はてなキーワード: 社会的費用とは
自己放尿とは、個人が自らの効用を毀損する非合理的選択である。
すなわち、限界便益が限界費用を下回るにもかかわらず実行される行動であり、価格理論的に言えば誤った主観的評価に基づく資源配分の失敗である。
しかしここで重要なのは、この自己放尿が誰の計算主体の中で完結しているかという点である。
市民の自己放尿は、ミクロ的には単なる効用関数の歪み、あるいは情報コストを節約した結果としての合理的無知の副産物である。
人間は完全合理ではないが、観察される行動は制約下での最適化の結果として解釈されるべきだ。
つまり市民の自己放尿は、外部から見れば愚かでも、その主体にとっては制約付き最適化問題の一解にすぎない。
自己放尿する自由、すなわち自らの資源を非効率に消費する自由は、市場経済の本質的帰結である。
なぜなら、価格システムは情報を分散的に処理する装置であり、その前提は各主体が自分の選好に従って行動することにあるからだ。
誤った選択、すなわち自己放尿もまた、その分散的秩序の一部であり、外部から矯正されるべき対象ではない。
政府の自己放尿は、単なる個人の効用毀損では終わらない。それは強制力を伴う再配分メカニズムを通じて、他者の資源配分に介入する。
つまり政府の自己放尿は外部不経済を制度的に強制する装置である。市民の自己放尿が内部化された損失であるのに対し、政府の自己放尿は社会的費用として拡散する。
さらに公共選択論的観点から見れば、政府の自己放尿は構造的に不可避である。
なぜなら政治市場では、有権者は合理的無知に陥り、政策の限界的影響に対するインセンティブが極端に低い。
結果として、政策決定者は集中利益と分散コストの構造を利用し、自己放尿的政策を選好する。
ここでの自己放尿はもはや比喩ではなく、制度的に誘発された非効率の均衡状態である。
市民の自己放尿は競争過程の中で淘汰される。誤った選択を続ける主体は資源を失い、市場から退出する。これは価格システムの自動操縦装置としての機能である。
一方で政府の自己放尿は淘汰されない。なぜなら政府は予算制約がソフトであり、失敗のコストを税やインフレによって外部化できるからだ。
ここにおいて、自己放尿は単なる愚行ではなく、持続可能な制度的歪みへと堕落する。
市民の自己放尿は愚行権であり、自由の副産物である。政府の自己放尿は強制的再配分であり、自由の侵害である。
前者は市場の中で修正されうるノイズであり、後者は市場そのものを歪めるシステムエラーである。
終末論系キリストカルトの振る舞いを冷静に分析するならば、それは単なる奇矯な宗教現象ではなく、制度的外部性を伴う非効率的選択行動の集合体として理解されるべきである。
すなわち、連中の自己放尿的行動は、私的効用の最大化を志向しているように見えながら、社会的費用を著しく増大させる負の外部性を伴っている。
まず、自己放尿という概念を、あえて価格理論の言語に翻訳すれば、それは個人の主観的期待効用に基づく象徴的消費行動である。
終末論カルトは、自らの信念体系に基づき、予言の実現確率を内生的に引き上げるべく行動する。
つまり、連中にとって予言とは外生変数ではなく、操作可能な内生変数であり、ここに重大な問題が発生する。
連中は単に未来を予測するのではなく、予言を実現するインセンティブを持つ主体として振る舞う。
このとき、合理的無知の概念が極めて重要となる。一般市民は、終末論カルトの危険性について十分な情報を収集するインセンティブを持たない。なぜなら、そのコストが便益を上回るからである。
その結果、政治市場においては組織化された少数派、すなわちカルト集団が過剰な影響力を持つ。これは典型的な集中利益と分散費用の構造であり、カルトが政策決定に浸透する制度的経路を説明する。
ここで観察されるのは、信念、行動、政策のトリプル放尿である。すなわち、誤った終末論的信念が、自己放尿的行動を誘発し、それがさらに政治制度を通じて社会全体に波及する。
このトリプル放尿は、価格システムによる情報伝達を歪め、資源配分の効率性を著しく低下させる。
問題の核心は政府の裁量的介入と制度設計にある。自由市場が機能するためには、安定したルールと予測可能な制度環境が必要である。
しかし、終末論カルトが政治に影響力を持つと、政策はルールベースではなく信念ベースに変質する。これは裁量的政策の不安定性を極端な形で体現したものである。
さらに深刻なのは、戦争との関係である。終末論的信念を持つ集団は、戦争を単なる政治的手段ではなく予言実現のトリガーとして認識する可能性がある。
このとき、戦争はもはやコスト・ベネフィット分析の対象ではなく、宗教的効用の最大化問題へと転化する。
結果として、通常の抑止理論や合理的選択モデルは機能不全に陥る。これは国際関係における最悪の自己放尿である。
価格理論的に言えば、これは誤った期待形成による市場の失敗であり、同時に非市場的信念が市場的行動を歪めるケースである。
通常、価格は情報を伝達し、資源配分を調整する。しかし、終末論カルトは価格シグナルを無視し、むしろ超越的信念に基づいて行動するため、調整メカニズムが崩壊する。
終末論系キリストカルトの自己放尿は、単なる宗教的逸脱ではなく、制度・政治・国際秩序に対する深刻な脅威である。
それは市場の自動調整機能を破壊し、合理的期待を歪め、最終的には戦争という最も高コストな外部性を誘発する可能性を持つ。
これは比喩でも誇張でもない。連中はインセンティブ構造を無視し、価格システムという自動操縦装置を蹴り飛ばし、その結果として自己放尿を繰り返しているにすぎない。
まず戦争、これは最も露骨な自己放尿だ。資源配分の観点から見れば、戦争は巨大なネガティブサムゲームであり、本来ならば市場における自発的交換で達成されるはずの厚生を破壊する。
にもかかわらず、権力者は政治的利得という局所的インセンティブに従い、長期的な社会的費用を完全に無視する。
合理的無知に支えられた大衆と、集中利益を享受する軍需複合体。この構図そのものが、権力と暴力のダブル放尿だ。
次にケインズ派的発想。裁量的な需要管理?笑わせるな。貨幣供給の不安定性こそがマクロの攪乱要因であるにもかかわらず、権力者は短期的な景気刺激という幻想に酔い、ルールではなく裁量を選ぶ。
結果はどうなる?時間不整合性、期待の崩壊、インフレ。これは政策当局の予測不能性が市場の情報機能を破壊する典型例だ。つまり、貨幣政策と財政政策のダブル放尿である。
裁量的介入も同様だ。価格統制、補助金、産業保護。どれも聞こえはいいが、実態はシグナルの歪曲だ。価格は情報であり、インセンティブであり、分配メカニズムである。
そこに政治的判断をねじ込むということは、座標軸そのものを歪める行為だ。結果として起こるのは、過剰供給と不足、死重損失、そしてロビー活動の肥大化。これは市場と政治のダブル放尿だ。
極めつけは計画経済。ここまで来ると、もはや笑えないレベルの自己放尿だ。分散した知識を中央で集約できると本気で信じるのか?価格なき経済で、どうやって機会費用を測る?
答えは単純、測れない。だから資源は誤配分され、生産は非効率化し、最終的には停滞する。これは知識問題と計算問題のダブル放尿である。
すべては一貫している。人々は目的を持ち、制約の下で合理的に行動する。問題は、その制約を歪めているのが権力者自身だという点だ。
連中は市場の失敗を嘆く前に、自らの介入が生み出した失敗を直視すべきだろう。しかし連中はそれをしない。なぜなら、自己放尿のコストは分散され、利益は集中されるからだ。
安定したルール、予測可能な貨幣供給、最小限の政府。これだけでいい。にもかかわらず、権力者は今日もまた余計なことをして自己放尿する。しかも満足げな顔でな。
本質はそこじゃない。女性向けも男性向けもゾーニングしろ。そこに男女は関係ない。
BLを責めたてて、さも自分たちが正当な権利を失ってるみたいな構図を生み出すな。
「ゾーニングは事実上の表現規制だ」とか、なにも創造せずコンテンツをシコシコ消費しているだけの分際で高尚なことを抜かすな。
「自分の性欲を満たすコンテンツを、もっと社会の手の届きやすいところに置いてください」と言え。もちろんダメだが。
じゃあお前はBLの味方なのかって?
そんなわけがない。書店の外から見える位置に、愛撫されながら恍惚の表情を浮かべる男のイラストなんかが平置きされているのを想像して欲しい(実話)。
一般人の私からすれば、日常の平穏の中に突如として現れる、性的消費を全面に出した表現は害悪でしかないのだ。
電子の海を見渡してみれば、X(Twitter)の広告やインプレゾンビも、やたらと露出の多い女が胸を揺らしているし、レイプ系の漫画の広告が出てくることもたまにある。
万人の生活動線上にあるコンビニにさえも、エロ本の類や胸を寄せて乳をアピールしたアイドルの雑誌なんかが堂々と置いてある。
私からすれば、女性向け男性向け問わずあからさまな性的表現に対して日々不快な気持ちにさせられているのだ。
どうか男女問わずオタクたちは、あなた方の支持する性的表現がそうした社会的費用の上に成り立っていることを自覚して生きていってください。
・"都市部においては"って前提をつけ足してみたんだね。人間を比較対象にするのはさすがにやめたのかな。
都市の中心部への自動車乗り入れ制限やそれにともなう交通網整備や法整備、それとは関連したり関連しなかったりするけど、自転車やキックボードのための道路整備や法整備もやればいいと思うよ。
ただし、"都市部"って言ってしまうと、東京なんて延々と都市部が広がっている地域なんで、玉川から東はずーっと乗り入れ禁止なのかな?とか思ってしまう。現実的ではないね。「都市の中心部」くらいの言葉にしておいて、東京なら区、他の道府県は市レベルで、各自治体が「都市の中心部」を複数指定すれば良いかも。
・あいかわらず自動車とキックボードを比較したいみたいだけど、
キックボードなんて、移動が多少楽になることと、乗って楽しいと感じること以外に何の利便性もない乗り物。複数人を運ぶこともできない、荷物も運べない、移動速度は遅い。車の代用になどならず、比較対象にならない。
だから最近の先進国の都市の流行りは自家用車の制限を強めて自転車やキックボードなどが走りやすい道を整備することなんだよね。
そこは"だから"では結びつかないよ。都市の中心への自動車の乗り入れ制限てのは、最大の眼目は道路の混雑緩和。その結果、自動車由来の交通事故や排気ガスの問題も減らせるねって話であって、"業務上利用されるものはまだしもプライベートで利用されるものの利便性なんて知れてる。"からとか"都市部においては自動車のデメリットが大きすぎて利便性に見合わない"から、ではない。
利便性がある事なんて理解した上で都市部においては自動車のデメリットが大きすぎて利便性に見合わないって話をしてるんだよ。
業務上利用されるものはまだしもプライベートで利用されるものの利便性なんて知れてる。
だから最近の先進国の都市の流行りは自家用車の制限を強めて自転車やキックボードなどが走りやすい道を整備することなんだよね。
ふざけるな、自分が何を言っているかわかっているのか、犯罪行為を助長するな、人殺しめ、とあなたは言う。
そりゃそうだ。だが、実際には道端にゴミを捨て、自治体の要請に従ってテレワークなどせずに出勤したほうが得られる利得が多いから、そうしている人が多いだけの話だ。
道端に電子レンジが捨ててある。清掃事務所が見つけてシール貼っていったらしい。「これは粗大ゴミです。申し込みをして廃棄を云々」の文字が虚しい。しばらくして同じ道を通りかかると、電子レンジが消えている。結局、清掃事務所が持って行ったからだ。
誰が電子レンジの処分費用を負担したか? 回収コストは税金から充填された。つまり、あなたが住民税を払っているなら、処分費用を払ったのはあなただ。一方で、粗大ごみの回収券を買わずに無料で電子レンジの処分に成功した人もどこかにいる。
不法投棄は法律で罰せられ、罰金または懲役が待っているとしても、捨てているところを見つからなければよいだけの話だ。そして不法投棄は実際に起こる。不法投棄をつねに監視するコストよりも、不法投棄にその都度自治体が対応し、税金で処分費用を充てんするほうが、トータルで見て安いからだ。
不法投棄を完全になくす方法がある。それは、いつでもだれでも無料でゴミを捨てられるようにすることだ。もちろん、そのゴミの処分費用は、あなたが払う税金で負担することになる。そうすると、毎年の住民税は上がるかもしれない。
そんなことは認められない? それなら、日本伝統のよい方法がある。『ゴミをめったやたらにそこらじゅうに捨てないようにしましょう』という市民道徳で市民を縛っておいて、自治体に余計なカネを出させないことだ。もちろん、電子レンジを道端に捨ててしまう人も出てくる。そういう逸脱行為には、こっそりと税金から処分費用を負担しておいたほうが、おおっぴらにタダでごみを捨て放題にするシステムよりも、トータルで見て低コストだ。
一般市民が善意を持っていると想定して、それによりかかるシステム下では、「ルール」を破ったほうが得なのだ。
テレワークをしないほうが得になる状況も、ゴミと同じ論理だ。出勤を控えてテレワークをするようにと自治体が要請している時に、朝の通勤電車は相変わらず満員だ。なぜか。テレワークを無理にしなくても会社は潰れないし、家でじっとしていたところで誰かが補償金をくれるわけでもない。
世の中の誰かが出勤を控え、その社会的費用を負担してくれるに違いない。誰もがそう思って電車に乗ると、いつも通り混んでいる。
引用先の意見には強く共感するのだが、その結果として、生きる苦痛を感じる人間が「反出生主義」を主張する理由がイマイチ謎だ。
だって、「反出生主義」が実現したところで、出産する他人の自由が制限されるだけで、生きる苦痛を抱える本人は既に産まれているのだから、何の解決にもならないだろう。
たしかに私も、「反出生主義」は新たな不幸が産まれなくなるという点で思想的意義があるとは感じるけど、でも、自身の生きる苦痛の身体的重さに比べたら、そんなことマジでどうでも良くない?
私も生きる苦痛を抱える人間だが、他人及びその子供が出産により不幸になろうが幸福になろうが、自分の抱える苦痛に与える影響を考えたら、本当に心の底の底からどうでもいい。
むしろ、「反出生主義」が正しいと思っていながら、在るだろう自分の老後のために、他人は(なるべく社会的費用を伴わずに)どんどん子供を産むべきだとブコメさえする。
このような隠れ「反出生主義」者はブコメにも多いと思う。要するに、正しいと思う思想をそのまま声に出して頑張って主張する必要なんて無いと言いたいわけだ。
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だから私の場合は、今流行りの正しさ感じる「反出生主義」よりも「希望型安楽死」の方に関心を集め、速やかに法制化すべきだと主張する。
さっきも書いたが、「反出生主義」は本当に正しい思想だと思ってはいる。ただ、他人の不幸にはさらさら興味がない。それに対称性を考えれば、愚行権は認めておくべきとも思う。
それより何より、≪既に産まれてしまった自分には、「反出生主義」はあまりにも遅すぎる≫というその一点が、私にとって一番重要な事実であり、それゆえ「反出生主義」に何の価値も感じないわけだ。
だから、他人に対する自由の制限など経由せずに、自らの生きる苦痛を直接的に除去するしか方法が無いと思うので、本人の希望により苦痛無くそれを叶えることができる「希望型安楽死」を実現すべきだと主張する。
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そもそも、生きることに苦痛を感じるのは、処置無く死ぬことも苦痛だから葛藤が生じるためであって、その点で引用先のブコメにあった「じゃあ死ねよ」的な反論(?)は全くの的外れなのだが、
苦痛を無くす処置により死ぬハードルを下げてしまえば、生きることはもはや苦痛を伴う葛藤ではなくなる。そうすれば、産まれてしまったことも容易にキャンセルできるようになり、さほど重要な問題ではなくなる。
つまり、「反出生主義」の呪いは社会的黙殺ではなく、代替案(希望型安楽死)を提示することによって初めて無効化できると思うのだ。少なくとも、生きる苦痛を感じて「反出生主義」に期待する人々を取り崩すことはできる。
そういう点で、「反出生主義」に違和感を感じる人々は、それが正しいと思っていなくても対抗手段として「希望型安楽死」を主張すべきだろう。「希望型安楽死」は、出産する自由を守る。
よって、生きるのが苦痛な人々にも、社会の継続のために「反出生主義」を嫌う人々にも、「反出生主義」の代わりの「希望型安楽死」は、幅広く共通解になり得るだろう。
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ちなみに「希望型安楽死」だと、「反出生主義」者の、そもそも産まれたくないor産ませたくないという願望は叶わない。しかし、出生前に子供の出生への意思を確認できない以上は仕方ないことだし、
一番問題なのは、産まれる前に産まれたいと思った子供が、出生後にやっぱり産まれなければよかったと思った場合はどうするのだろう。出生後の世界も知らないのに、出生前の判断に何の意味があるのか。
だから、出産を否定するより、出生後の本人の判断で苦痛無くそれをキャンセルできる方が、そもそも産まれたくない人々に加え、出生後に生きる苦痛を感じる人々を含めて対応できるので合理的だろう。
そういう点でも、「反出生主義」は正しいと思うけれども、産まれてしまった後の人間のことを考えていないとも思う。だからこそ、産まれてしまって、生きる苦痛を感じている人々が「反出生主義」に期待する理由がますますわからなくなる。
それって、「反出生主義」は根本的に正しい、だからそれを主張しなくてはいけない、みたいな感情に捕らわれてるからなのかな。何かが本当に正しくても、自分の得になる別な代替案(希望型安楽死)を主張したっていいと思うんだが。
あの謝罪を見てブチ切れてたおっさんたちも、よくよく見りゃかわいい服着てるしおじさん応援しちゃうぞー☆となるのは間違いないよ!
教養ある記事書けないくせに、他人に対してはバカバカ連呼してるけど、本当に教養のある人からすりゃどっちもどっちだわバーカ。
ということで、今回もかわいい服着た女の子が正義!ってことでかいさーん
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追記:関係ないけど、日本経済ガーのおっさんたちは経済学でも学んできたのかな?消費が良くなりゃ経済が良くなる!と盲目的に連呼してるけど、制約や基礎的消費ーそれ以外の消費といった概念や、不要なものへの消費は間違ったシグナルを与え社会的費用を上昇させ資源や財の分配を阻害するという思考すら理解してないよね?笑
いい年してネットで見かけた言説を丸呑みしてそのまま吐き出した脳みそ腐ったマヌケにしか見えないんですが笑
さらに、個人の経済行動は自由でありインセンティブによって変容させるのが経済政策のあり方なので、お前の思想なんか知らないけど消費しろ!なんて言うバカはじゃあお前が破産するまで消費しろよお前の思想なんか知らんから自分でやってろバカと返されて終わりだということも理解できないんだろうな
そして、マヌケの言うことを鵜呑みにしてあれが正しいと思考停止してるのって恥ずかしくないのかな。教養がどうこう言ってるクソ間抜けどもは自分の脳みそを省みるほうがいいんじゃないのかな?本気で書いてるのか?とか頭悪そうとか思わせぶりなコメントつけるだけで反論できない自分の認知不協和を解消するだけの脳みそ腐ったマヌケばっかりなんだよなぁ。バカはまだ許せるけど調子に乗ってるバカほど惨めなものはないぞ☆
http://kyoumoe.hatenablog.com/entries/2015/07/12
どっちも教養ない→そのうちの教養がどうこう言ってる側は間抜け
つまり教養がないのに教養がどうこう言ってる連中のことを指してるので的ハズレもいいとこ。
ちなみにおまえのファンなんだけどよ、いつもより切れ味わるかったなぁおい。
ちょっぴりおしゃんてぃーなわかいねえちゃん見つけてうれしくなってんのはおまえじゃねぇのかおい。
かわいいとちょっぴり褒めるとすぐエロまで飛躍させる発想、それはおまえの願望の現れだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20150625191711
障害者と身近に接している人間ほど、その大変さをよく知っているから尚更、というのはまったくもって自然なこと。
程度によっては、障害者なんて虫や獣となんら変わらないからね。要介護ランクの高い人間と接したことのある人ほど痛感するもんだよ。
だいたい障害児を産んだら、自分の負担のみならず、社会的費用だって嵩むんだから、どんどん堕ろすほうが世のため自分のため、その子供のためというのが実際のところ。
「俺に障害があると知りながらよくも産んでくれたな。俺はそんなこと頼んでない。」と憎まれるのがオチだ。
障害児を中絶するにあたって、なんら気にすることはない。
http://anond.hatelabo.jp/20141025150055
でも、他人を巻き込まないでくださいね。自動車自体、排ガス、騒音、占有面積害と社会的費用=迷惑度が重い乗り物なのですからね。
http://news.azwad.com/post/31975473123/1
事故を誘発した違法駐車運転に6千万円の賠償命令 消防車や救急車の行く手を阻む違法駐車 緊急事態現場への到着、未だ遠く
http://www.city.minokamo.gifu.jp/home/kouhou/IHAN/1.html
路上駐車の運転手が女児死亡事故を誘発したとして車庫法違反で約3400万円
http://www.47news.jp/CN/200408/CN2004080601003709.html
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/archive?word=*%5B%BC%AB%CC%C7%A4%B9%A4%EB%C3%CF%CA%FD%5D
http://www.tkz.or.jp/con13.html
自動車乱用が蔓延し、自動車流入制限、自動車抑制施策が不十分なために渋滞公害発生 渋滞で動けない救急車(警察車両、消防車両も) 失われる人命。
http://www.youtube.com/watch?v=uC9IPDyFgs8
自動車で弱者保護優先不徹底の危険運転により歩行者や自転車に怪我をさせれば下記の通り
危険な運転で人を負傷させ、または死亡させる罪。刑法第208条の2が禁じ、致傷は15年以下の懲役、致死は1年以上の有期懲役に処せられる。
危険運転致死罪。危険運転致傷罪。→自動車運転過失致死傷罪
◆第208条の2は平成13年(2001)に新設。刑法改正前は業務上過失致死傷等罪が適用されていたが、
悪質な交通事犯に対応するために改正された。同条が定める危険運転とは、
アルコールや薬物による不正常な運転・速度超過・技能を欠いた無免許運転・割り込み・幅寄せ・信号無視・煽り運転など。
なお、本罪の行為は自動車の運転に限定されており、自転車の運転では本罪を構成しない。
自動車の運転なんて、チェーンソー作業や高所作業と同等以上のリスクがあるってのは、なかなか気づきにくいもんだね。
1トンを超える乗り物を、それと同等かそれ以上の乗り物の通行、歩行者、自転車が混在するなかでするというのは
ちょっとでもハンドルやペダルの操作を誤れば、加害、被害とも甚大となる。
自分の息子二人には「車の免許なんか取るんじゃない」と教えたという
青山さんは言う
「車なんか危ない、乗らないほうがいい、乗らないことにこしたことはない
車はステアリングをちょっと間違っただけで人様の人生を壊してしまう」
そしてこんな言葉もある
住みやすい街ランキング上位は、いずれも自動車の運転が必要のない地域。
そういった地域ほど、高齢化が進むこの先、人口が増えていくことが予想されている。
自動車から市民を保護するために、自動車への規制取り締まり強化、自動車侵入防止柵等の積極設置を議員や警察に要請しつづけよう。
自動車の要らない地域ほど、基本的に便利が良く、発展しているからね。
自動車依存が引き起こしたスプロール現象の害はあまりに大きい。詳しくは
『NHK クローズアップ現代 わが町を身の丈に ~人口減少時代の都市再編~』がわかりやすい。
また、自動車では移動がまったく運動にならないゆえに、肥満、糖尿病、高血圧・・・メタボリック症候群も蔓延させてしまっている。
壊疽、失明、心筋梗塞、脳梗塞、免疫不全症、皮膚感染症、その他多数。
http://anond.hatelabo.jp/20141025032138
警察官自身が住基カードでの手続き業務が不慣れなだけで、なんら問題ないですよ。
それで通らなかったら警察官のほうに問題があるので、警察手帳見せてもらって、名前を控えて警察署に相談しましょう。
車離れが進むなか、これから写真付き住基カードはどんどん普及していくでしょうし、警察官もそちらにこれからどんどん目にする機会が増えていきます。
そして取得にウン十万円と短くない期間かかる免許証を取らなくても、写真付き住基カードであれば、効力はなんら問題ありません。
もし疑問であれば、警察署にメールや電話で問い合わせてみるといいですよ。写真付き住基カードは免許証と同等の効力を持ちます。
そもそも自動車免許証というのは、危険物取扱者免状となんら本質的に変わらないんですよね。
自動車というのは一瞬にして大勢の人命(自身の命も含む)を奪う殺傷性を有する凶器であり、爆弾や劇物と本質的になんら変わらないのですから。
自動車免許など、扱わないのであれば、取らなくててもよいものですよ。
自動車免許証なるもの、これは、本当にウン十万円と短くない期間をかけてとるだけの価値があるものか?
そして『写真付き住基カード』という安価で迅速な別の賢明な選択肢があることも考えれば、良い判断ができます。
これからどんどん写真付き住基カードは普及していくことが予想されています。
また、自動車は自他ともに多大なリスクを生じさせ、地域の安全も壊し、排ガス騒音で汚し、そして自動車維持費は家計に大きな負担となる。
刑務所に入れば社会生活はどうなるかを考えれば、自動車運転の要らない都市部へ大勢の人々が移住しているのは合理的な判断といえるでしょうね。
そして自動車運転依存はメタボリック症候群に陥らせ、壊疽や失明、心臓病、脳梗塞、免疫不全症などを誘発し、自身も辛ければ、地域の医療費負担も増大する。
自動車の社会的費用について計算すれば、自動車依存の深刻な自家用自動車移動前提の地域は、人にとって割にあわない。
持続不可能な地域に陥るということが判明し、NHKの取材に応じた自治体職員もこう話しています。
「すべてのものを残していこうとすると、財政破綻に行き着いてしまう。
わが町を身の丈に - NHK クローズアップ現代 http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3418_1.html
これは自動車依存による拠点の点在化が、地域を自滅させることを意味しています。
そして、その集約社会は子供からお年寄りまで、すべてにとってやさしいものです。
自動車依存の深刻な地方ほど通学路でさえ自動車が我が物顔で速度超過当たり前の暴走行為が蔓延し、お年寄りのドライバーが子供を死傷させたり
若いドライバーが歩行者のお年寄りを死傷させて交通犯罪者として逮捕されるケースが横たわっている。
ママさんドライバーが通学路の子供を死傷させたり、また、事故によって同乗の子供を死傷させるケースも多発している。
自動車を運転する必要のない地域ほど、そういうケースが少なくなる。それは人にやさしい地域です。
自動車を抑制する、結果的に自動車の抑制となる、どちらの場合でも、それは望ましいことです。
加害者、そして被害者にならないためにも、そして自動車が地域に及ぼす害に思いをめぐらせて