■ Jリーグの開幕戦1993年5月15日に行われたJリーグの開幕戦はヴェルディ川崎と横浜マリノスの黄金カードとなった。この試合は国立競技場で開催されて59,626人の大観衆を集めたが、80万を超える人たちが観戦を希望したと言われており、抽選で選ばれた幸運な人だけが歴史的な一戦を生で観ることができた。この試合がサポーターが選んだJリーグ20年のベストゲームの4位に選ばれている。
ホームの川崎は「4-4-2」。GK菊池。DF中村忠、加藤久、ペレイラ、都並。MF柱谷、三浦知、ハンセン、ラモス。FWマイヤー、武田。エースのMF三浦知は右サイドハーフに入って、オランダ人のFWマイヤーと日本代表のFW武田の2トップとなった。GK藤川、MF戸塚、FW永井、MF北澤、FW阿部の5人がベンチスタートで、DF都並、MF柱谷、MFラモス、MF北澤、MF三浦知、FW武田の6人がオフトジャパンの常連だった。
対するアウェー扱いとなる横浜Mは「4-2-3-1」。GK松永。DF勝矢、小泉、井原、平川。MF野田、エバートン、木村、ビスコンティ、水沼。FWラモン・ディアス。FW神野、MF山田、MF三浦文、DF永山、GK横川の5人がベンチスタートで、GK松永とDF井原とDF勝矢の3人がオフトジャパンの常連で、若手のFW神野とMF山田の2人もオフトジャパンに召集された経験がある。
■ 2対1でマリノスが勝利試合は川崎ペースで進んでいく。立ち上がりからボールを保持して攻め込むと、前半19分にFKの流れから左サイドにいたFWマイヤーにボールが渡る。ボールを受けた元オランダ代表のFWマイヤーは巧みなコントロールからシュートコースを作って右足を振り抜くと、これが見事なコースに飛んで行って記念すべきJリーグの初ゴールとなった。前半は1対0と川崎がリードして折り返す。
後半開始から川崎はFW武田に代えて怪我のためスタメンを外れていたダイナモのMF北澤を投入。メンバーを入れ替えてくるが、後半3分に横浜MがCKを獲得すると、MF木村が相手の意表を突く形でショートコーナーを行うと、フリーでボールを受けたMFエバートンが右足で豪快に決めて1対1の同点に追い付く。FWマイヤーのシュートとほぼ同じとなるコース隅に鮮やかに決まった。
さらに後半14分には、DF井原の縦パスからMF木村が頭で落としたボールに反応したMF水沼がトップスピードで相手2人の間を割って入って右足でシュートを放つと、MF水沼のシュートはGK菊池が何とか防ぐが、こぼれ球がGK菊池とDFペレイラの体に当たってゴール前にこぼれると、アルゼンチン代表歴のあるFWラモン・ディアスが押し込んで2対1と横浜Mが勝ち越しに成功する。
ビハインドとなった川崎は後半34分にDF加藤久を下げてストライカーのFW阿部を投入。何度か惜しいシーンを作るが、横浜Mの堅い守備を破ることはできない。結局、アウェー扱いとなる横浜Mが2対1で勝利して歴史的な開幕戦を飾った。翌日の5月16日には、鹿島vs名古屋、横浜Fvs清水、広島vs市原、G大阪vs浦和の4試合が行われて、Jリーグは全国的なブームとなっていく。
■ 32.4%という視聴率この試合は19:30にキックオフされて、NHKで全国に生中継されているが、視聴率は32.4%だった。これはもちろん、Jリーグの試合としては歴代最高である。ちなみに、歴代2位は1993年12月1日に行われた清水エスパルスとヴェルディ川崎の試合で30.8%で、視聴率が30%を超えているのは、この2試合だけである。32.4%という数字は、ほぼ間違いなく、永遠に塗り替えられることはないと思われる。
Jリーグの試合における歴代の視聴率ベスト15を調べてみると、1993年のJリーグオールスター(EAST vs WEST)が18.2%で14位となっているが、それ以外の1位・2位・3位・4位・5位・6位・7位・8位・9位・10位・11位・12位・13位・15位は、全て、1993年もしくは1994年のヴェルディ川崎の試合である。当時のヴェルディ川崎の人気と注目度が異次元のレベルだったことがよく分かるランキングである。
1994年の開幕戦のヴェルディ川崎とベルマーレ平塚の試合が21.0%で歴代9位となっているが、視聴率が20%を超えているのは1位から9位までの9試合だけなので、「ゴールデンタイムで高視聴率を連発していた。」とは言い切れないが、とは言っても、ゴールデンタイムの放送自体が皆無に近い今の時代では考えられない数字であり、社会現象となったのも納得である。
■ 今との違いは?試合の方は、タレント軍団であり、日本代表の主力を揃えるヴェルディ川崎が有利かと思われたが、横浜Mが試合巧者ぶりを発揮した。この頃の横浜M(日産)は東京V(読売)に相性が良くて、最後に読売が日産に勝利したのは、1987年3月の日本リーグの試合だったというので、6年以上も日産に勝つことができなかった。この日の結果を含めると、横浜M(日産)が13勝0敗4分けとなるので、一方的な成績である。
20年以上前の試合なので、今とはいくつかの部分で違いが見られるが、まず、ルールの面では、ベンチに入ることができるのは5人だけで、試合中に交代できるのは、2人までだった。当時は90分で決着が着かなかった場合は、サドンデス方式の延長戦に突入して、それでも決着が着かなかったらPK戦を行ったので、「延長戦に入ること。」も想定する必要があったので、戦術的な交代をする余裕は無かった。
その後、交代メンバーが3人となって、Jリーグの試合でも、国際試合でも、選手交代で試合の流れを変えようとするのは当たり前になっているが、20年ほど前は、スタンダードではなかったことが分かる。なので、ひと昔の監督になると、戦術的な交代をあまりしてこなかったので、「試合中の選手交代があまり得意ではない。」という人がいてもおかしくない。
他には、(この試合でも1回だけあったが、)自陣深くでスローインをするとき、味方選手がスローインしたボールをキーパーが手でキャッチすることができた。また、オフサイドの規定も違っており、当時のルールは、誰か1人でもオフサイドポジションにいたら、オフサイドが適用されたので、今と比べると、オフサイドを取りやすかった。そのこともあって、最終ラインは高く設定されている。
このすぐ後、「プレーに関与していなければ、オフサイドポジションに選手がいたとしても、オフサイドを取らずにプレーを流す。」という風にルールが変更されて、オフサイドトラップはリスクの高い戦術となった。したがって、闇雲にラインの設定を高くするチームはなくなったが、20年前の試合を見ていると、オフサイドに関するルールの変更というのが、戦い方に大きな影響を及ぼしたということがよく分かる。
■ 青年監督の対決その他の部分で、面白いと思うのは、両チームの監督である。川崎の松木安太郎監督が35歳で、横浜Mの清水秀彦監督が38歳なので、ともに青年監督である。言うまでもなく、現在、松木氏はテレビ朝日系列で、清水氏はフジテレビ系列のサッカー番組でエース格の解説者になっているが、この若さで名門チームの監督を任されたくらいなので、指導者として大いに期待されていたことが分かる。
ただ、この試合に関しては、1対0とリードしていた川崎の松木監督がハーフタイムでFW武田を下げて、MF北澤を下げた采配が効果的ではなかったと言われている。先のとおり、交代枠は「2」しかなくて、前半のFW武田の動きは非常に良かったので、不可解な交代だった。もちろん、「MF三浦知をもっと前目でプレーさせたい。」という意図があったと思うが、成功しなかった。
そして、20年前の試合にも関わらず、まだ現役で頑張っている選手が2人もいるというのは、興味深いところである。20年前にトップレベルでプレーしていた選手が、20年後にも現役でプレーしているというのは、比較的、選手寿命の短いサッカーの世界では、珍しいと言える。その1人であるFW三浦知は、サイドハーフでプレーする時間が長かったので、持ち味をフルに発揮したとは言えないが、やはり、存在感は抜群である。
当時のことはよく覚えているが、試合前は「誰がJリーグの1stゴールを決めるか?」という点に注目が集まっていて、『やっぱりカズだろう。』、『カズしか考えられない。』と思っていた。それくらい、当時のカズは、注目度の高い試合では、必ず、結果を出していて、周囲の期待に応えるプレーを見せてくれた。なので、よく分からないオランダ人のFWマイヤーが初ゴールを決めたことに対しては、複雑に思う気持ちもあった。
それはともかく、今回、スカパーが「サポーターが選んだJリーグ20年のベストゲームの1位から10位まで」を全て放送しているが、今の視点で当時の試合をフルで観ていくと、当時のサッカーならびにJリーグのいいところもよく分かるし、逆に、今のサッカーならびにJリーグのいいところもよく分かる。頻繁に見る必要はないと思うが、たまにこういう昔の試合を観るのも、なかなか面白いと言える。
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