8/27のガンダムカフェで開催されたGレコ勉強会。
ゲストは富野監督と石井マークさん。
勉強会のクライマックスは、
この勉強会の質疑応答の中で富野監督は、質問者から
「初めて時間を遡った作品を作られた心境を」と聞かれたところ
「ターンエーはGレコの500年くらい昔の話」という返答をしたところ。
私は目からウロコだった。
監督自身による「Gレコ」が「ターンエー」より後の作品という発言に驚かされた。
私は「ターンエー」で提示された
黒歴史そしてガンダムの全肯定という概念に対して
「ターンエー」以降に作られるガンダムも全て黒歴史となり
全てのガンダムの終着点として「ターンエー」があると思っていた。
「SEED」も「00」も「AGE」もこれからの「鉄血のオルフェンズ」も
全て黒歴史になって、最後に「ターンエー」の世界が訪れると思っていた。
「ターンエー」が歴史の最後という位置づけで今までのガンダムを見ていた。
富野監督は上記の発言に続いて
「そんなのは、あのターンエーの時代の黒歴史でしかなくて」と発言したが、確かに黒歴史は「ターンエー」という作品の話であって
他のガンダムに黒歴史という視点を用いるかどうかは、
解釈の問題でしかなかったのだ。
私は「ターンエー」の黒歴史と今までのガンダムの全肯定という
概念を素晴らしいものであると思い、この視点を活用して他のガンダムを見ていた。
この視点に縛られていたのだ。
富野監督の発言をうけて、「Gレコ」の物語を振り返ると、
概念に縛られたアイーダが旅したことで
世界に対する認識を変えていった物語でもあった。
振り返ると私も概念に縛られていた。
今思うと「ターンエー」が黒歴史後の最後のガンダム世界という見方も
縛られた概念・固定観念であって、
「Gレコ」は固定概念を叩き潰す為にあった作品だったのだとすら思える。
富野監督の発言には
常に最新作こそが自分の一番の作品であるという気持ちが伝わってくる。
過去の作品に満足せず、常に今の作品が一番。
つまり「ターンエー」を刷新して「Gレコ」があるという思い。
挑戦の精神が衰えない、富野監督の姿勢こそ見習っていきたい部分だ。
以上富野監督の発言を受けて、私なりの感じ方をまとめたが、
「Gレコ」が「ターンエー」の後の世界なのか、
「ターンエー」が最後のガンダム世界か、
それとも時系列なんて関係ないと見るかどうかは
最終的に決めるのは受け手が作品をどう見ていきたいかにある。
受け手の作品に対する答えは、受け手の中にあるのだから。
私の中では「Gレコ」が「ターンエー」の500年後の世界であっても、
1999年当時「ターンエー」が提示した
黒歴史からのガンダム最後の世界による
ガンダムの全肯定という視点の価値自身が揺らぐことはないと思っている。
それでも「ターンエーはGレコの500年くらい昔の話」という発言によって、
「ターンエー」が提示した黒歴史と全肯定という概念に縛られていた
ガンダムの見方の刷新ができたのは、これ以上にない収穫だった。
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