無心庵山居日記
市中にて心静かに山居生活を送る
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【下田紀行】旅のお宿は・・・(その2)
ではちょっとこのホテルの鳥瞰図・・・いや、ジオラマをお見せします。
これはホテルのライブラリーにあります。
なかなか便利なホテルですね・・・。
さて、立地ですが、両翼に砂浜の海岸(入田浜と多々戸浜)がある小さな岬・・・岸壁とでもいいましょうか。
そんな場所にホテルがあります。
入り口から見て本館の反対側にプールや展望台などが拡がっています。
そして、地下にエレベーターで降りると両翼の砂浜を繋ぐ通路があり、そこへ出ることが出来ます。
なんと入田浜と多々戸浜のいずれのビーチへも出ることが出来る最高の立地です。
これもこのホテルの魅力ですね。
ただ、僕はハイシーズンにここに泊まったのは最初の一回だけですが・・・。
ホテルに入るとロビーがありますが、そこで圧倒されるのは蒸気帆船のスケールモデルがあることです。
この模型があまりにも立派なため宿の格も上がるという感じがします。
ご存じ「咸臨丸」です。
これは幕末の開国期に建造された軍艦で、アメリカなどへ岩倉具視などの使節団を送り込んだりするのに使われました。
当然、尺は縮めてありますが、それでもこの大きさは圧倒されます。
海のホテルにふさわしい帆船模型です。
夜になるとライトアップされますが、それもまたよしです。
ここ下田はやたらと歴史に関連する名所史跡が多いのですが、それもそのはず。
江戸時代の開国期にアメリカのペリー提督が黒船でやってきたのが、ここ下田だからです。
観光地としての魅力もそうですが、やはりここでその時代の人々が如何にして弱肉強食の国際社会に出て行ったのか・・・その勇気を学びたいです。
圧倒的な科学力と軍事力を誇る欧米列強・・・。
日本人は持ち前の探究心と武勇、そして世界に誇る学力(識字率は世界一だったと言われています)で立ち向かった。
ここで長々と語りませんが、当時の日本人は欧米人が驚くほどの礼儀正しさや基礎科学力や技術力がありました。
そして、精神性の面でも彼らの一目を置くような振る舞いをしたという記録があります。
そこには咸臨丸も関わっていますが、以前にこの日記でも紹介しています。
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