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壮瞥町駒別

壮瞥町駒別(令和2年5月24日探訪)

壮瞥町駒別は農村集落である。
明治41年5月三宮文九郎がレルコマベツに入植後、早瀬農場小作者が入植し大正5年には57戸285人の人びとが暮らしていた。
当時、子どもたちは久保内尋常小学校へ通学していたが奥地から12キロもあり、通学は困難であった。
そこで早瀬吉松所有の土地の寄付を受け、大正5年4月24日久保内尋常小学校付属特別教授場として開校した。
同地は高台、丘陵の地が多いことから不作や凶作に度々見舞われ、転出する者も多く、昭和7年には25戸150人にまで減少した。
昭和8年蟠渓尋常小学校所属宇遠別特別教授場を併合した結果、校下は上久保内第二集落も編入されることになり併せて36戸215人になった。翌昭和9年、久保内尋常高等小学校所属から独立した。
戦後、引揚者が駒別に入植し昭和23年には34戸205人になった。以降自家用、水力発電工事の竣工(昭和29年8月)や電灯の導入(昭和39年9月)もなされたが標高370メートルの高地に位置し、寒冷地帯のため農業経営に恵まれない悪条件や交通の不便が重なり離農者が現れ始め、昭和41年3月駒別小学校は閉校した。
学校の沿革は以下の通りである。

大正 5年 久保内尋常小学校付属上礼留駒別特別教授場として開校(4月)
大正14年 校舎新築移転(11月)
昭和 8年 蟠渓尋常小学校所属宇遠別特別教授場を併合(4月)
昭和 9年 駒別尋常小学校と改称(4月)
昭和16年 駒別国民学校と改称(4月)
昭和22年 駒別小学校と改称(4月)
昭和34年 校舎改築落成(7月)
昭和36年 へき地集会室完成(11月)
昭和41年 閉校(3月)

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令和2年5月、HEYANEKO氏、A.D.1600氏と訪れた。
民有林林道 駒別線をひたすら進むと学校跡を示す記念碑が見えた。

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記念碑の裏面。駒別小学校の沿革が刻まれている。

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学校より先に移転前の学校跡地があるが、道が悪そうなので探訪は止めた。

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学校の近くに神社マークが記されているので、神社跡を目指す。

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ご神木のような木が見えた。

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神社跡周辺の風景。
建物の基礎や痕跡は見当たらなかった。

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学校跡付近に架かる駒別橋。

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川の名前はレルコマベツ川。

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レルコマベツ川は穏やかに流れていた。

参考文献
壮瞥町史編さん委員会1979『壮瞥町史』壮瞥町

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

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プロフィール

成瀬健太

Author:成瀬健太
北海道旭川市出身。札幌市在住。
元陸上自衛官。
北海道の地方史や文芸を中心としたサークル『北海道郷土史研究会』主宰。

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