無心庵山居日記
市中にて心静かに山居生活を送る
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「ぎこちない」芸術家?・与謝蕪村(その1)
近所の図書館でたまたま年末に借りた本がなかなか良かった。
『「ぎこちない」を芸術にした画家 与謝蕪村』(府中美術館編・著 東京美術)
画集のような、論評のような・・・おそらくはこの美術館で開催された企画展の図録みたいなものだろう。
しかし、いままで僕が集めたり観たことのない作品が、かなり掲載されている。
中身の充実した本である。
いや、手に入れたいくらいだ。
今度、この美術館へ行く機会があれば購入してこようと思う。
さて、このテーマでもある「ぎこちない」。
おそらく蕪村の絵画を見た人なら感覚的には納得できると思う。
蕪村の作品というのは、同時代の円山応挙のような画風とは打って異なり庶民的だ。
蕪村は独学で絵を学んだと言うことだ。
この時代にしてみればさほど珍しいことでもないようだ。
伊藤若冲なども基礎は師から学んだようだが、あとは臨画や模写から技術を身につけたようだ。
日本画を代表する狩野派などを学んだわけではない。
蕪村の絵画はどちらかというと、職人的な感じはなくむしろ素朴で簡略化された俳画のような持ち味である。
ただ、これは一面的な見方であり、実際には宋の時代の画法である「芥子園画伝」から学んだ形跡がある。
作品によっては技術は身につけていることを証明しているものもある。
要は蕪村はわざと「ぎこちなく」画いているのである。
書の世界で言えば、良寛和尚などの文字は「ウマヘタ流」などというようだ。
もとは実に修練を積んでうまい描き手なのだが、わざと崩して画いているのだ。
ヘタクソが下手に画くのと、上手がわざと下手に画くのでは大きな違いがある。
わかりやすく言えば、崩れた絵と崩した絵の違いである。
それは理不尽に聞こえるが「味がある」絵なのだ。
『「ぎこちない」を芸術にした画家 与謝蕪村』(府中美術館編・著 東京美術)
画集のような、論評のような・・・おそらくはこの美術館で開催された企画展の図録みたいなものだろう。
しかし、いままで僕が集めたり観たことのない作品が、かなり掲載されている。
中身の充実した本である。
いや、手に入れたいくらいだ。
今度、この美術館へ行く機会があれば購入してこようと思う。
さて、このテーマでもある「ぎこちない」。
おそらく蕪村の絵画を見た人なら感覚的には納得できると思う。
蕪村の作品というのは、同時代の円山応挙のような画風とは打って異なり庶民的だ。
蕪村は独学で絵を学んだと言うことだ。
この時代にしてみればさほど珍しいことでもないようだ。
伊藤若冲なども基礎は師から学んだようだが、あとは臨画や模写から技術を身につけたようだ。
日本画を代表する狩野派などを学んだわけではない。
蕪村の絵画はどちらかというと、職人的な感じはなくむしろ素朴で簡略化された俳画のような持ち味である。
ただ、これは一面的な見方であり、実際には宋の時代の画法である「芥子園画伝」から学んだ形跡がある。
作品によっては技術は身につけていることを証明しているものもある。
要は蕪村はわざと「ぎこちなく」画いているのである。
書の世界で言えば、良寛和尚などの文字は「ウマヘタ流」などというようだ。
もとは実に修練を積んでうまい描き手なのだが、わざと崩して画いているのだ。
ヘタクソが下手に画くのと、上手がわざと下手に画くのでは大きな違いがある。
わかりやすく言えば、崩れた絵と崩した絵の違いである。
それは理不尽に聞こえるが「味がある」絵なのだ。
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