宮崎駿「何を言っているかっていうと、大量消費という文明そのものに問題があるんですよ。日本国に起こっていることだけじゃないんですよ。」
宮崎駿「大量消費文明そのものが行き詰まりつつあるからあちこちで騒ぎがおきているんだと思う。」
宮崎駿「だからこんな民族にねろくな判断がつくはずないんですよ。大量消費文明そのものが行き詰まりつつあるから、あちこちで騒ぎが起こっているんだと思うんですよ。でも大量消費をしたいんですよみんなね。それが、もうできないんです。」
大量消費文明があと何年続くか、五十年だろうというんですが、僕は三十年くらいだろうと期待しているんです。大混乱が起こって、不幸も病気も戦争も、くだらないことがいっぱい起こるんですよ、人間の歴史ってそういうものですからね。大変なことなんだけれども、大量消費文明という嫌らしいものが終わるだけでもいいと思っているんです。
そういう大量消費文明のまっただ中にアニメーションも入っていて、僕自身ジレンマの中にありながら解決がつかない。この世の中に生きているということはそういうことだと思います。逃れられないのなら、時代と面と向き合って作品を作っていくしかない。
出典:宮崎駿「折り返し点」(岩波書店)
不安だけは着々と膨らんで、20歳の若者も60歳も区別がつかなくなりました。そして、突然歴史の歯車が動き始めたのです。生きていくのに困難な時代の幕が上がりました。破局は世界規模になっています。おそらく大量消費文明のはっきりした終りの第一段階に入ったのだと思います。風が吹き始めた時代の風とはさわやかな風ではありません。死をはらみ、毒を含む風です。人生を根こそぎにしようという風です。
出典:宮崎駿「本へのとびら―岩波少年文庫を語る」(岩波新書)
ムベッキ「人類は大量消費と戦争で地球を住めないようにしたのです。
そんな人類にはアグテックのタブーは必要でした。
その代わり財団はフォトンバッテリーは無条件で提供してきました。」
「ガンダムーGのレコンギスタ」19話より
富野由悠季「60億人の大量消費行為は、ひょっとすると戦争よりも悪かもしれません。しかし、僕らの世代は新型車を買うのが夢で、その感覚をぬぐうことができないまま地球を消費し続けてきました。」
ガンダムエース2007年11月「教えてください。富野です。VS枝廣淳子」より
富野「戦後、日本は高度成長を続けてきて、大量消費が始まりました。文化生活を営んで、一億みな中流意識を持ってしまって、飽食の時代を過ごしてきた。僕も含めて国家の隆盛期に生きてきた今の日本人は、世界的に見て異常なほど贅沢に暮らしてきたわけです。何も考えないで暮らしていける時代を生きてきた人に、使えるヤツなんていませんよ。せいぜい角が立っている人間がいても、僕のレベルまで(笑)。でもこれからの日本はそうはいかない。
石川智晶 special contents第7回「石川智晶VS富野由悠季」より
富野由悠季「為替レートや株価が秒単位で上下し、巨額の利益や損失が生まれる。現実から離れたバーチャルな世界ですが、それで世の中が動くことを人々は常識と考えている。『給料が毎年上がらなければ困る』ことも、今の時代は真理ですがマクロレベルで言えば、地球資源の限界が見えているのに、さらなる大量消費を推し進める」
2013年2月8日朝日新聞「ガンダムの警鐘」より
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