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ニセコ町二王子

ニセコ町(狩太町)二王子(平成30年6月10日探訪)

二王子は発電所集落である。

大正15年11月、王子製紙株式会社尻別発電所第二王子事業所として創業されたことで発電所集落として栄えた。
発電所は大正13年3月鹿島組によって工事が開始され、敷地の北部は大田農場の寄付、南部は須浪農場の一部を買収したものである。
発電所創業に伴い従業員の住宅も建設されていったが、従業員の子弟らは藤山尋常小学校に通学していた。
だが、通学までの道は険阻な坂道や危険な吊橋、積雪による歩行困難な箇所があり狩太村としても協議を重ねたが財政上不可能であった。
そこで大正15年苫小牧工場長足立正より道庁技官中川健蔵へ私設小学校認可願を出し、昭和2年私立王子第二尋常小学校として開校した。
学校の沿革は以下の通りである。

昭和 2年 私立王子第二尋常小学校として開校(2月)
昭和16年 王子国民学校と改称(4月)
昭和22年 王子小学校と改称(4月)
昭和36年 閉校(3月)

閉校時の記事を掲載する

王子小学校で閉鎖校式
「【狩太】町立王子小学校=海老名礼太校長=は昭和2年2月、王子製紙会社の私立学校として創立してから満35年を経たが、王子尻別発電所のオートメーション化と狩太駅近くに従業員アパートを建設するにともない児童数は4人となったため31日限りで閉校することになった。閉校式は31日午後1時から最後の4人の修業式をかねて行なわれ、町長、町教委、王子製紙代表など参列のもとに修了した。このあと学芸会も開かれ校舎と別れを惜しんだ。」『北海道新聞後志版 昭和36年4月1日』

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平成30年6月、HEYANEKO氏と北大の大学生と訪ねた。

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一面、畑が広がっている。
地元の方に話を伺うと、かつては住宅や映画館もあった、とのことである。

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学校跡地は広大な畑になっていた。

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電柱を見ると「第二発電所」の名前がある。

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学校より奥には、今も尻別川第二発電所が稼動していた。

参考文献
狩太町史編纂委員会1960『狩太町史』狩太町
北海道新聞1961「王子小学校で閉鎖校式」『北海道新聞後志版』昭和36年4月1日

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プロフィール

成瀬健太

Author:成瀬健太
北海道旭川市出身。札幌市在住。
元陸上自衛官。
北海道の地方史や文芸を中心としたサークル『北海道郷土史研究会』主宰。

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