共産党兵庫県委員会幹部は、SNSを理由にして県知事選の壊滅的大敗の責任を回避することはできない、SNSが支配した兵庫県知事選挙(3)、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その47)

 兵庫県知事選をめぐる情勢は、選挙前よりもむしろ選挙後の方が加熱してきている。当選した斎藤知事のSNSを駆使した選挙運動が公職選挙法に違反するとして12月2日、斎藤知事と西宮市のPR会社社長に対する刑事告発状が神戸地検と兵庫県警に提出された。PR会社社長は、選挙戦の広報戦略全般を取り仕切っていたと誇らしげにインターネット投稿サイトで発信していたが、これが問題になり始めるや否や当該箇所を次々と削除・修正している。これらの箇所を繋ぎ合わせると、兵庫県知事選におけるPR会社の役割がクッキリと浮かび上がってくるのだから、彼女は二重三重に疑惑を上塗りしていることになる。

 

 斎藤知事自身や代理人弁護士は、記者会見でPR会社社長の投稿は「事実ではない」と言い張り、この会社に支払った70万円はポスター制作費であって、公職選挙法で認められている範囲の対価であり「違法性はない」と主張している。検察側が立件するかどうかは目下未定だが、立件するしないにかかわらず、斎藤知事の政治的正統性が大きく揺らいでいることには変わりない。

 

一方、マスメディアはほとんど関心を示していないが、私はこの知事選で壊滅的大敗を喫した共産党兵庫県委員会幹部の責任の取り方に注目している。2021年前回知事選の共産党候補得票数18万4千票(得票率10.1%)だったのに対して、今回は7万3千票(3.0%)と僅か4割に激減したのである。にもかかわらず、県委員会はその原因をSNSのフェイク宣伝にすり替え、自らの選挙戦略の誤りを認めようとしない。国政選挙では「野党共闘の要」と位置付ける立憲民主党との共闘を県知事選では追求しようとせず、立憲が実質的に支援する稲村候補を斎藤候補や維新候補と同列に位置付け、これに敵対して大敗するという〝致命的な失敗〟を犯したにもかかわらず――、である。

 

ミソクソの区別もつかない県委員会の稚拙極まる情勢分析と政治判断の下に行われた兵庫県知事選は、今後このような誤りを防ぐためにも選挙総括が決定的に重要になる。ところが、投開票日から半月が経過した現在においてもキチンとした総括が出てこない。赤旗は、特報記事として「兵庫県知事選で何が起きた SNSと選挙を考える」(12月2日)でフェイク宣伝を批判しただけで、県委員会の誤りについては一言も触れようとしない。

 

そしてまたもや全紙2面にわたって大々的に掲載されたのが、アジア政党国際会議総会に参加した「志位議長が語る」(12月3日)の特大記事である。「私たち日本共産党が、アジアの平和の本流の側に立っていることに誇りと確信をもって、東アジアの平和構築のために引き続き知恵と力をつくす決意です」との言葉で結ばれているこの特大記事は、国内の党組織の抱える矛盾を直視せず、党員や支持者の目を海外に逸らせるため――、としか思えない。

 

赤旗が兵庫県委員会幹部の責任を追及しない(できない)のはなぜか。国政選挙にしても地方選挙にしてもその都度幹部の責任を追及すれば組織がもたないこともあるが、その根源は2021年衆院選の志位委員長発言にある。志位委員長は投開票翌日の11月1日、党本部で記者会見し、議席と得票数を減らしたにもかかわらず「責任はない」と明確に否定したのである。「総選挙の結果について」(赤旗2021年11月2日)と題する常任幹部会声明も同様の趣旨で展開されており、志位委員長をはじめ幹部役員の政治責任は一切棚上げされている。

 

政治は〝結果責任〟が原則なのであるから、意図はどうあれ敗北した場合は幹部が責任をとらないわけにはいかない。だが、志位委員長の発言は「我が党は、政治責任を取らなければならないのは間違った政治方針を取った場合だ。今度の選挙では、党の対応でも(野党)共闘でも政策でも、方針そのものは正確だったと確信を持っている」(毎日新聞2021年11月2日)というものだった。しかし、この主張は選挙結果にあらわれた〝民意〟を軽視するものであり、それよりも上に党の政治方針を置く「革命政党」の体質を遺憾なくあらわしている。

 

党の決定はあくまでも正しい。誤りやすい大衆を正しい方向に導くのが党の使命である。選挙結果などには一喜一憂せず、毅然として党の政治方針を貫徹しなければならない――というのであろう。だがこの主張を突き詰めていくと、有権者の生活感覚や政治意識の動向、時代の流れを察知できない無神経さと思い上がりにつながり、国民の心情から遊離した政治方針をいつまでも改めようとしない官僚主義、専制主義に陥ることになる。まして兵庫県委員会の場合は、稲村候補を斎藤候補と同一視するという決定的な「間違った政治方針」を取ったのであって、この論法でさえ通じないことは明白なのである。

 

来年の参院選・都議選ではさらに大きな波乱が予想される。SNSを駆使する新党の登場が幾つか予想されるし、想定外の戦術展開も考えられる。変幻極まる情勢の変化に対応するには、その場その時の変化に応じて柔軟に選挙戦を展開できるセンスと能力が必要だが、それが従来通りの党決定学習と党勢拡大で身に付くとは思えない。支部活動のあり方を抜本的に変える「自由な議論」「多様な討論」が必要なのであり、それが党改革の第一歩にならなければならないだろう。

 

だが、11月27日に行われた小池書記局長の「都道府県・地区役員、地方議員への訴え」(赤旗11月28日)は、いつも通り「常任幹部会声明」や「全国都道府県委員長会議」の読了と党勢拡大運動の推進を強調するばかりでまったく新味がなかった。そして12月2日の中央委員会書記局報告(赤旗12月3日)では、11月の党勢拡大運動は小池書記局長がいうように「党大会後最小の入党者数」になったのである。志位議長の華々しい海外活動にもかかわらず、共産党はいま「日暮れて途遠し」の状態に陥っている。(つづく)

 

〇1月:入党447人、日刊紙1605人減、日曜版5380人減、電子版94人増

〇2月:入党421人、日刊紙1486人減、日曜版5029人減、電子版74人増

〇3月:入党488人、日刊紙947人減、日曜版6388人減、電子版2 8人増

〇4月:入党504人、日刊紙74人増、日曜版135人減、電子版72人増

〇5月:入党477人、日刊紙111人減、日曜版564人減、電子版70人増

○6月:入党514人、日刊紙537人減、日曜版3498人減、電子版59人増

〇7月:入党648人、日刊紙350人増、日曜版467人増、電子版67人増、

〇8月:入党375人、日刊紙119人増、日曜版398人減、電子版58人増、

〇9月:入党334人、日刊紙455人増、日曜版613人増、電子版11人増、

〇10月:入党213人、日刊紙2006人減、日曜版3212人減、電子版309人増

〇11月:入党211人、日刊紙1254人減、日曜版4916人減、電子版159人増

前知事選比「6割」の大量得票を失った共産党兵庫県委員会幹部は責任(辞任)を取らないのか、SNSが支配した兵庫県知事選挙(2)、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その46)

SNS情報が乱れ飛んだ兵庫県知事選挙が終わった。しかし、その後も選挙中の報道のあり方についての記事や論評が相次いでいる。マスメディアが「中立」的報道に終始して論点を掘り下げなかったことが、斎藤陣営に加担するグループによる「パワハラはなかった」「既得権益と1人で闘う斎藤候補」といったデマ宣伝の跳梁を許し、予想外の結果につながったとの反省からであろう。

 

朝日新聞社説(11月23日)は、「選挙と立花氏、言動を看過できない」として、「選挙に立候補し、自らの当選を目指さずに他候補を応援する。政見放送や街頭演説など候補者に認められた権利を使い、事実とは言い難い内容を含む主張を、威圧的な言動もまじえて発信する。兵庫県知事選で、そんな異例の『選挙運動』が展開された。事態を放置すれば、民主政治の土台である選挙の根幹が揺らぎかねない」と鋭く批判した。

 

 11月24日のNHK日曜討論「いま考える『選挙とSNS』」は、久々の聞き応えある番組だった。その中で異口同音に指摘されたのは、SNSで氾濫した誤情報や偽情報に対するマスメディアの反応の鈍さだった。(NHKも含めて)危機意識が欠如しているからなのか、それとも取材能力が劣化しているからなのか、選挙中の情報空間はSNSに独占されて「やりたい放題」になり、マスメディアはファクトチェックをはじめ効果的な対応を怠ったとの指摘である。

 

知事選で敗れた稲村陣営は11月22日、開設したX(ツイッター)のアカウントが選挙期間中に凍結されたとして、容疑者不詳のまま偽計業務妨害の疑いで兵庫県警に告訴状を提出した。N党立花代表によって自宅前で「出てこい奥谷!」「自死されたら困るのでこれぐらいにしておく!」と脅迫めいた演説をされた県議会百条委員会委員長の奥谷県議は、名誉棄損されたとして即刻県警に告訴した。また、県百条委員会は同日、選挙中には公開しなかった証人尋問(10月24,25日)の記録を公開した(毎日新聞11月23日)。

 

今後こうした事態の解明を通して、選挙中に一方的に拡散されたSNS情報の誤りや歪みは是正されていくであろうが、しかし、選挙結果がもはや覆ることはないのである。NHK会長も民報連盟会長も、今後は選挙中の報道のあり方を見直すと遅まきながら言明したが、日本新聞協会は目下何の声明も出していない。N党立花某などによる民主政治の原則を無視した(破壊する)確信犯的行動を考えると、同協会には「社会の公器」としての新聞の役割を果たすためのさらに踏み込んだ対応が求められる。

 

一方、惨敗を喫した維新陣営や共産陣営からは然るべき選挙総括が出ていない。維新は代表選挙でそれどころではないのかもしれないが、共産は党首選挙をやらないのだから選挙総括をしない理由はないはずだ。赤旗の「一片の記事」(11月20、21日)と「主張」(社説、22日)でこのまま済ますということにでもなれば、国政政党としての共産党の存在が問われることになる。また、惨敗の原因を掘り下げることなく参院選や東京都議選に臨むようなことがあれば、同じ結果を招くことは必定と言わなければならない。11月24日現在、新たな選挙総括が出ていないことを前提に私なりの感想を述べたい。

 

まずは、赤旗11月20日の紙面についてである。「兵庫県知事選の結果について」の党県常任委員会の見解は、僅か300字余りの〝3段記事〟でしかなかった。内容は「大沢候補は、県政混乱のもと真っ先に出馬表明し、県政正常化と斎藤県政に代わる命と暮らし第一の県政政策を掲げて立ち上がった」「大型開発優先で県民の暮らしは最低クラスの県政の実態を示し、真の対決軸は『大沢候補対自民党支援の3候補』だと明らかにしてたたかった」「党員、後援会員、支持者の声を聞いて総活と教訓を深めて、来年の参院選勝利へ頑張る」というものだ。その前に置かれている小池書記局長の記者会見記事(400字足らず)もまったく同じ文脈で、「大沢候補は(斎藤氏の)県民不在の県政と県政の私物化は一体のものだと批判した」「こうした論戦をしたのは大沢氏だけでこの意義は大きい。奮闘に心から敬意を表する」と述べただけだった。

 

注意しなければ見逃すような「兵庫県知事選の結果について」の小さな記事の隣の頁には、「教育の現状と未来を語る、『あいち教職員の集い』志位議長の発言」と題する記事が全紙にわたって掲載されていた。紙面のボリューム(大きさ)から言えば、県知事選記事の7~8倍もある大型記事である。こちらの方は一問一答まで詳報するという特別の扱いなのだ。いつでも紹介できる志位議長の講演記事が、よりによって県知事選の翌々日に大々的に掲載されている有様は、党中央が県知事選の結果などまったく気にしていない様子を窺わせる。小池書記局長の記者会見しかり、赤旗の編集方針しかりである。

 

翌21日の記事「兵庫県知事選ふり返って」(兵庫・個人名)はもっと酷かった。機関としての見解なのか、記者の個人的意見なのか判然としない類の記事だが、しかもその内容が振るっている。選挙戦の構図を「自民党が支援する3氏(斎藤氏、元尼崎市長、前維新参院議員)と日本共産党が推薦する大沢氏の対決」と規定し、それがSNSのフェイクによって「斎藤か否か」の歪められた構図として描かれて有権者に影響を与えた――との分析である。ここには、党兵庫県委員会の硬直した政治姿勢と情勢認識の歪み(弊害)が余すところなくあらわれている。私の感想は以下の3点である。

 

第1は、2021年知事選で斎藤氏を推薦した自民と維新が、斎藤氏の「パワハラ疑惑」で不信任決議をせざるを得ない状況に陥り、それぞれが内部分裂して複雑な政治情勢が現出しているにもかかわらず、その政治変化を分析できずに、一律に「オール与党」と決めつけていることである。この情勢認識は、共産が「少数野党」として県政から孤立している状況が常態化しているため、「共産以外は敵」といったセクト的感情に陥り、この期に及んでもなおそこから脱却できない典型的な「左翼小児病」の症状をあらわしている。

 

第2は、驚くべきことに稲村元尼崎市長を斎藤氏と同列に「自民党支援候補」と見なしていることである。圧倒的多数の県民が斎藤氏の言動に呆れかつ怒って県政の交代を望んでいるとき、その世論動向を理解できずに「『斎藤か否か』が争点のように描かれ、元尼崎市長が『反斎藤』の期待を集めましたが、政治姿勢も政策も自民党・『オール与党』県政の枠内でした」との的外れの情勢分析をしているのだから、呆れるほかはない。稲村氏に対するこの決めつけは、共産支持票が激減する最大の要因となったが、悲しいことに選挙中に方針の誤りを糺す声も出なければ、党中央から是正されることもなかった。「民主集中制」はまさに機能不全に陥っていると言わなければならない。

 

第3は、情勢の変化に応じた柔軟な政策展開ができず、「大沢氏は大型開発から『なにより命、暮らしを大切に』と自民党県政を県民本位に転換する道を堂々と訴えました」と、百年一日の如く昔ながらの古色蒼然とした政策しか訴えることができなかったことである。これは、大沢候補の街頭演説の現場にいた人から実際聞いた話だが、動員されていた少数のグループを除いて立ち止まる人はほとんどいなかったという。TPO(時、場所、場面)をわきまえない街頭演説は、誰も引き付けることができないのは自明の理と言わなければならない。悲しい話ではあるが事実なのだから仕様がない。

 

最後に最も重要な点を指摘したい。以上の見解はいずれも到底「総括」とは言えないような(低レベルの)粗末な代物であるが、より重要なのは選挙総括の要である得票数、得票率の分析には一切触れていないことである。民意を問う国政選挙や地方選挙の総括において肝心の選挙結果の分析が欠落していることは、有権者にとっては「臭いものは隠す」政党だとしか映らない。自分に都合のいいことは大宣伝するが、都合の悪いことを隠すような政党は、有権者から信頼されることは(絶対に)ない。このまさに絵にかいたような光景が目の前で展開されているのである。これでは、共産党の選挙総括それ自体が「フェイク」だと言われても仕方がない。以下、前回知事選との比較で選挙結果を見よう。

 

前回の2021年知事選は、有権者数452万9千人、有効投票数186万1986票、投票率41.1%だった。候補者5人による選挙戦の中で共産候補得票数は18万4811票、得票率は10.1%でそれなりの成果を得ていた。共産得票数の内訳は、神戸市(大都市)5万5262票、10.6%、市部(近郊都市、地方都市)12万0023票、6.8%、郡部(農村部)9526票、8.6%であり、大都市から農村までほぼむらなく得票していた。

 

今回の2024年知事選は、有権者数446万3千人、有効投票数248万3814票、投票率55.6%と有権者の関心が高まる中で一挙に跳ね上がった。ところが、有効投票数が62万1千票も増えたにもかかわらず、共産候補得票数は逆に11万949票減(▲60.0%)の7万3862票、得票率は7.1ポイント減の3.0%へと激減したのである。減少数の内訳は、神戸市3万1431票減(▲56.8%)、市部7万2822票減(▲60.6%)、郡部6696票減(▲70.2%)といずれも6~7割の激減となった。この結果は「大敗」「惨敗」の域を通り越してもはや「壊滅」に近い。これは、党県委員会幹部が総辞職しても埋め合わせることができないほどの惨憺たる結果ではないのか。

 

2020年代に入ってから、共産党の比例代表得票数は416万6千票、7.3%(21年衆院選)、361万8千票、6.8%(22年参院選)、336万2千票、6.1%(24年衆院選)と着実に減少してきた。もし次期参院選で兵庫県知事選並みの「6割減」となると、比例代表得票数は134万4千票となり、共産は遠からず〝消滅可能性政党〟となるかもしれない。小池書記局長は「県知事選の奮闘に心から敬意を表する」と述べただけ、志位議長は相変わらず国際会議に出かけて政党外交に熱中していて、県知事選の総活は放置されている。もしこのまま然るべき総括が中央委員会総会においてもなされず、兵庫県委員会幹部の責任が問われないとしたら、共産党そのものが国民や有権者から見放されることになる。兵庫県委員会幹部に対する責任追及と厳正な処分が求められているのである。(つづく)

機関紙拡大と票読み活動はもはや時代遅れの選挙運動になったのか、SNSが支配した兵庫県知事選挙、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その45)

2024年11月17日に行われた兵庫県知事選挙で、県議会の全会一致の不信任決議で失職した斎藤元彦前知事が異例の再選を果たした。それも2021年前回選挙85万8千票を大幅に上回る111万3千票を得票してのことである。投票率も前回41.1%から55.6%へと大幅に跳ね上がった。職員への「パワハラ」や訪問先での「おねだり」で、斎藤氏は知事としての資質や人間性を疑われていたが、そんなことは問題ではなかったらしい(私などはこれまでの神戸の友人たちとの情報交換を通して、斎藤氏は政治家失格で完全に「アウト」だと思っていた)。

 

翌18日の各紙は、「斎藤さん SNS攻勢、演説動画を配信 支持急拡大」(読売新聞)、「SNS戦略 勝敗左右、斎藤氏 負のイメージ覆す、フォロワー急拡大 20万人超え」(産経新聞)、「ネット駆使 支援うねり、パワハラ疑惑否定 浸透」(毎日新聞)、「斎藤氏 膨らんだ聴衆、演説動画・活動予定 SNSで発進」(朝日新聞)、「斎藤氏、SNSが原動力、若者票、稲村氏の3倍」(日経新聞)などと、選挙結果をトップ記事で大きく報じた。

 

翌々19日の各紙も、引き続いてSNS選挙の影響力〈功罪〉について分析している。

毎日新聞はネット活用で注目された選挙を3つ挙げ、与野党からは来年夏の参院選や東京都議選に向けて警戒感が高まっていること、SNS戦略の練り直しの声が上がっていることを紹介している。

(1)2024年7月、政党の支援を受けない石丸伸二・前広島県安芸高田市長が約166万票を得て2位に。立憲民主党元代表代行の蓮舫氏は3位に沈む。

(2)10月、与党が過半数割れし、国民民主党(玉木雄一郎代表)が公示前から4倍の28議席を獲得。

(3)11月、県議会から不信任決議を受け失職した斎藤望彦前知事が再選。

 

朝日新聞は「斎藤氏再選、原動力はどこに」との見出しで、詳しい分析結果を掲載した。

(1)原動力となったのは、インターネットにあふれる情報と、有権者の既存メディアや県議会への不信感だ。

(2)県議会やメディアなどの「既存勢力」に対し、斎藤氏1人が対峙するかのような構図が作られ、共感が広がった。

 (3)朝日新聞の出口調査によると、斎藤氏は若年層の支持が厚いのが特徴で、20代以下が65%、30代が66%、40代が54%、50代が52%で、いずれも稲村氏を上回った。

 

日経新聞も同じく、斎藤氏勝利の原因として街頭演説の動画がSNSで拡散し、若年層の支持を集めたと結論している。

(1)SNSは選挙に重大な結果をもたらす。都知事選での石丸伸二氏、衆院選での国民民主党の善戦に続く、兵庫県知事選での斎藤元彦氏の再選。もはや偶然ではない。

(2)ネットでの選挙運動の解禁から10年あまり、今回の知事選では、SNSを見て演説会場に足を運んだ若者もいた。これまで関心の薄かった人たちを政治に向かわせたのなら、いいことだ。

(3)だが、手放しのプラス評価は危ない。ネットの世論形成メカニズムには注意がいる。人々の関心を引く、わかりやすい情報が飛び交いやすい。敵と味方に分けたような明快なストーリーが受け、拡散する。選挙に行くきっかけはSNSでも、投じる1票は考え抜いた結果でなければならないはすだ。ネットで醸成された何となくのムードに押された投票では、民主主義の根幹がゆらぐ。

 

共産党は兵庫県知事選2日前の11月15日、全国都道府県委員長会議をオンラインで開いた(都知事選であれば、投票日前に全国都道府県委員長会議を開いたりなどはしないだろう)。その中の「2,日本共産党の選挙結果についての中間的総括について」では、「SNSを選挙戦勝利の大戦略として、日常的に推進することの立ち遅れ」が指摘されている(赤旗11月16日)。

(1)大会決定では、総選挙躍進への独自のとりくみとして、①「声の宣伝」を「全有権者規模」に大きく発展させる、②「折り入って作戦」を選挙勝利と党勢拡大の要の活動と位置づけ、大規模に発展させる、③「SNSに強い党」になり、ボランティア、サポーターが参加する選挙にする――「三つの突破点」を提起した。

(2)赤旗読者や後援会会員を二度三度訪問して対話する「折り入って作戦」は早い段階からとりくむことが必要だったが、選挙間際では間に合わなかった。

(3)「SNSに強い党」となり、ボランティア、サポーターが参加する選挙は、今回の総選挙では「始めたばかり」の段階にとどまった。

 

つまり、総選挙では従来からの党勢拡大活動を結合した選挙運動が中心となり、「折り入って作戦=票読み活動」を展開してきたのであるが、これだけでは不十分なので「SNS活動」を強化しなければならないというのである。当然のことながら、この大会決定は兵庫県知事選でも適用されて「三つの突破点」が実践されているはずだから、選挙戦では然るべき成果を挙げて当然と思われるが、結果は悲劇的とも言える悲惨なものだった。当日の有権者数450万6千人、有効投票数220万5千票だったのに対して、共産党推薦候補の得票数は僅か7万3千票にとどまり、得票率3.3%にすぎなかった。前回2021年知事選と比べても党推薦候補得票数は18万4千票から11万1千票も減り、得票率は10.0%から3分の1に激減したのである(兵庫県知事選の総活はまだ行われていない)。

 

兵庫県知事選におけるSNS選挙の大々的な展開は、従来型の「機関紙拡大+票読み活動」の選挙運動の限界を感じさせる。とりわけ党組織が高齢化している共産党の場合は、高齢者党員がSNS選挙に取り組むことはまず不可能だろうし、と言って、若いボランティアやサポーターがそれほど沢山いるわけでもないので、大規模にSNS戦略を展開することは容易ではないのである。

 

『日本共産党――「革命」を夢みた100年――』(中公新書2022年)を著した中北浩爾中央大教授(現代日本政治論)は、日経新聞2024年11月2日のインタビュー「有権者の実像、識者に聞く」シリーズで、総選挙の結果について次のように語っている(要旨)。

(1)自民党のほか、公明党や共産党など多くの党員をもち機関紙活動も活発な組織政党が後退したのも印象的だった。SNSを駆使して党首の魅力やわかりやすい政策を発信し、若者を中心に共感を集めた政党が躍進した。

(2)組織政党の退潮は半ば不可逆的な傾向だ。欧州と同じく日本でも「社会の個人化」が進み、業界団体、労働組合、町内会などさまざまな組織が衰退する。政党の組織も弱体化し、若年層を中心に無党派層が増えている。

(3)政党が強固な組織や支持団体を持つ強みは変わらない。選挙運動にはマンパワーが不可欠で、苦しいときほど固定票が大切になる。一方で政党が生き残るには、ある程度の時代に対応し変化が欠かせない。

(4)共産党は組織面で分派の禁止を伴う民主集中制を維持する。閉鎖的なトップダウンの組織は時代になじまない。反対意見を公然と述べた党員を簡単に除名・除籍し、排除するのも問題といえる。複数の候補者による党首公選をやるなどの組織改革が必要になる。自由で開かれた組織に転換しなければ今の若者は入ってこない。

 

共産党がこの批判に反論することを大いに期待するが、ただし反論はイデオロギーからだけのものではなく、実践を伴うものでなければならないだろう。民意を問う国政選挙や地方選挙がその実践の場である以上、選挙結果を政策や運動方針の誤りではなく「自力不足」だけに限定するのは無理があるというものである。田村委員長には兵庫県知事選の総活も含めた「新しい政治プロセス」への対応が求められる。(つづく)

〝国政プレイヤー〟としての共産党の影が次第に薄れていく、総選挙後はマスメディアへの登場がばったり途絶えた、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その44)

 総選挙後は、報道各社から選挙戦全般についての論評や講評が出るのが通例となっている。だが、今回の場合は、自公与党の過半数割れもあって次期首班指名をめぐる話題がホットテーマになり、総選挙そのものについてはまとまった論評が見当たらない。その所為か、赤旗が〝2千万円スクープ〟をものにしたことは知られているが、共産党の動向についてはほとんど言及がない。

 

 その中で、3人の政治学者(遠藤乾東大教授、中北浩爾中大教授、谷口尚子慶大教授)が討論した毎日新聞の座談会「どうなる日本政治」(10月29日)は比較的読みごたえのある内容だった。座談会の主題が総選挙の結果とその後の政権の行方であり、必ずしも政党論そのものではなかったが、政党名では自民、公明、立憲民主党、国民民主党、日本維新の会、参政党、日本保守党、れいわ新選組が上がり、政治家名では石破茂、岸田文雄、野田佳彦、安倍晋三が話題に出た。しかし、共産党がまったく話題にならずに話が進んだことには強い印象を受けた。このことは、今回の総選挙で共産党の存在が、政治学者の意識に上らない程度のものになってしまったことを示している。

 

 今回の総選挙の帰趨は、前回(2021年)衆院選と今回衆院選の比例代表得票数を比較すると一目瞭然になる。毎日新聞(10月30日)の各党比例代表得票数の増減率をみると、与党側では自民26.8%減、公明16.2%減と自公両党ともに大きく票を減らしたことが特徴だ。しかし、野党側では明暗が分かれて見事に2極化した。国民138%増、れいわ71.7%増、立憲0.6%増に対して、維新36.6%減、共産19.3%減、社民8.3%減である。ただ、立憲は議席数では大きく躍進したが、比例代表得票数では1156万票で前回とほとんど変わらない。大きく票を伸ばしたのは国民とれいわで、国民は前回の259万票から617万票へ2.4倍、れいわは221万票から380万票へ1.7倍になり、両党は共産を上回った。維新の凋落については有り余るほどの報道が溢れているので省略するが、共産と社民が歩調をそろえて後退しているのは深刻な現象だと言える。

 

 直接的ではないが、その回答に示唆を与える記事に山本健太郎氏(北海学園教授、政治学)のコメントがある(日経新聞10月31日、「有権者の実像、識者に聞く」)。コメント(骨子)は以下のようなものだ。

 (1)今回の衆院選で比例代表の得票数を見ると、自民党は過去最少の1458万票に落ち込んだ。有権者の怒りがはじけ、自民からはがれた分の票は棄権に回ったか、国民民主党に入ったのだろう。

 (2)小選挙区は自民よりは「まし」だとの考えで、立憲民主党に一定程度の票が集まったと見ている。有権者の戸惑いが感じられ、立民への好感度が高かったために公示前の1.5倍の148議席になったわけではない。期待がもっと高まっていれば、今回1156万票を獲得した比例票はもっと伸びてもよかったはずだ。

 (3)第2次安倍政権以降の10~30歳代の若年層の自民支持が他世代に比べて分厚いという特徴は、今回の総選挙では見事なまでに崩れた。若年世代が政治に期待しているのは実行力であり、安倍政権に対してはいろいろ批判があったが、アベノミクスを掲げて好景気をもたらしたことで支持を得ていた。反対に旧民主党の勢力は批判に傾きすぎて、実行力に欠けると受け止められていた。

 (4)若年層の自民支持がはがれた要因は、長期的には岸田政権も石破政権も明確なメッセージが若者には感じられず、短期的には石破首相が就任直後に解散・総選挙に踏み切った点が信頼感を著しく損ねたことがある。若年層の票を吸収したのは国民民主やれいわ新選組とみている。

 (5)特に国民民主が議席を伸ばした要因は大きく3つある。①SNSの露出度の高さ、②対決よりも解決という姿勢、③手取りを増やすとうたった経済政策だ。既存の政治勢力は、若年層からすると距離が遠い存在になっている。学生からは少しでも将来に希望が持てる経済状況を求める声を聞く。国民民主のスローガンは若者にとって手の届くと感じられる表現で、従来とは異なる新しさのようなもの、付加価値があったのではないか。

 

 このコメントは若年層の動向が中心なので、維新、共産、社民の各党がそもそも対象になっていない。このことは、とりもなおさず上記各党が若年層にアピールできず「反自民票」の受け皿にならなかったことを物語っている。また立民の躍進は「よりまし」程度のことであって、期待が高かったからではない(比例票が伸びていない)という指摘も興味深い。要するに、自民党の敗北が予想外に大きかったために、「反自民票」が小選挙区では立民に、比例代表では国民民主とれいわに流れたにすぎないとの分析である。野党側に政権交代させるだけの実力がなく、むしろ自公与党の敵失によって「よりまし」な野党が浮かび上がったとの冷静な分析である。

 

 世上では自公両党が過半数割れした選挙結果について、「政治とカネ」の問題が大きいことは間違いないが、それが導火線となって日本社会に充満している憤りと不満に火が付いたと考えるべきだ。その不満とは、物価上昇など生活の苦しさに対して政府与党が確たる見通し策を提示できなかったからだ――との声が溢れている。ならば、政府与党に対して最も厳しい批判を展開してきたはずの共産がなぜ「反自民票」の受け皿にならなかったのか。そして、共産はこの事態をいったいどう見ているのだろうか。

 

それを解明するカギになるのは、「自公両党が『与党過半数割れ』の歴史的大敗を喫したことは、国民が自民党政治に代わる新しい政治を模索し、探求する、新しい政治プロセスが始まったことを示しています。この点に関して決定的な役割を果たしたのは、自民党の政治資金パーティーによる裏金づくりを暴露し、さらに選挙の最中に裏金非公認への2千万円支給をスクープした赤旗と共産党の論戦でした」とする常任幹部会声明の中にある(赤旗10月29日)。赤旗の紙面は、共産の比例代表得票数・得票率の減少にはほとんど触れず、「与党過半数割れに追い込んだ〝МVP(最優秀選手)〟は赤旗と共産党だ」との一色で染められている。〝裏金スクープ〟という場外ホームランを放った赤旗を称えることで、党組織が抱える構造的問題(党員高齢化と党員数減少)と比例代表得票数の減少という事実には触れないように編集されているのである。

 

言うまでもないが、〝МVP(最優秀選手)〟は勝利したチームの中から選出されるのであって、敗れたチームから選ばれることは(絶対に)ない。赤旗が健闘したことは事実であるが、共産は比例得票数・得票率の減少によって議席を失ったことは明々白々たる事実であり、「試合に負けた」という厳粛な事態を覆い隠すことはできない。たとえ1人のホームランバッターがいても、残るメンバーに貧打で実力がなく、監督やコーチに差配能力がなければ、試合に勝利することは難しいからである。この点で、赤旗と共産が〝МVP(最優秀選手)〟だと称える記事や見出しは明らかに「ゴマカシ」であって、これらは即刻削除して訂正されなければならない。

 

 最後に、京都の選挙結果についても簡単に触れておきたい。2019年参院選、2021年衆院選、2022年参院選、2024年衆院選の過去4回の国政選挙における共産党の比例代表得票数・得票率の推移は、16万7千票・17.5%、15万2千票・13.1%、13万票・12.5%、12万7千票・11.8%と確実に減少の一途をたどっている。だが、先日開かれた総選挙報告集会での京都府委員会書記長の報告は、選挙結果については簡単に触れただけで、「自公過半数割れで『自民党政治の終わりの始まり』を切り開いた日本共産党の役割に確信を持ち、公約実現に力を尽くす」という決意をもっぱら強調するものだった。

 

最後には申し訳程度に「自力の問題、選挙方針、いずれの問題でも、なぜチャンスを得票増に実らせることができなかったのか、多くの党員、後援会員、支持者の皆さんの忌憚ないご意見をいただきながら、しっかりと自己分析を深め、次の躍進に力を尽くします」(京都民報11月3日)と述べたが、これは党組織自体に自己分析能力がないことを告白しているようなもので、集会参加者の中には絶句した人たちも数多くいたという。集会の参加した人たちからは、共産党は京都においても〝国政プレイヤー〟としての存在感を失くしつつあるとの声が上がったというが、それも当然のことだろう。(つづく)

2度にわたる〝裏金スクープ〟を放ちながら共産党が後退したのはなぜか、原理主義型政策選挙では有権者の心をつかめない、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その43)

石破首相率いる自民党が大敗した。公明党の石井新代表、佐藤副代表も落選の憂き目を見た。自公与党は、拙ブログで紹介した報道各社の情勢分析をはるかに超える惨敗を喫したのである。選挙戦終盤になって共産党の機関紙「赤旗」(10月23日)が放った〝2千万円(裏公認料)スクープ〟が情勢を大きく変えたのがその原因だと言われている。与党幹部や落選した裏金候補者たちは、異口同音に「最後の3日間で情勢が劇的に変わった」と語り、落選候補者たちの口々から発せられた「ダメ押し」「致命傷」「とどめの一撃」といった言葉は、その衝撃が如何に大きかったかを物語っている。

 

本来なら、赤旗の〝2千万円スクープ〟は、共産党の追い風になるはずだった。ところが、共産はこの追い風を自分の手で捉えることができなかった。党員の高齢化と党勢後退(党員数の減少、赤旗読者数の減少)によって組織が弱体化し、赤旗のスクープを得票に結びつけことができなかったのである。追い風は共産を素通りして立憲や国民の側に回った。目の前で激しいバトルが繰り広げられる小選挙区は、選挙戦の勝ち負けの構図がわかりやすい。スポーツ観戦でも、接戦ともなれば観客は勝負に熱中する。だが、比例代表票の掘り起こしのために小選挙区に立候補した共産新人は、そのほとんどが当落線上からはるか後方に位置していたため、有権者の目には留まらなかった。お陰で立憲や国民は図らずも「漁夫の利」を占めることになり、裏金候補者たちと接戦を繰り広げていた野党候補者が一夜にして有利な立場に立つことになったのである。

 

共産党中央委員会常任幹部会は10月28日、「総選挙の結果について」を発表した(赤旗10月29日)。以下はその要旨である。

(1)自公両党が「与党過半数割れ」の歴史的大敗を喫したことは、国民が自民党政治に代わる新しい政治を模索し、探求する、新しい政治プロセスが始まったことを示しています。この点に関して決定的な役割を果たしたのは、自民党の政治資金パーティーによる裏金づくりを暴露し、さらに選挙の最中に裏金非公認への2千万円支給をスクープした赤旗と共産党の論戦でした。

(2)小選挙区では沖縄1区の議席を守り抜くことができましたが、比例代表選挙では改選9議席から7議席への後退となりました。比例得票数を直近の2020年参院選と比べると、361万8千票(得票率6.82%)から336万2千票(同6.16%)への後退となりました。

(3)今度の総選挙では、第29回党大会以来の理論的開拓の到達点に立ち、日本共産党の目指す未来社会――社会主義・共産主義社会が「人間の自由」が全面的に花開く社会であることを大いに訴えてたたかう、初めての選挙になりました。これらの訴えが共感を集め、とりわけ若い世代、労働者のなかで新鮮な注目と期待を呼んだことは、来年の都議選・参議院選挙のたたかいにとっても、党の世代的継承を中軸とした党づくりを進めていくうえでも大変重要な教訓だと考えます。

 (4)この総選挙での対話・支持拡大は、近年の選挙と比べても半分程度にとどまり、党の訴えを有権者に十分浸透させきれないままに投票日を迎えました。その根本には、わが党の自力の後退があります。ここに総選挙から引き出すべき最大の教訓があり、この弱点の打開はいよいよ緊急で死活的課題になっています。

 

 共産党の比例得票数・得票率を2020年代に入ってからの3回の国政選挙で比較すると、416万6千票・7.3%(21年衆院選)、361万8千票・6.8%(22年参院選)、336万2千票・6.1%(24年衆院選)と80万3千票・1.2ポイント減少している。この傾向は、ブロック別比例得票数・得票率でみても変わらない。つまり、北海道ブロックから九州沖縄ブロックに至る全国11ブロックのうち、9ブロックが3回連続して減少しており、最大の下げ幅を記録しているのは東京ブロックで、67万票・10.4%(21年衆院選)から49万8千票・7.8%(24年衆院選)へ17万1千票・2.6ポイント減少している(赤旗、同上)。大都市圏とりわけ東京圏が共産の大票田であっただけに、この数字は次期都議選の行方に大きな影を投げかけている。

 

 以前にも書いたが、2021~22年当時は党員26万人余、赤旗読者100万人近くを擁していたにもかかわらず、400万票前後しか得票できなかった。それから党勢は後退の一途をたどっているにもかかわらず、今回の総選挙では目標を6~7割増の「650万票」、得票率は「10%以上」を目指すとしたのである。どんな根拠でそんな目標を設定したのか説明が一切ないが、過去2回の国政選挙の結果を見れば、それが如何に非現実的な目標であるかが分かるというものだ。結果は336万2千票で650万票の半分余、得票率は6.1%で6割余にとどまり、常任幹部会の「この総選挙での対話・支持拡大は近年の選挙と比べても半分程度」という数字と合致している。つまり、党の言う「地力=実力」はこれが限度というものであり、「弱点」を改善すれば伸びるといったものではないのである。この限界を認識しない限り、共産の得票数・得票率はこれからも着実に減少していくことは間違いない。

 

 それからもう一つ、共産の議席減の原因を挙げるとすれば、〝原理主義型〟の選挙政策と選挙戦術の展開が挙げられる。マルクス主義理論の演繹的解釈(の一つ)を「理論的成果」と位置づけ、それを社会主義・共産主義の未来像として選挙政策で打ち出す戦法のことである。常任幹部会は「これらの訴えが共感を集め、とりわけ若い世代、労働者のなかで新鮮な注目と期待を呼んだことは、来年の都議選・参議院選挙のたたかいにとっても、党の世代的継承を中軸とした党づくりを進めていくうえでも大変重要な教訓だと考えます」と自画自賛しているが、果たしてそうだろうか。

 

 朝日新聞の出口調査、年代別の比例区投票先によれば、共産の比例区投票先は18.19歳から30代までの若い世代では全て5%にとどまっている。これに対して国民民主は18.19歳19%、20代26%、30代21%、立憲は17%、15%、15%、れいわは9%、10%、11%を記録しているのである(朝日新聞10月29日)。これら3党では、抽象的な政策論争よりも若い世代が当面する具体的ニーズを重視し、それに即した政策(例えば、国民の「手取り収入を増やす」など)を重点的に打ち出している。口が悪い私の仲間が言うには、「共産は天上の福音」を説き、国民やれいわは「現世利益」を強調する。どちらが若者を引き付けるかは日を見るよりも明らかだと。私が所属する「京都3区」の結果は、次回に譲りたい。(つづく)

衆院選が終盤戦に入り、〝自公過半数割れ〟の可能性が出てきた、立憲・国民・れいわには勢いがあるが、共産は微増にとどまっている、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その42)

 報道各社による今回の衆院選の情勢分析をみると、序盤戦の「自民、過半数割れの可能性」(日経新聞10月17日)から「自公、過半数微妙な情勢、自民、単独過半数割れの公算」(朝日新聞10月21日)へ、そして「与党過半数割れ可能性、自民苦戦、大幅減か」(共同通信・京都新聞10月22日)へと情勢が刻々と変化してきている。一貫しているのは、いずれも自民の苦戦が伝えられ、しかも終盤戦に向かうにつれてますますその傾向が深まっていることだ。

 

 日経新聞の序盤戦の分析が面白い。小選挙区における「野党構図別 有力・優勢選挙区の割合」が示され、それぞれの情勢が紹介されている。

〇3党以上の野党候補が「乱立」する105小選挙区では、与党と野党系がそれぞれ有力・優勢な選挙区がほぼ半々だった。

〇与党と野党2勢力の候補者が争う「三つどもえ」の小選挙区126では、与党と野党系がおおむね同じ割合で前を走る展開となっている。

〇与野党「一騎打ち」型の46小選挙区では、与党が有力・優勢なのは全体の6割近くだった。

 

選挙前の情勢分析では、野党候補を一本化しなければ与党候補には勝てないとの判断が大勢を占めていた。野田立憲代表が国民や維新に野党候補の一本化を呼び掛けたのも、共産が「地域限定」との条件をつけながらも野党共闘に100%反対しなかったのもそのためである。ところが、日経新聞の情勢分析はその逆なのだ。与野党「一騎打ち」の選挙区で与党候補が優勢を保ち、野党「乱立」・与野党「三つどもえ」の選挙区では、野党系候補が互角あるいは優勢だというのである。

 

もちろん、「野党系」と言っても維新・参政から共産まできわめて幅が広い。「野党系」と一括りするのは情勢を見誤るという反論もあろう。だが私は、有権者にはこんな野党間の違いよりも「自公以外であれば野党」だと認識されている状況が、今回の衆院選の何よりも大きな特徴ではないかと感じている。言い換えるなら、自民に対する有権者の不信感がそれほど強いということであり、それが「同じムジナ」の公明にも向けられているのであって、自公でなければどんな野党の組み合わせであっても構わない、「とにかくやっつけなければ」という空気がみなぎっているのである。

 

この「反与党」ムードは、自公にとっては予想を超えるものがあったに違いない。自公は、高市氏と違って「反安部」が旗印の石破氏を担ぎ出してさえおけば、また野党共闘の時間を与えずに即解散・総選挙に持ち込めば、野党は分断されたままで戦わざるを得なくなり、首相交代のご祝儀相場と相まって〝裏金みそぎ選挙〟になると踏んでいた。だから、石破首相に対しては「旗印=裏金疑惑解明」はそのままにして、中身は従来のままで「疑似政権交代劇」に持ち込もうと強要したのである。

 

ところが大根役者だった石破首相は、裏金疑惑解明をあいまいにしたまま「旗印」まであっさりと降ろしてしまった。言うこと為すことが今までとまったく違う、こんな人物は信用できないとの空気が、有権者の間に一気に広がった。日経新聞の世論調査(10月15,16両日実施)は、比例代表で投票したい政党について聞いたところ「自民」と回答した人は27%、前回2021年衆院選の序盤情勢調査から14ポイントも下落していた。地域、年齢別にみると、東京ブロックの39歳以下が前回比36ポイント減の19%で下げ幅が特に大きかった。都市圏の若年層をはじめとした特定の支持政党がない無党派層は国民民主党やれいわ新選組に流れたり、既成政党への不信感から保守系の諸派が受け皿になったりしている可能性がある――という。

 

10月19,20両日に実施された朝日新聞の情勢調査は、各党の選挙区と比例区の議席推計を試みている。上限と下限および中心値を示して公示前の議席数と比較し、その結果を分析している。以下、各党の中心値と公示前議席数を示そう。

〇自民200(公示前247)、公明25(同32)、維新38(同44)、無所属14(同22)

〇立憲138(同98)、共産12(同10)、国民21(同7)、れいわ11(同3)、社民1(同1)、参政2(同1)、諸派3(同0)、

 

また、10月20,21両日に実施された共同通信世論調査(第2回トレンド調査)では、比例代表の投票先は自民22.6%で、1週間前の第1回トレンド調査から3.8ポイント下がった。2021年衆院選では29~30%の水準を保っていたのに比べて低下が著しい。立憲は1.7ポイント増の14.1%となり、自民との差は14.0ポイントから8.5ポイントに縮まった。その原因は、自民支持層のうち自民を投票先にすると回答した人が5割強にとどまり、立憲に約1割、国民に1割弱が流れており、自民が支持層を十分に固めることができていないことを示している。「支持政党なし」の無党派層では3割弱が立憲に投票すると回答、続いて1割が国民、1割弱が自民となっている。小選挙区投票先は野党系候補が33.2%で、与党系候補の24.6%を上回った(京都新聞10月21、22日)。

 

不思議なのは、京都の小選挙区では全て前職が先行しているとの結果画出ていることだ。京都1区は自民、2区は維新(教育無償化から鞍替え)、3区は立憲、4区は無所属、5区は自民、6区は立憲である。維新と共産に元気がなく、有権者の間に支持が広がっていないというのである。そう言えば、選挙期間中であるにもかかわらずほとんど選挙カーが回ってこないし、電話もかかってこない。以前には時折見かけた桃太郎行進も最近はまったく見かけなくなった。これで総選挙が行われているのかと思うほど、静かな毎日なのである。

 

例によって、いつもの放談仲間と情報交換してみたが、返ってくるのは冴えない反応ばかり、前回の3区と6区の共産の候補者見送りの後遺症が未だに尾を引いているというのである。日経新聞の情勢調査にもあるように、野党系候補が「乱立」しても、複数の野党系候補者と自民候補者が「三つどもえ」の戦いになっても、野党系候補が有力・優勢になる場合が全国では半々に及ぶという。ならば、京都でももっと野党間の切磋琢磨があってもいいし、自民候補との接戦があってもいいが、事態はいっこうに動かない。一度勝負から逃げた闘犬や闘鶏は戦う意欲を失うというが、それに似た状況が京都で起こっているのかもしれない。

 

いずれにしても、投開票日は真近に迫っている。数日足らずの時間で劇的な変化が起こるとは考えられないが、それでも最後まで情勢を見続けようと決意している。(つづく)

第50回衆院選が10月15日告示された、京都選挙区では立憲民主党と共産党が全面対決し、維新の消長も注目される、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その41)

今回の総選挙ほど情勢が読めない選挙はない...と周りの皆が言っている。かく言う私もその一人でまったく選挙の行方がわからない。自民党は裏金問題で公認されない前職が出たが、公認されても「裏金議員」である事実は隠せない。公認・非公認にかかわらず、自民が相当なハンディを背負っていることには変わりない。

 

一方、野党側も旗色がはっきりしない。野田立憲代表は「裏金議員」が立候補する選挙区には野党が統一して対抗馬を立てると言明したが、野党共闘はいっこうに進まない。立憲のお目当てだった国民民主と維新の間でも話がまとまっていないというし、共産との間ではむしろ対立関係が激化している。このままで行けば、野党はバラバラのままで自公と戦うことになる。

 

京都選挙区でも立憲と共産の対立が際立っている。前回衆院選では、立憲が候補者を立てない「京都1区」の票欲しさに、共産が「京都3区」「京都6区」での候補者擁立を見送るという(信じられないような)駆け引きがあった。だが、結果は悲惨なもので、京都1区の穀田恵二候補には立憲の票がほとんど入らず、自民新人に大差を付けられ、維新新人には3千票差に迫られるという惨敗を喫したのである。

 

その結果、京都3区と6区では立憲の泉健太氏と山井和則氏が楽勝し、泉氏は立憲代表、山井氏は国対副委員長とそれぞれ党の要職に就いた。しかも泉氏は代表就任後、共産との共闘には一貫して否定的な態度を取り続け、その流れが現在の立憲の基本路線になっていることは皮肉としか言いようがない。共産は「敵に塩」を送ったつもりだろうが、自分が辛酸を舐める結果になったのである。

 

共産は前回の失敗に懲りたのか、それとも野田代表の政治姿勢への反発からか、今回は京都選挙区の全てに候補者を擁立して立憲と対決する。立憲はかって友好関係にあった前原誠司氏(2区)や北神圭郎氏(4区)の選挙区では候補者擁立はしないものの、1区では結党以来初めての新人候補を擁立する。いわば、共産との真っ向勝負に挑むわけである。

 

共産は京都選挙区において、2010年代前半までは比例得票数18~19万票、得票率17~18%をキープしていた。共産の比例得票数・得票率の推移は、2012年衆院選13万8376票(11.6%)、2013年参院選18万2395票(17.2%)、2014年衆院選19万3596票(18.6%)、2016年参院選19万4503票(18.5%)である。しかし、それ以降の2010年代後半から2020年代前半にかけては、立憲・共産両党の比例得票数・得票率はともに減少に向かっている。原因は凄まじいばかりの維新の躍進である。立憲・共産両党間のわけのわからない裏取引に嫌気がさした有権者が、一見清新さを感じさせる「身を切る改革」の維新に票を流したのである。

〇2017年衆院選

   立憲19万2867票(18.1%)、共産15万0232票(14.1%)、維新10万6945票(10.0%)

〇2019年参院選

 立憲13万9910票(14.6%)、共産16万7302票(17.5%)、維新11万0923票(11.6%)

〇2021年衆院選

 立憲15万8980票(13.7%)、共産15万2865票(13.1%)、維新26万6728票(23.0%)

〇2022年参院選

 立憲12万8874票(12.4%)、共産12万3993票(11.9%)、維新24万2681票(23.4%)

 

 だが、今度の総選挙の行方はわからない。維新は大阪関西万博の失敗や身内議員の続発する不祥事でこの間すっかり評判を下げている。馬場維新代表の自民すり寄り姿勢や斎藤前兵庫県知事の居直りも有権者を心底白けさせている。維新の評判は急速に上がっただけに、落ちるのも早いとの観測がもっぱらなのである。関西人は「酔うのも早いが醒めるのも早い」と言われる所以であろう。

 

 野党共闘が、北海道や宮城、長野を除いて再構築される気配がないことを嘆く必要はない。京都のような「裏取引」の臭いのする野党共闘は根元から刷新しなければならず、そのためには立憲と共産の真っ向勝負が必要なのである。今回の総選挙はその第一歩であり、その結果が今後の両党の運命を決めるだろう。私は「京都3区」の有権者の一人であるが、今度は前回のように棄権しないで「意中の人」に投票しようと思う。(つづく)

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