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フョードル・ルキャノフ:ジョージアの第2弾オレンジ革命。西側諸国にはまだ「カラー革命」を起こせる力は残っているのだろうか?

<記事原文 寺島先生推薦>
Fyodor Lukyanov: Can the West still engineer a ‘color revolution’? We’re about to find out
ジョージア(旧称グルジア)は一時的な騒乱に見舞われているが、今回は2003年時の騒乱とは異なり、米国とEUは、今回はより困難な状況に直面するかもしれない。
筆者:ヒョードル・ルキアノフ(Fyodor Lukyanov)
ロシア・グローバル情勢編集長、外交防衛政策評議会幹部会議長、ヴァルダイ国際討論クラブ研究部長
出典:RT 2024年12月2日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年12月12日


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2024年11月29日、ジョージアのトビリシでジョージア、ウクライナ、EUの旗を振っている抗議者。© Davit Kachkachishvili/Anadolu via Getty Images


私たちが定義する「カラー革命」とは、外部勢力からの政治的、外交的、および財政的支援に支えられた、公式選挙結果の拒否をきっかけに起こる大衆蜂起のことである。この視点が初めて根付いたのは、2000年のセルビアでのスロボダン・ミロシェビッチの打倒劇だった。そしてこのことば自体が生まれたのは、その3年後のジョージアであり、ミハイル・サアカシビリ率いる抗議者らがバラを革命のシンボルとして採用したときのことだった。また同じ3年後のウクライナの2004年のオレンジ革命では、シンボルとされる色がオレンジに変わった。

10年前、カラー革命は頂点を迎えたように見えた。特にその様子があらわになったのは、ウクライナのユーロマイダン広場での流血事件であり、その後ウクライナは長引く一連の武力紛争に突入することになった。この事件と比べれば、これ以前におこっていた蜂起は比較的おとなしく見えるほど激しいカラー革命だった。その後、この現象は衰退したように見えたが、2018年にアルメニアで再び現れた。ただし、この動きは外部からの影響というよりはむしろ、アルメニア国内の変化を受けたものだった。いっぽう、ベラルーシでの2020年の革命は当局の厳しい抵抗とロシア側からの明確な警告に直面したせいで、カラー革命は超えてはいけない線である、と捉えられていた。

しかし、ジョージアの現在の状況は、親欧米派の野党による大規模な抗議活動があり、過去とは劇的に異なるものの、新たな大規模抗議活動が発生する可能性を示唆している。与党の「ジョージアの夢」党は、政治的な西側諸国、特に米国やEUとの激しい対立に陥っている。ジョージア政府が西側の友好諸国に対してこれほど断固とした態度を取るのは驚きだが、他に選択肢はない。歴史が示していることだが、米国主導のこの連合は、自国の利益がかかっている場合、中途半端な対応を許さない。

「ジョージアの夢」党が戦略を推進するために持っている重要な3つの計算

「ジョージアの夢」党の創設者ビジナ・イヴァニシヴィリ氏と彼の政党は、3つの主要な計算に基づいて戦略を立てている。

・その1。西欧諸国と米国はジョージアが位置する南コーカサス地方よりもはるかに重要な問題に気をとられており、過去の革命のときと同程度の政治的、物質的資源をジョージアに投入する可能性は低いだろう。現在の国際情勢では、ジョージアの問題は優先事項になっていない、と見ていいだろう。

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関連記事:Kremlin compares Georgia protests to Maidan coup

・その2。当時とは状況が変わっている。2003年にバラ革命が勃発したとき、ジョージアは悲惨な状況にあった。当時のエドゥアルド・シェワルナゼ大統領率いる政府は極めて不人気で、国は混乱していた。現在、ジョージアは比較的安定し、経済成長を享受している。課題は依然として残っているものの、真の繁栄を取るか、西側主導の変化というつかの間の不確実な約束を取るかの選択において、世論は前者を支持する方向に傾くだろう。

・その3、ジョージアで今政権交代が起きれば、ほぼ間違いなく混乱を招くだろう。この地域の国々の経験から、妥協や外部からの圧力に屈することは政権の崩壊につながることが分かっている。イヴァニシビリ氏による戦略は明確だ。すなわち、西側の影響への抵抗、である。西側の影響に屈することは、他国にとって悲惨な結果をもたらすことが証明されているからだ。

現状における危険性と見通される展開

しかし、ジョージア当局のこの計算は間違っている可能性もある。ジョージアで起きている出来事の重要性は、今や国境外にも拡がっている。ウクライナをめぐる緊張の高まりや米国で政権交代が起こったことを考えると、特にそうだ。西側諸国には、親ロシア派とみなす勢力を弱体化させたいという願望があるため、ジョージアは象徴的な戦場となっており、ジョージアが反抗的とみなされる行為を取れば、その対策は厳しくなる。「ジョージアの夢」が決して親ロシア派ではなく、単に中立的な立場を維持しようとしているという事実は、状況を変えるものではない。

ジョージア当局がEU加盟交渉を凍結するという決定は大胆な動きであり、西側諸国の要求に挑む意志を示すものだ。EUは加盟申請国に影響を与える能力を有していることを誇りとしており、今回ジョージアが見せた躊躇のようないかなる挫折も政策の失敗とみなしている。西側の顧客とみなされる国々は今や宣誓しなければならない。そして西側と共通の道を歩むことを望まないことは反逆罪とみなされる。

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関連記事:WATCH Pro-EU protesters use ‘fireworks mini-gun’ in Tbilisi

この状況は、政府の姿勢に対する国民の支持の程度について疑問を投げかけている。ジョージア国民は、欧州統合の問題で長い間分裂している。現政府の立場は、特に西側諸国の影響が逆効果であると考える一部の人々の共感を呼んでいるが、いっぽうでEU加盟へのより明確な道筋を求める人々もいる。

この国の今後は?

野党にとって、この混乱は国民の不満を利用し、抗議運動を巻き起こす好機である。与党と野党双方にとっての重要な課題は、暴力の可能性を抑制することにある。カラー革命は常に、緊張を高め、政府を独裁主義的だと決めつける力に依存してきた。いっぽう、当局は、挑発を避けつつ外部からの圧力に断固として対抗するという微妙な均衡を保たなければならない。

「ヨーロッパの一員となる未来」はジョージア国民の間で人気のある構想であり、「ジョージアの夢」党支持者の大多数もこの願望を共有している。同党自体、ヨーロッパ統合の目標に固く参画しているが、そこには独自の条件がある。野党は、「政府はヨーロッパの一員になる道を阻んで」おり、そうなればジョージア政府がロシアの影響圏に戻ることになる、と主張している。唯一の問題は、この主張がどれだけ粘り強く、情熱的に繰り返されるかということにある。

ジョージアの国家主権の将来

かつて「民主主義への願望の象徴」とされていたカラー革命は、「地政学的策略の鈍器」として利用される危険な道具と化している。これらの外部勢力が依然としてこの地域の政府を効果的に不安定化させることができるかどうかは、まだ分からない。

(様々な形をとっている)民主主義の推進に意味があったのは、社会政治的進歩という西洋の考えが唯一の基本的な選択肢とみなされているという条件のもとでのことだった。現在、世界秩序が大きく変化する中、西洋の影響力が無双状態だった時代は終わり、新しい地政学的体制の中での地位をめぐる激しい闘争がそれに取って代わった。「カラー革命」という言葉は、「民衆による民主的蜂起の象徴」から、「西洋が影響力を行使するために使用する政治工作の道具」へと進化した。今、問題は、これらのカラー革命がジョージアのような国を不安定にする力をまだ持っているのか、それとも対象の国家がこれらの圧力に抵抗し、新しい世界秩序の中で主権を確保できるのか、ということにある。

この記事の初出はProfile紙。RT編集部により翻訳・編集。
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シリアはなぜ急速に崩壊したのか、そして次に何が起こるのか?

<記事原文 寺島先生推薦>
Why did Syria fall so fast and what happens next?
現在展開中の出来事は、西側諸国が戦略目標を達成し、世界覇権を維持するためにあらゆる手段を講じる用意があることを示している。
筆者:ムラド・サディグザード(Murad Sadygzade)
中東研究センター所長、HSE大学(ロシア国立研究大学経済高等学院:モスクワ)客員講師。
出典:RT   2024年12月8日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2024年12月12日


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2024年12月8日、シリアのダマスカスにあるウマイヤド広場でシリア政権の崩壊に反応する人々。© Ali Haj Suleiman / Getty Images


2023年10月7日以降、日を追うごとに中東で展開されているこの地域の動きの輪郭がますます明確になってきている。地域全体にとっての転換点となったその日は、未だ答えの出ていない多くの疑問を残した。

世界で最も強力な諜報機関の一つであるイスラエルのモサドが、パレスチナの軍事組織による攻撃を予見することも阻止することもできず、多くの人が驚いた。

しかし、この衝撃的な出来事の背後には、この地域を着実に根本的な変質へと向かわせている一連のより深い動きが潜んでいる。かつては隠されていたと思われていた枠組みが今や明らかになりつつあり、西洋の影響と拡大に長らく抵抗してきた国々を作り替えるための意図的な計画が明らかになっている。

12月8日の朝、この地域は最近まで想像もできなかったニュースに震撼した。シリア政府が反政府勢力とテロリスト集団の手に落ちたのだ。バッシャール・アサド大統領率いるバース党の統治は事実上崩壊した。アサド大統領の失踪と公式筋の沈黙は、何か取り替えしのつかない変化が起こっているという印象を強めるだけだった。

ハマスとの長期にわたる戦争とヒズボラ(レバノン)のほぼ完全な敗北を受けて、国際社会と地域の関係者は、イスラエルに対する「抵抗の枢軸」の主要国であるシリアに焦点を移した。この地域におけるイランの政策の要として長らく機能してきたシリアは、高まる内外の圧力に屈する国々の連鎖の最新の現れとなった。

これらの出来事は、中東の政治的、社会的状況を根本的に変えることを狙った、より広範なシナリオの一部であるように思われる。パレスチナの武装組織からシリア、レバノンに至るまで、抵抗の枢軸の主要関係者が弱体化する中で、重要な疑問が浮上している。それは、急速に展開するこの計画の次の標的は誰になるのか、というものだ。この地域の運命、そしてこれらの展開における外部勢力の役割に関する差し迫った疑問への答えは、依然として不透明である。しかし、一つだけはっきりしているのは、中東は二度と以前の状態には戻らない、ということだ。

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関連記事: Assad in Moscow after Damascus falls: As it happened

シリアで何が起こったのか、そしてなぜそれが起こったのか?

11日前に始まったイドリブ県での緊張の高まりは、シリア情勢を劇的に変える一連の出来事へと急速に拡大した。12月7日、反政府武装勢力とハヤト・タハリール・アル・シャム(HTS、ロシアではテロ組織に指定され活動禁止)の戦闘員が、シリアの首都ダマスカスを包囲した。一夜にして、彼らはほとんど抵抗を受けることなく、戦略都市ホムスを制圧し、ダマスカス市内に進軍した。その過程で、彼らはシリア最大の刑務所であるサイドナヤを含む多数の拘置所から囚人を解放したが、それは、政権の完全な制御喪失を象徴した。

12月7日の正午までに、街は混乱状態に陥った。シリア軍兵士は制服を脱ぎ捨て、民間服に着替えて慌てて首都から逃げ出し、街はほぼ無防備な状態に陥った。夜になると、ダマスカスの街から軍人はいなくなり、怯えた市民が備蓄食料をかき集め、家から逃げ出そうと必死になっていた。この避難は特に裕福な北部地区で顕著で、住民は混乱を恐れて一斉に避難した。対照的に、街の南部はまったく異なる光景を呈していた。そこでは、野党勢力が解放者として歓迎された。群衆は祝賀のために集まり、旗を振り、反抗のクライマックスとして、現代のシリア政権の創設者でバッシャール・アサドの父であるハーフィズ・アサドの像が破壊された。

こうした劇的な出来事が続く中、シリアのモハメド・ガジ・アルジャラリ首相は緊急発表を行なった。アル・アラビーヤ通信局が伝えた声明の中で、同首相は政府の降伏を宣言し、同国の新指導部と協力する用意があることを表明した。

アルジャラリ首相は、移行期間中の混乱を防ぎ、国家機関の継続的な機能を確保するため、ほとんどの大臣がダマスカスに留まっていると強調した。また、HTSの指導者、アブ・モハメド・アル・ジャウラニ氏と合意に達したことも明らかにしたが、この決断は、首都の破壊を最小限に抑える上で重要な一歩となった。

シリア国民連合のハディ・アル・バフラ代表の言葉には、同国の歴史に新たな一章が開かれる、という希望の響きが込められていた。同代表は「状況は安全です。シリアの暗黒時代は終わり、新しいシリアに復讐の余地はありません」と述べた。

この宣言は、国民を安心させ、反体制派が報復を避ける意図を強調しようとした。しかし、こうした声明の表向きの裏には、シリアの将来、つまり、大きな転換期にあるシリアの政治的運命と安定に対する否定できない不安が隠れている。シリアにとって新しい時代が始まったが、それが平和をもたらすかどうかは未だに分からない問題だからだ。

シリアで起きている出来事は、決して偶然ではない。何年もかけて蓄積されてきた根深い動きの結果なのだ。この悲劇は、内部矛盾や外部からの圧力、そして歴史的な失敗が重なり、最も強固な政権さえも転覆させかねない最悪の事態を引き起こし、運命づけられていた、と考えられる。政府と一部の反政府組織との対立から始まったシリア危機は、地元や地域、そして国際的な利害が複雑に絡み合った長期紛争へと発展した。

何年も続く容赦ない戦争と妥協を望まない姿勢は、経済格差の拡大や知的熟練労働者の流出、国家機関と生活基盤設備の崩壊、政治支配者層の分裂と腐敗を招いた。見通しのなさに疲弊した社会は深刻な分裂に陥り、国民の不満の高まりは中央政府の弱体化を早めるだけだった。

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関連記事: Looters ransack Iranian Embassy in Damascus (VIDEO)

しかし、このような結果を招いたのは、内部要因だけではない。シリアは地政学的な対立の戦場となり、外部勢力は危機を利用して自らの計画を推進してきた。反体制派を支援する西側諸国やアラブ諸国からシリア領土への外国勢力の直接介入まで、各陣営がそれぞれの目的を追求し、紛争はさらに深刻化した。トルコやサウジアラビア、イスラエルなどの地域勢力は、シリアが弱体化していることを、自らの影響力を強化する機会とみなした。しかし、シリアがロシアとイランから強力な支援を受けていたため、これらの計画は何年も実現できなかった。過激派やテロリスト集団の介入が混乱に拍車をかけ、権力闘争は無法な戦争へと変わった。

重要な転機は、アサド大統領が長年彼を支えてきた人々の支持さえ失ったときに訪れた。経済的困難、制裁、そして絶望感の高まりにより、たとえ破壊を犠牲にしても、変化は避けられないと多くの人が信じるようになった。支配層の戦略的失策、つまり国内および国際政治対話を無視して紛争の軍事的解決に賭けたことにより、最終的にアサド大統領は決意と組織力のある敵に対して無防備な状態になったのだ。

もう一つの重要な要素は、アサド自身の人格だ。1965年にシリアの長年の指導者であるハーフィズ・アサドの家族に生まれたバシャールは、当初は政治家になる野心はなく、代わりに医学の道に進むことを選んだ。ダマスカスで眼科医として教育を受け、後にロンドンで専門医となった彼は、中東政治の粗野な側面とはかけ離れた、世俗的で教養のある人物とみなされていた。しかし、家族の悲劇、つまり兄のバジルの死が彼の運命を変え、彼はシリアに戻り、父の後継者としての役割を引き受けざるを得なくなった。

2000年、ハーフィズ・アサドの死後、バシャールは大統領に就任し、大きな可能性を秘めながらも深刻な内部矛盾を抱えたこの国を引き継いだ。

長年にわたり、バッシャール・アサドは山積する課題の中心に身を置いてきた。側近の腐敗や国際社会からの圧力、長引く戦争は、国とアサド個人の両方を疲弊させた。さらに打撃となったのは、妻のアスマが何年も闘病していた癌との闘病生活だった。こうした状況が、アサドが変化を検討する意欲に影響を与えたようだ。報道機関はアサドが野党に権力を譲る用意があると頻繁に報じたが、この主張を裏付ける確固たる証拠はない。おそらく戦争疲れや個人的な悲劇、そして避けられない変革の認識が、アサドを妥協に前向きにしたのだろう。ロシア外務省は最近、シリア国内のさまざまな武装勢力との交渉の後、アサドが大統領職を退き、国を離れ、平和的な権力移譲を確実にすることを決意したのを確認した。

最近のホムスの占領とダマスカスの陥落は、この悲劇の最終幕を画した。シリアは自らの失策と外部勢力の野望に囚われ、国民は平和ではなく権力と資源を賭けたゲームの駒となった。この危機はシリアの運命だけの問題ではない。社会からの危険信号を無視し、外部勢力に未来を左右させる国家の脆弱性をはっきりと思い起こさせるものだ。

誰が利益を得るのか、そして次は何が起こるのか?

ダマスカス陥落は中東政治の転換点であり、アサド政権の崩壊だけでなく、シリアとの同盟を通じて長年影響力を築いてきたイランの著しい弱体化をも意味する。イラン当局はシリアを、レバノンやイエメン、パレスチナの武装組織を含む抵抗軸の重要な一環とみなしていた。シリアはヒズボラに武器を供給し、政治的および経済的支援を提供するための重要な物流拠点として機能していた。しかし、シリア首都の崩壊とそれに続く混乱により、これらの供給網は崩壊した。イスラエルはこの状況を利用してゴラン高原の緩衝地帯に部隊を展開し、占領地を事実上拡大した。この動きはイスラエルの戦略的立場を強化しただけでなく、地域でのイスラエルの行動に効果的に対抗するイランの能力を奪うことになった。

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関連記事: Israel deploys troops to buffer zone with Syria

ヒズボラが被った損失はイランにさらなる打撃を与えた。長い間、イスラエルとの戦いにおけるイラン政府の重要な手段の一つとみなされてきたレバノンの組織は、今や孤立し弱体化している。武器供給経路の喪失と兵站網の破壊は、その戦闘準備態勢に疑問を投げかけている。ヒズボラは今や戦略の見直しを余儀なくされ、効果的な軍事作戦を遂行する能力は大幅に縮小されている。イランにとって、これはレバノンにおける影響力の喪失だけでなく、より広範な中東戦略の主要な柱の崩壊をも意味する。こうした状況で、イラン政府は外交政策の見直しという困難な課題に直面しており、この課題は深刻な内部危機を引き起こしている。

イランの報道機関や当局は、展開しつつあるこの大惨事の身代わりになる存在を探しており、アサド大統領がその批判の主たる標的となっている。パルス・トゥデイ紙は、その出版物の中で、アサド大統領にはっきりと責任があるとし、次のように報じている。「バシャールは最後まで抵抗することを拒否し、誰も結果を変えることはできなかった。イランの直接の訴えさえも、軍と社会が(裏切りからやる気の欠如や腐敗に至るまでのさまざまな理由で)彼を支持しないことを理解していたため、彼には効果がなかった。抵抗が起こらないことは5日前に明らかだったが、事態の展開の速度には驚かされた。バシャールは、最後まで持ちこたえられるヤヒヤ・シンワル(ハマスの最高指導者)のような政治的思想に駆り立てられた指導者ではない。彼にとっては、ダマスカスを離れることが安全だった。しかし、彼はおそらく、過去13年間、イランが唯一の真の同盟国だったことを忘れないだろう」と。これらの言葉は、戦略的影響力の喪失の大きさを認識しているイランの支配者層の深い苛立ちを反映している。

この地域の状況はイランにとって外交政策上の大惨事となっただけでなく、国内の課題にもなり、イラン社会の分裂をさらに悪化させている。西側諸国との対話を主張する改革派と、強硬な姿勢を維持することが影響力と支配力を維持する唯一の方法だと主張する保守派の間で緊張が高まっている。この分裂は、最高指導者アリ・ハメネイからその息子モジタバ・ハメネイへの権力移行の動きによってさらに深刻化しており、多くの分析家によると、この移行は早ければ2025年にも起こる可能性があるという。この移行は、国内の政治紛争の新たな波を引き起こす可能性が高い。イスラム共和国(イラン)が内部の亀裂に直面し、さまざまな政治・民族派閥間の公然たる紛争に発展する可能性がある、という懸念が高まっている。

イランの苦境に拍車をかけているのは、この地域での地位を強化し続けているイスラエルとの直接的な軍事衝突の脅威だ。イランの弱体化とその同盟国の弱点を利用し、イスラエル軍はイランと関係のある残りの軍事基盤施設を標的にする機会をつかむかもしれない。これにより、イランの国益を守る能力がさらに損なわれることになる。したがって、ダマスカス陥落は単なる局地的な出来事ではなく、イランの組織的危機の象徴であり、中東の勢力均衡を再編成し、イラン国内と地域全体に大きな変化をもたらす可能性がある。

シリア危機は単なる局地的な紛争ではなく、地域的および世界的な対立のさらなる要素を象徴している。米国とその中東同盟諸国が率いる西側諸国が、反政府勢力や反対派軍事組織やテロ組織の行動を支援していることは明らかである。このことをはっきりと示すのは、HTS が米国によって正式にテロ組織に指定されているにもかかわらず、HTS のアル・ジュウラニ代表は米国の放送局 CNN とインタビューをおこなった点にある。これは、西側諸国が同組織に政治的支援をおこなっていることを示している。西側諸国は、たとえそれが自国のテロとの戦いという宣言に反するとしても、こうした武力組織をこの地域における地政学的目的を達成するための道具とみなしている。

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関連記事: Russian ships still at Tartus base – Lavrov

しかし、この攻撃はシリアやイランに限定されず、ロシアの中東における利益も標的にされた。米国と英国を先頭に西側諸国は、過去10年間にこの地域でロシアが影響力を強めていることに長い間不満を表明してきた。アサドの重要な同盟国として行動し、いくつかの中東諸国と良好な関係を築いてきたロシアは、この戦略的に極めて重要な地域での不可欠な国として浮上してきた。紛争解決やトルコ、イラン、湾岸諸国などの国々との協力における役割を含む軍事および外交の両面でのロシア側の成果は、西側諸国を大いに動揺させた。したがって、シリア政権の弱体化は、ロシアの地域的影響力を弱め、重要な同盟国を剥奪し、シリアからロシアの軍事駐留を追放することを目的としていた。これはロシア側への打撃と見られるかもしれないが、これがロシアのより広範な中東戦略や地域友好諸国との関係を大きく変えると提示するのは正確ではないだろう。

米国や英国およびその同盟諸国は、中東の支配権を維持するために戦っているだけではない。これらの国々は、世界舞台での優位性を強化しようとしている。これらの諸国の行動は、戦略目標を達成するためにはテロ組織への支援を含むあらゆる手段を使う用意があることを示している。この紛争は、中東での影響力をめぐる闘争が、世界覇権を維持しようとする西側諸国の努力と直接結びついている、世界的対立の新たな舞台である、といえる。

いっぽうトルコは、反体制派とともにアサド政権の崩壊を祝い、もうひとつの潜在的な受益者として浮上している。トルコ側の目標は現時点ではシリア反体制派の目標と一致しているかもしれないが、これらの出来事がトルコと直接連携して展開された可能性は低い。より妥当な見方は、トルコ側が展開中のこの状況に反応し、反体制派の成功に自らが貢献したと見せかけようとしている、と見ることだ。詳細にかかわらず、特にトルコがシリアでの出来事の調整に直接関与し、以前の合意に違反していたことが判明した場合、これはロシア側とトルコ側の関係の冷え込みにつながる可能性がある。

シリアの混乱が終結したと宣言するのは時期尚早だ。リビアの経験が、政権転覆が安定に繋がることは滅多にないことを如実に示しているからだ。ムアンマル・カダフィの打倒後、リビアは平和を達成できず、血みどろの戦争や派閥争い、そして何百万人もの人々の希望が打ち砕かれた状況に陥った。国は依然として対立する派閥に分裂したままで、それぞれが自らの利益を追求し、国民は混乱や不安、生活基盤施設の破壊に陥っている。シリアも同様の運命を辿るかもしれない。反体制派とその西側諸国の脆弱な成功の裏には、国をさらに分裂させ疲弊させかねない長期紛争の脅威が潜んでいる。
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