もはやこの作品は
京子×結衣が引っ張っているのでしょうね。
二人の関係性も含めてとても楽しいです。今回はますます存在感が希薄になり、
ぞんざいに扱われていくアッカリーンを取り上げます。
そしてあかりがぼっち扱いされる「アッカリーンぼっち問題」が
起こっているのではという視点で見ていきたいと思います。
感想「ウチくる?」という事でみんなで結衣の家で遊びます。
アバンからますます存在感が希薄になるアッカリーン
1話目から存在感が希薄だと言われ続け、
2話の「ゆるゆり始まります」では、
カメラがぼやけたまま映し出されたアッカリーン。
3話でも、存在感の無さで目立つという変な事になっています。
まず冒頭の「アッカリーン」「ゆるゆり始まるよ~」ですが
最初のアッカリーンが手を上げるまではカメラが追ってくれますが、
カメラの注目は後ろのUFOに移ってしまいます。
ぼやけるどころか、アッカリーンを映してもくれない勢いです。
またこの後のアバンでアッカリーンがナレーションをしますが
まずアッカリーンが(ナレーションという形で)喋っているのにも関わらず、
吉川ちなつが前に座りアカリンがちゃんと映されません。
次にアッカリーンのナレーションは続いているのに、
きちんと映されているのは他の3人で、アッカリーンは腕のみで右端で見切れています。
アッカリーンは映させてもらえません。
アッカリーンを映していると思いきや、カメラの焦点は明らかに京子。
カメラも京子が走る方向(右側)へPAN(動き)ます。
止めにアッカリーンのナレーションが途中でフェードアウトし
カメラは京子にスライドします。
というように物語冒頭からアッカリーンが完全に置いてきぼりにされる事を
徹底的に執拗に描きます。この徹底ぶりは凄い。
アッカリーンは何か悪い事をしたのでしょうか…
アッカリーンぼっち問題
また何よりアッカリーンは物語的に誰でも絡めていないのがかわいそうです。
京子とは幼馴染のようですが、それだけの関係のようにしか見えません。
キャラ同士の関係の焦点は、京子×結衣や結衣×ちなつに映っています。
基本的にキャラ同士が何かやっている時にアッカリーンは絡みません。
ギリギリ、何かあった時にフォローの台詞が入るだけです…
なんというか、アッカリーンは冒頭でナレーションをしなければ
もはや主人公という存在感すら無かったでしょう。
主人公格として描かれている、もしくは物語を進めているのは
間違いなく京子、次に結衣でしょう。
後半はずっと京子×結衣押しでしたね!!こうしたアッカリーンが主人公ではない、それ以上に誰とも絡めていない状況は
かつて「けいおん!」で話題になった
「アッカリーンぼっち問題」と言えるのではないでしょうか。
まぁ今後もますますアッカリーンの存在感が希薄になる演出が目立ってくるでしょう。
それでもめげずにアッカリーンには頑張ってほしいものです。
ドラクエ好きから見た
今回、結衣の家でゲームをしていたシーンが映されましたが
そのゲームの画面は「ドラゴンクエスト8」を模したものでした。
(ドラゴンクエスト8より)
この画面はホンの数秒も映りませんでしたが、再現度が半端無かったです。
主人公の勇者の動き方がゲームの動き方を忠実に再現していました。
特に建物に近づいた後のまごつき感が素晴らしかったです。
ドラクエ好きとしては嬉しい表現でした。
太田雅彦監督作品ではこうした少女達がゲームをする展開がちらほらみられます。
有名なのは「みなみけ1期」の「先生と二ノ宮君」のゲームシーンでしょうか。
「先生」「二ノ宮君」と連呼するアクションやシューティングゲームが続き
最後には不条理なオチでゲームオーバーになってしまう展開が面白かったです。
太田監督は少女にゲームをさせるのが好きなのでしょうね
そしてパロディ描写の再現度から見て、ゲーム自体が好きなのでしょう。
まとめ
この作品はとても作画が素晴らしいです。
何が素晴らしいのかといえば、あまりに素晴らしすぎて動きが自然なのです。
例えば、ジュースで服が汚れたちなつが服を脱ぐシーンがありましたが
ちなつの着替えのシーンが細かい芝居付きできちんと描かれています。
こうした細かい芝居を必要とする日常動作を造作もなく
自然に描いているのはなかなかマジで凄いです。
この作品のキャラの芝居は自然でかつ細かく、違和感を感じさせません。
これって本当に凄い事なのです。
何よりキャラが可愛すぎます!!
彼女達を眺めているだけで幸せになりますね!! 今回で京子×結衣のカップリングが好きになりました。
http://twodimension.net/archives/2011/0720_072442.shtml
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カメラがぼやけたまま映し出されたアッカリーン。
3話でも、存在感の無さで目立つという変な事になっています。
まず冒頭の「アッカリーン」「ゆるゆり始まるよ~」ですが
最初のアッカリーンが手を上げるまではカメラが追ってくれますが、
カメラの注目は後ろのUFOに移ってしまいます。
ぼやけるどころか、アッカリーンを映してもくれない勢いです。
またこの後のアバンでアッカリーンがナレーションをしますが
まずアッカリーンが(ナレーションという形で)喋っているのにも関わらず、
吉川ちなつが前に座りアカリンがちゃんと映されません。
次にアッカリーンのナレーションは続いているのに、
きちんと映されているのは他の3人で、アッカリーンは腕のみで右端で見切れています。
アッカリーンは映させてもらえません。
アッカリーンを映していると思いきや、カメラの焦点は明らかに京子。
カメラも京子が走る方向(右側)へPAN(動き)ます。
止めにアッカリーンのナレーションが途中でフェードアウトし
カメラは京子にスライドします。
というように物語冒頭からアッカリーンが完全に置いてきぼりにされる事を
徹底的に執拗に描きます。この徹底ぶりは凄い。
アッカリーンは何か悪い事をしたのでしょうか…
アッカリーンぼっち問題
また何よりアッカリーンは物語的に誰でも絡めていないのがかわいそうです。
京子とは幼馴染のようですが、それだけの関係のようにしか見えません。
キャラ同士の関係の焦点は、京子×結衣や結衣×ちなつに映っています。
基本的にキャラ同士が何かやっている時にアッカリーンは絡みません。
ギリギリ、何かあった時にフォローの台詞が入るだけです…
なんというか、アッカリーンは冒頭でナレーションをしなければ
もはや主人公という存在感すら無かったでしょう。
主人公格として描かれている、もしくは物語を進めているのは
間違いなく京子、次に結衣でしょう。
後半はずっと京子×結衣押しでしたね!!こうしたアッカリーンが主人公ではない、それ以上に誰とも絡めていない状況は
かつて「けいおん!」で話題になった
「アッカリーンぼっち問題」と言えるのではないでしょうか。
まぁ今後もますますアッカリーンの存在感が希薄になる演出が目立ってくるでしょう。
それでもめげずにアッカリーンには頑張ってほしいものです。
ドラクエ好きから見た
今回、結衣の家でゲームをしていたシーンが映されましたが
そのゲームの画面は「ドラゴンクエスト8」を模したものでした。
(ドラゴンクエスト8より)
この画面はホンの数秒も映りませんでしたが、再現度が半端無かったです。
主人公の勇者の動き方がゲームの動き方を忠実に再現していました。
特に建物に近づいた後のまごつき感が素晴らしかったです。
ドラクエ好きとしては嬉しい表現でした。
太田雅彦監督作品ではこうした少女達がゲームをする展開がちらほらみられます。
有名なのは「みなみけ1期」の「先生と二ノ宮君」のゲームシーンでしょうか。
「先生」「二ノ宮君」と連呼するアクションやシューティングゲームが続き
最後には不条理なオチでゲームオーバーになってしまう展開が面白かったです。
太田監督は少女にゲームをさせるのが好きなのでしょうね
そしてパロディ描写の再現度から見て、ゲーム自体が好きなのでしょう。
まとめ
この作品はとても作画が素晴らしいです。
何が素晴らしいのかといえば、あまりに素晴らしすぎて動きが自然なのです。
例えば、ジュースで服が汚れたちなつが服を脱ぐシーンがありましたが
ちなつの着替えのシーンが細かい芝居付きできちんと描かれています。
こうした細かい芝居を必要とする日常動作を造作もなく
自然に描いているのはなかなかマジで凄いです。
この作品のキャラの芝居は自然でかつ細かく、違和感を感じさせません。
これって本当に凄い事なのです。
何よりキャラが可愛すぎます!!
彼女達を眺めているだけで幸せになりますね!! 今回で京子×結衣のカップリングが好きになりました。
http://twodimension.net/archives/2011/0720_072442.shtml
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