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2011年10月 1日 (土)

『フェア・ゲーム』: ハリウッド・リベラル派、イラク戦争への衝動を扱う

wsws.org

Joanne Laurier

2010年12月6日

監督:ダグ・リーマン、脚本:ジョセフ・ウィルソンとヴァレリー・プレイムの著書に基づき、ジェズおよびジョン=ヘンリー・バターワース。

イラク侵略と、今も継続している占領は、現代における主要な帝国主義者の犯罪の一つだ。映画制作者達、とりわけ、アメリカの映画制作者達によって、再三取り上げられるに値するものだ。とはいえ、イラク戦争を扱った大半の映画は、二次的な問題を延々と論じたあげく、普通、結局アメリカ軍やら、他の“アメリカ民主主義”の諸制度への忠誠を誓うという、せいぜい、かすめるだけの攻撃でしかない。

ジョセフ・ウィルソン (『The Politics of Truth(真実の政治)』) とヴァレリー・プレイム (『フェア・ゲーム』)の回想録に基づいて、(『ボーン・アイデンティティー』、『ボーン・アルティメイタム』『Mr. and Mrs. スミス』)のダグ・リーマンが監督した『フェア・ゲーム』も、その例外ではない。

2002-03年当時の、中東で戦争をしたいというブッシュ政権の衝動と深く結びついた、ウィルソン-プレイム事件の事実は、公的記録の一部だ。

2002年、ビル・クリントン大統領の元アメリカ大使、兼特別顧問として、ジョセフ・ウィルソンは、イラクが秘密の核兵器開発計画で使うため、アフリカの国でウランを買おうとしているという主張を調査するため、CIAの命を受け、ニジェールに派遣された。どう見ても、詐欺的な主張であるにもかかわらず、この嫌疑は、対イラク戦争を認可する2002年10月の議会投票の直前に公表された、CIA国家情報評価中に記載され、ジョージ・W・ブッシュ大統領の2003年1月一般教書演説の中でも繰り返された。

ウイルソンが、2003年7月ニューヨーク・タイムズ論説欄で、まやかしのニジェール・ウラン-“大量破壊兵器”(WMD) 説に異義を唱えると、ブッシュ政権当局者達は、マスコミに、彼の妻、ヴァレリー・プレイムが、対兵器拡散工作に従事している秘密CIA職員であるという事実を漏洩して、報復した。

最終的に、ディック・チェイニー副大統領の首席補佐官であるルイス・リビーが、大陪審聴聞会で、ウイルソン事件の証拠について嘘をつき、偽証と司法妨害をしたかどで起訴された。リビーは、おそらくチェイニーに強要され、実際この情報を何人かのジャーナリストに提供しているのに、プレイムのことを 'ばらした' のを否定したかどで告発された。

リーマンの映画は、ブッシュ政権が偽の証拠を利用したことを暴露するためのウイルソン(ショーン・ペン)が行った好戦的キャンペーンと、それによって生じた、彼の結婚生活上の犠牲に中心を置いている。子供たちと夫にも危害が及ぶことを恐れ、、CIAの訓練で、沈黙を保つよう、条件付けられているプレイム (ナオミ・ワッツ)自身、当初、ウィルソンが、あからさまに政府と衝突するのに反対した。

この映画は、地球上で最も残虐な組織の一つで、広く嫌われているCIAの工作員という、プレイムの役割に、現在ハリウッドで主流となっている世代の脚本家と監督達は、事実上、何ら批判的な目を向けてはいないことについて、実に多くを語っている。彼女の職業は、単純に、当然のこととして受け入れられている。

『フェア・ゲーム』の初期の場面は、カップルが、仕事の都合と家庭生活を、何とか辻褄を合わせようとする姿を描いている。これは、かなりありきたりのものだ。ウイルソンは、情緒的に頼れる基盤であり、一方、CIA記者会見室のプレイムは、冷静の化身であるかのように描かれている。彼は、子供達や、夫婦の危機に対処し、家にいることの多い父親だ。妻は、兵器拡散調査のため、クアラルンプール、カイロやアンマンに、NOC、つまり“非公式諜報員”として、秘密の出張をする。

CIAのイラク共同捜査本部を率いるプレイムは、サダム・フセインの兵器開発計画に潜入することが仕事だ。彼女は、クリーブランドで働いているイラク人医師を、イラクで核科学者として働いている兄弟から情報を取るという危険な企てに駆り立てる。(“二国はこれから戦争をすることになるが、あなたの兄弟は、そのど真ん中にいるのですよ。”)

イラクの大量破壊兵器の証拠を発見できずに、CIAは、ホワイト・ハウスと、その戦争準備と衝突することになる。“スクーター”リビー(デヴィッド・アンドリュースが生き生きと演じている)が、厄介なスパイ組織の報告を覆すべく、派遣される。

詐欺的な諜報情報に関するウィルソンの記事が刊行され、政権がウィルソン夫妻に対する復習を開始するまで、映画は淡々と展開する。政治的緊張がエスカレートすると、MSNBCのクリス・マシューズは、ホワイト・ハウス政治顧問カール・ローブの、ヴァレリー・プレイムは“フェア・ゲーム(いいカモ)”だという発言を報じる。

チェイニーと、彼のネオコン仲間が、かなりの期間、対イラク戦争をしようと、熱心に推進し、準備していることを、融通の利かない公務員であるヴァレリーよりも、ジョセフは良く分かっている。リビーが告訴されると、ウイルソンは、このホワイト・ハウス補佐官が、最終的には大統領によって赦免される、いけにえであることを理解する。一方プレイムも、我慢の限界点に達し、沈黙を破る。典型的なハリウッド風に、彼女は生活と家族を取り戻すのだ。

『フェア・ゲーム』作成にあたって、それなりの努力が払われている。映画の制作ノートは脚本家が直面した障害について書いている。“バターワース夫妻は脚本を書く契約をしてから、これまで誰も出くわしたことがないような制限に直面していることに気がついた。ヴァレリーの未刊の回想録すらも、CIAが本の審査を終える迄は、二人にとって使用禁止になってしまう … そこで、映画制作者達がプレイムの本の権利を取得しており、彼女が映画にコンサルタントとして協力していたにも関わらず、政府が依然秘密と見なしているいかなる情報も、プレイムは明かすことができなかったのだ。脚本家達は、空所を埋める手助けとして自分たちで調査を行うという策をとった。‘膨大な調査をしました’とsaジェズは語っている。“まずは、アメリカ政府とCIAについて、それからウィルソン夫妻について。’”

ペンもワッツも、二人の人物に魅力的な信ぴょう性をもたらしている。イラクの場面は入念に作られている(リーマンは言う。“我々は、バグダッドで、ドキュメンタリーでない作品の撮影を行った、初めてのアメリカの映画会社です”。)戦争を開始する“衝撃と畏怖”爆撃の短い場面は、気分が悪くなるほど記憶を動揺させる。

『フェア・ゲーム』は、イラク侵略が嘘に基づいていたことを思い出させる作品だ。そういう作品として、映画は、2008選挙後の不快な雰囲気の中、ジョージ・W・ブッシュの名誉を回復させようという当時の試みに逆行することとなった。ハリウッドのリベラル派は、ウィルソン-プレイム事件について騒ぎ立てたかったのかも知れないが、ワシントンの民主党も民主党派の既存体制も、概して、それを望んではいなかった。その小心さにもかかわらず、リーマンの映画は、当面の論争には、しっくりしなかった。

この証拠の一つは、12月4日付けのもっぱら『フェア・ゲーム』攻撃をするワシントン・ポストの卑劣な論説だ。論説は、映画はプレイムを暴露するという“ホワイト・ハウスの陰謀”話だと非難し、この映画は“真実などおかまいなしに、歴史的な出来事についての映画を作る”ハリウッドの伝統に安住していると主張し、ポスト紙は“ブッシュ大統領は、イラクに関する真実を意図的にゆがめた”という、世界中で多くの人々が十分に承知している意見に対し、腹立たしげに対応し、ウイルソンは“元大統領が嘘をついて、アメリカを戦争に引きずり込んだと主張する連中に、熱烈に受け入れられたのだ”と断言している。新聞論説は、並ならぬブッシュとの連帯表明で終わっている:“我々は、未来の歴史家達がきちんと決着をつけてくれることを願う元大統領にくみする。”

ポスト紙の攻撃を別とすれば、『フェア・ゲーム』は、ほとんど論争の話題にならなかった。おそらく、極右はブッシュの犯罪性に注目を惹きつけたくはなかったろうし、いずれにせよ、リーマンの映画は、出来事に肉付けをし、人間的なものにしているとは言え、出来事を劇にする以上の危険を冒したわけではない。監督が、この事件における本質的なドラマを見抜くことができ、それを引き出す才能もあるという点は評価に値する。

とは言え『フェア・ゲーム』は、本質的に保守的な体制支持の映画で、秘密CIA工作員の暴露を禁じるという反動的な法律にブッシュ政権が違反したことに焦点を置いている。

実際には、ウイルソンとプレイムに対する組織的運動は、地政学的権益の追求として、どのやり方が最善かを巡る、ペンタゴンとブッシュ・ホワイト・ハウスが一方の側、国務省とCIAが、もう一方の側とした、アメリカ支配層内部の分裂を表していた。

そのような理解は、著名なニューヨークの弁護士であり、レーガン政権が冒した犯罪に関する1987年のイラン-コントラ聴聞で、アメリカの上院議員や主要人物の弁護人だったアーサー・リーマンが父親であるリーマン監督にとって、決着済みの問題だったろう。監督は『フェア・ゲーム』中の闘争を、善い勢力の無実が、それ以後の出来事によって証明される、善い勢力と悪の勢力との戦いとして扱っている。

リーマンは、全ての映画業界の民主党員同様、公的、かつ、しつこく、アメリカ国家の諸機構に対する忠誠を言明しなければならない立場にある。彼は、あるインタビューでこう断言している。“この映画は、実際、毎日CIAに仕事にでかけ、人目につかず、決して名を知られる事のない人々を称賛するものです。アメリカの安全保障に対する彼等の貢献を、我々は全く知りません。”世界中で、“殺人株式会社”として知られている組織について、監督がそう語っているのだ。

これは、アメリカ映画界の恥ずべき発言だ。今、現役の大半のリベラル派映画制作者達は、極右を恐れているか、あるいは、社会改革の見通しについて、やる気を失っているかのいずれか、あるいは、その両方なのだ。彼らは、現状への反対を、愛国的、国粋的な調子で表現し、例えば、アメリカを“裏切っている”ネオコン共謀者連中に対抗する、CIAや軍の連中との連帯を主張しがちだ。こういう基盤の上に、アメリカの社会生活についての゛本当に正確な、あるいは説得力のある説明を生み出すことはできない。

ウィルソン-プレイム事件がマスコミをにぎわして以来、2008年のバラク・オバマ選出や、彼の政権によるアフガニスタン戦争の血みどろなエスカレーションを含め、様々なことが起きた。『フェア・ゲーム』は、そうした物事に対する、何らの自覚も感情もconveys。映画の、背後に隠された意味は、ブッシュ大統領時代の終わりと共に、最悪の事態は去ったといことだ。映画は、政治権力の集中という危険について、しまりのない道徳的反省をすることで終わっている。

なんら危険が消え去ったわけではない。軍国主義と民主的な権利の侵害は、オバマの下で続いており、場合によっては、強化さえされている。『フェア・ゲーム』がイラク戦争の起源を暴露しているのは有用だが、映画制作者達は、アメリカ帝国主義者の暴力が起き続けることを不可避のものにしている、より大きな社会的、歴史的問題について、ごく僅かしか、というより、何も語っていないのだ。

記事原文のurl:wsws.org/articles/2010/dec2010/fair-d06.shtml

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宗主国の理不尽な侵略戦争の過程で起きた事件の一面だけ切り取って、CIAを称賛するという、ご都合主義の映画。

本澤二郎の「日本の風景」(842)<CIAにも善玉と悪玉が>、この映画を試写会でご覧になっての記事。

死の町という真実発言で、首になる閣僚はいても、イラク侵略を進んで支持し、どこが戦闘地域か聞かれたってわからない、と平然と答え、イラク派兵をする異常な首相、首にならず、今はお気楽に、原発は危険だとのたまわっているという。追放された?芸能人ばりの政治家。いや、金と権力が目標の与党政治家の皆様、道徳的レベルは芸能人以下かも知れない。

宗主国では公開されている沖縄密約、属国政府幹部が文書を秘密裏に処分すると、「文書がない」と門前払いする「東京高等裁判所」。日本政府は永久に無責任でいられる。

一審の東京地裁判決で、大いに喜んだだけに、この判決はつらい。

この国、全支配装置メルトダウン、腐敗の極み。

裁判所というもの「法律破りの番人」「泥棒の共犯」であることを証明してくれた。

「泥棒の共犯」裁判所に、いくら原発の危険を訴えても、原発建設・運用が止まるわけがない。さりとて、直接行動で破壊するわけにもゆかず、一億総体内被曝し、福島医大の山下俊一副学長の調査により、貴重な実験データを人類に提供するのが属国民の運命。

個人的に、衆議院選挙時に行われる最高裁判所裁判官国民審査、毎回、全員に×をつけている。

大手マスコミ、豪腕政治家の秘書裁判は大きく扱うが、こちらの沖縄密約判決の扱いは極めて小さい。国民に告知したくないのだ。

こうした本質的な問題追求、マスコミには期待できない。元マスコミの方の発言は別。

岩下俊三のブログ 東京高裁に「も」失望した。もはや日本はド~なるんだろう

マスコミ全てが異常というわけではない。西日本新聞には立派な論説がある。2011/10/1

沖縄密約判決 「政府のうそ」裁いてこそ

1972年の沖縄返還をめぐり日米両政府が交わした密約文書の開示を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は政府に文書開示を命じた一審判決を取り消し、原告の訴えを退けた。

 原告らが公開を求めた文書について、政府が不開示を決定した2008年時点で「文書を保有していた証拠はない」というのが、請求棄却の理由である。

 その一方で、判決は「文書はかつて政府が保有していたが、秘密裏に廃棄された可能性を否定できない」と述べ、密約文書の存在自体は認めている。

 平たく言えば、文書は捨てられた疑いがあり「探しても見つからないと政府も言っているのだから、文書を出せと命じても意味がない」というのである。

 現実的にはそうかもしれない。しかし法的な形式論としては通用しても、「真実の発見」に努めるという司法本来の役割を果たしたとは到底、言えない判決である。首をかしげざるを得ない。

 元毎日新聞記者の西山太吉さんや作家の沢地久枝さんら25人の原告が、この訴訟で問うてきたのは、米国で存在が明らかになった当時の密約文書の開示によって、国民の前に「歴史の真実」を解き明かすことにあった。

 一審の東京地裁判決は、原告らの訴えに正面から向き合い「国民の知る権利をないがしろにする国の対応は不誠実」と踏み込んだ。そのうえで、密約文書の全面開示を政府に命じた。国民の知る権利に応えた画期的な判決だった。

 今回の控訴審判決は一転、政府の言い分を全面的に認め、「文書不存在」を理由に開示しなかった国の対応を適法とした。「不存在」の立証責任を国に求めた一審とは全く逆の司法判断である。

 これでは、政府は「そんな文書はない」というだけで、国民の利益に重大な影響を及ぼす公文書や公的な情報を永久に秘密にできることになってしまう。

 もうひとつ、見逃してならないのは、外務省が文書を「秘密裏に廃棄した可能性」を指摘しながら、政府の不開示決定を「適法」とした点だ。

 公文書の「秘匿と廃棄」を是認することになり、国にとって都合が悪い文書は廃棄しても違法ではないという論理と法解釈が成り立つことにならないか。理解に苦しむ司法判断ではある。

 公文書は「民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」であり、厳格な保管と公開が原則である。政府が当然、守るべき原則である。外交機密であっても、一定の年月がたてば例外ではない。

 外交に対する国民の信頼は、歴史を丁寧に検証することによって生まれる。そのための情報開示を求めた今回の訴訟はその好機でもあった。

 政府の「うそ」や「過ち」をただすのも、また司法の役割である。三権分立主義が持つ機能でもある。その意味でも、情報公開による歴史の検証に背を向けた残念な判決だった。

実に、ごもっとも。とは言え、

この国では司法もマスコミも、政府の「うそ」や「過ち」を推進するのが業務。その意味で、日本における情報公開による歴史検証のレベルを暴露する素晴らしい判決だった。

裁判所は茶番所、官庁は間諜、と看板を読み変えれば済む話。

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