■ フラット3の思い出鹿島やバーゼルでの活躍、2000年のシドニー五輪や2002年の日韓W杯やジーコジャパンでの活躍も印象的であるが、やはり、1999年にナイジェリアで行われたワールドユースの印象が強烈である。当時はトルシエ監督がフル代表と五輪代表とU-20日本代表の3つを掛け持ちしていたが、ボランチが本職だったMF中田浩を「3-4-1-2」の左ストッパーにコンバートして、これが躍進のきっかけの1つになった。
「ワールドユースでの準優勝」という快挙に大きく貢献した後、シドニー五輪代表チームに昇格して、間もなく、フル代表でも左ストッパーでレギュラーポジションを掴んだ。トルシエ監督がフランスリーグのマルセイユの監督に就任したときは、MF中田浩の獲得を熱望してチームに迎え入れた。このこともあって、「トルシエの秘蔵っ子」とも言われたが、トルシエ監督の代表チームには欠かせない選手だった。
182センチと日本人の中盤の選手としてはサイズにも恵まれており、精度の高い左足のロングキックも大きなウリだった。高校時代から評判だった左足はプロの世界でも一級品だったが、一番、印象に残っているのは「クレバーさ」である。本職のボランチ以外にもCBや左SBでも一流のプレーができたが、高い戦術理解度を持っていて、非常にスマートで、非常に頭のいい選手だった。
名作と言われる日韓W杯のときのトルシエジャパンを追った「六月の勝利の歌を忘れない 」というドキュメントの中でも、彼の頭の良さを感じるシーンが随所に出てくる。どんな相手にも怯むことなく向かっていく武闘派の右CBのDF松田、冷静沈着でフィード力も非常に高かった頭脳派のDF森岡、攻撃力とクレバーさを兼ね備えていた左CBのDF中田浩の3人で組んだ「フラット3」のバランスは絶妙だった。
■ 指導者としても一流になれるのではないか?この学年は「黄金世代」と言われているが、彼らも34歳や35歳になった。考えてみると、MF小野伸やFW高原やDF加地は今シーズンの途中に移籍しており、MF稲本も去就が注目を集めている。キャリアの晩年に差し掛かっているので、サッカー選手としていろいろな決断を迫られる時期と言えるが、黄金世代のメインキャストの1人だった選手の中ではMF中田浩が最初にスパイクを脱ぐことになった。
「もう少し現役でプレーできるのではないのか・・・。」という思いもあるので、ちょっと寂しいニュースと言える。「現役復帰」というのは難しいので、「燃え尽きるまで頑張る。」というのが一番いいのではないか?と個人的には思うが、考え方は人それぞれである。鹿島で沢山のタイトルを獲得して、W杯にも出場して、アジアカップも制覇して、海外リーグでも活躍して、本当に幸せなサッカー人生だったと言える。
J1の最終節の鳥栖戦(H)が現役としてのラストゲームで、これが終わるとMF中田浩にとっての第2の人生がスタートする。『(鹿島の)クラブスタッフとして残留する方向』と公式サイトで発表されているが、国内外の戦いで培ってきた彼の経験値の高さというのは相当なものがある。生来の頭の良さを含めて考えると、「(選手としてだけでなく、)指導者としても一流になれるのではないか?」と期待せざる得ない。
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