はてなキーワード: ヘイターとは
仲岡しゅん弁護士のポスト(最初のもの)これは明らかにやり過ぎです。akakuroさんのポストは、確かに感情的で「生得的女性」云々という表現が出てはいますが、根底にあるのは**「自認の性」を無制限に優先すると、生物学的女性の安全・公平性・プライバシーが損なわれるのではないか**という、国際的にも何年も議論されている現実的な懸念です(女性刑務所、スポーツ、DVシェルター、更衣室などの事例は枚挙にいとまがない)。それに対して仲岡弁護士が取った対応は、**「タレコミがありましたよ」「わいせつ事件で前科のあるオッサン」**という、根拠が極めて薄い(少なくとも公に立証されていない)個人攻撃+中傷です。さらに「文句があるなら訴えてこい、匿名だから大した金額にならない」「むしろ身元を割る手間が省ける」と開き直る発言まで重ねている。これは弁護士として致命的に不適切です。
たとえ自分がトランス当事者として日々攻撃を受けていて苛立っていたとしても、法の専門家が「タレコミベース」で人を犯罪者呼ばわりし、匿名性を逆手に取って攻撃するのは、品位を著しく欠く行為です。結果として大阪弁護士会から戒告処分を受けたのは、極めて当然の帰結だと思います。2. 小田垣和弘司法書士の懲戒請求ポスト(2番目)こちらは内容としてはかなり的確に問題点を指摘しています。「タレコミ」という怪しげな根拠で重大な名誉毀損レベルの暴露をしたこと
匿名アカウントだから何を言っても許されるような物言いをしたこと
それが弁護士という公的資格を持つ人間の発信であることの影響力の大きさ
これらは全部正当な批判ポイントです。小田垣さんは「トランス差別には反対だが、こういうやり方はダメだ」という立場を取っていて、そこは筋が通っています。懲戒請求自体も、感情的な報復ではなく、弁護士倫理の観点から書かれている印象を受けます。全体を通しての私の考えこの一件は、典型的な「正しさの独占」と手段の正当化の問題を露呈しています。トランス権利を擁護する側(特に当事者)は、自分たちが「正義の側」にいるという強い確信から、相手を「ヘイター」「差別主義者」とレッテル貼りし、議論そのものを人身攻撃にすり替える傾向が強い。
その結果、「匿名ヘイターには何を言ってもいい」という危険なロジックが生まれる。
しかし言論の場において、匿名であろうと実名であろうと、事実に基づかない中傷は許されない。ましてや弁護士がそれをやるのは論外です。
生物学的性(sex)と性自認(gender identity)は違う概念です。後者を前者と完全に同等に扱う政策が、女性の権利や子供の保護、スポーツの公平性などに現実的な弊害を生んでいる事例は、世界中で積み上がっています。この点を「差別」として一刀両断するのではなく、データと現実を直視した上で、どうバランスを取るかを真剣に議論すべきです。仲岡弁護士はトランス当事者として苦労も多く、権利擁護に尽力してきた面もあるでしょう。しかし、**「自分たちが被害者だから手段を選ばなくていい」**という態度は、結局自分たちの立場を弱めるだけです。小田垣さんのような「味方内からの指摘」こそが、運動の健全性を保つために重要だと思います。要するに、
少なくとも漫画雑誌の感覚でいうと目次は巻末にあるということで慣れてるんだがbunkaタブーを初めて立ち読みして気になった漫画があったので他にも漫画がないか目次を探そうとしても全然見つからないんだよね。
いやなんでこんな構造なん?
あとなんで超かぐや姫をこき下ろしまくってマンガワン事件の本とフリーレンは評価してるん?
dorawiiより
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クィアのメディア批評には、どのような表象が生まれても最終的な批判の矛先が「シスヘテロ的欲望」に向けられるシスヘテロの悪魔化が定着しつつある。
問題の核心は、「性的すぎる」批判と「性的でなさすぎる」批判が、まったく逆の現象を対象にしながら、同一の犯人(シスヘテロ的まなざし)を指名する点にある。
アブデラティフ・ケシシュ監督の本作(2013)は、カンヌでパルム・ドールを受賞した一方で、レズビアンコミュニティから激しい批判を受けた。主な論点は、約10分に及ぶ性描写シーンが「実際のレズビアンの経験というより、ヘテロ男性のポルノグラフィー的ファンタジーに近い」というものであり 、監督の男性的なまなざしがレズビアンの身体を対象化・フェチ化しているという指摘だった。
原作コミックの作者であるジュル・マロ自身も、その性描写を「滑稽で過度」と批判した。これは正当な批評である。しかし注目すべきは、批判の着地点が常に「男性視線がレズビアニズムを搾取した」という一点に収束し、その他の解釈——たとえば監督の美学的選択、フランス映画の身体表現の伝統、あるいは原作との差異——がほとんど議論されないことだ。
一方、2018年のハリウッドメジャー初のゲイ主人公ティーン映画『Love, Simon』は、性描写をほぼ排除し、恋愛とカミングアウトの感情的側面を中心に据えた。だがこれもまた批判された——今度は「ストレートに受け入れやすくするため、クィアのセクシュアリティを無害化・消毒している」という理由で。
批評家のジェイコブ・トビアは、「男性的なゲイ男性は魅力的な主人公になれるが、フェミニン・ジェンダーノンコンフォーミングなゲイ男性はコメディリリーフに追いやられる」と指摘した。『Love, Simon』が「ホモノーマティビティ(heteronormative assumptions を内面化したゲイ規範性)」を再生産しているという分析は学術的にも支持されている 。しかしここでも「ストレートへの媚び」という説明図式が優先される。
| 表象の特徴 | 批判の内容 | 帰責先 |
|---|---|---|
| 性描写が露骨・長い | 男性の視線でレズビアンをフェチ化 | シスヘテロ男性の欲望 |
| 性描写がない・少ない | クィアのセクシュアリティを脱性化し、ストレート視聴者に媚びる | シスヘテロ社会への同化欲求 |
| 同性カップルを登場させる | 「キスがあるだけ」では不十分、中心的物語として描くべき | シスヘテロ的周縁化 |
この表が示すのは、結論(シスヘテロが悪い)が先にあり、証拠(表象の内容)が後から当てはめられるという推論の倒置だ。「非反証可能な命題」であり、いかなる反例も体制側の隠蔽として吸収できてしまう。
ハリウッドがクィアカップルを描く際の「ハードル上昇」も同様の論理で動いている。米ハリウッド系ケーブル局 Hallmark Channel は2019年、同性カップルのキスシーンを含む広告を一時撤回して批判を受けた。その後方針を転換し同性カップルを番組に登場させたが、今度は「単に登場させるだけでは足りない、物語の主軸として描くべきだ」という要求が生まれた。
注目すべきは、批判の基準が常に現状より一段上に設定され、達成されるたびに次の「不十分さ」が告発されるという無限後退の構造だ。この構造のもとでは、どれほど努力したコンテンツも必ず「ストレートの論理に回収されている」と断罪される余地が生まれる。このお決まりの展開が繰り返されたことに、クィアへの加害欲求など持たないのに敵視され続けたストレートたちは疲れ切っている。
クィアからの要求が累積・エスカレーションするにつれ、シスヘテロ側からの反発もまた組織化・激化してきた。重要なのはこの反発が均質ではなく、正当な批評的懸念・疲労感・政治的操作・むき出しの差別が入り混じった複合体であるという点だ。
最も象徴的な事例がDisneyとスター・ウォーズ・フランチャイズをめぐる論争だ。Disney+ の The Acolyte(2024)はレズビアン監督レスリー・ヘドランドによるスター・ウォーズ初の女性クリエイター主導作品だったが、低視聴率を理由にキャンセルされ、イーロン・マスクは「Go Woke, Go Broke(ウォークになれば潰れる)」と投稿して祝意を示した 。保守派ファン層から「LGBTQアジェンダを押しつけている」という批判が噴出し、あるアンケートでは米国人の52%超が「Disneyはファミリー向けエンタメへのLGBTQ+促進をやめるべきだ」と回答したとも報告されている。
2023年のバドライト=ディラン・マルバニー事件は、二重拘束の地獄を如実に示した事件だ。トランス女性インフルエンサーとのスポンサー契約への保守派ボイコットで、ABインベフの米国売上は10%超下落し、バドライトは20年以上守ってきた「米国最多販売ビール」の座を失った。Kid Rockはバドライトの箱を銃で撃つ動画を投稿し、フロリダ州知事ロン・デサンティスも公式批判した。
同時に、LGBTQ+コミュニティからもバドライトは批判された。今度は「マルバニーへの支持が不十分だった」「声明が曖昧」という理由で。企業がトランスインクルージョンに動けば保守派が離れ、クィア側は生ぬるいと批判する。ブランドは文字通り、どちらに動いても批判される二重拘束に陥った。
問題は、「同性愛の存在そのものへの(宗教的・生理的な)否定」という差別と、「政治的意図が作品の完成度を損なっている」という批判、「クィアをどう表現してもLGBTQ+コミュニティから"まだ足りない"と批判される」という消耗感、クィア側の言説がこの三類型を区別せず、すべてを「シスヘテロ的抑圧」として均質化する傾向があることだ。差別と、正当な美学的批評と、「要求の際限ない上昇に疲れた」という感覚をひとまとめにすることで、本来なら対話可能だった穏健層は「敵」に分類されてしまう。
要求がエスカレートし続け、かつどのような表象も必ず「不十分」か「間違っている」と判定される構造が固定化すると、実際に損するのはクィア当事者自身だ。
「シスヘテロが悪い」という枠組みへの依存は、結果としてクィア表象の場そのものを消耗させるリスクを持っている。DEIへの政治的逆風が強まる中、広告主はLGBTQ+メディアから撤退し始めており、「ゴールドラッシュは終わった」と編集者たちは述べている。この撤退が差別によるものか、要求の非現実的なエスカレーションへの疲労によるものか──個人的には後者の色が濃く──クィアは無駄に敵を増やす愚行で自滅したと私は感じている。そして確信しているのは、今後どれだけLGBTQ+メディアやコミュニティへの逆風が強まろうと、クィアが自分たちのやり方(シスヘテロの悪魔化、ダブルバインド、エスカレーション)が間違っていたのではないか、度が過ぎていたのでは、と反省する可能性は『ゼロ』だということである。悪いのは100%、"悪魔のようなシスヘテロのヘイターども"に決まっているのである。
そうそう。実生活・実社会という「リアル」で生きているトランスジェンダーはこういう主張になるよね。「トランス女性と称する人の中には、男性扱いされても仕方がない人もいます。」
なのに、トランスジェンダリズム=性自認主義(性自認至上主義)というものが実在すると考え、「トランスジェンダーは『トランスジェンダリズム=性自認主義』を主張し、信奉している」と信じているトランスヘイター・TERFの皆さんは、「トランス女性と称する人の中には、男性扱いされても仕方がない人もいます」を、一般のトランスジェンダーが「そら、そうよ」と思うのにもかかわらず、逆に「不都合な事実」と考えてしまうわけだ。
このように、トランスジェンダリズム=性自認主義(性自認至上主義)が実在するものと考えて、熱心に信奉しているのは、トランスヘイター・TERFの皆さんの方なのですよ。
なお参考まで、このジュリストOnlineの記事、「社会の中の性別と法的性別―令和5[2023]年10月25日最高裁大法廷決定に寄せて」でも紹介しておきましょう。 https://yuhikaku.com/articles/-/18992
他方で、「領分によっては性別アイデンティティに沿った対応をしなくても、それだけで差別になることはないこと」(その反面で合理的理由なく差別しないこと)を法律で確認することはあってよいかもしれない。
いるわけ。ビアンの友人が。
で、彼女がトランスジェンダーの人たちの権利について普及に熱心で、ヘテロのこっちにもいろいろ教えてくれるわけ。
でも自分はトランスジェンダー女性に結構な割合でオートガイネフィリア(自己女性化性愛症)の「男性」も含まれていると感じてる。
そういう「男性」たちにとって、女性しか愛さないビアンと「女性として」愛し合う、彼女たちに選ばれるのは自分が「女性である」ための最高のトロフィーになり得るんじゃない?
ビアンコミュニティに潜り込もうとしてるのはそういう、言うなれば「トロフィーレズビアン」を獲得しようとしてる「男性」じゃないの?
スーパー銭湯が好きで関東の20か所くらいはまわっていたのだけど、「タック」という方法で女湯に男性が入っていると知って萎えたので一切行かなくなった。
「タック」というのは両脚で挟んで男性器が正面から見えないようにして女湯に入るという極めて雑な方法で、バレないようにするには男性器を挟んで隠したままでいなければならないため、性器まわりをろくに洗わずに入浴することになるらしい。汚い。本当に萎える。
彼らは女体ウォッチが目的で女湯に来ているらしく、おばあさんのシワシワの体を見て衝撃を受けたり、女子高生の体を見て勃起したりしている。noteにそういう女体観察レポートが上がっていたり、Xにもそういう内容が書き込まれている。
これを「気持ち悪い」とか、「性器を洗わずに浴槽に入っていて汚い」とか思うのはTERFらしい。これを受け入れなければ差別者、ヘイターであるらしい。私は差別者でヘイターなので、スーパー銭湯には行かないことにした。
これまで性転換をする人というのは、「自分のことを女性だと思っているから女性の体になる手術をした、男性と結婚したい人」だと思っていた。
まさか女子高生の全裸を見るために男性器をつけたまま女湯に入って勃起している、ストレートの男性としか思えないような人がトランスを名乗っているとは。
風呂自体は相変わらず好きなので、高級なバブに金を使ったりしている。スーパー銭湯に行くより高いバブのほうが圧倒的に安くて毎日楽しめるし、家族とも共有できる。差別者かつヘイターとしての人生を、今後も楽しんでいこうと思う。
イデオロギーというのは単発の信念ではなく、複合的な広い、信ずるべき「世界観」のようなものだ。
政治的、社会的、経済的、文化的な価値観やものの見方に紐づいて生まれる、世の中を動かしていく理念、世の中こうあるべきという信念の体系だね。
例えば自分なら、昔から韓国のオンラインゲームや、最近だと中国のアニメ調ゲームが好きで、こういったアニメ文化的な相互の交流は素晴らしいものだと思っているから、これに水を差し、情強を気取って憎悪や偏見を煽る民族差別主義者やヘイター(匿名ネットに無数に湧いている)は絶対に許してはいけないものだというのが個人的なイデオロギーだ。
もちろん国家によって政治思想や社会体制、文化の違いによる国民性の違いはあるものだが、それを理由に排斥しあう必要はない。
アニメ系ゲーム愛好家のように、大人になっても日々無数の物語に触れて、共感し、人間社会が陥りがちな万難に関して創作を通して想像力を働かせ続けている人たちの、善意と友愛による越境的交流文化はとても尊いものだ。
それが例えビジネスに乗っかったとしても、きちんと同好の士的なオタク文化に根ざしたものが評価されている限りは、こうした些細な文化的繋がりこそが相互理解と平和に繋がっていく善性のものであると自分は信じているし、そういうものが盛り上がっている限りは悪意に負けずポジティブに伝えていきたい。
ただ海外の良いものを称揚するだけで世の中が良くなるとは思っておらず、逆のアプローチの必要性もずっと感じている。
東アジア国家間の軋轢にかかわるものに限らず、日頃からネットで◯◯脅威論のようなものを執拗に唱え続けている、週刊誌みたいなサムネや言葉遣いで発信行為をする人々(まとめサイト的なものを含む)は、インターネット上での信用スコア的なものでどの程度「よろしくない」ものか、スラム的な場所なのかを可視化する必要があると思う。そのための理性的な人々による集合知システムが必要だと思っていたが、AIがそれをしてくれるかもしれないのが最近の感覚。
ただ検閲など完全に情報をコントロールすべきだとは一切思わなくて、人間の賢さに対する信用をベースにしたものでないと自由闊達な社会は築けないと思うので、アクセスするのは自由だが大半の人が妥当な判断をできるような注釈がどこにでもついている、という形が理想だと考えている。
そういうことを00年代、はてなブックマークを使い始めた当時に「これは有望なサービスだ」と思った理由なのだが、むしろ匿名性が強いことで個人的な期待とは真逆の、悪意と偏見を煽るために外部からクソを投げつけて精神汚染を広げる(広げようとする人が集う)サービスと化してしまっている。これは残念なことで、10年代にはもうブコメ機能は使わなくなってしまった。
睾丸と陰茎がついていて射精・生殖が可能な状態でありながらレズビアンを自認して、脱衣所・女湯などの女性スペースに入る権利を要求する親トランス法案を積極的に出していたのが中道・れいわ・社民・共産の議員。
左派のこういうところを憎んで、経済左派でありながらも自民に投票している女性たちとかいるからね。はてサには見えてないし、見えたとしたら「トランスヘイト!」で片づけるんだろうけど。
親トランス議員、全員落選しています。手術不要、自称女性ならそれは女性って、さすがにやりたい放題だったよね。射精するレズビアンって何?
はてサは一生、「トランスヘイト!」って言っているといいよ。そしてまた負けて、一切の権力・影響力を失い、滅びてください。
追記:MtFでした。そんでトランスヘイターのことをTERFというのね知らんけど。ずっとこのテーマを追っているわけではないので独特の用語に詳しくはありません。次々と英語ベースの略語できるし。とにかく睾丸と陰茎がついていて射精・生殖が可能な状態でありながらレズビアンを自認して女湯に入るのは頭がおかしい変態・犯罪者だとは引き続き主張していきますね。そもそも女性の体のままゲイを自認して男湯に入ろうとする人間がいない非対称の時点で、自称レズビアンの男体が性犯罪者であるのは明らかです。