■ 初の国際Aマッチは1917年5月9日現時点で「男子のサッカー日本代表チーム」の最初の国際Aマッチに認定されているのは1917年5月9日の中華民国戦である。極東選手権大会の初戦となるがこのときは0対5で大敗している。2戦目はフィリピンと対戦して何と2対15で大敗している。ちなみにこのときのフィリピン代表にはバルセロナで大活躍したスペイン系フィリピン人のFWパウリノ・アルカンタラという伝説的なストライカーがいたと言われている。
ということで初の国際Aマッチから100年近くが経過したことになる。日本サッカー協会の公式サイトや各種の資料を見ていくと特に第二次世界大戦以前の国際Aマッチになると対戦相手のメンバーどころか、日本代表のメンバーすら全く分からない試合もいくつかある。もっと言うと試合結果やスコア、挙句の果てには試合日すらはっきりしないケースもある。今の感覚では考えにくいがそういう時代は比較的長かった。
本来であれば日本代表のオールタイム(1917年-2016年)のベストイレブンを考えたいところであるが、映像はもちろんのこと、資料すらほとんど残っていない時代の選手を評価するのは不可能に近い。仕方がないのでJリーグ発足後(1993年以降)のベストイレブンを考えていきたいと思う。記憶している限りではほとんどのすべての試合はTVで中継されており、大半の試合をリアルタイムで体験している人は少なくない。
ゴールキーパーまずはキーパー編となるが、対象となるのは次の17人である。途中出場することはほとんどないポジションなので『日本代表の試合でゴールを守った経験のあるキーパー』は意外と少ない。「代表に招集された経験はあるが出場経験はない。」という選手もたくさんいる。最近ではGK林彰洋(鳥栖)、GK林卓人(当時:仙台)、GK六反(仙台)あたり。ちょっと前の時代ではGK菅野(当時:柏)などもそういう選手と言える。
オフトJAPAN以降はたいていの場合、1番手のキーパーは固定されてきた。オフトJAPANのときはGK松永(当時:横浜M)、加茂JAPANのときはGK川口(当時:横浜M)が途中で地位を確立した。第1次岡田JAPANのときもGK川口(当時:横浜M)のまま。トルシエJAPANのときはGK川口(当時:ポーツマスなど)とGK楢崎(名古屋)の激しいポジション争いが繰り広げられたが最終的に日韓W杯でゴールを守ったのは楢崎だった。
ジーコJAPANのときも同様でGK川口(当時:磐田など)とGK楢崎(名古屋)のポジション争いは最後まで続いたが、2004年夏のアジアカップで大活躍したことがきっかけになってGK川口が2006年のドイツW杯の舞台でゴールマウスを守った。第2次岡田JAPANではGK楢崎がレギュラーとして活躍していたが南アフリカW杯の直前にGK川島(当時:川崎F)が抜擢されてベスト16入りに大きく貢献したのは記憶に新しいところ。