羽幌町上羽幌
羽幌町上羽幌(平成25年6月9日他探訪)
羽幌町上羽幌は、羽幌町築別炭砿、羽幌砿と並び炭鉱街を形成していた。
上羽幌は明治以来、御料地であったため羽幌御料と呼ばれていた。
明治29年から明治34~35年にかけて30戸近くの入植者がいたが、奥地のため離農するものが後を絶たなかった。
このような状況下であった為、なかなか学校設置認をしなかったが、住民の中には平小学校や、近親者を頼り羽幌小学校へ通わせるものもいた。
明治37年秋 小山与三松は私費で石井景光を教師に迎え自宅を提供し、地域の子弟10数名を集め初歩的な授業を始めた。
明治39年4月16日 苫前郡御料第一簡易教育所として認可され、開校した。
明治41年8月 苫前郡羽幌御料第一教育所と改称。
大正6年4月 羽幌御料尋常小学校と改称。存続期間も延長が認可された。
昭和4年4月 正式に羽幌御料尋常小学校と認可された。
昭和16年 羽幌御料国民学校と改称。
昭和22年4月 羽幌御料小学校と改称。
この年の7月、香川県をはじめ満洲・樺太からの引揚者が昭和26年にかけて入植したが、立地条件が悪かったため離農していった。
同じ昭和22年 羽幌鉱二坑(上羽幌地区)の炭鉱開発が始まり、昭和23年には本坑(羽幌砿区)を合併し、鉱業所を本坑である三毛別に置かれた。
集落は羽幌川の川下に農業集落が、川上に炭鉱集落が形成され、炭鉱集落に神楽台・旭町・柳町・くるみ町・緑町があった。
道道の両側に小中学校、商店、営林署、寺院、郵便局、生協、駐在所、消防署出張所が建ち並んでいた。
昭和25年 朝鮮戦争の勃発に伴い、石炭の需要が急増した。
当然、学校の規模も大きくなり昭和34年には12学級を数えた。
昭和26年12月 上羽幌中学校(2学級)を併置した。
昭和28年6月 羽幌町立上羽幌小学校と改称。
その後、炭鉱の発展と共に児童生徒数も増加の一途をたどり、多い時で小中学級あわせて18学級にもなった。
しかし、昭和45年11月 羽幌炭鉱の閉山に伴い、児童生徒数も激減した。
昭和46年10月 羽幌中央小学校に統合され、廃校となった。
現在は既存の農家が数戸住まわれている高度過疎集落である。
平成23年10月20日撮影 上羽幌緑町上炭鉱住宅。
この時、久しぶりに上羽幌を訪れたが、炭鉱住宅が朽ち果てており驚いた。
道路を挟み、上羽幌緑町下炭鉱住宅。外壁だけしか残っていない。
平成14年10月13日撮影 上羽幌緑町下炭鉱住宅。
この時は朽ちながらも屋根があり、往時の面影を残していた。
上羽幌緑町炭鉱住宅。上か下かは不明である。
平成25年6月9日 上羽幌小学校跡地を久しぶりに訪れた。
やがて、崩れた校舎の一部が見えた。
近くには煙突がある。
学校の基礎が見えた。
一枚では収まりきらない。それだけ大きな校舎であった。
春先に行けば全容が判るかもしれないが、草木が茂っていたため全容を撮ることはできなかった。
別な角度より。草木が邪魔をして全体を撮ることはできない。
落ちていた「スクールゾーン」の看板。
ここに子どもたちが通っていた、唯一の証である。
学校より奥の風景。
人々の暮らした営みは、既に無くなっていた。
学校より手前の風景。
学校は自然に帰り、集落は既存の農家しかいない、高度過疎集落になってしまった。
羽幌町上羽幌は、羽幌町築別炭砿、羽幌砿と並び炭鉱街を形成していた。
上羽幌は明治以来、御料地であったため羽幌御料と呼ばれていた。
明治29年から明治34~35年にかけて30戸近くの入植者がいたが、奥地のため離農するものが後を絶たなかった。
このような状況下であった為、なかなか学校設置認をしなかったが、住民の中には平小学校や、近親者を頼り羽幌小学校へ通わせるものもいた。
明治37年秋 小山与三松は私費で石井景光を教師に迎え自宅を提供し、地域の子弟10数名を集め初歩的な授業を始めた。
明治39年4月16日 苫前郡御料第一簡易教育所として認可され、開校した。
明治41年8月 苫前郡羽幌御料第一教育所と改称。
大正6年4月 羽幌御料尋常小学校と改称。存続期間も延長が認可された。
昭和4年4月 正式に羽幌御料尋常小学校と認可された。
昭和16年 羽幌御料国民学校と改称。
昭和22年4月 羽幌御料小学校と改称。
この年の7月、香川県をはじめ満洲・樺太からの引揚者が昭和26年にかけて入植したが、立地条件が悪かったため離農していった。
同じ昭和22年 羽幌鉱二坑(上羽幌地区)の炭鉱開発が始まり、昭和23年には本坑(羽幌砿区)を合併し、鉱業所を本坑である三毛別に置かれた。
集落は羽幌川の川下に農業集落が、川上に炭鉱集落が形成され、炭鉱集落に神楽台・旭町・柳町・くるみ町・緑町があった。
道道の両側に小中学校、商店、営林署、寺院、郵便局、生協、駐在所、消防署出張所が建ち並んでいた。
昭和25年 朝鮮戦争の勃発に伴い、石炭の需要が急増した。
当然、学校の規模も大きくなり昭和34年には12学級を数えた。
昭和26年12月 上羽幌中学校(2学級)を併置した。
昭和28年6月 羽幌町立上羽幌小学校と改称。
その後、炭鉱の発展と共に児童生徒数も増加の一途をたどり、多い時で小中学級あわせて18学級にもなった。
しかし、昭和45年11月 羽幌炭鉱の閉山に伴い、児童生徒数も激減した。
昭和46年10月 羽幌中央小学校に統合され、廃校となった。
現在は既存の農家が数戸住まわれている高度過疎集落である。
平成23年10月20日撮影 上羽幌緑町上炭鉱住宅。
この時、久しぶりに上羽幌を訪れたが、炭鉱住宅が朽ち果てており驚いた。
道路を挟み、上羽幌緑町下炭鉱住宅。外壁だけしか残っていない。
平成14年10月13日撮影 上羽幌緑町下炭鉱住宅。
この時は朽ちながらも屋根があり、往時の面影を残していた。
上羽幌緑町炭鉱住宅。上か下かは不明である。
平成25年6月9日 上羽幌小学校跡地を久しぶりに訪れた。
やがて、崩れた校舎の一部が見えた。
近くには煙突がある。
学校の基礎が見えた。
一枚では収まりきらない。それだけ大きな校舎であった。
春先に行けば全容が判るかもしれないが、草木が茂っていたため全容を撮ることはできなかった。
別な角度より。草木が邪魔をして全体を撮ることはできない。
落ちていた「スクールゾーン」の看板。
ここに子どもたちが通っていた、唯一の証である。
学校より奥の風景。
人々の暮らした営みは、既に無くなっていた。
学校より手前の風景。
学校は自然に帰り、集落は既存の農家しかいない、高度過疎集落になってしまった。
コメントの投稿
No title
おぉっ!きましたね羽幌シリーズ第2弾♪
この林道を皆で登りましたよね(^_^;)充実した1日でした。
基礎からも大きな学校だったことがうかがえましたね。春先に再訪したい跡地の一つです。
あ、それと・・・昨日を含めていつも急ですみません。また近いうちに廃校跡地キャンプで合流しましょう(笑)。
あなたのラオウより♡
この林道を皆で登りましたよね(^_^;)充実した1日でした。
基礎からも大きな学校だったことがうかがえましたね。春先に再訪したい跡地の一つです。
あ、それと・・・昨日を含めていつも急ですみません。また近いうちに廃校跡地キャンプで合流しましょう(笑)。
あなたのラオウより♡
いやあー!ここすごいですね!
そして昨日これなかったんですね(>_<)残念です(>_<)ってことで八雲来ましょうかー!夜行バスでww
お待ちしてまーす٩( 'ω' )و
あなたのラオウさんの弟子のもふんより(๑• ω •๑)
そして昨日これなかったんですね(>_<)残念です(>_<)ってことで八雲来ましょうかー!夜行バスでww
お待ちしてまーす٩( 'ω' )و
あなたのラオウさんの弟子のもふんより(๑• ω •๑)
No title
>ラオウさま
コメント有難うございます。ここは何年か前までトイレの一部が残っていましたが、もしかしたら倒壊しているかもしれません。
次はいよいよ羽幌砿です。今月中には公開しますよ。廃校跡地のキャンプもやりたいものですね。
>もふんさま
コメント有難うございます。前日お会いできず申し訳ありません。八雲までのバス、むりくり都合つけて参加したいですね。
何処かの廃校探索でご一緒できることを楽しみにしています。
コメント有難うございます。ここは何年か前までトイレの一部が残っていましたが、もしかしたら倒壊しているかもしれません。
次はいよいよ羽幌砿です。今月中には公開しますよ。廃校跡地のキャンプもやりたいものですね。
>もふんさま
コメント有難うございます。前日お会いできず申し訳ありません。八雲までのバス、むりくり都合つけて参加したいですね。
何処かの廃校探索でご一緒できることを楽しみにしています。
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懐かしい
上羽幌炭鉱に小学5年生までいました昨年還暦今年で61歳になります。18年前に家族で羽幌から上羽幌、本坑、築別炭砿跡地を回りました。みんなどうしているのか?あいたいな~ヤッチと呼んでた友達、ゆい、他たくさんの友達、げんきかな?
Re: 懐かしい
さゆりさま
お返事有難うございました。
羽幌炭鉱閉山45周年同窓会で上羽幌出身の方と知り合いました。今年、閉山50周年の集会が予定されていましたがコロナウィルス蔓延のために延期になりました。
現地ですが炭鉱関係の住宅や建物類は草木に覆われています。春先に行けば建物の基礎や煙突がよく見えます。
お返事有難うございました。
羽幌炭鉱閉山45周年同窓会で上羽幌出身の方と知り合いました。今年、閉山50周年の集会が予定されていましたがコロナウィルス蔓延のために延期になりました。
現地ですが炭鉱関係の住宅や建物類は草木に覆われています。春先に行けば建物の基礎や煙突がよく見えます。