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2015年1月11日 (日)

シャルリー・エブド襲撃後の“言論の自由”という偽善

2015年1月9日
wsws.org

シャルリー・エブド編集部襲撃は、パリ中心部における12人の非業の死に震え上がらせ、人々に衝撃を与えた。武装した男達が銃を発砲して、既に負傷している警官を殺害した、何百万人もが目にしたビデオ画像は、水曜の出来事のとんでもない実情を伝えている。

銃撃直後から、国とマスコミは、国民の恐怖と混乱につけこもうとしている。またしても、テロの政治的破綻と、本質的に反動的な性格があからさまになった。テロは、テロリストがしでかしたことを 独裁政治と軍国主義への支持をかき立てるのに利用する国家権益に役立つのだ。2003年、ブッシュ政権がイラクを侵略した際、フランス大衆の反対が余りに圧倒的だった為に、ジャック・シラク大統領率いる政府は、アメリカ合州国からの膨大な政治的圧力を受けながらも、戦争に反対せざるを得なかった。それから12年後の現在、フランソワ・オランド大統領は、フランスを“対テロ戦争”におけるアメリカ合州国の主要同盟国へと懸命に転換しようとしており、パリの襲撃事件は彼の思うつぼだ。

こうした取り組みで、オランドは、このような場合、大衆の感情操作と、大衆の政治的見当識障害を起こさせる為に全力を振り向けるマスコミを、頼りにすることが可能だ。資本主義者のマスコミは、情報の抑圧と、一部だけ真実の話や、真っ赤なウソを巧妙に組み合わせて、広範な大衆の極めて卑劣な本能に対してのみならず、大衆の民主的、理想主義的感情にも訴えかける様に計算された物語を作り上げるのだ。

シャルリー・エブド誌襲撃は、出版の自由と、自由の喪失や生命に対する脅威の恐れ無しに、自らの思うことを表現するというジャーナリストの民主社会における不可侵の権利に対する攻撃だという主張が、ヨーロッパやアメリカ合州国中でおこなわれている。シャルリー・エブドの漫画家や編集者殺害は、ヨーロッパやアメリカ合州国で極めて大切に護持されていることになっている言論の自由の原理に対する攻撃だと宣言した。シャルリー・エブド襲撃は、そこで欧米の“自由”に耐えられないイスラム教徒による、また一つの暴行として描かれる。ここから“対テロ戦争”、つまり、中東、中央アジアや北・中央アフリカに対する帝国主義者の猛攻撃は、避けることのできない必要事だという結論が引き出されてしまう。

偽善の民主主義を大騒ぎするさなか、中東での戦争で、少なくともジャーナリスト15人の死に、アメリカ軍は責任があるという事実への言及は皆無だ。“言論の自由が攻撃されている”と言い続ける中、2003年のバグダッドのアル・ジャジーラ事務所空対地ミサイル攻撃で、ジャーナリスト三人が死亡し、四人が負傷したことへの言及は全くない。

2007年7月の、バグダッドで働いていた、二人のロイター・ジャーナリスト、カメラマンのナミール・ヌール-エルディーンと運転手のサイード・チマグの殺害に関して、一言も書かれても、言及されてもいない。二人は、東バグダッドへの任務に派遣されたアメリカのアパッチ武装ヘリよって、意図的に標的にされたのだ。

アメリカ国民も諸外国の国民も、アメリカ人兵士、ブラドリー・チェルシー・マニング伍長から入手した機密情報を、ウイキリークスが公開したおかげで、武装ヘリコプターの一機から撮影された、二人のジャーナリストやイラク人集団の血も涙もない殺害光景のビデオを始めて見ることができたのだ。

そして、アメリカ合州国とヨーロッパは、ウイキリークスによる言論の自由の行使を一体どのようにして護ろうとしただろう? ウイキリークスの創設者で発行者のジュリアン・アサンジは、容赦ない迫害の対象になっている。アメリカ合州国とカナダの主要な政治・マスコミ人士連中は、彼を“テロリスト”と非難し、彼の逮捕を要求しており、あからさまに、彼の殺人さえ主張する連中までいる。アサンジは、アメリカとスウェーデンの諜報機関がでっち上げた詐欺的な“強姦”の罪で追われている。彼はロンドンのエクアドル大使館に逃げ込むことを強いられたが、そこは、もしアサンジが大使館から一歩踏み出せば、直ちに逮捕する、イギリス警察によって常時監視されている。チェルシー・マニングについて言えば、彼女は現在、反逆罪のかどでの懲役35年で獄中にある。

これこそ、北米とヨーロッパの偉大な資本主義による“民主主義的”言論の自由と、ジャーナリストの安全に献身する実証だ!

国やマスコミが紡ぎだすいいかげんで偽善的な言辞は、シャルリー・エブドや殺害された漫画家やジャーナリストを、言論の自由の殉教者、そして容赦なく因襲を打破するジャーナリズムの民主的伝統の代表としてあがめられる者として奉じることを要求している。

フィナンシャル・タイムズに水曜に掲載されたコラムで、リベラルな歴史学者サイモン・シャマは、シャルリー・エブドを、“自由の活力源”である、ジャーナリストとしての不遜さの輝かしい伝統の中に置いている。彼は偉大で有力だった人々を激しい軽蔑にさらした、16世紀から19世紀までのヨーロッパの偉大な風刺作家達を想起している。著名な標的の一例として、シャマは、我々に、1500年代、自由を求めて戦うオランダ人を血の海で溺れさせた残虐なアルバ公爵、フランス“太陽王” ルイXIV世、イギリスのウィリアム・ピット首相、そしてプリンス・オブ・ウェールズを想起させる。“風刺は”シャマは書いている、“風刺画が、毎日、毎週回覧されていたコーヒーハウスや居酒屋で自由健康に笑い飛ばす政治の酸素となった。”

シャマは、シャルリー・エブドを、彼らがそれに値しない伝統の中に位置づけている。シャマが言及している全ての偉大な風刺作家達は、上流階級特権を擁護する強力で堕落した連中軽蔑した、民主的啓蒙の代表者だ。イスラム教徒の容赦なく恥ずべき描写で、シャルリー・エブドは、貧しい人々や、無力な人々をあざわらっている。

単刀直入かつ率直に言えば、シャルリー・エブドが、下劣で、ひねくれて、下品な性格だからといって、社員達の殺害が許されるものではない。しかし、“私はシャルリー”というスローガンが採用され、抗議デモのスローガンとして、マスコミによって大々的に宣伝されている中、国やマスコミのプロパガンダに飲み込まれていない人々は、“雑誌社への暴力攻撃には反対だが、我々は‘シャルリー’ではなく、彼らと共有するもの何もない。”と応酬する義務がある。

マルクス主義者は、大衆に対する宗教の影響力を克服しようとする戦いに決して無縁ではない。だが彼らは、信仰が、困窮や絶望的な苦難といった状況によって維持されていることを理解した上で、この戦いを進めている。宗教は、あざわらうべきでなく、カール・マルクスがした様な形で理解し、批判すべきなのだ。

“宗教的な苦悩は…現実の苦悩の表現であり、現実の苦悩にたいする抗議でもある。宗教は、虐げられたもののため息であり、心なき世界における心であり、魂なき状態における魂なのだ。それは民衆のアヘンだ。

「宗教的な苦悩は…現実の苦悩の表現であり、現実の苦悩にたいする抗議でもある。宗教は、虐げられたもののため息であり、心なき世界における心であり、魂なき状態における魂なのだ。それは民衆のアヘンだ。

“民衆の幻想的な幸福としての宗教を廃棄することは、民衆の本当の幸福を要求することだ。現実の状態について民衆がもつ幻想を棄てるよう要求することは、それらの幻想を必要とするような状態を棄てるよう要求することである。したがって、宗教批判は、宗教を核とするつらい浮き世に対する批判の萌しなのだ。” [マルクス・エンゲルス全集、第3巻ヘーゲル法哲学批判序説 (ニューヨーク、1975)、175-76ページ]

こうした言葉を一読すれば、マルクス主義と、シャルリー・エブドに見られる元左翼の政治的冷笑という不健全な環境を区別する、知的、道徳的隔たりが見てとれる。イスラム教とその伝統に対する連中のたわいもなく不愉快なものが多い中傷には、啓蒙的なものも、まして道徳心を養うようなものは皆無だ。

シャルリー・エブドの余りに多くの表紙に掲載された、皮肉で、挑発的な反イスラム教風刺画は、フランスにおける右翼優越主義運動に迎合し、その増大を促進した。シャルリー・エブドを擁護しようとして、その漫画は皆“楽しく”政治的影響は皆無だと主張するのは馬鹿げている。アフリカと中東において強化しつつある軍事的計画への支持を集めようとフランス政府が躍起になっている事実に加え、フランスは、ネオファシスト国民戦線の影響力が急速に増大している国だ。この政治的文脈で、シャルリー・エブドは、1890年代、フランスで、大衆運動として登場した、政治色が強い反ユダヤ主義と憂慮すべき類似性をもった、政治色が強い反イスラム教感情の一種の伸長を促進したのだ。

悪質で紋切り型のイスラム教徒イメージを広める粗雑で品のない風刺画を利用しているシャルリー・エブドは、1894年に、ドイツの為のスパイ行為で、ユダヤ人将校が告訴され、冤罪を被った後に勃発した有名なドレィフュス事件の際、フランスを風靡した反ユダヤ主義煽動を醸成する上で、重要な役割を演じた安手の人種差別的な刊行物を思い起こさせる。一般大衆のユダヤ人憎悪をかき立てる上で、悪名高いエドゥアルド・アドルフ・ドリュモンが発行したLa Libre Parole [“言論の自由”]は、使いやすい反ユダヤ主義の道具として、漫画を実に効果的に利用した。風刺画は世論を煽り、ドレィフュスや、偉大な小説家で「私は告発する」の著者エミール・ゾラ等、彼を擁護する人々に反対する暴徒を駆り立てるのに貢献した。

World Socialist Web Siteは、長期にわたる政治綱領に基づき、シャルリー・エブド・テロ攻撃に反対し、断固として非難する。しかし我々は、シャルリー・エブボを、民主主義と言論の自由の大義に対する殉教者として描き出すことへの参加を拒否し、読者の皆様には、この偽善的で、いいかげんなキャンペーンの動機である反動的意図に注意するよう警告したい。

David North

記事原文のurl:http://www.wsws.org/en/articles/2015/01/09/pers-j09.html
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この国でも、世界でも大本営広報、アルカイダとのつながりがあきらかだ、と報じている。それなら、想像通り、ヤラセではないか。9/11フランス版。

当ブログの翻訳記事を、アルカイダで検索いただければ、相当数の記事がヒットする。題名にあるものとしては例えば下記。

アルカイダの本当の起源暴露

この国で、大本営広報部が、一斉に同じことをいう時には、必ず何かいまわしい本音を隠している。

まして、世界中で、大手大本営広報部が、一斉に同じことをいう時には、必ず何かいまわしい本音を隠しているに違いない。

小生、自慢できるようなイデオロギーの知識も原則も持ち合わせていないが、シャルリー・エブドを、民主主義と言論の自由の大義に対する殉教者として描き出すことへの参加は拒否する。

侵略を進める帝国主義側の行為に反対して、こうした結果になったのなら全く別。

The Vineyard Sakerというブログの2015年1月8日の同趣旨記事も素晴らしい。
I am NOT Charlie

上村静氏の著書『キリスト教の自己批判 明日の福音のために』新教出版社刊、定価=本体950円+税 121ページの文章、この事件にもあてはまりそうだ。

キリスト教が、キリスト教会が、キリスト者が、これまでどれほどの暴力を行使してきたか、それは世界史年表を埋め尽くしているではないか。西洋キリスト教国家が、キリスト教の価値観が、今なお世界中にばらまいている災厄が見えないのか。

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コメント

黒曜石様に同感.素晴らしい論考だ.特にヘーゲル法哲学批判序説の一章は吾らの目を開かせるものだ.管理人様の記事の選択と翻訳のお仕事にただただ感謝.

何時も文字通り、「目の覚めるような記事」を翻訳、紹介してくださってありがとうございます。そのお骨折りに感謝いたします。

件のフランスの新聞社がどのような内容の風刺画を描いていたのかは詳しくは知らないのですが、その内容を精査しないまま、今回の事件で犠牲になった新聞社側の人々を「言論の自由の殉教者」として美化するのには、私も疑問を持っていました。少なくとも世界人口の4分の1近い人たちが信じ、尊重している宗教を、自分たちには信じられないものだからと言って、馬鹿にしたり、コケにしたりするようなことは(他のどんな信仰や信念を持っていようがいまいが)教養や思いやりのある人たちがすることではないと思っていました。他の人々が何世代にも渡ってその中で生きてきた、伝統的な信仰や生活スタイルを揶揄することは、自国や他国の政治家や財界人などの、力を持った個人やグループを風刺するのとはまったく別のことで、レイシズムに近いものではないかと私は思っています。

それと、「言論の自由」を追求していたというその新聞社は、例えばフランス軍が主体になっていたと聞く、NATOによるリビア攻撃やガタフィ大佐については、どのような風刺の仕方をしていたのだろうかという疑問も持っていました。(二万回に及ぶ空爆があったそうで、その結果、リビアは国家としては完全に崩壊し、リビア国民が享受していた世俗的で、アフリカ大陸一の高度な福祉制度を持った社会が無惨に壊滅したということは、以前、こちらのブログ主さんがご紹介された記事でも読ませていただきました)

参考
私の闇の奥 リビア挽歌(2) 
http://blog.goo.ne.jp/goo1818sigeru/e/9cd61d906c0c02b82a34d5b70da709f5
マスコミに載らない海外記事 リビアで二度と見られなくなる16項目
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/16-6517.htm

このところの、新聞やテレビでのこの事件の報道のされ方を見る度に、このような疑問が胸につかえて来ていましたので、前回ブログ主さんが紹介された記事の中で、ポール・クレイグ・ロバーツ氏が「ヘイトスピーチ」という言葉を用いて、下記ように書いておられるのを読んで、やっと合点が行く思いが致しました。

>フランスの風刺誌シャルリー・エブドへのテロ攻撃とされるものの見方には二つある。

>一つは、英語世界では、あるいはその大半では、風刺は“ヘイト・スピーチ”と見なされ、風刺作家達は逮捕されていただろう。しかし、フランスでは、イスラム教徒は特権を持つ対象から除外されており、風刺に腹を立て、報復したのだ。

>イスラム教徒が一体なぜ思い悩むことがあろう? そろそろ、イスラム教徒達は、欧米の偽善と二重基準に慣れるべきだろう。イスラム教徒が、他の少数派が享受している保護を受けられないことを怒っているのは疑いようがないが、一体なぜ、何十万人もが亡くなった、ワシントンの対イスラム戦争にフランスが参加したことでなく、風刺に報復するのだろう? 殺害されることの方が、風刺されるより遥かに深刻ではないのだろうか?

もちろん、ヘイトスピーチをされたからといって、テロで仕返しをしていいということではありません。しかし、悲劇が起きたからといって、その被害者のしていたことが、なんでも崇高なことになるわけではないのです。そんな当たり前のことも無視して、これを一方的に「言論の自由への挑戦」であるかのように言う人たちには幻滅を感じました。

ロバーツ氏や今回の記事の筆者の方も書かれていたように、「言論の自由」を言うのなら、テロリストのような「犯罪者」によって、それが脅かされる場合よりも、国家権力によってそれが剥奪されて行くことの方がはるかに恐ろしいと思います。もちろん、テロに抗議するのは正しいことです。でもその同じ人たちが「国家の敵」ではなく、「国家自身による言論や身体の自由の剥奪」、そして、相手の全ての自由を否定する「他者(他国人)の生命の簒奪」に対して、どの程度、抵抗できるのか、あるいはして来たのかは疑問です。権力を持った側と共に立ってテロリストを誹謗するのは簡単で安全なことです。でも国家自身に対抗しなければならないときは?

もちろん私自身、では、おまえがやってみろと言われれば、それがどこまで出来るか、正直、難しいと思います。でも、国家と一緒に「国家の敵」であるテロリストに憤る時には、それも常に胸に置いてほしいと思いました。特に「リベラル」を自認する知識人やジャーナリスト、そしてブロガーの方たちには、ぜひ、そうしてほしいものだと思います。

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