はてなキーワード: 感触とは
以上。とはいえ1年半持ってるけどね。
一応凍結前クローズドβテスト、凍結後ネットワークテストとプレイしている。
リネージュ2Mのリリースを翌年に控え、業界全体がPC-モバイルクロスプラットフォームを前提に動いていた。
このテストの同時期にはロストアークJPサーバー(2024年クローズ)、V4(2023年クローズ)が走っていて、この両者がゲームとしてはともかくアプリの完成度は極めて高く、AAタイトル相当の出来だった。
一方ブループロトコルだが、Windows専用だった。そのうえ最適化が全く駄目で、PCが唸りを上げて破壊されないかヒヤヒヤした記憶がある。
イベントシーンの立ち姿は辛うじて戦えるレベルだったが、操作感や感触は正直リネージュ2無印レベルであり、これを2020年に出すのか?と思った
またこの時代、オープンワールドというかシームレスマップが行けるか行けないかの境目の時代であり、本作は行けなかった。
秋に原神という黒船が到来しなければギリギリ行けたかも知れないが、他の多くのゲームと一緒に時代遅れ扱いとなった。リリース凍結は順当。
正直、鹿しか覚えていない。
渓谷に囲まれた高台(そもそも何だその地形は?PS2のゲームか?)に登場するボスの鹿が突き飛ばし攻撃を繰り出してくるのだが、狙われたら最期崖下に突き落とされて死ぬっていう。
ビジュは良かったしイベントシーンのモーションが良かった記憶はあるが、ゲーム部分はエターナルカオス(ラグハイム)と変わらんなとメモに書いてあった(2001年のゲーム)
ちなみにこの2020年→2023年の時代を同時に駆け抜けたタイトルがサイバーパンク2077である。
2020年に発売されるも最適化不足で訴訟沙汰の大モメから、2023年にはパッチ2.0とDLC「仮初めの自由」が配信され評価された。
miHoYOは原神→崩壊スターレイルとリリースを続けていた。奇遇にもライザのアトリエ3も2023年だった。
あ、クラフトピアも2020年リリース→2023年シームレスアップデートだった。
でもそれ以外には無かった。ここで言う技術とはUnityやUnrealEngineを低レイヤーで触ることのできるコンピュータサイエンスや数学の事を指す。
学部卒のような素人ではなく、プロフェッショナルが活躍できる場所が日本のゲーム業界にはほとんど存在しなかった。
それは過去から2026年現在までも同じである。日本のゲーム業界には高度人材があまりにも少ない。
セガも、バンナムも、コーエーも、技術的にはしょっぱいゲームを作り続けている。
もちろん技術があれば面白いとか、なければつまらないとかはない。ただ大規模開発についていけない体質になった。
そして任天堂とソニーは自社ハードのスペックと販路の狭さという制約がある以上、作れても作らない。
スクエニはファイナルファンタジー蟻地獄に人材を注ぎ込んでいるので作れない。
つけだれに小麦粉を混ぜて一焼きした肉に塗り、しっかり焼き目を付けることで焼けた味噌の香ばしさも加わり実に美味であった
カナダ産の豚肉を使ったがちょっと微妙だった、焼くと駄菓子のかば焼きさん太郎みたいなパサパサ感に近づく
肉汁がかなり出ていたため焼きすぎの可能性もあるが豚肉だからしっかり焼かなきゃだしなあ…
前に買った時はそんなに悪い感触はなかったんだけど外国産は質の差が大きいのかな~…
そこにダシに醤油を入れ片栗粉でとろみをつけただけのあんをかける
たったこれだけで優しい味わいに焼き目の香りが鼻を抜けてこれまた美味
にんにく海苔スープ、ごま油にスライスにんにくを弱火でテンパリングして水と酒を注ぎ
沸騰したら中華スープの素と醤油を入れ海苔をちぎり入れてカイワレを振ってできあがり
これも鶏ガラとにんにくが溶け合った中に海苔がふんわり香ってしっかりと美味い
しかし!
献立は若干失敗だったな
どれも美味すぎて舌がクドくなってくるんだよね
肉がデロッと味噌で濃い
そこにデロッとしたカボチャ・とろみのついただしあんかけ・味のしっかりしたスープじゃ脳が旨味でパンクしてしまう
今日はカボチャじゃなくてにんじん多めの紅白なますにでもしとけば良かったかな
反省もあるが美味かったのでヨシとする!
Audibleが3か月99円のキャンペーンをやっていたので、物は試しと入ってみた。
最初は小説を耳で聞くのに慣れなかったし、やはり文字を読む行為と、耳で聞く行為は大分違うなと違和感が大きかった。
だが慣れてみるとこれはこれで、という感じになってくる。
結構最近に出た人気の小説などもラインナップに入っている。最近の本ってハードカバーだと2000円を軽く超えてくるから、正直、購入を躊躇うことも多かったけど、これだと気軽に試せて良い。
ナレーションが俳優から声優まで、幅広くいて、プロの方に読んでもらうと、昔読んだ本も感触が変わって面白い。
又吉直樹の「火花」を、なぜか堤真一が朗読していて、小説の方を読んだときは割と「ふーん」で終わったのだが、堤真一の朗読だと何故か聞き入ってしまった。有名俳優が朗読している本はそこまで多くはないのだけど、やっぱり俳優ってすごいな、と思った。
キャンペーンが終わったら月額1500円?に戻るのだろうけど、ハードカバー1冊買うよりはお得だから、解約せずに続けるかも。
ただ、1冊を聞き終えるまでは普通に時間がかかる。長編小説で8時間~12時間とか。
散歩をするときは当然本を読めないので、ラジオなどを聞いていたが、Audibleで朗読を聞くスタイルなら、これは良さそうだ、と感じた。
もどかしくて自分で読んだ方が早いってなる
それは本当にそう笑 とにかく時間はかかる
集中しないと内容が頭の中に入ってこない気がするんだけどそこらへんどう? 作業してても耳は空いてるから~みたいな理由でAudibleって生まれたと思ってるんだけど そもそも作業して...
集中しないと内容頭に入ってこないのはその通りで、作業しながらには向かないかも。少なくとも私は向いてなかったです。
散歩してる時とか、夜寝るときとか、満員電車で本も読めない時とか、に使ってる感じ
あと料理してる時とか皿洗いとかしてる時もわりとよかった
これ書いたやつ。
https://anond.hatelabo.jp/20260428020847
私はとにもかくにもあれが嫌いだ。いや、嫌ってはいない。嫌いたいわけじゃない。ただ、体が拒否反応を示すのだ。
でも、いつまでもこんなんじゃダメだ!!姪っ子が生まれたことだし、いつからあいつらを取ってくるようになるかもしれない、そのとき、あくまでも平静で「汚いから触ったらダメだよ〜^^」って対処できるようになっておきたい。
と思い、昨日は途中でやめたからつきと暮らしてる人の増田を最初から読んでみた。
歯を食いしばる。手足が震える。でも案外いけるかも。
突然、激しい耳鳴りがギュンギュン鳴り、視界もばちっと一瞬暗くなり、びっくりして体が縮こまって目を閉じた。
もしかして、これを見ないように体が警告した……?もしくは、一定時間で見ていいあれの名前、思い出していいあれの姿の限界を超えた……?
一旦やめて普通にスマホ触ったり買い物に行ってる間は何もなかった。なんだったんだろうと不思議に思いつつも、帰宅しまた続きを読む。この増田を読み終える頃には、少なくとも名前に過剰反応することはなくなっているはずだと信じて。
記事を開き直す。読み進める。…………………
😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭
3回分読んだ。それで本格的に震えが止まらなくなり、歯が痛み、ギュンギュンの耳鳴りも頻発し、目も勝手に閉じる。
ここまでくると、もはや私の反応の方が化け物だ。急激にストレス与えられると人間ってこうなるん???
なんか、強いショックを受けてその場面だけ記憶を無くすってマンガとかでよくあるけど、あながち間違ってないのかもしれない。もし、万が一、私が素手でからのないほうに触れてしまったら。それも、指先でちょんじゃなくてそこに奴がいることに気づかずに手のひらをべったりくっつける感じで触ったら。
😭🤯😇🤣😱🤬🤪😭🥶😶🌫️🤗🫠😭🥺😰😭😤😵💫🥶😮😵🤮🤢🤯😤😭🤡🤡🤡🤡🤡
うん。記憶のひとつやふたつなくしてもおかしくない。てかむしろ消して欲しい。やつに触れた記憶なんて、感触なんて、絶対に脳のメモリーに入れないで欲しい。最悪脳を切除してその記憶無くしてほしい(??)
あのさ、あれあったじゃん、大阪王将の、、、、、、
あれ、本能が拒否したから詳しくは知らないんだよね、ただもうきっしょい現場だったってことしか。
大阪王将には今まで一度も行ったことないんだけど、もし私が一度でも行ったことあったら大阪王将の前通る度に吐いてたかも。ちなみにあれ以降、水のピッチャーの中にいるんじゃないかって中が見えないタイプのピッチャーで飲む水が割と怖い。頻繁に継ぎ足してるだろうからもしいたとしても、テーブル来る前に気づかれてるとおもうけど😭😢😭
私、本当になんでこんなにあれが怖いの?
雷も高所も閉所も先端もホラーも平気なのに。あ、集合体は嫌いだよ。あれも鳥肌立つ。ハスの花本当にえぐい、全身鳥になるくらい鳥肌立つ。物理的な危険よりも、きもいに対する恐怖反応の方が強い気がする。
ちなみに、今の所有力な説は「前世やつに殺された人間、あるいは小動物」です。
殺されてでもない限りおかしいもん、この恐怖感。
お腹ぺこぺこのライオンの檻に入るのと、あれが5匹いる小部屋に入るの、どっちがいいって言われたら喜んでライオン檻に飛び込みます。
ほんとに仲間欲しいよー😭😭知りませんか?やつらに対して異常な恐怖を見せる人、、
最近は男女もののエロ、TLというジャンルも強くなってきて面白いなと思う
男性向け小説だとペニスが女性器の粘膜に包まれる感触だったり、ペニスが愛液に塗れる感触だったり
TLや、BLは女性側、受け側の快楽がよく書かれる。受け側の快楽の描写は、女からしたらめちゃくちゃしっくりくるというかしっぽりくるというか
男性向けエロとしての百合もの、レズもののポジションは男女のエロよりも下である。人気がない
そして、女性向けポルノとしての百合ものは存在するのだろうか?
少女漫画のような癒しのポジションとしての百合ものは存在するが
女性読者の性欲を満たすような、女性向けポルノとしての百合はみたことないぞ
せいぜい二次創作BLの攻めも受けも女体化したエロ作品くらいだ
女同士だと挿入のための肉体の器官としてのペニスが存在しないので、面白みにかける
指だけじゃ物足りないし
そういう道具に頼ってアクセントをつけても
やはり肉棒の存在がないと
BLはやはり、受けのアナル、攻めのチンコが読者にとって物語のピークを作る重要な役割を果たす
過激なTLのエロも快楽を得て、むちゃくちゃ感じまくるヒロインを見て、女読者もほっこり幸せを得ることができる
女性向けポルノはBLがずっと天下を取るものだと思っていたが、男女向けエロスでも、女にとって読み応えがあるものがどんどん生まれて嬉しい
目の端に残った涙を拭い、私は重い体を引きずってリビングへ向かった。
古い賃貸マンションの、西向きの窓。夢の中のあの子が遊んでいたのと同じような、安物のレースのカーテンが掛かっている。
ふと、足元に違和感を覚えた。
いないはずの感触。暖かくて、柔らかいものが、私の足首をくるりと撫でたような気がした。
「……気のせい、だよね」
独り言をこぼしながら、私は出しっぱなしにしていたノートパソコンを開いた。画面には、ここ数ヶ月、私の胃をキリキリと締め付けている資産運用の管理画面が表示されている。赤い数字が並んでいる。暴落。市場は冷え込み、私のなけなしの貯金は、まるで冬の枯れ葉のようにカサカサと音を立てて減っていた。
その時だ。
パサリ、とカーテンが揺れた。
窓は閉まっている。エアコンもついていない。それなのに、カーテンの裾が、誰かが猫じゃらしを追いかけて飛び込んだかのように、不自然に跳ね上がった。
私は息を呑んだ。
視線を落とすと、キーボードの上に、一筋の光が差し込んでいた。それはただの日光ではない。埃がキラキラと舞うその光の中に、透き通った「前足」のような形が見えた。
『B』『U』『Y』
「えっ……?」
震える指で画面を見る。私のポートフォリオの中で、最も無残に値を下げ、誰もが見捨てた「斜陽産業」の銘柄が、その光の足跡に照らされていた。
「執着するな」
耳元で、鈴の音が鳴ったような気がした。
「流れが止まった場所で待っていても、獲物は来ない。風が止まったら、自分から風の吹く場所へ跳ねるんだよ」
あの子の声だ。
いや、あの子が喉を鳴らすゴロゴロという音を、私の脳が勝手に言葉に変換しているのかもしれない。
「人間は難しく考えすぎる。高いところに登って、一番遠くを見なさい。今、みんなが怖がって地面に伏せている時こそ、屋根の上は空いているんだから」
カーテンがまた大きく揺れた。
あの日、あの子が大好きだった、光り輝く蝶を追いかけるような軽やかな動き。
投資の世界では、これを「デッド・キャット・バウンス(死んだ猫の跳ね返り)」なんて不吉な言葉で呼ぶことがある。でも、目の前の揺らぎは、そんな一時的な誤魔化しじゃない。
「損をすることが怖いんじゃない。動けなくなることが一番怖いんだよ」と、あの子が笑っている気がした。
根拠なんてない。ただ、あの子が見せたくれた「風の通り道」を信じてみたかった。
数分後、部屋から気配は消えた。
カーテンは静止し、ただの布に戻った。
でも、私の心には、あの子が残していった温かい体温のような決意が残っていた。
窓を開ける。
メンタル死にそうなので、貧乳について書いて気持ちを落ち着かせることにする。
大きいのはなんというか「お母さん感」が出てしまうので、拒否反応が出てしまう
そうやって自分の感覚に気づいた時、自分が貧乳好きであることがわかった
貧乳といっても全くないのはちょっと無理だ。男性と同じに見えるから
胸が小さいと、セッ久する時にちょっと物足りないことはある
これは認めざるを得ない
しかし普段の生活や、普通に裸を見るときは、小さい胸の方がかわいいし、美しいと思う
健気さ、謙虚さがそこに現れる
肩も凝らないし、汗の問題もない
なにより貧乳の方が似合う服が多いように思う
世の中の女性は貧乳を誇っていいし、コンプレックスに思うことはないと思う
日本人のカップ数が上昇傾向にある現在、貧乳はむしろ希少価値があり、羨ましがられる存在とも言える
みんな、貧乳を誇ろう
「あ、鳴つた。」
と言つて、父はペンを置いて立ち上る。警報くらゐでは立ち上らぬのだが、高射砲が鳴り出すと、仕事をやめて、五歳の女の子に防空頭巾をかぶせ、これを抱きかかへて防空壕にはひる。既に、母は二歳の男の子を背負つて壕の奥にうずくまつてゐる。
「近いやうだね。」
「ええ。どうも、この壕は窮屈で。」
「さうかね。」と父は不満さうに、「しかし、これくらゐで、ちやうどいいのだよ。あまり深いと生埋めの危険がある。」
「でも、もすこし広くしてもいいでせう。」
「うむ、まあ、さうだが、いまは土が凍つて固くなつてゐるから掘るのが困難だ。そのうちに、」などあいまいな事を言つて、母をだまらせ、ラジオの防空情報に耳を澄ます。
母の苦情が一段落すると、こんどは、五歳の女の子が、もう壕から出ませう、と主張しはじめる。これをなだめる唯一の手段は絵本だ。桃太郎、カチカチ山、舌切雀、瘤取り、浦島さんなど、父は子供に読んで聞かせる。
この父は服装もまづしく、容貌も愚なるに似てゐるが、しかし、元来ただものでないのである。物語を創作するといふまことに奇異なる術を体得してゐる男なのだ。
ムカシ ムカシノオ話ヨ
などと、間まの抜けたやうな妙な声で絵本を読んでやりながらも、その胸中には、またおのづから別個の物語が※(「酉+榲のつくり」、第3水準1-92-88)醸せられてゐるのである。
[#改頁]
瘤取り
ムカシ ムカシノオ話ヨ
ミギノ ホホニ ジヤマツケナ
このお爺さんは、四国の阿波、剣山のふもとに住んでゐたのである。(といふやうな気がするだけの事で、別に典拠があるわけではない。もともと、この瘤取りの話は、宇治拾遺物語から発してゐるものらしいが、防空壕の中で、あれこれ原典を詮議する事は不可能である。この瘤取りの話に限らず、次に展開して見ようと思ふ浦島さんの話でも、まづ日本書紀にその事実がちやんと記載せられてゐるし、また万葉にも浦島を詠じた長歌があり、そのほか、丹後風土記やら本朝神仙伝などといふものに依つても、それらしいものが伝へられてゐるやうだし、また、つい最近に於いては鴎外の戯曲があるし、逍遥などもこの物語を舞曲にした事は無かつたかしら、とにかく、能楽、歌舞伎、芸者の手踊りに到るまで、この浦島さんの登場はおびただしい。私には、読んだ本をすぐ人にやつたり、また売り払つたりする癖があるので、蔵書といふやうなものは昔から持つた事が無い。それで、こんな時に、おぼろげな記憶をたよつて、むかし読んだ筈の本を捜しに歩かなければならぬはめに立ち到るのであるが、いまは、それもむづかしいだらう。私は、いま、壕の中にしやがんでゐるのである。さうして、私の膝の上には、一冊の絵本がひろげられてゐるだけなのである。私はいまは、物語の考証はあきらめて、ただ自分ひとりの空想を繰りひろげるにとどめなければならぬだらう。いや、かへつてそのはうが、活き活きして面白いお話が出来上るかも知れぬ。などと、負け惜しみに似たやうな自問自答をして、さて、その父なる奇妙の人物は、
ムカシ ムカシノオ話ヨ
と壕の片隅に於いて、絵本を読みながら、その絵本の物語と全く別個の新しい物語を胸中に描き出す。)
このお爺さんは、お酒を、とても好きなのである。酒飲みといふものは、その家庭に於いて、たいてい孤独なものである。孤独だから酒を飲むのか、酒を飲むから家の者たちにきらはれて自然に孤独の形になるのか、それはおそらく、両の掌をぽんと撃ち合せていづれの掌が鳴つたかを決定しようとするやうな、キザな穿鑿に終るだけの事であらう。とにかく、このお爺さんは、家庭に在つては、つねに浮かぬ顔をしてゐるのである。と言つても、このお爺さんの家庭は、別に悪い家庭では無いのである。お婆さんは健在である。もはや七十歳ちかいけれども、このお婆さんは、腰もまがらず、眼許も涼しい。昔は、なかなかの美人であつたさうである。若い時から無口であつて、ただ、まじめに家事にいそしんでゐる。
「もう、春だねえ。桜が咲いた。」とお爺さんがはしやいでも、
「さうですか。」と興の無いやうな返辞をして、「ちよつと、どいて下さい。ここを、お掃除しますから。」と言ふ。
お爺さんは浮かぬ顔になる。
また、このお爺さんには息子がひとりあつて、もうすでに四十ちかくになつてゐるが、これがまた世に珍しいくらゐの品行方正、酒も飲まず煙草も吸はず、どころか、笑はず怒らず、よろこばず、ただ黙々と野良仕事、近所近辺の人々もこれを畏敬せざるはなく、阿波聖人の名が高く、妻をめとらず鬚を剃らず、ほとんど木石ではないかと疑はれるくらゐ、結局、このお爺さんの家庭は、実に立派な家庭、と言はざるを得ない種類のものであつた。
けれども、お爺さんは、何だか浮かぬ気持である。さうして、家族の者たちに遠慮しながらも、どうしてもお酒を飲まざるを得ないやうな気持になるのである。しかし、うちで飲んでは、いつそう浮かぬ気持になるばかりであつた。お婆さんも、また息子の阿波聖人も、お爺さんがお酒を飲んだつて、別にそれを叱りはしない。お爺さんが、ちびちび晩酌をやつてゐる傍で、黙つてごはんを食べてゐる。
「時に、なんだね、」とお爺さんは少し酔つて来ると話相手が欲しくなり、つまらぬ事を言ひ出す。「いよいよ、春になつたね。燕も来た。」
言はなくたつていい事である。
お婆さんも息子も、黙つてゐる。
「春宵一刻、価千金、か。」と、また、言はなくてもいい事を呟いてみる。
「ごちそうさまでござりました。」と阿波聖人は、ごはんをすまして、お膳に向ひうやうやしく一礼して立つ。
「そろそろ、私もごはんにしよう。」とお爺さんは、悲しげに盃を伏せる。
アルヒ アサカラ ヨイテンキ
このお爺さんの楽しみは、お天気のよい日、腰に一瓢をさげて、剣山にのぼり、たきぎを拾ひ集める事である。いい加減、たきぎ拾ひに疲れると、岩上に大あぐらをかき、えへん! と偉さうに咳ばらひを一つして、
「よい眺めぢやなう。」
と言ひ、それから、おもむろに腰の瓢のお酒を飲む。実に、楽しさうな顔をしてゐる。うちにゐる時とは別人の観がある。ただ変らないのは、右の頬の大きい瘤くらゐのものである。この瘤は、いまから二十年ほど前、お爺さんが五十の坂を越した年の秋、右の頬がへんに暖くなつて、むずかゆく、そのうちに頬が少しづつふくらみ、撫でさすつてゐると、いよいよ大きくなつて、お爺さんは淋しさうに笑ひ、
「こりや、いい孫が出来た。」と言つたが、息子の聖人は頗るまじめに、
「頬から子供が生れる事はござりません。」と興覚めた事を言ひ、また、お婆さんも、
「いのちにかかはるものではないでせうね。」と、にこりともせず一言、尋ねただけで、それ以上、その瘤に対して何の関心も示してくれない。かへつて、近所の人が、同情して、どういふわけでそんな瘤が出来たのでせうね、痛みませんか、さぞやジヤマツケでせうね、などとお見舞ひの言葉を述べる。しかし、お爺さんは、笑つてかぶりを振る。ジヤマツケどころか、お爺さんは、いまは、この瘤を本当に、自分の可愛い孫のやうに思ひ、自分の孤独を慰めてくれる唯一の相手として、朝起きて顔を洗ふ時にも、特別にていねいにこの瘤に清水をかけて洗ひ清めてゐるのである。けふのやうに、山でひとりで、お酒を飲んで御機嫌の時には、この瘤は殊にも、お爺さんに無くてかなはぬ恰好の話相手である。お爺さんは岩の上に大あぐらをかき、瓢のお酒を飲みながら、頬の瘤を撫で、
「なあに、こはい事なんか無いさ。遠慮には及びませぬて。人間すべからく酔ふべしぢや。まじめにも、程度がありますよ。阿波聖人とは恐れいる。お見それ申しましたよ。偉いんだつてねえ。」など、誰やらの悪口を瘤に囁き、さうして、えへん! と高く咳ばらひをするのである。
カゼガ ゴウゴウ フイテキテ
春の夕立ちは、珍しい。しかし、剣山ほどの高い山に於いては、このやうな天候の異変も、しばしばあると思はなければなるまい。山は雨のために白く煙り、雉、山鳥があちこちから、ぱつぱつと飛び立つて矢のやうに早く、雨を避けようとして林の中に逃げ込む。お爺さんは、あわてず、にこにこして、
「この瘤が、雨に打たれてヒンヤリするのも悪くないわい。」
と言ひ、なほもしばらく岩の上にあぐらをかいたまま、雨の景色を眺めてゐたが、雨はいよいよ強くなり、いつかうに止みさうにも見えないので、
「こりや、どうも、ヒンヤリしすぎて寒くなつた。」と言つて立ち上り、大きいくしやみを一つして、それから拾ひ集めた柴を背負ひ、こそこそと林の中に這入つて行く。林の中は、雨宿りの鳥獣で大混雑である。
「はい、ごめんよ。ちよつと、ごめんよ。」
とお爺さんは、猿や兎や山鳩に、いちいち上機嫌で挨拶して林の奥に進み、山桜の大木の根もとが広い虚うろになつてゐるのに潜り込んで、
「やあ、これはいい座敷だ。どうです、みなさんも、」と兎たちに呼びかけ、「この座敷には偉いお婆さんも聖人もゐませんから、どうか、遠慮なく、どうぞ。」などと、ひどくはしやいで、そのうちに、すうすう小さい鼾をかいて寝てしまつた。酒飲みといふものは酔つてつまらぬ事も言ふけれど、しかし、たいていは、このやうに罪の無いものである。
ユフダチ ヤムノヲ マツウチニ
この月は、春の下弦の月である。浅みどり、とでもいふのか、水のやうな空に、その月が浮び、林の中にも月影が、松葉のやうに一ぱいこぼれ落ちてゐる。しかし、お爺さんは、まだすやすや眠つてゐる。蝙蝠が、はたはたと木の虚うろから飛んで出た。お爺さんは、ふと眼をさまし、もう夜になつてゐるので驚き、
「これは、いけない。」
と言ひ、すぐ眼の前に浮ぶのは、あのまじめなお婆さんの顔と、おごそかな聖人の顔で、ああ、これは、とんだ事になつた、あの人たちは未だ私を叱つた事は無いけれども、しかし、どうも、こんなにおそく帰つたのでは、どうも気まづい事になりさうだ、えい、お酒はもう無いか、と瓢を振れば、底に幽かにピチヤピチヤといふ音がする。
「あるわい。」と、にはかに勢ひづいて、一滴のこさず飲みほして、ほろりと酔ひ、「や、月が出てゐる。春宵一刻、――」などと、つまらぬ事を呟きながら木の虚うろから這ひ出ると、
ミレバ フシギダ ユメデシヨカ
といふ事になるのである。
見よ。林の奥の草原に、この世のものとも思へぬ不可思議の光景が展開されてゐるのである。鬼、といふものは、どんなものだか、私は知らない。見た事が無いからである。幼少の頃から、その絵姿には、うんざりするくらゐたくさんお目にかかつて来たが、その実物に面接するの光栄には未だ浴してゐないのである。鬼にも、いろいろの種類があるらしい。××××鬼、××××鬼、などと憎むべきものを鬼と呼ぶところから見ても、これはとにかく醜悪の性格を有する生き物らしいと思つてゐると、また一方に於いては、文壇の鬼才何某先生の傑作、などといふ文句が新聞の新刊書案内欄に出てゐたりするので、まごついてしまふ。まさか、その何某先生が鬼のやうな醜悪の才能を持つてゐるといふ事実を暴露し、以て世人に警告を発するつもりで、その案内欄に鬼才などといふ怪しむべき奇妙な言葉を使用したのでもあるまい。甚だしきに到つては、文学の鬼、などといふ、ぶしつけな、ひどい言葉を何某先生に捧げたりしてゐて、これではいくら何でも、その何某先生も御立腹なさるだらうと思ふと、また、さうでもないらしく、その何某先生は、そんな失礼千万の醜悪な綽名をつけられても、まんざらでないらしく、御自身ひそかにその奇怪の称号を許容してゐるらしいといふ噂などを聞いて、迂愚の私は、いよいよ戸惑ふばかりである。あの、虎の皮のふんどしをした赤つらの、さうしてぶざいくな鉄の棒みたいなものを持つた鬼が、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。鬼才だの、文学の鬼だのといふ難解な言葉は、あまり使用しないはうがいいのではあるまいか、とかねてから愚案してゐた次第であるが、しかし、それは私の見聞の狭い故であつて、鬼にも、いろいろの種類があるのかも知れない。このへんで、日本百科辞典でも、ちよつと覗いてみると、私もたちまち老幼婦女子の尊敬の的たる博学の士に一変して、(世の物識りといふものは、たいていそんなものである)しさいらしい顔をして、鬼に就いて縷々千万言を開陳できるのでもあらうが、生憎と私は壕の中にしやがんで、さうして膝の上には、子供の絵本が一冊ひろげられてあるきりなのである。私は、ただこの絵本の絵に依つて、論断せざるを得ないのである。
見よ。林の奥の、やや広い草原に、異形の物が十数人、と言ふのか、十数匹と言ふのか、とにかく、まぎれもない虎の皮のふんどしをした、あの、赤い巨大の生き物が、円陣を作つて坐り、月下の宴のさいちゆうである。
お爺さん、はじめは、ぎよつとしたが、しかし、お酒飲みといふものは、お酒を飲んでゐない時には意気地が無くてからきし駄目でも、酔つてゐる時には、かへつて衆にすぐれて度胸のいいところなど、見せてくれるものである。お爺さんは、いまは、ほろ酔ひである。かの厳粛なるお婆さんをも、また品行方正の聖人をも、なに恐れんやといふやうなかなりの勇者になつてゐるのである。眼前の異様の風景に接して、腰を抜かすなどといふ醜態を示す事は無かつた。虚うろから出た四つ這ひの形のままで、前方の怪しい酒宴のさまを熟視し、
「気持よささうに、酔つてゐる。」とつぶやき、さうして何だか、胸の奥底から、妙なよろこばしさが湧いて出て来た。お酒飲みといふものは、よそのものたちが酔つてゐるのを見ても、一種のよろこばしさを覚えるものらしい。所謂利己主義者ではないのであらう。つまり、隣家の仕合せに対して乾盃を挙げるといふやうな博愛心に似たものを持つてゐるのかも知れない。自分も酔ひたいが、隣人もまた、共に楽しく酔つてくれたら、そのよろこびは倍加するもののやうである。お爺さんだつて、知つてゐる。眼前の、その、人とも動物ともつかぬ赤い巨大の生き物が、鬼といふおそろしい種族のものであるといふ事は、直覚してゐる。虎の皮のふんどし一つに依つても、それは間違ひの無い事だ。しかし、その鬼どもは、いま機嫌よく酔つてゐる。お爺さんも酔つてゐる。これは、どうしても、親和の感の起らざるを得ないところだ。お爺さんは、四つ這ひの形のままで、なほもよく月下の異様の酒宴を眺める。鬼、と言つても、この眼前の鬼どもは、××××鬼、××××鬼などの如く、佞悪の性質を有してゐる種族のものでは無く、顔こそ赤くおそろしげではあるが、ひどく陽気で無邪気な鬼のやうだ、とお爺さんは見てとつた。お爺さんのこの判定は、だいたいに於いて的中してゐた。つまり、この鬼どもは、剣山の隠者とでも称すべき頗る温和な性格の鬼なのである。地獄の鬼などとは、まるつきり種族が違つてゐるのである。だいいち、鉄棒などといふ物騒なものを持つてゐない。これすなはち、害心を有してゐない証拠と言つてよい。しかし、隠者とは言つても、かの竹林の賢者たちのやうに、ありあまる知識をもてあまして、竹林に逃げ込んだといふやうなものでは無くて、この剣山の隠者の心は甚だ愚である。仙といふ字は山の人と書かれてゐるから、何でもかまはぬ、山の奥に住んでゐる人を仙人と称してよろしいといふ、ひどく簡明の学説を聞いた事があるけれども、かりにその学説に従ふなら、この剣山の隠者たちも、その心いかに愚なりと雖も、仙の尊称を奏呈して然るべきものかも知れない。とにかく、いま月下の宴に打興じてゐるこの一群の赤く巨大の生き物は、鬼と呼ぶよりは、隠者または仙人と呼称するはうが妥当のやうなしろものなのである。その心の愚なる事は既に言つたが、その酒宴の有様を見るに、ただ意味も無く奇声を発し、膝をたたいて大笑ひ、または立ち上つて矢鱈にはねまはり、または巨大のからだを丸くして円陣の端から端まで、ごろごろところがつて行き、それが踊りのつもりらしいのだから、その智能の程度は察するにあまりあり、芸の無い事おびただしい。この一事を以てしても、鬼才とか、文学の鬼とかいふ言葉は、まるで無意味なものだといふことを証明できるやうに思はれる。こんな愚かな芸無しどもが、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。お爺さんも、この低能の踊りには呆れた。ひとりでくすくす笑ひ、
「なんてまあ、下手な踊りだ。ひとつ、私の手踊りでも見せてあげませうかい。」とつぶやく。
スグニ トビダシ ヲドツタラ
コブガ フラフラ ユレルノデ
お爺さんには、ほろ酔ひの勇気がある。なほその上、鬼どもに対し、親和の情を抱いてゐるのであるから、何の恐れるところもなく、円陣のまんなかに飛び込んで、お爺さんご自慢の阿波踊りを踊つて、
赤い襷に迷ふも無理やない
嫁も笠きて行かぬか来い来い
とかいふ阿波の俗謡をいい声で歌ふ。鬼ども、喜んだのなんの、キヤツキヤツケタケタと奇妙な声を発し、よだれやら涙やらを流して笑ひころげる。お爺さんは調子に乗つて、
大谷通れば石ばかり
笹山通れば笹ばかり
とさらに一段と声をはり上げて歌ひつづけ、いよいよ軽妙に踊り抜く。
ツキヨニヤ カナラズ ヤツテキテ
ヲドリ ヲドツテ ミセトクレ
ソノ ヤクソクノ オシルシニ
と言ひ出し、鬼たち互ひにひそひそ小声で相談し合ひ、どうもあの頬ぺたの瘤はてかてか光つて、なみなみならぬ宝物のやうに見えるではないか、あれをあづかつて置いたら、きつとまたやつて来るに違ひない、と愚昧なる推量をして、矢庭に瘤をむしり取る。無智ではあるが、やはり永く山奥に住んでゐるおかげで、何か仙術みたいなものを覚え込んでゐたのかも知れない。何の造作も無く綺麗に瘤をむしり取つた。
お爺さんは驚き、
「や、それは困ります。私の孫ですよ。」と言へば、鬼たち、得意さうにわつと歓声を挙げる。
コブヲ トラレタ オヂイサン
ツマラナサウニ ホホヲ ナデ
オヤマヲ オリテ ユキマシタ
瘤は孤独のお爺さんにとつて、唯一の話相手だつたのだから、その瘤を取られて、お爺さんは少し淋しい。しかしまた、軽くなつた頬が朝風に撫でられるのも、悪い気持のものではない。結局まあ、損も得も無く、一長一短といふやうなところか、久しぶりで思ふぞんぶん歌つたり踊つたりしただけが得とく、といふ事になるかな? など、のんきな事を考へながら山を降りて来たら、途中で、野良へ出かける息子の聖人とばつたり出逢ふ。
「おはやうござります。」と聖人は、頬被りをとつて荘重に朝の挨拶をする。
「いやあ。」とお爺さんは、ただまごついてゐる。それだけで左右に別れる。お爺さんの瘤が一夜のうちに消失してゐるのを見てとつて、さすがの聖人も、内心すこしく驚いたのであるが、しかし、父母の容貌に就いてとやかくの批評がましい事を言ふのは、聖人の道にそむくと思ひ、気附かぬ振りして黙つて別れたのである。
家に帰るとお婆さんは、
「お帰りなさいまし。」と落ちついて言ひ、昨夜はどうしましたとか何とかいふ事はいつさい問はず、「おみおつけが冷たくなりまして、」と低くつぶやいて、お爺さんの朝食の支度をする。
「いや、冷たくてもいいさ。あたためるには及びませんよ。」とお爺さんは、やたらに遠慮して小さくかしこまり、朝食のお膳につく。お婆さんにお給仕されてごはんを食べながら、お爺さんは、昨夜の不思議な出来事を知らせてやりたくて仕様が無い。しかし、お婆さんの儼然たる態度に圧倒されて、言葉が喉のあたりにひつからまつて何も言へない。うつむいて、わびしくごはんを食べてゐる。
「瘤が、しなびたやうですね。」お婆さんは、ぽつんと言つた。
「うむ。」もう何も言ひたくなかつた。
「破れて、水が出たのでせう。」とお婆さんは事も無げに言つて、澄ましてゐる。
「うむ。」
「また、水がたまつて腫れるんでせうね。」
「さうだらう。」
結局、このお爺さんの一家に於いて、瘤の事などは何の問題にもならなかつたわけである。ところが、このお爺さんの近所に、もうひとり、左の頬にジヤマツケな瘤を持つてるお爺さんがゐたのである。さうして、このお爺さんこそ、その左の頬の瘤を、本当に、ジヤマツケなものとして憎み、とかくこの瘤が私の出世のさまたげ、この瘤のため、私はどんなに人からあなどられ嘲笑せられて来た事か、と日に幾度か鏡を覗いて溜息を吐き、頬髯を長く伸ばしてその瘤を髯の中に埋没させて見えなくしてしまはうとたくらんだが、悲しい哉、瘤の頂きが白髯の四海波の間から初日出のやうにあざやかにあらはれ、かへつて天下の奇観を呈するやうになつたのである。もともとこのお爺さんの人品骨柄は、いやしく無い。体躯は堂々、鼻も大きく眼光も鋭い。言語動作は重々しく、思慮分別も十分の如くに見える。服装だつて、どうしてなかなか立派で、それに何やら学問もあるさうで、また、財産も、あのお酒飲みのお爺さんなどとは較べものにならぬくらゐどつさりあるとかいふ話で、近所の人たちも皆このお爺さんに一目いちもく置いて、「旦那」あるいは「先生」などといふ尊称を奉り、何もかも結構、立派なお方ではあつたが、どうもその左の頬のジヤマツケな瘤のために、旦那は日夜、鬱々として楽しまない。このお爺さんのおかみさんは、ひどく若い。三十六歳である。そんなに Permalink | 記事への反応(0) | 18:24
夏休み。八月に入っても誘ってくれる友人も居らず大学デビューに失敗。地元を離れ、帰るのにも億劫で鬱屈した毎日を過ごしていた。このままで夏休みの思い出も何も残せないのではないか?
そういったある日のこと。それまでの鬱憤もあったのだろう。すぐ行動に移した。
夜には高速バスに乗り、新宿駅に着いたのは1時過ぎだった。全くの無計画であったため宿の予約などはしておらず、まあ満喫で朝まで時間をつぶせばいいやといったぐらいの心持だった。
これからどうしようかなぁと新宿の夜をぶらぶらと歩き続けた。車の行き来が多い大通りへ出る手前、傍に路地が見えた。
その横を通りすぎようとした時。人影がスッと出てきて、声を掛けられた。
「ねぇ、一発どう?」
え?と思わず足を止めた。相手を見ると赤い服におかっぱのような黒の短髪の女性。角ばった大きめのサングラスをつけていた。
こちらが固まっているのを目にしてちょっと笑い、「興味があるならおいでよ」と腕を引っ張られた。
そのまま路地裏に連れ込まれると通りの明かりが遠のいていき、ようやく足を止めると辺りは狭く、街灯の明かりも頼りなく人の気配は二つのみ。
女は振り返るとこちらをじっと見つめ、鼻息が掛かるほど顔を寄せるとわずかに口角を上げた。
「二万でいいよ」と言ってきた。
かなり動揺したが性的な経験がなく、それでも興味は大いにあった。財布から二万を出して渡すと彼女はねじ込むようにポケットへ入れて、それからゆっくりしゃがむ。
「もしかして、はじめて?」
と聞かれ、情けなくも「あ……はい」と返事した。初めてだと申告すれば何かサービスがあるのでは?と淡い期待をしていたのだ。
「そう」とだけ言った彼女はニッと笑い、「じゃあ良い記念になるね」とサングラスを着けたまま言った。それからファスナーへ手を伸ばす。
こちらはただじっと立ち尽くしていた。彼女がファスナーから私の陰茎を取り出すと、彼女は屈んだまま顎をちょっとだけ上げて見つめてきた。上目遣いでやる感じなのかな?とその時には呑気にそう思った。
しかし女は次に右手をサングラスへ。そのままゆっくりと取った。
「あっ」
驚きのあまり声は枯れていた。というか驚きすぎて声が出せなかった。
彼女には片目がなかった。右目のみが欠けていた。右目部分にはぽっかりと見事な空洞があり、淡い街灯の下、底の見えない闇がそこにはあった。
呆気にとられていると彼女は微笑みながら私の陰茎を右手でつかんでゆっくりとしごき始め、勃起すると手を止め、それから顔をまた近づけてくる。
しゃがんだまま。じりじり。ゆっくりと。微々たる速度で。今にして思えば、恐怖のあまりそのように感じただけで、実際は素早かったのかもしれない。
女は勃起した陰茎に手を添え水平にしていた。あの闇が、右目があるはずの顔の一部が闇となって、段々と近づいてくる。
逃げ場はない。咄嗟に目を瞑った。反射的に飛び込んでくる虫を避けるように。
痛みはなかった。締め付けも。緩さすらない。奇妙な感覚だった。穴。挟まるというより収納されていくような感覚。たまにテレビで見かける異国の地、山奥の集落、そこに暮らす部族がつけているペニスケースの感覚がこのようなものではないかと思わせるような感触。
奇妙にも。非常に奇妙にも、そこでまず感じられたのは背徳感だった。しかし何に対する背徳なのかはいまだにはっきりとはしない。
ここから先の記憶は多少混雑していてはっきりとはしない。気持ちが良かったのか、どうなのか。
唯一つはっきりと覚えているのは、その場で射精したという事実である。
今でもたまに見る。当時のこのことを夢として。そして当時の続きを夢として。
夢の中では女は私に腕を組んできて、そして路地裏から出ると外は昼間で、こんなにも明るかったのか。ああこんな日中にあんな行為をしていたのかと、それでも妙に快く、女の顔を見るとサングラスはなく右目はない。日光が地表を照らす。そのときに女の顔にも光が差し込み、そこで目が覚める。
穴。奥がどうなっているのか。未だに分からない。知りようもない。知りたくもないのかもしれない。
だがこれは19の夏にあった出来事で、現実の話だ。二万も確かに消えている。いや、あんな事は実際にはなかったのではないか?と考えるときもある。
それでも。蒸し暑く、じめじめした八月の夜風に当たる度、あの夜のことを思い出す。
その中のセックスってなんかすごい卑猥で、秘め事で、熱くて、生々しくて、本能で貪り合うみたいな。そんな表現が多かった。
けど、意外と初体験はあっさりしていた。
体、ましてや自分でもまじまじと見たことのない性器をじっくり見られて、すごく恥ずかしかった。
男の人の指が入ってきて、自分の指よりも太いし骨ばってるし、他人が入ってきてるんだと感じた。
ゴムをつけて、足を開かれる。その間に彼が腰を据える。腰を掴んで引き寄せられる。入口にむにっとナニカが触れて、それはあっという間に根元まで入った。
……はい、ってる?
大きくはないのかもしれないけど、それでも実際触ってるときは「こんな太いのはいるの??」と思ったくらいのサイズはある。
実感はわかないけど、それでもセックスをしたという記録が残った。脱・処女をした。
それから数ヶ月、デートの度に身体を重ね、その度にどんどんディープな行為になっていってる気がする。
例えば、ライブに行くというのに家を出る30分間くらいにフェラして、口内射精したり。
私の実家に行って、しないようにしようねって言ってたのに我慢できなくなって、朝勝手にフェラして、そのまま挿入したり。
直前までフェラだのセックスだのしたのに、その数分後にはケロッとした顔で外出したり、家族に朝の挨拶をしたりした。
意外と日常に馴染むもんなんだなあ。
昔は、セックスしたあとはしばらく気が気じゃないだろうと思ってた。
けど現実はあっさりしてて、じゃあエッチがつまらないかと言うとそんなことはなくて、最大級の愛情表現かつ最上のコミュニケーションだと思う。
彼の息子のことを、我々は名前をつけて呼んでる。たろうくんと仮定する。
フェラしてたろうくんを元気にさせたあと、指を入れて私のなかをほぐしてもらう。
そろそろ挿入かな?と思って見てみると、なんか半分くらい萎れている。
「たろうくん元気なくなっちゃった」
「えー。じゃあまたする?」
彼は先端はあまり感じないらしい。でも私は形とかやわらかさが好きでよく触る。
再びフェラ。何せ男性器を触るなんて彼が初めてなもんで、やり方はいつも試行錯誤で、その舐め方気持ちいいとか、そこ舐められるの気持ちいいみたいなフィードバックをもらいながら舐めあげる。
大きくなったらゴムつけて、つながって、キスして、激しくとろける快感みたいなのはないけど幸せな気分になった。
……ナマ、である。
射精こそしなかったものの、なんだかいつもよりも硬くて気持ち良くて、内壁に伝わる感触、彼の性器の芯、なんだか全然感覚が違った。
これは突発的に、お互いが理性に負けてしてしまった行為なのでもちろんアフピルを貰いに行ったわけだけど。
以前から、彼が私のなかでイケないこととか、使ってるゴムの相性が悪くて、ゴム付けたあとにフェラすると苦くてとても口に入れられるものじゃなくなたりと、ゴムをすることでの新たな悩みが出ていた。
話し合って、低用量ピルを飲むことにした。
ナマで入れた。気持ち良かった。中に出した。流石にその感覚は分からなかったけど、風呂に入ってるとき中から垂れてくるのを感じた。
ちなみにこのとき、普段と違う体位をしたら喘ぎ方がまったく変わった。いつもは抑え目に「んっ♡あっ♡」って感じの可愛い声を出していたつもりだった。
しかし、バックで私が胸から上をベッドにつき、両腕を彼が引っ張りながら挿入される。
胸をベッドに押し付けている影響なのか、高い声が出せなくて、地声でカエルが潰れたような「ん゙あ゙ッ、あ゙っ、」って可愛さの欠けらもない声が押し出される。
元々私は声が低い方だった。自認としては、下手な人の光彦くんの声マネみたいな声が出てたと思ってる。
しかし、彼の動きは過去にないくらい早くなって、奥に押し付けられて、射精した。
私があんな声を出すのが意外だったみたいで、それが良かったらしい。何度もエロいと言われた。嬉しかった。
なかった。
全然普通にカフェ行って買い物してスタバで休憩して帰宅して、夕方また同じ体位でナマセックスして、夜ご飯に居酒屋でまったり美味しい食事を堪能した。
ああそうか、居酒屋でなんの湿度もなく会話を楽しんでるカップルも、家ではセックスしてるんだ。
急にそれが現実味を増して、私のなかでセックスに対する距離感が変わった。
行為中、彼が私のお腹を持ってぶるぶる震わせるのに「あぁーーーデブがばれるからやめてぇーー」と嘆くのも楽しい。
キスしたり、耳舐めたりしただけでガチガチになる彼の性器が愛おしい。
舐めてると口の中でびくびく動くのがエロい。
繋がったまま、やわらかく唇を重ねるだけのキスをするのが心温まる。
普段優しい彼が、挿入するときは私の体を掴んで引き寄せたり、ごろりと転がして体勢を変えるのが、強引でドキドキする。
口の中に広がる精液。正直まずいしえずくけど、たっぷり出たのが分かって嬉しい。
オナニーでは中イキも外イキもできるし、中イキすると潮も噴く。噴くっていうより、じょぼじょぼ溢れる感じなんだけど。
それが初めてセックスで中イキして、挿入し終えたあと、彼が身なりを整えているときにイッた。
ペットシーツを下に敷いてたのに、それでも吸収しきれないくらい大量に出た。
感覚としては30秒くらい。
膣口が開いて、とぷ、と液体を吐き出すのが分かって生々しかった。
下手したら漏らした?と思うくらいの量だったど、ペットシーツのシミはほとんど無色だった。
と、まあ身体を重ねる度に彼との距離は縮まって、お互いのこと大好きになって、それと同時に無理に通話とかしなくても安心できるようになって、付き合い始めより確実に落ち着いて、冷静に、確実に幸せで満たされている。
我々は一切束縛しない。
元々異性とふたりで飲んだりするタイプではないけど、例えばトイレに行くときにスマホをリビングに置いたままでも平気だ。
写真を見せるのにスマホごと渡すのも平気だし、同棲始めたら何かあった時のためにパスコードを共有するという予定だ。
セックスは性欲を解消するものだ思っていたけど、そうではないことを知った。
好きな相手とするセックスは、気持ち良くて、満たされて、相手の全部が可愛くて、幸せになる。
フェラをするのも好きだ。イイところを攻めてあげたい。
理想はセックスしなくても仲良しでいられることだけど、コミュニケーションツールとしてのセックスはこれからもたくさんしていきたい。
お互いの初めてがこれで、本当に良かったと思っている、
だが女と付き合っていて嫌なのは、基本、減点主義であり、異様にこまかい。できて当然であり、できないと、そのこまごました不満を逐一、表明されて改善を求められる。
私が長年、勤めていたブラック企業の体質とそっくりなんだよ。減点主義の評価表を想起。
腹立つのがこまかいところは気にするくせに、外しちゃいけない根本や本質には無知なんだよ。自分の見えている範囲でしか生活できていない。もちろん、全ての女性がそうだとは言わないが、とてもじゃないが付き合い切れない。
女はさ、細部はおおらかに、しかしながら、本質や根本だけは外さないが正しいんだよ。俺に文句言う女はそれがわかってないんだよなあ
さらに腹立つのが、そのこまかさをコミュ力高いと、うぬぼれている。そうじゃねえよ、例えるなら、こまかい課長みたいなもんだよ。マイクロマネジメント大好きなクソ野郎だ。逐一うるさい。何がコミュ力だ。器で俺を魅了してみろ。女どもって100均で売ってる醤油小皿くらいの大きさだろ。その視野に居たくない。
俺の周りの女は男の雄飛をとことん邪魔してくる感触がある。まるでワンちゃんになった気分で、首輪をはめられている。でね、その手綱を握っているのが女だ。冗談じゃねえぞ、となるよね。むしろ、邪魔してくる。繰り返しになるが、ブラック企業とそっくり。人生の雄飛をこういう企業は阻害する。基本、存在が負なんだよな。
偉人の伝記を読むと分かるが、偉人の嫁は高確率で才媛なんだよな。男の仕事をもっともっと高める。偉人の子供時代も同じだ。偉人のお母さんが大抵、教育熱心でうまく自分の子供に教育している。子供の教育や男の雄飛は極論、女次第ともいえる。そういう意味では女は手綱を握っている。俺の周りにいる女は才媛とは程遠いから俺の伸び代は伝わらねえか。
余談だが、嫁と義母の関係性が高確率で悪くなるの、これも上記に述べた、女の本性が大きい。女の敵は女、とは言うけど、女もいいかげん、そのこまかさを問題視しろよ。男にばかりその刃が向くわけではない。今度は義母からあなたが受ける番になる。出来て当然&減点主義がどれくらい嫌か、悟れって。
目が覚めた瞬間、右手に残っていた「レバーを叩いた感触」が、現実の布団の感触に上書きされて消えていった。
今日も今日とて、財布の中身は昨日発掘した500円の残骸のみ。現実のホールはあまりにも遠い。
しかし、昨夜の私は、間違いなく「あっちの世界」で勝利を掴んでいた。
選んだのは、見たこともないほど巨大なGOGO!ランプを搭載した「ドリームジャグラー」。
「ガコッ!」という音がホール全体に響き渡り、空からはメダルではなく、千円札が降ってくる。BIGを引くたびに、ジャグラーのキャラクターたちが私の周りでサンバを踊り、祝福してくれる最高の演出。
しかも、その夢の中の台は「目押し」が不要。適当に押すだけで、勝手にBARが揃い、チェリーが重複し、ランプが1秒間に100回点滅する。
気づけば背後には100箱のドル箱が積まれ、私は店長から「もう勘弁してください」と土下座されていた。
……というところで、アラームが鳴った。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 夢の投資 | 0円(無限) |
| 夢の回収 | 約5,000,000円(推定) |
| 現実の収支 | 0円 |
当然、中身は増えていない。夢の中の500万円は、朝の光とともに霧散してしまった。
ただ、不思議なことに、夢の中で散々ペカらせたおかげで、少しだけ「打った気」になっている自分がいる。脳内麻薬だけはしっかり分泌されたようだ。
夢であんなに出す力があるなら、そのヒキを少しだけでも4月25日の給料日まで取っておきたかった。
ラオスまでわざわざ行ったのに結局捕まるんだからもうやってられないだろうな。
3DCGが進化したと行ってもまだまだアニメキャラ以外は不気味の谷の底にいる状態だし、生身の感触をオナホで代替するとかも不可能だろうな。
なんか不憫になってくるわ。
若い頃に「俺も金ためて将来はプチエンジェルの常連だ!」みたいに息巻いてたのにいざ金が溜まる年齢になって海外に買春ツアーに行ったら捕まるってなんなんだろうね。
こういう話すると「子供の権利を侵害する行為だから絶対に許されない~~~」みたいなことを正論部って語る人もいるけどさ、そういう人はなんでも他人事に考えすぎだと思う。
たとえばなんかの表紙にヒンドゥー教敵価値観が跋扈して「牛を食べるとか有りえない。牛の気持ちになって考えるべき。もしも自分が殺されてその死体を食われたらどう思う?」みたいに言われるようになったらどうするんだ?
「牛を人間と同じ扱いするとか意味不明」とか言えば自分が正論で返したつもりになれるのかな?
世の中で正論扱いされてるものなんてどれも個々のコミュニティにおける多数派の意見でしかないよ。
「ホモは気持ち悪いから治すべき。治せないなら殺してもいい」って価値観が強かった時代もあるわけだけど、今の時代においてはそんなの間違ってるって扱われてるでしょ?
昔々、ある寒い大晦日の夜のことでした。街は雪に包まれ、暖かい明かりが家々の窓からこぼれていました。
人々は家族と一緒に年越しを祝う準備で忙しく、足早に通り過ぎていきます。
その喧騒の中、一人の小さな少女が立っていました。名前はリリ。ぼろぼろの服をまとい、裸足で雪の上に立っています。手には何も持っていません。代わりに、彼女自身が「売り物」でした。
「マッチョ……マッチョはいりませんか……?」リリの声は小さく、震えていました。でもその声とは裏腹に、彼女の体は違いました。まだ幼い顔立ちなのに、肩は広く、腕は太く、腹筋は割れ、脚は鋼のように引き締まっています。毎日父親に叩かれながら、雪の中でトレーニングを強いられていたからです。父親は「マッチョな娘を売れば金になる」と言い、彼女を「マッチョ売りの少女」として街に立たせていたのです。
マッチ売りの少女ではありません。マッチョ売りの少女です。人々はちらりとリリを見て、笑い声を上げたり、眉をひそめたりして通り過ぎます。
「かわいそうに……いや、ちょっと怖いな」
「大晦日にそんなもん誰が買うんだよ」誰も声をかけてくれません。
リリのお腹は空き、足は雪で真っ赤に腫れ、冷たさで感覚がなくなっていました。家に帰れば父親が怒り狂ってさらに厳しいトレーニングを課すでしょう。それでも、ここにいなければ生きていけない。
リリは震える手で自分の腕をさすりました。硬い筋肉の感触が、少しだけ温かさを感じさせてくれます。
「マッチョ……いりませんか……一晩だけでも……」
ふと、彼女は目を閉じました。寒さで頭がぼんやりして、幻のような光景が見え始めました。
一本目の「マッチョの火」——彼女が軽く力を込めると、腕の血管が浮き上がり、熱い血流が体を巡るイメージ。目の前に大きな暖炉が現れ、父親が優しく笑って「よく頑張ったな」と頭を撫でてくれます。温かいスープの匂いが漂い、柔らかいベッドが待っています。
でも、力が緩むと、幻は消えました。ただの雪と寒さだけ。
二本目の「マッチョの火」——今度は脚に力を入れ、スクワットのポーズを取ります。太ももの筋肉が盛り上がり、地面を強く踏みしめます。すると、幻の中でリリは大きな舞台に立っていました。観客が拍手喝采し、「すごい筋肉だ!」「君は強い!」と声を上げています。彼女はもう貧しくなく、みんなに尊敬されるマッチョの少女として輝いています。
それもまた、消えました。
三本目、四本目……リリは次々と自分の筋肉に力を込め、さまざまな幻を見ました。豪華なクリスマスディナー。優しいお母さん(もうこの世にいない)。友達と一緒に笑う学校生活。そして、最後に——
祖母の姿。リリがまだ小さかった頃、生きていた祖母が、彼女を抱きしめて言った言葉。
「リリは強い子だね。でも、強さは自分で守るもの。誰かに売るものじゃないよ」
その幻の中で、祖母はリリの手を握り、一緒に雪の街を歩き出しました。寒さはなく、痛みもなく、ただ温かさだけがありました。
「もう大丈夫。来なさい、リリ」リリは微笑みました。最後の力を振り絞って、全身の筋肉を最大限に緊張させました。体中が熱くなり、まるで巨大なマッチョの炎が彼女を包み込むようでした。
次の朝、雪が止んだ大晦日の朝。
人々は角で倒れている少女を見つけました。体は異様に発達した筋肉で覆われ、凍えながらも、穏やかな笑顔を浮かべていました。まるで、最高の「マッチョ」を自分自身に売ったかのように。
彼女の体は冷たかったけれど、どこか満足げで、力強く見えました。
そして、誰かがそっと呟きました。
「マッチョ売りの少女……結局、自分で一番強いマッチョを買ったんだな」
雪は静かに降り続き、街は新しい年を迎えました。
——おしまい。
(アンデルセンの『マッチ売りの少女』をベースに、ユーモアと少しの皮肉を交えて書き直した短編です。マッチョパワー全開で頑張る少女の、切なくもたくましいお話になりました。)
エロゲ黄金時代にそこそこエロゲーをやり込んだ人間なら「あーあったねそういえばそういう作品」と思い出す様なあるメーカーの作品群がある。
そのメーカー自体は2000年代後半には解散したのだが、代表作を書いていたライターは確認できる限り2010年代頭までライターとして活動していて、そこから忽然と姿を消していた。
もう2000年代の流行オタク業界の話なので、こういうことはよくあることなのだが、往時にはそこそこ活躍していたオタク界隈の中である種名声があった名物クリエイターで、今では足を洗ったのか、消息知れずの人たちは結構いる。
当時流行っていた学園物で、どこか2000年代のネット/アキバ界隈特有の、あのゆるい開放感のある自由な雰囲気でのコメディが得意で、とにかく優しくて面白くて「楽しい」、ノーテンキな世界観が心地よかった。
そのメーカーは音楽に特に定評があり、ライター謹製の作詞と、2000年代のオタク系音楽特有のフュージョン、ニュージャックスイング、コンテンポラリーR&B系の透明感ある音楽と相まって、いい感じに肩の力抜いたふざけた歌詞とあっていて、未だに思い出の音楽としてXなどでも結構話題に上がるくらいだ。
そんなわけで、今でもXやyoutubeを探せば、そこそこ音楽や作品を評価して名前が結構上がるくらいには、まだファンも多いライターだった。
数週間前、ゲームwikiを見ていてふとその懐かしいタイトルの記事があるので目を通していた。内容は、ハッキリ言って1から10まで覚えているのだから見る必要もないかなと思っていたのだが。
そこで、あるURLが目に付いた。
15年近く消息不明だった、そのライターの消息が分かった瞬間だった。
クリックして読んだ先の作品は、25年も前に完結したライターの代表作シリーズの続編兼ある種の最終回の様な短編だった。
あの時代の空気も雰囲気もそのままに、主人公やヒロインや悪友キャラ達が再開し、再び「面白い物を探して」、青い空の向こうへと歩き始める物語
あの頃と何もかも変わらない、古い友人というか、昔よく言った店がまだやっているような安心感とノスタルジーを覚えた。再びあのキャラや時代に出会う事が出来て、嬉しかった。
だが、それもリンクから15年の間何をやっていたのだろうと、探してみると、失望へと変わっていった。
惨めな氷河期世代のオッサンやニートだとか、他責思想丸出しのテンプレのようななろう主人公や療育放棄された頭の病気の様な悪役令嬢、そんな判で押した様なテンプレなろう系ばかりの作風ばかりになっていた。
どこかの素性不明の本でとってつけたような兵站論や物流論、軍事理論の講釈を垂れて粋がるバカ主人公
スラップスティックとただの奇行の区別もつかない悪役令嬢が、〇狂いじみたことを喚きながらトー横のメンヘラの様に暴れまわる頭の病人の様な主人公
貰い物のチートだとか、現代知識で無双をして、ヒロイン以外同性の友人すら出てこないあまりにも惨めな主人公
そんなものばかりだった。人気はそこそこあったのかもしれない、だが、そこにはなぜこんなメンタルでまだシャバにいられるのか、という様な煮詰まった読者欄に生息するなろう系の負け組オタクばかりがテンプレを評価する蟲毒だった。
子供のころ、石の裏をひっくり返して蠢く虫や蛞蝓を見たような気分を思い出した。
唯一救いがあるとすれば、書いていたライター当人も何か思うところがあったのか、2020年に入る前には活動を停止していることだった。今となっては作品はどこかのブログや魚拓でサルベージされた場所でしか見ることはできない。
あの時代の市場規模の中で活動していたのだから、ネットで言われるなろう系市場が実態と以上乖離して「儲からない、将来性がない」というのを体感的に察知して筆をおいたのか、それとも何か別の理由でもあるのか、あまりにも現実と乖離したなろう系オタク達に心が侵食される様な苦痛を感じて逃げ出したのか、それは今となってはわからない。
それは、世界というものがひどく狭く、しかし同時に、どこまでも広がっているかのようにネットで、秋葉原で、オタク界隈で、個々の若者たちの人生で感じられた2000年代という時代の産物である。
日常は終わることなく続き、青春は一瞬でありながら、画面の向こうの主人公やその親友やヒロインたちも、そして画面を見る側の当人たちには永遠に似た手触りを持っていた。
いわば、ぬるま湯の様な富裕な日本の穏やかな時代の産物だった。
何より哀しかったのは、なろう系を書いている以外で、かつて自身が手掛けた作品群の続編や外伝の様な短編を書いているときだけは、その感性や才能が色鮮やかに蘇っているところだった。
それは、失われていたはずの完成が色鮮やかに息を吹き返す、セピア色の黄ばんだ写真が綺麗にあの頃の青春の空気と、匂いと、青空と、温度が戻ってくる様な感触に思えた。
そこには、成り上がりや美少女や承認欲求を求めて銃や刃物を手に他人を殺傷する極悪人の様ななろう主人公はいない、他人が落ちていくのを「ざまあ」と笑うあまりに惨めななろう主人公も悪役令嬢もいない。
書類の数字で講釈を垂れながら、見ることもない兵隊や一般人を「致し方ない犠牲」と平気で切る血も涙もない人非人の様な、なろう系主人公もいない
まるで場末のキャバ嬢か、脳に何らかの寄生虫でも入ってるかの如く主人公をマンセーマンセーと褒め称えて股を開くヒロインもいない。
そこにあるのは、ただ、あの頃と変わらぬ「人間」たちであった。
あの頃と何も変わらない、他者や世界を逆恨みすることなく、加齢で余裕がなくなって承認欲求と劣等感で精神がおかしくなって認知が歪んでいるわけでもなく、
心が歪むことなく、いつまでも続く「終わらない文化祭」のような毎日と、静かに流れる「なんとなくぬるま湯の様な優しい世界」で、また面白い事を探して次は何をしようか、と仲間やヒロインと探して軽口を言い合って青空の下を歩いていく、
「さあ、また旅に出よう、あの青い空しか見えない、青い階段を上がれば出口だよ」
「結局俺達は、まだ何も見てないんだな」
「だってそうだもの、"見る"キミがいてこその世界だからね。だからもう一度世界を見て回ってきてほしい。」
「そうかもね、それだけ君を信用しているということさ。おっと、僕は遅れてから行くよ、そろそろ時間だ。また会おう。」
「ああ、また、どこかで」
このやりとりの中に、彼等と俺達と、そしてあの時代の世界のすべてがある。
ああ、彼等や彼女らだけが、永遠に続く様な錯覚でなく、本当に永遠の中にいるのだ。
青い階段を昇りつめた後に広がった青空と夏の街を一望できる白いビルの屋上の景色が広がり、
主人公は持っていた腕時計だけを青空に向かって放り投げる、そしてこう言った
ああ、それは時間というしがらみからさえ自由になるために離脱するという意味する行為なのだと、俺は感じ取った。
現実と時間という世界から、本当に旅立ってしまったのだ、「永遠」の方へと。
その当時の古参ファンが感想に古い友人を訪ねる様に感想欄に現れていた、それはまるで、亡き友の家や墓を訪れるように…なろう系オタクは誰一人といない、その落差があまりに悲しいと俺は感じた。
なろうやカクヨムに続きが書かれた時点で、本当に彼等は「死んでしまった」のだろう。とすると、続編は全て主人公が死んだ先に見た夢の中を、俺達が追体験しているだけなのかもしれない。
別のタブで開いているyoutubeで再生している、あの頃の作品の主題歌は、きっとあの時代と彼等への鎮魂歌なのだろう。
気の抜けた明るい歌詞が流れている、だがそれは、本当に永遠の世界へと旅立っていってしまった彼らと彼女たちの、あまりに悲しい鎮魂歌だった。
それは、明るさを装いながら、すでに失われた時代とその中に生きた人々と、あの日の世界にとらわれ続けた俺をひそやかに弔っている。それは同時に、青青の時代とそこに生きた彼らへの静かな挽歌でもあった。
彼等はすでに旅立っている…きっとそれも、帰ることのない永遠の方へ。
彼等は帰らぬ旅へ出た。
彼等はすでに去った。
次の「面白い事」…青い鳥を探して、帰ることのない旅路へと赴き、時間の流れから離脱した。
――去ったのだ。
青い鳥を探しに、
二度と帰らぬ道へ。
そして今、彼らはもはや、