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2014年6月 5日 (木)

『マンデラ 自由への長い道』: 歴史的事実も政治もほとんど欠落した映画

Isaac Finn
2014年1月10日

ジャスティン・チャドウィック監督、ウィリアム・ニコルソン脚本


マンデラ

ジャスティン・チャドウィック監督は、『マンデラ 自由への長い道』で、浅薄で不真面目な手法を用いて、ネルソン・マンデラの私生活に焦点を当て、彼の公的活動を単なる背景として利用した。

映画世界の大半、自己陶酔と“ライフスタイル”のみかけに沿ってはいても、これはばかげている。結局、マンデラの人生は、南アフリカ・アパルトヘイト政権に反対するアフリカ民族会議(ANC)の指導者として、そして後に、アパルトヘイト資本主義後の南アフリカ大統領として、彼が果たした政治的役割に支配されていたのだ。

彼の私生活や、彼の心の奥底にある思想や感情に大きな影響をあたえざるを得なかったであろう、これら基本的事実に触れずにおくことは、観客に、人間、社会、時代の現実的描写を提供するのを拒否していることになる。

そのような取り上げ方は、もちろん“政治と無関係”ではなく、マンデラを、聖人で、“いやし手”で“調停者”等々、本質的に、世俗的な政治的現実を超えた人物だとする、世界的支配階級による公式説明に順応する単なる手段にすぎない。

マンデラに関する真面目な映画であれば、『自由への長い道』をひっくり返しにしていただろう。彼の私生活を、彼の政治生活に従属するものとして描き、そうした活動の文脈の中に私生活をおいただろう。

もちろん、本当に真摯な映画なら、南アフリカ指導者の政治的な役割も批判的に扱わなければなるまい。

支配階級は一体なぜマンデラ逝去に涙を流したのだろう? WSWSが、12月6日に説明した通り、“マンデラは、疑う余地のない政治的手腕と個人的勇気を、南アフリカにおける、社会革命の脅威をくい止め、資本主義を擁護し、南アフリカの白人支配者達と多国籍大企業投資家の資産と富を守りながら、アパルトヘイト政権を解体するのに利用したのだ。”

これまでは、さほど感動的とは言えない『ブーリン家の姉妹』(2008)が良く知られているチャドウィック監督は、マンデラの家庭生活に焦点を当てたことを誇りにしていて、ハリウッドの記者に、例えば、“映画は、かなりアパルトヘイトの歴史をたどっていますが、私にとってより重要なのは、この人物とその家族の犠牲への影響でした。”(社会的に抑圧された特定集団に属する人々は、共通問題を解決するため、その特定集団に団結して戦うべきだという)アイデンティティー政治暴走の見本だ。


マンデラ

映画は、若いマンデラが、故郷の村ムベゾで、コーサ族(南アフリカの主要民族の一つ) の通過儀礼を受ける場面から始まる。成長したマンデラ (イドリス・エルバ)が説明の語りで、彼はこれで成人男性となり、村人たちへの義務を負ったと解説する。

映画はそこで、1942年のヨハネスバーグへと飛ぶ。マンデラは既にれっきとした弁護士で、気晴らしにボクシングを楽しむ、女たらしだ。ANC党員達に、アパルトヘイト政権の警官が友人を殴打して殺害するまでは、政治には関心が無かったのだと彼は説明する。マンデラが、当局に行為の責任をとらせようとすると、警察調書を疑うなと言われる。

マンデラは、ANCに引き入れられる。同じ場面で、彼は一人目の妻となった女性を追いかけ始める。新婚夫婦は、マンデラのANCでの責務ゆえに、当初から問題を抱えており、これが映画の調子を設定することになる。

作品は、主題に対する歪んだ取り組み方の結果、損なわれている。『自由への長い道』は、ドキュメンタリー映画場面をかなり取り込んでいる。マンデラが、大集会で演説し、抗議行進に参加し、何十年も監獄で過ごす際に、エルバを見ることになる。ところが、ドキュメンタリー場面も、フィクションの描写も、素早くこうした出来事の、マンデラの私生活に対する影響を描く場面に切り替わるために、政治的話題には力も焦点もない。

マンデラの最初の妻は彼の余りの情事の数から、彼と離婚した。間もなく彼は二番目の妻ウィニー(ナオミ・ハリス)と出会い、彼女は映画の最後まで彼との結婚生活を続ける。

全ての黒人が、常時そのような身分証明書を携行することを要求し、従わなければ逮捕するという法律に反対して、マンデラは身分証明書を燃やす。南アフリカ警察が抗議行動参加者を暴力的に鎮圧した後、マンデラは、平和的な抗議行動に不満となり、軍事標的の爆破に参加するようになる。

彼はジャーナリストに電話で語る。“我々は武力闘争をするよう強いられた。この決断は私自身や、ほかの人々や、ANCが、軽々しく行ったものではない。”しかし、チャドウィックの映画は、この決断を巡ってどのような議論がなされたのか、あるいはANCの政治的な見通しや、目標が何であったのか何も示していない。映画制作者達は、一体なぜ何百万人もがマンデラを支持したのか、あるいは、アパルトヘイトの終焉が彼等にとって何を意味するものと期待したのか全く説明していない。

『自由への長い道』の優れた部分は、自分の理想の為に大きな犠牲を進んで払おうとするが、自分自身と愛する人々の、こうした犠牲による痛みの余りに苦しむ人間としてのマンデラを演じるイドリス・エルバだ。とはいえ、エルバの折角の演技も、全般的に文脈が欠如しており、マンデラとANCの同僚達とのやりとり描写が乏しい為に損なわれている。

映画は、1963-64年のマンデラと他の9人に対する、マンデラが終身刑となった悪名高いリヴォニア裁判を劇化している。観客はこの場面で著名なANC指導者ウォルター・シスル(トニー・キゴロギ)とアフメド・“カシー”カスラダ(リアード・ムーサ)だけ知らされる。

シスルもカスラダも、マンデラと共に、悪名高いロベン島刑務所に送られる。とはいえ、彼等のやりとりが、わずかな軽口を越えることはまれだ。二人とも、彼と同じ窮地にあるという事実にもかかわらず、マンデラは二人と深い感情的交流をすることもない。投獄される前ですら、彼等はさほど政治的議論や討論をしない。

最も感動する場面には、彼の獄中生活の間のマンデラとウィニーの姿がある。彼等二人が感じたであろう、大変な感情的負担と、孤独感、夫と同様、自分の人種と政治活動ゆえに、彼女を迫害する当局に対するウィニーの憎悪を我々も感じる。

最終的に、マンデラは、アパルトヘイト政府閣僚達との秘密の交渉に連れ出される。『自由への長い道』は、アパルトヘイト政権と、南アフリカの支配層エリートの財産と特権を脅かす大衆との間の対立という事実をほのめかすにすぎない。

非常に印象的なやりとりの中で、閣僚の一人が言う。“連中が、権力を手にして、我々を捕らえたら、黒人連中が我々に一体何をするか想像できるかね?”

“私は黒人だ。”とマンデラは答える。

“君は違う。だから我々は君と話をしているのだ。”

チャドウィックと彼の仲間は、むしろ重要な疑問とおぼしきこの“違い”が一体何なのか調べようとはしていない。

1990年に、マンデラは刑務所から解放され、彼は間もなく、彼女の情事ゆえに、ウィニーと別れる。マンデラは、彼を大統領として当選させることに怒り向けさせるよう、人々を説得して、南アフリカの混沌と暴力を終わらせた人物として描かれている。マンデラが就任宣誓をして間もなく『自由への長い道』は終わる。

映画は、反アパルトヘイト闘争中の、何百万人もの南アフリカ人の雰囲気や感情にはほとんど触れない。群衆は、単にシュプレヒコールを叫んだり、抗議行動をしたり、当局を攻撃したりするものとして描かれ、マンデラがストライキに参加した若い労働者と話すごく短い場面があるだけだ。大多数のアフリカ人は、無言の信奉者として描かれている。

政治論議がほぼ完全に欠落している為に、マンデラがたった一人で闘争を率いているかの様に見せてしまっている。政治が論じられる稀な場面の一つでは、マンデラの仲間達は、彼が一人で、政府高官達と会うのに反対投票する。ところが、マンデラは、その決定を無視する。この様にして、映画は、彼が政府との巧妙な交渉で、たった一人で、黒人の投票権を得たかのように描いている。

実際、アパルトヘイト廃絶と、ANCが代表する裕福な黒人中流階級に対する政治的、経済的制約を終わらせるのと引き換えに、マンデラとANCは、南アフリカ国家の資本主義基盤を手付かずのまま残したのだ。当然ながら、『自由への長い道』は、こうした政策の結果が、現在南アフリカに存在する大量貧困と膨大な社会的不平等状況であることを示すのを避けている。

筆者は下記も推奨する。

元南アフリカ大統領ネルソン・マンデラ逝去(英語原文)
[2013年12月6日]

一体なぜ帝国主義がマンデラに哀悼の意を表すのだろう(英語原文)
[2013年12月7日]

記事原文のurl:www.wsws.org/en/articles/2014/01/10/mand-j10.html

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20年以上前、知人から南アフリカに多肉植物観光に行こうと誘われたことがある。日本で喜ばれている多肉植物の多くは、南アフリカ原産なので、本物を見てみたいというのだ。自費で同行し、通訳として働けという依頼。その後、経済状態か体調かいずれか、あるいは両方不具合なのだろうか、話はなく、立ち消え状態なのはありがたい。

マンデラ葬儀に、宗主国大統領を含め、世界中の有力者が出席している写真を見て、一体なぜだろうと思っていた。世界中の大本営広報部ほとんど全て同じことを言うというのが、そもそも意味がわからない。

四年前マンデラを主題にイーストウッドが監督した映画の記事(これもwsws)を翻訳した。

「インビクタス」ネルソン・マンデラへのクリント・イーストウッドの無批判な賛歌

申し訳ないが、今回の映画も「インビクタス」もみていないことをお断りしておく。藤永茂氏のブログ『私の闇の奥』記事をお読み頂ければ幸いだ。

今や偉大な?政治家個人どころでなく、国丸ごと死につつある。記事見出しの一例

「後方支援」歯止めなき拡大 戦闘地域で武器提供も

G7、TPP早期妥結と明記

G7 ウクライナ新政権支援へ

どこの国でも、支配的地位にある政治家連中は、大企業、金融業界の走狗だから、全く驚かないが、恐ろしくはなる。

国会で与党が様々な説明をしても、集団的先制侵略攻撃権を容認すれば、それから先の決定は、日本傀儡政権の手を離れてしまうだろう。沖縄基地問題でみられる通り、全て宗主国のおっしゃる通りにしかならない。日本が宗主国の戦争戦略に意見がいえることを証明するには、与党の下手な言い訳は不要だ。新基地建設に反対してみせれば良い。それは、決してできない。

したがって、海外派兵であれ、武器提供であれ、全て宗主国の一存で決められることになるだろう。属国国会での与党説明は全て時間潰しの茶番。

ジャパン・ハンドラー様が、どこまでもついてゆきます下駄の雪政党指導を行なった。大本営広報部、小学生殺人犯や覚醒剤報道に忙しくて、宗主国による内政干渉を報道する余力、ないに違いない。

副島国家戦略研究所研究員・中田安彦氏の「ジャパン・ハンドラーズと国際金融情報」
2014年06月04日
【集団的自衛権】「公明党は邪魔するな!」平和の党に狙いを定めたマイケル・グリーン

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コメント

      インドからの手紙  -南アの記憶-

 中学生の頃であったか,南アは米国と同様,黒人白人の人種差別が激しく,バスもトイレも別々になっていると聞いたのが始まり。高校世界史でボーア人の話を知った。また三年生の頃であったろうか,国語の先生が「南アでは日本人は何と呼ばれているか知っているか」と私たちに問うたことがあった。たまたま「第二名誉白人」という記事を目にしていたので,なぜ国語の先生がそんな質問をするのだろうかと思いながらも,恐る恐る応えた覚えがある。

  三十代になってJ.ネル-の『父が子に語る世界小史(みすず書房)』で彼が南アに行ったことを知った。そこでお仕舞いかなと思いきや,1992年,例のケベックで南アからの展示者が写真を突然見せて説明し始めた。何の写真か。黒人と白人の子どもが一緒に写っていた。つまり,アパルトヘイトは終わったということを訴えたかったのだろう。
  こちらは自分の商売のことで頭が一杯だったので,「えっ。本当?」と思った程度。南アについて深く考えたことは無かった。今,藤永茂先生の「ネルソン・マンデラと自由憲章(1)~(4)」を読んで改めて南アの事情を知った次第。大いに勉強になった。

  そこで思ったことは,歴史をどう教えるべきであるかということである。本海外記事からも多くを学んだが,少なくとも私の知っている歴史の流れ,教科書の内容等とはかなり異なる歴史,あるいは知らなかった歴史がたくさんあるということである。それは当たり前と言えば当たり前であるが,授業料が安い高校や無料の小中学校で,どの歴史的事実を取り入れ,あるいは取り入れないか。

  私は加藤周一から学ぶことが多かったから,例えば,『「南京」をさかのぼって『旅順』」(夕陽妄語[Ⅱ])を読んで,「旅順虐殺」は高校歴史で教えるべきであろうと考えたことがある。他方で,南アが突然「非核宣言」を出して核兵器を廃絶したのは,イスラエル・欧米の強い支持があったという藤永氏の考えがあり,一方で井上ひさし氏の『日本国憲法の創り出した価値(YouTube)」では,南アが世界で核を廃した最初の国と賞賛,価値観の違いがある。核不拡散のイデオロギ-(核保有国)と環境破壊≒戦争反対の思想。どちらにしても,核を廃絶した国として南アの名前も教科書に載るべきであろう,と考える。

  インドからメールが届いた。届いたと言うよりこちらがUSBに,隣に住んでいた彼女のメルアドを発見して連絡した後の返事。それによれば,お嬢さんは南アに留学されて経済学を学んで帰国され働いているそうである。しかしなぜ南アが留学先なのか。それは尋ねてみなければ分からない。そこで私は妄想する。おそらく御祖母が大統領官邸の官僚であった,つまり大統領やネル-首相を間近に見ていた影響からかもしれない。文末に曰く,「ここはあなたの永遠の住まいである」と。

追記;加藤の『山中人閒話』では,カナダが世界最初の核廃絶国。

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