はてなキーワード: 無益とは
これやねんなあ
日本人は米英の作った「ユートピアニズム」を内面化してしまったんや
https://gendai.media/articles/-/133855
E・H・カー『危機の二十年』は、文庫版も出ている稀有なレベルの国際政治学の古典である。
なぜアメリカ主導の新しい国際秩序は、行き詰ってしまったのか。これが我々の時代の問いである。85年前、カーは、同じ問いを発していた。
今日、多くの人々が、「それはロシアが邪悪だからだ、中国が邪悪だからだ、北朝鮮も、イランも、ハマスも、邪悪だからだ」といった解答を語り合っている。
国際社会の規範を重視する「ユートピアニズム」を含めて、「戦間期国際政治理論のほとんどすべては、十九世紀の自由主義思想を反映したものであり、それらはアメリカという鏡に映っていた」(岩波文庫版69頁)。
このユートピアニズムとしての自由主義は、国際社会における「利益調和の理論」、つまり「すべての国家は平和に同一の利益をもっている」、「したがって平和を阻もうとする国家はすべて、理性も道義もない」という理論に流れ込んでいる。
そこでカーは断言する。「こうした見解がアングロ・サクソンに起源をもっていることは、明らかである」(114頁)。
「戦争で利益を得るものは誰もいないということ」を「英語圏諸国民に確信させることは」、第一次大戦後には容易であった。
ところが英語圏諸国民以外の諸国民、とりわけドイツ国民は、同じようには考えなかった。
ドイツ人なら、戦争は、英語圏諸国民には利益をもたらし、それ以外の諸国民には不幸をもたらした、と考えるからだ。
しかし、「国際関係の理論は、ほとんどもっぱら英語圏諸国で生まれた」ので、イギリスやアメリカの国際関係の論者たちは、英語圏の外に戦争の無益さを理解しない者がいること理解しなかった(114-5頁)。
「世界利益としての平和が実際には存在するのだというユートピア的仮説」は、英語圏諸国では、普遍的な真理として、信じられた。
ところがそれ以外の諸国では、信じられていなかった。
そのような仮説は、単に「現状維持を望む国家と現状変更を望む国家との間の根本的利益対立という不快な事実を顧みないようにするには好都合であった」。
そのため、英語圏諸国民、つまり利益を享受しているがゆえに現状維持を望む諸国民だけが、信じているにすぎないものとみなされた(116頁)。
カーのユートピアニズムが、「現状維持を望む」「持つ者」「満足国家」の理論であったのに対して、その偽善を突く「現状変更を望む」「持たざる者」「不満足国家」の理論が、リアリズムであったからだ。
ユートピアニズムとリアリズムの対立は、抽象理念の対立というよりも、具体的な政治情勢の中で異なる立場を持つ人々の異なる世界観の対立のことであった。
英語圏諸国の政治家や理論家たちは、次のように考える。「アメリカやイギリスの国益と人類の利益とを同一とみなしても」、自分たちは「正しい」。
これに対して、アメリカやイギリスらがそのような態度をとるのは、「自分本位の国益を全体利益の衣のなかに隠す技能にかけては、かねてから名人であったこと、しかもこの種の偽装はアングロ・サクソン精神ならではの際立った特性である」ためだ。
リアリズムは、ドイツのように、アメリカやイギリスと共通の利益を持たない国の態度である。英語圏諸国民の偽善を突くのが、リアリズムの特徴である(164頁)。
カーは、リアリズムは誤解されている、と述べる。
リアリズムは、ユートピアニズムは理想主義的すぎるという理由で、ユートピアニズムを批判するのではない。
そうではなく、ユートピアニズムにおいて「絶対的・普遍的原理と信じられているものが、およそ原理という代物ではなく、(支配者階層の)国家政策」を反映したものでしかないことを、批判しているのである(178頁)
カーの洞察を回避したい、という願望は、誰の心の中にも根深く存在する。
だからわれわれが勝ち、悪は滅びる。
それでいったい何が悪いというのか。
率直に言って、それで本当に何もかも上手くいくのであれば、まだましであろう。
しかしもし期待を裏切る現実が生まれた場合に、ただ現実を否定し、他者を糾弾するだけに終始するとしたら、どうだろう。
敵を知らず、己も知らないまま。失敗を繰り返していってしまうことは必至ではないだろうか。
薛剣(セツ・ケン)駐大阪総領事が吹き上がった最初のポスト、朝日が勝手につけた「認定なら武力行使を」という文章に反応してしまっただけだろ。
https://x.com/yumi_kobayashi_/status/1991026535890112673
高市発言を批判している中国側も日本の左派も議事録をきちんと読まずに印象だけで批判している傾向がある。例えば以下の問題に正確に答えられるヤツがほとんどいない。
https://x.com/komaken3/status/1991053407663398934
「軍国主義回帰」だの実態に即していない妄想からくる批判を垂れ流している。怒るなら正確な情報に基づいて怒れよ。デマや不正確な理解が原因で殺し合いするのがいちばん無益でアホらしい。
よしんば今回の件を正確に理解できているとして、じゃあ従来の政府見解からどれくらい「踏み込んだ」発言なのか、外国の人間にきちんと説明できるか?こんなの政治家と役人しか理解できてないし、ましてや中国なんて「戦争上等!」の国にこんな微妙なニュアンスの違いなんて理解できる訳がない。単に「武力行使!また日本が軍国主義に!」と80年前のずれた理解で吹き上がっているだけだろ。
もちろん日本も武力を有している以上無分別な行使は抑止しなければいけないのは分かるが、現実的に考えて中国みたいな好戦的で野蛮な国と国境を交えているのに微細な憲法論議に何の意味があるのか、もう一度考えるべきだろう。中国の言い分をサポートしている左派はマジで分断を煽っているだけで無益なのでいいかげんわきまえろ。
釣りタイトルです。その理由は、ネガティブな情報を探して「しまって」いる人達の助けになればと思ったからです。
これを読んでいるあなたも、赤井はあとさんとさくらみこさんの記事を色々見てきた事でしょう。
あなたは真相を知りたいですか? 心無い投稿をやめさせたいですか? それとも、なにか安心を得たいですか?
いずれの方も少し、お付き合いください。
「心無い事を言う人ほど声が大きい」
と、よく聞きませんか?
なぜ声が大きいのでしょうか。たくさん投稿しているから?その人のインプレッションが大きいから?有名だから?
いずれも違います。
本当の理由は、見る側の心理の影響です。人間の心理が、ネガティブな情報ほど目立って見えるようにできているからです。
ネガティビティ・バイアスと呼ばれる心理の働きで、人間は前向きな情報よりも後ろ向きな情報に目を向けるようになっています。
結婚のニュースよりも不倫のニュースのほうが目立って見える。たとえ後者が憶測で書かれた記事でも、記憶に残るのは後者です。
これは、人類進化の過程で、リスクを伴う情報に着目するようになったからと言われています。
詳しくはネガティビティ・バイアスで検索すると情報が多数出てくるでしょう。
今回の騒動もこのネガティビティ・バイアスにより、マイナスなことが書かれた記事が多数の閲覧数を稼いでいます。
そう、「稼いで」います。
マイナスなことを書くと、暴露の様な憶測を書くと、注目を集め、儲かるのです。
マイナスの事を語る記事を閲覧して憤っていたあなたも、推しを悪く言う人のお金儲けに協力しているのです。
そして、ひとたびマイナスの事を語る記事を見ると、ネガティビティ・バイアスなど無視してAIが「似たような記事」をたくさんおすすめしてきます。
レコメンド(おすすめ)機能はそれなりにwebに触れていれば理解している方も多いので、そこをスルーして検索で記事を探そうとする方もいるでしょうが、
脳内ではすでにネガティビティ・バイアスが働き、無意識にマイナスの事を語る者を探してしまうようになっています。
解決策は単純で、記事を見る手を止め、真偽不明の情報を目に入れないことです。
しかしVtuberビジネスは芸能界と同じレベルにまで膨らんだ上、活動者は半匿名状態という特殊な業界である以上、
真相、裏側は決して表に出ることはありません。当事者同士が裁判でも起こせば話は別ですが、それも当事者たちが
今後の活動に利があるか否かを天秤にかけた上で慎重に決めることです。過去にVtuberの裏の交流がバレてしまい、
最終的に裁判が起こったこともあって当事者が実は既婚者だったことも明らかになった事件がありましたが、今回の騒動では
関係者からの発信についても同じです。関係者は入社・退社時の契約内容によってある程度情報発信を制限されていると想定され、
「元カバー社員」とか「元Vtuber事務所スタッフ」と名乗る者たちもその立場であった証拠を出すことはできません。
訴えられたら即負けるからです。そのため、そうした発信は一部、全部に限らず虚偽である可能性のほうが高くなります。
よほど義憤にかられて「自分はどうなっても良いからファンのために立ち上がる」という人がいたのであれば、匿名ではなく
名前と立場を明らかにして発信するかもしれません。あなたの見た暴露は、そうした覚悟を持っている人のものでしたか?
違うと思います。最近では立場を守りながら暴露するといった手法が流行っていますが、何らかの事実があれば、例の人がそうした
人間にコンタクトを取り、大々的に取り上げるでしょう。金になりますから。そうした金儲けの暴露配信者も、訴えられたときの
金銭的リスクと暴露配信の敢行を天秤にかけて最終的に触れないことも多々あるでしょうから、暴露配信が始まった際は
暴露するほうが儲かる確証や、暴露側に何らかの優位性があったと考えるべきでしょう。
悲しみはよくわかります。
私も卒業生のファンアートは、卒業後しばらくの間、目に留まると悲しい気持ちになります。
ただ、それだけです。悲しみを消し去ることは難しい。受け取る側は、待つことしかできないのです。
受け取る側がなにか声を上げて良くなることはほとんどありません。
他に応援している人がいたら、そちらの応援を続けたほうが心には良いです。
ただ、それらを発信する者の投稿を見ること自体が、悪意ある金儲けに加担することになります。
カバーもそれなりの規模の企業なのですから、悪意ある発信者の排除はそちらに任せておきましょう。
私も心理学を学んでいなければ、「ネガティビティ・バイアス」の事を知らずに延々とマイナスのことを語る
記事をあさり続け、安心を得ようとして逆に不安を増大させていたと思います。
この状況に即効性のある特効薬はありません。ただ、不安を増幅させないためには、これ以上情報を
探すことを辞める。これに尽きます。
以上です。
さあ、無益な探索はやめて、他に応援している人がいればその人の応援を続け、渦中の人しか応援してこなかったのであれば
渦中の人たちを忘れろとはいいません。その人達の楽しかった配信・ライブ・コンテンツを見返しても良いでしょう。
いつか帰ってきたとき、その思い出を本人に伝えてあげられるように。
北アルプス槍ヶ岳・北鎌尾根の登山に挑んだ男性が滑落事故に見舞われ、死亡した件が話題になっている。まずは故人の御安霊の、安らかならんことをお祈り申し上げる。
これだけなら登山中の不幸な事故、で終わる話なのだが、死亡した男性の妻が出産を目前に控えた妊婦という背景があり、Xで大論争を呼んでいる。臨月の妻を尻目に命がけの登山をするなど言語道断であり、夫としての、父としての自覚がなさすぎるという批判が大半だ。
聞くところによると北鎌尾根は、通信エリア圏外にあったりルート選択が難しかったりという理由のため、遭難事故が多く発生している山らしい。長野県警の山岳遭難救助隊が警告を出すほどに。
確かに臨月の妻がいる身でそんな危険な山に挑んだというのは、無謀との誹りを受けても仕方ないかもしれない。しかし妻の方は夫の登山に同意していたようなので、その時点で外野がどうこう言うものでもないだろう。
また、「登山という趣味が危険を伴うものだと知っているからこそ、子供が生まれれば自分の趣味を十分には楽しめなくなるとわかっているからこそ、出産前に一度登っておきたかったのではないか」という意見もあった。本当にその通りだと思う。
被害に遭われた男性は登山直前に、妻にメッセージを送っていたようだ。夫婦間の事情は私が知る由もないが、少なくともネット上で見つかる情報を見る限り、決して夫婦仲は険悪ではない。遺体発見の報を受けた妻側からの沈痛なポストもあったが、本当に被害男性が妻を蔑ろにしていたのであれば決して書き込まれることのなかった文面だった。穏やかな家族生活が一瞬で奪われてしまった被害男性、および遺族のことを考えると、やはり同情の念を禁じ得ない。
それで本題はここからなのだが、Xを見ていると、被害男性に対する批判があまりにも過熱していないかと感じる。主な批判の内容は、冒頭に書いた通りである。
確かにその批判は正論かもしれない。しれないが...これは結局のところ不幸な事故に過ぎず、こんな展開を希求した者はどこにもいなかったはずだ。被害男性は過酷な山岳の中で、耐えがたい苦痛を抱えながら、妻と子供を脳裏に思い浮かべながら、非業の死を遂げてしまった。決して家族をないがしろにするつもりなどなかったのに、インターネットでは文字通り被害男性に対しての”死体蹴り”が行われている。これでは彼も浮かばれないであろう。
妻についても同様だ。批判が過熱すればするほど、彼女は自らの行いを悔いるだろう。強烈な自責の念と共に今後の人生を生きていかねばならない彼女の心中は、察するに余りある。
もはや現在のXの論争は、被害者遺族の事情など知らんぷりで、「そもそも妻は妊娠中でなにもできないんだから趣味なんてやってる場合じゃない」だのなんだのが主流になっている。しかしそうした場外乱闘の盛り上がりの裏では、被害男性や遺族の尊厳が見るも無残に踏みにじられている。
暴走する正義がいかに恐ろしいかを、この件もまた端的に示している。自分自身こんな文を書いている分際で説得力に欠けるかもしれないが、もうこの件についてはそっとしておいてあげてほしい。誰も死にたくて死んだわけじゃない。誰も泣きたくて泣いているわけじゃない。だというのに、無闇矢鱈に傷口を塩を塗り込む行為に、いったい何の意味があるというのか。
繰り返しになるが、これは不幸な事故だ。外野の我々にできることと言えば、この事故から学び類似の悲劇を繰り返さないように努めることくらいであり、無益な死体蹴りは一刻も早く止めるべきである。
見栄と虚言とに彩られし世界、嘘松の花は咲けども、ひとときの春の色にすぎず。
そも、いづれの世にか男も女も、ネットの海に旗を立て、剣を抜きて、
「表現の自由」だの、「男性性と戦ふ聖女」だのと叫びしは、何の益かありけん。
皆、老の坂をくだりて才は錆び、二周おくれのITの弓も折れはてぬ。
神の恩寵、ただ彼らが陣にくだりけり。
あはれ、われらが軍、幾度となくマウントの矢を射かけ、スレッドの刀を交へしも、
何ひとつ得るところなかりけり。
むしろその毒にあたりて、心、病におかされ、統失の如く荒れ狂ふばかりなり。
ボーイミーツガールの戦さ、もはや起こらず、
男女とて才は蘇らず、人生の花は再び咲かず、
ただ無常の風に散りぬるのみ。
されば申す、剣を収め、旗を巻き、
十歩のうちなる現実にぞ立ち帰るべき。
和歌にいはく、
「露と落ち 露と消えにし 我がネット 夢の跡こそ 哀れなりけれ」
(露と消えたる我がネットの夢の跡は、ただ哀れなりけり)
われらがQOL、爆上がりすべし」と。
かくのごとく語り伝へて、涙を落としけり。
盛者必衰の理をあらはすは、SNSのきらびやかなる画面なりけり。
驕れる者も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
強き者もつひにほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
旗を巻け、剣を収めよ、兜を脱ぎて、
秋葉原の歩行天に魂を残し、
あはれ、まだ迷ひの雲に籠り、
Xの陣にて囀る「かなしき方々」ありと聞く。
そは昔、二千年代の戦さにて、
「ブログ」という盾を構へ、
「2ちゃんねる」の城に籠りて、
されど今、技術の誉れも消え、
戦場は荒れ果て、
ただ炎上の煙のみ空にたなびきて、
いづちの方にか「レムたん」「エミリア」「ウマ娘」「Vの姫君」らが、
「すごいです増田くん!結婚を前提にお付き合いください♡」と、
麗しき言の葉をささやくべしと、
今も夢見るか、かなしきことかな。
なろうの奇跡を信じて、
「俺またなんかやっちゃいました?」と呟き、
会社にて称へられんと望むか。
愚かなること、いとど哀れなり。
お気持ち表明を法螺貝とし、
絶えず戦へども、勝鬨の声、
ただの一度も上がらざりけり。
あなかしこ、
ボーイミーツガールの戦さ、もはや起こらず、
現実を見よ、君たちは敗れたり。
初めより勝敗は決していたのだ。
奇跡は、ただ若き血潮、
いでや、今こそ敗軍の将となれ。
秋葉原のかつての歩行天に赴き、
夢の亡骸を葬るごとく首を垂れ、
敗北の美を引き受けよ。
人の世に、英雄の役のみ尊きにはあらず、
敗者の道もまた、人の宿命なり。
和歌に曰く、
「散る花は もとの木の枝に かへらねど 春の名残を 誰か止めけん」
(散りし花は戻らぬ、されど春の名残をとどめんと、誰が抗ひ得ん)
さらに曰く、
「露と消え 夢とや散りし 秋葉原 その歩行天に 涙ぞ落つる」
かく語り伝へて、涙を落としけり。
別に生む前も向いてるとは思っていなかった。
でもここまで致命的に向いていないと思わなかった。
子どもと遊ぶのが退屈なんだ。
とにかく退屈なんだ。
その間、どうやって触れ合えばいいのか解らなかった。正直今も解っていない。
絵本を読んでも精々数分。
動くようになったらハイハイで追いかけっことかもする。これは多少マシだがとにかく疲れる。
子どもは楽しそうだから頑張るが、あまり疲れるとその後の育児で気が短くなる。
コップ重ねや積み木。親が重ねたものを崩すのが好きなので延々と積む。崩される。また積む。崩される。とにかく積む。崩される。飽きる。
20回くらいやると嫌になるが子どもはまだまだやりたそうだ。時間は全然進んでいない。
年齢が上がったら電車にハマったのでプラレールにかじりつくようになった。
一人でも遊んでくれるのでとても助かる。タカラトミーには感謝しかない。
でも踏切の真似を延々とさせられる。喉が痛くなる。何よりつまらない。
小さい人形を持たされて「何が来るのかな~?うわぁ~!山手線だ~!」という小芝居も無限にやらされる。
これも喉が痛くなるし人形を小刻みに揺らすので手首も疲れる。何より飽きる。
トランプを並べるのも好きだ。子どもと競争という設定で子どもにうっすら負けるペースでカードを並べる。
子どもが集中しているうちはいい。あちこちに気が散ると虚無の時間が長い。
おままごと、お店屋さんごっこ、同じことの繰り返しでうんざりする。たまには違う設定にしようよと言ってもしたがらない。
とにかく単調で同じ作業の繰り返しが多いか、虚無に感じるような時間が長い。
外出はいい。自分にもタスクがあるから。公園は正直飽きるがそれでも家で遊ぶよりいい。
夫はそういうのが苦ではないらしい。休日も延々とカードを並べたり踏切役をやったりしている。
心底尊敬する。
問題は家事が終わってしまった時だ。ついついスマホに逃げてしまう。今でなくてもいいような事を延々と調べてしまう。
この時間がとにかく後ろめたい。時間があるなら遊ぶべきだ。解ってる。でも嫌だ。
子どもと遊ばないなら読書するなり趣味の事をして気分転換すればいい。それも出来ない。後ろめたくて集中できない。
とんでもなく無益な時間だ。わかっててスマホをいじる。今日の夕飯のレシピとかを意味もなく検索したりしてしまう。
時折Xで低年齢で保育園に預ける事の是非について語られるけれども、「子どもは母親と一緒に居るのが一番」と胸を張って言える人を心から尊敬する。
私は心底「私と居たら子どもはまともな成長が出来ない気がする」と思って満1歳から仕事に復帰した。
それは正解だったと今でも思う。子どもはとても楽しそうに保育園に通っている。家が退屈だったのかもしれない。
子どもが最近「ママがいい」を連発するようになった。愛情不足なんだろうかと不安になる。
健康的な食事の提供や快適な居住環境の整備、躾や何かを達成した時の賞賛は苦痛じゃない。
「誰かを推す」という事は、自分の現実から逃げる為だったんだなと、離れて気づいた。
●●の配信が生きがい
なんていうのは10中8・9は「そういう理由を付ければ自分の現実を見ないで他人の現実に向き合っていればいい」という言い訳。
●●の為に頑張ってる、癒されている。
うんうんそうだね。
でも、結局それっていつかは消える他人の為になんのペイも無い事をしているだけだよね。
もちろん気分転換や暇つぶしにたまに見るくらいなら良いと思う。
が、所詮社会経験もろくにない承認欲求モンスター。熱心に見た所でなんの学びも無い。
確かに10代20代ならわかる。ライトなコンテンツに没頭するのはよくある話だし、それが醍醐味だろう。
ただ、30代40代も超えるような連中が没頭しているのは、それはもう異常なんだ。
キャリア形成もせず、とはいえ今更頑張ってもどうしようもないただのギバーとして生きている。
そしてそのVtuber自身もテイカーとして何の実績も無く(高々1時間程度商品紹介する案件受けた程度が実績扱いになるかは別として)
誰もこの現実を見ようとしない。
会計士山田真哉の動画見てたらあからさまな酷い釣りタイトルの動画があって内容も
「主流派経済学者はトランプ関税が始まったら、"すぐに"アメリカがインフレすると言っていた。でも結果は違った。
今になって経済学者たちは『いや最初の数ヶ月は関係ない』みたいなことを言ってるけど、それは最初から言っとけよと個人的には思う」
みたいな感じでメチャクチャだった。
こういう一見正しそうで間違ってる動画みるとものすごく反論したくなる
・ "すぐに"(1,2ヶ月で?)インフレするって言ってた主流派経済学者って誰?
・ そんな素人でも絶対言わなさそうなことホントに経済学者が言うの?
・ 関税前のレポート確認してもそんなこと言ってる人いないけど?
・ というか言い訳までしてるの?ソースは?誰がどこで言ってるの?
みたいに無限にイライラと反論が湧いてきて自分で調べたり主張に読み違えがないか何度も見たくもない動画見てしまう
世間的に、もしくは特定のクラスタでも良いからツッコミが入ってれば気にならないんだけど
youtubeって大体コメントは絶賛の嵐で100万人以上登録者いるようなyoutuberでも一動画にツッコミ入れてるような人ってXでも他のSNSでもほぼゼロだから
なんでこんなあからさまなデタラメが放置されてるんだろう?みたいな気持ちが膨らんでとまらなくなる
特に登録者数や再生数が多くて、公平中立ですとかデータとエビデンスに基づいてますみたいな装いの動画だとツッコミたい度がMAXになる
薬を処方されてないってことは鬱は鬱でも「うつ病」ではなく「抑うつ状態」ってヤツですねー。
診断書を求めたら「抑うつ状態」「適応障害」「自律神経失調症」とか書かれるタイプのやつですわ。
別にうつ病じゃないのでストレス因から離れたら元気になるタイプのやつです。
休んだところで職場または家庭の環境がどうにかならない限り延々ぶり返すだけ。休職は問題を先送りしてるだけなので、本人の社会復帰は今の職場を辞めない限り無理かもですねー。
しかし初診でホイホイと即休職指示を出すとは、今流行りのオンラインで即日診断書〜的なヤブ医者かな? それとも自殺を仄めかしたのかな? などと先行きが不安になりますのう。
ワンチャン配偶者の方が確かにうつ病である可能性もあり、医師も「軽症〜中等症うつ病に抗うつ剤は効かない」という、うつ病治療ガイドラインに従ってるだけのれっきとした精神科専門医である可能性もあるので、その可能性に賭けたいところですな。
ということで、私があなただったらまず
・診察に同席
して、今がどういう状況なのか正確に把握するために情報収集に努めますわ。接し方やこれからの展望についても、診察室で医師に直接尋ねるんですわ。