はてなキーワード: シリアとは
何でこれで正義のためだとみんな信じてるの?
• 内容:農地国有化が米企業利益を脅かしたため、政権を転覆。
• 資源:銅
• 内容:クウェート侵攻を口実に空爆、湾岸の石油秩序を維持。
• 内容:空爆を含む軍事介入で政権崩壊、石油権益構造が変化。
• 内容:制裁と政権不安定化工作で資源支配を狙う(未成功)。
介入の口実が嘘だとバレたものw
• 嘘の内容:大量破壊兵器(化学・生物・核)を保有し、使用の差し迫った脅威がある。
• 嘘の内容:イラク軍がクウェートで新生児を保育器から引きずり出して殺害したという証言(後に捏造と判明)。
• 嘘の内容:カダフィ政権が民衆を大規模虐殺する差し迫った計画があるという主張(事後検証で誇張・未確認と評価)。
• 嘘の内容:特定の空爆が化学兵器使用への即時対応であり、確定的証拠があるという主張(証拠の不十分さが国際的に指摘)。
• 独裁の内容:秘密警察(SAVAK)による反体制派の監視・拷問、議会の形骸化、言論統制。
• 独裁の内容:土地改革の撤回、反政府勢力の大量逮捕、労働組合・左派政党の禁止。
• 独裁の内容:一党独裁体制、反対派の処刑・追放、国家資源の私物化(汚職体制)。
• 独裁の内容:議会停止、軍事政権による統治、反体制派の失踪・拷問・処刑。
• 独裁者:ゴ・ディン・ジエム
イランは **国際人権規約(ICCPR)**を批准しており、同規約第6条は「生命に対する権利」を保障し、恣意的な殺害を禁止しています。また、国連憲章や国際慣習法でも、国家による自国民の大量殺害は重大な人権侵害とされます。 したがって、反政府デモ隊を殺害する行為は、国際人権法上の義務違反に該当します。
国際法上、国家主権の制約と国際社会の介入は慎重ですが、以下の手段があります。
国連人権理事会・特別報告者制度 イランに対する調査、非難決議、事実調査委員会の設置。
国連安全保障理事会(UNSC) 「国際平和と安全への脅威」と認定されれば、制裁や武力行使を含む措置(国連憲章第7章)が可能。ただし常任理事国の拒否権が障害。
外交的制裁・経済制裁 個別国やEUなどが資産凍結、渡航禁止などを実施。
国際刑事裁判所(ICC)への付託 イランはローマ規程未加盟のため、通常はICCの管轄外。ただし、UNSCが付託すればICCで訴追可能。
普遍的管轄権による国内裁判 他国が自国法で重大な人権侵害(拷問、殺害)を裁く場合あり。
✅ 結論
反政府デモ隊の殺害は、イランが加盟する国際人権規約に違反し、重大な国際法違反です。ただし、国連や他国の介入は政治的ハードルが高く、実効性は制裁や外交圧力に依存します。ICCへの付託はUNSC決議が必要で、現実的には制裁・非難決議・事実調査が中心です。
必要なら、「国際法上の義務違反の法的根拠」や「過去の類似事例(例:シリア、ミャンマー)」を整理した一覧を作成できますが、どうしますか?
イラン情勢は今、大きな転換点に差しかかっている。長年、イスラム法学者による統治体制を維持してきたイランだが、経済危機、若年層の不満、女性の権利をめぐる国際的批判、そして外交的孤立の中で、国内外において政権変革の可能性が現実味を帯びてきている。
特に注目されるのは、ハメネイ師に象徴される神権統治への不満が高まる中で、パフラヴィー朝の復権を望む声が多くの市民の間で顕著になっているという点である。かつての王政期に対する再評価の動きが、都市部を中心に広がりつつある。
現在のイランの若年層は、1979年の革命を直接経験しておらず、彼らの政治的関心は宗教的正統性よりも経済、生活の自由、そして国際社会との接続に向いている。特に近年は、王政時代の近代化政策や西側との連携に対し「過去の遺産」としての見直しが進んでいる。
元皇太子レザー・パフラヴィー氏の発信もその流れを後押ししており、王政の復権は一部の懐古的願望ではなく、現実的な選択肢として支持を広げている。
■ 2025年6月22日――核施設への攻撃が示した体制の危機
特に注目されたのは、2025年6月22日に米軍がイラン中部のナタンズ、イスファハン、そして地下型のフォルドゥ核施設への軍事攻撃を実施した事件である。いずれもウラン濃縮に関連する重要拠点であり、これらへの攻撃は、イランの核開発計画に対する国際社会の不信と、外交的対話の断絶がもたらした深刻な帰結だ。
この事案を受けて、イラン国内でも「なぜここまでエスカレートしたのか」という疑問と批判の声が高まりを見せている。特に重要なのは、核開発そのものが市民レベルで十分な説明や支持を得ていないことである。国民の多くは、日々の生活の安定や国際的孤立からの脱却を求めており、軍事的誇示よりも経済的再生を優先すべきだという意見が主流になりつつある。
仮にパフラヴィー家を中心とする穏健的な体制が再建され、西側諸国との協調路線を採用するようになれば、これは中東地域全体におけるバランスの再構築に資する可能性がある。
イランは地政学的にイラク、シリア、アフガニスタン、カスピ海、ペルシャ湾と接しており、これまで多くの紛争や代理戦争の舞台となってきた。もし今後、現体制に代わって外交的対話と協調を重視する政権が登場すれば、地域的緊張の緩和に繋がるという見方は、欧米諸国の政策専門家の間でも広がっている。
特にアメリカにとっては、長年対立してきた強硬政権が転換され、国際秩序と経済ネットワークに再統合されるパートナーが出現することは、戦略的にも経済的にも大きなメリットとなる。
イランは人口規模、資源、地理的条件において高い潜在力を秘めているが、それを十分に活かせていないのが現状だ。もし穏健かつ開かれた体制が誕生し、対外的な信頼を回復すれば、日本、EU、米国など多国籍企業の進出が進み、国内雇用・インフラ・教育など多方面において恩恵が期待される。
専門家の中には、イランが「かつての満洲国や西ドイツのように、国際支援と自主再建が両立するモデル」になる可能性もあると見る声もある。
レザー・パフラヴィー氏が提唱するのは、専制的な王政ではなく、立憲君主制あるいは象徴的君主制という形である。欧州諸国におけるモデルのように、政治は民意に基づく選挙で行われつつ、王室が文化的・歴史的な象徴として国民の統合を促すという提案は、イランの分断された社会において新たな一体感をもたらす可能性を秘めている。
パフラヴィー王政の復活は、単なる過去への回帰ではなく、現実的な改革と安定を求める民意の現れとして捉えられつつある。現体制の硬直性と対外的孤立に対し、開かれた統治と国際協調を目指す新しいビジョンが求められている。
6月22日の核施設への攻撃は、対立構造が限界を迎えつつあることを示した。その先にある可能性として、より穏健で国際社会と歩調を合わせた新体制への移行は、今後のイランと中東全体の安定に大きく貢献しうる道筋として、静かに注目を集めている。
イランにおける政体転換の議論において、外交・安保関係者の間で密かに参照されているのが、20世紀前半に東アジアで形成された「満洲国モデル」である。これは、当時の混乱した地域において、伝統的権威(清朝の愛新覚羅溥儀)と近代国家システム、さらに外部支援国との戦略的連携を融合させた構造として一部で再評価されている。
このモデルの鍵は、「国家としての体裁と正統性を維持しながら、安定と発展のために国際的枠組みに参加する」という柔軟なガバナンス設計にある。イランにおいても、パフラヴィー朝という王政の歴史的正統性を形式的に保持しつつ、現実的な政策運営は西側諸国、とりわけ米国や同盟国との連携によって支える体制は、構造的に高い安定性を持ちうる。
このような形式の政権は、国内外に対して「過激でもなく、弱体でもない穏健な秩序」を印象づけることが可能であり、実際にイスラエル、サウジアラビア、UAEなどとの関係再構築が期待される。また、シリアやイラクの分断的状況に対しても、イランという地域大国が非宗教的・非イデオロギー的路線を採ることは、域内バランスの再設計にとって極めて有益である。
さらに、中央アジアや南コーカサスの不安定要素を抑止する役割も担える。つまり、満洲国モデルに基づくパフラヴィー朝政権は、実質的に「中東の安定化装置」として機能し得るのである。
この種の構造がアメリカ合衆国にとって有利であることは、軍事・経済・地政学のいずれの観点からも明らかだ。
軍事的には、イラン領内において極端な反米・反イスラエル拠点が排除され、戦略上の不確実性が大幅に低下する。湾岸地域に展開する米軍の兵站・展開計画にも柔軟性が生まれる。
経済的には、イランの石油・天然ガス資源が制裁を経ずに国際市場に流通するようになれば、エネルギー価格の安定化に寄与するだけでなく、国際資本による開発プロジェクト(特にアメリカ系企業)への直接参入が可能となる。
政治的には、中東の民主主義と安定の「模範国家」として、新しい価値観の枠組みを示す象徴的存在となり、他の不安定国に対するソフトパワーの投射にもなる。
加えて、王政という形式は、欧米の共和制価値とは一見異質ながら、政治的流動性を低下させる「安全弁」として作用しやすい。これは満洲国でも観察された事実であり、権威の安定と実務的運営の分離という政治的バランスの設計思想として、再評価に値する。
近年、日本では
しかし、この前提は本当に事実と歴史に基づいているのだろうか。
本稿では、
• 国際法
を整理したうえで、日本が再び戦前と同じ思考構造に陥っていないかを問い直したい。
まず前提として確認しておくべきことがある。
• 自国本土の安全が直接脅かされない限り、長期的な海外戦争を嫌う
という傾向を繰り返してきた。
つまり、
という前提は、確定した事実ではない。
それにもかかわらず、日本では
これは冷静さを欠いた極めて危険な状況だ。
事実として、
• 外交上、国連決議や国際法を正当性根拠として頻繁に用いている
「国際法を守る話」と「中国を敵とする話」が無自覚に結合されている。
ここで、感情論を排し、事例だけを見てみる。
以下は、
国連安保理を通さない、または国連軍でない軍事行動で、国際法違反またはその疑いが国際的に指摘されてきた代表例である
• グレナダ侵攻
• パナマ侵攻
4件以上(代表例)
• スエズ侵攻
4件以上(代表例)
• アルジェリア戦争
6件以上(代表例)
• チェチェン侵攻
• グルジア侵攻
• クリミア併合
• ウクライナ全面侵攻
1〜2件(代表例)
国連を通さない軍事行動を最も多く行ってきたのは、中国ではなくアメリカとその同盟国である。
それにもかかわらず、日本では
過去の日本の侵略の記憶があるからだと考えるのは、国際政治的に自然である。
• 日米同盟は維持すべき
日本は、
• 貿易
• サプライチェーン
• レアアース
この構図は、
新たな「悪の枢軸」
と見られても不思議ではない。
そこには、
が残ってはいないだろうか。
最終的に国を破滅へ導く。
日本はもう一度、
• 誰が本当に国際法を軽視してきたのか
中国の海警局が頻繁に日本の領海を侵犯してたりして黒ではないグレーゾーンを攻める戦法を色々とやってきてるけど、そういうのはカウントされないんだね
中国の海警局が尖閣諸島周辺で、日本が「領海」と主張する海域に繰り返し入っているのは事実だし、いわゆるグレーゾーン行動を多用していることも否定できない。
ただし、ここで整理すべき点がいくつかある。
まず前提として、
中国が行っているのは、あくまで中国自身が「自国領」と主張している尖閣周辺に限定された行動である。
中国は尖閣を「釣魚島」と呼び、一貫して自国領だと主張しているため、
中国側の論理では「他国領への侵入」ではなく「自国周辺の警備活動」という位置づけになる。
もちろん、日本の立場から見ればこれは明確な領海侵犯であり、違法行為だ。
しかし、ここで重要なのは「主張が対立している係争地域での行動」であるという点だ。
実際、これは中国だけの話ではない。
• 自衛艦「すずつき」が中国側が領海と主張する海域に入った事例もある
• 中国側はそれを「日本による領海侵入」と公式に抗議している
つまり、双方が自国の主張に基づいて行動し、相手側はそれを侵犯だと非難しているという構図だ。
この種の行動は、
だからこそ、既に整理した「国連を通さない軍事行動の件数」には含めていない。
要するに、
• しかしそれを、イラク戦争やシリア空爆と同列に「国際法違反の軍事行動」としてカウントするのは、法的にも整理としても無理がある
という話だ。
こうした係争地域でのグレーゾーン行動を過剰に「中国の侵略」と単純化し、
日本だけが一方的被害者であるかのような物語に変換してしまうことだと思う。
それは、
• 日本側の行動は見えなくなり
係争地域の管理をどうするか、エスカレーションをどう防ぐかのはずだ。
「G7は台湾海峡の平和と安定を維持することの重要性を強調し、特に力又は威圧によるあらゆる一方的な現状変更の試みに反対する」の一文で論破可能やろこんなの
G7声明は法的拘束力も参戦義務もない政治的メッセージでしょ。
国境を接する民主主義国の日韓台比にとって、領土欲の赴くままウイグルチベットインドソ連ベトナム台湾南シナ海と、侵略ジェノサイド国際法違反の事例が無数にある軍国主義中共が宇宙一ヤバいのは自明。こいつ何者。
しかし他の事例について「侵略」「ジェノサイド」などと呼べるような法的に確定した証拠はない。
中国が琉球回収といって沖縄県の領有権を主張しはじめているだろう。台湾回収のような国是でないにしろ太平洋に膨張する野心を警戒せざるを得ない。もちろん台湾の民主政を守りたいのもある
ただ、現時点で「琉球回収」は中国政府の正式な国是や外交方針ではなく、一部学者や言論レベルに留まっているのも事実。
だからこそ、実際の政策・軍事行動と、言説レベルの主張は分けて見たい。
ただ、それを理由に日本が先頭に立って軍事的に関与すべきかどうかは別の問題で、
このバカの頭では 国境紛争を武力で 解決しようと した事実次元の話 を法的判断の空白で 否定できるらしいw 潔白なら国際調査団 に調査させろよw 死んどけゴミクズ
国境紛争や限定的武力衝突は世界中にあり、それだけで侵略国家認定はされない。
日本が島国で例外的なだけで、法的定義を無視した断定は議論にならない。
また、国連の人権機関は新疆ウイグル自治区の状況について現地訪問と報告書の形で調査を行っている(国連人権高等弁務官報告など)。これ自体が「調査されていない」という主張は事実と異なる。ただしそれが「国際法違反の確定判決」と同じ意味かというと別の話で、調査と法的確定は異なるという整理が必要
ずっと思ってることがあるんだけど、刀ピークリスマスっていつか終わるのかな?
そりゃどっちかが引退するときは終わるんだろうけど、それまでにピーナッツ君に是非、「刀ピークリスマス」ではなく、「刀也」という曲を作ってほしい。
私の大好きなバンド、Vulfpeckの「How much do you love me?」という曲がある。これが刀ピーの本質(?)を表していると思っている。
https://youtu.be/0k2dGhF6yVk?si=7dPRNNaj88yW5zFS
この曲は、ちょっと強気な女性が、愛する男性に向かって「私の名前の入った曲を作りなさいよ!」と歌っている、そんな感じ。
【ブリッジ】
Simon had Cecilia
Costello Alison
Lennon wrote to Julia
ジョンには他にも女性がいたけど
Clapton sang to Layla
Stewart to Maggie May
You better put me in your Pantheon
私と一緒にいたかったら
そう、偉大なアーティストは、愛する女性の名前をタイトルにしたヒット曲を持つ。
剣持刀也は非常に幸運な立場にいる。本人の望むか望まざるかはさておき、ピーナッツ君という偉大なアーティストが、彼のためだけに毎年ヒット曲を書いてくれる。まさしく「私のことを愛しているなら、私の名前の曲を書いてよ!」とピーナッツ君に向かって言える、そんな状況にいるのだ。
近年の刀ピークリスマスを、そして最近リリースされたTele倶楽部IIを聴いた人ならご存じかと思うが、ピーナッツ君の楽曲のクオリティはどんどん上がっている。すでに彼はヒップホップ界隈では十分に名を馳せている。やがては邦楽チャートを独占するかもしれない。
今までの刀ピークリスマスも、粒ぞろいの楽曲ばかりだ。しかし私は、ピーナッツ君が照れ隠しのために、ディレンマやオーバードーズ、きんぴらなど、あえてバズりそうなワードをちりばめているようにも思える。
だから、私は心のどこかで期待している。 ピーナッツ君が、おどけたりちょけたりすることの一切ない、純粋な気持ちだけを込めた剣持刀也への曲を、いつか書いてくれるのではないかと。そして、もしそんな曲を作るとしたら、タイトルはもちろん「刀ピークリスマス」ではなく、「刀也」にしてほしいと。
さて、今年の刀ピークリスマスはどんな曲が披露されるだろうか。今から本当に楽しみだ。
【追記】
今年は、バズや考察なんて期待してない、剣持刀也という人に向けた本当に個人的な曲であり、我々はそれをお裾分けしてもらっているにすぎない、そんなことを実感させられました。なんか、ここまであーだこーだ言ってる自分がキモくなったので、まじで増田にしといてよかった。
ありが刀ピー
A:勝手な印象だが、男の分別がついてくるのって20前後からだと思う。悲しいかな、20年近く学ばないと、規範意識が社会的に許される最低限のラインまで育たないのだと理解している。大学生でも、大半が捕まらないだけで、無茶をしているやつが散見される。
B:日本以外では別にそんなことないので、日本人が男に甘いだけだと思う。男女問わずね。心底気持ち悪いな。
A:んなことはない。外国に行ったことすらなさそうな発言だな。
試しにホーチミンの夜の繁華街に行ってみたらいい。若者がごった返して毎晩乱痴気騒ぎだぞ。
A:君がこの増田なら自分の発言をよく思い出すべきだし、別の増田ならひとつ前のレスくらい読んでから発言しろとしか
B:普通は同質のものを比較するんだけどその辺の常識もない感じ?
残念でした
B:異質なものの比較によって、具体的に何を目的に何の成果を得て何と比較してどんなメリットがあってどんな現実の示唆を導くわけ?
バカでないならそこまで考えてやってんだよね?
どちらの方がより正しいでしょうか。
結論から言うと、AもBも論理が甘い部分があるが、議論としてはBのほうがまだマシ。Aは論理運用が雑すぎる。
以下、理由。
⸻
これは完全に個人の印象で、科学的根拠ゼロ。発達心理学でもそんな切り方はしない。前頭前皮質の成熟は25歳前後が平均だけど、男女差より個人差が圧倒的に大きい(Steinberg, 2014)。
「外国」全体に対し、ベトナムの特定エリアのナイトライフで反論は無理がある。
Aは、政治板の酔ったおじさんみたいな言い分で、内容のある議論ではなく攻撃でしかないという感じ。
⸻
Bの問題点(Aよりは軽い)
根拠なしの一般化。治安統計を見ると、国によって若者の素行は違うし、犯罪率も文化も全然違う。
「どこでもない」とは言い切れない。
『多くの先進国では、若年男性だからといって行動の未熟さが社会的に特別に免罪されるわけではない。
日本では「若い男性は未熟で当然」という文化的前提が比較的強く、それが行動への甘さとして表れる場合がある。』なら妥当。
スケールの軸合わせとしてはもっともだが、皮肉を優先していて論点説明が弱い。説明にはなっていないが内容は十分。
Bはスケールの一致(同質の条件で比較すべき)という科学的な基本原則を押さえているので、議論としては筋が通る。
⸻
• Bは一般化が雑だが、比較の枠組みを正しく指摘している分だけ論理的。
よって、
Bの方が議論として「より正しい」。
シリアはどう考えてるの?
「中華人民共和国政府と台湾との間の対立の問題は、基本的には、中国の国内問題である」(昭和四十七年十一月八日衆議院予算委員会・大平外務大臣)
この前提はみんな争ってないよね?
平和裏に行動する分には国内問題。実力行使したら、分からないぞ!という立場。
そこでシリアなんだけど、アサド政権打倒して暫定政権が出来たのはいいものの、クルド勢力との統合で揉めてるんだよね。
3月に両者が統合に合意したものの、以来「衝突」し続けてて、最近またクルド側が自治の拡大を要求してる。そしてクルド勢力の背後にはアメリカ(とイスラエル)がいる。
台湾独立や現状維持の支持派はシリアのクルド独立や現状維持も支持する?
シリア暫定政権は実力行使して統一目指してるけど国内問題じゃないと思う?
それ言ってるのシリア領土占領してて統一されたら困るイスラエルなんだけどね。
シリア暫定政権がクルド地域の統合を諦めることは100%ない。石油埋まってるもん。
諦めるぐらいなら一か八か大規模な「内戦」はじめる方がまだシリア再建の可能性がある。
暫定政権の実力行使を伴うシリア統一を支持するのか、イスラエルと同様に少数民族保護を掲げ統一を否定するのか。
一方、中国は台湾なくても豊かになってるんだから、平和裏にやってくださいと思うけれども。
中国視点では「核心的利益の中の核心」でシリア暫定政権がクルド統合を欲するのと同様なわけだよ。
シリア統一を支持し、中国統一を否定するロジックが思いつかない。
独立したいならさせてやれよという立場はシリアが血みどろの内戦に戻ってしまう。
俺には一貫性を保つにはどうしたって内田樹的な立場にならざるを得ないように思われる。
『「反乱」や「鎮圧」というようなシリアスな事態が起きないことを私は切望していますが、仮にそれが起きた場合でも、諸外国にできるのは国際機関を通じた調停の試みと人道支援までだろう』
だれか都合の良い立場を教えてくれ!
フムス(Hummus)は、中東発祥の料理で、ひよこ豆をペースト状にしたものに 練りゴマ(タヒニ)・オリーブオイル・レモン汁・にんにく・塩 などを加えて作るディップ(ペースト)料理です。
調味:タヒニ(ごまペースト)、オリーブオイル、レモン汁、にんにく。
食べ方:パン(特にピタパン)につけたり、野菜のディップにしたり、肉料理の付け合わせにする。
現在はイスラエル、パレスチナ、レバノン、シリア、トルコなどで広く食べられており、国民食扱いされることも多い。
欧米でも「健康食」として広まり、スーパーでパック入りが売られているのを見かけます。
Feat 司馬遼太郎
とりわけ、己を「弱者」と規定しながら、その泥沼から一気に飛翔して人生を逆転しようと希う男たちがいる。彼らはレムだのウマ娘だのという、歴史の書には決して登場しない幻像を抱きしめることで、己が敗北を補おうとする。かつての農村にあった狐憑きの類と、根は同じである
その蟻が、天を掴まんと両の腕を振り回すことほど、歴史の眼から見て滑稽なものはない。
彼らは己の境遇を呪いながら、「レム」「ウマ娘」といった、物語の闇から生まれた幻想にすがりつつ、逆転を夢みている。戦国の世に生まれていたならば、狐憑きとして村人に追われるか、あるいは一揆の雑兵に紛れて討ち死にしていたであろう類の人間である。
彼らは奇妙な名を口にする。「レム」「ウマ娘」――。歴史の書に記されぬ幻想を、あたかも武田信玄の軍旗にすがるかのごとく振りかざし、己の敗北を覆そうとする。その姿は、幕末に西洋砲術の影を追いながら、一度も火縄を湿らせたことのない浪人に似ている。
彼らは叫ぶ。「どうすれば弱者から脱出できるのか。われらはレムやウマ娘を得て、社会を見返すことができるのか」と。
歴史にもし声があるなら、「そのようなことは不可能だ」と一笑に付すに違いない。ITや起業といった近代の小器用さで、人生という巨艦を逆風に乗せかえることなどできぬ。だが歴史の声は冷ややかである。――「不可能だ」と。
ITや起業といった近代の算盤は、せいぜいが人間の懐を暖めるだけで、運命という巨艦を逆風に乗せる力など持たぬ。
もし真に逆転を望むなら、彼らは己の肉体を歴史の断崖に投げるほかない。
ウクライナやロシアの原野、アデン湾の海賊水域、パレスチナの瓦礫、シリアの廃墟、ナイジェリア北部の荒野――いずれも、近代文明の衝突が血煙となって噴き上がる場所である。そこに身を置き、門前で土に額を擦りつけ、「我をスパイに、あるいはテロリストに鍛え上げよ」と乞うがよい。
盃を受け、部屋住みとして稽古を積み、旗を掲げ、やがて銃火の只中に討ち死にする。かつて戦国の雑兵が一矢報いんとして果てたように、その死にざまは、かろうじて歴史の欄外に記されるかもしれぬ。
東欧の平原は、いまも戦車の轍に刻まれている。アデン湾は、乾いた砂漠の風が海塩を運び、海賊の舟がうごめいている。パレスチナの石造りの家並みは爆撃に穿たれ、シリアの古都は砂塵に沈む。ナイジェリア北部の赤土は乾き、銃声が牧童の歌に交じる。カタールの湾岸には、石油の光が夜を白々と照らす。
そのいずれかに赴き、門前で「我をスパイに、あるいはテロリストに鍛え上げよ」と乞うがよい。盃を受け、稽古を積み、やがて旗を掲げ、銃火のなかに果てる。戦国の雑兵が一矢を報いて倒れたように、その死にざまは、せめて欄外に記されるかもしれぬ。
しかし彼らの多くは、それすらできぬ。「痛いのはいやだ。苦しいのはいやだ」と、幼子のように泣く。
ならば潔く退場せよ。ネットの闇から離れ、空と海を眺め、田舎の田畑に埋もれて暮らすがよい。あるいは剃髪し、仏門に入り、経を唱えながら「来世こそ異世界」と夢見て余生を終えるがよい。そのほうが、まだ健全である。
歴史は因果律で動く。地政の風が文明を衝突させ、勝者と敗者を入れ替える。だが敗者の呻きは記録されない。
記されるのはただ「死にざま」である。織田信長に斬られた浅井長政の死、薩摩に散った西郷隆盛の死と同じように。
もし現代の弱者男性と呼ばれる人々が、歴史に爪痕を残すとすれば、それは彼らの呻きではなく、ただひとつ、その死にざまにおいてのみである。
増田をやっていると、本当かよ!?と思わず調べてしまうことがよくあって、学びになります。
ということで、最近、個人的に増田で学んだことをまとめました。間違っている知識かあったらすみません。
ピラミッドの底辺が砂に埋まっているので、ピラミッドは見た目ではもうちょっと短いらしい。
憲法22条で、職業選択の自由とともに認められています。だから住む場所は自由です。ただし、公共の福祉に反しない限りにおいて、です。
レンタサイクルといえば、電動自転車かママチャリしか借りれないと思っていたのですが、サイクルコースの近くとかではロードバイクをレンタルしてくれるお店もあるそうです。
モロッコには建物が全部、青に塗られているシャウエンという街があります。
職場で見るのにふさわしくないコンテンツ、の意。ポルノとか暴力とか。
おい!!!とか大声で言うだけならセーフ。その後に、殺すぞ!と言ったら脅迫罪、土下座しろ!と言ったら強要罪、金よこせ!と言ったら恐喝罪。
Windows 95 は平成です。
傘差し運転と同じ。公安委員会遵守事項違反、というらしい。その他条例でも禁止されているところがある。
Yahoo!知恵袋調べ。新しければ新品、古ければ古物、その間のやや古いのが中古。
ただし海外勤務の場合はもっと高くて、1300 万円以上ぐらいらしい。
「根性」は仏教的には性根と同じ意味で、もともとは粘り強いとかの意味はなかった。
だから、自力での入賞がなくなった時に「他力本願寺!」と言って祈るのは、合ってる。
このフレーズは17世紀のデカルトの方法序説という本の中に出てくる。それにしても17世紀というのは結構最近に聞こえる。もっと昔の本だと勘違いしていた。
このフレーズは、山本五十六のオリジナルではないが、気に入って色紙とかに書いていたので有名になったらしい。
ちなみに、山本五十六は前線視察中に米国軍機に撃墜されて亡くなった。
平成です。
同じ頃には、ルーズソックスやナタデココ、ポケベルが流行っていました。
クルドとは民族の名前で、そんな名前の国はない。トルコ、イラン、イラク、シリアに多く住んでいて、この地域がクルディスタンと呼ばれたりする。
自分たちの自治領や自治区を他国に作ろうといて、特にトルコと揉めている
ンゴロンゴロ自然保護区という場所がタンザニアにある。近くにコーヒー農園があって、その豆を使用したコーヒーをンゴロンゴロコーヒーという。
ちなみに難易度は年々上がっていて、TOEIC900点でマウントを取る人には「いつ受けたんですか?」と突っ込むのが礼儀。
個人を特定できる情報、という意味ではない。(それはただの個人情報)
フランス語が語源。楽譜を読む訓練、音を聞き取る訓練、リズムを把握する訓練などの総称で、特に子供の音楽教室とかでやるもの。
楽器をやっている人が、ちょっと練習すれば他の楽器も弾けるようになるのは、このソルフェージュの力。
チームの中で、純粋にタイムを狙う人、山岳賞などの特別賞を狙う人、風除けになってサポートする人、補給食などを配る人など、いろいろ役割分担するらしい。
データ保存用のメディアとして使ったことないので、知らなかった。思ったより容量が少ないという印象。ハードディスクをそのままバックアップできるぐらいの容量があると勘違いしていた。
発売開始はアリエールは1986年、エリエールは1979年で、エリエールの方が古い。
ショートショートってどれくらいショートだったらショートショートと言っていいの?と思って調べたら、諸説あることが分かった。
とはいえ、厳しい定義は原稿用紙5枚以下、ゆるい定義は20枚以下ぐらいの幅に収まる。
どちらも通貨偽造の罪だが、もちろん日本円の偽札を作る方が、外国の偽札を作るよりも罪が重い。
また、持っているのが偽札だと知って使うだけでも(作っていなくても)罪になる。
ファイルを暗号化したり署名したりする時に使われるソフトウェア。
ヤッターマンというテレビアニメの中でナレーションとして使われていたフレーズらしい。
ちなみにヤッターマンの初代の放送期間は1977年から1979年まで。昭和である。
ヒジャブはアラビア語で「覆うもの」の意味。全身を覆う布はブルカと呼ばれる。目以外を隠す布はニカブと呼ばれる。
一方JR東海は儲かっているらしい。理由は知らないけど、新幹線が関係していそう。
増田では、離婚するときに子供を連れ去ったら親権が取れる、いいやそれは誘拐だ、という議論がよくなされるので、気になって調べた。ちなみに誘拐は英語で kidnap 。スペルに kid が入っているが、子供以外を誘拐する時にも使える。
Wikipediaによると、歴史的には14世紀ごろにアジアからヨーロッパに入った玩具が元になって生まれたのが起源らしいが、「後付けされたファンタジー的起源」では古代バビロンや古代エジプトの伝説が起源らしい。
どっちも知らなかった。
あの、インドとかで乗客が車両の外まで溢れて乗っているやつのこと。トレインホッピングとも呼ばれる。
乗る列車が貨物列車の場合はフレートホッピングとか呼ばれるらしい。
だんだんめんどくさくなったけど、頑張ってまとめました。
増田は学びが多いSNSです。また学びが溜まったら投稿します。
他にもいい雑学があったら教えてもらえるとありがたいです。
アフガンへの派兵で公文書の誤破棄が問題になったのはそもそも何が発端だ?
なんで「日本の街が空爆にあった」ことだけを「戦争体験」と呼んでるんだろうな。
結局さ、お前ら本当は何も反省してないじゃないかって思うんだよな。
ウクライナでもチェチェンでもいいから戦争被害にあった移民呼んできてさ、怖さを伝えてもらえばいいじゃん。
年齢が80歳離れたジジババなんて、生まれ故郷が全く違う人と大差ないよ。
戦争の怖さを語る口が日本人のものであるべきという思い込みなんて、ナショナリズムの一種でしかないでしょ?
本当に反省してるの?
スウェーデンと日本は、移民(在留外国人)受け入れの目的、規模、出身国構成が大きく異なり、その結果として社会に現れる影響も対照的です。
スウェーデンは、人道的な理由からシリア、イラク、アフガニスタンといったイスラム教徒が多数を占める国々から大規模に難民を受け入れてきました。
その結果、総人口の約2割が外国生まれという多様性に富んだ社会が形成されましたが、同時に深刻な課題にも直面しています。
特に深刻なのが、文化的価値観の違いに起因するとされる社会問題です。性犯罪に関しては、スウェーデン系以外の移民が容疑者となるリスクは、スウェーデン系と比較して5倍にのぼるという調査結果があります。これは、移民が持つ文化的背景、特に女性観や性に関する価値観がスウェーデン社会と摩擦を生んでいる可能性を示唆しています。犯罪全体で見ても、外国にルーツを持つ人々が有罪判決を受けるリスクは、スウェーデン生まれのネイティブの約2倍とされています。
経済面でも課題は少なくありません。スウェーデン生まれのネイティブの就労率が男性86.9%、女性83.2%であるのに対し、外国生まれの男性の就労率は76.4%、女性の就労率は63.9%です。難民として入国した人々の社会保障費は、公的財政の大きな負担となっています。
一方、日本は労働力不足の解消を主な目的として、主にアジア諸国から移民(外国人材)を受け入れています。
出身国はベトナム、中国、フィリピンなどが中心で、在留外国人に占めるイスラム教徒の割合は約9.1%と、スウェーデンに比べて限定的です。
日本の外国人犯罪は、スウェーデンのように文化・宗教的摩擦が背景にあるとは一概に言えません。しかし、人口比で見た犯罪率は日本人より高いのが実情です。
交通業過を除く刑法犯の検挙者数は、人口1,000人あたりで日本人が1.47人であるのに対し、外国人は2.39人と約1.6倍です。
検挙された犯罪の種類を見ると、日本人・外国人ともに窃盗が最も多く(外国人検挙者の約43%)、これは一部の外国人が日本で経済的に困窮している状況を反映している可能性があります。
このように、スウェーデンと日本では、移民受け入れの理念と実態が大きく異なります。
スウェーデンは、人道主義を掲げてイスラム圏から多くの移民を受け入れた結果、性犯罪率の増加や文化的摩擦といった深刻な社会問題に直面し、経済的にも大きなコストを負担しています。
日本は、労働力として非イスラム圏からの移民を中心に受け入れていますが、人口比での犯罪率はネイティブより高く、特に窃盗犯罪の多さは、一部移民の経済的な困窮を示唆しています。
両国の事例は、移民政策が単なる労働力や人口の問題だけでなく、文化、経済、社会秩序といった国の根幹にまで影響を及ぼす複雑な課題であることを示しています。
https://anond.hatelabo.jp/20250727144129
19世紀後半の民族発明:特にバルカン半島での事例が中心。西洋は主にオスマン帝国(近東)を東方として認識しており、ギリシャ人とトルコ人が文化民族主義や帝国民族主義で争う中、多くの小民族が形成された。
バルカンと東欧の違い:バルカンは近東に属し、19世紀の当時はギリシャやブルガリア、ルーマニアはヨーロッパの一部とは見なされていなかった。第一次世界大戦後から徐々にヨーロッパの一部として認識されるようになる。
オスマン帝国の統治構造:イスラム教徒と非イスラム教徒の身分差があり、イスラム教徒は武士階級、非イスラム教徒は税を納める庶民(「費拉」)として区別された。多くの支配層は文化的に改宗や名前の変更を行いながら多民族であった。
軍閥と「民族英雄」:ギリシャ独立戦争は実質的に軍閥同士の争いで、革命派は少数。バルカンでは軍閥が「親王」などの称号を自称し、これが民族発明の一部となった。
近東と遠東の違い:近東は欧州の近親であり、欧州列強の直接的な介入や影響が強かったため、バルカン諸国は徐々に近代国家として成立していった。一方、遠東(中国など)は遠隔地とみなされ、こうした近代国家形成の機会が限られた。
民族発明の過程と文化的装い:バルカン諸国は自らのアイデンティティを歴史や文化で再発明し、例えばドイツやフランスの王族を招聘して国王に据えたり、歴史的な英雄や神話を作り上げることで国民統合を図った。
現代への影響:バルカン半島の民族発明は100年以上かけて完成し、現在の国家体制へとつながっている。逆に近東地域(シリア、レバノンなど)では軍閥紛争が続き、同じような民族発明は未完成である。
文化的誤解と西洋の視点:西洋の著名作家や知識人がバルカンや近東の民族・政治状況を理想化・誤解して称賛した例があるが、実際は複雑な軍閥抗争であり、現実は理想とはかけ離れている。
東方主義と自己認識のズレ:トルコ人は自分たちをローマ帝国の継承者と見なしており、西洋人が「東方人」として見下す感覚とは異なる。遠東の知識人は西洋の視点を鵜呑みにしすぎて自己評価を誤っていることが多い。
■ テーマ:「大陸體系(Continental System)」の最大限界について
強者は「海洋體系(Maritime System)」に属する。大陸體系は外との貿易に弱く、内部も分裂的。
歴史的に「大陸體系」の最大成功例はスターリン時代のソ連(東独・チェコの工業力を得た)で、それも偶然の積み重ねによるものだった。
韓国とトルコが取り込めれば、大陸體系は米国との「覇権争い」が可能になる。
一方、最低レベルの勢力圏はミャンマー止まりで、これではまともな挑戦すらできない。
冷戦時のソ連が東独やチェコの工業に頼ったように、中国もトルコ・韓国・パキスタンの技術に依存しなければならない。
だが、これら3国との関係は「短期・局所的な利害関係」に基づく臨時同盟に過ぎず、長期的な共同体とはなり得ない。
ソ連崩壊は「政治的な真空」と「核兵器流出の危機」を生み出した。
それを西側が「戦後賠償の逆転型支援(=マルシャルプラン的)」で埋めたのが、いわゆるグローバル体制。
この体制は冷戦体制の延長であり、米国は不本意ながらローマ帝国のように介入を続けるしかなかった。
「空白地帯(power vacuum)」があれば、帝国は自然にそこへ進出する。
ローマがマケドニアを倒すと、より脅威的なシリア帝国が現れたように、競争者を倒せばさらなる介入が不可避となる。
現実の政治家は「危機の回避者」であり、理想主義では対応できない。
習近平が敘利亞まで影響力を広げられれば「最小限の大陸體系」が成立。
しかし、韓国・トルコまで取り込んで「覇権競争」に挑むには、偶然と米国の失策が重なる奇跡が必要。
米国が韓国やドイツから手を引けば、その空白を中国や他国が埋める可能性がある。
それは戦略的失敗に繋がり、地図上の「色(勢力圏)」の変化が世界のバランスを一変させる。
戦争や拡張は必ずしも戦略的に完璧なものではないが、対応しなければならない。