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和寒町東和

和寒町東和(平成20年5月31日探訪)

東和のメインストリート
東和の歴史は古く、明治期に開拓された集落です。
開拓当初は辺り一面笹ヤブや樹木に覆われていました。バレイショ(ジャガイモ)や除虫菊の栽培等で開拓され、次第に人も居住するようになり大正6年6月1日、東和小学校が開校しました。
昭和初期には澱粉工場が6軒あり、如何にバレイショの栽培が盛んだったか伺えます。
戦後、食糧難により戦後開拓が東和の奥で進められ、東陵と言われました。そこにできた東陵小学校は昭和27年4月1日に開校します。
東陵は、洋菜カリフラワー栽培で北海道で一番になったこともあります。
しかし、次第に人口も少なくなり東陵小学校は昭和46年3月31日閉校。東和小学校も昭和51年3月31日に閉校しました。
現在、東和の居住者は3世帯7名。東陵地域は0世帯(廃村)となっています。

東和は和寒高校のスキー部 部員が夏季の間、この道を走って体力練成をしていました。理由を聞くと「車が殆ど通らないから」とのことでした。
その和寒高校も平成22年に閉校となりました。

東和に残る澱粉工場の廃墟。
東和で一番大きかったのは松永さんという方が経営していた澱粉工場でした。
澱粉工場跡

東和小学校の奥にあった通称「刈分地区」。
地名の由来は笹薮を「刈り分けて」開拓したという説が有力です。
刈分地区は現在、大規模な畑と化していますがかつてはつづら折の道(刈分道路)が続き、人家も点々とですがありました。
その刈分地区に残る刈分道路の一部です。
刈分地区に残る「刈分道路」の一部

東和にあった神社跡。
あった、と書いたのは、神社は既に崩壊して瓦礫となっていました。
社殿へ続く階段は笹薮に覆われ、自然へ還ろうとしていました。

東和神社

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懐かしい場所

こんにちは はじめまして。廃墟を検索していて こちらにたどり着きました。
私の亡くなった母の実家はこちらでした。
除草菊なども はじめは栽培していたようです。
水田が主で 畑作も自分たちで食べる分くらいと現金収入のため?に少量は作っていたようでした。夏休みになると従兄弟たちも集まって トンボを捕ったり 川で遊んだり 今のようにゲームも何もありませんでしたが とても楽しかったです。

たしか奥にも小学校があり、盆踊りに連れて行ってもらった記憶があります。
そのあたりに釣り堀もあったと思います。
写真のデンプン工場は 叔父が経営してたそうです。
当時はすごく羽振りがよかったと言ってました(叔母から聞いた話です)

数年前に主人に連れて行ってもらいましたが もう山に飲み込まれそうでした。
人の手が無くなるとあっと言う間に自然に帰っていくものなんだなと
なんとも言えない気持ちになりました。私は旭川生まれ、旭川育ちですが 故郷というと夏を過ごしたこの場所を思い出します。懐かしい風景ありがとうございました。

Re: 懐かしい場所

旭川のキツネさま

コメント有難うございました。
和寒町東和ははじめて本格的に調査した集落なので、個人的にも思い出深いものがあります。
奥の小学校というのは東陵小学校のことでしょうか。ニジマスの養殖場が近くにあったと聞いていたので、もしかしたら釣堀も兼ねていたかもしれませんね。
デンプン工場の傍に「子助け地蔵」というお地蔵様がありますが、デンプン工場経営者が建立したと聞いています。

私も生まれ育ちは旭川ですが、東和はまた再訪したい地域でもあります。こちらこそ有難うございました。

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プロフィール

成瀬健太

Author:成瀬健太
北海道旭川市出身。札幌市在住。
元陸上自衛官。
北海道の地方史や文芸を中心としたサークル『北海道郷土史研究会』主宰。

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