結論:とがめは良いです。
一生懸命生きる姿勢に心打たれるのでしょうね。今回よかったのは番組後半、全てが終わったかごめが空を2回見上げたショット。
1回目まだ空を見上げたとき、笑顔ではなかったのですが、
2回目見上げたときは、ちゃんと笑顔になっていました。
全てが吹っ切れた、父への想いも含めて吹っ切れた、そんな事が伝わるシーンでした。
-感想-今回はとがめも七花含めて己の戦う意義というのを
問いかけられるような内容でした。
今回のお相手は
仙人:彼我木輪廻自分の投影が具象化されるという事で姿・性格・言動が変化する存在。
多少人を喰った言動にはかごめの投影がされているとか。
この仙人との戦いを通してかごめは己の内部の問題を見つめなおす事が出来ました。
実はそれがかごめにとって一番重要だったのではとも思いますね。
そして今回思ったのは、この部分は原作への言及なのでしょうが、
「言葉の暴力」という事を強く感じましたね。
例えば彼我木輪廻は「七花の戦闘値を10とすると私は7。
でも七花は戦闘と防御にそれぞれその10の数字を半分(5)に割り振っている。
だから私は防御に7全てを注げば、攻撃(5)はかわせる」というニュアンスの発言がありました。
一見、現実的にみればありえない理屈ですが、
言葉だけ形而上化的思考を行い、かつ仙人の言う事が可能であれば筋がつきそうです。
言い換えるならば、あの作品って「言葉」が作品を支配しているのですよね。
何を発しても「言葉」として成立すれば、展開としても成立する。
ある意味「発した言葉が現実化し力になる」それは「暴力的」だという感覚を受けました。
そんな世界が「刀語」の世界なのではと思いました。
まぁそれは今まで見ていた人なら当然じゃないかという声も聞かれそうですが、
9話から見始めたものなのでご容赦下さい。


でもこの作品の核って
「七花ととがめ」の二人の物語なんですよね。
「化物語」でもそうですが、アニメ化された西尾維新作品は
少年と少女の関係から世界を見ていこう、成長していこうという話に私は見えます。二人で一緒にいること。浮ついた恋愛でもなく、二人でいることそのものの尊さ。
この二人の関係があるから、この作品は成立しているのでしょうね。
そして話の核がとてもシンプルだから、設定や内容を修飾しやすいのだと思いました。
残り2話という事で、物語の核心には近づいてきたと思います。
今回はもっと彼我木輪廻はの言葉の一つ一つに注意深く聞いておくべきでしたね。
最大の注目点は虚刀流が正体が虚刀・鑢そのものつまり七花だったという事です。
まぁ七花が刀を使えない時点で、こういう彼自身が刀というのは想像できたのかも。
この辺りのとがめの言葉の理解の仕方も含めて「言葉」が世界を支配している感じです。

汽口慚愧と七花の戦闘シーンは良かったですね。抜群に気合が入っていたシーンでした。
足の踏み込みや、体のひねりなどアクションシーンとして見たいカットがちゃんと入っている。
カメラワークも多彩であおりや地面をナメるようなショットもありカッコ良かったです。
流線・動線を多用して臨場感を出すことにも成功しています。
トリッキーな動きでした。枚数も多かった(2コマっぽい部分もあった)
絵コンテに小松田大全 原画に板垣敦
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問いかけられるような内容でした。
今回のお相手は
仙人:彼我木輪廻自分の投影が具象化されるという事で姿・性格・言動が変化する存在。
多少人を喰った言動にはかごめの投影がされているとか。
この仙人との戦いを通してかごめは己の内部の問題を見つめなおす事が出来ました。
実はそれがかごめにとって一番重要だったのではとも思いますね。
そして今回思ったのは、この部分は原作への言及なのでしょうが、
「言葉の暴力」という事を強く感じましたね。
例えば彼我木輪廻は「七花の戦闘値を10とすると私は7。
でも七花は戦闘と防御にそれぞれその10の数字を半分(5)に割り振っている。
だから私は防御に7全てを注げば、攻撃(5)はかわせる」というニュアンスの発言がありました。
一見、現実的にみればありえない理屈ですが、
言葉だけ形而上化的思考を行い、かつ仙人の言う事が可能であれば筋がつきそうです。
言い換えるならば、あの作品って「言葉」が作品を支配しているのですよね。
何を発しても「言葉」として成立すれば、展開としても成立する。
ある意味「発した言葉が現実化し力になる」それは「暴力的」だという感覚を受けました。
そんな世界が「刀語」の世界なのではと思いました。
まぁそれは今まで見ていた人なら当然じゃないかという声も聞かれそうですが、
9話から見始めたものなのでご容赦下さい。


でもこの作品の核って
「七花ととがめ」の二人の物語なんですよね。
「化物語」でもそうですが、アニメ化された西尾維新作品は
少年と少女の関係から世界を見ていこう、成長していこうという話に私は見えます。二人で一緒にいること。浮ついた恋愛でもなく、二人でいることそのものの尊さ。
この二人の関係があるから、この作品は成立しているのでしょうね。
そして話の核がとてもシンプルだから、設定や内容を修飾しやすいのだと思いました。
残り2話という事で、物語の核心には近づいてきたと思います。
今回はもっと彼我木輪廻はの言葉の一つ一つに注意深く聞いておくべきでしたね。
最大の注目点は虚刀流が正体が虚刀・鑢そのものつまり七花だったという事です。
まぁ七花が刀を使えない時点で、こういう彼自身が刀というのは想像できたのかも。
この辺りのとがめの言葉の理解の仕方も含めて「言葉」が世界を支配している感じです。

汽口慚愧と七花の戦闘シーンは良かったですね。抜群に気合が入っていたシーンでした。
足の踏み込みや、体のひねりなどアクションシーンとして見たいカットがちゃんと入っている。
カメラワークも多彩であおりや地面をナメるようなショットもありカッコ良かったです。
流線・動線を多用して臨場感を出すことにも成功しています。
トリッキーな動きでした。枚数も多かった(2コマっぽい部分もあった)
絵コンテに小松田大全 原画に板垣敦
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