シンフォギアG2話。最高に最高に面白かった。
2話では響の想いが他者に響かない困難が描かれた。
響かない事、それはシンフォギアの作品の構造にも直結する問題だ。
主人公:立花響は、響という名前が示すように、
彼女の想い「手を取り携えることの大切さ」という想いを
生きる中で、シンフォギアとして戦う中で響かせてきた。
そんな響の想いは、天羽奏の死で心を閉ざしていた風鳴翼の心を響かせ、
両親の不遇な死により世界に絶望していた雪音クリスの心を響かせてきた。
さらに響の想いはフィーネにすら響かせ、了子として生を全うさせる。
この事は、最後の落下する月を響・翼・クリスが手を取り携え、
歌い合い(交響)ながらくい止めたのが際たるものだろう。
つまりシンフォギアとは、響の想いが人を世界を巻き込んで
響かせる、シンフォニーさせる作品なのである。
さらに作品の響きがファンの心にも響いたからこそ2期がある。
そんな響の想いが他者に届かなかった、響かなかったのがG2話の真骨頂。
それが以下のシーン。
立花 響「やめようよこんな戦い。今日出会った私たちが争う理由なんてないよ。」
月読 調「そんな綺麗事を」
暁 切歌「綺麗事で戦う奴の言うことなんか信じられるものかです。」
立花 響「そんな。話せばわかりあえるよ。戦う必要なんか…」
月読 調「偽善者。この世界にはあなたのような偽善者が多すぎる」自分の想いが通じない、響かない。響にとっては辛かった展開。
また響達を画面上において下側に、マリア達を上側に配置することで
響の言葉が届かないような演出的配慮もされているのもポイント。
これによって、響が調に偽善者と見下されている構図が生まれる。
戦いの終わりに響は想いが届かないことに号泣する。

偽善と言われたが、響は様々な経験から他者の痛みも知っていると自認していただろうし、
そして世界は手を取り携えれば、良くなっていくことを信じていたはずである。
それを真っ向から手を取り合うことすら完全否定されてしまった。
一方で調は若く幼いながらも早く心を閉ざしてしまったことが
響の態度が気に入らないのかもしれない。
今後、響は彼女たちを響かせることができるのか。
前期の翼やクリスも含めて、響の想いは1回で他者に響いたわけではない。
何度も何度も想いをぶつけて(言葉でも物理でも)、相手を響かせてきた。
この展開を踏まえて、響は調や切歌そしてマリアとどう接して響かせていくか期待したい。
※マリアは翼が受け持ちそうだが。
繰り返しになるが、シンフォギアは想いをぶつけることで相手の心を響かせる物語である。
この点に今後も着目して見ていきたい。
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