フォワード (CFタイプ)→ 最後はCFタイプ。ゴール前で体を張ったプレーを見せてチームのために貢献できる選手がほとんど。Jリーグが誕生した1993年のちょっと前あたりから世界のサッカーが大きく変わって中盤のスペースがなくなって受けるプレッシャーが格段に増した。それ以前はゆっくりボールをつないで組み立てることが出来たが、サッカー自体の変化によってフォワード、特にCFの選手に求められる仕事が劇的に増えた。
オフトJAPANのときにCFのレギュラーとして起用されたのは現在はV・ファーレン長崎の監督を務めている広島のFW高木琢だった。188センチと体格に恵まれていてタフに戦えるタイプの大型フォワードだった。1992年に広島で開催されたアジアカップの決勝のサウジアラビア戦で決めた胸トラップからのボレーは多くの人の記憶に残っている。国際Aマッチは44試合で27ゴールとハイペースでゴールを量産した。
オフトJAPANのレギュラーはFW高木琢とFW三浦知だったが、スーパーサブには磐田のFW中山が控えていた。勝負強い選手で1992年のアジアカップのときは調子が上がらなかったFW高木琢を尻目に勝負所で投入されて価値あるゴールを記録した。約1年後のアメリカW杯のアジア最終予選のときも不調のFW高木琢に代わって3戦目から先発出場。4試合に出場して3ゴールを挙げる活躍で国民的なヒーローになった。
後を受けたファルカンJAPANのときはFW三浦知のパートナーとしてV川崎のFW武田、広島のFW高木琢、名古屋のFW小倉などが試された。FW武田は抜群の嗅覚を持つ典型的なストライカーだったがスピードもあってポストプレーもこなした。今、振り返ってみるとフォワードとしての能力は高かった。当時はまだ21歳だったFW小倉は182センチとサイズに恵まれていたがドリブルやパスもできる1.5列目的な選手だった。
1995年に加茂JAPANが誕生すると「カズのパートナー探し」がメインテーマの1つになった。鹿島のFW長谷川祥やFW黒崎、この年にJリーグで得点王になった浦和のFW福田、怪我との戦いが続いていた磐田のFW中山などが試されたが、2月に行われたダイナスティーカップでFW黒崎が大活躍。4試合で4ゴールを挙げて優勝に大きく貢献して「ダイナスティー男」と呼ばれたが、FW黒崎はスケールの大きいCFだった。
ただし、FW黒崎も代表定着には至らず。ヴェンゲル監督の下、才能を開花させつつあった名古屋のFW小倉にかかる期待が高まったが怪我のため長期離脱。アトランタ五輪出場も逃した。ベスト8に終わった1996年のアジアカップのときはFW高木琢が2トップの一角で起用されたが、1997年に入るとアトランタ世代のFW城が台頭。さらにはスピードスターで浦和のFW岡野も定期的に代表に招集されるようになった。
1996年のアジアカップでベスト8に終わったことで加茂JAPANに対する批判の声は大きくなっていたが、このあたりの時期になるとブラジル出身のFWロペスの代表入りを期待する声が高まっていた。1987年に日産に加入したFWロペスは日本では主にJFL(=2部リーグに相当)でプレーしていたので一般的な知名度は低かったが柏(日立)や本田では「ほぼ1試合に1点ペース」でゴールを量産していたので報道は過熱した。
1997年9月12日に帰化が認められるとその16日後となるフランスW杯のアジア最終予選の3戦目の韓国戦(H)で日本代表デビューを果たした。いきなり先発で起用されたがこのときの国立競技場の雰囲気は尋常ではなかった。調子の上がらなかったFW城に代わって出場機会を得るようになると5戦目のウズベキスタン戦(A)から3試合連続ゴール。日本代表が一番苦しいときにゴールという形で日本代表を救った。
フランスW杯の本大会のときはFW三浦知が直前で代表落ち。FW城とFW中山の2トップだったが岡田監督によって「フォワードの軸」に指名されたFW城は結果を出せず。大きなバッシングを浴びた。トルシエ監督が就任すると広島のFW久保竜、鹿島のFW柳沢、C大阪のFW西澤、磐田のFW高原といった若い世代のストライカーを抜擢。2000年のアジアカップのときはFW西澤とFW高原の2トップでアジアの頂点に立った。
このあたりの時期はFW西澤がフォワードの軸になっていたが海外移籍が成功せず。代わって台頭してきたのは鹿島のFW鈴木隆だった。鹿島で印象的な活躍をし始めていた時期だったが実績は皆無。本人いわく「いつ戦力外になってもおかしくなかった。」という状況からほんの数か月で日本代表に招集されて2001年のコンフェデで大活躍。日韓W杯のときはフォワードの軸としてベルギー戦では同点ゴールを記録した。
W杯イヤーの2002年になるとアルゼンチンから戻ってきた磐田のFW高原がJリーグで鮮烈な活躍を見せていた。「フォワードの軸はFW高原で決まりだろう。」と思われたがエコノミークラス症候群によってW杯は欠場。「ストライカーとして絶頂期だったFW高原が日韓W杯に出場していたら日本代表はもっといい成績を残すことができたのでは?」というのは日韓W杯を振り返るときは外せないテーマになっている。
ジーコJAPANのときは基本的にはFW高原がフォワードの軸だった。FW柳沢とパートナーを組むことが多かったが、ポストプレーヤーのFW鈴木隆、切れ味鋭いドリブルが武器のFW玉田にもチャンスが与えられた。2004年に入ると「未完の大器」と言われていた横浜FMのFW久保竜が存在感を発揮。アウェイのチェコ戦で衝撃的なゴールを決めるなど期待度が一気に高まったが怪我もあって日本代表では力を出し切れず。
2006年の夏にオシムJAPANが誕生すると愛弟子である千葉のFW巻、沖縄出身のFW我那覇、大分のFW高松あたりにスポットライトが当たった。2007年に入るとフランクフルトでゴールを量産していたFW高原が代表に復帰。2007年の夏に行われたアジアカップのときはエースの仕事を果たしたが、その後、コンディションを崩した。FW高原が日本代表で輝きを放ったのはこのときのアジアカップが最後だった。
第2次岡田JAPANのときはCFタイプを起用しない試合も多かった。FW玉田、FW岡崎慎といったスピードや飛び出しが武器となる選手を岡田監督は積極的に起用した。代表デビュー戦となるイエメン戦でハットトリックを記録した190センチのFW平山に期待する声は多かったが絶対的なフォワードの軸は最後まで見つからず。南アフリカW杯の本大会のときはFW本田圭を最前線に置いて戦ったことは記憶に新しい。
後任のザッケローニ監督は2009年と2010年のJリーグ得点王である磐田のFW前田遼をフォワードの軸として起用。2011年のアジアカップでは3ゴールを挙げる活躍を見せた。他にはアジアカップの決勝の豪州戦で見事な決勝ボレーを決めたFW李忠成、194センチという破格のサイズを誇るFWハーフナー・マイクにも期待が集まったが、2013年の東アジアカップをきっかけにFW柿谷とFW大迫が台頭。代表に定着した。
結局、ブラジルW杯のときはFW大迫がフォワードになったが結果は出せず。サプライズ招集されたFW大久保を最前線で起用した試合もあった。アギーレ監督になってからはザッケローニ体制では右サイドハーフでプレーすることが多かったFW岡崎慎をCFで起用。ハリルホジッチ監督も同様の起用法でFW岡崎慎がCFの軸になっているが鹿島のFW金崎、マインツのFW武藤嘉などもポジション争いに加わっている。
名前 | キャップ数 | ゴール数 | 時期 | 基本ポジション |
黒崎比差支 | 24 | 4 | 1989.05.05-1997.02.13 | FW |
中山雅史 | 53 | 21 | 1990.07.31-2003.06.08 | FW |
高木琢也 | 44 | 27 | 1992.05.31-1997.11.08 | FW |
長谷川祥之 | 6 | 0 | 1995.02.15-1996.05.29 | FW |
城彰二 | 35 | 7 | 1995.09.20-2001.03.24 | FW |
西澤明訓 | 29 | 10 | 1997.05.21-2002.06.18 | FW |
呂比須ワグナー | 20 | 5 | 1997.09.28-1999.09.08 | FW |
久保竜彦 | 32 | 11 | 1998.10.28-2006.05.13 | FW |
高原直泰 | 57 | 23 | 2000.02.13-2008.05.27 | FW |
北嶋秀朗 | 3 | 1 | 2000.10.17-2000.12.20 | FW |
鈴木隆行 | 55 | 11 | 2001.04.25-2005.10.12 | FW |
山下芳輝 | 3 | 0 | 2001.06.04-2003.04.16 | FW |
黒部光昭 | 4 | 0 | 2003.03.28-2004.02.07 | FW |
巻誠一郎 | 38 | 8 | 2005.07.31-2009.02.04 | FW |
我那覇和樹 | 6 | 3 | 2006.08.09-2006.11.15 | FW |
矢野貴章 | 19 | 2 | 2007.03.24-2010.06.14 | FW |
前田遼一 | 33 | 10 | 2007.08.22-2013.06.22 | FW |
田代有三 | 3 | 0 | 2008.02.17-2008.02.23 | FW |
興梠慎三 | 16 | 0 | 2008.10.09-2015.09.03 | FW |
森本貴幸 | 10 | 3 | 2009.10.10-2012.05.23 | FW |
平山相太 | 4 | 3 | 2010.01.06-2010.02.11 | FW |
李忠成 | 11 | 2 | 2011.01.09-2012.02.29 | FW |
ハーフナー・マイク | 18 | 4 | 2011.09.02-2016.03.24 | FW |
豊田陽平 | 8 | 1 | 2013.07.21-2015.01.23 | FW |
大迫勇也 | 15 | 3 | 2013.07.21-2015.06.16 | FW |
川又堅碁 | 5 | 1 | 2015.03.27-2015.08.09 | FW |
1位 : FW 中山雅史 (ジュビロ磐田など)
2位 : FW 高木琢也 (サンフレッチェ広島など)
3位 : FW 高原直泰 (ジュビロ磐田など)
4位 : FW 鈴木隆行 (鹿島アントラーズなど)
5位 : FW 前田遼一 (ジュビロ磐田など)
→ この部門は大混戦。「この選手は確実に上位」と言い切れるほど文句なしの実績を残している選手はいない。上に挙げた選手以外にもFW城(横浜FMなど)やFW久保竜(広島など)やFW西澤(C大阪など)は5位までに入ってきても不思議はない。もっとも悩む部門かもしれないがフランスW杯で日本人として初ゴールを決めたFW中山を1位に選んだ。2位は歴代6位となる27ゴールを記録しているFW高木琢。3位はFW高原。
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