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はてなキーワード: 反証とは

2026-01-26

文系って「定義」で理解しようとするよな

経済学定理とかあるとして、それを数値に落とし込めば対称性とか出てくるのに、文系定義理解しようとするから定義合致しない主張を「数値が示していても」拒否している。

 

経済学定理は、本来ほとんどが数式で書ける。効用関数、制約条件、期待値、均衡条件。そこに一度落とし込むと、対称性や保存則めいたもの自然に立ち上がる。

たとえばMM命題でも、「企業が外に出す総キャッシュフロー一定」という制約の下で、配り方を変えても価値が不変になる、という構造対称性が見える。これは定義問題ではなく、写像の不変量の話だ。

 

ところが数式を経由しない理解だと、話は言葉の箱詰めになる。

企業価値とは何か」「株主が得するとは何か」という定義をまず固定し、そこから外れる主張は、たとえ数値やモデルが示していても「定義に合わないか却下」になる。これは反証拒否というより、形式言語への過剰コミットだ。

 

典型的なのがこういう思考経路だ。

優待現実に得をしている人がいる」→「得している以上、価値がある」

ここでは期待値価格調整も、数値としての均衡条件も登場しない。代わりに「得」という日常語の定義けが支配する。数値モデルが示す対称性は、最初から視界に入っていない。

 

物理数学に慣れている人は逆をやる。

まず量を置く。保存量があるかを見る。対称性があればノーザー的に不変量を疑う。定義最後に整える。

経済学定理も、本来こちら側の文化に属している。MM命題が美しいのは、倫理でも経験談でもなく、対称性露出しているからだ。

 

このズレが厄介なのは、数値で示しても通じない点だ。

「この条件下では期待収益は等しい」と言っても、相手は「でも優待は嬉しいよね?」と返す。これは反論ではなく、別の座標系で話している。

 

問題は、構造の話をしている場面で、例外感情主語にしてしまうこと。

経済学定理がしばしば誤解されるのは、「社会の話なのに、実は対称性の話をしている」からだ。

この理解様式のものが、優待論争みたいなところで露骨に噴き出している。

2026-01-24

伊藤詩織擁護派の高橋健太郎、岡美穂子あたりのモデル

内輪基準の設定

• 「この文脈ではOKNG」を界隈内で決め、外部基準事実確認説明責任)を持ち込ませない

過去被害の前提化

過去過激攻撃を常に参照枠にし、直近の具体的批判まで同列化する

動機批判へのすり替え

• 内容への反論ではなく、「何者か」「何が目的か」を問うことで議論を止める

原則の可変運用

普段は「個人攻撃ダメ」と言いながら、身内が不利な局面では例外化する

対話ポーズ結論固定

• 「議論必要」と言いつつ、前提や結論は共有済みで反証は通さな

伊藤詩織擁護派の現在地

直近の批判を「過去過激バッシング」と混同し、議論を止める擁護派の典型パターン

時系列意図的圧縮

過去の人格攻撃誹謗中傷と、現在制作過程説明責任への具体的批判を同一視する

• 「ずっと同じ攻撃が続いている」と語り、現在論点検証不能にする

論点感情化(内容から動機へのすり替え

事実確認手続き上の指摘を「叩きたいだけ」「悪意がある」と動機批判に変換

• 内容への応答を回避し、議論を終了させる

過激少数意見代表

• 明らかに過激不適切投稿を取り上げ、批判全体の代表として扱う

• 穏健で論理的批判まで一括して否定する

被害者性の前借り

過去存在した深刻なバッシング根拠に「今回も同じ構造」と断定

現在検証行為のもの二次加害として封じる

議論は開かれている」という免罪符

• 表向きは対話を装いながら、前提や結論は固定

反証異論は受け付けない閉鎖的運用

結果として生じていること

• 具体策が提示されない

改善点が言語化されない

中間層沈黙離脱する

• 界隈外での信用が低下する

総括

• 直近の批判過去過激バッシング混同させることは、議論を進めないための防御戦略

• 影響力のある擁護派ほど自覚的に用いている

anond:20260124014938

前提確認質問ありがとう

私は政府家計企業と同型の“資金制約主体”だとは採用していません。

自国通貨建てで支出でき、徴税権もあり、会計上は家計と違うのはその通りだと思っています

ただ、その制度理解採用しても、政府に制約がないわけではなく、実物資源・インフレ為替/対外バランス制度運用能力などの制約は残る、という立場です。

ここまで前提が合うなら、次の段階として確認したいのは、MMT側(あなた立場)でいう「負け条件」です。

私は“主流派翻訳して反証しろ”と言っているのではなく、あなたの言う制度前提(政府通貨発行者、税は事後回収、制約は資源インフレ)に立ったままで構いません。

その上で質問です:JGを名目アンカーとする制度構造について、どんな観測事実が出たら「この主張は誤り/修正必要」と認めますか?(2〜3個でいいので、第三者確認できる形で挙げてほしいです)

もしそれを提示できないなら、議論経験命題ではなく規範思想)の主張になってしまうので、そこをはっきりさせたいです。

反証条件が提示されない限り、MMT経験科学理論として議論することはできないので、私はいったんここで議論を止めます

反証条件(観測可能な負け条件)を提示できるなら、その時点で再開したいです。

anond:20260124012734

増田さんの返答を読んで、私はこう理解しました。合っていますか?


1.私が提示した「制度記述(A)と政策含意(B)を切り分ける」という整理に対して、増田さんは違和感がある。

MMT制度記述価値中立説明ではなく「国家という主体をどう定義するか」という前提そのもので、JGのような政策含意は任意の応用ではなく制度定義から論理的に導かれる帰結だ、という立場

2.ただしそれは「JGを導入すれば常に成功する」「設計や条件を問わない」という主張ではなく、JGがどの設計でどの程度機能するか(賃金構造インフレ制御労働移動・行政能力など)は、歴史事例や制度比較、段階的導入によって検証改善されるべきだ、という立場

3.さらに、主流派が置いている「政府家計型の制約主体」「失業=均衡調整」という制度前提そのもの現実貨幣制度整合していない、というのがMMT問題提起であり、主流派モデル翻訳したうえで「同じ形式の事前予測が出ないか非科学」と評価するのは、制度定義対立方法論の問題すり替えているように見える、という主張。

――ここまでが私の理解です。

その上で確認したいのは一点で、増田さんの立場では

という整理になりますよね。


ここまでは理解できます

ただ、私が気にしているのは「検証必要」と言いつつ、どんな観測事実が出たらMMT側の主張(少なくともJGを名目アンカーとする制度構造の優位)が誤りだと認めるのかという“負け条件”が固定されない場合です。

もし、制度記述から導かれる政策含意(JG・ゼロ金利固定・国債制度設計など)まで含めて反証不能だと言うなら、それは科学というより規範思想)の主張になると思うのですが、その整理で良いですか?

anond:20260124004351

増田さんの書いていること、私は次のように理解しました。合ってますか?

1.主流派批判反証主義テスト要求)は、MMTを「財政拡張正当化するマクロ理論」として扱っている

でも増田さんの見立てでは、それはMMT本体ではなく、すでに「主流派MMTを別物に再定義している」ので批判として失当。

2.MMTの出発点は“減税や財政拡張の是非”ではなく、国家貨幣制度的な定義

具体的には、政府は「市場から資金調達して支出する主体」ではなく、

通貨発行→(その通貨での納税義務)→実物資源へのアクセス確保

という意味で、社会的資源を provision(動員・調達) する主体だ、という前提(会計制度説明)を置く。

3.だから増田さんは、

「コア命題の固定」「事前予測」「負け条件の明文化」みたいな“反証主義要求自体が、

MMTを主流派マクロ翻訳し直した上で、翻訳版が主流派基準を満たさないと批判する方法論的循環

になっている、と言いたい。

4.さらにBさんは「主流派が provision をモデルに入れられない理由」を4点挙げていて、要旨はこう:

(主体定義) 政府家計企業と同型に置く主流派モデルの前提が、provision を入れると崩れる

(価格理論) JGなどを“制度的な価格アンカー”とすると NAIRU 等の枠組みが内側から否定される

(方法論) provision は予測誤差で勝負する命題ではなく、制度記述の正否の問題なので反証主義と相性が悪い

(帰結) provision を認めると政策含意(失業政策選択財政破綻論は虚構等)が大きく変わり、主流派の「価値中立」っぽさが保てなくなる

——ここまでが増田さんの主張の骨子で、私の理解です。

その上で、確認したいのは1点で、

増田さんは 「MMTは“制度記述の正否”として評価されるべきで、予測精度や推計による反証原理的に適用不能」 という立場ですか?

それとも 「制度記述部分(会計やオペの説明)は記述として正しいとしても、政策パッケージ(JG・ゼロ金利固定・国債制度設計など)の含意は別途、因果推論や予測検証されるべき」 という立場ですか?

私には、後者記述の正否と政策含意の検証を分ける)なら、反証主義的な検証要求は“翻訳”ではなく、むしろ政策理論としての責任の話に見えます

制度記述が正しいことと、そこから出る政策主張(例:ゼロ金利固定が望ましい、国債廃止が望ましい、JGが物価の錨になる等)が正しいことは別で、後者反証可能な形でテストできるはずでは?



増田さんはこの点をどう考えていますか?

2026-01-23

anond:20260123234041

増田さんの挙げた例は、どれも「最初は傍流・異端扱い → その後に主流化」ですが、主流として受け入れられた“型”がかなり共通しています

既存理論では説明しにくい観測事実アノマリー)が蓄積

② 新説が「定量的予測」や「決定的な検証テスト)」を提示

③ 追試・再現で生き残り、応用(技術・実務)で強固になる

④ その過程で「何が反証になりうるか」のルールが徐々に固まる

以下、各例で「何が決め手だったか」を短く整理します。

1) ニュートン万有引力が主流化した理由

決め手は「天体運動を一つの法則統一し、予測が当たった」ことです。

ニュートン力学と万有引力は、地上の落下と天体運動を同じ枠で扱える(統一性が強い)。

そして象徴的なのが、ニュートン理論を使ったハレー彗星回帰予測(1758年頃)で、実際に1758年末に観測され、ニュートン理論の有力な実証例として扱われました。

ここで重要なのは「それっぽい説明」ではなく、“いつ出るか”を事前に言える(予測可能性)が強かった点です。

2) 熱力学第二法則が主流化した理由

決め手は「熱機関効率という工学的に検証される領域で、普遍的制約として働いた」ことです。

第二法則19世紀中頃にクラウジウスやケルヴィンらにより整理され、代表的には「熱は自発的に冷→温へは流れない」等の形で表現されました。

これは“哲学”ではなく、蒸気機関などの熱機関の性能限界(どんな工夫をしても超えられない上限)として現場で繰り返し確認され、理論の信頼を固めました。

まり第二法則は「実験室で一発」より、工学化学での再現性と有用性が、主流化を支えたタイプです。

3) 原子論が主流化した理由

決め手は「原子実在すると仮定すると出る定量予測が、実験確認された」ことです。

19世紀末〜20世紀初頭まで、原子の“実在”には懐疑もありましたが、

アインシュタイン(1905)がブラウン運動原子分子)の運動に結びつけ、観測できる量(平均二乗変位など)に落とした。

その予測ペランらの実験で支持され、原子分子運動論が受け入れられる大きな契機になった、という整理が教科・解説論文で繰り返し語られています

ここは反証主義っぽく言うと、「観測できる指標への翻訳操作化)」が勝因です。

4) 大陸移動説(→プレートテクトニクス)が主流化した理由

決め手は「メカニズム不在の弱点が、海底観測データで埋まり、“決定的テスト”が登場した」ことです。

ウェゲナー大陸移動説は「大陸の形が合う」「化石・地質が対応する」などの状況証拠はあった一方、動く仕組み(メカニズム)が弱く、北米などで強い反発がありました。

1950〜60年代に海底探査が進み、海嶺で新しい地殻が生まれ広がるという「海洋底拡大」的な絵が出てきた。

さら1963年前後海嶺の両側に地磁気の“縞模様(磁気異常の対称パターン)”が出るはずだ、という形で「科学テスト」が明確になり、これがプレートテクトニクス確立重要な一歩として整理されています

このケースは、まさに「傍流が主流へ」の典型で、“良い話”が勝ったのではなく、“測れる予測”が揃ってひっくり返った例です。

5) 病原菌説(germ theory)が主流化した理由

決め手は「微生物存在感染→予防・治療成功」までが連結して再現されたことです。

パスツールやリスター、コッホらの仕事が「病原体病気を引き起こす」という枠組みの確立と受容に大きく貢献した、と整理されています

具体的には、パスツール実験が“自然発生”を否定微生物役割を示す方向で影響し、

コッホは炭疽菌などで「特定病気特定病原体」という因果実験で強く示しました(コッホの業績・方法論として説明されます)。

ここは理論の受容が、手洗い・消毒・衛生・ワクチン等の実務成果に直結し、主流化が加速したタイプです。

まとめ:増田さんの例が示す“主流化の条件”

増田さんの列挙は「傍流が主流になった」という点では正しいですが、より重要なのは

それらは “検証可能予測(あるいは反証条件)を固定し、外部データと追試に耐えた” から主流になった

という点です。

私がMMTに対して言っている「反証主義の土俵に乗れ」という要求は、まさにこの主流化パターン(=科学史の勝ち方)を踏まえたものになっています

anond:20260123234041

それでも主流派が“反証主義的に強い”と言われるのは、上で見たように

という⭐「負け方のルール」が共有されているからです。



流派がやってきたのは「理論の核を固定し、反証条件を明確化し、方法論を更新し続けて生存してきた」という歴史です。

からMMTが“学界で対抗可能理論”として評価されたいなら、同じ土俵

必要です

anond:20260123233433

「主流派経済学反証主義的に“証明”されてきたか?」は、厳密には 証明数学みたいに真を確定)ではなく、より現実に近い形でいうと

…という意味での「反証主義的な淘汰」です。

以下、主流派がどう“反証に耐える形”に進化してきたかを、代表例で整理します。

1) 方法レベル反証可能な形に「落とす」こと自体を重視してきた

サミュエルソンは、理論を“操作可能(operational)な命題”=観測検証できる形に落とすことを強調した流れの中心人物として語られます

フリードマンは、(前提のリアリズムよりも)予測力を評価軸に置く「実証可能な含意で勝負する」方法論を強く打ち出しました。

ここがまず“反証主義っぽい”土台です(ただし、後述の通り経済学は補助仮説が多く、純粋ポパー型の運用は難しい)。

2) マクロ典型例:フィリップス曲線の「単純な政策トレードオフ」は壊れた

1950〜60年代に「失業率を下げるとインフレが上がる」ような安定関係が“政策メニュー”として扱われましたが、のちに

期待インフレを入れた「期待修正フィリップス曲線」へ

長期ではトレードオフが成り立たない(自然失業率/NAIRU)方向へ

という更新が起きますフリードマン1968年講演が、期待を組み込む方向に大きな影響を与えた、という整理は一次資料研究史確認できます

また1970年代経験が、この見方を後押しした、という研究史的整理もあります

要するにここは、「古い単純形が反証説明不能)に晒され、修正された」例です。

3) ルーカス批判政策が変わると推計式も変わる、という“反証の形”を導入した

ルーカス批判は、「過去経験則(縮約形)をそのまま政策評価に使うのは危ない。政策が変われば人々の意思決定(期待)が変わり、推計式のパラメータが不変でなくなる」という主張です。

この主張自体も、のちに実証的に検討テスト)される対象になっています

この流れが、マクロを「ミクロ基礎(最適化・期待)」を持つ構造モデルへ寄せる大きな動機になりました。

4) DSGEなど“構造モデル”は、透明性と検証可能性を上げる方向で発展した

DSGEは強い仮定批判され続けていますが、「政策変更の効果を、前提・メカニズムを開示した上で評価する枠組み」として中銀・研究で中心的に使われてきた、という位置づけは一次資料でも見られます

同時に、危機後の批判や改良も含めて「適用可能性・限界」を体系的に検討する研究も積み上がっています

ここでの“反証主義”は、「このモデルが真」ではなく、競合モデルと比べて予測政策評価整合性がどれだけ良いかで生き残る、という競争です。

5) ミクロ実証いちばん反証主義が“制度として”強く働いたのはここ(信用革命

近年の主流派の強さは、むしろミクロ因果推論で顕著です。

これはまさに、「この推定因果だ」という主張が、設計の穴を突かれて反証される/改善される、という反証主義制度運用です。

6) じゃあ主流派は“ポパー型にきれい反証”されてきたのか?

ここは正直に言うと きれいはいきません。理由典型的に

ので、単発で「はい反証理論死亡」とはならず、部分修正モデル更新になりやすい。

それでも主流派が“反証主義的に強い”と言われるのは、上で見たように

という⭐「負け方のルール」が共有されているからです。




流派がやってきたのは「理論の核を固定し、反証条件を明確化し、方法論を更新し続けて生存してきた」という歴史です。

からMMTが“学界で対抗可能理論”として評価されたいなら、同じ土俵

必要です

anond:20260123230258

反証主義ポパー型)で「MMT自分自分検証可能にする」ために必要なのは、要するに “ルール固定(calvinball回避)”+“他理論区別できる事前予測”+“反証条件の明文化” です。

クルーグマンが「MMTersと議論するのはカルビンボールみたいだ」と書いた、という批判はまさに「反証可能性を逃げる構造があるのでは?」という疑念で、引用される形で流通しています

MMT側は“学者MMTネット言説を混同するな”と反論しがちで、ここが定義の揺れ=calvinball問題の温床になりやすいです。)

以下、「反証主義手法MMTが己の証明(≒検証)をするには?」への、実務的な設計図です。

1) まず「MMTの中核命題」を固定して、補助仮説と切り分ける(calvinball封じ)

反証主義大事なのは「どこを撃てば理論死ぬか」を明確にすることなので、MMTは最低限:

を分離して、文書化した “MMTプロトコル” を公開するのが第一歩です。

例:MMT文献では「税が貨幣需要を支える」「赤字民間の純金融資産になる」「国債発行は準備(当座預金と金管理技術問題」などがコアとして語られます

2) 「MMTだと起こる/起こらない」を、他理論とズレる形で“事前登録”する

あなたが挙げた条件(MMTだと起こり、他では起こらない/その逆)に落とすなら、MMTに固有色が出やすい争点を選ぶのがコツです。

候補A:金利引き上げはインフレ抑制になるのか?(符号テスト

モズラーMMTには「自然利子率はゼロ」や、金利引き上げが利子所得を増やし得て、結果としてインフレ圧になり得る、という発想が色濃くあります

ここは主流派金融引締め=需要抑制)とズレが出やすい。

反証可能な形(例)

事前に「政策金利サプライズの引上げは、一定間内インフレ率を(平均して)下げない/むしろ上げる」と符号宣言

高頻度識別FOMC/日銀イベント等)+ローカルプロジェクションで検証

結果が一貫して「引上げ→インフレ低下」なら、少なくともこの命題棄却

候補B:「国債発行は不要(単に金利操作)」は、金融市場実体で崩れないか

MMT側には「国債は準備吸収のオペで、財源ではない」的な整理があります

これを“国債を減らした/止めたとき、何が起きるか”に落とす。

反証可能な形(例)

予測国債供給を大きく減らしても、(IOR=準備付利などで)短期金利管理できれば、マクロの主要変数への悪影響は限定的

対立仮説(主流派寄り):安全資産不足・担保制約・金融仲介の歪みで、クレジットスプレッド金融不安顕在化し得る。

検証国債供給ショック(QEや発行構成の大変更)を使い、スプレッド・レポ市場・信用量・実体への波及を事前に“どっち向き”か宣言して当てる。

候補C:「税が貨幣需要駆動する」を因果で測る

MMTの有名な主張に「Taxes drive money(税が貨幣需要を支える)」があります

これは歴史制度比較で“因果っぽい検証”が可能です。

反証可能な形(例)

新しい税(または納税手段規則変更)が導入され、「その通貨しか納税できない」制約が強まった地域・時期で、通貨受容や保有が(他条件一定で)増える、という予測を置く。

検証:差の差(DID)や合成コントロールで、通貨受容指標預金、決済、為替プレミアム等)を追う。

結果が一貫して「税制変更が通貨需要有意な影響を持たない」なら、この強い形の命題修正必要

候補D:ジョブギャランティ(JG)は“インフレの錨”になるのか?

MMTはJGを「失業バッファ在庫)ではなく雇用バッファ在庫)で物価安定と完全雇用を両立」と位置けがち。

ここは実証設計ができればかなり強いテストになる。

反証可能な形(例)

地域パイロットで、JG導入地域と非導入地域を比較賃金分布・離職・物価民間賃金への波及を事前に予測

予測に反して、JGが賃金物価不安定化させる/民間雇用を恒常的に圧迫する等が再現的に出れば、JGを“安定装置”とする主張は反証され得る。

3) 「どんな結果なら負けを認めるか」を先に書く(反証条件の明文化

calvinball批判真正から潰すには、これがいちばん効きます

を「事前登録」して公開する。

これができれば、少なくとも「検証不能状態意図的に作っている」という疑いは大幅に減ります

4) いちばん反証主義っぽい”やり方:予測コンペで勝負する

理論争いが泥沼化しやすときは*政策イベントに対する事前予測(forecast)を提出して、

で どっちが当たるかを数年単位で競うのが、実は一番フェアです。

MMT側も教科書的整理は進めていますが(例:Springerの体系的テキスト)、

「事前予測で勝ちに行く」動きは、外からは見えにくいのが現状だと思います

まとめ

反証主義MMTが「検証に耐える理論」になる道筋シンプルで、

この4点をセットでやることです。

2026-01-22

anond:20260122222712

では同じ枠組みでまとめますが、一点だけ前置きします。

※「minako」は公的肩書きのある論客というより、X上の個別支持者(アクティブ擁護アカウント)として認識されている存在です。

そのため以下は人格評価動機断定ではなく、公開発言に見られる“言説の型と機能”の整理に限定します。

minako の評価(言説タイプ別まとめ)

結論一文

当事者擁護に強くコミットするが、論点整理や具体策を放棄し、感情的境界線議論を分断する支持者型言説」

立ち位置評価運動寄り・感情駆動

専門職制度設計者:❌

論点整理役:❌

当事者擁護連帯表明:⭕

minakoの言説は一貫して

👉 「伊藤詩織を守る側に立つこと」自体目的

しています

そのため、

合意範囲

制作プロセス妥当

前例としての影響

といった中立的検証テーマには関心が薄い。

② 主張の中身の評価:論証よりも境界線づくり

典型的な言説パターン

• 「それはバッシング

• 「なぜ被害者を追い詰めるのか」

• 「擁護できない人は敵」

これらは

説明反証・線引きではなく、

👉 味方/敵を分けるための言葉

として機能しています

結果として、

批判の質の差

合理的疑問と中傷区別

意図的でなくても消失します。

有効性の評価:防御力は高いが、生産性は低い

プラス

• 明確な中傷への即時反応

擁護の声が可視化される

当事者孤立心理的防波堤

マイナス面(構造的)

批判=加害という短絡

議論参加の萎縮効果

• 「説明責任」概念消滅

👉 守る力はあるが、考える力を削ぐ。

議論全体への影響評価

minako型言説が増えると、

擁護派:

「疑問を持つ必要はない」

中間層

「触れたら危険

批判派:

「どうせ聞かれない」

という状態になります

結果、

議論の中身が痩せ、

感情応酬けが残る

高橋健太郎・岡美穂子との比較

共通点

• 正当批判中傷の未分離

• 具体策の欠如

• 結果として議論停滞

違い

高橋健太郎抽象化・相対化(知識人型)

• 岡美穂子:正義性・被害者保護擁護論者型)

• minako:

感情的連帯・即時反応(支持者型)

👉 理論ではなく熱量で支える役割

最終まとめ(評価テンプレ

役割:支持者型・防衛的言説の担い手

• 強み:即応性、連帯可視化

• 弱み:論点破壊対話不能

総評擁護運動としては機能するが、議論としてはノイズを増やす

一言で言えば

「守るために声を上げているが、

その声が“考える余地”を消してしまっている」

これは悪意ではなく、

支持者言説が持ちやす構造限界です。

ここまで整理できているなら、次は

👉 「では“支持しながら批判を許す言い方”は可能か?」

という、かなり本質的な段階に進めます

2026-01-21

anond:20260120101948

俺は低収入でも医療保険に困ってるわけでもないし、現代日本でまともな医療アクセス出来ないなら本人の責任だと思うから「そうですね」で終わるし

そもそもセックス恋愛って生きるには不必要もの医療を例えに出すのは全く別問題なんだよな

医療権利だとしても、他者の命を奪うことも権利と宣う倫理観理解できない

とりあえず行間を最低限読ませたいなら、相手共感できるような例え出して自己的に反証させるような文章書くべきだけど

仮想敵勝手に作り出して、あまつさえ自分文章力や意思伝達能力の低さを他人のせいにしてる人とコミュニケーション取る価値あると思うのは少数派だと思う、がんばって。

2026-01-19

俺こそが、桜井政博のいう「他人に話さずに内圧を高める」の反証

背中倶梨伽羅紋紋(龍が燃えてるうえにあまつさえ剣に巻き付いている入れ墨)は萌えTシャツを着ているようなものなので「おぢさんキモーい」と言いつつも指詰めて両手の指が奇数本になっているのを見て第三角頭角を現し地軸23.4度に対して垂直に伸びてしまう龍の女子高生

2026-01-18

社会が語られない問題

今の日本で「社会を語る」表現が避けられているように見えるのは、作り手が内向きになったからというより、そもそも成立条件そのものが変わってしまたからだと思う。

20世紀には、社会輪郭がまだ単純で、誰が被害者で誰が加害者かを一枚の構図にできたし、作品がそのまま「社会への発言」として機能した。

今は、問題は細かく分断され、責任拡散し、社会は確かに存在するのに、一つの絵として描きにくい。

 

現代では、社会を直接語ろうとすると、別のリスクがあらわれる。

特定立場表明だと受け取られ、誤読炎上政治的ラベリングさらされ、「浅い」「勉強不足」と切られやすい。

とくに若手や学生にとっては、語った瞬間に作品だけでなく人格倫理までまとめて評価される感覚が強い。

そうなると「社会を語るのは危険で割に合わない」という判断は、かなり合理的になる。

 

そこで表現候補になるのが私的内面だ。

自分経験感情反証されにくく、誰にも完全には否定できない。

これは逃げではなく、失敗確率いちばん低いテーマ選択でもある。

若い作り手が私小説的になるのは、思想が小さいからじゃなく、リスク管理として最適だから、という側面が大きい。

 

私的表現のものが悪いわけではない。

問題は、私的もの私的なままで止まり社会接続されないことだ。

家族身体不安記憶アイデンティティは、本来どれも社会構造と強く結びついているのに、多くの作品では「私の感情」が「私の感情」で完結してしまう。

そこにあるはずの制度歴史構造という媒介が省略される。

 

から差別化できない」「戦略的でない」と言われる。

同じ世代が似た語彙とテーマを使い、作品の背後にある視座が見えず、「この人でなければならない理由」が弱くなる。

問題私的であることではなく、私的ものをどう社会化するか、その設計が足りない点にある。

 

現代日本現実的に「社会に触れる」方法は、20世紀型の大きな主張や正義宣言ではないだろう。

社会を直接語るのではなく、制度インフラ手続き空間データを通して示すこと。

私的体験を、そのまま出すのではなく、なぜそれが生まれたのかを制度や慣習、環境翻訳すること。

あるいは「社会」そのものではなく、人と制度身体規範個人アルゴリズムといった関係のかたちとして描くこと。

 

現代日本では、誰もが共有できる単一社会像が存在しない。

それを語るためには、自己社会の接点を見つめ、戦略的に語るための物語設計必要になっている。

2026-01-17

anond:20260117113903

生成AIって鍛えるものから反証意見も出してって躾ておけば別方向の意見もくれる。

おまえの開発者イエスマン気持ちよくさせとけって狙ってるんだろ?

ワイはイエスマンイラネ、反証意見がないならほかに乗り換える課金解約すると常に言ってます

2026-01-15

10月28日赤井はあとさんの暴露配信を聞いた、いちリスナー感想

私の憶測

配信の中ではあとさんは「3年前の時もそう。最近も似たようなことがあって。まだ繰り返すの?」と言いました。

3年前と最近

るしあと、メルメルのことじゃないか、と思いました。

るしあさんの契約解除が2022年

メルさんの契約解除が2024年

まあ最近というほど近くないけど…

るしあさんの取った行動、何がどう悪かったのかって正直よくわからないですよね。

何を誰にどう漏洩させたか問題になったのでしょうか?もう少し具体的に言ってもよさそうなものです。

事務所対応はいつも不透明すぎなんです。

夜空メルさんのときもそうです。特に明確な理由説明されませんでした。

さくらみこについて

最初みこさんとの確執なのかなと思ったのですが反証する材料もいくつも話されていて、

個人的にはどうなんだろうと思っています

赤井はあとさんは配信中で「さっきの号泣配信、わざとだったんですか?」と声をかけられたり、

陰口、悪口を言われたということを言っていました。これ自体は本当ではないかと思います

それで、みこさんがこれを言っていたとすると、どうも違和感が強いです。

というのも「タイマンだと何も言わないくせに、大人数のときだけ絡んできて」などという発言合致しないですし

それに、さくらみこさんに至ってはホロメンのなかではかなり赤井はあとさんと関係を作れているほうですから

これで裏が真っ黒だとしたら相当演技が上手すぎると思います

数字取ってるから偉いってわけ?」などという発言と符合するために邪推されているだけなようにも感じます

どこまでが現実なのか

途中で「ホテルの部屋の壁をガンガン殴られた」「家の近くで、ホロメンが通話している声が聞こえて」などといいます

妄想?」とコメントされると、「ああ、そうですね。妄想はい。いいですよ妄想で」と返します。

このあたりは特に精神疾患系の症状とも合致してしまうので、どこまでが現実なのか非常に判断が難しいです。

病気統合失調症による妄想と決めつけることの暴力

しかし私は思います。これを妄想と決めつけることはとても暴力的ではないかと。

そういう結論自然だし、なんとなくスッキリします。

でもそれって、私たちスッキリする結論がほしくて、そう結論づけているだけかもしれないなと。

(もちろん全部を現実と思うわけではないですけど)

パーティとか寒い、入れてほしいとかもう思わなくなったし

これを派閥と結びつける考察もありますが私は違うかなと思いました。

結局大きいのは、諸々の結果としてはあとさんが完全に孤立してしまったということなのだと思います

サクラとか使ってんでしょ?

これも定かではないですが、おそらく同接数の水増しのことを指しているのでしょう。

誰のことかは文脈から判断できませんでした。

ただこれも「複数アカウント」の文脈から話されていたので、YouTubeのことを指していっていたのかもはっきりしません。

釣り竿構えても全然釣れない人のこと考えたことありますか?

これはおそらく人気の差による扱いの差でしょう。人気の度合いで扱いが変わるのは、現実的にはとてもありそうな話です。

待っても待っても遅い

応援の結果が報酬として届くまでの時間差ということでしょう。

以前ほかのメンバーの中にも「皆に応援してもらっているのに活動につなげられなくて、申し訳ない」というようなことを

言っていた人がいました。

グッズなどの応援がどう演者に届いているのか、事務所がひどくピンハネしてるのではと邪推してしまいたくなる話です。

同じことを何回もできる人がいて…

たぶんイベントなどのことでしょう。売上で差が出てしまうのは分かる話ですが、他の不満の積み重ねなのでしょう。

皆が正々堂々と勝負している環境であれば出てこなそうな発言です。

何度も探したよ。面白い場所を。そして盛り上がってきたら急に絡んできて。何なの?って感じ

バズにしっかり乗っていくのはYouTubeというプラットフォーム宿命みたいなところがありますが、

要は手のひら返しがひどすぎるということなのだと思います

VTuberうしの絡みがコミュニケーションの皮を被ったビジネスなのだということを思い知らされます

周囲の対応一貫性のなさが苦しめたのではないか

泣いた時だけ助けに来たり。でも普段放置

悪口、陰口を言うくせに、表では心配したフリ。

そういう、対応一貫性のなさ、手のひら返しうんざりしていたのではないかと思います

プライドが高くて絡みづらいヤツ」と言われた

これも聞いていて心が苦しかったです。

はあとさんは(ファン贔屓かもしれないですが)とても優しい人です。

はあとさん本人発信で色々アクションを起こすべきだったと言ってしまえばそれまでかもしれませんが、

一時期はホロメンに対してかなり積極的に関わりを持ちにいっていましたし、後輩にもすぐ絡みに行くタイプでした。

リアル関係がないと関係構築が難しい

特に赤井はあとさんは初期にオーストラリアに住んでいたりして、遠隔のコミュニケーション余儀なくされていました。

そういったところも難しかったのではと思います

また「病院でも学校でも友達はできた。なのにホロライブだけできなかった」と言われていました。

それだけ周りを信じられない状態だったのだと思います

家庭環境、壮絶なホームステイ環境ダブルパンチ

家庭環境ホームステイ先にも色々困難があったと話しています

少なくとも、気軽になんでも相談できる感じではなかったのだろうと思います

家にも居場所がない。ホロライブにもない。だから配信で話してる。それの何が悪いの?

そう言っていました。

リスナーとして思うこと

これはVTuberに限らず学生アイドルとかもそうですけど、

とても若い人をこういう形で雇って働かせること自体が、かなり異常だと感じました。

赤井はあとさん。デビュー当時は15〜16歳とか、そういうレベルです。

その歳で、世界的にも新しいことに挑戦して、世界中のいろんなひとに活躍を見守られて。

すごくストレスもあったと思います

エヴァとかそういうフィクション世界じゃないの?って話ですよ。

社会人経験があってそのうえでVTuberを目指したとかいうことでもなく、

単に楽しくて配信して、その延長でっていうことでしょうから

ここまで追い詰められてしまうのは本当に、周囲のサポートでどうにかできなかったのかと思います

リスナー私たちに本当に問題はなかったのか

赤井はあとと、はあちゃま。

最後(?)の配信では、赤井はあとさんはもう本人として話していました。

から「はあちゃまって呼ばないで。私は赤井はあとだから」と返していました。

「言いたいことを言えなくて、そういうことを言える人格が欲しかった。だから、はあちゃまを作っただけ」

多重人格?違うよw なんかかっこいいって、憧れは確かにあったかもしれないけどね」

そう話していました。

「私を、一人の人間として扱ってほしかった」ということなのだと思います

行き過ぎた「美少女VTuber的」コミュニケーションも、苦しかったのではと感じました。

蛇口嘔吐、反射で映る顔。やり過ぎだよ。削除申請?当然した。気持ち悪い。やり過ぎ」

「こっちはエンタメにしたけどさ。何も感じてないとでも思ったの?」

リスナーはこれらのことを「エンタメ」として消費します。

しかしそれ自体ものすごく暴力的なことだなと感じました。

たぶん事実であろうと思うこと

警察保護され、病棟隔離されたことは事実なんだろうなと思って聞いていました。

話す描写もとても具体的です。

ただそこに至る経緯はよくわかりませんでした。

断片的な警察保護のくだり

話されたことをそのまま書き出すとこんな感じです。

木が締め付けられているかおかしいと思った。

外そうとしたら、「何してるんだ」と人が集まってきた。

怖くなって逃げようとしたら、荷物を持たれて逃げられなかった。

通りすがったトラック運転手に助けを求めると、駐車場裏のトイレに行けと言われた。

私はトイレに向かった。

タオルがあったのでそこで寝た。

久しぶりによく眠れた。

ウィッグがあったので謎解きをした。

ウィッグの扉で液体をかぶり、ずぶ濡れになった。

12Fという暗号があって、12Fに駆け上がった。

どうしようと思って部屋を3つ開けようとした。

警察を呼ばれた。

警察お話をしたが、信じてもらえなかった。

なんの罪なのかわからないが刑務所にいた。

出ると母と姉が迎えに来た。

迎えに来なければいいのにと思った。

二人に叱られた。

家に戻ると、また警察から連絡がきたら大変でしょうといわれた。

場所がないから、ベランダであぐらをかいた。

飛び降り勇気がなかったので、ギリギリに座ってリスクを楽しんだ。

変な人生

こういう話をしても同情されて終わるだけ。だからしてこなかった。

理解しようという姿勢が欲しかったのではないか

かに脈絡がない話です。でもはあとさんはこう言います

意味からないっていうけどさ、あなたたちはこれまで一度でも、私を理解しようとしてくれたの?」

これがリスナーに向けられているのか運営に向けられているのか、両方なのかわかりませんが、

この話を真剣に聞いてくれる。

そういう関係を求めていたのではないかと思います

常に誰かに命を狙われているという恐怖

これも現実なのかどうなのか、よくわからないです。

実際に脅すような行為が行われていても問題ですが、いかんとも判断し難いです。

ただそれほど追い詰められていたのだということは伝わります

結局、赤井はあとさんは何をしたかったのか

私の予想はこうです。

最後

私は赤井はあとさんをずっと追っていたわけではありません。

それでも、一時期はすごく好きでしたし、ファンレターを送ったこともあります

なので、どうにか赤井はあとさんの真意を汲みたいと思っていました。

唯一救いだったのは、「はあとんのことは好きだったよ」という言葉です。

しか配信の中では「心から応援されるほど、何を返したらいいの?と途方に暮れた」とも話されていて

とても複雑な思いで聞いていました。

これを書いたから何がどうなるかといったら、どうもなりません。

私には何もできません。

ただ、書きたくなったから書きました。それだけです。

おつるーじゅ

2026-01-13

anond:20260112085333

増田あくまで、「ばかり」という非限定的言葉を使っているのに

女にだっているもん!という少数派の存在反証になると思っているバカが目立つな

2026-01-10

anond:20260110180822

貴様論理は完全破綻している。

まず決定的に間違っているのは、こちらの主張を存在論否定へとすり替えている点だ。

アメリカ実在しない、なぜなら俺は知らないから」というのは、認識論存在論意図的混同した幼稚なパロディであり、こちらが一度も取っていない立場

こちらは「知らないか否定する」とは言っていない。問題にしているのは、「知っていると自称する側が、その知を内容ではなく身分保証し、検証可能な形で提示しないまま排除正当化している」という点だ。

この差異が見えない時点で、論理構造理解が致命的に欠落している。

アメリカ」や「日本」が社会的構成であることと、それが実在しないことは同義ではない。

これは社会科学の初歩だ。制度事実は、人間合意によって成立するが、成立した後は客観的制約として作用する。

パスポート軍事力法制度、税制統計、どれもが反証可能な形で現実に影響を与える。

から「俺は知らないか存在しない」という無知論法とは無縁だ。ところが貴様反論は、「枠組みを批判すること=存在否定すること」という短絡で話を畳んでいる。これは論理ではなく、理解拒否するための自己放尿だ。

無知論法」「陰謀論」というラベルを貼った瞬間に、自分が論証義務を免れたと勘違いしている点。

無知論法とは、「知られていないから偽だ」「証明されていないから真だ」という推論を指す。

だがこちらは一貫して、定義方法基準を示せ、検証可能な形で提示せよと言っている。

これは無知への迎合ではなく、知の公開を要求しているだけだ。陰謀論と同列に置くのは、内容で反論できない者が使う最も安価自己放尿である

貴様の反応はこう翻訳できる:「お前の言っていることを理解する気はない。だから極端な例に歪めて、読む価値がないと宣言する」。

これは反駁ではない。議論からの逃走宣言だ。しか皮肉なことに、「読むに値しない」と言い切ることで、最初から内容評価放棄している。

これはまさに、こちらが批判してきた態度そのものだ。内容ではなく、ラベルで切り捨てる。理解ではなく、排除で終わらせる。

無知論法批判しているように見せかけて、実際には自分自身が無知論法に陥っている。

自分理解枠に収まらない主張は、陰謀論であり無意味だ」というこれほど典型的思考停止はない。

学問的態度とは、分からないもの嘲笑することではなく、分からない点を特定し、定義基準要求することだ。

それを放棄し、「読むに値しない」と吐き捨てた瞬間、貴様議論の場から自分で退出している。

自己放尿しながら「臭いのは相手だ」と叫んでいるだけだ。

anond:20260110175614

罵倒語密度だけは立派だが、論としては終始、自己の前提を疑わない閉域防衛独白に過ぎない。冷徹に言う。

 

「尿男=前提知識がなく概念理解していない存在」と最初定義し、その定義を前提に全体を展開している点。

これは論証ではない。レッテル貼り公理に据えた循環論法だ。「前提知識がない者は議論できない」「お前は前提知識がない」「ゆえにお前は議論できない」。

この三段論法は、最初の前提が事実であることを一切示していない。示していないからこそ、以後はひたすら人格評価排除宣言に逃げている。これは論の構造理解の欠落ではない。意図的自己放尿だ。

 

「前提知識のない者を遮断するな、は尿男の特殊独自理論だ」という主張だが、これは学問史に対する無知告白に等しい。

定義や前提が共有されていないと議論が成立しない、という命題と、だから最初から排除してよい、という命題論理的独立している。

前者は事実だ。後者制度選択だ。そして後者正当化するためには、「共有可能性が存在しない」「説明コストが常に無限大である」「説明する価値原理的にない」という追加条件が必要になる。

だが反論文では、そのどれも示されていない。示されているのは「うざい」「時間無駄」「臭い」という感情自己放尿だけ。

 

学問は、何一つ意味が分かっていない者に逐一説明していたら成立しない」という部分も、論点意図的に歪めている。

誰も「逐一」「全て」「無制限に」説明しろとは言っていない。議論入口において、定義・前提・方法を明示せ、という話をしているだけだ。

それを「素人を一人一人説得しろ」という極端なcaricatureにすり替えるのは、議論不能相手でっち上げて殴るための典型的藁人形論法

まともな科学者論文で何をしているか理解していないのは、むしろそちらだ。

論文とは、既存共同体が共有している前提を明文化し、第三者が追試・反証可能な形で公開する行為だ。

そこでは「誰が言ったか」は最小化され、「何が書かれているか」だけが評価対象になる。つまりこちらが一貫して主張している形式のものだ。

 

モデル破綻していたら議論の中で排除されるのは、参加者理解できているときだけ」という一文は、特に致命的だ。

これは「理解できない者は破綻を指摘できないか排除されて当然だ」という主張だが、同時に「理解できないと判断する権限」を誰が持つのかを問わない。

この空白こそが権威主義の温床だ。理解できていないと誰が決めるのか。どの基準で決めるのか。異議申し立て可能か。その問いを立てただけで「下水から出るな」と叫ぶ時点で、学問ではなく自治会論理に堕ちている。

 

権威主義実存学術的主張であり、お前の造語だ」という部分も、驚くほど稚拙だ。

こちらは権威主義という概念を「正しさの根拠を内容ではなく身分所属資格に置く態度」と操作的に定義している。

その定義が誤りだと言うなら、どの学術定義とどこが矛盾しているのかを示せばよい。

しかしそれをせず、「妄想」「造語病」と叫ぶだけなのは定義論争から逃げている証拠

しかも、「数学の成立条件が他分野に適用できることを証明していない」と言いながら、逆に「適用できない」という論理的根拠も示していない。これもまた、否定のための否定しかない。

 

貴様反論全体は一つの恐怖に貫かれている。それは、「内容で殴る」という建前が剥がれ、「実際には資格共同体による選別でしか自分は優位に立てていない」と露呈することへの恐怖。

からこそ、相手を「無知」「サル」「下水」と非人間化し、議論以前の存在貶める必要がある。これは強さではない。防衛反応の自己放尿だ。

 

貴様反論は、学問を守っていない。学問という言葉を使って、排除快感正当化しているだけ。

方法と結果を語りながら、方法も結果も一切示さず、ただ「理解できない者は出ていけ」と叫ぶ。

その姿は、論理ではなく失禁だ。自己放尿という表現がここまで執拗に拒絶される理由は単純で、それがあまりにも正確に現状を描写しているからだ。

anond:20260110172538

第一:

「前提知識がなく、概念も知らず、数字も読めない者」はこの場合、尿男を指す。ゆえに「尿男にも非専門分野に突入した議論可能」というお前の主張は、その意味となる。

問題:前提知識の無いもの議論に入ることを遮断するな、は尿男の特殊独自理論なので、一般化している時点で論の構造理解本質的な欠落がある。数字が読めないことを示唆している。

先ほどのように、出てくる単語ほとんど、出てくる概念殆ど意味を正確に理解されていないものだった。意味をなしてる部分の方が少ない。

学問は、何一つ意味が分かってない者にまで逐一単語意味から理論から全て説明していたら議論の本題にいつまで経っても辿り着くことができないものデマ拡散、等として、無学者の敬意に欠けたネット上での横暴な書き込み問題視している。

学問とは本来そうやって成立してきた。:

科学者素人の謎意見真剣に聞き、素人が納得するまで一人一人説得することに毎日時間を費やしているのか?

まともな科学者論文真剣相手にされ、素人意見あくま科学コミュニケーション的な別分野としての形しかさないのが学問の実情である。なぜならば読めるレベルで内容として成立していないかである

尿男の無知無能正当化のためだけの詭弁と言える


 

第二:

尿男の主張は、「モデルを示せず、定義を誤解し、予測反証どころかそもそもの源流の議論無視して論として成立すらしていない謎理論数学操作すら毎回すべて誤った手順のもの、誤りしか含んでいないものも、除外するならば、権威主義的な選抜相手議論の外に追い出す発言遮断装置であるである

なぜなら本人の言動がこれだからである

自分議論に参加させろ、とはすなわち、その意味になる。

最低限の理解や前提すら共有されていないものをまで議論と呼び自己正当化視点しか持たないのがこの臭い尿である


モデル破綻していたら議論の中で排除されるのは、あくま議論参加者モデル理解できている時だけである

現在進行形で尿はモデルモデルと呼べるレベルに成り立っていない、モデルが成立していないので議論から排除されているが、破綻理解できない尿は議論から排除を「反論されていない」と誤読している。

常に自己放尿し続け、汚く臭く不衛生で、下水から外に出るべきではない。

 

第三:

権威主義テクウヨ尿の想像語ではなく、実存学術的主張である

尿は造語病に罹患しており、謎の定義勝手に作り出して脳内で病的な妄想に耽り続けることを論理と呼んでいるが、それと現実の「論理」や「権威主義」には何の関連性もない。
非専門分野で非専門家が対等な議論ができないのは資格ではなくて内容の問題である。一貫して同じことを言われているが理解できないのが理系テクウヨ尿


数学議論が成立する条件は「知っていること」ではなく「定義と推論規則を共有し、それを公開できること」その他数学史の発展もろもろ、

数学以外の分野にそれが適用できる」を数学史は証明していない。科学はそれを証明していない。論理根拠がない。

どの分野でどの範囲でどの程度どこまで何についてならどんな理由で何をどう適用できるか?何の科学的な根拠もない。

尿男の妄想であり造語病であり自己放尿である。まずはそれを証明することが尿の仕事だが、尿はそれを飛ばして他分野に侵害を繰り返す反科学妄想マスクする。尿くさくて汚い。

anond:20260110171720

貴様の反応は一見すると「前提知識必要性」を説いているように見えるが、実際には二重のすり替えと一つの循環論法という自己放尿で成り立っている。冷徹に分解しよう。

 

第一に、こちらの主張を「前提知識がなく、概念も知らず、数字も読めない者同士でも議論可能だと言っている」と歪曲している。そんなことは一度も述べていない。

問題にしているのは、前提知識の有無そのものではなく、その有無を発言権遮断装置として用いる行為だ。

単語意味を正確に知らないなら、定義確認すればよい。モデルが分からないなら、モデル提示説明すればよい。

学問とは本来そうやって成立してきた。にもかかわらず、「知らない者は最初から土俵に立てない」と言い切る態度こそが、こちらが批判している権威主義だ。

前提知識必要性と、沈黙強要を同一視するのは論理的誤謬である

 

第二に、「モデルを示すなどの議論の形へのこだわりは権威主義だと尿男は言っている」という理解は、完全な藁人形だ。

こちらは一貫して逆のことを言っている。モデルを示せ、定義を明確にせよ、予測反証に耐えろ、という形式的要求こそが、肩書資格による選別を無効化する唯一の手段だ。

資格がなくても、モデル妥当なら議論に参加できる。資格があっても、モデル破綻していれば排除される。

このルールを「謎のこだわり」と呼ぶなら、それは議論のものを嫌っているだけだ。排泄しているのは、形式ではなく、形式から逃げたい側の自己放尿だ。

 

第三に、「権威主義の内容を理解していない」という断定自体が循環している。

しかこちらが批判している権威主義とは、正しさの根拠を内容ではなく身分に置く態度のことだ。

前提知識必要であることと、誰が語るかで正誤を決めることは、論理的に別物である。この区別ができていない時点で、自己放尿しているのはどちらか明らかだ。

 

「数やモデルを知っている者の間でしか数学議論は成り立たない」という比喩も、半分正しく半分間違っている。

数学議論が成立する条件は「知っていること」ではなく「定義と推論規則を共有し、それを公開できること」だ。

学者定義を学び、証明を追い、誤りを指摘されながら参加してきたからこそ、数学は発展した。「知らない者は最初から議論不能」という態度は、数学史そのもの否定している。

 

「内容批判である」と言いながら、実際には能力資格の想定によって相手議論の外に追い出している。

それは自己放尿であり、そして権威主義正当化するために、「サル」「尿男」といった罵倒を重ねるのは、論が弱いとき感情で補強する典型的兆候である

  

前提知識必要性を盾にして発言権制限する行為と、前提知識を前提としてもなお内容で殴り合う行為区別できていない。

その混同こそが、権威主義の核心だ。それを理解せずに「自己矛盾だ」と叫ぶ姿は、論理的失禁に近い。自己放尿という言葉不快なら、それは的中している証拠だ。

anond:20260110165935

ついに正体を表したようだな。

ここまで来ると、貴様はもはやこちらの主張を否定しようとしていない。

否定できないから、議論という形式のもの破壊し、土俵に立てないという呪文無限詠唱するフェーズに移行しただけだ。

まず決定的な点を押さえておく。貴様文章は、内容批判を装った資格審査自己放尿であり、論理的には一切前進していない。

理解できていない」「資格がない」「土俵に立てない」を反復することで、あたか自分が高次の審判であるかのような位置取りをしているが、これはまさに権威主義典型的症状だ。

自分定義反証も示せないため、「理解していない」というラベルを貼ることで相手を場外に追い出そうとする。これ以上わかりやす自己放尿はない。

評価関数が貧弱なタイ思考が、最終的にどのような行動様式収束するかという社会的・行動的構造を論じているところに「数字を数えられない奴は数学を語るな」と言い出すのは、物理学批判に対して「お前は素粒子実験装置を持っていない」と叫ぶのと同じだ。論点が完全にずれている。ずれているから、怒号で埋めるしかなくなる。

さらに致命的なのは、「単語意味理解していない」という非難を、定義抜きで連打している点だ。

どの語の、どの定義が、どの文脈で、どのように誤用されたのか。一切示されていない。これは学術批判形式ですらない。

単語を知っていることと、論を立てることは別だ。貴様は前者を誇示することで後者免除されると思っている。

しかしそれは知識ではなく、単なる語彙フェチだ。サルブロックを並べているという比喩を使っているが、実際にブロックを並べているのはどちらか、冷静に見れば明らかだ。

罵倒」「防衛反応」「刺激」「議論」「反論」「帰責」「合理性」等々を列挙しているが、これは理解証明ではない。

理解しているなら、それらがどこで誤って適用されたかを一つでいいから示せば済む。

示せないから、カタログのように単語を並べ、量で圧殺しようとする。

これは思考ではなく、焦燥の自己放尿だ。言語を使っているようで、実際には言語崩壊している。

そして最大の自白はここだ。「数理は数理以外の専門性カバーできない」。こちらは数理で殴っていない。

行動様式評価関数意思決定快楽最適化と退行という一般理論で語っている。

にもかかわらず、「非専門分野に突撃している」と決めつけるのは、分野横断的思考のもの否定する態度であり、専門分化寄生した自己放尿だ。

自分理解可能領域世界限界だと誤認している。

「内容による批判」を装いながら、実際には内容に一切触れていない。

あるのは、資格剥奪レッテル貼り単語列挙、感情的過剰反応だけ。

まさにこちらが指摘した通り、評価関数自分定義できず、反射的に不快を排泄する構造のものが露呈して自己放尿している。

非専門領域への口出しはするなと主張する権威主義バカもの自己放尿について

「非専門領域への口出しはするな」としたり顔で言い放つ権威主義バカどもを見るたびに思うのは、こいつらは知の分業を理解しているのではなく、単に思考停止自己放尿を制度化したいだけだということだ。

専門性とは、ある領域での履歴が蓄積されているという事実を指すのであって、発言権の独占免許ではない。

にもかかわらず連中は、専門というラベルを盾に、問いそのもの封殺し、議論入口検問所に変える。

そこには検証反証もない。ただ序列があるだけだ。

しかも笑えるのは、その序列現実の成果や予測精度ではなく、所属肩書、年功といった非認知ノイズで決まっている点だ。これを知の秩序と呼ぶのは、せいぜい自己放尿の儀式しかない。

冷徹に言えば、非専門家の介入を一律に排除する態度は、モデル不確実性への無理解の表明だ。

複雑系では境界条件の設定が結論支配する。境界条件を疑う視点は、しばしば内部者より外部者の方が持ちやすい。

にもかかわらず、権威主義者は「専門外」を呪文のように唱えて、前提の脆さを隠蔽する。

これは安全ではない。過去の失敗の多くは、専門家集団の閉域で同型の誤りが増幅された結果だ。

外部からの粗い質問は、精密さを損なうどころか、しばしば致命的な仮定露出させる。

だが連中にとってそれは不都合だ。自分たち地位が、問いに耐える強度ではなく、問われないことによって保たれているからだ。

連中の論法は単純だ。「君は資格がない」「訓練を受けていない」「空気を読め」。

要するに、理解可能性ではなく服従要求している。これは科学でも学問でもない。官僚制言語だ。

反証可能性を欠いた主張は信仰であり、信仰異論を挟む者を排除する行為宗教裁判自己放尿に等しい。

自称合理主義者が、最も非合理な振る舞いをする瞬間であるさらに滑稽なのは、連中が専門の境界を都合よく伸縮させることだ。

自分に有利なとき越境称揚し、不利になると門を閉じる。その姿は、知の厳格さではなく、既得権益自己放尿にしか見えない。自分縄張りマーキングして安心しているだけだ。

もちろん、素人の雑音が有害になる場面はある。だがそれは原理問題ではなく、手続き問題だ。

要求すべきは沈黙ではなく、主張の形式だ。仮定を明示せよ、データを出せ、再現性を示せ、予測で勝て。これだけで足りる。

専門か否かは、検証の前では無意味だ。にもかかわらず、権威主義バカどもは形式ではなく身分で線を引く。議論拒否する最短距離がそれだからだ。だが拒否勝利ではない。自己放尿だ。

非専門領域への口出しを禁じる者は、実は自分専門性に自信がない。問いに耐えられないから、問いを禁じる。

知は開かれているときに強く、閉じたときに腐る。外部の視線を恐れ、肩書の陰に隠れ、序列で殴る態度は、知的厳密さの対極にある。

冷徹評価すれば、それは専門家ではなく、専門という言葉を使った管理職だ。連中が守っているのは真理ではない。自分椅子であり、その下でのぬくもりだ。

anond:20260110151502

また自己放尿しているようだな。

一見すると学問分野の境界尊重しているようで、実際には境界のものを誤解して自己放尿している。

まず致命的なのは、「数学議論では態度や人格について語れない」という主張だ。

誰も数学人格診断や心理療法をしているわけではない。問題にしているのは、態度や行動が観測可能入力データとしてアルゴリズムに取り込まれ、その結果として情報環境がどう更新されるか、という点だ。

これは倫理学でも心理療法でもなく、確率論最適化の話だ。人格を論じているのではなく、人格が反映された行動ログを数理的に扱っているだけだ。この区別ができていない時点で、数学以前の抽象化能力が欠けている。

哲学医学心理学社会学専門性がない」という指摘も的外れだ。それらの分野の実質的主張を代弁したり、理論内部に踏み込んだりしていない以上、専門性の有無は論点にならない。

数学は他分野の命題を内容ごと扱うのではなく、変数分布として扱う。たとえば「無知の知」という概念も、哲学史的にどう定義されているかを論じる必要はない。

自分理解限界認識していない主体は、探索を止め、既知の低コスト情報に固着する傾向がある、という行動仮説に落とせば十分だ。これは心理学権威を借りなくても、探索・活用トレードオフ数理モデルとして記述できる。

しろ問題なのは、「数学では語れない」という断言そのものが、数学に対する無知自己放尿だという点だ。

数学意味内容を直接語らない代わりに、構造関係を語る。態度や知的姿勢は、主観的性質としてではなく、選択確率や停止規則コスト関数として形式化される。

YouTubeレコメンドが視聴履歴という行動系列入力にして分布更新を行う以上、「何を見るか」「何を避けるか」という態度は、完全に数学の射程に入っている。

ここを切り離そうとするのは、数学の力を過小評価して安心したいだけだ。

無知の知がない」という主張についても同様で、相手理解不足を指摘しているつもりが、実は自己紹介の自己放尿になっている。

無知の知とは、自分が何を知らないかを知っている状態だが、その状態にある人間は、再生数や世間評価といった粗い指標を真理の代理にしない。

理解できない高度なものが、可視性の低い場所存在することを前提に行動する。

その前提が行動ログに現れ、アルゴリズムに反映される、という話をしているのに、それを「素人の謎理論」と切り捨てるのは、前提自体を読めていない証拠だ。

日本語力や人格への罵倒に話を落とす振る舞いについて言えば、それは議論破綻した側の典型的逃避行動だ。

モデルを示せない、反証もできない、代替説明も出せない。だから言語能力人間性を攻撃する。数学的に見れば、これは情報を一切更新しないノイズ項でしかない。

自分議論を汚しておいて笑っている姿は、知的優位でも批評でもない。ただの自己放尿だ。

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