「響け!ユーフォニアム」12話を見て、
本作は「特別」と「みんな」の物語であると私は感じた。
今回、それは久美子が「特別になりたい」「上手くなりたい」と泣きながら
自分に訴えかけるように主張したことで決定的になったといえる。
特に橋の上で泣きながら「上手くなりたい」というシーンは、強く心打たれる。
久美子のこのような変化には、
麗奈の「特別」になりたいという姿勢に心打たれたのか。
香織の態度や葵の退部劇の影響もあるのか。
何にしても久美子が吹奏楽部で培った経験によって
「特別」になりたいと思ったのだろう。
何より久美子がユーフォを心から好きだったことに気づいたことに他ならない。
ずっとユーフォをやっていたのも、好きだったという証明なのだろう。
そうした久美子の「特別になりたい」「上手くなりたい」「ユーフォが好き」
という様々な感情が見事に入り混じった久美子を今回は上手く描いていた。
ただ吹奏楽部は「特別」になりたい久美子だけのものでもない
久美子以外の麗奈、葉月、緑輝、秀一、あすか先輩や部長などなど
吹奏楽部の「みんな」の演奏で成り立っていくものだ。
今回、久美子は滝先生に演奏の不慣れを指摘されたが
一人でも不慣れな演奏は許されない。
「みんな」の完璧な演奏によって始めて成立する。
その意味では久美子や麗奈といった個々人は「特別」を目指し、
一方で吹奏楽部の「みんな」で一致団結してコンクールを勝ち抜くように練習する。
「響け!ユーフォニアム」は久美子や麗奈といった
個々人が「特別」になりたい気持ちや感情をクローズアップしつつ
一方であくまで本作は「みんな=部活動」を取りあげつつ、
部活動という組織の物語である事も描いていく。
その意味で「響け!ユーフォニアム」は
「特別」と「みんな」のキーワードによって、
それがハーモニーのように奏でられていく物語なのかもしれない。
吹奏楽の演奏はアニメ制作に置き換えられる
こうした吹奏楽部の「みんな」で演奏をすること、
この吹奏楽の演奏自体がアニメの制作に置き換えられると私は思った。
商業アニメの制作には作画(原画・動画)・美術・仕上・撮影・編集・ダビング、音響
などの様々なセクションを経て制作される。
そして吹奏楽も木管楽器、金管楽器、弦楽器・特殊楽器、打楽器など
様々な楽器の演奏者たちのハーモニーによって演奏される。
アニメの制作も吹奏楽も一人ではなく、「みんな」の手で行われる。
先ほど上げた滝先生の久美子への演奏の指摘も同様に
アニメの制作も一つのセクションの不備が作品の出来に大きく影響する。
あくまで各セクション、各演奏者の「みんな」の完璧な仕事が、
アニメ制作を、演奏を、より良いものにしていく。
そして本作の制作を受け持つ京都アニメーションは、
作画・美術・仕上・撮影を自前に持っている会社だ。
アニメ業界は各セクションで分業化が進み、
例えば制作会社が美術や撮影などを他の会社に外注するケースも多いのだが
京都アニメーションは上記のセクションを自前で持つことで
一貫した制作体制を持ち、独自の強みとして機能する体制を持つ。
そんな事を振り返りながら、北宇治高校の吹奏楽部は、
そのまま京都アニメーションの写しなのではと思った。
※どちらも場所は宇治だったりするし。
私がこう考えてしまうのも、富野由悠季監督が以下のように発言するからだ。
富野由悠季「作品は現実の自分のポジションと無関係ではないですね」
出典:月間ニュータイプ1998年6月号付録「まるごと富野」より
これが当てはまるなら、
吹奏楽部員は京都アニメーションの社員さん
顧問の滝先生は作品の監督
演奏する曲は、アニメ作品に該当するのかもしれない。
※滝先生=石原監督?
さらにいうと、久美子はシリーズ演出の山田尚子さんが強く投影されているのか、
それとも各演出家さんも久美子に投影しているのか、
顧問の松本先生は八田陽子さんなのか、とかそういう邪な視点で見てしまう。
いずれにしよ「みんな」で何かをやり遂げるという点で捉えると、
アニメの制作も、吹奏楽の演奏も同様なのかもしれないと感じた。
まとめ
12話は凄かった。絵コンテ・演出の三好一郎さんは伊達ではないことを改めて思い知らされる。
しかし三好さんの演出に思い知らされるのは何度目なのか…。
でも今回の三好さんの演出は凄かった。
特に涙の描写が凄かった、
そして久美子の感情に限りなく肉迫する描き方が素晴らしかった。
個の感情
全体の空気
「響け!ユーフォニアム」はこの二つを描いて、そして次の曲が始まるのです。
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