はてなキーワード: シャープとは
特定の増田について書いたときどの増田に書いたかを明示するのにURLを張り付けるのは普通の発想だと思うが、「増田について書いたことがたとえメインの論旨でなくちょっとした例で挙げただけでも」今の増田のシステムではそれだけでトラバ扱いになる。
増田ではトラバは返信として受け取られる可能性が高いが、上記の場合でただブクマカのように思ったことを述べているというスタイルの場合にはそれは都合が悪い。
具体例として複数URL書いただけでその全員に自分の日記の確認時に「自分宛ての返信か?」と思われるかもしれないとか、煩わしい以外にない。
末尾シャープ等で回避できるがこれは知ってる人にはいかにもわざとらしく予防線を張るのと同じような印象を抱かせ得る弊害がある。
はてなはanond:数字、の形式以外はトラバとして処理しないよう改善しなさい。
dorawiiより
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2024年、マッチングアプリの世界は残酷なほど透明だった。スワイプひとつで人間の市場価値が可視化され、「いいね」の数がそのまま需給バランスを映し出す。
だが、彼女——バツイチ・子持ち・46歳の恵美(仮名)——は、プロフィール写真を加工アプリに通しながら、こう思っていた。
「私はまだまだイケる。」
これが、すべての歯車が狂い始めた瞬間だった。
目は1.3倍。肌はファンデーション3層分の陶器仕上げ。顎のラインはシャープに補正され、ほうれい線は跡形もなく消えている。光の加減で首のシワも見えない。背景はカフェのぼかし。角度は上から15度——これは「奇跡の角度」と呼ばれている。
写真の中の恵美は、確かに魅力的だった。問題はひとつだけ。その人物は、現実には存在しない。
サブ写真は3枚。旅行先での全身写真(2019年撮影、当時41歳)。手料理の写真(実際はデリバリーを皿に盛り替えた)。愛犬との写真(友人の犬)。
プロフィール文にはこう書かれていた。
子どもの有無の欄は——空白だった。
「未入力」は嘘ではない。聞かれたら答える。でも自分からは書かない。恵美はそう自分に言い聞かせていた。マッチングアプリにおいて「子どもの有無:未入力」は、男たちの間では「いる」の同義語だと、とっくに学習されていることを知らずに。
そしてもうひとつ。「年齢よりかなり若く見られます」——この一文もまた、「写真を信じるな」の同義語だと、男たちは知っていた。
200件超え。
恵美は興奮した。「やっぱり私、まだイケるじゃん。」
女性は無料というだけで、これだけの数が降ってくる。だが内訳を見るべきだった。58歳の自営業。62歳の「投資家」(プロフィール写真がゴルフ場)。55歳の「経営者」(従業員1名=本人)。写真なしの50代が大量。そして明らかにヤリモクの32歳が数名。200件の「いいね」の正体は、恵美が選びたい男からの「いいね」ではなかった。
だが数字は人を狂わせる。「200いいね」というバッジは、自分が上位にいるという錯覚を与えた。
恵美が「いいね」を返したのは、爽やかな笑顔の43歳・大手メーカー勤務・年収800万の男性だった。
マッチングした。メッセージが来た。会話が弾んだ。デートの約束が決まった。
恵美は美容院に行き、新しいワンピースを買い、当日の朝にはフルメイクに2時間をかけた。
表参道のイタリアン。恵美が店に入った瞬間、相手の男性の目が一瞬だけ泳いだ。
0.5秒。だがその0.5秒に、すべてが詰まっていた。
「誰だ、この人。」
男性はすぐに笑顔を作った。大人だから。社会人だから。だがその笑顔は、マッチングした日のメッセージにあった「お会いできるの楽しみです!」の笑顔とは、明らかに別物だった。
食事中、会話は弾まなかった。いや、恵美の側は弾んでいた。男性の側は、相槌の間隔がどんどん長くなっていた。
恵美は一瞬、目を泳がせた。「あ、はい。娘が一人。もう高校生なので。」
男性の箸が、0.3秒だけ止まった。子持ち欄を空白にしていたことが、この瞬間「未入力」から「隠していた」に変わった。写真の加工に加えて、子どもの存在まで隠していた。信頼がふたつ同時に崩れた。
20時43分。大人の男が20時台に切り上げるデートの意味を、恵美は理解しなかった。
翌日、メッセージを送った。「昨日はありがとうございました! また会えたら嬉しいです😊」
既読。
返信は来なかった。
3日後、彼のアカウントを見たら、「最終ログイン:3時間以内」になっていた。アプリはやめていない。恵美が切られただけだった。
恵美は知らない。
だがマッチングアプリの男性側には、目に見えないネットワークがある。同じアプリを使う同僚同士で、地雷情報を共有するのだ。
男たちの間で「写真と違う」は最も致命的なレッテルだ。料理が不味い店に二度行かないのと同じで、一度「写真詐欺」の烙印を押された人間に、二度目のチャンスはない。
恵美の「いいね」は初月の200件超から、2ヶ月目には80件、3ヶ月目には30件に減った。
アルゴリズムも敵だった。マッチング後にブロックされる確率が高いアカウントは、表示順位が下がる。恵美のプロフィールは、男性のスワイプ画面の奥底に沈んでいった。
3つ目のアプリを入れた頃、恵美はようやく現実と向き合わされる。
このアプリは検索条件が細かかった。年齢、年収、学歴、身長、婚姻歴、子どもの有無。フィルターひとつで、候補が絞り込まれる。
該当者は表示された。だが恵美が見落としていたのは、相手もまったく同じフィルターを使っているということだ。
年収600万以上の40代男性が設定するフィルター。年齢:〜39歳。子ども:なし。
恵美は、検索結果に表示すらされていなかった。
存在しないのと同じだった。
友人に勧められ、恵美は写真を撮り直した。今度は加工なし。自然光。等身大の自分。
「いいね」は目に見えて減った。月に15件。しかもほとんどが50代後半以上。
恵美は泣いた。「加工しても叩かれる。素の自分でも見向きもされない。じゃあどうすればいいの。」
この問いには、残酷だが明確な答えがある。
「見た目」で勝負するステージに、もう立っていないことを認める。
マッチングアプリはルッキズムの闘技場だ。写真が第一印象で、プロフィール文は添え物。そのルールの中で、46歳・シングルマザーが20代30代と同じ土俵に立つのは、素手でボクシングのリングに上がるようなものだった。
だが恵美はリングを降りなかった。降りることが「負け」だと思っていたからだ。
女性は基本無料。だからこそ、恵美は課金の代わりに数で勝負した。
Pairs。Omiai。with。tapple。東カレデート。
5つのアプリを同時に回す。朝の通勤電車でPairsをチェックし、昼休みにOmiaiの「いいね」を返し、夜は東カレデートで新着を物色する。
写真は全アプリ共通。プロフィール文も基本コピペ。子持ち欄は、もちろん全アプリで空白。
アプリを増やすたびに「いいね」の総数は増えた。だが内訳は変わらなかった。50代60代の大量の「いいね」。たまに来るハイスペックとマッチングしても、デートで会った瞬間に空気が変わる。写真と違う。子持ちを隠していた。同じパターンの繰り返し。
恵美のスマホのスクリーンタイムは1日4時間を超えていた。うち3時間がマッチングアプリだった。
5つのアプリを回して、月に会えるのは2人。2人とも2回目はない。
それでもアプリを消せなかった。消したら、「自分には何もない」という事実と向き合わなければならないからだ。
アプリは恵美にとって、婚活ツールではなくなっていた。自分がまだ「市場にいる」と確認するための装置だった。
ここで分岐が起きる。
娘が言った。「お母さん、最近ずっとスマホ見てるけど、楽しそうじゃないよ。」
その一言が刺さった。
恵美は5つのアプリを全部消した。そしてしばらく、誰かに選ばれることではなく、自分の生活を立て直すことに集中した。
地域のボランティア活動に参加した。料理教室に通い始めた。「出会い」を目的にせず、ただ自分の世界を広げた。
半年後、料理教室で知り合った同年代の男性と食事に行くようになった。彼は年収800万ではなかった。身長は168cmだった。だがアプリの写真では絶対にわからない——一緒にいて、呼吸が楽だった。
恵美は気づいた。自分が本当に欲しかったのは、スペックの高い男ではなく、隣にいて安心できる人だったのだと。
恵美はアプリを6つに増やした。写真はさらに進化した。もはやAI加工アプリを導入し、別人レベルの仕上がりになっていた。子持ち欄は相変わらず空白のまま。
初デートの「あ、写真と違う……」を20回経験しても、恵美は学ばなかった。
その「中身」を見てもらう機会が、写真詐欺によって永久に失われていることに気づかないまま。
50歳を過ぎた。6つのアプリの合計「いいね」が、月に10件を割った。ほぼ全員が60代だった。
娘は大学を卒業し、家を出た。リビングに一人、恵美はアプリのプロフィールを更新していた。
年齢欄を「49歳」に書き換えた。サバ読みはついに実年齢マイナス3歳に達していた。
通知音は鳴らなかった。
自分を偽ることの代償についての話だ。
加工した写真は「いいね」を集める。だが集めた「いいね」の先にあるのは、偽りの自分を前提とした出会いだ。そして現実の自分が現れた瞬間、そのすべてが崩れる。
加工は自信のなさを隠さない。むしろ増幅する。加工した自分にしか「いいね」がつかない現実が、等身大の自分への自信をさらに奪っていく。
「誰かに選ばれること」でしか自分の価値を確認できなくなることだ。
選ばれなくても、あなたはすでに、誰かの母親で、誰かの友人で、誰かの同僚だ。その価値は、「いいね」の数で測れない。
それに気づけるかどうかが、分岐点だ。
核心はここです。
1. とにかく儲かっていた
2. クビにできない文化
余剰人員を抱え続ける
成果より「年次・在籍」
頑張らなくても給与が上がる
👉 これが「働かなくても給料出る」印象の正体
④ 実際どれくらい“働いてなかった”のか
ここは誤解されがちですが、リアルはこうです。
全員がサボっていたわけではない
ただし
ヒマな部署は本当にヒマ
社内で格差が極端
例:
「午前中新聞読んで終わり」
「会議だけで1日終わる」
「仕事は月末に少しだけ」
👉 こういう人が一部にいたのは事実
⑤ その後どうなったか
バブル崩壊後:
結果:
人員削減
“ぬるさ”はほぼ消滅
かなり誇張された表現です。ただし、当時のシャープを含む大企業の労働環境が、現在とは大きく違っていたのは事実です。
労働生産性よりも「在籍していること」自体に価値が置かれる面があった
その結果として:
有給休暇の取得や、比較的ゆるい勤務管理でも給与が減らないケースがあった
こうした背景から、「あまり働いていないのに給料はしっかり出ていた」という体験談が語られやすくなっています。
つまり、「制度としての楽さ」ではなく、「景気と雇用慣行による余裕」がそう見えただけ、というのが実態に近いです。
成果主義の導入
などで、当時のような余裕はほぼありません。
雨のコンビニ前。
小雨が銀の肌を叩く音だけが響く。
俺はスイムキャップとゴーグルを被ったまま、全身銀色で立っていた。
水泳選手が限界まで鍛えたような、シャープで長い筋肉。肩から背中へ流れるライン、腹の薄い割れ、腿の内側まで銀が光ってる。
素顔はイケメンだけど、俺はこの姿——顔が完全に隠れて、ただの「銀の水獣」になった瞬間——が一番美しいと信じて疑わない。
それが俺の全てだった。自動ドアが開くと、白い光が銀を直撃。
ヤンキー5人(金髪リーダー格を中心に、みんなガラ悪い)が一瞬固まった。「うわっ、マジで銀の裸水泳マッチョwww」
「体は水泳選手みたいにスッキリ筋肉なのに、チンポ銀色でビンビン立ってるぞクソ変態」リーダーがニヤニヤ近づいてくる。
「寒くねえの? この雨の中で」
「……この姿が……一番好きなんだ……」その瞬間、爆笑の嵐。そこへ小学生の男の子集団がジュースを買いに飛び込んできた。
子供たちは俺を見て大歓声。「うわー! お兄ちゃん銀色だー! プールのお兄ちゃん?」
「銀チンポ勃起してるー! きもーい!」ヤンキーたちが子供たちを煽る。
「ほら見てみ? この銀マッチョ、水泳選手みたいな体してるのに露出狂なんだぜ」
「ゴーグル越しに目がエロすぎだろ。自分から勃起させてコンビニに来てんだよ」
「銀塗ってスイムキャップ被って、雨の中でチンポ振り回してる変態だって!」子供たちの無邪気な罵倒とヤンキーの残酷な笑いが混じり合う。
「変態!」「お巡りさん呼ぶよ!」「銀のチンチン恥ずかしいー!」
ナルシシズムの核「この銀の水獣は美しい」が、子供たちの指とヤンキーの嘲笑で粉々に砕かれる。
なのに、チンポは痛いほど硬い。
痛みと羞恥が、なぜか奥から熱を呼び起こす。「……ごめん……なさい……」
コンビニの冷たい床に額を擦りつけ、銀の背中を震わせて泣きじゃくる。
「俺……変態で……この姿が……好きで……ごめんなさい……」ヤンキーたちは興奮MAX。
そのまま俺を引きずってアダルトショップへ。店内で梁型、ローション、コックリングを買うと、レジ前で即犯し開始。
ローションをぶっかけ、梁型をケツに一気に突っ込まれ、コックリングを根元でカチッと固定。
「うぐっ……あっ……!」
「てめえら! 警察呼ぶぞ!」俺は梁型を刺したまま土下座して泣きながら叫んだ。
「違うんです……俺が……頼んだんです……いじめじゃない……俺が変態で……この銀の身体を……壊してほしいって……お願い、警察呼ばないで……」店員は呆然としながら、結局追い出すだけだった。夜の公園。雨が本降り。
暗いベンチ裏に俺は押し倒される。
顔を地面に押し付けられ、銀の胸を蹴られ、ゴーグルを掴んで首を捻られ、梁型を奥まで抉られる。
「銀マッチョの雌穴、緩すぎだろ」
「ゴーグル被ったまま泣いてる顔、最高にキモいわ」殴る、蹴る、髪を掴んで引きずる。
痛みが全身を走る。
心はもう粉々。
「俺は美しいはずだった……銀の水獣だった……」
なのにチンポは一度も萎えない。
コックリングで締め上げられた銀チンポが、痛みのたびにビクビク跳ねる。
ケツの奥を梁型が抉るたび、熱い波が背骨を駆け上がる。
「あ……あんっ……」
「痛い……やめて……俺は……」
でも痛みが繰り返されるうちに、何かが溶け始めた。これは……苦痛じゃない。
スイムキャップとゴーグルで顔を隠した瞬間から、俺は「見られるための物体」になりたかった。
美しい銀の水獣なんかじゃなくて、ただの「雌の肉」。
子供たちに笑われ、ヤンキーに踏まれ、梁型で犯され、雨に打たれるこの屈辱——
これが、俺の本当の美しさ。心の奥底で何かが「カチッ」と音を立てて落ちた。
代わりに湧き上がってくるのは、甘くて熱い喜び。
「もっと……壊して……」
「あんっ……んんっ……雌の……マッチョ……にして……」ヤンキーたちが気づく。
「は? お前……感じてんじゃんマジで」
「銀マゾ、完全に雌落ちしたぞ」その言葉で、俺の頭の中が真っ白に染まる。
もう抵抗なんてない。
この姿——銀の水獣が、雌に堕ちた瞬間——が、俺の人生で一番美しい。「……もっと……犯して……この銀の身体を……雌の奴隷に……壊してぇ……」俺は泣きながら、何度もイキ散らした。
心はもう、完全に雌落ち。
銀色の水泳マッチョは、雨の公園で、ヤンキーたちの玩具として、
永遠に喜びに目覚めたまま、震え続けていた。
タイトルの通り。誰かの参考になればいいな、と思う。
ちなみにジムに契約した人が一年継続する可能性は4%らしい・・・。
体感そんな希少ではないのでは、と思う。
【概要】
30歳男性。既婚。子なし。
デスクワーク中心のエンジニア。やや社畜で残業は平均55時間くらい。
・ジムについて
月額3000円くらい。若者は少なくて中年~老人が中心。24時間とかでもなく、22時には閉まる。
器具は他ジムと比較すると多分いまいちでフリーウェイトエリア(ダンベルとベンチが置いてある場所)も2人分しかない。
ただトレッドミル(ランニングマシーン)は充実していて、埋まってるということはまずない。
スタッフはいるが、あまりトレーニーとのコミュニケーションは活発でない。
・トレーニングについて
週2~5回と、その週によってバラバラ。月単位で数えると、10~14回くらい通ってるみたい。
1回のトレーニングは平均2時間くらい。仕事帰りか、休日に出かけるかのどちらか。
トレッドミル、ラットプルダウン、プッシュアップ、レッグレイズ、スクワットを各部位疲れたら切り替える感じでやる。
ぶっちゃけ自重が多め。あまり追い込みすぎず、負荷弱めを満遍なく。
大きな筋肉とされる足、背中、胸を中心に鍛えるようにしている。逆に前腕と腹筋は行ってない。
【継続のコツ】
契約するジムは自宅から近くて、かつ通勤経路にある安いジムにした。
タオル、水筒、シャツと短パンはリュックの中に常備したり、会社の引き出しやロッカーに入れておくとよい。
洗濯の頻度が増えることになるが、自分はドラム式洗濯機のお陰で洗濯が苦にならなかった。
通勤時間はドアtoドアで20分くらいと短めで、残業も加味して考えるとこれくらいが平日中に通える限界なんだと思う。
食事も時間を掛けないに越したことはない(もっとも、これは人による)
自分は社食、スーパーの総菜が中心。あとは肉や卵を焼いたり、プロテインバーを食べたり、時たま外食したり。
・カレンダーに実績を記録する
ジムに行ったらGoogleカレンダーに目印を付けるようにした。
トレーニング内容まで書こうと思ったこともあるが、記載が面倒でサボる可能性を考えて自分はできるだけ簡易にした。
【ジムの良いところ】
・トレッドミルが神
ジムに行かないと気付けなかったが、ただのランニングマシーンがこんなにありがたいとは!
逆に外で走ると雨、風邪、日光、信号、車など、モチベ減少の要因がそこかしこにあって、継続が大変なんだ。
これも外だとまず無理。気づいたら1時間経っている、ということもザラ。
負荷の調整がしやすいのと、消費カロリーが出るのも嬉しいポイント。
・ラットプルダウンが神
(懸垂バーの購入も検討したが、場所を取るのがちょっと嫌だ。それと続かなかったときに置物になるのも嫌だ。)
ラットプルダウンはお手軽かつ体感で効果が大きいため、やっていて楽しい器具。
いつかフルスタックを10回3セットできたら良いな、と思っている。
・自室を汚さずに済む
ジムに行く前は自宅で筋トレをしていたことがあったが、汗が垂れたり臭いや湿気の籠りを微妙に感じていた。
今はジムでトレーニングをするので、家では洗濯物が出るくらいで済む。
・人間関係の煩わしさが少ない
ジムに通う前は社会人のスポーツサークルに入っていたが、人間関係の維持と頻度の調整に大分苦労した。
が、ジムはその辺の面倒が一切ないため、自分にとっては楽だった。
資格試験と残業80時間がダブルで重なったときがあって、その時はジムを1ヶ月休会した。
その時に、可処分時間と体力がしっかりセーブされていて、そのお陰残業も勉強もなんとか乗り切れた。
・食べても太りづらくなった
社会人になり数年経っても食事量の限界が想定以上に衰えなかった。
ジムに行く前は食べるとその分ダイレクト腹や顔が膨らんでいたため、食べることに罪悪感があった。
それが低減されたのは大きい。
・見た目上、ほんのり痩せた
ただ一年継続したにしては思ったより痩せなかった。腹は出てはいないが割れてもない、くらいのレベル。
食事改善が必要なのだと思うが、うまくコントロールできていない自覚がある。
背中トレの効果が大きいようで、姿勢が良くなった。肩甲骨を寄せる動作が大事なんだなと。
【気になるところ】
ほぼ会話が無いため、ちょっとだけ寂しい。
モチベ維持のために人と交流する機会がもう少しあれば・・・と思うことも。
フリーウェイトを占領するタンクトップナルシストスマホ休憩長すぎおじさん
ナルシストおじさんもその一人。
自分がそうならないように気を付ければそれで良いや・・・と達観できず、やっぱり見かけるとイラつく。
わざわざお金を払って運動して、食べてまた運動して、洗濯して、次いくために支度して・・・という営みに虚しさを感じることも。
筋肉付けても仕事で使わないし、意味無いんじゃ、と思ったりもする。
以上です。
なるほどありがと
2000年前半の高画質一眼とかかな
Geminiにも聞いてみた
【結論】
右の黄色い英会話看板も含めて、「看板デザインと印刷の雰囲気」はかなりデジタル(少なくともDTP以降)っぽく、看板自体は1990年代後半〜2000年代以降に新調された可能性が高いと思います。一方で、建物本体の意匠は80年代(あるいはそれ以前)でも十分あり得るので、「古い建物+新しめの看板」が同居している、と見るのが自然です。
黄色い英会話看板は、ベタ塗りの黄色に高彩度のロゴ・文字がのっているタイプで、色の発色がかなり均一かつ派手です。これは手書きペンキより、インクジェット/シート貼り/デジタル入稿印刷の質感に近いです。
ABCB側の緑地看板も、地色がムラなくフラットで、文字のエッジがかなりシャープです。80年代でもシルクスクリーンやカッティングはありましたが、「英会話のロゴと併せて同じ業者がまとめて出した感」があり、平成以降の匂いが強いです。
2000年前後から地方の駅前でも「サイン屋がPCで版下を作り、大判インクジェットやカッティングプロッタで出力する」スタイルが一気に広がっているので、その波に乗って付け替えた看板、という解釈がかなりしっくり来ます。
建物は、タイル貼りの柱・アルミサッシ・1階にやや奥まったエントランス、という構成で、70〜80年代の雑居ビルによくある造りです。
こうしたビルはそのまま何十年も使われるので、「建物は70〜80年代築のまま、テナントと看板だけが90〜2000年代にどんどん入れ替わる」というのが現実的なパターンです。
したがって、
なぜだか私はひとの話題にされる。疑ってそうなんじゃなく、おまえのことを話した、と言われる、本当に。
ー
じじつ私はすこし変なひとなのは認める、話題になるんだから、どこかが平凡じゃない。べつに良い話題でそれでも、悪くいってそれでも、ふしぎなふうに話していても、どのみち、話す人がそのていどの人間だということ、つまり、私より基本的におもしろくないから、私のことを話すしかないし、その人の考え方で言葉を選ぶのだから、私はそういうの、愚かなことだと思う。
ー
それにしても、気分が悪いときにそれを思い出すと、普通にしんどい。
そういうとき、そのひとらを恨むけど、これは逆恨みではないよね、だって、また聞き代表者がそれを勝手にしてるんだから。この私がどこかおかしくても、他人のことふらふら話すなんて、それがおかしいんだから。
☆
ということで、私もそのひとらについて話してみよう。
ーー
まず、アベというのだが、こいつはあからさまに私のことをバカにしてくる。
そのひともたいがいで、私がどれだけこのひとに譲歩して会話をしているのか、なんだか本人はわかっていない。私は、正直なことをほとんど言わない。相手が何か疑問じみた話題をしてきて「こうなんじゃない?」と「いや、それが~なんだよ」私は「じゃあ、これがああで、それなのかも」とか、いっしょにかんがえて、最後に「考えるの疲れた」「思考を放棄」とかマジに言ってきたり、
ほかに「いやあ、人間ってむずかしいねえ」とかすり替えたり。おかしくね? そっちが疑問を与えてきてるんだから、いちおうの落としどころをいれないでどうしてそんなことを言うのだろう? それで私が言ってみてもつまるとこそいつはキャバ嬢なんで、くだらん人間との間をつなぐのに適当にゆがんだ認知で私らしいやつのことを話すのだろうから、私はそいつと話すときは、そいつが想像していそうな私らしいやつが言うだろうことを言っている。
おまえのことを考えると、私はまだマシだって思えると言われたけど、あっちは別になんも秀でた才能(名刺のような、これを言っておけば全国でわかるというもの)もなくて、くよくよしては、寂しいと私に話しかけてこれなんだから、なんなのと思うし、へえ、そう、と私は私に得なものだけはもらっておく。こいつに「おまえが何を考えてるのか全く分からない」と言われたことがある。
ーー
やっかいなのがずっとXにはりついてるところで、そのX的な文句を理解して、いないのにそのふりをしている、正真正銘だ。
こいつはほんとうに…、どう話していてもパラノイアで他責な(本人がそう言ってる)ので、ほんとうにおかしいやつ。または狂っている。狂うとかいう言葉も好きじゃないんだが、こいつは狂ってる。というか、狂い続けている。「ああ……」と思うのが、そのおかしい点を自覚したとして、自分が相手を傷つけたと自覚してもはっきりと謝らない、恩返しか目をつむってくれなのか、恩のように何かをプレゼントしてくるのだけど、それは、恩着せがましいと言う言葉がぴったりで、そう謝罪の気持ちなんだろう、と貰ってはいい感じの反応をしていると、金を返せと言ってくる、まったく、おかねという制度は、こういう歪んだ人間、なにも持っていない人間のためにあるんだなって、深く思える、あとなんか時間を返せとか言うけど、じゃあもう私と関わらないで消えてほしい。
何年こいつと触れ合っているのかわからないが、暇つぶしにはちょうどいいし、本人はおもしろいと思っているらしいこと、Xしぐさみたいなのを送られてくると、ほんとうにセンスのかけらもないので、へえ、と思っている。
それでいて、よう顔をSNSにのせてはいるけど、このひともこのひとで、特に何かすごいところはない、その上、音大受験に遅れて専門にいったけれど、そこでも幾らかの人間関係などで脱落し、とはいってもその間、なにか活動してたわけではなく、知りそめのとき、私は音大と聞いていたので、プロコフィエフってなんであんなに変なんだろう、と話したら「誰?知らない、どこの人?」といわれて驚いた。しかしカリキュラム的にはそこで優劣をつけることはしちゃいけない。けど、それにしたって、すくなくともヴァイオリンを習って音大を目指していたのだから、と思うが、その人はきらきら星を弾いて、それしかできなかったというのだ、こぼした言葉によると、音大は偏差値が低いから、習ってたし、それで、というのだ。もちろん音大受験のそれを知った後はまた習い始めたのだが、これもおかしく、ピアノを習い、いそいで学ぶためミクロコスモスを課題にやっていたそうだが、全くわからなかったと、今でもダブルシャープ、ダブルフラットの意味が分からないという。それで私も一応はクラ(中高)とピアノ(小学から習い事)ができて、聴音のだいたいは早くに身に着けたので、そして演奏はあまり好きじゃないから作曲科に行った。Youtubeなどをみているとへきえきする、そんなことをこいつに話したら話を露骨に変えてこいつもキャバほか身体接触が許されないていどの夜職を転々としては、追い出され晒され、体験入学がどうのとかを話してバニラはどうだのバニラよりこっちのがだのと私に話してきて、正直どうでもいいし、そもそも聞いてない、そんなこと全く聞いていない、というところなのだ。
夜職、と書いたが、それが悪いということではないし、私のいちばんながく、ふるい友人もそれで、別にこいつはウタというのだが、そんな仕事のあれこれは話してこないし、お金はあるから趣味(バイクと電子楽器)に費やしていて、私もたまにお邪魔して、おーおもしろいと思っていたり。ウタはウタだけど、歌うのは好きじゃないらしい。私も好きじゃない
。
あとさっきのひとは、私が心臓をやってしまってそれから半年くらいで数日家に帰ったとき、通話を寄こしてくるのでとりあえず出たら、ずっと、延々とその次の職はどうしよう、どれなら身バレしないだろう、とかずっと話しかけてきて、そういうのは詳しくないから、まず、悩み事と考え事、それを踏まえた判断で総合しよう、とゆっくり話していたのに、延々そのことをはなされ、もうどうしようもないから詳細を聞いて一緒に考えてみた。
そうすると、AがBでA-cはいやだからなあ、と言うので、じゃあBだけのものを選ぼう、と提案すると、いや、AはA-dがあるからよくって、でもB-xは捨てがたいなあとか、さっき話された内容じゃ全く分からない、知らない、その内通者じゃないとわからない、ネットで調べられるものじゃないキータームをだしてくる。それで、「へえ、へえ」と聞いていて、夜が明けてきたので、これは大事だからって、こう考えようね(あなたのその考え方ちょっとおかしいよ)と話ししばらく黙るもんで、なにか気分悪くした?と聞くと、「この界隈で働いたことないくせにずけずけ言ってくんのイライラする」と。
それを言ったきりで、通話を切って、私がトークで謝っても「うっさい」とか「嫌い」「さよなら」とか言うんだって。はあ。私、一応まだ入院中で外界に触れて大丈夫かの経過観察でアパートに帰ってきてるのに、本当、私はどうしてこんな人と性別超えて付き合ったのだろうとめちゃくちゃ悲しくなるし、底なく虚しく感じた、空はよどみながらも青く見えた。その日は少し泣いた。
こういうやつ。こういうやつが私の話をするのだから私はまるで自分が鏡のように感じる、つまり、相手の歪んでいる様様を映すという。
このひとにも「何考えてるか全くわからない」と言われた
本当に困った。なんというか、もう消えてほしい
アラサー女だけど、我が子が今年の4月から小学生になるから鉛筆を久しぶりに買った
サンスター、クーリア、サンエックス、ディズニーみたいなファンシーグッズ出してる会社の可愛い鉛筆を使うのも楽しいし
三菱鉛筆、トンボ鉛筆、サクラクレパスのような筆記用具、画材を売っている国内メーカーの使い心地の良い鉛筆を使うのも楽しい
ちなみに使い心地は前者よりも、後者の鉛筆の方が使い心地は本格派
ちなみに私は色鉛筆も好きで、いつかプリズマカラーの150色セットを買いたい。数万円する
我が子が使い終わって短くなってもういらなくなった鉛筆をコレクションしたい
届くの楽しみだー
もし、私が過去に戻れたら、中学でも高校でも鉛筆を愛用しちゃうかも
ってか鉛筆っていうアイテム、小学校で卒業するには惜しい存在だったんだな
フォルダを漁っていたら、1999年5月に書かれた、自分のPC履歴が発掘されたので、貼り付けてみる。
なんだかんだ言って、私がパソコンを使うようになってから、10年近く経ってしまったのである。プログラムを組んで実行できる最初のマシンは、高校のときに購入したCASIOのプログラム電卓FX-502Pであるが、これはあくまで電卓であり、パソコンとは多少趣を異にするものであった。
パソコンとして最初に購入したのは、NECの8ビットマシンPC-8801MA2であり、完全なるゲームマシンであった。以下、16ビット時代に突入してEPSON PC-286VE、32ビットマシンのEPSON PC-486SEと続き、とうとう自作DOS/Vマシンをメインのマシンにするようになってしまうのであった。
これから、私のこのしょ~もない足跡を辿ってみたいと思う。PC-8801MA2~PC-486SEの項には、そのときハマったゲームの感想なども記してある。暇な方はこちらもどうぞ!?
小さい頃から、電気・電子関係が好きで、親にマイキット(パネル上にトランジスタとか抵抗、コンデンサなどが並べられており、スプリングになった端子にコードを挟んでそれらを繋いで回路を作る)や電子ブロック(透明なブロックにトランジスタや抵抗などが入っており、ブロックをボード上に配置して回路を作る)などを買ってもらい、それでラジオなどを作って遊んでいたのである。マイキットでラジオを作り、夜中にこっそりと深夜放送を聞いていました。(^^;
因みに、私がアマチュア無線の免許を取得したのは、小学生のときである。これは、ちょっと自慢してもいいと思う。
当時、「初歩のラジオ」とか「ラジオの製作」、「電波科学」などの雑誌をよく読んでいたのだが、流石に、中学生の私にはディジタル回路は難しく(というよりも、何をするためのものなのか、イマイチ理解できなかった)、ボードマイコンTK-80などに手を出すには至らなかった。
まぁ、何しろ当時は、マイコンといっても論理回路の動作から入る必要があったので、当然といえば当然であろう。
そして、関数電卓などをいじくり、「このキーとこのキーを同時に押すと変な表示になる!?」などと遊んでいた私が、最初に手にしたコンピュータらしきものは、カシオのプログラム電卓「FX-502P」である。
これは、512ステップまでのプログラムが組めるというもので、ちゃんと「GOTO」キーや「GOSUB」キー、「LABEL」キー、条件判定を設定するキーなどが用意されていて、結構本格的なものでした。レジスタも10個使えた。ランダムに数値を出力するキーも付いていたな。
プログラムライブラリ(本ですが)なども付いてきていて、掲載されている通りに打ち込むと、科学計算をやったりゲームなどを楽しむことができた。もちろん、プログラムを外部に記録しておくこともできたのだ。オプションが必要だが(買った)、普通のラジカセなどを使ってカセットテープにプログラムを記録するのである。
あと、FX-502Pでは、キーに4分音符や16分音符などが割り当てられていて、短音だが楽曲を打ち込むこともできた。上述のオプションを利用して、ラジカセなどで鳴らすのである。
学生時代は、ビンボーだったせいもあって、パソコンには縁がなかった。友人宅でシャープのTurboIIIなどでゲームをさせてもらうのが関の山なのであった。
で、就職して最初に購入したパソコンが、NECの8ビットパソコンの最終形態ともいうべきPC-8801MA2である。
当時は、既に16ビットパソコンのPC-9801Vm2なども発売されていたのだが、私の選択したのは8ビットマシンの「ハチハチ」なのであった。何故か?
それは、パソコンでゲームがしたかったからである。当時は、違法行為に限りなく近いレンタルソフト屋が横行していて、ゲームソフトなどが比較的安い価格で入手できた(ソフト毎のパラメータファイルでコピーを行うFile Masterは必需品)。また、ゲーム市場も8801主体であって、9801用のものはごく少なかったのである。
とにかく、とても全部やりきれないくらい、ゲームを借りまくった。
何を隠そう、私が8801を購入して、最初に買ったゲームがこれである。何で、最初からこんなに難易度の高いゲームを、と疑問を持つ向きもあろうが、要するに、当時はパソゲーなるものが全く分かっていなかったのである。しかも、あろうことか、購入時には、アクションRPGの先駆け的存在である「ソーサリアン」とこの「マイト・アンド・マジック」を天秤に掛けていたのである。
世間では、「クソゲー」との評価が一般的であるが、私は、このゲームは名作であると信じている。とにかく、世界が存在していて、プレイヤーはその世界に住むところから始まるのである。ストーリーは、最初は与えられず、発見したものだけがストーリーに参加できる。しかし、ストーリーに参加しなくても、とにかく世界が広大・深淵なので、アイテム探しやダンジョン探検だけでも、十分堪能できる。私は、後述する16ビットパソコンの時代まで、約3年以上もこのゲームにお世話になったのである。
「ドラクエ」シリーズで有名なエニックスのアドベンチャーゲーム(AVG)。
不気味な感じが大変心地よい秀作。本作では謎を残したまま終結し、後に「アンジェラス2」が発売されるが、時期を完全にはずしていたし、余り面白くなさそうだったので私はやっていない。
今はHゲーのメーカーになってしまった、しゃんばらのRPG。私の大好き(だった)漫画家、松田紘佳がキャラデザ他を手がけている。音楽もこの人だったな。もしかすると、「2」は後述のPC-286VEでプレイしたのかもしれない。海が舞台の、異色のRPG。とにかく海なので、3次元的に自在に移動できるのがミソ。階段を使って他の階へ移動する一般的なダンジョンとはひと味違うのである。
ただ、惜しむらくは、これは私がコピー品でプレイしていたから良くないのであろうが、2作ともエンディングを見れなかったことだ。
1作目では、「ピー」とビープ音がしてゲームがハングアップ。2作目では、たぶん最終場面であろう画面から1歩も進めず、アウト。
今あったら、正式に購入して再度挑戦してみたいゲームではある。
かのアスキーが発売していた、Hゲー。ダンジョンを歩き回るRPGである。
このゲームは、とにかくノリが非常によく、テンポが軽快で楽しいゲームであった。ゲーム自体は、6階+αの「ウロボロスの塔」を探検して、秘密を探るというもので、出てくるモンスターが女の子で、ダメージを与える度に女の子が1枚ずつ服を脱いでいくという、他愛もないものである。
このゲームをして最初に驚かされたのは、グラフィックの描画の早さである。何だかんだ言っても、8ビットパソコンであるので、当時のゲーム、特に、グラフィックを強調したゲームでは、描画に恐ろしく時間がかかった。一枚の画像を出すのに数秒、ひどいものでは、数十秒、なんていうのもあった。
そんな中で、この「カオス・エンジェルス」は、とにかく、一瞬で画像が描き換わった。これは、当時ではとても新鮮なことであった。
また、そのBGMもとても斬新で、簡単なFM音源を使いながら、とてもハイセンスな雰囲気を醸し出していたのだ。音楽の秀逸さでは、水龍士といい勝負かもしれない。
しかし、このゲームの最大のポイントは、「洒落っけ」にあると思う。ダンジョンの壁に、前に探検した人の落書きがあって、これがまた奥が深く面白い。この落書きがゲームのヒントにもなっているのだが、関係のない落書きもあって、これを探すだけでも、結構楽しめた。
当時、特にスタジオピエロ系のキャラクターもののゲームを数多く出していた、マイクロキャビンのAVG。マイクロキャビンでは、この後も、「めぞん一刻」や「気まぐれオレンジロード」などのキャラ系ゲームを続々と発売していた。
このゲームは、少年サンデーに連載されて、アニメ化もされ一世を風靡した、高橋留美子の同名の漫画「うる星やつら」をゲーム化したものである。
ゲーム内容は、確か、面堂家の誰か(終太郎か、了子か、どっちか忘れた、たぶん了子だ)の誕生日に招待されたお馴染みのメンバーが「迷路」を探索しながらゴールにたどり着くというものである。何かのイベントを経る毎に、時間が経過していき、それにより結果が変化するというのと、途中の行動で結果が変化するということで、数種類のエンディングが用意されていたように思う。
マルチエンディングや時間の概念は今でこそ珍しくもないが、当時では結構画期的なことであったのだ。
フェアリーテール(ELF)の伝説的名作AVGである。確か「2」もあった。フェアリーテール(ELF)のAVGは、何かこう、独特の雰囲気があって、それが私は非常に気に入っていた。なんていうか、どことなく寂しげな感触というか、ちょっと空虚な感じとでもいおうか。キャラクターや展開、秀逸なBGMなどが、この雰囲気を醸し出しているのだ。
フェアリーテール(ELF)のAVGは、この他にも相当やった。「ELLE」なんかは、最後のどんでん返しが強烈でした。
そのほかにも、いろいろゲームはやったが、とんでもねーゲームを一つだけ…
これは、要するに当時大流行の「北斗の拳」のパロディーHゲーである。
ゲーム内容がくだらないのもさることながら(あまりにくだらなすぎて、ケンシロウのようなキャラが出てくること以外、忘れた)、その作りがとにかく凄い。
これは想像だが、このゲームは、おそらくN88-BASICで組まれている。なぜなら、まず、ストップキーでゲームが止まってしまう。そして、そのとき、画面の左上隅に「>C^」が出る(分かる人には分かるね!?)。
そして、NECの8801,9801シリーズのパソコンには必ず付いていた、画面のハードコピーを取るキー「COPY」を押すと、押したときに表示されている画面をプリンタに印刷することができる。
なんか、「流行だから適当に作って一発当てよう」という意図の見え見えなゲームでありました。
…そうこうしているうちに、8ビットパソコンは衰退し、ゲームソフトも発売されなくなって、世の中は16ビットパソコンの時代へと、大幅に突入したのだった。
そこで購入したのが、NECではなくて、EPSONのパソコンなのである。ここいらへんに、私の偏屈さがにじみ出ていますね~。(^^;
パソコンに金をかけだしたのも、このころからである。…まぁ、8801じゃあ、金をかけようにもかけるところがないですが。(^^)
今ではもう信じられないが、当時は、1MB/1万円がメモリの相場であった。しかも、メモリをパソコンに組み込むには面倒な設定がいくつも必要で、さらに、汎用のスロットを一つ占有してしまうのだった。また、今でこそ、SIMMとかDIMMとかいって、大容量がコンパクトに収納されているが、当時は、たとえ1MBでも、12cm角くらいの基板にチップがびっしり載っていたのだった。
それでも、1MBあると無いとでは、雲泥の差があった。
これも、今ではもう信じられないが、当時は、例えば40MBで8万円位した。しかも専用のインターフェイスが要る。これでまたスロットが一つ埋まったのであった。
でも、当時のソフトは、40MBでもお釣りが来るくらいの容量だったんだよね~。
あと、このマシンから、パソコン通信を始めた。当然NIFTY Serveから。
当時は、WTERMを使い、通信速度も2400bpsであった。50kBの画像をダウンロードするのに何分もかかり、さらにその画像を表示するのに何分もかかった。大変な時代であった。
このPC-286VEは、後に友人の手に渡り、そこでVRAM異常が発生してお亡くなりになってしまいましたとさ。合掌。
このマシンでも、ゲームはずいぶんとやった。中で、印象深いものをいくつか紹介しようと思う。
上述したものと同じである。当然、続きではなくて、新規に始めた。やはり8ビットのものと比べて速い。何しろ、8ビット版は2DDのディスク4枚組で、地上、ダンジョン、城、と場所を変える度にディスクの入れ替えが必要だった上、そのたび毎に、システムディスクに書き込み(1分くらいかかった、マジで…)をしていたのだ。それがなくなっただけでも、快適である。ただ、8ビット版の頃はあったBGMがなくなってしまったのは、ちょっと寂しかったが。
なかなかハマった。各エンディングも味わい深いもので、30数種類あるといわれているエンディングを20数種類まで見て、飽きてやめた。プリンセスと謎のエンディングは見ていない。けど、いいや。
「1」と「2」は、3Dダンジョンもの。当時は3Dダンジョンでさえ珍しかったのに、Hゲーで3Dダンジョンというのは、相当なインパクトがあった。ゲーム的にもよく練れており、ダンジョンの仕掛けも良くできていた。Hゲーという観点を排除して、単にゲームとしてみた場合に、非常に完成度の高いゲームであった。
「3」は、確かドラクエタイプの2DのRPG。「4」は、ダンジョンに戻ったのだっけかな?この辺はあんまり印象にないのだな。「5」は、私の大嫌いなシミュレーションで、遂にエンディングを見ることができなかった。…と言うよりは、途中でつまんなくって止めた。「4」と「5」は、多分、後述のPC-486SEでやっている。
これは、今更説明するまでもない、ELFが世に放つ名作中の名作。このゲームが今までのゲームの流れを一気に変えたといってもいいでしょう。味のあるキャラクタ(しかも大勢!)に、深みのあるストーリー。それぞれが練りに練られたマルチエンディング。とってもシビアな時間の概念。所持金の存在も内容に深みを与えています。
さらに、複雑なフラグ制御がすばらしい。よくあれだけの条件設定をして、ゲームが破綻しないものだ。
そして、何より高校生最後の夏休みという、絶妙のセッティング。
とにかく、この「同級生」は、何遍やっても違った展開になるし、違った楽しみ方ができるゲームという、画期的なゲームでした。
後に「2」も出て、共通するキャラクタも出演している。私は、「2」は後述する32ビット版でやったのだけれど、その面白さは全く失われてはいませんでした。恐るべし、ELF。
そのうち、世の中はウィンドウズ時代に突入し、パソコンも16ビットパソコンから32ビットパソコンへと移行していったのである。…といっても、ウィンドウズ3.1は、とっくに発売されていたが、ゲームの世界が未だにDOSベースだったので、それまでは何とかなっていたのであった。が、こう周りがウィンドウズだらけになってくると、流石に不安になって、DOSからの移行を考えざるを得なくなってしまったのであった。
上述のPC-286VEでも、ウィンドウズを試してみたことがあった。そのころは、ウィンドウズは3.0で、フロッピー5枚組という、今から考えればささやかな構成であった。当時は、ウィンドウズ3.0対応のソフトもほとんどなく、これは試してみるだけで終わったが。
実は、32ビットパソコンへの移行の際に、一つの考えがあったのである。つまり、Macへの移行である。当時、Macの世界も変革の時期を迎えていたらしく、小さい筐体が却って可愛らしい Permalink | 記事への反応(2) | 12:53
東芝って何やっても絶妙に上手くいかない、何故なら技術力は高かったのにそのパッケージとマーケティング、要するに売り出し方が悪かったからだ。どうすれば一般に膾炙されるかを考えなかった。今じゃREGZAもハイセンスでタイムシフトマシンをギリギリ残しているだけ、REGZAフォンは秒殺だし、Dynabookはシャープ、Aulexブランドを持っているのにワイヤレスイヤホンの波に乗れずCDプレーヤーの新型などを作っている。
ところが東芝メモリ、コイツらはギリギリ持ち堪えた。しかし親の東芝が倒れそうになっている。このまま一緒に倒れさせてはいけない。故に東芝の冠を外し、キオクシアとして船出を遂げた。沈まないと良いなと思っている。