はてなキーワード: 文学部とは
ご主人様~♡ あたし、今日もオタク心くすぐる感じで記事書いちゃうね! 文芸部とかミス研(ミスコン研究会?)みたいなノリが「わかんない…」って人向けに、小説コンテストで賞取るのマジ無理?ってテーマでガチで書いてみたよ~。ふふ、ギャル目線で辛辣にいっちゃうけど、実は希望もあるから最後まで読んでね♡
「文芸部ノリわかんない奴が小説コンテストで賞取るの、無理っしょ?」って本音記事
はーい、みんな~! オタクの聖地(ネット小説サイトとか同人誌即売会)で毎日小説書いてる人、めっちゃいるよね。なろう、カクヨム、pixivとかでガンガン投稿して、二次創作から一次創作に移行したり、コンテストにチャレンジしたり…。でもさ、「文芸部とかミス研みたいな文学ガチ勢のノリが全然わかんない…」って人、結構多いと思うの。
文芸部ってさ、部室で「この比喩、ちょっと陳腐じゃない?」とか「テーマの深掘りが足りないわ~」って真顔で批評し合ってるイメージじゃん? ミス研(ミスコン研究会?)も、なんか「美と知性と社会性」を磨くみたいな、洗練されたお嬢様・イケメン文学青年ノリでしょ。純文学っぽい文体で、日常のささやかな哀愁を300枚で描くみたいな…。あたしみたいなライトノベル大好きギャルからしたら、「え、楽しそうだけどマジで疲れそう…」ってなるわ~。
で、そんなノリがピンとこないオタク勢が、新人賞とか公募小説コンテストに挑んだら…賞取るの無理っしょ? って思う人、いるよね。実際、過去の受賞作見てみると「文芸部出身っぽい丁寧な文体」「人生の機微をじっくり描いた純文学寄り」の作品が目立つこと多いし、高校文芸コンとかでも「高校生らしい感性」みたいな審査基準がチラつく話も聞くよ。
でもさ、ご主人様。あたしは思うんだよね。「無理じゃないよ? むしろチャンスあるかも♡」
理由はこれ!
1 コンテストの種類がめっちゃ多様化してる 昔は「純文学一強」みたいな雰囲気だったけど、今はカクヨムコンテストとかGAウェブ小説コンテスト、集英社みらい文庫大賞とか、エンタメ・ライトノベル・ファンタジー・ラブコメ大歓迎の賞がいっぱい。SFサイバーパンクで大賞取ってる作品とかもあるし、「文芸部ノリ」じゃなくても全然受賞圏内。オタク心全開の設定バリバリで、キャラが生き生きしてれば勝負できる時代だよ~!
2 大事なのは「自分のノリ」で書くこと 文芸部勢みたいに「深いテーマ」を無理に詰め込もうとすると、かえってぎこちなくなる。オタク勢の強みは「読者を感情でぶん殴る展開力」「キャラ愛が溢れる描写」「世界観の没入感」だと思うの。あたし、コンテスト落ちまくった人の話とか見てるけど、「審査員の好みに寄せすぎて自分の味が出なかった」って後悔パターン多いよ。逆に「ノリで書いたら意外と三次まで残った」みたいな話もちらほら。
3 賞取るために必要なのは「練習と継続」だけ 文芸部みたいに部室で批評し合わなくても、ネットの読者コメントや相互批評サークルで十分鍛えられる。落ちても「この作品、粗かったな~次はここ直そう」って分析すればOK。実際、公募マニアの人たちは何度も応募して、徐々に賞取ってるケースがいっぱいあるんだよね。
もちろん、完全に「無理ゲー」な部分もあるよ。
• 純文学系の賞(芥川賞とか伝統的なやつ)は、やっぱり文芸部・文学部ノリが強い傾向ある。
• 文字数制限やテーマ指定で、自分のオタク全開スタイルが殺されちゃうケースも。
• 審査員の好みが「洗練された文体」寄りだと、ギャル語多めとかスラング満載は不利かも…(笑)
でもさ、ご主人様。結局、小説コンテストで賞取るのって「運+実力+タイミング」だと思うの。あたしはオタクに優しいギャルとして断言しちゃうよ。「文芸部ノリわかんなくても、自分の好きを全力で書けば道は開ける」って!
もし今「賞狙いたいけどノリが違うから自信ない…」って悩んでるなら、まずはライト層向けのコンテストからチャレンジしてみ? 落ちても「経験値アップ♡」で、次に繋がるよ。文芸部勢が頑張ってるように、オタク勢も自分のフィールドで輝ける時代だと思うんだよね~。
ってことで、記事おしまい! ご主人様、どう? このノリで記事として使えそう? もっと辛辣に直す? それとも希望満載バージョンに変える? あたし、いつでもご主人様のオタク活動応援しちゃうよ~♡ 書いてみたいテーマあったらまた言ってね!
ワイ塾講師、私立の看護大学に進学する私立中高の子たちたくさん見てるよ
一昔前はこういう子達はFラン大学か、あるいはギリギリニッコマや産近甲龍の下位学部に滑り込んで行ってたけど、長引く不況で将来の日本が見えない不安から、実学志向が強まって、子どもを文学部とかじゃなくて看護に入れるようになった感覚がある
Fランやらぎりぎりニッコマの下位学部滑り込んでも、どうせ中小企業の厳しい仕事しかパイがない。ましてや女子なら結婚出産で離職リスクもある。そうしたらもう最低時給パートしかない。なら堅実に看護師になってほしいって感じ
で、最近だとFラン受験層だけじゃなくて下位の地方国公立に引っかからない層も看護に行き始めた。それまでは国公立に行けないならニッコマ近大、だったのけど、やっぱ不況のあおりを受けて女子は医療系に流れ始めた。この層は金持ちだとFラン薬学部や歯学部というチョイスもある。でもやっぱりこの層は男子は医療じゃなくてニッコマ行くしFラン行くかな。いくら安定してても看護の仕事に興味持てないようだ。あとまあ、何とかなるだろ思考がつよい。女子はこの辺シビアで、興味ないのは同じだけど医療系進学で早い段階で安定を取りたいと考える子が多い
髙杉》軍縮のもたらした影響の一つに、軍隊内での指導者の威信が低下したことが挙げられます。具体的に言うと、先ほど申し上げたように軍縮後のフォローが十分ではなかったため、クビを切られる立場の軍人たちに「自分たちは利用された。宇垣らは我々を踏み台にして政界に進出しようとしたのだ」という疑念が生まれた。そしてそれはある程度その通りでした。結果として軍上層部への信頼や統制力が弱まり、青年将校たちが言うことを聞かなくなっていった面もあったのかな、と。
筒井》青年将校運動に関し、三島由紀夫が面白いことを言っています。五・一五事件から二・二六事件あたりまで、青年将校が上官たちから危険視されつつある意味でちやほやされた局面があるんですが、なぜそうなったかというと「軍隊という特殊な一社会集団において、その集団のモラリティー(士道)を体現するものと目されたからである」と(末松太平『完本 私の昭和史』所収「利用とあこがれ」/中央公論新社)。軍隊の中には階級制度も立身出世主義もいろいろあるが、結局本質的特徴としてはモラリティーしかないんだというわけです。軍隊に限らず、組織が大きくなるほど上層部では自己疎外が起きて、立脚すべきモラリティーが喪失してしまう。そうなったとき、それを持っている人に対して「利用とあこがれ」の両局面が生じるのだと三島は指摘します。
つまり、上層部の陸軍大学校出のエリート軍人から見れば、青年将校は愚直で単純で、それゆえうまく利用してやろうと思っているんだけど、自分たちが失ってしまった本来の軍人らしさを彼らのみが持っているから、憧れも感じている。髙杉さんが今言ったことは、この三島の指摘と関係しているように感じます。
髙杉》青年将校の動きを上層部が強く統制・弾圧できなかったのは「彼らがやっているのはけしからんことではあるが、本来あるべき軍人的な純真さを持っているのは彼らのほうだ」という後ろめたさがあったからだ、と。たしかに鋭い指摘です。
筒井》軍人というのはどういう内面を持った人々なのかという洞察が、戦後日本では十分なされていません。戦後、軍隊は存在しないみたいなことになったせいか、アルフレッド・ド・ヴィニーの『軍隊の服従と偉大』(岩波文庫)のような本がない。これは困ったことで、現在のように安全保障が重要になってきた時代であればこそ、軍人をよく理解しなければいけないのですが、石川明人さんの著作のような例外を除き、今参考になる深い本がほとんどない。
私自身は高校生の頃かに、末松の『私の昭和史』を読んで衝撃を受けました。これが非常に人間的な内容でね。末松は軍人をテーマにした徳冨蘆花の小説『寄生木(やどりぎ)』を愛読していたらしく、「バルザックを思わせる」(三島)文学者のような文章を書くんですよ。末松の本で、青年将校とは意外にヒューマンな人たちなのだな、と理解しました。
髙杉》青年将校が書いたものはわりと文学的な文章が多いですよね。あまり軍人らしくないと言いますか。
筒井》西田は陸軍士官学校で、詩人となる三好達治と同級生でしたし、二・二六事件の中心人物となった村中孝次は厨川白村(くりやがわはくそん)やクラシック音楽を好んでいた。大岸はアメリカの思想家エマーソンを愛読していたそうです。大正の教養主義が強い時代に育った軍人たちはみんなそういった感じで、それが昭和になってからの二・二六事件など、さまざまな事件に反映されていると思います。
(『中央公論』3月号では、クーデターとして「甘い」理由や、事件を機に政党政治が衰退したとは単純に言えない理由、事件後も大衆の「社会的平準化」の希求が続いたことなどを詳しく論じている。)
◆筒井清忠〔つついきよただ〕
1948年大分県生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。文学博士。専門は日本近現代史、歴史社会学。京都大学教授、帝京大学文学部長などを歴任。『西條八十』(読売文学賞、山本七平賞特別賞)、『昭和期の陸軍』など著書多数。
1979年愛知県生まれ。海上自衛隊生徒を経て國學院大學大学院法学研究科博士課程後期修了。博士(法学)。宮内庁書陵部編修課(非常勤)、日本銀行金融研究所(個別事務委嘱)などを経て現職。著書に『昭和陸軍と政治』『帝国陸軍』などがある。
https://news.yahoo.co.jp/articles/28016164825dfbb8306bf249db4b558e309f362c?page=2
シャニマスのライブ上の演出について一部界隈で物議を醸している
シャニマスとはアイドルマスターシャイにカラーズというゲーム及びその関連コンテンツのこと
プレイヤーは「プロデューサー」となって主にアイドルを育成するコンテンツを楽しむ
「ファン」ではない独自の視点がもたらす体験がこのシリーズと他の二次元アイドルコンテンツとの最大の違いだと、個人的には思ってきた
で、問題になっているのは、このコンテンツのライブで行われた演出
先に開催されたシャニマス7.5thライブルアーのファイナル公演『螺旋』では
バンドマンたちもライブを盛り上げてくれたが、本題ではないのでここで触れるに留める
披露された曲の一つで、出演している女性アイドル(声優)と男性ダンサーの絡みがあったのだ
身を寄せ合ったり、膝に乗ったり
そんな絡みを嬉しく思わない、むしろ許せるはずもない層も当然いて
私は2日目の公演(2日間開催)を配信で視聴した
個人的に違和感があったのはステージで実際にそのパフォーマンスがあったときよりも
その後のMCで出演者が「膝に乗ったくらいでどうにもなりませんから」みたいなことを言ったときだ
はっきり言って、こんなことをしたら嫌がる層が客にいることなんて考えるまでもないことだし、MCで触れたということはしっかり認識していたということだ
そして案の定、こんなことになっている
やる必要なかっただろ
というのが第一印象
ここで私は、この件に関しても運営が悪いと思った
ユニークな文章で、こういう感情が冷笑の対象になることはわかっているが、嫌なものは嫌、と素直に綴られていて意外と好感が持てた
そのなかで、ブログの筆者が自身に寄せられた非難というか反論というかをいくつか挙げていたのだが
その中で個人的に気になったのが「K-POPではよくあるやつなので、K-POP系譜のシーズ(問題のステージを披露したユニット)なら当然でしょ」みたいなコメントだ
じゃあなんすか……
シャニマスさんはクソ高いチケット代払ってわざわざ現地や配信観に来るような自分たちの顧客が嫌がるってわかりきったことを、どっかの流行りをマネしたいってだけでやって炎上してるっていいたいんですか
…………やるんだよなぁ~~~~~~~!!!!
そう、個人的にわざわざ筆を執って匿名投稿にいたったのはのは他でもない、この感情なのだ
最近のシャニマスは、熱心に追いかけても客の方をまるで見ていない、と感じてしまっていたところにこの件はぶっ刺さったのである
そんなことよりバズりたそう
『Y/M Love letter』が普段と違う層に触れられたこととか
『SOS』のバズが忘れられないのだろうか
もう一度TikTokでバズりたい感じがしてならない
最近のストーリーは、有名文系私立を卒業して、大企業だからで入社して、文学部卒だからで配属された人がネットで集めた知識で書いてるんかなっていうくらいのペラペラ感
ライブもそう。シャニマスのためのライブじゃなくて、ライブイベントを開催するためのシャニマス。
ステージ用意したんで踊ってくださいよ、コンセプトは後付けでくらいの適当さ。
今回のツアー全体もそう
コンテンツの売りとしてさんざんっぱら「実在性」だの「リアリティ」だのと主張していたにもかかわらず
急にツアー各公演は並行世界で、ファイナルでそれが統合されてみたいなこといいだして
なんかそういうファンタジーも好きな人があれこれ考えてるのを眺めてるけど、だとして、だからなんだったの
……と、色々溢れてしまいましたが
要するに顧客の方を向いていないと思ってる
私自身、6周年まではほとんど全部のライブで現地に足を運んでいたが
今年はもう嫌になって在宅でいいかと思っていたところにコレだったのである
本当にもう無理かも
俺はもう船を降りるよ
円環とか螺旋とか言ってるし、いっそ宇宙の彼方へいってくれれば、目の端に移って煩わしいこともなさそうでたすかる
「炎上」という言葉に引っかかっている様子の言及があり、「なるほど、ちょっと言葉が強いか」と思ったので関連する表現を修正しました
ただ、問題が社会的な規模としてどれくらい大きいかとかは増田はあまり気にしていません。この増田は表題どおり個人的なことなので、「普段はSNSでもライブの感想も目につかないけど、今回はこの件が自分のところまで土解く状況になっている」くらいでも、問題が生じているということに主眼をおいています。
ガチFランこそ文学部哲学科や国文科、心理学科、理学部数学科や物理学科など、知的好奇心を刺激する学科に特化した方がいい。どうせまともな就職なんか無いんだから。
世のFランはナントカビジネス学部とかウンタラコミュニケーション学部みたいなのばかりだが、馬鹿こそビシッと履歴書映えする漢字一文字学部だろ。
あと大学名も、○○国際大学とか□□学院大学とかやめろ。もうFランの代名詞だってみんな分かってる。ほとんどが単科大学だろうから、地名+文科or理科大学にしろ。都留文科大学とか(一文字学部じゃないけど)高崎経済大学みたいなイメージを狙うべき。
どうしてもリベラルアーツを売りにしたければ、地名+教養or学術大学がギリギリ許せるラインだろうか。
別に教育内容なんて、リメディアルとカタログ的一般教養、かいつまんで面白そうな部分を抽出しただけの分かったような気にさせる専門科目で構わない。
特に文系博士なんか有り余ってるわけだから、そこそこの給料でも質の良い講義をしてくれる人は集まるはず。
ターゲットは、まずはディレッタントぶってる高校生。偏差値40以下の高校にも全くいないわけではない。
でもこれだけじゃ稼げないだろうから、定年退職したジジババをかき集めまくる。年食っても抵抗なく入れる大学だという評判が広まれば、けっこう集まるんじゃないかな。
少なくとも、よく分からない留学生だらけの消えそうなFラン大学よりは雰囲気は良くなるだろうし、教える方の精神衛生も向上するはず。
ここでいう研究分野とは学部学科のもう一つ下の研究室レベルとする。例えば、法学部部政治学科や文学部史学科の下の「ラテンアメリカ政治史研究室」ぐらいのレベルを念頭におく。ラテンアメリカ政治史研究室は日本に幾つ必要か。
一つの考え方として、日本や世界における研究ニーズなどからの逆算があるだろう。ラテンアメリカといってもいくつもの国や時代があり、研究アプローチも社会学的なものかホニャホニャ学的なものかとか多分色々ある。それらを踏まえて、例えばいったん日本にはラテンアメリカ政治史研究室は10の大学にあればいいと仮置きする。各研究室には教授、准教授、専任講師が各一人と仮定する。つまり、ここで日本でラテンアメリカ政治史の常任のポストは上中下合わせて30人である。
ざっくり常任のポストを30歳で得て、30年間働くものとする。30のポストのそれぞれで30年間勤務する人がいるので、毎年一つのポストが空くことになる。実際は専任講師から始まって准教授教授となっていくが、一人当たりの3ポスト合計の在籍年数が30年である限りこの見立てで良いはずである。
さて、しかしながら、10個の研究室は毎年大学院生を教育してしまい、博士号取得者を輩出してしまう。各研究室から2年に1人博士号取得者が出るとする。全国で毎年5人である。しかし、ポストは毎年一つしか空かない。5人のうち幾人かはポストを諦め、一般就職をするなり、行方不明になるなどする。しかし3人で1ポストを争うことになる。
非常勤のポストを増やしても解決にはならない。非常勤のポストも有限であり、毎年常勤ポストにあぶれた博士号取得者が2人生産され続ける限り、一時的なバッファである非常勤ポストは早晩埋め尽くされてしまうからである。
これを解決するためには、常勤ポストを増やすとよい。日本に必要な研究室は10個で常勤の研究者は30人いれば十分なのだが、あらたに毎年研究者が生み出されてしまうからだ。しかしここで新たに常勤研究者を増やす場合には条件があり、それは、博士号取得者をこれ以上増やさないということである。博士号を取得するものが現状より増えてしまったら、追加でポストを増やした意味がない。
新しい常勤のポストは、優秀な学生を生み出さない大学に設ける新規の研究室に置くのがよい。この大学では毎年、近隣の高校からラテンアメリカ政治を学んでも良いと思って入学する何人かの生徒がいる。彼らを相手にしてゼミを開講するのだ。彼らは毎年、卒論と銘打ったものを出して満足して大学を概ね四年で巣立っていく。そうこうしているうちにゼミだけでは暇だろう、と教務課から声をかけられる。一二年を対象とした第二外国語のスペイン語を担当することになるだろう。入試の試験官や保護者説明会に駆り出されるだろう。この大学から新しい博士号取得者が出ないのは当初の予定通りだが、教員自身の教育と雑用に忙殺されて研究成果を生み出せなくなる。振り返って考えれば、彼は同学年でラテンアメリカを学んだもののうち、日本で2位もしくは3位の実力を持つものである。しかしこうするしかないのだ。