はじめに
アニメーションは生命のない動かないものに命を与えて動かすことを意味する言葉だ。
この命のないもの、生のないものに。、命や生を感じられるから面白いのである。
そんなアニメーションにおけるキャラクターの生を
我々に感じさせる要素は、作画(光)と声優の演技(音)である。
今回のシンフォギアはこの部分、特に声優の演技(音)について
とても感動した箇所があったので触れてみたい。
マリアの歌と息切れ

感動したのはマリア(日笠陽子さん)の歌と
歌い終わり息切れした上記のシーン。
まず、マリアの歌について。
ナスターシャは米軍と講話しようとしたが、
米軍に裏切られマリア達は窮地に立たされる。
しかしウェル博士のノイズ召喚によって、マリアはピンチを脱出。
そしてマリアは変身し「烈槍・ガングニール」を歌いながら、ノイズや米軍と戦い続ける。
このマリアの歌いぶりにまず感動。
シンフォギアの劇中歌に関しては毎回アフレコで録り下ろしているとの事。
だから毎回歌い方が違っている。
そして今回はマリアの歌い方に
フィーネを背負いきれない自分自身への怒りや状況に対する苛立ちなど
マリア自身が抱える様々な感情を、戦いで払拭するかのように
極めて強く激しく「撃槍・ガングニール」を歌う。
感情の強さの裏には悲壮感さえ伝わってくるマリアの歌いぶり。心が震える。


マリアの苛立ちを象徴する、足で破片を砕く描写。
こうしてただ挿入歌を流すわけではなく、
キャラクターの心境に合わせてアフレコ時に歌うのは
物語を否応なく盛り上げる効果がある事にとても感動した。
生きることは息すること
次にマリアの息切れについて。
米軍達と戦い、歌い終わったあとに、マリアが「はぁはぁ」息切れをするのだが、
この息切れにこそ、私はアニメの生を感じることができた。

それは、ダジャレに聞こえてしまうかもしれないが
生(息)きることは息することだからだ。
マリアが息切れしているのは、それだけ激しく動き、息を使っているからだ。
動き(作画・光)と歌う事によって生じた息切れ(演技・音)が、
キャラクターの生と生き様を見事に表現する。
マリア役の日笠さんもここまでのシーンに辿り着く前に
強く激しく歌っていたのだから息切れを起こしてもおかしくはない。
こうした白熱の演技も相まって、息切れによってキャラクターは生を獲得する。
少なくとも私はそう感じた。
シンフォギアGは、おそらく響の命と問題と
マリアの生き方/戦い方の問題が物語の二大軸になっていくだろう。
その意味でも、今回のような演技でマリアのキャラクターが立つのは良いことだと思う。
ということで、アニメにおける生を考える上で
マリアの描写はとても心打たれた。
今回のコンテは若林あつし(厚史)さん。4話に続いての参加。
4話では、マリアと翼の大白熱した戦闘シーンが印象深いが、
今回もマリアに比重を置いた展開だったので、
マリア=若林さんというイメージが徐々にできつつある。
おまけ~響と未来


1期のシンフォギアの8話は、
響が未来とスマホでノイズに気づかれないようコミュニケーションを取りながら
最終的にはピンチを脱し、二人の絆が深まる名回だったが、
2期のGの8話でも、前期を踏襲するかのように響と未来の描写に重きを置いた展開だった。



響を救いたい未来。
しかし心では繋がっているはず手は無情にも引き離される。
手を繋ぐことの意味を強く伝え続けているシンフォギアで
最も濃い友情関係を見せている二人の手が離れてしまうのは、
その後の二人に振りかかった展開を含めて、見ていてとても辛かった。
未来の泣く表情を見て、心がグッと持っていかれる。
1期のOPのラストカットのように二人は再び手を繋ぐことができるのか。
今後の展開を期待したい。
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