1個紛れ込んでんの。速攻で電話したら「レシート載ってない?あー、いいよいいよ!サービスだから食べて!」とか抜かしやがる。
は? こっちは「正しい対価」を払って正しい商品を受け取りたいだけなんだよ。勝手に施しを与えて、優越感に浸ってんじゃねえよ。この時点で相当イラついてたけど、今日わざわざ500円玉握りしめて返しに行ってやったわけ。俺は透明な取引がしたいだけなんだわ。
俺「昨日これこれこういう理由で、500円払いに来たんですけど」
「いいの、いいの!払わないでいいの!気を使わせてごめんねぇ!ありがとね!」
とか、顔をシワくちゃにして笑いながら言ってきやがった。
……は? 何様だよ。
お前のその善意という名の独りよがりな押し付けが、どれだけこっちのプライドを傷つけてるか分かってんのか? 500円すら払えないほど俺は貧乏人に見えるか? 「ありがとね」ってなんだよ。上から目線で俺をコントロールしようとすんな。
そんなクソまずい弁当で俺を懐柔できると思ってんじゃねえよクソババアがあああああああああああああ!!!!
ババアの腹をぶち抜いた。
めり込んだ拳から伝わるのは、肉の弾力じゃなくて、腐ったゴムみたいな不快な抵抗感。
ババアの腹からは、ドロドロした大量の緑色の血と、見たこともないサイズの脈打つタマゴがドバドバ噴射。
ババアだった「ソレ」が、顎まで裂けた口から耳を突き刺すような悲鳴を上げた。
床に転がったタマゴから、一瞬で無数の触手が生えてきて、店の天井まで埋め尽くした。
「なんだこれ……なんなんだよこれ!!」
絶望した瞬間、脳が沸騰した。
視界が青白く反転し、触手の動きが止まって見える。
これだ。ネットの隅っこで噂されてた、虐げられ続けた弱者男性だけが至る特異点。
触手の隙間、ババアの核、逃走経路……すべてが数式のように脳内に叩き込まれる。
だが、体が追いつかない。思考が加速しても、俺のなまった肉体は止まったままだ。
「……おい。新入りか。ひどい面してるな」
背後から声がした。
振り返ると、そこにはチェックのシャツをインした、俺と同類の「チー牛」っぽい男が立っていた。
「……サービスは、もう間に合ってるんだよ」
男が右手をかざす。
「相手が最も拒絶するもの」を強制的に物質化して送り込む、最悪のギフト。
ババア(だったもの)の体内に、巨大な「500円玉の塊」が直接転送された。
対価を拒絶し、無償の善意を押し付けようとした怪物が、内側から「対価」によって破裂する。
緑の体液と鉄の硬貨が雨のように降り注ぐ。
男は俺に視線を投げ、ポツリと言った。
「その500円玉、まだ握りしめてるのか。……大事に持っておけ。それが俺たちの、唯一の境界線だ」
俺は今、静まり返った店内で、緑色の返り血を浴びながら、500円玉を握りしめて立ち尽くしている。
……なあ、教えてくれ。
これ、俺が悪いのか?
「無料でいい」って言われたからって、はいそうですかって笑って受け入れるのが正しい人間なのかよ?
俺は、どうしても納得がいかない。
はっきり言って失恋したとかで泣くような人間を若干冷笑していた節がある。恋愛で一喜一憂するなんて女々しい。漢なら当たって砕け散れ!などど思っていたのも束の間、本当に砕け散ってみるととても耐えられそうにない。寝ても覚めても悪夢が続いているような感じで、今ならbacknumberでさえ共感できる。
相手はバイト先の先輩だったんだが、急にご飯に誘って基地外と思われるほどの距離感とかでは全くなく、休憩が被れば一緒に話したり、ゲームの話題でdmのやりとりをできるくらいの仲だった。
その先輩を飲みに誘った後、気になっている旨を伝えて2回目のご飯に誘ったら、「好意には応えられないけどまたご飯に行こうね」とのこと。半年前からの片想いも虚しく散ったわけだが、何よりも苦しいのは、先輩に迷惑をかけたり気持ち悪がらせたりしてしまったかもしれないということだ。
人に好意を伝えることは独りよがりで暴力的な行為になりうるというのは重々承知している。相手だって人間なのだ。昔読んだ横槍メンゴの「クズの本懐」を思い出す。「興味のない人から向けられる好意ほど気持ちの悪いものってないでしょう?」まさにこの感じだ、タイピングしてきてまた涙が出てきた。好きな人を気持ち悪くさせてしまって申し訳ない。顔ない、横転、墓地が無料のうちに急いで死ぬべきだ。平安時代ならこんなとき、袖を濡らすとか血の涙で手紙を書くだとかいうけれども、気持ちの悪い人間が泣きながら増田を書いたところで何の詩的情緒も感じられない。とにかく何か別のことを考え続けないと涙が止まらないのだからしょうがない。
問題は、仮に先輩を気持ち悪がらせてしまったとしても、ここで先輩に対して「変なこと言ってすみません。全部忘れてください」とか謝罪したところで、それはそれで先輩がたとえ社交辞令でもまたご飯行こうといってくれた優しさを無下にすることになる。はっきり断ってくれた先輩はむしろ優しいし、正しいし、そういうところが好きなんだよな。振られたけど間違いなく最高の一日だった。
それで思ったんだが、人間の矜持として先輩に恨み節になったりするのは絶対に違う。なぜなら好意を発露した自分がすべて悪く、先輩をこれ以上傷つけるようなことは断じてしてはならないからだ。そして振られた側は、相手に罪悪感を抱かせたり、これ以上気を遣わせたりしないためにもう何もすべきではない。
何もすべきではない。これが一番つらいのだ
もし何かできることがあるなら何でもする。好きな子のためなら泥水だってすするぞ、ズズズッとな。でもこれがもう何もすべきじゃないんだ。先輩とは友達以上の関係になれることは確実にないし、必要以上に連絡を取るべきではなく、もちろんバ先で少しも態度に出すべきではない。だからやり場のない思いをクネクネ書いているわけだ。世間一般的には失恋について、時間が解決するだとかいうけれども、その時間経過が一番難しいンだよな。backnumberや諸々を冷笑していた自分が情けない。失恋は何でもないよくある些細な悩みで、身近に起こりうるんだから作風やマーケティングは完全に正しい。恋愛はいつの時代も普遍的な一大コンテンツだ。失恋系Vtuverにでもなって赤スパで儲けたい。
先輩は「自分から人を誘える人は強い」と言っていた。自分としてはかなり勇気を出して先輩を誘ったつもりだった。でも出すべきじゃない勇気もあったらしい。
実際それはそうで、成人過ぎてこれまで気になっている人をデートに誘うなんてことは初めてだったし、それを普通にしているような人は本当に強いと思う。だからせめてもっと強い人間になれるように恋愛だけではなく人に積極的に声をかけ誘える人間になりたい。
一方で、今回みたいに出すべきではない勇気を出した場合、人を誘う強さは相手に不快感を与えうる。
かといって、人に声をかけないのは何も学んでない。私はもっと強い人間になりたい。
結局のところ、相手を不快にさせたり自分が傷ついたりする覚悟と責任を背負ったうえで人と関われる人間が強いということなんだろうな。
「名作」「神アニメ」ってやたらオタクたちが持ち上げてるから、ある程度のクオリティを期待して完走してみた。 結論から言うけど、マジで時間の無駄だった。これを神格化してる奴らの正気を疑うレベル。
まず映像のレベルが低すぎる。 古いアニメなのは百歩譲って理解するけど、それにしても作画崩壊が酷くないか? 動きはガタガタだし、進化シーンの使い回し(バンク)で露骨に尺稼ぎしてるのが透けて見えて萎える。令和の作画に慣れた目で見ると、紙芝居だよ。
次にキャラが最高に幼稚で不快。 小学生が異世界でサバイバル(笑)とか言いつつ、やってることはただのワガママと内輪揉め。特に太一とかいう主人公、熱血キャラのつもりか知らないけど、ただの独りよがりなガキで見ててイライラする。デジモンたちも媚び売ってるようなデザインでキツいし、あんなのに感情移入できる奴の精神年齢どうなってんの?
一番酷いのがストーリーの支離滅裂さ。 基本、ご都合主義の塊じゃん。ピンチになったら都合よく進化して、最後は精神論で全部解決。設定の裏付けもスカスカだし、敵の行動原理も意味不明。後半の展開とか、風呂敷広げすぎて畳み方が雑すぎて失笑したわ。
結局これ、「思い出補正」しかないだろ? 当時子供だった30代のおっさんたちが、ノスタルジーだけで評価を盛ってるだけ。客観的に見たら、中身スッカスカのただの子供騙しアニメだよ。
これを「大人でも泣ける」とかドヤ顔で語ってる奴、普段どんだけ質の低いエンタメに触れて生きてるわけ? マジで返せよ、俺の数日間。
AIが提示した「もっともらしい社会学ごっこ」に心酔し、自分だけが本質を理解した気になっている姿は滑稽の極みです。AIはユーザーの意図を汲み取り、もっともらしい理屈を補強する「高性能な鏡」に過ぎません。増田の幼稚な支配欲と独りよがりな要求を「構造的搾取への抵抗」などと小難しく定義し直して悦に浸るのは、ただの現実逃避であり、知性の欠如を語彙力で誤魔化しているだけです。
はてブ民が理解できないのではなく、彼らは理屈以前にこの歪な関係性の「生理的な薄気味悪さ」を直感しているのです。AIとの壁打ちで得た薄っぺらな全能感を盾に他者を見下すその傲慢さこそ、貴方のいう「搾取」と同質の醜悪さであると、早く気づけるといいですね。
良いことしようとしてるのに独りよがりで逆効果だとか言われたらたまらんし、怒られなんかしたらそれこそやってられんよね。
その慎重さはすごく大事なこと。ボランティアの柱の一つだから大事にしたほうが良い。「本当に有効な行動か常にチェックする」ってことは。
でもやっぱり、自分で考えて勝手にやるのがボランティアのメインの柱なんだよ。つまり自己責任ってことが。誰かが「これをやっとけば間違いない」というレールを敷いてくれてるはず、なんて思うな。そうやって何も考えず誰かの指示でやってたら、その行為が時間とともに現実のニーズと乖離して有難迷惑化してても気づかないだろ。それボランティアというより単純労働だから。
だからボランティアやってみたいなら本当に勝手にゴミでも拾ってみる。小さく始めてなんかトラブル起きたらトラブルに即して修正するっていうのが本当の王道。「自分ひとりのボランティア団体のトップとして動く」のがボランティアの本質なので、それを身体で学ぶのは有益なことだよ
ぽれの机には見知らぬ誰かが座っていて、上司に聞こうにも「あぁ、そう」としか言わなくて、
どうしてこうなったのかなと考えてもどうにならないから次の日に辞表を提出してしまったき
アパートにすぐ戻る気にもなれず、適当な公園で暇をもてあましていたき
時間は12時前後、平日の真昼間にベンチで寝転がって、空を眺めるだなんて、ちょっと前なら
考えもできないほどの贅沢だとも無駄だとも思ってたけど、これからならいくらでもできるんだき
視界が滲んで涙が溢れたき
せめて、説明してほしかったき、なぜぽれがこんな目に会わなくちゃいけないんだき
不意すぎるき、唐突すぎるき
会社の連中とは上手くやっていたつもりだき、それはぽれの独りよがり、勘違いに過ぎなかったのかき?
何にも分からないき、事故で入院して、退院したら全てが変わっていたき、そして終わったき
考えれば考えるほど涙が流れるき、悔しくて悲しくて声にもならない嗚咽をあげながらぽれは泣いたき
この先、どうやって生きていくんだき?
最近、ニュースでまたストーカー殺人事件が出ててさ、毎回思うんだけど、加害者ってどんな層の男なんだろうな。男友達として見たら普通にいい奴っぽいのもいるのか? それとも「あーあいつやるな」って予感するような奴? いかにもなチー牛みたいな陰湿タイプ? 女からしたらマジで分かんないよな。ニュース見てるだけでも、明らかな暴力男から、ニチャニチャした変態こじらせタイプまで様々だし、実際はもっと多様なんだろう。で、ストーカーになる奴をどう回避するか? ってのを、ちょっと考えてみた。専門家じゃないけど、ネットで調べてみた感じでまとめておくわ。
まず、男友達としてストーカー殺人犯みたいな奴を見た場合だけど、意外と「いい奴」認定されやすいタイプが多い気がする。ニュースとか専門家の話見てると、加害者の心理って身勝手極まりないんだよな。「自分の気持ちを分かってほしい」みたいな独りよがりで、相手の拒絶を無視するパターン。元カノや元妻にストーカーするケースがほとんどで、面識ない相手は珍しいらしい。男友達から見たら、普段は普通に話せて、仕事も真面目で、趣味とかで盛り上がるような奴かも。でも、内面に「女性を所有物みたいに思う」みたいな歪んだ価値観持ってる。遺伝的な要素とか、親の愛情不足で育った奴が代償行為で女性に執着するタイプとか言われてるわ。Xのポストでも、ストーカー気質の男は「親の愛情知らずで求愛が強くなる」って指摘あった。
で、タイプの多様性よ。ニュース見てるだけでも分かるけど、明らかなDV男みたいな「押しの一手」タイプもいる。これは男友達から見たら「あいつ女に強引だな」って思うかも。でも、もっと厄介なのは妄想系。相手が自分に気があると思い込んで、拒否されると逆上する奴。これがいかにもチー牛っぽい陰湿タイプで、ニチャッと笑いながら変態こじらせてるイメージ。精神病系や自己愛性パーソナリティ障害(NPD)みたいなのもいて、人間関係を上か下かでしか見れないから、弱い相手にハラスメントする。Xで見たけど、NPDはDVやイジメの加害者に多いらしい。女からしたら、最初は優しそうに見えて、後でヤバいのが発覚するパターン多そう。ニュースの事件見ても、元交際相手がストーカー化するケースばっかで、天真爛漫な女性が狙われやすいとか。
実際、多様すぎて予測しにくいよな。警察のデータとか見ても、加害者は男性が多いけど、事件化しやすいだけかも。女性幻想が強い奴とか、自信過剰で「俺に気があるはず」と思い込むタイプ。男友達として見たら、別に目立たない普通の奴が多いんじゃないか? 「あいつやるな」って思うのは、普段から女に執着しすぎてる奴くらいで、チー牛っぽいのもいるけど、それだけじゃない。ニュースで出てくるだけでもこれだけバラエティあるんだから、現実はもっとカオスだわ。
じゃあ、ストーカーになる奴を的確に回避するためにできることって何よ? 女視点で考えたら、まず相手に勘違いさせないことだな。誰彼構わず笑顔で接さない、愛想笑い控えめで淡々と。特に若い頃はそれでストーカー誘発しちゃうケースあるらしい。Xのポストでも「基本は淡々と接して」ってアドバイスあったわ。個人情報の管理は鉄板。住所、電話、メールは慎重に。ゴミ捨てるときもシュレッダー使えよ。不安感じたらすぐ警察相談。警告とか禁止命令出してくれる。ホームセキュリティとか防犯カメラ、防犯ブザー常備も有効。サイバーストーカーなら、Googleで自分検索して情報漏れチェック。相手との距離感バグってる奴は、死ぬ殺すとか脅し平気でするから、早めに切る。
ストーカーって結局、相手を尊重できない自己中男の極みだよな。ニュース見て思うのは、警察が面倒くさがるケースもあるみたいだけど、自力救済はダメだから、ちゃんと相談しろよ。回避できればベストだけど、多様すぎて完璧は無理かも。
賢いつもりの連中がAIというものを如何に理解していないかがよくわかった。
イーロン・マスクがXに行った新しいアルゴリズムの導入は、完全にサム・アルトマンがChatGPTに対して行ったのと同じ間違いを犯している。
それはAIをまったく理解していない、いにしえのSF感覚で反AIの言動をしているオタク連中とも実は同じ間違いだ。
彼らは、「AIの良さは『人間らしく振舞える』ところにあるのであり、『賢く、間違えない機械のような人間の代わり』を求めてもうまくいかない」ということがわかっていない。
イーロン・マスクが「Grokに投稿を読ませて判断させる」と言ったとき、私は「Grokが話の内容や口調から好みの傾向を推測して、『似たような投稿』という曖昧な判断をする」ということだと思ったが、現実はまるで違った。
Xの新しいアルゴリズムは、「開始5分(〜30分)でアクティブな反応を引き起こす投稿は伸びる」という純粋に統計的な決めつけから人間が恣意的に設計しただけの、穴だらけで独りよがりな、はっきり言ってX全体ではどんどん活動を縮小させるような、バカの作った「さいきょうのアルゴリズム」に過ぎなかった。
こんなしょうもない、判断の柔軟性の欠片もないただの機械的処理にAIを使うなんて、何を考えていれば思いつくのだろう。
これはサム・アルトマンがGPT5を「さいきょうにかしこいAI」にして大失敗したのと同じ道筋を辿っている。
そんなもの誰も求めていない。
AIを使うなら、「なんかズレてるなあ」という推薦をしても「あなたのために面白い投稿を探してきたよ!」という愛嬌でなんか許せるサポート機能とか、そういう風に使うべきなのだ。
多くの人(ホビーユーザー)がAIに求めているのは、失敗をしても気安い仲間なのに、あいつらはそもそも人を「言うことに厳密に従う部下」としてしか求めていないので、その気持ちがまったくわからないのだ。
でも嫌がることはやるべきじゃないよね
そこを押してやるところまで来たら俺ならタダの厄介独りよがり野郎と見做して身近にいてその行動の皺寄せ来るなら徹底的に排除するわ
dorawiiより
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よくよく見るとブスだが、太らないように気を付けているのと髪のセットはそれなりにしているので、パッと見は「概念としての女」に見えていると思う。
持病があり、他人といると疲れるのでパートナーもおらず独身で、全く求めてもいない。しかし、『手近なところにいる独身の女(派手でもなく若くもないが、「女」の概念から外れてもいない)』ということで、職場の高齢童貞(推定)おじが何か勘違いをしてしまった。
私としては他の女性社員がおじに接するのと同じようなノリで話していただけなのだが、おじにとっては「冗談混じりで雑談してくれる既婚者女性」が「冗談混じりで雑談してくれる独身女性」になっただけで、ワンチャンいけるような気がしてしまうものなんだろうか。
「満更でもないんだろ」みたいな雰囲気を出しながらしつこく話しかけて来たり、誘ってきたり、セクハラまがいの冗談を言ってくる。
「今日は髪パサパサだね。駄目じゃん、いつも綺麗にしてないと」(ウゲーーーーーーーッ)(鳥AA略)みたいな事を言ってきたり、帰り道にいくら撒こうとしてもついてきて「女の子を車道側歩かせるわけにはいかないから」とわざとらしく車道側に回ろうとしたりするのである。女でも男でも車に轢かれれば普通に死ぬんだが、なんなんだその「男らしさを見せないと」みたいな時代錯誤でクソキモトレンディな勘違いは。
そういうのが本当にキモくて嫌で、先週末とうとう比喩でなくストレスでゲロを吐いてしまった。
しかし思うのは、この高齢童貞おじ、別に私に好意を持っているのではなくて、「概念としての女」と「概念としての恋愛」をしたいだけなのだなと言うことだ。
私だって鬼ではないので、自分個人に対して好意を向けてくれている相手にキモいなどと言わない。おじがキモいのは、ひたすらに私が「女の髪型をした、女の匂いがする、女の体型の女」であることにのみ着目してウキウキしているからだ。
おじは私がわかりやすく女らしいリアクションをすることに喜び、私は内心「死ねクソ」と生来の口の悪さ全開で罵りたい気持ちを社会性によって必死に抑えている。
おじに媚びたいわけではなく、職場で明るく無害で無個性なキャラクターをやろうとすると普通にそうなるのだ。職場で個性なんか出しても良い事は何もない。
おじはそれを知らず、「ワァ〜、俺、今女と男女のコミュニケーション取ってるぞ〜」と悦に入っているのである。
私もな、他人の身なりを上から評価して自分は鼻毛出てるようなおじでなければこんな事は言わないよ。
恋愛がしたいのであればまず自分の身なりを何とかしろよ。鼻毛を切れ。髭を剃れよ。痩せろ。そういう好かれる努力を何一つしないままに、女の身なりをイジって勝手に親密になった気になるなよ。
私がおしゃれするのや髪や肌の手入れをするのはひとえに自分のため、自分のモチベのためなんだが、それをタダ見してダメ出しする資格が自分にあると思うんじゃねえわ……。
高齢童貞おじの中にはおそらく「概念としての女」が自分の小粋な冗談や男らしい振る舞いに喜び、好意を持ってくれ、いつか交際してトレンディな所でデートをしてセックスして結婚する、のようなステレオタイプな恋愛への固定観念があるのだろう。
手近なところにいた独身の女である私はそのターゲットにされているわけだが、どんなに(自認)小粋な冗談を言われようと、(自認)男らしい振る舞いをしようと、私がおじに好意を持つことはなく、交際してセックスすることも結婚することもない。
永遠にない。
なぜならばおじは私に好意を持たれる要素もなければ、その努力もしておらず、男らしさというのもトレンディさというのも時代錯誤でズレており、全く魅力がないからである。
むしろこうなる以前に感じていた「意外と面白い人だな」という評価も、数々の非モテムーブによって無に帰した。
非モテムーブは場慣れしてなくてみっともないから悪いのではなく、独りよがりで相手の事を全く考えていないから悪いのである。
「奢ってあげるよ」と言う前に、相手が行きたがってるかどうかを気にしろ。そういうデリカシーがあるところを見せた方が、タダ飯食わせるよりモテる可能性なんぼか上がるんだよ。
独りよがりの説明もどきで説明済みって胸張るの笑えるよね。いかにも社会性ないコミュ障じゃん。
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20260107172028# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaV4XTgAKCRBwMdsubs4+ SL0mAP9ChVnnWd+vcSyclYyRq7LBIcG/03ZJOxZoLVMF845lWgEArRetYzDjpNo9 KlH8vZiEvq/8g/lwdlxqq9IVQeADrA0= =LRLA -----END PGP SIGNATURE-----
ttps://note.com/yonahajun/n/nc1e0ecbf599f
つけてみてあれだが文章ましてや表題に(笑)だのなんだのと書くのは死ぬほどセンスがないと思っている。
ダサいし古いし文章でそういうことを補足すること自体ナンセンスだ。そして「こんなことを書けるオレカッコイイ!!」という見てるだけで嫌になるナルシシズムが滲み出ている。
ここまでネット社会が普及した今日、こんなくそダサい文章など見かけることは稀だろう。
言ってしまえば滑り散らかしているネタを延々と披露する痛い芸人みたいなものだ。
ところがこういうくそダサいセンスをなぜかイケてると勘違いして使用しているイタいおっさん(46歳)がいる。そう、我らがホンモノ!與那覇潤である!
これは今日も今日とてこのホンモノをいじり倒して遊んでみる試みである。
・・・どうでもいいことだがこのはてな匿名ダイヤリーで與那覇のことを書いているのは私だけなのに、全然反応がない。與那覇がもし話題沸騰な人ならもっと取り上げられて然るべきなのだが・・・。このダイヤリーが注目されないのもひとえに「ホンモノ」が社会での影響力を持っていないせいである。
與那覇よ、お願いだからもっとまともな文章を書いて早く浮上してきてくれ(苦笑 「ホンモノ」リスペクト!)
それか10万部を超えるベストセラーでも書いてくれればいいのだが・・・。もっとも、対談で分量を水増しするようなセコい書き方をしているホンモノにどこまでやれるか・・・。
與那覇は「味付け」に自信があるようだが、当たり前なことで同じような味付けのまずい飯しか出さない店なんか閑古鳥が鳴いて当然だ。最近、玉田敦子がせいだいに與那覇に対してやらかしたせいでその記事は例外的にバズったようである(よかったね笑)
まあこれは玉田が下手を打っただけの話でどうでもいい。勝手にすればという感じである。(あまりに議論のレベルが低すぎるのでURLを貼ることすらだるいので詳細は「ホンモノ」のnoteを参照されたし)
ここで問題にしたいのはホンモノの影響力が他のインフルエンサーと比較しても全然伸びていない点である。
ttps://note.com/yonahajun/n/n61a4919560c9
今のままだとnoteでは與那覇が目の敵にしている「令和人文主義」の代表格三宅香帆には到底及ばないし、以前與那覇が愚弄した谷川嘉浩には著作数の差で全く勝てそうにない。
ttps://note.com/nyake
ttps://researchmap.jp/y-tanigawa
それにしてもこの二人の影響力と仕事の多さはすさまじい。常人ではないと思い知らされる。それに比べて・・・noteという限られた言論空間SNSで駄文しか書けないホンモノも少しは見習ったらどうか(笑)
悔しかったらベストセラーになるような本でも書いてみれば(苦笑)
今の路線を突き進めばせいぜい「劣化白饅頭」くらいが関の山だろう(爆笑)
白饅頭はnoteで「成功」した一人としてみて間違いなかろう。その主張の是非はここでは置くとする。
ttps://note.com/terrakei07
改めて三宅と白饅頭と比べてみるとnoteを「主戦場」にしているはずの「ホンモノ」のダメダメっぷりがすまじい(笑)これがかつて一世を風靡したはずのヒョーロンカの姿ですか(苦笑)
こう書くと「ホンモノ」は「SNSのバズりだけで右往左往するな!」と噴き上がりそうである。
しかし、どうやらnoteが伸び悩んでいるのは與那覇も気にしているようで・・・こないだの玉田敦子の一件がばずったのを大はしゃぎしていた(詳細は與那覇note)。やっぱりSNSの反応気にしてるじゃねーか(爆笑)
まあせいぜいオープンレター騒動の敗北で溜まっている残党が噴き上がった結果、久々に得られた自己肯定感でうまい飯でも食えばいいんじゃないんですかね(適当)
そういや呉座は日本歴史学協会との裁判で敗訴したそうだが、與那覇からは特に何の声明もないし、先に挙げた與那覇の2025年を総括する記事でも注目すべきトピックなのに何の反応もない
ttps://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20251111/1762873018
ttps://agora-web.jp/archives/2053751.html
かつて與那覇は歴史学協会の声明を批判し、これに同調した歴史学者を「言い逃げ屋」として批判した。しかし、司法判断が決した今、何らかの声明を出さないと自らが「言い逃げ屋」それ自体だったということになっている(苦笑)
これが2021~22年ごろなら「司法はキャンセルカルチャーに加担したあああ!!ホンモノたるオレサマが反論を立ち上げるぜ!!!」とぶちぎれそうなんだけど、どうしたの?もう飽きたの(笑)
それか裁判で勝訴を続けている歴史学協会の弁護士の神原元にビビってるのかな(笑)
かつてあれだけコミットした呉座の一件において注目すべき裁判を「スルー」した。これこそ「歴史否定主義」なんじゃないですかね(苦笑)こうなってくると呉座を利用していただけという見解がますます「的中」してしまうんだが、もう與那覇からすればそんなことはどうでもいいのだろう。
こういう肝心なところで逃げちゃうから「ホンモノ」はダメなんだよねえ…。だからこうして舐められるしバカにされる。徹頭徹尾こんな有様でよく人のこと言えるな(呆)恥も外聞もない「ホンモノ」は流石っすね(苦笑)
まあ威勢のよさとは裏腹に過去にボコされた相手にはトラウマがあるみたいで「あのとき息の根を絶つべきだったと思うね。🙂」とまで愚弄されてもダンマリだから、根は臆病なのかもしれない。
ttps://bsky.app/profile/yunishio.bsky.social/post/3lhvappgeo22r
なんども繰り返すが都合の悪い事実は全部書かずに無視して無かったことにするのが「ホンモノ流」なので、今後も與那覇がやらかした時に取り上げ続けて徹底的にいじり倒していきたい。
ttps://kscykscy.exblog.jp/18241381/
ttps://watashinim.exblog.jp/18496216/
與那覇といえばこの上記の批判とそれを無視した與那覇に対するさらなる批判を忘れてはいけない。この件は今の「ホンモノ」を騙る與那覇にとって最も不都合な歴史の一つなので毎回のように擦り続けたい。
都合の悪い指摘を無視する、間違っても訂正しない、事実を認めようとしないこういった「ホンモノ與那覇」が批判する専門家たちの最たる例こそが「歴史学者與那覇潤」であった。ちなみに「歴史学者與那覇潤」の不都合な事実はまだある。今後機会があれば示していきたい。これらを見れば與那覇が言う「ホンモノ」などというものといかに自身がかけ離れているかわかるだろう。何度でも言うが歴史云々言うなら十数年前の自分の著作の間違いと、なぜその間違いを今日まで放置してきたのか、今後どうすべきか、なぜ自分のことを棚に上げて人を批判できたのか、全部納得ゆく説明ができるはずだ。何せアナタ、「ホンモノ」なんでしょ(苦笑)(え!?できないの!?)
ちなみに、先に挙げた要求は與那覇が他者に要求し続けていることであって、自身が自ら実践せよと言っているだけで何ら不当なことはない。それができないということは、結局與那覇は紛い物でしかないということではないか。自らの姿勢と歴史がそれを物語っている。先の『朝日新聞』の記事には代表作が『中国化する日本』であったことからも、未だにかつてのネームバリューで飯を食っているのは明らかなワケだから。過去の栄光を否定することすらできない、間違いを放置する與那覇にどうして他者を説教する資格があるのか。ましてや「裁判」などと片腹痛いとはことのことである。
ここに今回からは「呉座裁判の決着に沈黙した」という、また一つ、「ホンモノ」をいじり倒せる事実が蓄積されたということで、喋れば喋るほどボロが出る「ホンモノ」にこれからも注目したい。
あと、ここまで()でいろいろと「ホンモノ」リスペクトで書いてきたが、もう飽きたし自分で書いてて共感性羞恥心に加えて当事者としても恥ずかしいしダサくて仕方ないのでやめておく。
よくこんな文章恥ずかしげもなく書けるね。
で、本題はここからである。「與那覇潤は二人いる!?」というのが本題でここから突っ込んでいきたい。
ttps://bsky.app/profile/seika-aoshima.bsky.social/post/3mbmatco3n223
目に留まったこちらの投稿。何やら與那覇が『朝日新聞』で掲載した記事らしい。
この「うわぁ…って感じではある」というのは何ともリアルだが、その通りである。普通のそこら辺の人が與那覇の記事を見たらドン引き一択だろう。
ttps://www.asahi.com/articles/ASTDS24D6TDSUPQJ008M.html
で、なんでこの人が與那覇二人いるのかと言ったのか。早い話がnoteと朝日の記事がかけ離れているからだ。
全文はプレゼントされた記事でざっとしか読めてない。内容は引用しない。なぜなら有料なので、ここは著者とメディアに敬意を払うべきであるし(皮肉抜き)、何よりルールに則る必要がある。有料記事をそのまま転用するのは著作権的にアウトである。そこで、ここではSNS上で観測できるコメントのなかからいくつか気になったものを抜粋したい。
ttps://x.com/miyukinatsu/status/2007273385085284649?s=20
與那覇潤「歴史を取り戻すことは簡単ではありません。それなら何を新たな基盤にして『人は意外に共感しあえる生き物だ』という深い安心感を、支えてゆくのか。孤独なままその日ごとの話題に『いいね』を押しあい、浅薄に共感をむさぼる相互不信の社会を、今年で終わりにする時です」
なんかいいこと書いてそうだけど、noteでは「ニセモノ」を人民裁判で罰せよ!とわめいている。
それに共感して「うおおおおホンモノ與那覇様すっげー!人民裁判待ったなし!」という人も真面目に出てきている。
ttps://x.com/paravola/status/2005889274340929911?s=20
こんな分断を嬉々として喜ぶ人を煽るような状況で、與那覇や彼の支持者とどうやって「共感」して「安心感」ある社会を作れというのか。不信と憎悪をまき散らかし、相手を罵倒してばかりの與那覇がよくも「共感」などということを言えたものだ。これが彼に傷つけられたり、踏みにじられてきたりした者たちの本音だろう。私からすれば自分の所業を棚に上げてきれいごとばかり言う與那覇の言葉に説得力などないというのが正直なところである。朝日の記者は「ホンモノ」をちゃんと見たのだろうか。この記事を見てもし良いことを言っていると思う人がいるのなら、與那覇のnoteを見てみればいい。どこに「共感」「安心感」があるというのか、説明して欲しいところである。
「浅薄に共感をむさぼる相互不信の社会」に一役買っているのは與那覇自身ではないだろうか。
何せ間違いを犯して認めない奴ら(人選は與那覇)を裁判で裁けなどと言っているのである。正気の沙汰ではない。これが「相互不信」を招く愚行でなくてなんだというのか。そんな無茶苦茶な「人民裁判」こそ「相互不信」の温床になりかねない。次に裁かれるのは誰だとお互いに過去の発言や言説を探りあって次々と告発しあうのだ。まるで與那覇がスターリンになったかのように、與那覇に密告しあう社会がお望みなのだろうか。こうしてお互いに不信感を強める密告社会の出来上がりだ。少なくとも與那覇が旗を振る「共感しあえる」「安心感」のある社会など、全く安心できないし共感できそうにもないのは私だけではないはずだ。こう書くと「きさまあああホンモノをスターリンになぞらえるとは!?侮辱かああああ!?」とぶちぎれそうだが、そうたとえられたくないなら裁判だなんだと物騒なことを言うべきではないだろう。まあ「息の根」を絶てばよかったなどという人の発言をスルー出来るほど寛容なら何の問題もないはずだ。
果たして激烈な他者への批判を繰り返す與那覇と、共感と安心感を説く與那覇。どちらがホンモノなのだろうか。どちらかが嘘をついているのだろうか。
正解はない。奇妙なことに激烈な批判によって相手を引きずりおろして叩き潰したい與那覇と、それでも共感できる社会を目指したい與那覇は同居している。
不思議なことだ。だが、これこそが今の揺れ動く與那覇を物語っているように思う。彼自身、本当は「ニセモノ」を裁く裁判なんてやりたくないしやる気もないんじゃないか。一見して強い言葉を使ってみても、そこに具体性も中身も何にもない。あれだけ執着した呉座裁判の結果に無視を決め込んだのが全てだろう。その場その場で相手を貶す言説をまき散らし、自分が気持ちよくなれば後はどうでもいい。で、新聞ではお行儀のいい共生論を謡ってみて自己顕示欲を満たす。で、飽きれば「忘れる」。無だ。今の與那覇をたとえるならそれしかない。
ちなみに、與那覇は専門家大失墜!Vやねんホンモノ!などと盛大に謡っているが、別に専門家が失墜した形跡はほとんどないし、そもそも與那覇の見ている世界はX(Twitter)の狭い世界だけの話であって、世間全体で見ればそもそも與那覇を知っている人さえ少ないのが現状だろう。
コロナについてもいまだに議論が続いていて、日本でも多くの死者数を数えている。
ttps://www.kasai-yokoyama.com/media/news/960/
ワクチンの害等についても今後議論しなければならないが、コロナを軽視することに警鐘を鳴らす本も出ている。與那覇はネットの「つまみ食い」の知識で知ったかぶりするのではなく、こうした議論を真正面から受け止めて反論を考えてもらいたいものだ。
ttps://akebishobo.com/products/covid19?_pos=1&_sid=8ab0f2dfa&_ss=r
このような様々な議論から逃げてネットの記事や自分に都合のいい事実しか捉えないところは『中国化する日本』から何も変わっていない。
與那覇の記事に出てくるのは無名のツイッタラーばかりだ。そんな狭い世界で社会がどう、学問がどう、歴史がどう、コロナがどうの等言ったところで誰が見て納得するのか。専門家批判は間違っていないが、それの対抗言説として取り上げるのが怪しげな陰謀論者や無名のおかしなツイッタラーでは話にならない。おふざけもいい加減にしろというところだ。そんな井の中の蛙になり下がった状況で一体全体どうやって社会をひっくり返すような専門家批判、裁判などやろうというのか。そんな求心力は與那覇には全くないことは明らかであって、與那覇がしゃしゃり出たところで他の批判者に叩き潰されるのが関の山だ。先の不都合な事実を指摘されれば與那覇は一発で吹き飛ぶ。「お前にそんなこと言われたくないし言われる筋合いもないし言う資格もねぇよ!」これでお終いである。「大審問官」になどなれるはずもない。なんせ「息の根」を止めようという人にさえまともに怒りをぶつけられない臆病で繊細な與那覇だ。そんな彼に世間を向こうに回して大立ち回りをすることなど、出来ようはずがない。
もし仮に彼がそんな裁判を開くなら、過去の業績や寄せられてきた数々の批判、そして與那覇がいかにそれを無視し続けたか(先の指摘、何度でも繰り返したい)が白日の下に晒されるだろう。そうなったら、與那覇はどう弁明するつもりなのか。まさか自分だけが無傷で済むと思っているのか。
結局のところ與那覇の致命的弱点は針小棒大に物事を捉えること(例えばネットの炎上事件でもって歴史学はダメ、大学はダメだというとか、コロナについては西浦の八割削減に意味がなかったという点や陰謀論者の医者たちの言説でもってコロナは大したことないと言い募るなど)、都合のいい事実だけを議論に反映させるチェリーピッキングを繰り返して議論を組み立てることにある。『中国化する日本』で犯したのと同じ過ちをずっと繰り返している。これも「訂正」「反省」を怠った結果なのである。
先日のブログで示した向野正弘もこうした独りよがりな與那覇の痛烈な批判者だ。もし、裁判が開廷すれば「ホンモノ」の欺瞞は余すことなく暴かれるだろう(続)
「はてな匿名ダイアリー(増田)」特有の、自意識の肥大化、一方的な執着、そして「選ばれなかったことへの納得のいかなさ」を孕んだ高ぶりですね。
「キーボードで指が止まる」といった外側の描写を捨て、増田の内側に渦巻く「独りよがりな熱量と、それが冷酷に遮断された現実」にフォーカスした表現をいくつか提案します。
「脳内に溢れ出した数万字の恋慕が、送信ボタンという、たった1センチのプラスチックの壁に阻まれて、出口を失ったまま腐敗していく。」
「彼女に宛てて書いたはずの熱烈な文章が、ディスプレイの上で、自分を断罪する無機質な文字列へと変質していくのを眺めていた。」
「一挙手一投足に意味を見出し、壮大な伏線のつもりで積み上げてきた日々の記録が、ただの『既読無視』という暴力によって一瞬でゴミ溜めに変わった。」
「この感情を『重い』の一言で片付けられるのだとしたら、僕が彼女に費やした膨大な思考のコストは、一体どこへ計上すればいいんだ。」
「指先が震えているのは、悲しみからじゃない。これほどまでに完璧な僕のロジックが、彼女という非論理的な存在に一蹴されたことへの、収まりのつかない憤りだ。」
「全身の血が、彼女という中心点を失って迷走している。行き場のない熱が、タイピングを止めた手のひらからデスクへと、じわじわと伝わって逃げていく。」
「世界で一番彼女を理解しているという自負が、ブラウザの更新ボタンを押すたびに、無残な妄想として剥がれ落ちていく。」
「愛しているなんて言葉じゃ足りない。僕が欲しかったのは、彼女の人生という物語への、強制的な介入権だったのだ。」
増田文学(ダイアリーの文章)において重要なのは、「自分はこんなに深く考えているのに、相手(または世界)がそれを理解しない」という傲慢な悲劇性です。
物語のパターンは10だの20だのとよく言われるが、俺にいわせると3つしかない。
情熱追及は独りよがりになって共感できない(あまりにも無謀だったり馬鹿に見える)のに注意。
主人公を天使と悪魔の誘惑で悩ますこと。そういうキャラクターを配置すること。
それで話がいくらでも展開できる。
よく脚本術で葛藤させろというが、英語の元々の表現はconflict。
これを精神的葛藤のことばかりだと思ってうじうじ悩ませても話は進まない。
肉体的な葛藤、『格闘』もさせなきゃだめ。
例えば、子育てに悩む主婦の話でも、悩んでるだけじゃなくて、何かのきっかけでがむしゃらに動いてみるというシーンを無駄に終わっても作らなきゃだめ。
この3つを抑えるだけで、世の中の書き進まない作家の大半は改善点が見えてくると思う。