世界中で最も人々の批判にさらされる職業は、代表監督ではないかと思う。結果が出せないと批判されて、試合内容が悪いと批判される。そして、勝っても面白い試合でないと批判されて、若手を使わないと批判される。全てのサポーターを満足させるには、明確な結果を残し続けるしかないが、そんな監督は世界中探してもほとんどいない。
ボクは、最近巷でよく見られるジーコを批判する言動には、うんざりしている。彼は、アジアカップを制して、ドイツW杯の出場権を獲得した。ここまでは、考えられる最高の結果を残している。結果を残している監督に対しては、一定の敬意を払わなくてはいけない。
「メンバーを固定しすぎで面白くなくない?」という意見には、ある部分は納得できるが、ある部分は納得できない。日本代表は2002年のワールドカップに臨んだシドニー世代が、ドイツでも中心になることは、監督就任当初から分かっていたことで、彼らを中心にチームが作られるのは必然で、長谷部や阿部や今野や松井は確かにいい選手ではあるが、シドニー世代を上回る、圧倒的な何かを備えているわけではない。就任して3年半がたって、いまだにころころメンバーを取りかえっこしていた前監督がむしろ異常で、この時期になって、新戦力の枠が狭まりつつあるのは仕方がないところだ。
じゃあ、このままジーコで行って、ドイツ大会でグループリーグを突破できるのか、といわれたらそれは???。だけど、だからといって、年がら年中、そんなことを心配しながら試合を見ていても面白くもなんともない。そんな心配は、日本サッカー協会のお偉方が会議室の中で考えればいい話である。スウェーデンやブルガリアやクロアチアや韓国やトルコが、近年のワールドカップでベスト4という結果を残しているが、そのことを覚えているのはコアなサポーターのみで、記録には残っていても、人々の記憶にはほとんど残っていない。世界のサッカーが均一化される中で、結果と内容を両立させるのは、ブラジルやアルゼンチンのような、スーパーなチームを除いては不可能である。それならば、日本代表には、日本にしか出来ないサッカーで、(結果よりも内容を重視して、)世界にインパクトを与えてほしいと常々思う。
”面白いサッカー”ってどんなサッカーなのか、定義は曖昧だけど、少なくとも今の日本人サポーターには、ボルトン的なサッカーを受け入れらることはできない。当たり前のようにジーコJAPANの試合を見ているせいで感覚は麻痺しているが、ジーコが日本人の特性を生かして、トルシエ時代には見られなかった日本らしいサッカーを実践していること間違いない。ボクは、そこに、ジーコJAPANの可能性を感じる。(残念ながら、その可能性は、縦ポンサッカーを続けている、ユース世代の試合と比較するとよく分かる。)
率直に言うと、日本らしく中盤でつないで崩すサッカーをしている今の代表が好きだ。いつの日か、日本がワールドカップで優勝候補と呼ばれる日が来るまで、ワールドカップで、日本代表が結果を期待することはしないでおこうと思っている。いつかそうなるためにも、個の力を前面に押し出す、ジーコアプローチは間違っていないと思う。
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