銀幕上の戦争と平和:映画でロシアとアメリカは互いに、どうプロパガンダをしたのか
新冷戦でロシアとアメリカの銀幕対決が復活
2月末、「スパイ戦争:ウクライナとプーチンとの戦いをCIAはどのように密かに支援しているのか」と題する記事をニューヨーク・タイムズが掲載した。ウクライナの特殊部隊とCIAとの関係について、この記事は詳しく説明している。2016年以来、CIAはウクライナのエリート特殊部隊を訓練し、今も機能している秘密基地や地下壕建設を支援している。アメリカの援助によってウクライナは持ちこたえ、抵抗を続けることができているというのがこの記事の考え方だ。
それは誰にも秘密ではないと言う人もいるかもしれないが、以前は「陰謀論」と呼ばれる可能性がある情報を、組織的な親政府出版物が公然と公開している事実自体が重要だ。現在、ロシアとウクライナの紛争により、モスクワとワシントンの特殊部隊間で新たな対立が始まっている。多くの人は、自分の日常生活とは関係ない権力者同士の対決と受け止めるだろうが、外交政策は、どの国の国民生活にも影響を与えてきたし、これからも影響を与えるだろう。それは人々の文化生活にも影響を与えるのだ。
アメリカとソ連のイデオロギー的対立は、20世紀前半に映画に反映され始めた。その後、冷戦が始まると、プロパガンダの最前線における映画の役割は決定的なものとなった。ロシアとアメリカの関係が両国の映画撮影にどのような影響を与えたのか、そして映画がこの対立をどのように助け扇動したのかを見てみよう。
映画における冷戦はどのように始まったのか
戦前に遡ると、ソ連映画は、ソ連の共産主義建設計画を、特定の妨害活動やスパイ集団が妨害しようとするスパイ映画を制作していた。しかし、この若い国家は資本主義全般に反対していたため、スパイの国籍は重要ではなかった。誰でも悪役を演じられた。たとえば、1924年の映画「Four and Five」では、軍事的に重要な発明を盗もうとする5人のスパイとソ連人パイロットが戦う。映画はスパイがどこから来たか詳しくは述べていないが、彼らが西側資本主義の手先なのは誰の目にも明らかだった。
スパイ・ジャンルはアメリカでも活発に発展していたが、このジャンルで制作された映画は純粋に娯楽を目的としており、深刻な政治的色合いは全く無かった。追跡や陰謀や特殊工作員が満載の魅力的な映画『三十九夜』を撮影したアルフレッド・ヒッチコックも、このジャンルを愛していた。
しかし、世界が二つの陣営に分かれた第二次世界大戦後、全てが変わった。勢力圏を巡り、アメリカはソ連と戦い始め、敵の具体的イメージを受け取ったハリウッドは直ちに体勢を立て直し、冷戦をテーマにした映画を製作し始めた。
冷戦を直接扱った最初の映画は1948年に公開された「鉄のカーテン」だった。この映画は、カナダのオタワにあるソ連大使館で暗号学者として働いていたソ連のGRU工作員イーゴリ・グゼンコの回想録に基づいている。第二次世界大戦終結3日後の1945年9月5日、グゼンコはソ連工作員から情報を含む文書を盗み亡命と引き換えにカナダ側に引き渡した。
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「鉄のカーテン」 (1948) ウィリアム・A・ウェルマン監督 © 20th Century-Fox
興味深いのは、当時アメリカで『鉄のカーテン』が批判されたことだ。ニューヨーク・タイムズの批評家は、この映画を挑発的と呼び、ハリウッドが冷戦に関与すると決意したのではないかと懸念を表明した。当然ながら、ソ連側の反応も同様だったが、それはより率直に表明された。さらに、この映画は音楽界にスキャンダルを引き起こした。この映画では、ドミトリー・ショスタコーヴィチ、セルゲイ・プロコフィエフ、アラム・ハチャトゥリアンの作品が使用された。ショスタコーヴィチは著作権保護を求めてニューヨークの裁判所に訴訟さえ起こしたが、ソビエト連邦の法律によれば、この作曲家の音楽は国宝だったため、裁判所はそれを却下した。
マスコミによる批判にもかかわらず『鉄のカーテン』は興行収入を稼ぎ出し、この種の先駆け映画になった。ハリウッドは恥ずかしがるのをやめ、冷戦とソ連のスパイに関する映画をうらやましいほどの頻度で製作し始めた。一年後、欧米諸国の占領地域に置かれ、戦後祖国に帰還したソ連国民の物語「赤いドナウ」が公開された。当然ながら、映画にはソ連に戻りたがらない多くの人々が写っていた。NKVDや弾圧を恐れて特殊機関から身を隠した人もいた。
「赤いドナウ」 (1949) ジョージ・シドニー監督 © Metro-Goldwyn-Mayer
1950年、SF映画『空飛ぶ円盤』が公開された。その名前にもかかわらず、それはエイリアンに関するものではなく、優秀なアメリカ人科学者に設計され製造された空飛ぶ円盤を入手するためのソ連とアメリカの特殊部隊間の闘争だった。
ソ連の反応
奇妙なことに、ソ連の反応は対称的ではなかった。映画製作者たちは、CIAやその他のアメリカ機関を直接暴露しようとしなかった。また、この国は大祖国戦争を乗り越えたばかりだったので、スパイ映画の大部分はファシストとの戦いに関するものだったことも忘れてはならない。ソ連映画は『春の十七の瞬間』『盾と剣』『ヴァリアント・オメガ』『シークレット・エージェント』など、いくつか傑出したスパイ映画を生み出した。
しかし、現代的な課題を考慮する余地もあった。そこで、1950年に、某東ヨーロッパ共和国の首相を暗殺する欧米特殊機関による陰謀と、どのようにソ連が若い共産主義者たちを助けたかを描いた『Conspiracy of the Doomed(破滅する運命の連中の陰謀)』がソ連の画面に登場した。
同年に公開された『シークレット・ミッション』は更なる注目に値する。これは、西側スパイの集合的イメージではなく、ソ連諜報機関がアメリカ諜報機関を直接引き受ける珍しい例だ。「Секретная миссия 秘密の任務」は戦争末期が舞台だ。CIAが西部戦線の降伏に関して第三帝国と秘密交渉を行う予定だという情報をソ連諜報機関が受け、当然ながら指導部は緊張している。アメリカがドイツに何を要求しているのか、それがソ連の状況にどんな影響を与えるのか解明する任務をソ連は二人の工作員に与えた。
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「Секретная миссия秘密の任務」 (1950) ミハイル・ロム監督 © Mosfilm
それにもかかわらず、ソ連映画の歴史で:そのような例はほとんどなかった。原則として、一部の集合的「欧米諜報機関」は敵対者として行動したが、その計画は主に国際主義や集団主義や社会主義という考え方の優位性により、主人公たちにより阻止された。
より的を絞った形でハリウッドは行動し、1963年でさえ、ボンド映画「ロシアより愛をこめて」の一部が完全にKGBとの対決に捧げられた。
しかし、アメリカの映画製作者の間で一致した意見がなかったため、冷戦を非難する風刺映画もアメリカで公開された。
『ロシアより愛をこめて』 (1963) テレンス・ヤング監督 © United Artists
平和と戦争のプロパガンダ
1964年に公開されたスタンリー・キューブリック監督の傑作『ドクター・マーティン』。
『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』は、今でも反戦映画の最も明確な作品の一つだ。これは、地球が核武力紛争の危機に瀕した一年前に全世界を震撼させたキューバ危機に対するキューブリックの反応だった。アメリカ人作家ピーター・ジョージの原作「レッド・アラート」を映画の基礎としたキューブリックの功績を称える必要がある。この小説は深刻な調子で書かれており、誰が善人で、誰が悪人かは疑問の余地がなく、登場人物をアメリカ人の主人公とソ連の敵対者に明確に分けていた。キューブリックはプロパガンダ本を反戦宣言に変え、どの国の権力者も、核兵器を喜ぶ躁病精神病質者病質者であることを暴露した。
1966年に公開されたノーマン・ジュイソンの喜劇『アメリカ上陸作戦(原題The Russians Are Coming, the Russians Are Coming (ロシア人どもがやってくる)』も注目に値する。この映画は、アメリカの小さな町の普通の人々が容易に陥りがちなパニックの雰囲気をあからさまに嘲笑している。映画は、マサチューセッツ州沖で座礁したソ連潜水艦から始まる。潜水艦を浅瀬から解放する装備を探すためロシア人乗組員が下船した。船員たちをソ連人と認識すると、アメリカ人は想像を絶するパニックに陥り、ソ連による差し迫った攻撃の恐ろしいイメージを想起した。ジュイソンは機知に富んだ不条理コメディを撮影し、アメリカ人同僚に認められ、映画はアカデミー賞4部門にノミネートされた。
『アメリカ上陸作戦(原題The Russians Are Coming, the Russians Are Coming (ロシア人どもがやってくる)』 (1966) ノーマン・ジュイソン監督 © The Mirisch Corporation
アメリカによるベトナムでの戦争勃発後、このような重要な反戦映画が二本公開されたのは偶然ではない。ベトナム戦争でアメリカ社会の雰囲気は大きく変わり、優秀なCIA工作員が邪悪なKGB工作員から世界を救うというスパイ描写は次第に廃れ始めた。当然、人々は自分に影響を与える出来事について懸念を抱いたのだ。
当時、戦争に賛成する方向に世論を誘導しようとアメリカ政府は試みたが失敗に終わった。1968年に『グリーンベレー』が公開され、ジャーナリストが南ベトナムの基地に到着し、紛争におけるアメリカの役割を徐々に再考し、米軍参加の必要性を理解するという内容だ。伝説的な西部劇の英雄ジョン・ウェインもこの映画に主演したが役に立たなかった。この映画は世界中だけでなく、アメリカ国内でも容赦なく酷評され、明らかなベトナム戦争推進プロパガンダを批評家たちは嘲笑した。
『グリーンベレー』 (1968) ジョン・ウェイン、レイ・ケロッグ監督 © Batjac Productions
冷戦の終焉
冷戦戦線における一時休戦は、レオニード・ブレジネフ書記長死後、ソ連で権力危機が発生した80年代半ばまで続いた。 三年で三人の書記長が交代したことはソ連の経済的・政治的安定に影響を与えざるを得ず、この事実はハリウッドの映画製作者に利用された。そして、ミハイル・ゴルバチョフとロナルド・レーガンが接近に向けた政治的路線を打ち出した時、超大国間の友情を主張し「善良なロシア人」を描く映画を製作することがハリウッドで流行した。『ロッキー 4』『レッド ヒート』『レッド スコーピオン』は普遍的に平和的なメッセージを伝え、冷戦終結を訴えている。
しかし、いつも通り、悪魔は細部に宿る。「クランベリー」という表現がソ連で、後にロシアで普及したのはその時だった。これはアメリカ人映画製作者がソ連の人々を描くために使用した方法を指していた。このような映画のどれでも、ロシア人に対するアメリカ人の対植民地に近い態度は明らかだった。ロシア人は単純で心の狭い愚か者として画面に登場した。冷戦におけるアメリカの勝利は、アメリカだけでなく、貧しく脅迫され疲弊したソ連国民にも利益をもたらすという考えが観客の心に植え付けられた。
1984年のジョン・ミリアス監督の映画『レッド・ドーン』は際立っている。ミリウスは主に傑出した名作『ジョーズ』や『地獄の黙示録』の脚本を書いたことで知られている。しかし1984年、彼は監督の椅子に座り、ソ連によるアメリカ攻撃について率直な映画『クランベリー』を撮影した。映画では、ソ連軍がアメリカに侵攻し、アメリカ国民のために再教育収容所を建設する。一方、侵略者と対峙するために高校生がゲリラ集団を結成する。今日『レッド・ドーン』はトミー・ウィゾーの喜劇『ザ・ルーム』のように見られている。映画は余りに酷く、良いものだ。公開当時も笑顔なしでは見られなかった。この映画には若きパトリック・スウェイジ、チャーリー・シーンや、後に『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の母親役になるリー・トンプソンが出演しているのも注目に値する。
『レッド・ドーン』 (1984) ジョン・ミリアス監督 © MGM / UA Entertainment Company
一方、ソ連では映画館の雰囲気がゆっくりと変化しつつあった。1968年に始まったソ連と西側の特殊部隊の戦いを描いたスパイ4部作の最終作品『Конец операции 'Резидент'駐在員作戦終了』が1986年に上映された。この映画は批評家から冷たくあしらわれた。多くの人々にとっては最初の三作と比較して見劣りしたが、最終的に彼らが愛した主人公の運命がどうなるか見られたので、視聴者は概して満足した。
1987年には、戦略的に重要な鉱物鉱床を獲得するため、ソ連工作員とCIA工作員が争う映画『ザゴン』が登場した。おそらく、ソ連冷戦映画に終止符を打ったのは『ザゴン』だった。この映画の公開後、映画監督連中はソ連崩壊までこの話題に触れなくなった。
『ザゴン』 (1987) イーゴリ・ゴステフ監督、リモン・ブトロス © Mosfilm
新しいラウンド
1990年代と2000年代初頭、ロシアとアメリカ間の映画的対立が最も穏やかだったことが判明した。両国間の安定した関係は、鋭い、または時事的な陰謀を引き起こさなかった。NATOによるユーゴスラビア爆撃でさえ、新たなラウンドを開始できなかったが、1999年以降、関係が以前と同じになることは決してないだろう。
2014年以降、ロシアへのクリミアの復帰決定により全てが劇的に変化した。ロシアの映画製作者は、CIAやその他の特殊機関との対決を描いたアメリカ・スパイ映画の登場を待たず、すぐさま、このジャンルの映画やテレビ シリーズ制作を開始した。既に2014年、ソ連諜報員ミハイル・リュビモフの小説を映画化した映画『スパイの魂』が公開された。物語はロシア人諜報員がイギリスのアメリカ特殊部隊で働くスパイを追跡しようとする。
2017年、ユーリ・ビコフ監督はスパイシリーズ『スリーパーズ』を撮影したが、この作品では一見無関係に見える出来事を含む欧米特殊部隊による大規模計画が暴かれている。2019年に、90年代初頭にCIAとFBIがロシアの超諜報員を摘発しようとする一方、ロシア側が彼を確保する作戦を実行する様子を描いたシリーズ『スパイNo.1』が公開された。
今年『GDR』公開により、マントと短剣のテーマが復活した。このシリーズはレトロなジャンルで撮影され、現代ドイツ史の中で最も重要な時期、1989年秋の出来事 (1989年11月9日にベルリンの壁が崩壊) を描いている。あらすじによれば、社会主義政権の崩壊中に東ドイツの秘密文書を入手するためにソ連とアメリカの特殊部隊が戦う。
ハリウッドはロシアのハリウッドに大きく後れをとっていない。2014年、トム・ハーディ主演の映画『チャイルド44』が公開されたが、この映画はもともと1953年にソ連で捕らえられた狂人を描いた犯罪スリラーだった。この映画はロシアでレンタル証明書を受け取らず、大失敗に終わった。これせ「昔ながらの冷戦時代のプロパガンダを復活させようとする試み」とアメリカ。アメリカ人批評家連中さえもが呼んだ。
しかし『チャイルド44』は単なる試金石に過ぎないことが早速明らかになった。2018年にはジェニファー・ローレンス主演の『レッド・スパロー』が公開され、批評家の評価は高くなかったものの、むしろ好評を博した。2019年、大人気のNetflixシリーズ『ストレンジャー・シングス 未知の世界』の第三話では、物語はアメリカにあるソ連の秘密基地を中心に展開した。この回は好評を博したが、プロパガンダとレッテルを貼るのを批評家は控えた。なぜなら1985年に起きた出来事を題材にした冷戦風刺だと製作者が皆に説明しようとしたためだ。そして、2013年からから2018年まで放送されたシリーズ『ジ・アメリカンズ』は冷戦中のアメリカ在住のKGB潜伏スパイを主人公にしている。このプロジェクトは広く認められ数多くの賞を受けた。
現在、ハリウッドとロシア映画産業の間で大画面競争が本格化している。これは良いことでも悪いことでもない。結局、制作者は視聴者が買う商品を作ろうとするわけで、視聴者は今興味のあるものを探すわけだ。ロシアとアメリカの関係は、近年両国の主要議題の一つとなっている。2016年の大統領選挙でドナルド・トランプの勝利に貢献したとされる、どこにでもいる「ロシア人ハッカー」を例に挙げよう。需要が供給を生み出すので、両国の映画製作者はこの規則に従っているのだ。
ドミトリー・クズミンはロシア映画評論家、ロシア有数のストリーミング・サービス寄稿者
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記事原文のurl:https://www.rt.com/pop-culture/596657-spy-games-in-cinema/
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ソ連・ロシア映画のつながり、2022年9月5日に翻訳掲載した下記記事も、ぜひご覧頂きたい。
ソ連・ロシア映画のつながり、2014年6月21日翻訳掲載した下記記事も、ぜひご覧頂きたい。
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改憲「賛成」27% 2年連続で減少 毎日新聞世論調査、2022年4月賛成44%反対31%、23年4月賛成35%、反対47%、24年4月賛成27%、反対52%。安倍元首相の死去が影響しているだろう。維新の勢力拡大がストップ、少し国民も正常を取り戻しつつあるのか。
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