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2025-03-04

anond:20250304120802

女は自他境界がないからね

あたしがこう感じているんだから相手もこう感じているに違いないっていう考えが基本的にある(投影バイアスと言うらしい)

コンパニオンAV女優だったり体を露出する女をめちゃくちゃに叩くのも、他人自分を同一視する投影バイアスが常時発動しているせいで「あたしが体を露出している!?何で!?そんなことしたくないのに!!」と脳が誤認してパニックを起こすから

自分他人シンクロ率100%であるべきで低くなると落ち着かない

その不安から自分を守るために攻撃的になる

赤いきつねCMもそうで、他人自分と同じであるべきなのに、「顔を赤らめながらカップ麺を食べる」とか「冬なのに一人暮らしの部屋のカーテンを開けている」とか「泣くほど感情移入して見ているドラマをほったらかしてカップ麺を食べる準備をする」とか自分がしない・したくない行動を連発されてるから「あたしがしないようなことをしないで!!」と発狂している

anond:20250304113650

そもそも23区一人暮らしするっていうのが現実離れしてる。

東京一人暮らしっていうなら日野とか八王子あたりで1ルーム3万4万で中央線つかって都心にでるのが定番

23区の1人ぐらしの平均家賃10万円ってマジ??

どうやって暮らしてんだよ

俺は年収2000万だけど家賃13万でたけーとおもってんのに

平均・・・

考えてみたら、23区収入統計たことないな

東京しかない

東京の30代の平均年収は462万円、普通じゃん

ひょっとして誰かが釣り上げてる?と思ったけど、前に家賃20万超えてた時すげー物件数少なかったんだよね

てことはやっぱ10万円台で団子ってことか、みんな苦しいんだな

 

年収800万の手取り560万だとしたら、12ヶ月分割の1/4で11.6万か

うーん、中年一人暮らしが多いってことかなあ

ひな祭りの晩ごはん

私、アラサー独身一人暮らし

昨日ひな祭りということを忘れ、麻婆茄子を作って食べました

実家暮らしていた頃は、でかい雛人形が飾られ、ちらし寿司と蛤のお吸い物が出ていた

あんなに季節の行事大事にした家庭で育ったのに、ぼんやりよつばと読みながら麻婆茄子食べて過ごしてしまった

ちょっと寂しい気もするが、気楽でもある

実家では私のためにまだ毎年雛人形が飾られている

大学院進学 or アルバイト

大学院に進学するか上京してアルバイトをするか真剣に悩んでいる。

大学院進学

メリット

あと2年間は楽しい

実家ぬくぬく

就職サポートあり

学歴ゲット

デメリット

私文の上に自分に才能がないため大した成果はあげられない

新車買うくらい金がかかるので勉強しながらアルバイト漬けになる

上京アルバイト

メリット

第1志望会社求人正社員登用の可能性もあり

尊敬する人たちと一緒に働ける

その業界職歴がつく

普通方法でその会社に入ることは出来ないのでまたとないチャンス

デメリット

一人暮らし

収入

正社員登用される見込みは非常に薄い

そもそも生活が成り立つのか疑問

まだ採用内定も決まってないけど、両方通っちゃった場合自分はどうすればいいんだろう。

客観的意見が欲しい。

anond:20250303014359

から何かあったら揉めた日時記録してみ

多分周期的にそうなってるはず

ようはPMSってやつなんだけど自覚できない人もいる

というか、PMS最中自然思考が0か100かになるので、その瞬間は本気で離婚したいと思っている

次の日、遅くとも3日後にでもなれば正気に戻って来るし正気の時は離婚したくなんてないんだと思う

PMS中とそうでない時でもはや別の人間になっているとしか思えない

周期的だとわかったら婦人科受診を勧めてあげてもいいかもしれない(もちろん正気な期間にな)

PMSにおいて他の症状が酷かった場合自覚があるが、軽い場合メンタルだけなので自覚できない事が多い

一人暮らし期間が長かったり長く続いた元彼がいないとかで別にヘラトリガーもなくて、結婚数年経ったり出産するまでメンタル崩壊したことがなかったか自覚出来てない人もいる

面倒だが毎回誠実に向き合いつつ、記録を付けて教えてやるしかない

悪気はないというのもおかしいが、一貫性がないのはホルモンバランスが原因だから多めに見てやってほしい

2025-03-02

anond:20250302140238

12章:5000万しかない

全国大会に向けた特訓を続けながらも、家に居づらくなったお姉さんはついに決断した。

「……一人暮らし、始めるか」

からの小言はうるさいし、幼馴染夫婦から心配も正直鬱陶しい。

だったら、誰にも迷惑をかけずに自由に暮らせる環境を作ればいい。

そう思い、駅近のマンション契約し、引っ越しを終えた。

広めの1LDK、家賃18万。

家具家電も一通りそろえたら、初期費用100万近く吹っ飛んだ。

お姉さん「まぁでも、貯金は5000万あるしな」

ソファにどかっと座り、コーヒーを飲みながら考える。

実家暮らしで貯めた5000万。

これだけあれば、しばらくは何とかなる——。

……はずだった。

しかし、初めての家計簿アプリを開いたお姉さんは、ある事実に直面する。

第13章:5000万のリアル

家賃:18万

光熱費:1.5万

ネット代:1万

食費:5万

趣味カード代):10

その他(交際費・雑費):5万

合計:40.5万

お姉さん「……あれ?」

スマホ画面を見つめながら、計算し直す。

お姉さん「……毎月40万減るってことは、1年で480万。10年で4800万……」

お姉さん「10しかもたねぇじゃん!!」

焦った。

貯金5000万は一生遊んで暮らせる額だと思ってたのに、計算してみると、たった10年で尽きる現実

しかも、10年後に無職40代になった自分想像すると、寒気がする。

お姉さん「……やばくね?」

冷静に考えれば、今すぐ困るわけじゃない。

でも、"10年後"の自分想像したら、不安が襲ってくる。

その時、自分はどうしてる?

カードゲームのプロになれてる?

それとも、ただの無職中年になってる?

お姉さん「……」

わずコーヒーを一気に飲み干した。

第14章:少年の無邪気さ

そんな悩みを抱えたまま、いつものカードショップに行くと、少年が無邪気に駆け寄ってきた。

少年「お姉さん!!聞いてくれ!オレ、新しいデッキ組んだんだ!!」

お姉さん「……そっか。見せてみ?」

少年キラキラした目でデッキを広げる。

その姿を見て、お姉さんは思った。

(こいつはいいよな……将来とか考えなくていい歳で)

でも、自分はもうそんな時期を過ぎた。

「好きなことで生きていく」なんて、そんな甘い話じゃない。

お姉さん(……どうするよ、オレ)

5000万しかない。

10年後の自分が怖い。

けど、今さら普通に働く気にはなれない——。

お姉さんは、少年デッキを眺めながら、心の中に重いものを抱えていた。

2025-02-28

派遣とかフリーターとかで一人暮らししてる人、給料的に貯金とかもあんまり出来ず、仕事も突然なくなるリスクありそうなのに、どうやって平常心を保って生きてるんだ

anond:20250228153225

男の一人暮らし犬猫飼ってる奴は100%オナホとして使ってるんだけど

女もその手のことやってんのかな

2025-02-27

日本郵政だったら

一人暮らし女の郵便物に常に薬物ぶっかけ

徐々に弱らせて中毒死させ

女のゆうちょ銀行の口座のカネを

気づかれないまま国庫没収

ミソジニー裁判官グループ山分

ということが出来るわけだ

女の地域裁判所にはヤバいのが多く

慰謝料が振込口座の情報掴んでるから

ぜったい目をつけてやがるだろう

預金を預けたら危険銀行なわけだ

ということがわかった

法務省司法試験委員会裁判官らは

自分らの計画がバレていることに気づいた

いまさら遅い

さて次はどんな手で

女殺しゲームをするのかな?

日本郵政ゆうちょ銀の株を手放す

おしゃべりハラスメント

私はおしゃべりな家系で育った。父も母も元を辿れば商人血筋で本人たちも自営業、加えて女だらけの家族なので、まーとにかく実家では誰かが喋ってる。結婚して夫に下記をすごく怒られてシュンとしている。

・話しかける時はまず相手が何をしているか見ろ。携帯をいじっていたりテレビを見たりしていたら一旦話しかけるのを待つこと。

・↑を待たずに話しかけて、返答が無くて拗ねるのは無し。

テレビCM中、スポーツは休憩中以外テレビ関係ない話するのはNG

・同じ話NG。仕方なく同じ話をする時は「前言ったかもだけど」を枕につけること。

・話盛るNG

ジョークの「うるせぇ」「だまれ」にいちいち傷つかないこと。

結論から言うこと。グダグダ関係ない前置を離さないこと。

実家ではテレビ中話しかけるなんて当たり前で、全ての話にオチがないし、姿が見えなくても誰かしらが話しかけてくるからトイレやお風呂は開けて入る(声が聞こえないから)くらいおしゃべり一家なので、上のルールしんど…。てかみんなそんなに相手の顔色伺って話してんの?辛くない?一人暮らしも長かったからすっかり実家風喋り封印したつもりだったけど、実家に帰るとすぐ実家に染まってしまルール忘れてまた怒られる。実家じゃないから気をつけようと思っていても実家ギャップありすぎて。ちなみに夫は男4兄弟長男です。

結婚前はそんな事言わずに明るい君が好きだよ♪とか言っていたのにな。まぁ遠距離恋愛から結婚、育休で夫と接する時間が急激に長くなって恋の魔法も解けてあれ?こいつうるせ〜〜〜!!なんですかね。残念!

子供女の子でよかった。早く娘とたくさんルールに縛られずにたくさんしゃべりたい!!!!!

anond:20250226115227

元々興味はあったけれど、機会がなかったからやることもなかったみたいなところから

意外に近所でもやってるところあるじゃん!と気づいてやるようになったことならあるな。

ただ、元の興味が1020代なので、40代になって新たに始めたかというと違うような気もする。

あとは昔遊びの類いとかは子供の頃は全然上手にできなかったのに、30代くらいで子供と一緒にやってみたら意外にできるみたいなことはある。

teensより前は体ができあがっていなかったから単に難しかっただけで、体ができあがってから時間がとれなくなったみたいなのなんだろうな。

子育てとかも18歳くらいですでにやりたいなーと思ってたけど、実際にやったのは30代からってだけだから

30・40代で始めたとは言いづらい。

親と住んでいたときは親の許可を得ないとできないことは基本できなかったと思うし、

一人暮らしして新たに始めた趣味というとサーバー管理くらいだけれど、それもteensのころにすでにやりたいと思ってたし、

意外と20代から先でもteens終わるまでに興味があったことを超えられていないかもしれない。

2025-02-26

野菜なんか食べなくても大きくなれると思っていた

私は野菜が大嫌いだ。

あのようなまずものを嬉々として食べる人の気が知れない。

野菜なんか食べなくても大きくなれる。

現に、これまでの人生でまともに野菜を食べずとも生きてこられたのだ。

そう思っていたが、間違いだった。私は見てしまった。夕飯の準備をする母が、ハンバーグのひき肉に大量のすりおろし人参を混ぜているところを。カレーに大量の玉ねぎを混入する母の姿を。

私が今まで食べていたのはハンバーグではなかった。半分は人参だった。母の愛情のこもったカレーは、具として入っているのも含めると1/3は玉ねぎでできていた。

野菜を食べずとも大きくなれたのではない。母が私にバレないように大量のすりおろし野菜を仕込んでいたから、野菜を食べずとも大きくなれたのだと思い込んでいたのだ。

私は春から大学生になる。いずれは一人暮らしもする。いつまでも母がすりおろし野菜を入れてくれるわけではない。

私は野菜嫌いを克服することを誓った。大人になってから今までの習慣や癖などを直すのは困難だと言う。好き嫌いを直すチャンスも、ギリギリ10である今が最後だろう。

あるとき、駅の構内にある喫茶店パスタプレートを注文した。店内はオレンジ色がかった照明と、オシャレな音楽がかかっていて落ち着いた雰囲気。この落ち着いた大人ムード漂う空間ならば、野菜嫌いな子供自分を克服できるかもしれない。

パスタプレートには、小さいサラダが一緒についてくる。緑の葉っぱの中に、なんか紫っぽい葉っぱと赤い玉ねぎみたいなのが入っている。植物なのに色がサイケデリック勇気を振り絞って口に運んでみる。

シャキシャキ感がすごい。すごい苦い。水分がすごい。あとかかってるドレッシングが酸っぱい。ただただまずい。

小学校担任に「野菜も食べろ」と言われて口に入れたものの飲み込めず、こっそりトイレで吐いた記憶が蘇る。

吐くことはなかったものの、全然だめだった。この時気がついたが、私は野菜を「食べ物」「料理」ではなく、完全に「植物」「葉っぱ」と認識しているっぽい。

新鮮な葉物野菜を噛んだ時のシャキシャキした感触が、中学生の頃顕微鏡で見た、植物細胞壁の四角形を想起させてしまってダメだ。

しかし私は諦めない。思うに、まずはマヨネーズごまドレッシングなどのまろやか系から挑戦すれば良いのではないか

とにかく、野菜を好きになるまでは行かなくとも、健康を保てる量の野菜摂取できるようになりたい。

テレビサイズ

最近は30インチ以上が当たり前みたいになってるな

ヨドバシとか見てきても30未満ってほとんど件数がない

狭い部屋の一人暮らしの人が買うことほとんどなくなったから、部屋が大きいファミリー層向けしかなくなってきてるんかな

Claude 3.7 sonnetに小説を書かせてみた

### キッチンの向こう側

わたし大学に入った年、父が死んだ。それは五月の、少し肌寒い日だった。まだ新しい大学生活に慣れていない時期に、世界の一部が崩れ落ちた。病院から電話があったのは、授業の途中だった。廊下に出て電話を受けたとき、窓から見えた空は妙に青すぎて、それが不謹慎に思えた。

葬式の日は雨だった。それから、雨の日には必ず父のことを思い出すようになった。その年の夏は、異常に雨が多かった。いつの間にか、世界全体が湿っぽい灰色に染まっていった。

大学教室は、思ったより広かった。高校までの教室とは違って、誰も生徒のことなど気にしていなかった。教授は前で一方的に話し、学生たちはそれぞれの方法時間を過ごしていた。ノートを取る人、スマホをいじる人、居眠りをする人。わたしは、ただぼんやりと窓の外を眺めていた。

彼女、いつも一人だね」

後ろの席から聞こえてきた声に、振り向かなかった。どうせ他人の噂話なのだろうと思ったが、それはわたしのことだった。気づくと、ひとりでいることが当たり前になっていた。

父は料理人だった。小さな和食店を営んでいて、わたしが小さい頃からキッチンの向こう側で包丁を握る父の姿を見て育った。父の料理の音と匂いが、わたし記憶の一部になっていた。ザクザク野菜を切る音、出汁が沸く香り、魚をさばくとき真剣な表情。そんな父が、ある日突然、脳卒中で倒れた。病院に運ばれてから二週間、意識が戻ることなく逝ってしまった。

「お母さん、店はどうするの?」と聞いたとき、母は疲れた顔で微笑んだ。

「閉めるよ。わたしには、お父さんみたいな腕はないから」

父の店は、わたしの第二の家だった。学校から帰ると、いつも店の奥で宿題をした。客が少ない時間には、父が横に座って数学を教えてくれた。「料理数学も、バランス大事なんだ」と言っていた。その店がなくなるということが、父の死よりも現実味を持って迫ってきた。

大学の授業は、興味を持てるものが少なかった。文学部に入ったのは、本が好きだったからだけど、専門的な分析理論を学ぶことに、空虚さを感じていた。教室の中で、みんなが真剣議論しているときも、わたしの心はどこか別の場所にあった。

アパートに帰ると、静かすぎる部屋がわたしを迎えた。実家から離れて一人暮らしを始めたのは、新しい環境心機一転たかたからだ。でも今は、その選択が間違っていたような気がしていた。テレビをつけっぱなしにして、誰かがいる気配を作り出した。

夜は不思議な夢を見ることが多くなった。父がキッチンに立っている夢。でも、振り向いた父の顔が、誰か他人の顔になっている夢。高い塔から落ちる夢。海の底で、誰かが名前を呼ぶ夢。朝起きると、枕が涙で濡れていることがあった。

母は週に一度、電話をくれた。「大丈夫?」という質問に、いつも「うん、大丈夫」と答えた。大丈夫じゃなかったけど、母を心配させたくなかった。父が亡くなってから、母は急に年を取ったように見えた。電話の向こうの声は、いつも疲れていた。

料理、してる?」と母が聞いた。

インスタント食べてる」と答えると、母は少し悲しそうな声で笑った。

「お父さんが聞いたら、怒るわね」

そうだった。父は、わたし料理を教えようとしていた。「いつか、一緒に店をやろう」と言っていた。でも、わたしは興味を示さなかった。今になって、もっとから学んでおけばよかったと後悔していた。

五月が過ぎ、梅雨が来た。毎日雨が降り、湿度が高く、部屋の中の物まで湿っているような気がした。教科書のページがくっつき、髪は広がり、布団はじめじめしていた。そんな中、わたし図書館で多くの時間を過ごすようになった。

図書館は、静かだった。でも、一人でいることが苦痛ではない唯一の場所だった。本の間を歩きながら、偶然手に取った小説に心を奪われた。それは、ある料理人物語だった。幼い頃に両親を亡くし、料理世界で生きていく若者の話。その主人公が作る料理描写が、あまりにも父の料理と似ていて、読みながら泣いてしまった。

図書館で働き始めたのは、六月の終わりだった。アルバイトを探していたところ、図書館募集があった。静かな環境で、本に囲まれて働けるのは、わたしにとって理想的だった。本を整理したり、返却された本を棚に戻したりする仕事は、単調だけど心地よかった。

「君、いつも同じ本を読んでるね」

ある日、司書鈴木さんがそう声をかけてきた。五十代くらいの女性で、いつも穏やかな笑顔を浮かべていた。

料理本が好きなの?」

「父が料理人だったんです」と答えると、「だったんです」という過去形自分違和感を覚えた。

「そうなんだ」と鈴木さんは言った。「わたしの息子も料理人になりたがっていたけど、途中で挫折してしまってね」

何気ない会話だったけど、鈴木さんとはそれからよく話すようになった。彼女は、わたしの父のことを知りたがった。どんな料理を作っていたのか、どんな人だったのか。話していると、不思議と心が軽くなった。

七月に入ると、大学は前期試験の準備で忙しくなった。わたしは、ほとんど授業に出ていなかったことに気づいた。図書館必死勉強したけど、内容が頭に入ってこなかった。試験当日、問題用紙を前にして、頭の中が真っ白になった。鉛筆を握る手が震えた。

大丈夫?」隣の席の女の子が小声で聞いてきた。

首を横に振ると、彼女心配そうな顔をした。

試験終わったら、一緒にお茶でもどう?」

の子名前は、里奈といった。同じ文学部学生で、いつも授業の前の席に座っていた。優しい声と、少し丸みを帯びた顔が印象的だった。試験のあと、二人で大学近くのカフェに行った。

「実は、前からしかたかったの」と里奈は言った。「でも、いつも遠くを見てるみたいで、声をかけるタイミングがなくて」

彼女は、思ったことをすぐ口にする人だった。わたしとは正反対タイプ。でも、その率直さに心地よさを感じた。

「父が亡くなったの」とわたしは言った。口に出したのは、里奈が初めてだった。

「そうだったんだ」と彼女は言った。特別言葉はなかったけど、その反応が自然で、わたしは少し安心した。

その日から里奈とはよく一緒にいるようになった。彼女存在は、灰色だった大学生活に少しだけ色を加えた。彼女が話す他の学生の噂話や、教授の変わった癖の話を聞いていると、自分大学生活の一部になれたような気がした。

八月になると、実家に帰った。母は、少し痩せていた。家の中は、きれいに片付いていたけど、父のいない空間は、まだ違和感があった。父の形見のように、包丁だけはそのまま台所にあった。

「使ってみる?」と母が言った。

わたしは恐る恐る包丁を手に取った。重かった。父の手になじむように作られた包丁は、わたしの手には大きすぎた。でも、握っていると不思議安心感があった。

「お父さんの料理ノート、見つけたの」と母は言った。「あなたに見せようと思って」

それは、古いノートだった。日付と料理名、材料や作り方が細かく書かれていた。途中、「娘に教えるとき注意」と書かれたページがあった。そこには、わたしが苦手そうな工程や、間違えやすポイントが書かれていた。父は、いつかわたし料理を教えることを想定していたのだ。

そのノートを持って、わたし台所に立った。まずは簡単出汁から作ってみることにした。ノートに書かれた通りに材料を用意し、火にかけると、懐かしい香り台所に広がった。父の料理の原点とも言える香り。その香りに包まれながら、わたしは初めて父の死を実感として受け止めることができた。涙があふれ出た。

「お父さんは、きっと喜んでるわ」と母は言った。二人で出汁を使った簡単味噌汁を作り、久しぶりに一緒に食卓を囲んだ。

夏休みが終わり、大学に戻ったときわたしの中で何かが変わっていた。父のノートを持ってきて、週末になると自分料理を作るようになった。最初は失敗ばかりだったけど、何度も挑戦するうちに、少しずつできるようになっていった。

「へえ、料理するんだ」と里奈は驚いた顔をした。彼女を招いて、初めて人に料理を振る舞った日、緊張で手が震えた。でも、「おいしい」と言ってくれた里奈笑顔を見て、少し自信がついた。

後期の授業が始まりわたし文学の授業を真面目に受けるようになった。特に、食をテーマにした文学に興味を持ち始めた。食べることは生きること。料理することは、誰かに愛情を伝えること。そんなことを、文学の中に見つけられるようになった。

図書館では、鈴木さんにわたしの変化を指摘された。

最近、顔色がいいわね」と彼女は言った。「何かいいことあった?」

料理を始めたんです」と答えると、鈴木さんは嬉しそうに微笑んだ。

「それは素晴らしいわ。いつか、わたしにも作ってほしいな」

十月になると、大学学園祭の準備が始まった。里奈に誘われて、文学部喫茶店企画を手伝うことになった。わたしは、迷わず料理担当を志願した。メニューを考えるとき、父のノートを参考にした。シンプルだけど、心のこもったメニュー

学園祭当日、わたしたちの喫茶店は予想以上に人気だった。特にわたしが作ったさつまいもスープが好評で、あっという間に売り切れてしまった。「秘密レシピは?」と聞かれると、「父から教わったの」と答えた。それは嘘ではなかった。父のノートから学んだレシピだった。

喫茶店を訪れたお客さんの中に、一人の男性がいた。三十代くらいで、どこか父に似た雰囲気を持っていた。彼は、スープを飲み終わると、わたしのところにやってきた。

「このスープ、とても懐かしい味がする」と彼は言った。「昔、よく行っていた和食店の味に似ているんだ」

わたしは驚いて尋ねた。「もしかして、『桜木』という店ですか?」

彼の目が大きく開いた。「そうだよ。知ってるの?」

「父の店です」とわたしは答えた。

彼の名前健太といった。父の店の常連客で、大学時代によく通っていたという。父の料理ファンで、店が閉まったあと、同じ味を探していたらしい。「君のスープを飲んだとき、店主の技を受け継いでいると思ったんだ」と健太は言った。その言葉に、胸が熱くなった。

学園祭が終わり、健太とは連絡を取り合うようになった。彼は料理研究家として活動していて、様々な食の知識を持っていた。わたし料理相談に乗ってくれたり、時には批評してくれたりした。彼との会話は、いつも刺激的だった。

「君のお父さんの料理は、シンプルだけど深みがあった」と健太は言った。「それは、材料を深く理解していたからだと思う」

それを聞いて、わたしは父がよく言っていた言葉を思い出した。「料理材料との対話だ」と。

十一月になると、寒さが増してきた。大学教室も、以前より寒く感じるようになった。でも、周囲の景色は、以前より鮮やかに見えるようになっていた。授業中に窓の外を眺めても、もう虚無感はなかった。ノートには、びっしりメモが書かれていた。

図書館仕事も充実していた。鈴木さんは、わたしに古い料理の本を紹介してくれた。古典的和食技法や、忘れられつつある郷土料理の本。それらを読むたびに、父の料理の原点が少しずつ見えてきた。

「君、将来は何をしたいの?」とある日、鈴木さんに聞かれた。

わたしは少し考えてから答えた。「まだわからないけど、料理文学、両方に関わる仕事ができたらいいなと思います

「それは素敵な夢ね」と鈴木さんは言った。「食べることも、読むことも、どちらも人間の根源的な喜びだもの

十二月大学冬休みが近づいてきた。試験勉強をしながら、クリスマスには何を作ろうかと考えていた。里奈を誘って、一緒にパーティーをする計画を立てていた。

「ねえ、健太さんも誘ったら?」と里奈提案した。彼女健太のことを、「料理のお兄さん」と呼んでいた。

「でも、年上だし、忙しいかも」とわたしは迷った。

「聞いてみなきゃわからないでしょ」と里奈は言った。

思い切って健太を誘うと、意外にもすぐに承諾してくれた。「楽しみにしているよ」というメッセージに、なぜか心臓が速く鳴った。

クリスマスの日、わたしは朝から料理の準備をした。父のノートを見ながら、特別メニューを考えた。前菜スープ、メイン、デザート。どれも父の教えを基本にしながら、わたしなりのアレンジを加えたものだった。

里奈が先に来て、一緒に部屋の飾りつけをした。「すごいね、こんなに料理が上手になるなんて」と彼女は言った。「大学に入ったばかりの頃は、本当に別人みたいだったよ」

健太が来たとき、緊張でドアを開けるのに時間がかかった。彼は、ワイン花束を持ってきてくれた。「いい香りがするね」と部屋に入るなり言った。

三人での食事は、想像以上に楽しかった。里奈のおしゃべりに、健太の食の話、わたし料理。それぞれが持ち寄った空気が、部屋を温かく満たした。

乾杯しよう」と健太が言った。「新しい出会いと、古い記憶に」

グラスを合わせたとき、窓の外では雪が降り始めていた。

「この料理、本当においしい」と健太は言った。「君のお父さんの味を感じるよ。でも、それだけじゃない。君自身の味がある」

その言葉に、わたしは思わず泣きそうになった。父の料理を超えることなんて、まだまだできないけれど、自分の味を見つけ始めているということが嬉しかった。

里奈は、わたし健太の会話を見ながら、にやにやしていた。「ねえ、二人とも、もしかして…」と言いかけて、わたしに肘で軽く突かれると、「何でもない」と笑った。

夜が更けて、里奈が帰ったあと、健太はもう少し残った。「話があるんだ」と彼は言った。真剣な顔つきに、緊張した。

「実は、料理本の企画をしているんだ」と健太は言った。「伝統的な和食技法を、現代視点解説する本。その中で、君のお父さんの料理も紹介したいと思っている」

わたしは驚いて言葉が出なかった。

「もちろん、君の力も借りたい」と彼は続けた。「文章を書くのが上手だし、何より君はお父さんの味を知っている」

その提案は、あまりにも突然で、すぐには返事ができなかった。でも、胸の中に温かいものが広がるのを感じた。父の料理を、このまま消えさせたくない。そう思っていた気持ちが、形になるチャンスだった。

「考えさせてください」とわたしは言った。健太笑顔で頷いた。

「急がないで。でも、君なら素晴らしい仕事ができると思う」

その夜、久しぶりに父の夢を見た。でも、以前のような悲しい夢ではなかった。父がキッチン料理をしていて、わたしもその隣で一緒に料理をしている夢。父が微笑みながら、わたし料理を褒めてくれる夢。

朝起きると、決心がついていた。健太に連絡して、企画に参加する意思を伝えた。「ありがとう」という返事が来た。「一緒に、素晴らしいものを作ろう」

年が明け、大学では卒業論文テーマを考え始める時期になった。わたしは迷わず、「文学における食の表象」をテーマに選んだ。文学の中で、食がどのように描かれているか。それは人間関係や文化時代背景をどう映し出しているか。そんなことを研究したいと思った。

指導教授は、最初は驚いていたけれど、わたしの熱意を見て応援してくれるようになった。「面白いテーマだね」と彼は言った。「これまであまり注目されてこなかった視点かもしれない」

健太との料理本の企画も進んでいった。週末になると、彼の仕事場に行って、父の料理について話したり、実際に作ってみたりした。記憶を頼りに再現する料理もあれば、父のノートを見ながら作る料理もあった。

「お父さんの料理には、物語があるね」と健太は言った。「一つ一つの料理に、理由がある」

それは、わたしも感じていたことだった。父の料理は、単においしいだけではなかった。そこには、父の生き方や思いが込められていた。

春になり、キャンパスには桜が咲いた。入学してから一年が経っていた。あの頃のわたしと今のわたしは、まるで別人のようだった。でも、それは成長と呼べるものだった。父の死によって崩れ落ちた世界は、少しずつ新しい形で再構築されていた。

図書館では、鈴木さんが新しい料理コーナーを作ることになり、わたしは本の選定を手伝った。「君のおかげで、こんな企画ができたのよ」と鈴木さんは言った。「ありがとう」

里奈とは相変わらず仲良くしていた。彼女演劇サークルに入っていて、春の公演に向けて忙しくしていた。「主役なんだよ」と嬉しそうに報告してくれた。「絶対に見に来てね」

公演の日、わたし健太を誘って一緒に観に行った。里奈舞台の上で、いつもとは違う輝きを放っていた。見ていて、胸が熱くなった。帰り道、健太と二人で歩きながら、「人はそれぞれの場所で輝くんだね」と言った。

「君も輝いているよ」と健太は言った。「料理をしているとき、話をしているとき、いつも目が輝いている」

その言葉に、顔が熱くなった。

五月、父の一周忌が近づいてきた。実家に帰って、母と一緒に準備をした。一年前とは違って、二人で料理をすることができた。母も、わたし料理の上達を喜んでくれた。

「お父さんの店、もう一度開かない?」と母が突然言った。

「え?」と驚いて振り向くと、母は真剣な顔をしていた。

あなたがやりたいなら、手伝うわ」

その言葉に、胸がいっぱいになった。まだ学生で、経験も少ないわたしが店を開くなんて、無謀かもしれない。でも、どこか心の奥で、いつかそうしたいと思っていた。

「考えてみる」とわたしは答えた。「でも、もう少し勉強してからかな」

母は微笑んで頷いた。「そうね。急がなくていいのよ」

一周忌の日、父の写真を前にして手を合わせた。一年前は、ただ涙が出るばかりだったけれど、今は感謝気持ちが湧いてきた。父がいなくなって、わたし料理を始めた。それは、父との新しいつながりを見つけることだった。

「ありがとう」わたしは心の中で言った。「これからも、見守っていてね」

大学に戻ると、夏休み計画を立て始めた。健太が、料理取材地方を回る予定があり、わたしも一緒に行かないかと誘ってくれた。日本各地の伝統料理を学ぶ旅。それは、わたしにとって大きなチャンスだった。

「行きます」とわたしは即答した。健太は嬉しそうに笑った。

「君と一緒に旅ができるなんて、楽しみだよ」

あれから一年。父の死から始まった暗い日々は、少しずつ明るさを取り戻していた。料理文学という、二つの世界を行き来しながら、わたし自分の道を見つけ始めていた。それは、決して一直線ではなく、曲がりくねった道かもしれない。でも、その道の先に何があるのか、少しずつ見えてきたような気がした。

キッチンの向こう側で、父が包丁を握っている姿は、もう見ることができない。でも今は、わたし自身包丁を握り、父から教わったことを大切にしながら、自分料理を作っていく。それが、父への最高の感謝になるのだと思う。

そして、この物語を書き記すことも、きっと父は喜んでくれるだろう。料理言葉。どちらも、人の心に届けるための手段わたしは、その両方を大切にしながら、これからも歩いていくつもり

anond:20250226095658

おめでとう

一人暮らし生活スキルを鍛えることは、なんだかんだ人生プラスになるからいいと思う

一人で生活する開放感と面倒くささを味わうべきだね

一人暮らしする

から学生でもなく新社会人でもないけど一人暮らしする。

本当に本当にずっと一人暮らしたかった、本当にずっとしたかった。

 

親のことも実家も好きだしご飯も美味しいし何も不自由はない、程よく放任だし親ガチャSSRだなぁと思っている。でもずっと一人暮らしたかった。

理由は時期によって様々なんだけど、少し特殊な職を選んだからお金不安があって新社会の時は選べなくて、でもやっと安心できるくらいお金が貯まった!!嬉しい!!!

 

何一つ不自由はしてないけれど今が嫌って感情、なんだかんだ好き。

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