まさか禁書目録で少女革命ウテナ的なものが、
見られるとは思っていなかった。
しかし、J.C.STAFF制作で
監督の錦織博さんと松倉友二さんが関わっている事を
よくよく考えたら実は当然というぐらいといえるのかもしれない。
二人とも、ウテナスタッフの中核だったのだから。
(以下ネタバレ)
トンネルでのカーチェイス
まず学園都市の治安を守る虫のような機械が
道路のトンネルの天井によじ登り、ステイル達に襲いかかるシーン。
これは劇場版ウテナにおいて、
アンシーを乗せたウテナカーが世界の外へ出る時に、
襲いかかってきたベルゼブルカーを思い起こさせる。
それは特に、ウテナも禁書目録でも天井によじ登りながら追いかけてきたので、
かなり酷似したビジュアルイメージを作っていたと思う。
美術~学園都市
次に両作ともに美術/背景にこだわり抜いている点。
劇場版ウテナでは、美術を動かすという描写を行い、
劇場版禁書目録では、精巧すぎるほどの学園都市を描いていた。
方向性は違えど、作品に合わせて、美術にこだわり抜いた点は近いのかもしれない。
ちなみにウテナの裏テーマの中に都市論がある事も踏まえると、
禁書目録の学園都市の描かれ方がより面白みを帯びて見えてきた。
奇跡、そして二人が一人になること
禁書目録の映画は「奇跡」がキーワードだった。
奇跡についてアリサ達が話す様は、
TV版の樹璃と枝織を中心とした「奇跡」を扱ったエピソードを彷彿とさせた。
特に奇跡を信じる鳴護アリサ。
奇跡を否定するシャットアウラ。
この二人の考えがコンフリクトを起こしつつ相克され
最後にこの二人が一つの存在になる展開は、
ウテナとアンシーを思い出さずにはいられない。
劇場版ウテナのラストも、世界の果てを振り切り、
世界を革命したウテナとアンシーが一心同体になって、
世界の外を目指すところで終わった。
このウテナとアンシーの一心同体と
アリサとアウラの融合は私には同一のもののように思えた。
それは元々一つのものが二つに分かれ元に戻るこという意味で同じだからだ。
さらに企画段階では、
ウテナとアンシーは元々同じ存在/人格であり、
劇場版では一心同体になった事を考慮すると
アリサとアウラの設定は、極めてウテナ的のようにも思えるのだ。
まとめ
過去に監督の錦織博さんは「天使になるもん」と「忘却の旋律」で
錦織さんなりのウテナを目指した作品を手がけた。
また松倉友二さんもウテナを手がけてことに対しては強い思い入れがあるようだ。
その二人が組んで映画をやる時に、
「少女革命ウテナ」を意識した作りになったのかもしれないし、
少なくとも私には、そう見えてしまっただけの話なのかもしれない。
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トンネルでのカーチェイス
まず学園都市の治安を守る虫のような機械が
道路のトンネルの天井によじ登り、ステイル達に襲いかかるシーン。
これは劇場版ウテナにおいて、
アンシーを乗せたウテナカーが世界の外へ出る時に、
襲いかかってきたベルゼブルカーを思い起こさせる。
それは特に、ウテナも禁書目録でも天井によじ登りながら追いかけてきたので、
かなり酷似したビジュアルイメージを作っていたと思う。
美術~学園都市
次に両作ともに美術/背景にこだわり抜いている点。
劇場版ウテナでは、美術を動かすという描写を行い、
劇場版禁書目録では、精巧すぎるほどの学園都市を描いていた。
方向性は違えど、作品に合わせて、美術にこだわり抜いた点は近いのかもしれない。
ちなみにウテナの裏テーマの中に都市論がある事も踏まえると、
禁書目録の学園都市の描かれ方がより面白みを帯びて見えてきた。
奇跡、そして二人が一人になること
禁書目録の映画は「奇跡」がキーワードだった。
奇跡についてアリサ達が話す様は、
TV版の樹璃と枝織を中心とした「奇跡」を扱ったエピソードを彷彿とさせた。
特に奇跡を信じる鳴護アリサ。
奇跡を否定するシャットアウラ。
この二人の考えがコンフリクトを起こしつつ相克され
最後にこの二人が一つの存在になる展開は、
ウテナとアンシーを思い出さずにはいられない。
劇場版ウテナのラストも、世界の果てを振り切り、
世界を革命したウテナとアンシーが一心同体になって、
世界の外を目指すところで終わった。
このウテナとアンシーの一心同体と
アリサとアウラの融合は私には同一のもののように思えた。
それは元々一つのものが二つに分かれ元に戻るこという意味で同じだからだ。
さらに企画段階では、
ウテナとアンシーは元々同じ存在/人格であり、
劇場版では一心同体になった事を考慮すると
アリサとアウラの設定は、極めてウテナ的のようにも思えるのだ。
まとめ
過去に監督の錦織博さんは「天使になるもん」と「忘却の旋律」で
錦織さんなりのウテナを目指した作品を手がけた。
また松倉友二さんもウテナを手がけてことに対しては強い思い入れがあるようだ。
その二人が組んで映画をやる時に、
「少女革命ウテナ」を意識した作りになったのかもしれないし、
少なくとも私には、そう見えてしまっただけの話なのかもしれない。
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