『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気』を読む。
タイトル通り「宇宙戦艦ヤマト」の製作・制作の原動力となった
故西崎義展氏の生涯を振り返った本だ。
断片的には西崎さんのヤマトの制作や会社経営のエピソードは語られていたが
一冊の本にしてまとめると、物凄い濃い話が満載で、スラスラ読んでしまった。
虫プロ商事に入社1週間で、化粧品会社の広告を取ってきた
あっという間に手塚治虫先生のマネージャーになったなど
西崎さんの企画力、実行力、資金集めの力、
作品製作におけるプロデュース力の高さが伺えるも
一方で周りに苦労や経済的損失を被らせることも行い
功罪がくっきり分かれた方だと改めて思った。
才能ある方を重用しつつも利用し尽くし、
金と権力で従わせる冷酷な独裁者としての振る舞いが強いが
「ヤマト」にかける思いだけは、本物であり
他の誰にも寄せ付けない愛があったのは本当のようだ。
逆にいえばヤマトへの思いが強すぎて、
ヤマト以降はヤマトに縛られた作品作りしかできなかったのが
西崎氏の限界のようにも感じられた。
西崎さんの功績
この本にも書いてあるが、西崎さんが世に知らしめたことが二つある。
①宇宙戦艦ヤマトの商業的成功で、オリジナルアニメが商売になることを見せつけた
②個人プロデューサーの存在を世に知らしめた
①に関しては、ヤマトの成功によってSFアニメブームが起こり、
中高生のアニメファン層の拡大により、後のガンダムの商業的成功の下地を作った。
ヤマト・ガンダムの商業的成功によって、劇場アニメの増加やOVAへの流れに繋がった。
海のトリトンの権利関係について
私が個人的に注目していたのは、
手塚先生原作、西崎さんがプロデュース、富野喜幸(現:由悠季)さんが監督した
「海のトリトン」の権利関係についての手塚治虫先生との新情報があるかどうか。
本を読む限り、西崎さん・手塚先生が亡くなられた今、真相は闇の中といった感じで
目新しい新情報はこの本では掴むことはなかった。
本の中では手塚先生は「海のトリトン」のアニメ化にこぎつけた
西崎さんのプロデュース力を最初は評価していた。
トリトンで手塚先生と西崎さんの間で取り交わされた契約があったらしく、
最初は両者合意していたが、後に両者は契約内容で破断したことまではわかる。
参考:
ヤマトの西崎義展氏と手塚治虫氏とガンダムの富野由悠季監督の関係~海のトリトンの頃 富野監督も「アニメ界で敵だと思ったのは西崎だけ」とこの本で言っている。
富野監督にはヤマトの内容が受け入れがたいのに大ヒットしたことから
ヤマトに対抗する為にガンダムを作ったという思いがあるようだ。
本に書かれていた西崎氏の注目トピック
・西崎氏のオフィス・アカデミーは、ヤマト以前は
アニメのキャラを使ったカレンダー制作を行っていた。
・ヤマトが大ヒット中に、出資していた食品会社が不渡り手形を出し
手形回収の為に、田中角栄に救いを求める。
・安彦良和氏が機動戦士ガンダムの制作中に倒れた時に
「自分の言うことを聞かないから病気になるんだ」と言い放ち、
札束の見舞金を置いていく(後で見舞金は返しに行く)
・安彦良和氏も、ヤマトの製作会議中に
ちょうど放送される「機動戦士ガンダム」の1話を
どうしても西崎氏に会議中に見せてほしいと言い、
ヤマトに自分の気持ちは無いことを間接的に西崎氏に伝えていた。
・カンヌ映画祭に参加し、外国の映画関係者に「ニシザキ!」と存在感を与えた
・獄中から養子の彰司氏を通して「ヤマト復活編」の準備を整える
・映画「SPACE BATTLESHIPヤマト」の内容に口出しし始める、
プロデューサーから口出ししないよう交渉されると、
西崎氏は原作料5000万円を2億にしろと要求し、見事2億ゲット。
・ヤマト復活編において、70才を過ぎても全権主導の制作スタイルは全く変わらず
・会社が潰れる時には、事前に他へ資金移動しつつ、誰がに負債を被らせている。
まとめ
本の内容は西崎氏と金の動き(+女性関係)をメインに据えつつ追っている。
アニメの内容以上に、プロモート・プロデュース・会社経営に主軸が置かれ書かれている。
その中で家庭を疎かにしつつも、仕事もしくは女性といることで孤独を紛らわし
一人を嫌がり孤独に耐えられない性分でもあったようだ。
芸能界からアニメ界に入ってきた西崎氏は、当時のアニメ界では異端だったのだろう。
芸能界的な興行の概念を持ち込み「宇宙戦艦ヤマト」を商業的成功に導いた。
1970年後半のアニメ界に新風を巻き起こし、後の商業アニメに大きな影響を与えたヤマト。
このヤマトを作った西崎氏を振り返る上で、貴重な資料となる一冊だ。
- 関連記事
-
テレビマンガがテレビアニメになったのも西崎さんのおかげだと思っています。