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Thursday, December 12, 2024

「ノーベル賞に沸く日本、抜け落ちた視点」:『朝鮮新報』から転載 The Nobel Peace Prize for the A-bomb Victims and the U.S. Impunity

 日本被団協のノーベル平和賞授賞は、長年の被爆者の核兵器をなくすための運動が評価された結果で、意義深いことです。この授賞の知らせを受け、思うことを書いた記事が『朝鮮新報』10月30日号に掲載されました(URLは、https://chosonsinbo.com/jp/2024/11/28sk-35/)。

ノーベル平和賞受賞式のタイミングで、なるべく多くの人に読んでもらいたく、許可をもらって下に転載します。

授賞式に、大韓民国の被爆者が招待されたことはよかったですが、朝鮮民主主義人民共和国の被爆者の存在には触れられもしませんでした。いわずもがな、被爆時は朝鮮半島は分断されておらず日本の植民地支配下に置かれていました。日本人は植民地支配の責任からも、また分断に責任を負う側の者としても、朝鮮人被爆者を同等に扱わなければいけないと思います。朝鮮人は、被爆者のうち1割ほどをしめ、死亡率も日本人より高かったのです。植民地支配のゆえに被爆させられたのであって、日本で被爆したあと海外に移住した人と一緒に「在外被爆者」として扱ってはいけないと思います。また、これは歴代の広島と長崎の「平和宣言」にも言えることなのですが、無数の民間人の上に原爆を投下した米国の責任が全く問われることはなく、授賞スピーチでもどの国が落としたのかという端的な事実にさえ言及がありませんでした。そして現在の「ロシアの核の脅威」と、ロシアが名指しされ、それこそ核兵器を実際に使った上謝罪さえせず、第二次大戦後も、冷戦終了後も常に核の脅威で世界を支配してきた米国が完全に免罪されています。核の使用に言及したイスラエルの閣僚に触れていますが、イスラエルは米国の援助なしにはパレスチナに対する攻撃を行うことはできません。これも米国がやっていることなのです。授賞演説を行った被団協の田中煕巳代表委員とは、何度も交流させていただいた、尊敬する人です。2016年オバマ大統領が来広したときも、米国に対して厳しい責任追及をする姿勢を持っていました。田中氏は実際、広島で「死が落ちてきた」と、原爆を天災であるかのように言ったオバマ大統領を批判していました。今回、米国を完全に免罪した授賞スピーチが、田中氏の本心であったとは思いたくありません。私は以下転載する『朝鮮新報』の記事では、「米国の民間人大量虐殺の被害者がノーベル平和賞を授賞するのは画期的である」と書きましたが、その本質が全くかき消されてしまったといえると思います。要するに、案の定、世界の覇権国である米国と、この賞の選考を行うノルウェーも含む西側連合に都合のいい賞として演出されたということです。 本当に核戦争を防ぎ核兵器をなくしていくには、米国という最大の脅威から目を背けていては、目的を達することはできません。

以下、転載です。

 

〈私のノート 太平洋から東海へ 1〉ノーベル賞に沸く日本、抜け落ちた視点/乗松聡子

2024年11月02日 06:00

寄稿

私は日本出身でカナダに通算30年住むジャーナリストの乗松聡子です。朝鮮新報に連載させていただけることを大変光栄に思うと同時に、重責を感じています。日本社会は、朝鮮学校差別をはじめ、過去に40年間朝鮮を植民地支配した責任に向き合おうとしていません。米国は一国覇権を維持するため、言いなりにならない中国、ロシア、朝鮮に「新冷戦」をしかけ、朝鮮戦争を終結させ東アジアに平和をもたらす動きを妨害しています。日本も、私が住むカナダも、米国とその属国で成る「西側連合」の一員として、朝鮮に対する威嚇と挑発を繰り返しています。私は一日本人として、また一カナダ人としても、この終わらない植民地主義を是正する動きの一端を担いたいと思っています。

さる10月11日、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)がノーベル平和賞を授賞するというニュースが駆け巡りました。私は、日米の大学生が共に広島・長崎を旅する学習旅行で、2006年から19年にかけて被爆者の通訳を務めた経験からも、「二度と自分たちのような被爆者を生まない」ための国際的運動が認められたことに感慨を覚えました。とりわけ、西側の価値観に偏る傾向のあるノーベル平和賞が、米国による民間人大量虐殺の被害者に授与されたのは画期的でした。

と同時に、日本のメディアの論調が「日本のノーベル平和賞授賞は1974年の佐藤栄作氏以来」(10月12日NHK)などと言いながら、「日本の授賞」と位置づけていることに懸念を感じます。授賞したのは、被爆者であり、米国による原爆投下につながった戦争をそもそも起こした「日本」ではありません。また、日本メディアは、「核の脅威」として、ロシア、中国、朝鮮民主主義人民共和国のみを挙げ連ね、世界最大の「核の脅威」であり、実際に子どもたちの上に原爆を落とした戦争犯罪者である米国やその同盟国の核を免罪しています。

何よりも、被爆者の10人に1人は朝鮮人であったという事実が抜け落ちています。広島ではおよそ5万人の朝鮮人が被爆、うち3万人が死亡、長崎では2万人の朝鮮人が被爆、うち1万人が死亡したと言われています。広島・長崎にいた朝鮮人は、植民地支配が故に日本に暮らさざるを得ず、自分たちが始めたわけでもない戦争の中で、米国が日本を標的に落とした原爆に巻き込まれました。その上被爆後も差別され、医療や支援が行き届かなかったという二重、三重の被害を受けたのです。とりわけ、朝鮮半島に帰還した約2万3千人の被爆者のうち2千人ほどが朝鮮民主主義人民共和国に帰国しており、その方々は被爆者援護法も適用されず見捨てられたままです。現在は生存者も僅かになっていると聞いています。

2019年7月、「韓国の広島」と言われる陜川を在日朝鮮人の友人と一緒に訪問しました。原爆投下時広島にいた朝鮮人は陜川出身者が多かったのです。被爆二世で、生まれつきの骨の病気を抱え、息子が脳性麻痺を患う韓正淳さんは、「日本には、朝鮮人を犬のように使った責任を、米国には、核兵器を人間に対して使った責任を問いたい」と言っていました。2歳で被爆した韓国原爆被害者協会陜川支部長の沈鎮泰さんは、16年オバマ大統領の広島訪問の際来日したところ、関西空港で入管に3時間も足止めを食らった経験を話しながら、「植民地支配の上に原爆を受けた自分たちが、その上犯罪者扱いされた」と悔しそうに語りました。


陜川原爆被害者福祉会館近くの慰霊閣には1千以上の朝鮮人犠牲者の位牌が祀られている
(2019年7月22日 筆者撮影)

陜川訪問後に行った釜山の「国立日帝強制動員歴史館」ではこう展示してありました。「全体の原爆被害者の約1/10に該当する朝鮮人の死亡は57・1%であり、全体の33・7%に比して非常に高い。日本は二つの都市における惨状を大々的に広報し、反戦平和を全世界に訴えている。反戦平和は、人類が共栄するための普遍的価値である。しかし、誰が言うかによりこの意味合いはかなり変わる。日本は反戦平和を叫ぶ前に戦争加害に対する痛切な反省とともにその事に対する責任を負う姿勢を見せなければならないはずだ。」侵略戦争や植民地支配の責任は語らずに、普遍的「平和」や「反核」を語るだけのことが多い日本人に対する強烈なメッセージであると思いました。

私は、このような理由から、日本人が原爆被害を考えるとき、まず第一に、朝鮮人被爆者のことを考えるべきではないかと思っています。日本被団協のノーベル平和賞の授賞式には、朝鮮と韓国の被爆者団体の代表者を招待してほしいと願っています。


プロフィール

ジャーナリスト。東京・武蔵野市出身。高2,高3をカナダ・ビクトリア市の国際学校で学び、日本の侵略戦争の歴史を初めて知る。97年カナダに移住、05年「バンクーバー9条の会」の創立に加わり、06年「ピース・フィロソフィー・センター(peacephilosophy.com)」設立。英語誌「アジア太平洋ジャーナル」エディター。2人の子と、3匹の猫の母。著書に『沖縄は孤立していない』(金曜日、18年)など。19年朝鮮民主主義人民共和国を初訪問。世界の脱植民地化の動きと共にありたいと思っている。

★★★

以上、『朝鮮新報』からの転載でした。

Tuesday, December 10, 2024

Satoko Oka Norimatsu's speech at the Nanjing Massacre Memorial Vigil in Vancouver 乘松聡子在温哥华南京大屠杀纪念聚会上的讲话 乘松聡子在溫哥華南京大屠殺紀念聚會上的講話

 Here is the text, in English, with Chinese translation (simplified and traditional) by Arc Zhen Han, of my speech at the Nanjing Massacre Memorial Vigil, held in Chinatown, Vancouver, BC, Canada, on December 7, 2024. With the video compiled and subtitled by E. Kage. See more information here

 

 Nanjing Massacre Memorial Vigil Address 

December 7, 2024

Satoko Oka Norimatsu 

Hello my name is Satoko Oka Norimatsu. I am a writer and organizer for historical justice and decolonization of East Asia and the Pacific. I am originally from Tokyo, Japan, and since 1997, I have lived here, in the traditional territories of the Musqueam, Squamish, and Tsleil-Waututh nations. Thank you so much for coming to our memorial, on this cold winter day. 

Growing up in Japan, I never learned about the history of the Japanese Empire’s wars and colonization. When I was 17, I got an opportunity to study at an international school in Victoria, and then, for the first time, I learned about the Japanese Empire’s war crimes and atrocities, from fellow Asian students from Singapore, Indonesia, the Philippines, and China. This was the beginning of my journey. As a citizen of Japanese ancestry, my responsibility is to help bring awareness to this history, to fight the history denialism, and to help bring justice to the victims, families, and members of the victimized communities. 

Today, December 7, marks the 83rd anniversary of the 1941 Japanese surprise attacks against the British and the United States’ colonies in Southeast Asia and the Pacific. Japan waged these attacks to continue the empire’s aggressive war and occupation in China that had been continuing since their invasion of Manchuria in 1931 and establishment of the puppet state of Manchukuo in 1932. 

The Empire of Japan’s aggression against China goes back further, the first Sino-Japanese War of 1894-95, the military intervention with the Boxer Rebellion in 1900, the Russo-Japanese war of 1904-5, the military invasions to Shandongs in 1927-28. In 1927, my father was born in Hankow, now part of Wuhan, Hubei Province. My grandfather was the president of a newspaper company in the Japanese colony in Hankow. When my father was 2 months old, his family went back to Japan, and my grandfather died immediately after that. I deeply regret that my grandfather took part in the Japanese occupation of China. 

Japan intensified its aggression against China after the Lugou Bridge Battle on July 7, 1937, waged a full-scale battle in Shanghai in August that lasted for 3 months, afflicting thousands of civilians, then marched on to Nanjing in early December. This is when the Japanese Army committed the Nanjing Massacre: the mass slaughters of tens of thousands of Chinese POWs, unarmed soldiers, and random, brutal killings of tens of thousands of civilians, and savage raping and killing of tens of thousands of women and girls. If you have read Iris Chang’s Rape of Nanking, or any other literature on the Nanjing Massacre, no one would argue that it was one of the worst, most horrendous atrocities in human history. These Japanese military leaders and soldiers, heavily indoctrinated with the emperor-centred fanatic racist ideology that made them believe that Japanese were a superior race to their Asian neighbours, were capable of conducting the most ferocious, inhuman acts against fellow human beings. 

Nanjing Massacre was not the only massacre in the war. There were countless massacres, bombings, forced labour, rape and sexual slavery, chemical and biological warfare, “kill-all, burn-all, and loot-all” conducts throughout the war until Japan finally surrendered in August of 1945. Next year, 2025, marks the 80th anniversary of the end of the WWII, which meant liberation of all the Asia-Pacific countries and regions under the Japanese occupation. Today, the Japanese government, its political leaders, media, education, and the society in general are largely in denial or in ignorance about the unspeakable suffering that the Japanese wars brought to the people of the Asia-Pacific and POWs of Allied nations. It is a shame. 

There are, however, people in many parts of Japan who take this history to heart, and hold commemorative and educational events around the time of the Nanjing Massacre Memorial Day --- as far as I am aware, in Osaka, Tokyo, Yokohama, Nagoya, Kobe, Hiroshima, Kochi, Nagasaki, and Okinawa. While the Japanese government ignores it, hundreds of Japanese citizens visit Nanjing, to attend the National Memorial Ceremony held there on December 13. I was there in 2007, the 70th anniversary, and 2017, the 80th anniversary. The scarf I am wearing today is from the Nanjing Massacre Memorial Hall, with the Chinese velvet cress, the symbol flower for the remembrance for Nanjing. 

Here, I join my colleagues in Japan and beyond, renewing our pledge for “Never Again,” never again to allow our country to be an aggressive military power and wage wars, the promise of the Article 9, the war-renunciation clause of the Japanese post-war Constitution. 

On this 87th anniversary, I would like to express my deepest condolences for the victims and families of the Nanjing Massacre, and for the victims and families of the countless atrocities by the Empire of Japan. Never again. Thank you. 


Satoko Oka Norimatsu is Co-Chair of Article 9 Canada, Director of Peace Philosophy Centre, Co-author of Resistant Islands: Okinawa Confronts Japan and the United States (Rowman and Littlefield, 2018). 


简体字 Simplified Chinese version:

你好,我的名字是乘松聡子(Satoko Oka Norimatsu)。我是一名致力于东亚和太平洋地区历史正义与去殖民化的作家和活动家。我来自日本东京,自1997年以来,我一直生活在加拿大温哥华——穆斯克姆族、斯阔米什族和特斯雷沃图族印第安人的传统领地。非常感谢大家在这个寒冷的冬日来到我们的纪念活动。

在日本成长的过程中,我从未学过关于日本帝国战争和殖民化的历史。17岁时,我有机会在加拿大维多利亚市的一所国际学校学习,那是我第一次从来自新加坡、印度尼西亚、菲律宾和中国的亚洲同学那里了解到日本帝国的战争罪行和暴行。我追求历史正义的旅程由此开始。作为一名拥有日本血统的公民,我的责任是帮助唤醒人们对这段历史的认识,抵制历史否定主义,并为受害者、他们的家庭以及受害社区的成员争取正义。

今天是12月7日,也是日本对东南亚和太平洋地区的英国和美国殖民地发动突袭的83周年。日本发动这些袭击是为了延续其帝国在中国的侵略战争和占领,这场战争自1931年侵占满洲并于1932年建立伪满洲国以来便一直持续至二战结束。

日本帝国对中国的侵略可以追溯得更早,包括1894年至1895年的中日甲午战争、1900年参与镇压义和团运动的军事干预(八国联军)、1904年至1905年的日俄战争,以及1927年至1928年对山东的军事入侵(山东出兵)。1927年,我的父亲出生在汉口,现在是湖北省武汉市的一部分。当时我的祖父是汉口日本租界一家报社的社长。当我的父亲只有两个月大的时候,他们一家返回日本,而我的祖父在回国后不久就去世了。我深深地为我的祖父曾经参与日本在中国的租界占领行为感到遗憾和抱歉。

日本在1937年7月7日卢沟桥事变后加剧了对中国的侵略。8月,日本在上海发动全面战争,这场战斗持续了三个月,为成千上万的平民带来了巨大的痛苦。随后,日军于12月初进军南京。在此期间,日本军队犯下了南京大屠杀的暴行:屠杀了数万名放下武器的中国战俘、手无寸铁的士兵,以及随机残忍杀害的数万名平民,同时还有对数万名妇女和女孩的野蛮强奸和杀害。如果你读过张纯如的《南京大屠杀》或其他关于南京大屠杀的文献,你一定会认识到,这是一段人类历史上最残酷、最恐怖的暴行之一。这些日本军官和士兵在以天皇为中心的狂热种族主义意识形态的洗脑下,被灌输了日本人优于邻近亚洲民族的种族优越感,因此他们竟能对同为人类的同胞实施如此残暴、非人道的行为。

南京大屠杀并不是战争中唯一的屠杀。在战争期间,从始至终直到日本最终在1945年8月投降,发生了无数的屠杀、轰炸、强迫劳动、强奸与性奴役、化学与生物战,以及“杀光、烧光、抢光”的暴行。明年,2025年,将是第二次世界大战结束80周年的纪念日,也是所有曾被日本占领的亚太国家和地区的解放纪念日。然而,今天,日本政府、政治领导人、官方媒体、教育界乃至很多社会成员,对日本战争给亚太地区人民以及盟军战俘带来的难以言说的苦难,基本上持否认或无知的态度。这是一种耻辱。

然而,在日本的许多地方,也有很多人铭记这段历史,并在南京大屠杀纪念日附近举行纪念和教育活动。据我所知,这些活动在大阪、东京、横滨、名古屋、神户、广岛、高知、长崎和冲绳都有举行。尽管日本政府对此置若罔闻,但每年仍有数百名日本公民前往南京,参加12月13日举行的国家公祭日。我曾于2007年南京大屠杀70周年和2017年80周年时到南京参加纪念活动。我今天佩戴的围巾来自南京大屠杀纪念馆,上面有南京大屠杀纪念的象征花——紫金草。

在这里,我与日本及世界各地的同仁一道,重申我们的承诺:“决不再来”,绝不再让我们的国家成为一个侵略性的军事力量并发动战争。这是日本战后宪法第九条——放弃战争条款——的庄严承诺。

在这第87个纪念日,我谨向南京大屠杀的受害者及其家属,以及日本帝国无数暴行的受害者及其家属,致以我最深切的哀悼。战争和伤害决不再来。谢谢。


乘松聪子(Satoko Oka Norimatsu)是加拿大第九条会(Article 9 Canada)共同主席、和平哲学中心(Peace Philosophy Centre)主任,并合著了《抵抗之岛:冲绳对抗日本与美国》(Resistant Islands: Okinawa Confronts Japan and the United States,罗曼与利特菲尔德出版社,2018年)。


繁體字 Traditional Chinese version:

你好,我的名字是乘松聡子(Satoko Oka Norimatsu)。我是一名致力於東亞和太平洋地區歷史正義與去殖民化的作家和活動家。我來自日本東京,自1997年以來,我一直生活在加拿大溫哥華——穆斯克姆族、斯阔米什族和特斯雷沃圖族印第安人的傳統領地。非常感謝大家在這個寒冷的冬日來到我們的紀念活動。

在日本成長的過程中,我從未學過關於日本帝國戰爭和殖民化的歷史。17歲時,我有機會在加拿大維多利亞市的一所國際學校學習,那是我第一次從來自新加坡、印度尼西亞、菲律賓和中國的亞洲同學那裡了解到日本帝國的戰爭罪行和暴行。我追求歷史正義的旅程由此開始。作為一名擁有日本血統的公民,我的責任是幫助喚醒人們對這段歷史的認識,抵制歷史否定主義,並為受害者、他們的家庭以及受害社區的成員爭取正義。

今天是12月7日,也是日本對東南亞和太平洋地區的英國和美國殖民地發動突襲的第83週年。日本發動這些襲擊是為了延續其帝國在中國的侵略戰爭和佔領,這場戰爭自1931年侵占滿洲並於1932年建立偽滿洲國以來便一直持續至二戰結束。

日本帝國對中國的侵略可以追溯得更早,包括1894年至1895年的中日甲午戰爭、1900年參與鎮壓義和團運動的軍事干預(八國聯軍)、1904年至1905年的日俄戰爭,以及1927年至1928年對山東的軍事入侵(山東出兵)。1927年,我的父親出生在漢口,現在是湖北省武漢市的一部分。當時我的祖父是漢口日本租界一家報社的社長。當我的父親只有兩個月大的時候,他們一家返回日本,而我的祖父在回國後不久就去世了。我深深地為我的祖父曾經參與日本在中國的租界佔領行為感到遺憾和抱歉。

日本在1937年7月7日盧溝橋事變後加劇了對中國的侵略。8月,日本在上海發動全面戰爭,這場戰鬥持續了三個月,為成千上萬的平民帶來了巨大的痛苦。隨後,日軍於12月初進軍南京。在此期間,日本軍隊犯下了南京大屠殺的暴行:屠殺了數萬名放下武器的中國戰俘、手無寸鐵的士兵,以及隨機殘忍殺害的數萬名平民,同時還有對數萬名婦女和女孩的野蠻強姦和殺害。如果你讀過張純如的《南京大屠殺》或其他關於南京大屠殺的文獻,你一定會認識到,這是一段人類歷史上最殘酷、最恐怖的暴行之一。這些日本軍官和士兵在以天皇為中心的狂熱種族主義意識形態的洗腦下,被灌輸了日本人優於鄰近亞洲民族的種族優越感,因此他們竟能對同為人類的同胞實施如此殘暴、非人道的行為。

南京大屠殺並不是戰爭中唯一的屠殺。在戰爭期間,從始至終直到日本最終在1945年8月投降,發生了無數的屠殺、轟炸、強迫勞動、強姦與性奴役、化學與生物戰,以及“殺光、燒光、搶光”的暴行。明年,2025年,將是第二次世界大戰結束80週年的紀念日,也是所有曾被日本佔領的亞太國家和地區的解放紀念日。然而,今天,日本政府、政治領導人、官方媒體、教育界乃至很多社會成員,對日本戰爭給亞太地區人民以及盟軍戰俘帶來的難以言說的苦難,基本上持否認或無知的態度。這是一種恥辱。

然而,在日本的許多地方,也有很多人銘記這段歷史,並在南京大屠殺紀念日附近舉行紀念和教育活動。據我所知,這些活動在大阪、東京、橫濱、名古屋、神戶、廣島、高知、長崎和沖繩都有舉行。儘管日本政府對此置若罔聞,但每年仍有數百名日本公民前往南京,參加12月13日舉行的國家公祭日。我曾於2007年南京大屠殺70週年和2017年80週年時到南京參加紀念活動。我今天佩戴的圍巾來自南京大屠殺紀念館,上面有南京大屠殺紀念的象徵花——紫金草。

在這裡,我與日本及世界各地的同仁一道,重申我們的承諾:“決不再來”,絕不再讓我們的國家成為一個侵略性的軍事力量並發動戰爭。這是日本戰後憲法第九條——放棄戰爭條款——的莊嚴承諾。

在這第87個紀念日,我謹向南京大屠殺的受害者及其家屬,以及日本帝國無數暴行的受害者及其家屬,致以我最深切的哀悼。戰爭和傷害決不再來。謝謝。


乘松聰子(Satoko Oka Norimatsu)是加拿大第九條會(Article 9 Canada)共同主席、和平哲學中心(Peace Philosophy Centre)主任,並合著了《抵抗之島:沖繩對抗日本與美國》(Resistant Islands: Okinawa Confronts Japan and the United States,羅曼與利特菲爾德出版社,2018年)。


Monday, December 09, 2024

バンクーバー中華街での南京大虐殺追悼集会 Nanjing Massacre Memorial Vigil in Chinatown, Vancouver 溫哥華華人街舉行追悼南京大屠殺的集會 温哥华华人街举行追悼南京大屠杀的集会

チャイナタウン「中華門」の下で集会をしました。

This post is in Japanese. Please use a translation program to read it. 这篇文章是日文的。请使用翻译软件阅读。這篇文章是日文的。請使用翻譯軟體閱讀。
司会をつとめた Nikkei Vancouver 
for Justice のベックさん(右)
とメガンさん(左)

12月7日午後5時から、バンクーバーチャイナタウンにて、南京大虐殺追悼集会を行いました(Nikkei Vancouver for Justice, カナダ9条の会、ピース・フィロソフィーセンター共催)。この時期のバンクーバーは雨ばかりですが、なぜかこの集会の間のために雨が止まったかのような幸運に恵まれ、屋外で無事に追悼集会を行うことができました。
予想以上の、50人かそれ以上の人が来てくれました。若者中心に運営したイベントであったことは歴史記憶を継承する上で意義深かったと思います。Nikkei Vancouver for Justice のベックさん、メガンさん、またチャイナタウンで活動するチャイニーズ系の若者たちがたくさん手伝ってくれ、よいコラボレーションとなったと思います。日系人や日系移民も10人ほど来てくれました。
南京出身のビルさん(左)。
右は広東語と北京語両方の通訳をつとめてくれたカリナさん。

ビルさんは、曽祖父母が日本軍による南京爆撃で命を奪われたと話してくれました。きょうこの日まで遺体も見つかっておらず、ちゃんとした埋葬もできていないとのことです。当時家族の遺体を見つけることができた人も、判別がつかないほど痛ましい状態になって、集団で捨てられていたと。軍隊だけでなく、占領を手助けするために日本の植民者も招き入れられたことは、いま現在パレスチナの人々がされていることと同じだと、ビルさんは指摘しました。

南京出身のジェーンさん

ジェーンさんは、歴史を知るにつけ、やはり、アジア太平洋地域での日本の帝国主義と、パレスチナにおけるセトラー・コロニアリズムの「点と点がつながってきた」と言いました。太平洋戦争時、米国やカナダでの日系人強制収容はよく語られますが、ジェーンさんは、北米の日系人が、募金を集めたり、慰問袋を送ったりして、日本の中国侵略戦争に加担した事実を指摘しました。これは、カナダで南京大虐殺記憶の日を制定する動きに対し日系人団体が積極的に反対した動きと通じるとの指摘はまさしくその通りと思いました。

重慶出身のアリエルさん


アリエルさんは2年前にアイリス・チャン著『レイプ・オブ・南京』を読み始めたが最初の数ページで吐き気がして読み進めることができなかったそうです。昨年久々に中国を訪問し、高速鉄道で移動中に南京駅に停車しました。車窓越しに南京を見て、ここで20万人もの血が流れたのだということに想いを馳せたとのことです。アリエルさんはは1939-41年に日本軍から繰り返し爆撃を受けた重慶の出身です。祖母は当時6歳で、「日本の爆撃から逃れるために山奥の洞窟の奥深くに逃げ込んだことを思い出し、目に涙を浮かべた」とのことです。

いまでも日本を許すことはできない、との言葉を重く受け止めました。

いまカナダに生きる若者たちの心と体の中にも、日本の中国侵略戦争の傷跡が世代間の痛みとして生々しく残っていることを痛感した晩でした。

★★★★★★★

私も主催者代表としてスピーチをしました。スピーチ原稿はここで読めます。日系として、日本人として、南京大虐殺の歴史を語り継ぎ、日本の歴史修正主義とたたかう責任があるという話をしました。また日本政府とは違い、日本各地に、南京大虐殺と被害者を記憶し二度と日本の侵略戦争を許さないという、憲法9条の約束を守る活動をしている人たちがいるという話もしました。元の英語バージョンと、友人の韓真さんによる中国語(簡体字、繁体字)の翻訳がついています。日本語版をいまのところ作っていないのでAI翻訳などで読んでください。@PeacePhilosophy 乗松聡子

会場に設置した 祖先供養の祭壇



Monday, December 02, 2024

ウェビナー:隠蔽か?止まらない沖縄の米軍性犯罪 日本語字幕版 Cover-up? Sexual Assaults Continue in Militarized Okinawa - YouTube available with Japanese subtitles

 北米時間で10月4日(日本では5日)に行った沖縄関心グループのオンラインセミナー

Cover-up? Sexual Assaults Continue in Militarized Okinawa 

ウェビナー:隠蔽か?止まらない沖縄の米軍性犯罪 

の日本語字幕版ができました。(Q&Aの部分は割愛してあります。下方にある英語版にはついています)

登壇者:

高里鈴代 基地:・軍隊を許さない行動する女たちの会共同代表・元那覇市魏

アレクシス・ダデン コネチカット大学教授

コメンテイター

スティーブ・ラブソン ブラウン大学名誉教授

司会:

エリン・ジョーンズ 翻訳家、リサーチャー



English version, with the Q&A section, is here. 

Cover-up? Sexual Assaults Continue in Militarized Okinawa 

Suzuyo Takazato, Alexis Dudden, and Steve Rabson
Moderated by Erin Jones 

Thursday, November 21, 2024

December 7: バンクーバーで南京大虐殺追悼集会を開催します Nanjing Massacre Memorial Vigil will be held in Vancouver 南京大屠殺追悼會將在溫哥華舉行

私たちは「バンクーバー」と呼ばれる、先住民族のムスキウム、スコーミッシュ、ツレイワトゥッシュネイションの、盗まれた土地の上に存在する者たちです。

この12月で、1937年の南京大虐殺から87年になります。南京大虐殺とは、専門家の笠原十九司氏による定義は「日中全面戦争(1937-45年)の初期、1937年12月、中国の当時の首都・南京を攻撃・占領した日本軍が、中国軍の兵士・軍夫ならびに一般市民・難民に対しておこなった虐殺、及び中国人女性に対しておこなった凌辱、食料・物資・財産の略奪、人家・建物・施設の放火・破壊など、戦時国際法や国際人道法に反した不法・残虐行為の総体」です(『南京事件70周年国際シンポジウムの記録』日本評論社、2009より)。

私(ブログ運営人・乗松聡子)は2007年の南京大虐殺70周年のときに初めて南京を訪れて以来3回南京に行きました。地元バンクーバーでも、毎年この時期は、関連シンポジウム参加、追悼集会、映画会、海外の追悼集会との連携、などで、大日本帝国が行った残虐行為を忘れずに「ネバー・アゲイン」の誓いを、仲間と共に新たにしてきました。

きたる12月7日(土)午後5-7時、チャイナタウンの中華門前(50 East Pender St., Vancouver, BC) で、南京大虐殺87年の追悼集会を行います。カナダ9条の会、ピース・フィロソフィー・センター、Nikkei Vancouver for Justice など、日本にゆかりのあるグループや個人と、チャイナタウンにゆかりのある有志の仲間と共に企画しました。スピーチ、追悼の時間などを予定しております。ぜひご参加ください。屋外ですので暖かい服装で来てください。雨天決行。お問い合わせは南京大虐殺追悼集会実行委員会まで [email protected] 



この行事に加え、「万人坑」の専門家である青木茂さんを迎えてのオンライン講演会を行います。こちらをご覧ください。

Wednesday, November 13, 2024

オンライン講演会 「万人坑」とはなにか~南京大虐殺の日に学ぶ中国人強制労働~ 講師:青木茂さん Webinar on Mass Graves(万人坑) of Chinese Forced Labourers


カナダ9条の会主催、ピースフィロソフィーセンター・Nikkei Vancouver for Justice 共催オンライン講演のご案内です。北米、中南米の人たちにも参加しやすい時間帯となっています。ぜひご参加ください。リアルで参加できない場合、登録した人には事後録画を送ります。参加費は無料です。

申し込みリンク:https://tinyurl.com/4rhz99t7

日時:2024年12月13日金曜日午後5時(太平洋時間);午後8時(東部時間)

(日本時間では、12月14日土曜日午前10時です。)


「万人坑」とはなにか 

~南京大虐殺の日に学ぶ中国人強制労働~

2024年12月13日は、南京大虐殺87年を記憶・追悼する日です。南京大虐殺は、大日本帝国が中国に対して行った残虐行為の代表的なものですが、これだけ残酷な事件でも「氷山の一角」だったのです。日本の1931年から45年までの侵略戦争の間、中国全土で日本企業は炭鉱や鉄鉱などの鉱山や軍事基地、ダムなどの建設現場などに中国人を大量に連行し強制労働させ、過労、飢え、衰弱死などで亡くなった人たちを山野などに捨てました。その「人捨て場」は「万人坑」と呼ばれます。「万人坑」を専門に20年間調査研究を行ってきた青木茂さんからお話を聞きます。

講師:青木茂さん

2000年、内蒙古自治区のハイラル近郊にある沙山万人坑を訪問して以来これまでに中国の42箇所の万人坑を現地で調査してきた。著書は『南京大虐殺から雲南戦へ』(2024)、『中国に現存する万人坑と強制労働の現場』(2022)、『万人坑に向き合う日本人』(2020年)、『華南と華中の万人坑』(2019)など多数。青木さんの仕事についてはHPを参照:http://yaris9304.starfree.jp/

申し込みリンク:https://tinyurl.com/4rhz99t7

問い合わせ先:[email protected]


★12月7日は、カナダ・バンクーバーで、南京大虐殺追悼集会を行います。詳しくはこちらを見てください。

Thursday, October 31, 2024

『日本の進路』24年11月号より転載:深圳の悲劇を中国敵視の道具にするな~友好こそが、被害者への追悼になる~ Japanese government and media used the Shenzhen tragedy as another China-hating weapon

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 『日本の進路』24年11月号に寄稿した記事を転載します。読者からは、「日本のメディアには出ない重要な視点」「被害男児が日本人と中国人のダブルだとは知らなかった」といった感想が寄せられています。子どもが殺された悲劇を極端に政治化し中国敵視に利用した日本のメディアと政府に反省を求めます。

深圳の悲劇を中国敵視の道具にするな

~友好こそが、被害者への追悼になる~

ピース・フィロソフィー・センター代表 乗松聡子


火がついた嫌中

 中国・深圳市で9月18日、日本人学校の男子児童が殺害された事件について、日本のメディアは連日大きく取り扱い、日中間の外交問題として政治化した。

この日は1931年、関東軍が南満州鉄道を爆破した「柳条湖事件」の日で、その後15年間にわたる満州植民地支配と中国全土に対する侵略戦争を記憶する「9・18」の日であった。そのことから日本では、中国の「反日教育」が招いた結果であると語られ、中国に対する嫌悪が主要メディアでもネットでもエスカレートした。この3カ月前の6月24日、蘇州の日本人学校のスクールバスが刃物を持った男に襲撃され、親子が怪我をした事件もあった。

 しかし、日本の嫌中傾向はこれらの最近の事件がきっかけになったわけではない。20世紀後半に経済大国化した日本はいまや衰退傾向で、近年、目覚ましい発展を遂げた中国を苦々しく思う心情がある。その上、米国はオバマ政権下で始まった、中国の台頭を阻止し一極支配の維持を狙うべく「アジアピボット(軸足移動)」(2011年)を進めている。対米従属の日本は12年に「尖閣諸島国有化」で、中国の国民感情を逆撫でした。

西側メディアはことさら中国について否定的な報道ばかりするようになる。世論調査でも、日本では中国に対し否定的な感情を持つ人が10年代以降は常に8割を超えるようになり、9割を超えることも少なくなくなった。


歴史記憶を「反日」と責める加害国・日本

 「反日教育」と言うが、中国や韓国や東南アジア諸国など大日本帝国の植民地支配や侵略戦争の被害を受けてきた国々がその歴史を伝えることは当たり前である。

「反日」と言う人ほど、日本が中国に何をしたのかを知らないし知ろうとしない。大日本帝国の中国に対する残虐行為で代表的なものは南京大虐殺(1937―38) であるが、それさえ日本では政治家が率先して否定している。日清戦争時の旅順大虐殺 (1894年)、満州侵攻後の平頂山虐殺(1932年)、民間人を「殺し尽くし、奪い尽くし、焼き尽くす」作戦を行い、重慶などの都市の無差別爆撃し、毒ガスや細菌兵器を使った。約4万人が日本に強制連行され約7千人が亡くなった。満州をはじめ中国全土でも、日本企業が経営する炭鉱や鉱山などで膨大な数の中国人が強制労働させられて亡くなった。その「人捨て場」であった「万人坑」が今も中国各地に存在する。

 もしこのような被害を日本が受けていたら、ましてやこれらの歴史を後世に教えることを加害国から批判されたらどう思うのか。広島・長崎の原爆被害を語り伝えることは「反米教育」なのか。日本がやられたことについては「継承」の大切さを語り、自分たちがやったことを語られると「反日」と騒ぐことこそダブルスタンダードだ。


深圳事件の「父親の手紙」

 深圳の事件は10歳の子が母親の眼前で襲撃され、その後治療の甲斐なく亡くなるという残酷な犯罪だった。日中両国の市民にできることといえばその地の法律で公正に裁かれることを願いながら、共に追悼し、遺族に寄り添うことではないだろうか。事件後、現場を訪れ献花し手を合わせる人が絶えないことは広く報道されている。

9月20日、殺された男児の父親によるという手紙が、香港のフェニックス・ニュースや「星島網」など各社が報道しSNSでも広く拡散された。日本のSNSでは「偽物だ」といった否定も見られたが、台湾の報道等で父親の会社や名前も確認されており、真正なものに見える。

 内容には、日本領事館や会社から発言を止められているようなことを匂わせる表現があり、それでも伝えたいという父親の思いが伝わってくる。

この手紙は、男児が日本人の父親と中国人の母親の間に生まれた「日本人でもあり中国人でもある」と明記され、「何が報道されようと、彼が日本人と中国人の両方のルーツを持つという事実は変わらない」とある。「日本人が殺された!」と大騒ぎしているメディアに対して抗議しているようにも読める。

「私たちは中国を恨まない、同じく日本も恨まない。国籍に関係なく、私たちはどちらの国も自分たちの国だと思っている」とあり、「歪んだ考えを持つ一握りの卑劣な人間の犯罪によって、両国の関係が損なわれることを私は望まない」としている。

この事件を中国敵視の材料に使いたい日本の一部政治勢力にとってはさぞ都合の悪い手紙であったろう。


「暴支膺懲」の勢いの日本政府

 石破茂氏は自民党総裁に選出された直後に、フジテレビの「The Prime」に出演した。司会者は、中国の「領空侵犯」「空母”遼寧”による接続水域航行」、自衛隊護衛艦「さざなみ」の台湾海峡初通過など日中の軍事的対立に注目させた上で深圳の事件を出して、「強い対抗措置」や「大使召還」といった言葉で敵意を煽った。

石破氏も怒りを露わにし「9・18」の日を「反日的」報道や情報が多く出る日と言っていた。自民党では比較的戦争責任を理解していると言われている石破氏でさえ「反日」という言葉を使う。その後石破氏は10月4日の所信表明演説で、中国の「東シナ海や南シナ海における力による一方的現状変更の強化」とセットでこの事件を持ち出し、「断じて看過しがたい」と言った。

戦時の「暴支膺懲」という言葉を思い出す。この事件が戦争準備に使われているのだ。

 殺人は当然どこの国でも許されないことだが、100%防ぐことなどできない。日本でも中国人が殺傷される事件が起きている。昨年11月、千葉県松戸市で中国人女性が日本人男性2人に殴打されて死亡した。今年7月には、大阪で中国人観光客が日本人男性に刺された。これらの事件が外交問題に発展したという話は聞いていない。

9月23日、ニューヨークで行った会談にて上川陽子外相は中国の王毅外相に対し、「根拠のない悪質で反日的なSNS投稿等は、子どもたちの安全に直結し絶対に容認できない」として、「早急な取り締まりの徹底を強く求め」た。

SNSでの極端な発言はどちらの国にもある。中国政府は悪質なサイトや投稿は削除する対策は取っている。だが、ふだんは中国の情報統制を批判している日本が、こういうときだけ「もっと統制しろ」と中国に指図しながら、自分たちは何もしていない。


「日本人でも中国人でもある」

 殺された子は、「日本人でも中国人でもある」子である。国籍が日本だからといってその子が日本人で、それ以外ではないということではない。この子の中国人アイデンティティを無視して「日本人が殺された!」とだけ言うのは、「中国人なら殺されても無視していい」と言っていることと一緒である。

また、もしこの子の父親が中国人で母親が日本人であったとしたら、日本の政府やメディアはここまでこの子を「日本人」として見たであろうか。「子どもは父親の家の子」という家父長制的考えがあったのではないか。事件への反応はジェンダー問題もはらむと思う。

 日本政府とメディアは、被害児童の中国人アイデンティティを引き剥がし、日本の中国敵視の道具に使ったことを反省してほしい。

今こそ日中の市民が交流と友好を深め、ネット上に流れる憎悪的な言論にも共に立ち向かえるような信頼関係を築くことが大事ではないか。それが被害者への一番の追悼になるのではないかと、私は思う。

(転載以上)