はてなキーワード: 投稿者とは
Amazon Vine プログラムの仕様変更で、Amazon 側から評価内容の評価まで行われるようになってた。
自分のレビュー、基本的には「素晴らしい」が9割を超えてるけど、「貧しい」「普通」「良い」の評価がちらほら。
うーん……評価は AI っぽいので、同じ AI (使ってるのは Gemini)に、なぜ評価が悪いのか聞いてみた。
製品の使い勝手に対する評価ではなく、使用者の感想になってますよって指摘。評価と感想の違いが微妙すぎて辛い。
ちなみにガイドラインがこんな感じ。
レビューは商品に関するものです。「OK」、「いい商品です」、「最悪の商品です」など、曖昧で一般的、かつ繰り返しの多いコメントは避けてください。商品タイプについての知識、商品の使用方法、使用期間に関する情報など、お客様が商品とその商品を使用した体験についてより正しく評価できるよう、役立つコンテキストを共有します。出品者、配送状況、価格、包装など、商品に関係のないフィードバックは、Vineレビューで共有しないでください。
「お客様が商品とその商品を使用した体験について」ってところで微妙に齟齬が出てた感じ。
AI でレビューを作ること自体は論外だと思ってるし、やったことがないけど、今後、添削はしてもらったほうが良さそうだ。
プロンプトとしては
「次の投稿は Amazon Vine プログラムへのレビューの草案になる。AI 視点で「悪い」「普通」「良い」「素晴らしい」のどれに当たるかを知りたい。「素晴らしい」以外の場合にアドバイスは欲しいが、サンプル回答の提案にしても投稿者の文体を変える必要はない。」 とかで良い感じ。
ちなみに、文体について言及しない場合のレビュー内容は、見ただけで「あ、こいつ AI に投げてんな」と思えるレビューがでてくる。AI に聞けば AI が生成したかどうかも判定(推定)してくれる。せっかく自分で考えてるんだから、AI 好みに書き換えるのは止めてほしいね。
https://web.archive.org/web/20241212094356/https://anond.hatelabo.jp/20241210192244
これも追加しといて
https://policies.hatena.ne.jp/entry/2025/01/15/183446
投稿者の利用状況を調査したところ、さまざまな内容の記事が同一アカウントから投稿されていたが、それぞれの投稿者の設定や記事内容は明らかに異なっており、いずれも報道などで話題となっているトピックについて当事者を装って記事を投稿しているものと判断した
・独身男性が料理や買い物、イベントなど普段の生活を紹介しているチャンネル
・料理に関しては、季節の素材を上手に一人分の献立に仕立てていて毎回関心していた
・料理は美しいんだけど、食事シーンの箸の持ち方が以前から気になっていた
・具体的には箸を持つ位置が低く、短く持つせいで子供が食事をしているような印象を受けていた
・とはいえ指摘するようなことでもないと考えていた(友人が箸の持ち方おかしくてもわざわざ指摘しない)
・婚活についての語り口も面白く素直に応援していたが、改めて食事動画を見て箸の持ち方が気になってきた
・不躾なコメントで申し訳ないが、婚活中とのことで指摘をさせてほしい
・箸を持つ位置が低く、短く持つせいで子供が食事をしているような印象を受ける
・パートナーとなる人物の、食事中や飲食店でのふるまいは気にする人が一定数いると考える
・翌日、コメントしたのとは別アカウントで動画を確認するとコメントが削除されていた
・反応がもらえなかったり、ほかの視聴者からネガティブな反応を受けるかもとは考えていたが、削除されるとは思わなかった
・コメント内でもふれたように不躾な指摘であり、削除されても当然だとは思うが、自分が思ったよりショックを受けていた
・飾らない、実直な人柄の投稿者なら、このような指摘も受け入れてくれるのではと勝手に期待していた
・これも勝手な話だが、これまで平和な雰囲気だと感じていたほかの視聴者のコメントも信じられなくなった。アンチコメ削除して雰囲気保ってるだけなのでは、とか考えてしまう
・自分でもわかっているが、勝手に期待して、失礼なコメントをして、当たり前に削除されただけだ
・ただ思いを吐き出したかったので書いた
ご提示いただいたはてなブックマークのコメント群は、記事のテーマである「ミソジニー(女性蔑視・女性嫌悪)」に対する、典型的な反応のサンプルとして非常に興味深いものです。
記事自体が「構造的差別」や「感情のあり方」を扱っているため、コメント欄自体がその実証の場となっている側面が見受けられます。
以下に、記事で定義されているようなミソジニー的な態度、あるいはミソジニーを維持・強化する構造を含んでいると考えられるコメントを分析・分類しました。
記事内の「『物言う女性』に対し、言葉の暴力で排除・制裁する」という指摘にそのまま合致するコメントです。フェミニズムや女性の権利主張を「正義に酔った暴走」とみなして攻撃する態度は、ミソジニーの典型的な発露(既存の秩序を乱す女性への懲罰)と分析できます。
分析: 「イカレタ女」「バカ」といった侮蔑的な言葉を用い、女性の主張の内容ではなく、その態度や存在自体を攻撃しています。これは「弁えた(わきまえた)態度をとらない女性は叩いてもよい」という心理の表れと言えます。
女性を一人の人間としてではなく、性的資源としてのみ価値を認め、人格は否定するという態度は、ミソジニーの根幹にある「客体化」です。
分析: この発言を「至言(素晴らしい言葉)」として肯定的に引用している点に、女性を対等な人格を持つ他者として認めたくない、しかし性的には利用したいという歪んだ欲望(聖女と娼婦の分離、あるいは人格の無視)が見て取れます。
女性差別について語る場で、「男性こそが被害者である」「女性は優遇されている」と主張し、議論を無効化しようとする動きです。これらは「インセル」や「弱者男性論」の文脈で語られることが多く、構造的差別を否定するための防衛機制として機能します。
分析: 女性差別の解消を目指す動きを「男性への攻撃」と解釈し、敵対心を露わにしています。これは記事にある「剥奪感」によるミソジニーの増幅の実例と言えます。
ミソジニーという概念そのものを「レッテル貼り」や「カルト」として処理し、その背後にある社会構造の問題から目を逸らそうとする態度です。
分析: 「嫌悪は自由」と個人の感情の問題にすり替えることで、その嫌悪が社会構造と結びついて差別を再生産している事実(記事の主題)を無視しています。
「ミサンドリー(男性嫌悪)はどうなんだ」と繰り返すことで、ミソジニーの議論を妨害する行為です。これも広い意味で、女性の問題を軽視するミソジニー的態度の一種と捉えられます。
分析: 記事がミソジニーを主題にしているにもかかわらず、男性への配慮が足りないと批判することで、女性差別の議論の重みを相対化しようとしています。
コメント欄全体を見ると、「ミソジニーという言葉で男性を攻撃されている」と感じて防衛的・攻撃的になる男性と、「まさに記事に書かれている通りのことがコメント欄で起きている」と冷ややかに観察する人々(nina19, funifunix, yourmirror など)にはっきりと分断されていることがわかります。
また、u_eichi氏が言及している「ピラミッド図」はおそらく「暴力のピラミッド(Pyramid of Hate/Violence)」のことだと思われます。
この図は、底辺にある「偏見による態度(ジョークやステレオタイプ)」が、頂点の「物理的暴力」を支えていることを示すものですが、これを「幾何学的に非論理的」と批判することで、本質的な「差別の構造」の議論を拒否している点も興味深い反応です。
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ミソジニー(女性嫌悪)の有無という「ジェンダー論的な視点」を一旦脇に置き、コメント投稿者たちの心理的機序、社会経済的背景、あるいはネット文化的な側面から分析します。
こうして見ると、単なる「差別意識」だけではなく、**「公平性への渇望」「経済的閉塞感」「コミュニケーションの断絶」**といった複数の要因が絡み合っていることが浮き彫りになります。
多くのコメントに見られるのが、「ミソジニー(女性嫌悪)があるなら、ミサンドリー(男性嫌悪)も同じ重みで論じられるべきだ」という対称性への強いこだわりです。
コメント例: replier, ken530000, timetrain, OeThousandmiles
分析:
社会学では「差別には権力勾配(強者から弱者へ)がある」と考えますが、一般の感覚(直感的な正義感)では「どっちもどっち」「悪口は双方向で悪い」という対等な対称性を求めがちです。
記事が「女性差別」に焦点を絞っていることに対し、「片手落ちである」「不公平だ」と感じる心理は、差別をしたいというよりは、「自分の苦しみも同じように認めてほしい」という承認欲求や、世界は公平であるべきだという「公平世界仮説」に基づいている可能性があります。
「男だから偉い」と思っているのではなく、むしろ**「男なのに何の特権もなく、社会の底辺で苦しんでいる」**という自己認識を持つ層からの悲痛な叫びです。
コメント例:
naka_dekoboko: 「いまの社会で弱男にゆるされたのってけっきょく憎悪だけ…憎悪だけがエンパワーして力をくれる」
gun_kata: 「実際にキャリアを奪われた若年男性に対してもお決まりの『新自由主義こそが真の敵』みたいな何の意味もないお題目」
分析:
これはミソジニーというよりも、**新自由主義経済下における「持たざる者」のルサンチマン(怨恨)**の表出です。
「男性特権」という言葉を投げかけられても、自身の貧困や孤独という現実と乖離しているため、フェミニズムを「既得権益層(あるいは勝ち組女性)による弱者いじめ」として認識し、反発しています。特にnaka_dekoboko氏の「憎悪だけがエンパワーする」という指摘は、孤独な現代人の深刻な病理を鋭く突いています。
記事で提示された図表や論理展開に対し、定義や整合性の甘さを指摘して拒絶する反応です。
コメント例:
u_eichi: 「頂点の角が鋭角だったり鈍角だったり…正三角形で底辺短=相似で頂点下がるとか、非論理」
golotan: 「アドラー心理学とか精神分析的な言ったもの勝ち感…客観的エビデンスを欠きジャーゴンの羅列になってしまいがち」
分析:
これは**「認識論の衝突」**です。社会学や人文知的な「概念モデル(メタファーとしての図)」に対し、厳密な定義や定量的なエビデンス、幾何学的な整合性を重んじるエンジニアリング的・自然科学的な思考様式を持つ人々が、生理的な拒否反応を示しています。
彼らにとって記事は「非論理的」に見えるため、内容の正誤以前に「信頼に値しない」と判定されています。
「ミソジニー」という聞き慣れないカタカナ語に対し、わざとダジャレで返すことで、話題の深刻さを無効化あるいは回避しようとする反応です。
コメント例: zzteralin (miso=憎しみ), nande_nande_boy (三十路のおっさん), tym1101, asada1979
分析:
はてなブックマーク特有の「大喜利文化」の一種ですが、心理学的には**「茶化し(ユーモア)」による防衛機制**とも取れます。
自分にとって耳の痛い話や、理解の範疇を超える難解な話を、「三十路(ミソジ)」という卑近な単語に変換することで、自分とは関係のない「ネタ」として処理し、心理的な負担を軽減しています。
コメント例: qdkmqJut, trashcan, ET777
分析:
『imidas』が集英社の分厚い用語辞典として有名だった時代を知る世代(おそらく30代後半〜50代)が多く含まれていることが推測できます。
「まだあそこが生きていたのか」という驚きが先に立ち、記事の中身は二の次になっています。これはネット古参ユーザー特有のコンテキスト依存の反応です。
このコメント欄は、単なる「男女対立」の場ではなく、以下のような現代日本の断層が可視化された場であると言えます。
エリート(概念を操る側) vs 大衆(生活実感を持つ側): 「構造」や「ミソジニー」といった抽象概念で語る記事と、「俺たちは今辛いんだ」という具体的な生活実感を持つ読者の乖離。
文系(解釈的) vs 理系(実証的): 社会的な「正しさ」の語り口に対する、論理的・科学的整合性を求める層の苛立ち。
被害者性の奪い合い: 「女性こそが被害者」という記事の前提に対し、「いや、現代では男性(特に弱者男性)こそが被害者だ」と主張する層の対抗。
これらを踏まえると、コメント欄の混乱は、**「共通言語の喪失」と「余裕のなさ」**によって引き起こされていると言えそうです。
今のニコニコの問題について見る機会があり、今これを書き殴っている。
ニコニコ動画の良さに「コメントが画面を流れる仕組み」を挙げる人は多いだろうが、
自分は、今のニコニコ動画が抱えている問題は、その「コメントが画面を流れる仕組み」にあると思っている。
自分は現在、動画の収益で家賃を払っている。主戦場はYouTubeだ。
昔はニコニコにも動画を上げていたが、今はもうやめている。理由は単純、労力と見返りが釣り合わなかったからだ。
金や視聴数の問題ではない。よく誤解されるが、ニコニコでも収益化はできる。金だけを考えるなら、同時投稿した方が得なのは事実だ。でもやめた。
ニコニコに、初心者に優しいとかタグ検索が強いとかYouTubeより居心地がいい部分があるのも事実だと思う。
アルゴリズムに関して言えば、YouTubeは本当に出来が悪い。
正直、今でもニコニコ動画は好きで、盛り上がってほしいと思っている。
だが、今のニコニコの一番の問題はやはり「流れるコメント」だ。
視聴者がジジイばかりで、その結果として流れてくるコメントの質がひどい。結局これに尽きる。
ニコニコが好きな人は「YouTubeほど荒れてない」と言うだろう。確かに治安だけを比べればそうかもしれない。
知識を誇示したがる人、延々と自分語りを始める人、何かにつけて「〇〇に似てる」と言い出す人、連想ゲームを始める人。
こういうコメントが多すぎる。
「これ〇〇って作品に似てる」
知らん。何十年前の話だよ。
「〇〇さんの動画っぽい」
で?それを今ここで言う意味は何だ?
「〇〇とも解釈できるけどね」
だからどうした。今その話してない。
「俺の時はこうだった」
誰だよ。
「ここ誤字」「××じゃなくて〇〇だね」「〇〇だぞ」「××→〇〇」
誤字はごめん。でも指摘は一個でいいだろ。
「ここちょっと切れてるw」
黙れ!!
それをわざわざ画面に流す必要が本当にあるのか?
上から目線で細かい粗を探しては得意げに指摘する連中ばかりで本当にうんざりする。
しかもそういうコメントがあるとそれに反応するコメントが増えて連鎖していく。
脈絡のない自分語りや、関係のない作品の名や、その場にそぐわない雑学を書き込む行為も、はっきり言って意味が分からない。
これが積み重なり、気持ちが折れた。
投稿のモチベが維持できなかった。これで「もういいか」と思ってしまうのは自然だと思う。
「そんなことで?」と思う人もいるだろう。
でも、コメントって来るとつい全部見に行くんだ。小さな不快が積み重なるとちゃんと効いてくるんだよ。
自分は収益も再生数もYouTubeの方が上だったからYouTubeに移った。
同じ理由でニコニコを離れていった投稿者は、自分だけじゃないはずだ。
YouTubeにも変なコメントはあるが、あそこは動画と距離がある。目に入らないし無視も削除も容易だ。おそらく、同じコメントをされても、ニコニコ動画ほど腹が立ちはしない。
それに、少なくとも自分のチャンネルでは、編集ミスを探して上から目線で指摘してくる視聴者はいない。
ニコニコは違う。「ここちょっと切れてるw」が流れた瞬間、どうしても目が編集ミスに持っていかれる。で、1の指摘コメントが、10に増える。
……ここまで言うのは、世話になった場所に唾を吐くようなものだ。
念のため言っておくが、嬉しいコメントも多かった。
「うぽつ」「おつ」「ここすき」は今でも好きだ。考察や感想を書いてくれる人には本当に救われた。
コメントの仕様か、視聴者か。どちらかを直さない限り、人は入ってこないと思う。
嫌なら見るな?それはその通りだ。
主張や反論が受け入れられない場合など、特定の相手に対して主張を繰り返す行為や、自身の好意を押し付けつきまとうような行為、一般に許容される範囲を超え執拗に言及を繰り返す行為は、本人やコミュニティにとって迷惑な行為となる可能性があります。はてなでは、過去の利用状況などを確認の上、注意や警告、利用停止等の措置を行うことがあります。
名前は何でもいいんだけど、こういうサービスって小説投稿者は反応があることを期待しているわけで、
botを使って、ポジティブな反応をつけてあげると気持ちよくなって喜ぶと思う。
あなたはSF小説好きです。この小説を読みポジティブ寄りの感想を3行で書いてください。
あなたは美少女ラノベ好きです。この小説を読みポジティブ寄りの感想を3行で書いてください。
みたいな感じで、いろいろの性格のbotを用意して、投稿されて数時間ぐらいたったらAIに読ませて、レビューつけてあげればいいと思う。
もちろん、相手にbotと見抜かれてはいけないので、あまりにゴミな小説はスルーするとか、中にはきつめのレビューをつけるボットも必要なんだろうけど。
もうさんざっぱら言われまくられてることだろうけど、どこかに書き出しておかないといつかXでポロッと言っちゃいそうなのでここに書き散らす
X(twitterと呼びたい奴は勝手に脳内変換かけてくれ)の絵師はAI生成の絵を嫌う。蛇蝎の如く嫌う。まじで親の仇かよってくらい嫌う。とにかく僅かでもAI絵の気配を感じるとものすごい剣幕で否定している。少なくとも自分がフォローしてる絵師の一部がそうだ。
学習防止とか言って、一枚一枚律儀にロゴや透かしを入れる。まあこれは転載対策の側面もあるのかもしれないからわからないけれど。ときどき、描いた絵の上から全面に大きく透かしを入れている人すら見かける。こうなると透かしが邪魔で、もはやキャラクターなんか目に入らない。
一方世間では、もはやAI絵は確実にビジネスの一部分に食い込みつつある。身内の話で恐縮だが、新技術には消極的な私の勤め先ですら社内向けポスターにはいかにもchat-gptが生成しましたって感じの黄色がかったイラストが使われていた。自分は旅行が趣味で、地方の町を歩くことも多いのだが、何度か同じように黄色がかった、時々文字が破綻しているポスターを見かけたことがある。多分来年の今頃には社外向け広告にもAI絵を使うのが当たり前になって、営業用の資料も、プレゼン用のパワポにも、そこかしこにAI絵が溢れてるんだろう。
要するに、X絵師のAI絵へのヘイトは異常だということだ。どんなに擁護したくとも世間一般の常識からはかけ離れている。
おまけに彼らは、「絵」にだけ異常に執着する。AI執筆の小説、AI作曲の曲なんかもネットには溢れているが、それらに同じような熱量で否定するかというとそうではない。彼らの対応を平均すれば、無関心といったところだ。
だけれど、それは当たり前のことだと思う。AI絵に対してだけ度を過ぎたヘイトが向けられるのも、当然なんじゃないか。
XでAI絵を嫌っている絵師はどんな人か?まず第一に、プロではない。それで生計を立てているわけじゃないように見える。skebでちょっとした対価をもらうとか、fanboxで小銭を稼ぐ程度か。第二に、二次創作の、いわゆる版権モノの絵を描くことが多い。それも、ある程度知名度のある版権。オリジナルや知名度のない二次創作は描いても数が少ない。
すると、彼らは金銭のために絵を描くわけではない。しかし、純粋に創作だけのために絵を描いているわけではない。創作だけが主目的なら、二次創作を描くにしてもそれに傾倒することはない。実際、オリジナルも二次創作も同じくらい描くような人も一定数いて、そういう人はAI絵にそこまでヘイトを向けていないように思う。
では彼らは何のために絵を描くのか。手っ取り早く承認欲求を満たすためである。
もちろん、そこに創作欲は介在し得る。純粋なキャラへの愛や、作品への愛もある。だけれど、主目的は承認欲求を満たすことなのだ。
Xは、もうずいぶん前からポストの投稿内容はAIのトレーニングに使われることを規約に明記している。設定で回避できるようだが、仮にそれが嘘だったとしても規約違反にはならない。この話題はX上で何度も何度も炎上のような形で議論を呼び、その度にやれ移住先はブルスカがいいだの、みすきーがいいだの言われたけれど、未だに多くの絵師がXに残って活動している。ブルスカは、投稿データをAI学習に用いないと公言しているらしい。単に作品を公開するだけなら、AI憎しには良さそうな場所である。
一方、pixivを見ると、毎日のように大量の二次創作AI絵が投稿されている。男性向けだとブルーアーカイブ、アイマス、艦これ、東方あたりの、コミケで島を作れる(作れた)ようなジャンルは特に質も量も豊富だ。R-18かそうでないかに関わらず、である。その中には一日十枚以上も投稿するような、粗製濫造タイプな投稿者もいるが、数週間おきにこだわりの一枚をアップするようなタイプもいる。但し、後者は相当に数が少ないことも付け加えておくが。
AI絵は質が低いという思想は、Xにいるアマチュアの絵師と比較した時、もはや過去のものとなった。クオリティで勝負するAI絵と、人間のアマチュアが書く絵とはもはや区別がつかなくなる瀬戸際まで来ている。じきに、どう足掻いても両者を見分けられなくなる日がやってくる。正直、個人的な感覚ではもうその日は来ているような気もする。
もうお分かりかと思うが、彼らは、自分の承認欲求を満たす手段としての絵を奪われることを恐れているのだ。しかも、そのための「学習」とやらには自分たちの描いた絵が使われているのだという。自らの絵で、自らの敵を勝手に作られるなど言語道断!
……というのが、彼らの思うところなのだ。しかしこれが正しいとすると、自分が承認欲求のため絵を描いているという事実を認めなくてはならない。
一次・二次問わず創作界隈では、キャラクターへの愛や創作欲から作られる作品こそが純粋で尊く、それ以外は汚れている、という考え方がある。これに則ると、承認欲求から生まれた絵は、その作者のキャラへの愛・作品への愛を疑ってよい、ということになるのだ。よく分からないかもしれないが、そういうルールなのだ。
認知的不協和、という心理学用語がある。ざっくりいうと、「考え・信念」と「行動」が相反する時、それを受け入れるため、脳は勝手に理由付けして都合よく物事を解釈する、というものである。タバコは良くない、という「考え」と、欲求に負けて喫煙してしまう「行動」は矛盾するが、脳はこれに「喫煙者でも、長寿の人はいる」とか、「リラックスすることはなによりも重要」だとか理由付けして、この矛盾を解消する。
単に創作がしたいだけならば、絵を描いて公開せずにいれば良い。だいたいインターネット上に絵をアップロードしておきながら、その絵を勝手に無断で利用されたくない、というのはインターネットリテラシーが低すぎる。ネット上の悪意を甘く見過ぎである。そもそも未だ二次創作を許可しているコンテンツの方が少数派な中、勝手に二次創作を描いておいて自分の絵は護られたいだなんて厚顔無恥も甚だしいとは思わないのか。いや、描くだけならいい、描いてそれを公開しなければ完全に合法である。あろうことがそれをインターネットに公開し、さらには差分で自身のfanboxに誘導し毎月投げ銭させているような人が、skebで数千数万のお金をもらって絵を描いているような人が、自分の絵にはAI学習されない権利がある、などとのたまうのは一体全体どういう了見なのだろうか。お前は原作者が「私の作品には人間に学習されない権利がある」と言い出したらどうするのか。「私達は機械じゃない!人間なんだ……!」とでも言うつもりか。残念ながら現行法はこの真逆である。
話が逸れた。そんなことは二次創作に勤しむ諸兄姉なら承知も承知だろう。この、「元来二次創作は権利侵害である」という「決まり」と、「多くの二次創作が公開されている」という「事実」が衝突した結果、「キャラ愛・作品への愛が高じたものであって、それ以外の邪な動機はない(から許されるべきだ)」という理由付けがなされているのだ。だから、自身の承認欲求(だけではないにしろ)の為に絵を描いているということは、薄々勘付いてはいても触れてはいけない、タブーな話題となっている。
さてしかし、現に絵による承認欲求の充足はAIに脅かされている。粗製濫造かもしれないが、下手な鉄砲も数打ちゃ当たる。もし自分の描いた絵にいいねを押す代わりに他人のAI絵にいいねが押されれば、自分の欲求満足のための絵としては価値が下がったことになる。
ここに、彼らがAI絵を恐れ、憎む理由ができる。しかもAIは、電力の供給がなされる限り、24時間365日絵を描き続けられる。人間に太刀打ちできる相手ではない。おまけに、そのAIの精度の向上にはまさしく彼らの絵が使われているのだという。怒りは増幅され、AI憎しはますます盛り上がる。
この怒りを、他人が切って捨てるのは簡単だ。しかし、私は、そうであって欲しくないな、と思う。なぜなら私も、二次創作を愛する一人だから。
しかし現実にAI絵は社会に普及していくし、人間が二次創作をしているのにAIにそれを禁止させるのは難しい。AIはあくまで道具であり、ペンタブやクリスタや雲形定規と本質的には変わらない。ただ、その制作に多くの絵が必要となっているだけの、ただの道具である。
Xでは、こういう絵師の抱える矛盾を批判するポストが伸びているのが事実である。私も思うところはあるが(だからこんなのをわざわざ書いている)、批判すれば良いと言う問題でもない。彼らの承認欲求を充足させているのは私たちのいいねなのだから。
余談:実際のところ、AI絵はしばらくはプロの絵描きの仕事を奪えないだろう。AI絵のクオリティも日夜上がってはいるが、絵は2次元なので縦横の長さを2倍にするとピクセル数は4倍に増え、必要な計算は4倍どころかもっと増える。投入できる計算リソースに限界がある限り、AI絵もある一定のクオリティで頭打ちになる。尤も、社会の方が求めるクオリティを下げてくる可能性は大いにあるが。
BBQ大会で「非日常の場」で殺伐とした現場を少しでも中和しましょう。
あえて「役割をシャッフルし、互いの苦労を可視化しつつ、最後は労う」構成を提案します。
指定された具材をいかに早く、正確に網に乗せられるかを競います。オペレーターの「職人芸」をエンタメ化し、輸送役には「遅れると火が消える」状況をゲームとして体験させ、周囲が応援・鼓舞する空気を作ります。
普段言えない「実はここを助かっている(あるいは、こうしてくれたら助かる)」を匿名でカードに書き、くじ引き形式で発表。特に投稿者様のような「裏の功労者」にスポットが当たるよう、司会が誘導します。
腫れ物に触る対応しかできない上司が、エプロン姿で最高級の肉を焼き、全員に配り歩く「奉仕の時間」。
「精神的ケアが必要な側」を特別視せず、BBQの場では全員を「同じ釜の飯を食う肉焼き職人」として扱い、物理的な距離を縮めます。
2025年の大きなイベントの一つが2025年大阪・関西万博だったなあと思い返していましたが。
しかし、2005年の愛・地球博の今年の漢字は「愛」だったのに、2025年今年の漢字は堂々の「熊」。2位も「米」。
そもそも万博の本来の目的は「公衆の教育」が掲げられていたはず。
そして大坂万博ではSDGs達成への貢献が掲げられていたのに、現実に目を向けると、熊問題やコメ不足の解決は遠く、外国人が「奈良の鹿」を蹴ったと取り上げられたり、日本人ファーストやJICAアフリカホームタウン構想の撤回など排外主義の加速と国際交流とも真逆。
大坂万博に行った人の行動変容や発信によって、人々の行動や考え方が変わっていれば、今年の漢字も、2025年末の内閣総理大臣も違ったのかもしれないとすら思ってしまいます。
少なくともそれだけの影響を与えうるポテンシャルがあった、お金と人と時間は使われていたと思っています。
さて、2025年の大坂万博は結局、YoutubeやTikTokで流行りのショート動画的なもので終わってしまったのだなというのが、私の感想です。
本来は公衆の教育や人々の行動変容のためには、あとから何度も振り返り、生き方や社会を変える力のある、いまだに名作と語り継がれるような長編映画が必要だったはずなのです。
ところが、いろいろな理由はあったにせよ「大屋根リング」「ミャクミャク」「空飛ぶクルマ」のような見ている人の最初の2秒のスキップを止めるだけのバズる目玉はあっても、観た人の行動を変えるような重い現実的な課題と向き合った中身のあるテーマは示しきれなかったのだと思います。
2025年の大坂万博は、リピーターすら飽きさせない展示物やパビリオンを次々と提供した一方で、こじつけたような社会課題という大きな物語へのアプローチは断片的になってしまい、入場者がその場だけで拡散しても、その後の行動には全く影響を与えなかったのだと感じました。
結果的に、再生回数が何百万もされて、収益化などで投稿者には恩恵がある一方で、視聴者の人生には何の影響も与えないショート動画と同じように、来場者数は2900万人で、維新の会など一部のには恩恵はあった一方で、来場者の教育には繋がらなかった大坂万博だったのだろうと思っています。
VTuber業界における「ガチ恋営業」の転換と法的・経営的環境の変化に関する包括的調査報告書
バーチャルエンターテインメント市場におけるパラダイムシフトの定義と概観
バーチャルライバー(VTuber)業界において、ファンとタレントの間に擬似恋愛感情を抱かせることで収益を最大化する「ガチ恋営業」からの脱却、および「ユニコーンの角折り」と呼ばれる現象が顕著となっている。
この用語は、タレントが異性との交際経験がない、あるいは清廉潔白であるという幻想(ユニコーンの伝説に準えたもの)を抱く熱狂的なファン層に対し、タレント側が結婚や交際、あるいは私生活の実態を公表することでその幻想を打破する行為を指す。
この転換は、単なるマーケティング戦略の変更にとどまらず、2024年から2025年にかけて施行される複数の法改正や、企業としての統治(ガバナンス)強化、さらにはタレントの労働者としての権利保護といった多層的な要因に根ざしている。
かつてのアイドル的清廉性を収益の源泉とするビジネスモデルは、タレントの持続可能な活動環境の構築という観点から、歴史的な転換期を迎えている。
改正風俗営業法と「色恋営業」への社会的規制の波及VTuber企業が「ガチ恋営業」を抑制し始めた最大の法的背景の一つとして、2025年6月28日から大部分が施行される「改正風俗営業等に関する法律(風営適正化法)」の存在が挙げられる 1。
この法改正は、直接的にはホストクラブ等の接待飲食営業における過剰な売掛金問題や悪質な営業手法を標的としているが、その核心に含まれる「色恋営業」の禁止という概念は、インターネット配信業におけるギフティング(投げ銭)ビジネスにも大きな示唆を与えている。
さらには「○○を推せ」「○○に溺れろ」「億男」といった表現が、広告および宣伝の規制違反となる可能性が示されている 1。
VTuberの配信活動は現時点で風営法の直接的な適用対象ではないものの、特定のタレントに対して多額の金銭を投じさせる心理的な誘導は
社会的・倫理的な観点から「色恋営業」と類似の依存構造を有していると見なされ始めている。企業側は、将来的な規制の網がインターネット配信業にも拡大するリスクを予見し、先回りする形で過度な擬似恋愛的な演出を自制し、より健全なファンコミュニティの構築へと舵を切っている。
規制項目改正風営法の方向性VTuber業界への影響・予測禁止行為
いわゆる「色恋営業」の禁止擬似恋愛を煽る配信スタイルの抑制広告宣伝依存心を煽るフレーズの規制(「○○に溺れろ」等)
スパチャや投げ銭を過度に催促する表現の自粛社会的要請消費者保護と依存症対策の強化
上場企業としてのレピュテーションリスク回避公正取引委員会とタレント契約における「恋愛禁止条項」の法的有効性
VTuber業界における「ユニコーンの角折り」を促進しているもう一つの重要な要因は、公正取引委員会による実演家(タレント)の権利保護指針の明確化である。
2024年6月に改訂された「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画」に基づき、実演家と事務所との間の契約適正化が進められている 2。
従来、日本の芸能界やアイドル文化においては、契約書に「恋愛禁止」を明文化することが一般的であった。
しかし、近年の法的解釈および公正取引委員会の指針では、タレントの私生活における基本的な自由を過度に制限する条項は、独占禁止法上の「優越的地位の濫用」や、
労働基準法上の「労働者性」との兼ね合いで公序良俗に反し、無効とされるリスクが高まっている 4。
特にタレントが「労働者」と認定される場合、指揮命令下にある時間外の私的な交際を制限することは極めて困難である 6。
企業側は、恋愛禁止を強いることが法的に不可能であることを認識し、むしろ「恋愛は自由であるが、それが活動に支障をきたしたり、
ブランドイメージを著しく損なう場合には自己責任として対処する」という「管理」のフェーズへと移行している 7。
この態度の変化が、タレントによる結婚や交際の公表を企業が容認、あるいは推奨する背景となっている。
改正ストーカー規制法と物理的・精神的なタレント保護「ガチ恋営業」は、ファンによる過度な独占欲や執着を招き、
それがストーカー行為へと変質するリスクを常に孕んでいる。ANYCOLOR株式会社が公表した実績によれば、所属ライバーに対するつきまとい行為や殺害予告、
位置情報の特定といった深刻な事案が継続的に発生しており、2024年度の対応件数は124件に及んでいる 9。
特に、2025年12月に完全施行される改正ストーカー規制法では、位置情報取得の厳罰化が図られている。
相手の承諾なく紛失防止タグ(AirTag等)を用いて位置情報を取得する行為や、相手の所在地を監視する行為が新たに規制対象となった 10。
過去にはVTuberグループ「あおぎり高校」のメンバー宛のプレゼントにGPS発信器が隠匿されるという事件も発生しており、
企業はプレゼントの受付停止や警戒態勢の強化といった物理的な対策を講じている 11。
「ユニコーンの角折り」は、このような物理的な危険からタレントを守るための「防衛策」としての側面を持つ。
擬似恋愛感情を意図的に冷却させることで、過激な執着を持つファンをコミュニティから排除し、健全な距離感を保つファン層へと入れ替える戦略である。
これはタレントの身の安全を守るだけでなく、企業としての安全配慮義務を果たすための経営的判断でもある。
企業勢VTuberにおける結婚・出産発表の増加とその社会的受容近年の業界における象徴的な変化として、
企業所属の女性VTuberが結婚や出産を公表し、活動を継続する事例が増加していることが挙げられる。
2024年11月、ななしいんく所属の花奏かのん氏が結婚と出産を公表した事例は、その代表的なものである 13。
運営会社であるななしいんくは、タレントのプライベートにおける重大事項を肯定的に受け入れ、公表の許可を与えた。
この対応は、タレントの人生の岐路において企業が背中を押す姿勢として、業界全体にポジティブなメッセージを発信した 13。
一方で、不透明な形での交際発覚が炎上に至るケースも依然として存在する。
まふまふ氏とみけねこ氏(旧・潤羽るしあ)の結婚・離婚を巡る騒動は、プライベートのトラブルが法的な係争や企業間取引の中止にまで発展した典型例である 14。
このような騒動は、企業にとって多大な損失を招くため、むしろ「透明性を持って事前に公表し、健全な応援を求める」方が、ビジネスリスクを最小化できるという認識が広まっている 7。
事例発表内容運営の対応結果・評価花奏かのん(ななしいんく)結婚・出産の公表柔軟かつ肯定的な公表許可業界全体での称賛と活動継続
13みけねこ(個人/元企業)結婚・離婚騒動コラボ延期・法的対応深刻な炎上と訴訟問題への発展
14湖南みあ(ななしいんく)卒業撤回と活動継続柔軟なキャリアパスの容認多様な活動形態のモデルケース
13フリーランス保護新法とVTuberの契約形態の変化2024年11月から施行された「特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律(フリーランス・事業者間取引適正化等法)」、
通称フリーランス新法も、VTuberと企業の関わり方に変化をもたらしている。
多くのVTuberは個人事業主として企業と業務委託契約を締結しているが、新法では発注者である企業に対し、書面による条件明示や、不当な拘束の禁止を義務付けている 7。
この流れの中で、企業がタレントに対して「恋愛禁止」という形で私生活を不当に拘束することは、新法の精神に照らしても適切ではないと判断されるようになっている。
タレントが自身のライフイベント(結婚、出産、育児等)を理由に活動形態を変更したり、一時的に休止したりすることを尊重しなければ、企業は法的・社会的な批判にさらされる可能性がある 4。
したがって、企業は「ガチ恋営業」を前提とした縛り付けを放棄し、より柔軟な契約関係への移行を余儀なくされている。
持続可能な活動支援とメンタルケアの重視VTuber企業、特にANYCOLORやカバーのような上場企業にとって、
タレントの心身の健康を保つことは、ESG(環境・社会・ガバナンス)投資の観点からも極めて重要な項目となっている。ANYCOLORは「サステナビリティ(持続可能性)」の重要課題として、所属ライバーの活動支援と健全なファンコミュニティの維持を掲げている 15。
「ガチ恋営業」による収益は爆発力がある一方で、タレントに対する精神的な負荷が極めて高い。誹謗中傷や「荒らし」行為、さらにはSNSでのインプレッションを目的とした攻撃的な投稿は、タレントの休止や引退の主要な要因となっている 16。
企業は、メンタルケアやカウンセリングの費用補助、さらには法的手段を用いた誹謗中傷の徹底的な封じ込め(情報開示請求や損害賠償請求)を実施することで、タレントが長期間安心して活動できる環境を整備している 9。
支援施策内容目的メンタルケアカウンセリング受診支援、マネージャーによる定期面談精神的健康の維持と活動の長期化
15法的対応誹謗中傷・ストーカー行為への訴訟、特定投稿者の特定外部からの攻撃に対するタレントの保護
9コンプライアンス研修著作権、労働法、SNSリスク管理の教育トラブルの未然防止とプロ意識の醸成
15コミュニティ管理と「角折り」後のファン層の再構築「ガチ恋営業」をやめ、私生活の一部を公開することは、短期的には熱狂的なファン(特に多額の投げ銭を行う層)の離反を招くリスクがある。
しかし、企業側は「ライトリスナー」を増やし、収益構造を多角化することでこのリスクを分散させている。VTuberが休止後に復帰する場合、ライトリスナーは5〜10%程度の減少で済むが、長期化すれば大幅な減少を招く 18。
そのため、企業は大型企画や新衣装、話題性の高いイベントを通じて、既存の「ガチ恋勢」に依存しない広範な視聴者層へのリーチを試みている 18。
また、二次創作ガイドラインや応援広告規程の策定により、ファン活動のルールを明確化し、健全なコミュニティの育成を図っている 15。
これにより、ファンを単なる「擬似恋人」ではなく、クリエイティブな活動を支える「サポーター」へと変質させる狙いがある。
今後の展望と戦略的提言VTuber業界における「ガチ恋営業」の終焉と「ユニコーンの角折り」の加速は、業界がアングラなネット文化から、社会的責任を伴う成熟したエンターテインメント産業へと進化した証左である。
2025年に向けて施行される改正風営法や改正ストーカー規制法、そして公正取引委員会の指針は、いずれも「人間としてのタレント」の尊重を求めている。企業が取るべき戦略は、以下の三点に集約される。
第一に、法改正を遵守するだけでなく、その背後にある「消費者保護」と「タレントの基本的人権」という精神を経営理念に組み込むこと。
第二に、特定のファンからの過剰な金銭的依存に頼る収益モデルを脱却し、マーチャンダイジング、イベント、メディア展開といった多様な収益源を確保すること。
第三に、タレントが自身の私生活と活動を両立できる柔軟なキャリアパス(結婚後の活動継続、運営スタッフへの転身等)を制度化し、業界全体の持続可能性を高めることである。
結論として、最近の「ユニコーンの角折り」の増加は、決して一過性の流行ではなく、法的規制の強化とタレント保護の必要性に裏打ちされた必然的な変化である。
この変化を受け入れ、健全な距離感を持つファンコミュニティを育成することこそが、今後のバーチャルエンターテインメント市場において真の競争優位性を構築する唯一の道であると言える。
https://www.youtube.com/watch?v=xU8KiNYXmw0
令和の玉音放送って言ってる人いて吹いた
なんで冬に言うんだよ
雪は涙を隠せない
今日なぜか暖かかったんだよ
実はバキ童は画面の前の俺らだったという衝撃の最終回
うまトマチキン冷めちゃった
ああ、お前は春の暖かさを知っているのか。俺は空の高さしか知らないのに。
ピーターが急に興味失ったら笑う
あんなに一緒だったのに
夕暮れはもう違う色
小さい時親は死なないと思ってた。
バキ童はね、彼女なんかできないんだよ。
今年のクリスマスはなんだかさむいな
喪失なんです。
バキ童「彼女できました」
俺「置いてかないで‥俺を大人にさせないで‥」
敢えてクリスマス直前に公開することによって、クリスマス当日の童貞達に「ぐんぴぃは今頃性なる夜を過ごしているんだ」という思考を過ぎらせて絶望を与えるの悪魔すぎるだろ
35歳→バキ童ライン
なんでだよ
誠実かよ
アイドル声優Vtuberに彼女彼氏がいて発狂するやつを笑っていたけどバキ童に彼女がいるのは悲しくなった
俺はアイツラを笑えない
夫がぐんぴぃの童卒と熱愛にキレ散らかしていて、そんなに彼の事を好きだったのかと困惑している。
これもう寝取られ報告だろ
寂しい
寂しい
猫で空いた穴は猫でしか埋められないと聞くけど
バキ童を失って出来てしまった穴は一体何で埋めれば
いいんだろうね。私の心には今ぐんぴぃの形をした穴が空いているよ。
ぐんぴぃはサラッと報告して
バキ童にしがみついてたのは俺らの方だったんだな、、、、
アイドルの彼氏バレとかって祝福してやればええやんって思ってたんだけど、みんなこんな気持ちだったのか…
今までごめんな
昨年(anond:20241217085132)に引き続いて挙げてみる。今年は元日から今日までのあいだに296冊読みました。いまはアンドリ・スナイル・マグナソン『氷河が融けゆく国・アイスランドの物語』(2019年)とR・F・クァン『バベル オックスフォード翻訳家革命秘史』(2022年)、ジョセフ・ヒース『資本主義にとって倫理とは何か』(2023年)、かまど&みくのしん『本が読めない33歳が国語の教科書を読む』(2025年)を読んでいるところ。
ちなみに上の冊数には漫画は含んでいないのだけれど、漫画は数えてないから何冊読んだのかわからない。とりあえず『微熱空間』『ひまてん!』『うまむすめし』『ルリドラゴン』『祝福のチェスカ』『放課後帰宅びより』『拝啓、在りし日に咲く花たちへ』『桐谷さん ちょっそれ食うんすか!?』あたりが好き。あと最近ようやく『LIAR GAME』と『ナナマルサンバツ』を読んだけど超面白かった。ウマ娘だと、去年はシーザリオに狂っていたけど今年はブエナビスタにどハマリしています。ブエナ、実装されたら絶対引きたいと思ってたから80連で引けてよかった。ビリーヴシナリオもラヴズオンリーユーシナリオも良かったし、ようやくラインクラフトも入手して育成できたし、来年こそカレンブーケドール実装に期待だな!
欧州文学だと、フランス文学のサン=テグジュペリ『人間の大地』(1939年)やアイスランド・ミステリのアーナルデュル・インドリダソン『厳寒の町』(2005年)、バスク文学のキルメン・ウリベ『ビルバオ-ニューヨーク-ビルバオ』(2008年)も非常に良かったのだけれど、どれか1つと言われたら迷った挙げ句にアルバニア文学の本作を推す。ノーベル賞を獲りそこねたアルバニアの国民的作家イスマイル・カダレの作品で、10年以上前に『死者の軍隊の将軍』(1963年)を読んで以来。復讐という因習によってふたりの青年の軌跡が交錯し破滅へと導かれるという、銃声のような余韻を残す一冊だった。エンヴェル・ホジャの独裁政権下という執筆の時代背景もあってか『死者の軍隊の将軍』同様にやたらと雰囲気が暗く、Wikipedia先生とか地球の歩き方先生とかを参照するにいちおうビーチリゾートとかが盛んな地中海の国であるはずのアルバニアをここまで暗鬱に描けるのは逆にすごい。アルバニアの高地に心が囚われていく描写がすごいのよ。こっちも引きずり込まれそうというか。
何年も前に『雪が白いとき、かつそのときに限り』(2017年)を読んで面白かったので本作も買ったのだが長らく積読になってしまっていたので思い切って崩してみた。女と女の重い感情が全編にあふれていて最高だった(粉みかん)。巫女の伝統によって歪められる幾通りもの女と女の関係が胸を裂くような切なさを漂わせていてエモい(語彙力)。古代中国百合ミステリというオタクの好きなものを詰め込んだハッピーセットなので読みましょう。
軍艦が出てきて艦隊決戦とかするみんな大好き宇宙戦争スペオペかと思わせておいて、いやもちろんそういう作品でもあるのだけれど、根本的に異質な知性との交渉過程がセンス・オブ・ワンダーに溢れていて最高だし、高度な知性体だと思ったら実はプランクトンとして生まれ共食いしながら成長していく生物だったというのものすごい発想で驚嘆させられたし、徐々にこの世界の起源が明らかになっていくの面白すぎるでしょ。タイトルの兵站要素は徐々に影が薄くなっていくかと思いきや最後まで割としっかり描写されるし謎のイチャイチャシーンも増える。なぜ。とにかくすごく良いSFでした。
カラオケやウォークマン、ポケモンといった戦後日本を代表する発明品やソフトパワーがどのように作られていったのか、という歴史を掘り起こす書物で、非常にエキサイティングな読書体験だった。町工場のおっちゃんがふと思いついた小さなアイデアが不格好な試作品を生み、それらが徐々に洗練されてやがて日本や世界を席巻するという歴史としての面白さとサクセスストーリーとしてのワクワクが詰まっている。外国出身の歴史家が書いたとは信じられないほどに同時代史料や当事者のインタヴューを積極的に活用していたり、オリエンタリズムに陥ることなく個々の発明家の物語として語られているのも好感度が高い。大満足の一冊。
外国人研究者の日本研究だと、ほかにスーザン・ネイピア『ミヤザキワールド』(2018年)も良かった。日本社会のコスモポリタン性がクリエイターの土壌となっていることを英語圏の読者に向けて解説してるところ、根強く蔓延るオリエンタリズムを駆逐しようという気概に満ちていて好き。ただ『もののけ姫』に関する記述で照葉樹林文化論に触れてくれるのはすごく良いのだけれど網野善彦には言及があっても良かったのでは(旧著では言及してるんだし)。ノア・スミス『ウィーブが日本を救う』(2025年)の提言は非常に面白かった(経済学に疎くてよくわからない箇所も多々あったけれど)。
超・超・超傑作。面白すぎる。いや今更すぎるけど。もうとっくに面白いって知れ渡ってるけど。でも増田が読んだのは今年なんだよ! なんでこれをもっと早くに読まなかったんだろう? SFの面白さを四方八方から浴びせられて読むのが止まらなかった。そしてSFとしてだけではなくバディものとしても100点満点中300点くらいの出来だという。「いまいくからな、バディ。待ってろよ」のシーンほんと大好き。ぼくは洩れやすい宇宙のぶよぶよの塊。ぼくは本作を読む、映画を待つ。よい、よい、よい!
上述のとおり増田は流行についていけないマンなのだが一昨年になってようやく青崎有吾の存在に気づき、『体育館の殺人』(2012年)にはじまる裏染天馬シリーズとか『アンデッドガール・マーダーファルス』(2015年~)とかを昨年までに履修したのだが、今年に入ってから本作と『ノッキンオン・ロックドドア』(2016年)を読んだ。勝負事に対して天才的な嗅覚を持つ女子高生が次々と独自ルールのゲームに勝利していく話なんだけど、詰みに持ってくまでの伏線とロジカルさがすごいというか。しかもほのかな百合要素まであるんだよ。もう最高。毎話クライマックスにさしかかる度に「あれって伏線だったんだ!」と心の中で叫んじゃったもん。ルールには合致していても刑法に引っかかるだろ! みたいな絡め手がバンバン出てきて感覚麻痺してくる。好きな話は表題作と「だるまさんがかぞえた」かなぁ、やっぱり。だーるーまーさーんーがーかーぞーえっ! ……えっ? 漫画版、絵がどっかで見た人だと思ったら『めだかボックス』の人なのね。超納得。
同じく今年履修した『ノッキンオン・ロックドドア』では「十円玉が少なすぎる」が一番好き。タイトルから察しがつくようにみんな大好き9マイルものです。「十円玉が少なすぎる。あと5枚は必要だ」という謎めいたセリフをもとにすごい結論へとたどり着いていてよかった。発想のロジカルな飛躍は9マイルものの醍醐味だよなぁ。
今年読んだ日本の学術書の中ではいちばん面白い。戦後日本のSM雑誌を博捜し、「変態性欲」の論争のなかに分け入りながら、投稿者の正体を暴きエリートたちがSMを通して戦後民主主義を生きようとした姿を浮かび上がらせている。戦後に生まれたSM雑誌の系譜を整理する第1部の時点で既にガッチガチの実証研究すぎて圧倒されてしまうが、第2部以降が本番というか、脳汁ドバドバの快楽を味わえる。女性解放を唱える歴史学者が筆名でSM雑誌に投稿していた、というだけで既に面白いのだが、著者はテクストを丹念に読み込むことで、彼の歴史学者としての女性解放論とSM論が相互に補完しあう関係であり、戦後民主主義の実践とサディズム・マゾヒズムが彼の中では繋がっていたことを明らかにしていく。また、第3部では『家畜人ヤプー』の再評価にも挑み、作者をとある裁判官だと特定したうえで、マゾヒズム小説だと思われていた作品の新解釈を提示する。戦後思想史をSMから読み直すという非常に大胆な本だった。「豚に歴史はありますか」ってそういう意味だったんだ。むっちゃオススメ。
おっさんと少女のバディもの、みんな好きだよね? 増田は大好物だ。ということで本作はバディものとしてもミステリとしても非常に上質だったので最高だった(語彙力)。瀕死の重傷を負い「幽霊」になった主人公と少女がタッグを組んで少女の両親を殺した犯人を追い詰めていく話なのだが、謎解きが二転三転し次々とどんでん返しが襲い来る構成で目が離せない。傑作ミステリですわ。個人的には◯◯さんには生きていてほしかったな……
2015年に始まったシリーズが10年ごしで完結した。めでたいめでたい。姉弟子と一番弟子の怪獣大戦争がついに決着。もう納得するしかない決着でしょうこれは。あと正妻戦争も完全に決着。天衣ちゃんが澪ちゃんに超弩級のデレをかましていてすごい(語彙力)。桂香先生、ギャグ方面に振り切るかと思いきや泣かせてくるのはズルいでしょ。ちくしょうそういえばこの作者はネタキャラ扱いでさんざんイジっておいて最後に泣かせる芸風だったな(山刀伐さんファン並の感想)。そしてラストが美しすぎる。オタクは序盤の再現が好きなので……。いや~、10年続いたシリーズにふさわしい大団円で最高でした! まあ、でも、それはそれとして女流棋士制度は歪んでるので是正(というか廃止)すべきだろなという思いを新たにした。もちろん民間団体だからムリヤリ廃止するなんてことは結社の自由があるのでできないが、将棋連盟からは切り離すべきでは。
百合SFアンソロ『アステリズムに花束を』(2019年)に掲載された短編が長編になったやつで、リアルタイムで読んでいたものがついに完結した。体格差のある百合カップルが男女の婚姻しか認められないガス状惑星社会で漁をしながら関係を築いていく宇宙SFなんだけれども、まず設定がすごい。その漁で獲るのは普通の魚ではなく、ガスの海を泳ぎ回る昏魚(ベッシュ)たち。そして彼女たちが操るのも普通の漁船ではなく、粘土を自由自在に変形させて網を編み上げる船。ガス状惑星に発生した特異な生命といえばやはり著者の代表的な短編の1つ「老ヴォールの惑星」(2003年)が思い浮かぶし、なんなら著者の最高傑作『天冥の標』(2009~2019年)でも描かれてたわけだけれど、それらの設定を超える宇宙生物を出してきていて最高。本作(4巻)はその宇宙を駆ける2つのサイクロンの物語の大団円だ。惑星規模・宇宙規模での繁殖というでかい問いをどーんとぶち上げてくるのさすが小川一水という貫禄だし、宇宙レベルの話と「ふたりの話」を並行してSFと百合を両立させているのはセンス・オブ・ワンダーの極みと言ってよい。非常に良い作品でした。『天冥の標』で従来の小川一水成分を絞り尽くしたと思ったらまた新しい境地に達していて素晴らしい。
https://x.com/YUJI_MZTN/status/2001157921384882679
引用:
@YUJI_MZTN
【一夜にして7億円を失う】
夜10時のこと。
バンコクの忘年会にも参加するはずだった友人から急にキャンセルの連絡。
事情を聞いてみると、なんとLedgerがハッキングされて、Ledgerに入っていた総額7億円が盗まれたらしい。
相当ショックを受けておられて、1時間以上、今後の対策などを話し込んだ。
盗まれたルートは100%はわからないけど、昨日の夜にパソコンを開けてみると、いつものLedgerアプリが下から消えていて「?」マークのアプリになっていたらしい。(アプリに不具合などがあれば?マークのアプリになりますよね?)
アプリを再インストールしないといけないと思ったらしく、もう一度、ネットからLedgerのページにアクセスして、パソコンにインストールしたらしい。
そして、次にそのインストールしたパソコン上のアプリとスマホ側のLedgerアプリの「同期」を再度求められたらしい。
この同期を行った後の出来事はすでに書いた通り。
明らかに人の手ではなく、AIなどが介入したスピードだったらしい。
後から考えると、パソコン上でアクセスしたLedgerのWe bサイトが偽物だったらしい。
そこからインストールしたLedgerアプリも当然偽物で、そこに「同期」をしてしまったから盗まれたという経緯が全体像だそうです。
Ledgerのようなコールドウォレットであったとしても、何かしらこちらで「認証」や「同期」をしたりすると、簡単に盗まれてしまう。
何か「同期」や「認証」を求められた際は、必ず公式や詳しい友人に確認しなければいけない。
その上で、「同期」や「認証」をする前に、念のために全てを別のウォレットに移して、あえて100USDだけ残して同期や認証をしてみるとか。(そうすれば詐欺かどうか後から判別つきます)
一人でも同じ犠牲者が出ないようにと。
まず最初に明確にしておきたい。今回の窃盗事件において、犯罪者が100%悪であり、このような犯罪行為は絶対に許されない。被害者の方の心情を思うと、本当に胸が痛む。
しかし、だからこそ、この事件から学ぶべき教訓を正確に理解し、同様の被害を防ぐために、技術的な誤解を指摘する必要がある。
投稿者は「Ledgerのようなコールドウォレット」と表現しているが、これは根本的な誤解だ。ハードウェアウォレット(HWW)は、PCやスマートフォンに接続して使用する時点で、決して「コールド」ではない。
真のコールドウォレットとは、完全にオフラインで秘密鍵を管理し、ネットワークから物理的に隔離された環境を指す。USBやBluetoothで接続し、専用アプリを介して操作するHWWは、その定義から外れている。
この認識は完全に誤っている。macOSにおいて「?」マークが表示されるのは、Dockやランチパッドからアプリケーションへのリンクが切れた時だ。アプリの「不具合」ではなく、単にファイルパスが見つからないという状態を示している。
このような基本的なOS挙動を理解せずに、7億円もの資産を管理していたという事実は、深刻な問題を示唆している。
最も重要な点は、HWWの本質的な機能を理解していなかったことだ。
HWWの最大の特徴は、トランザクションに署名する際、必ず物理デバイス側に:
が表示され、物理ボタンで明示的に承認しなければ署名されないという点にある。
つまり、7億円が盗まれたということは、被害者は画面に表示された「見知らぬアドレスへの7億円送金」を、確認せずに承認ボタンを押したということになる。
スクリプトによる自動化処理を「AIの介入」と表現するのは、技術的理解の欠如を露呈している。プログラムが高速で動作することと、AIが介入することは全く別の話だ。
事件後、複数の技術者から「これは単なる同期エラーではないか」という指摘が上がっている。実際、署名した形跡がないため、資産は盗まれておらず、アプリの表示上の問題である可能性が高い。
調査の結果、Ledger Liveには以下の既知の問題が存在することが判明した:
もし本当にただの同期エラーで大騒ぎしているとすれば、これは技術リテラシーの問題を超えて、基本的な確認作業すら怠った結果と言える。7億円を管理する者として、最低限ブロックチェーンエクスプローラーで実際のトランザクションを確認すべきだった。
この事件(あるいは騒動)で露呈したのは、暗号資産エコシステム全体のセキュリティ意識の低さだ:
全員が「ケツの穴を締める」必要がある。セキュリティは、最も弱い部分から破られる。
この事件は、高価なハードウェアを購入することと、セキュリティを確保することが全く別物であることを示している。
真のセキュリティには:
これらの基礎知識が不可欠だ。
繰り返すが、もし実際に窃盗があったなら犯罪者が100%悪であり、被害者の方には心から同情する。
同様の被害(あるいは混乱)を防ぐためには、ツールに頼る前に、まず基礎的な技術理解が必要だ。そして、関係者全員がもっと真剣にセキュリティと向き合う必要がある。
最近、YouTubeのおすすめに上がってくる「地震シミュレーション」と言う名の妄想動画、あれ本当に何なの?
サムネは真っ赤な日本地図に「震度7」「日本壊滅」みたいな煽り文字。再生すると、緊急地震速報のあのチャイム音(不協和音)が鳴り響いて、自動音声かアナウンサーごっこしてる奴が被害状況を読み上げる。
一見、防災啓発動画のように見えるし、想定を基にしてます!なんて言ってるけど、最終的にはただの制作者の妄想。
正直、「公共の場所でオナニー見せつけられてる気分」ですごい不快なんだけど、俺だけ?
あれを作ってる連中、防災意識なんてこれっぽっちもないだろ。彼らが好きなのは「人の命を救うこと」じゃなくて、「NHKのテロップのデザイン」とか「緊急時の管制システム」そのものなんだよね。
「ここでチャイム鳴らして、ここで赤テロップ出して、全画面切り替えて…」っていう、放送送出の手順をシミュレートして、自分がその司令塔になったような全能感に浸ってるのが透けて見える。鉄道ファンの中に「電車の運行システム」が好きな層がいるけど、あれのタチが悪い版。「危機的状況」を支配する快感に酔ってる。
一番タチが悪いのが、概要欄とかで「防災意識を高めるために~」とかもっともらしいことを書いてる点。
やってることは「不謹慎なパニック映画の自主制作」なのに、「これは教育です」って顔して正義の盾を構えてるのが本当に卑怯。
コメント欄も地獄で、「怖くて震えました!」「勉強になります!」とか称賛してる信者がうじゃうじゃいる。いや、それ勉強になってないから。ただ恐怖映像見てドキドキして、悪ノリして盛り上がってるだけだから。それを「予習」とか呼んで正当化するなよ。
昔はニコ動の片隅でひっそりやってた趣味だったのかもしれないけど、今はYouTubeで数百万再生とかいっちゃうから、投稿者の承認欲求がバグり始めてる。X(Twitter)でもフォロワー数万人とか抱えてて、もはや専門家・インフルエンサー気取り。
④実害がある
NHKや他局の素材やフォーマットを完コピしてるから、子供やお年寄りが本物と勘違いするリスクもあるし、実際に被災した人があの音聞いてフラッシュバック起こすことだってある。「架空です」って書けば何してもいいわけじゃないだろ。
人の不安や恐怖をダシにして、テレビ局ごっこで再生数稼いで承認欲求満たすの、いい加減にしてほしい。NHKの法務部あたり、そろそろ本気で怒ってくれないかな。
ニコニコ例のアレカテゴリに『替え歌拓也』というジャンルがある。
ここでは最近の替え歌拓也の現状を、例のアレ界隈の流行と併せて整理する。
誤認があれば指摘をお願いしたい。
2025/9/3、タラバ記念日によって『替え歌拓也合作2025』が投稿される。同時に四国めたんを主人公とした初の合作でもあった。
投稿後数日間ランキング首位を維持し、現在再生数は25万に到達している。
参加投稿者を見ると、
2022年、遅くとも2023年には替え歌拓也を多数投稿していたタラバ記念日、つくぺん、害虫などの第一世代と、
早くとも2024年後半から参入した毳毳(keke)、55%、かっぱそるじゃー、ITなどの第二世代に大別できる。
人数としては第二世代が多い。
当合作は、第一世代が確立した替え歌拓也というジャンルに、第二世代が参加した形であり、その集約的な位置づけといえる。
合作がジャンルに与えた影響を、替え歌拓也タグ付き動画の投稿数から確認する。
なお、11/5発生の『のべっちショック』(*1)による動画削除はAI拓也領域に限られていたため、ここでは考慮しない。
| 8月 | 30 |
| 9月 | 69 |
| 10月 | 43 |
| 11月 | 23 |
ここから以下の点が読み取れる。
これらを第三世代と呼ぶことにする。
松川スュが代表例で、替え歌拓也初投稿は『顧客に嫌われている。/ 四国めたん』。
10月以降、投稿数は減少し、11月は合作前の8月を下回った。
12月の投稿数は3件(12/8現在)であり、このペースではさらなる減少となる。
その他の第三世代投稿者の多くは活動が停滞していると見られる。
第一・第二世代の投稿者も、合作前後を比較すると替え歌拓也の投稿頻度が低下している。
この実証のため、合作参加者の替え歌拓也動画最終投稿日を確認した。
合作単品は除外する。
| リアッテエロ | 4/10 |
| 害虫 | 5/1 |
| つくペン | 6/11 |
| (合作投稿) | 9/3 |
| 蜂宮 | 9/3 |
| 毳毳(keke) | 9/29 |
| 55% | 10/1 |
| IT | 10/19 |
| タラバ記念日 | 10/31 |
| ずんだもんすこすこ | 11/2 |
| ドヤヨン | 11/9 |
| かっぱそるじゃー | 11/27 |
| 車窓。 | 12/6 |
| ぢゆてぃま | 12/7 |
| (ざらめ・カラーひよこ・PowerPoint・ぶたまる・こひらば) | そもそも替え歌拓也を投稿したことがない |
合作後に複数投稿しているのは、IT(5作品)、かっぱそるじゃー(5作品)、車窓。(3作品)、55%(3作品)、ぢゆてぃま(2作品)、タラバ記念日(2作品)の計6名。
また11月以降の動向を見ると、
IT・55%はAI淫夢楽曲カバー、つくペンは音MAD、ドヤヨンは旅行ボイロ動画など、
別ジャンルへ移行または元々得意としていたジャンルへ回帰する投稿者もいる。
現在も継続して替え歌拓也を投稿していると明確にいえるのは、かっぱそるじゃー、車窓。、ぢゆてぃまの3名だろう。
以上より、合作をピークとして替え歌拓也は減少傾向にあると判断できる。
要因として、sora2(10/1リリース)によるAI拓也動画の急増が大きいと考えられる。
10〜11月のランキングでは、上位10作品の多くがAI拓也で占められていた。
初期はCMが多かったが、後に動画生成と楽曲/文章生成を統合した作品が登場し、完成度の高い制作風潮が形成された。
『【MV】マネ×拓『ウリで狂ったあと』.AI』や、『AIを使って拓也さんを遣隋使にする』は、AI拓也という一大ジャンルの集大成とも言える完成度を誇っている。
また、音MAD領域では変態オ●ニー青年アキラをテーマにしたものが継続的に投稿されており、
拓也を除き長らくスターが不在だった淫夢において、期待を寄せる投稿者も多いことだろう。
こうした状況の中で、替え歌拓也の人気、ひいては投稿者の投稿意欲が低下する要因が存在することは確かである。
一方で、四国めたんや宮舞モカなどボイロ文化と淫夢ジャンルの結び付けにおける影響は大きく、ジャンル形成上の役割も見逃せない。
(*1)2025/11/5、AIのべりすと運営会社である株式会社Bit192が、公式キャラクター「とりんさま」(AI拓也における呼称は「のべっち」)の利用方法に対して注意喚起を行い、これを受けて複数の投稿者が動画を削除した事案。
Qiita の文化変質は、技術系コミュニティ全般で起きている知的インフレの縮図みたいなものなんだよね。昔は
みたいに基盤技術を自前で握りつぶした記事が純粋に評価されていた。なぜなら、それを書ける人がそもそも少なく専門性で差別化できていたから。
昔は「Pythonで形態素解析器自作」なんて、アルゴリズム・CS基礎・実装力が揃ってないと無理だった。
難しいことをやってそうに見える記事を、凡人でも量産できるという環境が生まれた。
Qiita を読む層が「実装力を鍛えたいエンジニア → とりあえず AI 触りたいライト層」に変わった。
「再現性のないLLMコピペ」「AIツール使ってみた」みたいなのが評価される。
本気の記事は長く、コードが多く、前提知識も重い。そして PV が伸びない。
つまりQiita のインセンティブ構造と、高度技術記事のインセンティブ構造がズレた。
理由は明確で、読む側がそれを理解できないので評価する母集団がいない。
昔はユーザ層が技術ガチ勢寄りだったので、少数でも濃い支持があった。
今はライト層が母集団なので、希少な高度記事が埋もれるのは自然。
Qiita がライト層に最適化した結果、本気の人たちは別の場所へ移動した。
高市総理「働いて×5」流行語大賞受賞が左派界隈で大きく炎上する傍ら、もう1つの炎上が起きていた。エッホエッホ構文でパクツイ犯が勝手に表彰されたというものだ。
どう炎上していたかは後で解説するとして、初めに結論を書くと授賞式で表彰された「うお座」氏は紛れもなくエッホエッホ構文の創始者である。炎上は完全な冤罪だ。
事実として、エッホエッホ構文は彼の3つのネタツイから始まった。
エッホエッホ
エッホエッホ
エッホエッホ
エッホエッホ
【なぜ?】
エッホエッホ
あの子に嫌いって伝えなきゃ
エッホエッホ
1つ目と3つ目はうお座氏のサブ垢@selfsatisfac、2つ目の投稿は本垢の@zlatanera17から投稿されている。どうも、クセのあるネタはサブ垢から、万人受けする本命のネタは本垢から投稿するという運用のようだ。
ネットミームには、人々の中で伝播する中で徐々に形を変えていったものと、原型がほぼそのまま流通するものと2種類ある。エッホエッホ構文は後者だ。エッホエッホ構文のほぼ全ての要素がうお座氏のツイートに詰められている。
まず、最初の「たかみなの具合が悪いから〜」の段階で、「エッホエッホ (任意の内容伝える) エッホエッホ」という構造となっている。
流行語大賞の選評でも、
と述べられているように、これこそがエッホエッホ構文のコアの独創性である。
次に、本垢から投稿されたうお座氏の最も拡散されたエッホエッホ投稿では、「可愛らしい子供がお母さんに頑張って何かを伝えようとしている」というエッホエッホ構文のイメージが確立している。
エッホエッホ構文に詳しくない人向けに例をあげると、うお座氏の後にエッホエッホ構文で最もバズったツイートの1つである霜田氏のツイートも、このイメージを継承するものだ。
エッホエッホ
エッホエッホ
最後に3つ目の「あの子に嫌いって伝えなきゃ」で「伝えなきゃ」というフレーズを使用している。エッホエッホ構文は現在では、「伝えないと」ではなく「伝えなきゃ」という形を取るものが主流だと思われるが、これもうお座氏が初である。
エッホエッホ構文を使用したネット大喜利は、うお座氏のこの3つのツイートがバズったことで始まった。
日本時間2025年2月24日21時までの「エッホエッホ」検索結果
うお座の最初のツイートは2月24日4時7分、3つ目のツイートは15時42分投稿のものだが、
うお座氏以外でエッホエッホ構文を使い始めたのは、24日16時58分のツイートが初で、それまではうお座氏以外にエッホエッホ構文使いは存在しない。
誰もが参加できるエッホエッホ構文ネット大喜利が自然発生したのは、うお座氏が3つの巧みなネタツイをそれぞれバズらせることで構文としての汎用性を立証したからこそなのだ。
エッホエッホ構文の生みの親がうお座氏であるという明白な事実があるにもかかわらず、ネット民は別のツイッタラー「はじめ」氏をエッホエッホの「始祖」と崇め、うお座氏らを「パクツイで受賞」「ミームの横取り」「お前らが受け取るべきじゃないって伝えなきゃ」などと中傷している。
しかし「はじめ」氏がエッホエッホの「始祖」だというのは、デマである。
端的に、初出でもなければ拡散もされていないからである。彼はエッホエッホのブームが一通り落ち着いた2025年6月に「てかエッホエッホってほぼおれ発祥やったよな」とツイートしたことで、この構文の起源だという認識を獲得した。しかし丁寧に検証すれば、これは不当な「あれ俺」主張であるとみなさざるを得ない。
運動するか
えっほっえっほっ
このツイートが真の起源であると誤って信じられた理由について、1つ1つ解体していこう。
これは誤った推論である。なぜならばこのツイートは2025年6月に投稿者が「あれ俺」主張するまではほぼ知られていなかったからだ。
現に、うお座氏のオリジナルのエッホエッホ構文ツイートが投稿された2月24日までの、はじめ氏のツイートの公開リツイート数を取得するとわずか1件しかリツイートされていない。
念の為、はじめ氏が2022年に投稿した類似内容のツイートについてもリツイート数を取得すると、9件である。身内にはウケたのかなという程度の数字だ。
検索する限り、うお座氏とはじめ氏の間にリプライ/RTなどの交流は確認できないので、合計10RTしかないツイートに依拠したと考えるべき理由は何も存在しない。
2021年10月に画像を日本で画像を話題にしたのははじめ氏ではなく、およそ4万RTを記録した最多情報局(@tyomateee)の投稿である。アカウント名でわかる通り、これは転載系のアフィアカウントであり、この元ネタは英語圏で同じく4万RTを記録したRosi@rosiyesrosiの投稿だろう。
なんにしろ、はじめ氏は、海外でバズった投稿の画像を転載して日本でバズった投稿をさらに転載して投稿しただけであり、発掘の功はまったく存在しない。
あの写真を見て「えっほえっほ」と形容したくなるのは日本人にはある程度普遍的な感覚らしく、2021年10月だけで少なくとも4人が同じ投稿をしている。はじめ氏は3番目だ。
仮に、「えっほえっほ」という文字列に何らかの尊重されるべき新規性を見出すのであれば、中でも最古と考えられるジロ助🐶🐾氏の投稿を称えるべきであろう。
とはいえ、こういうある程度誰でも思いつく発想を個人に紐づけてしまうのは望ましくない。新規性はないと考えるのが常識的な結論だろう。ちなみに、2025年2月でも写真に対する「えっほえっほ」という反応はうお座氏の前に2件発見できる。
流行語大賞表彰者に対する異議の声は、パクツイデマが発生する前から大きかった。理由はおそらくTikTok文化への反感である。
表彰写真には「うじたまい」と「うお座」の2人が並んでいた。両方白系の服で陽の雰囲気を漂わせており、ぺことりゅうちぇるのようなコンビを思わせるところである。
そして「エッホエッホの歌」の作者うじたまい氏は、TikTok/YouTube文化の人間である。ゆえに、X民側のはずのうお座氏もまとめてTikTok民の仲間か何かだと思われてしまったのだ。
「Xで生まれたミームなのにTikTok勢が表彰されやがって」これが、初期の異議の背景にあった感情である。
また、うじたまい氏が一部Twitter民から「ミームを終わらせた人」と敵視されていたことも、反感感情を燃え上がらせた。
しかし、うじたまい氏が「ミームを終わらせた人」だという評価は妥当なのだろうか。動画文化圏には土地勘がないので、本稿ではうじたまい氏の表彰が適切だったか本格的に検証するのは範囲外とするが、明らかな事実として「エッホエッホの歌」でミームは終わっていない。むしろ、ミームとしてのピークは「エッホエッホの歌」の後に来ている。
Googleトレンドを確認しよう。人気度の動向では2つの山がある。まずひとつ目の山はエッホエッホ構文が生まれた2月末、人気度47である。ここから徐々に人気度は下がるが3月第3週に反転、4月初旬の人気度は100、エッホエッホミームの人気度のピークである。
うじたまい氏の「エッホエッホの歌」は3月1日TikTokとYouTubeに投稿され、YouTubeでは1,459万回再生されている。私としてもなにがおもしろいのか全くわからないネタでありTwitter民が冷めたと感じるのは理解できるのだが、再生数は正義だ。
ミームのピークがこの後4月に来ることを考えると、Twitterよりさらに活力のあるTikTok/YouTubeにミームを移植したという功績は大きい可能性が高いのではと思う(なお動画化の初出については調査していないので、より適切な人選がある可能性については留保する)。
そんなこんなで表彰の人選に対して疑問の声が集まる中、「エッホエッホは火付け役はうお座でミーム終わらせたのがうじたまいで始祖この人だよね 」と、はじめ氏のツイートが紹介されたのである。これがパクツイデマの発端であるが、ここまでは火付け役としてうお座氏の功を認めており、パクツイまでは認定していない。
本格的にうお座氏にパクツイの冤罪が着せられるようになったのは、有力ネタツイッタラー「理解のある蟹くん」氏の投稿がきっかけである。
理解のある蟹くん氏は、はじめ氏に対し「流行語大賞おめでとうございます 」と皮肉げに祝福し、続けて、証拠としてあるスクショを掲げて、うお座氏を「親父気をつけろ 奴は他人のツイートを盗む」と誹謗した。
つまり、ネタツイッタラーのうお座はパクツイ常習犯であり、エッホエッホもその一部だと言わんとしたのである。
しかし、理解のある蟹くん氏のスクショを見てみると、これはうお座氏の素行の悪さの立証には到底なっていないと思われる。スクショの内容を文字化すると以下のとおりである。
1. 5月26日、理解のある蟹くん氏が、「ANA機内騒動、ドア開けようとする御奈新日ヶ万出」というGrok自動生成ニュースのスクショをコメントなしでUPする。66リツイートされる。
2. 6月9日、うお座氏が「これ何だったんだ」というコメント付きで同じスクショをあげる。コラでなく実際に見たとも主張する。1,271リツイートされる。
検討しよう。まず、そもそもコラでなければうお座氏のツイートになにも問題はないので、これは理解のある蟹くんの作成したコラであったのだろう。が、コラであるという注記はどこにもない。Grok自動生成見出しに誤りが多いことはよく知られた事実であるので、これを見た人は本物のスクショであると誤認したとしてもある程度やむを得ない。
そして、うお座氏/理解のある蟹くん氏ともにネタツイッタラーであり、他人がUPした画像を転載しておもしろいコメントをつける芸で人気を集めている。当然、日々ネタツイ芸に使える画像を大量に集めていることだろう。おそらく、うお座氏の画像ストックの中に理解のある蟹くん氏のコラが混ざっていて、後日ネタツイを考えているときに記憶違いでコラを実際に見たものと誤解してしまったのではないか。ネタツイッタラーにありがちなミスだろう。
なんにせよ、理解のある蟹くん氏がこれをパクツイだと感じたならば、この件に限ってクレームをつければいいのであり、デマに乗っかってこれ幸いと競合ネタツイッタラーを貶めようとする行為に正当性はない。ネタツイッタラーの倫理として、ライバルにはデマではなくネタを以って勝利すべきだ。
一度、パクツイと思い込んでしまえば、中傷は止まらない。中傷ツイートのなかには数万規模でいいねを集めたものも複数存在した。
例えば、“空也上人像”コスプレで有名なクリエイター、中埜氏は2人の写真を晒し上げ、以下のようにツイートした。
パクツイ犯として、一生風当たり強く生きてほしいですね。
願うことなら、「デマに真に受け、人の顔をデジタルタトゥーにしようとした人」として、一生風当たり強く生きてほしいものである。
またライブドアニュースの投稿には一時「初出は『うお座』氏ではありません」というコミュニティノートが付いた。少数の人間の地道なデマ訂正の努力もあり、このコミュニティノートは現在消えているが、「集合知」に依存するコミュニティノートの脆弱性が露わになったと言えるだろう。
このような記事を作るとおそらく、「ネットミームの初出がなにかなんてどうだっていい」「初出なんて明らかにするなみんなのものだ」のような反応があるだろう。それはそれでいいと思う。一貫性をもたせることができるならの話だが。
実際は、言葉に反して多くの人は初出をそれなりに尊重している。尊重しているからこそパクツイなる言葉で人を責めようとするのだ。すべてが匿名であった2ちゃんねるの時代と違い、ツイッター時代のネットミームはそこそこ高い精度で初出を辿ることができる。ネットミームに対する倫理は当然に変化している。自分に都合よく、あるときはパクツイあるときはみんなのものと、倫理のつまみ食いをするのはいけない。
多くの人がデマに騙された理由としては、ネットは自分の庭であり流行語大賞なんかにはわかるはずがないという驕りもあるだろう。思い出すのはだいしゅきホールド三国陣事件の顛末である。医学博士号を持つ科学者で、ネットでは科学啓蒙者としても活動していた高山理図先生は、だいしゅきホールドの起源を僭称した友人である三国陣氏を信じ庇ってしまったことで、今もなおネット空間で中傷を受けている。しかし今回の事件で起源僭称者を祭り上げ庇ったのは誰だったのか、ネット民多数派ではないのか。三国陣事件を風化させないという題目掲げながら、起源僭称者を称える倒錯に至る宿痾を一度考え直すべきではないだろうか。
はてな匿名ダイアリーには、記載できるURL数に制限があるのでいくつかのURLを省略した。大方は以下から確認できるはずである。
投稿者本人が泣きながら削除してるよ