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はてなキーワード: 言葉とは

2026-05-13

オタク金もないのにユダヤ人みたいな振る舞いをしててキモすぎる。そのうちフェミ隔離地区に放り込んで虐殺しそう

かにちょっと被害者ヅラが強くてウザい感じはする。

典型的な「俺はただ愚痴を吐いただけなのに、過剰に叩かれてる!」という構図を作ってるけど

内容を見ると自分火種を撒いておいて、相手ツッコミの粗だけを突いて「加害者認定されてる!」と被害者宣言してる構造が透けて見える。

心の問題点「オタク迫害史」の位置づけ

1989年宮崎勤事件直後は、確かに大規模なオタクバッシングがあった。

週刊誌が「オタク=異常者」「ロリコン犯罪予備軍」と煽り警察コミケ同人ショップにガサ入れ、テレビで「引きこもりオタク特集が乱発されたのは事実

宮崎が大量のロリコンビデオアニメを所持してたのが大きく報道された影響はデカい。

当時の空気を知ってる人(特に30代後半〜50代)なら「気が狂ったようなバッシング」を覚えてるはず。

一方で「なかった派」も一定数いる。

これはこれで本当。地方普通学校職場で「オタク」という言葉すら浸透してなかった人、テレビ見てなかった人、90年代以降にオタクになった人にとっては「そんな話聞いたことない」となる。主観的体験分布が違うだけ。

ここまでは「多様性」で済む話。

でも真城さんはここから否定する奴は現在進行形オタクバッシングをしてる加害者」という敵対構図に持っていってる。

これがクソキモいところ。

典型的被害者ムーブ

自分で「オタク迫害史」的な話を広げておいて、相手が「証拠出せ」「断片的すぎ」「加害史も語れよ」と突っ込んだら、

その突っ込みの雑な部分だけ切り取って「俺はただ思い出話しただけなのに迫害されてる!」にすり替える。

「みんなもひどいと思うよね?」で共感集め。

真実として言えることオタクは実際にバッシングされた時期があるということ。

特に1989〜90年代初頭。否定するのは歴史改竄に近い。

でも「迫害史」として語る時にそれを「永遠被害者アイデンティティ」に使うのはウザい。

当時のバッシング宮崎のような極端な犯罪者トリガーだったわけで、

「ただアニメ好きだっただけ」が全員理不尽に吊るし上げられたわけじゃない。

ロリコンや極端なマニア社会的に叩かれた側面は大きい。

しかもいまは逆。

オタク文化は日本代表するコンテンツになってる。むしろオタク擁護しすぎ問題」すらある。

要するに、このポストは「過去ちょっと可哀想だった俺たち」を過剰に被害者化しつつ異論を全部「加害者認定する。

こういう「俺たちオタク永遠被害者」みたいな語り方は

結局オタク全体のイメージを下げるだけ。

オタク迫害史」を語るなら、加害側・被害側両方の事実ちゃんと整理して話せよ、ってのが正直な感想

愚痴を吐きたいなら吐けばいいけど、それを「史観」みたいに持ち上げて異論を叩くのはカス

強い言葉を使っているっていう批判って、外から見たら強い言葉を使っているように見えるだけで、当人はそんな意識あるのかというのは疑問。

強い言葉を使う意識で言ってるんじゃなくて、強い言葉適当意味理解しているせいで日常生活にあるような状況を迫害だとか言うんだろう。

迫害とか境界知能とか発達障害だとかあれこれ言ってる連中は、そもそも意味理解してないから、精神病は甘えみたいな変なことを言い出す奴も出てくる。

撮り鉄迫害されている

いつからだろうか。駅のホームカメラを構えるだけで、犯罪者予備軍を見るような冷ややかな視線を浴びるようになったのは。

先に断っておくが、線路内に立ち入る、列車運行を妨げる、罵声を浴びせる。そんな連中は「撮り鉄」ではない。ただの暴徒だ。しかし、今の世の中は、ルールを守って静かにシャッターを切っている我々までをも、一括りに「害悪」として切り捨てようとしている。これは明らかな社会的迫害だ。

奪われる居場所と「一般人」の特権

かつては駅員さんも「いいの撮れた?」と声をかけてくれた。今や、三脚はおろか手持ちでの撮影すら、過剰な放送牽制される。一方で、スマホを掲げて黄色い線の外側からはみ出し、自撮りに夢中な「一般人」が注意されることは稀だ。

鉄道ファンマナーが悪い」という言説が定着したせいで、我々が少しでも動けば「撮り鉄がまた暴れている」とSNSで晒される。デジタルタトゥーという名の私刑正義の味方にでもなったつもりの「一般人」による、無自覚暴力

メディアによる「悪の定型化」

ワイドショーは、ごく一部の過激個体不祥事を、あたかも界隈全体の共通認識であるかのように報じる。

「また撮り鉄が…」

鉄道ファンの行き過ぎた行動」

この枕詞がつくたびに、我々の居場所さらに狭まる。善良な撮り鉄が、ゴミを拾い、マナーを啓発し合っている姿は、視聴率が取れないからと無視される。

趣味への尊厳を取り戻したい

我々が撮りたいのは、ただの鉄の塊ではない。その車両が刻んできた歴史であり、設計者の意図であり、光と影が織りなす一瞬の芸術だ。

今の状況は、まるで特定属性を持っているだけで入店拒否される人種差別に近い。我々に必要なのは、一律の排除ではなく、ルールを守る者への正当な権利保障だ。

撮り鉄」という言葉が、いつか誇りを持って名乗れる言葉に戻る日は来るのだろうか。現状のままでは、この文化は「迫害」によって絶滅してしまう。私たちはただ、愛するものを愛したいだけなのだ

 

※このエントリーは「「撮り鉄迫害されている」というタイトルで、はてなAnonymous ダイアリー向けに800字くらいの文章を書いて。」というプロンプトでGemini 3 Fastモードで生成しました。

自作自演増田の行動パターン: ケース3 「オレオレ罪」

自作自演増田他人に対して犯罪だと言い出すときは、

自分が完全に論破されたことを自覚したときです

本論では勝ち目がないと悟るので

気分を害された→危害を加えられた→相手の行動は犯罪である

理論を飛躍して自分を慰める自慰行動の一種です

自慰行動なので、同時に自らの悪行を正当化する言葉がセットで書かれることも多いです

自作自演増田の行動パターン: ケース3 「オレオレ罪」

自作自演増田他人に対して犯罪だと言い出すときは、

自分が完全に論破されたことを自覚したときです

本論では勝ち目がないと悟るので

気分を害された→危害を加えられた→相手の行動は犯罪である

理論を飛躍して自分を慰める自慰行動の一種です

自慰行動なので、同時に自らの悪行を正当化する言葉がセットで書かれることも多いです

「ナフサ」とか「カルビーポテトチップス」とかの話題ですけど。

「足りてる」で語り合うことの足らなさや見当違いさってあると私は思っていて、何でかというと、前提にしている私たち社会的流通はモノの流通なんだけど、それ以上に、約束事の流通だと思うからです。

もともと、私たちにとって、まだそこにない物品や在庫をやりとりして金額にしてるのがふだんからのことですね。そのなかで「何が足りない」もひとつ視点ではあるけど、それをひっくるめたところでは、「何なら回せる」「何なら巡らせられる」ってことの連環をやってるわけなので。「モノ」の問題は大きいけど、そこだけにとらわれると、視野が狭くなって、結果として別の話にもなっちゃますね。もともと全部はあるわけ無いのに無事に回っていたこなのだから回復するだけの安心な量の目安というのも曖昧ものなんです。

そのうえでの大問題は、約束連鎖が途切れて止まることです。私たちは、在庫のものがあろうとなかろうと、高度なマスプロダクト化や流通の高度化の上で、先の約束をし続けてきています。そこにおいては、言葉数字とがやりとりされて、目利きとか味見とかができるだけ不要であるように整えられています。そのことが私たちが前提視しているような安さや安定を作っています。その状況が揺らぐということが、一足飛びに結論めいたものを求める人にとっては、残った手の無さみたいな感じの終末的な話になるのですが、実際、そこでは「目詰まり」以上の揺らぎが起こっていると言えるかもしれないですね。

そうはいっても、実際、現場にとっては、モノがなければ回らないというのはその通りです。そして、モノがなければそこにいる人の気持ちも行動も維持できなかったりします。モノが大事なのはその通り。

けれども一方で、ある現場は別の現場との関係のなかで動いているものでもあるので、仮にある現場にモノがあったからといって、今回の問題全体がひとまず解決だということにはならないはずです。モノの約束を確保するためには、モノの流通がおかれている状況や環境の話をしないわけにはいかないはずなのです。ここまでプラスチック問題みたいなことを散々扱ってきたはずの私たちが、「ナフサ」に対して、「そういうのがあったんだね、初めて聞いたけど」とか言えていること自体が、すでにそのような態度を少しは獲得しかけているということではあります。良かったね。

それで、「カルビーポテトチップス」をはじめとした現場対応の話は、そこに対抗しようとするものでしょう? 約束を話し続けるための現場のやり方が、今回はあれらの形で報道にのっています。「コロナ禍」でも「米騒動」でもそうだったでしょう。

事前に教科書などからそれを学んでいなくても、また、教科書記述社会現場で実際どのように実現するものかを確かめるような経験をしてこなかったとしても、「コロナ禍」や「米騒動」を経験したのに何も考えていなかったり何も変わらなかった政治家がいたとしたら、それは、与野党所属関係なく、すごく無能ですよ。今後どう進むかは知らないけれど、ここまでのところ、力不足勉強力不足。成長力不足。役に足りていない。

しかし、この国の状況は、個々人をそうなるように仕向けるようになっているとも思います。時々、何か進むと思ったら、「無能な働き者」によるコントロールスフリーク的で実際にはあばら屋のようなドヤ政策話題にされるばかり。万博の出し物くらいなら、そういうものもアリかもしれませんけれどもね。「立場が人を作る」という言葉がありますが。日本の「立場」は、あまり人を良いふうには作ってくれないのかもしれません。もちろん、例外にこそ期待したいと思いつつ書くわけですが。

そしてまた、市民もそうです。モノの約束がとれなさそうだからモノを求めて文句をいう。「それはそう」って話ではあり、「間違ってる」とか「悪い」ということではないわけなのですが、でもそれでは、足りないでしょう。それで終わると、同様の問題はまた繰り返されます災害にも、疫病にも、戦争にも、なにに関してもまたきっと同じようなことになります。そういう行政議会の動かなさや素っ頓狂さに関して、「モノ」以上のことを求めるのが、市民役割でもあるはずだとも思います

それで、今回に関しては、政府にはできないこともあるだろうなと、私は、思います。だからこそ、そこは「触れない」とか「忖度する」とかではなく、「できないこと」と「せめてやること」をコミュニケーションするとか、打ち出すとかする必要があると考えます。そこでは、「条件に関しての争い」はあるかもしれないですし、「損をしてでもやる」ということもあるかもしれないです。「条件に関しての争い」に付き合いたくない人たちをそれに巻き込む労も必要になるかもしれないですね。それらを面倒がって近づかないのが「賢いリーダー」だという時期がずいぶん長いですが。

触れないでおいて、せめてできることをやるということになれば、できるのはまた「お肉券」「お米券」ですよ。だって、繰り返し続けてるんだもん、分かるでしょう…?

オタクという言葉に良いイメージはない

1989年のことは知らない世代であるが、オタクと言えばチェックシャツ鉢巻デブというイメージだった

2004〜2006年頃に人工的に作られた

と言われればそうかもしれない

実際に見た記憶はないからね

TVで写った時に「本当にチェックシャツ着てるんだ」と思ったぐらい

電車男オタク描写は「本当にこんなしゃべりかたのやついるのかよ」と思ったしな

学生時代はどうだったか

オタクという用語が使われていたかはあまり記憶にないが、ゲーム雑誌漫画アニメの話ばかりしているオタクっぽい男子はい

他にも今でいうとオタク枠に入る野球オタクとか、ドラマオタクもいた

仲間外れにされていたのは当然のように前者だったので、迫害はあったのだろう

しかし、オタクがいわゆるカースト底辺かと言われるとそうではなかったように思う

仲間外れにしていたのは男子であり、女子別に何もしていなかった

仲間外れも積極的に会話しないとか、体育のチーム分けで積極的に呼ばない程度の話で、イジメというほどではない

底辺はやはりブス

ブスは明確に嫌がられていた

班分けで同じになるとき、日直でペアになるとき、あからさまに嫌がられていた

社会人時代

漫画子供だけのものという時代から、ちょうど変わっていく時期だったので、

多少の恥ずかしさこそあれ、ジャンプを読み続けられる世代だった

IT系入社したため、オタクというかもう変な奴だらけだった

いわゆるオタ趣味の人ばかりであったが、チェックシャツはいなかったし、体型はむしろ痩せ型が多かった

美少女フィギュア好きな人は当時では珍しく、皆にいじられていたのは覚えている

本人は嬉々として解説していたので迫害のような扱いではないと思う

オタク範囲拡大

とはいえしばらくはオタクイメージは悪いままだった

初音ミクとか、2次元結婚とかキモいと思った

(正確には興奮具合と性欲の発露がすごくてキモかった)

いつしかオタクとはアニメフィギュア好きの事みたいな使い方から特定の分野にはまってる人をオタクと言うようになった

オタク市民権を得た瞬間だと思う

とはいえ今でも美少女フィギュアばっかり集めてたら変な目で見られるのは避けられない気がする

オタクという属性ではなく、興奮具合と性欲の発露がキモいのだから

anond:20260513174406

覚えてないなら、なぜ

「一単語じゃないんじゃねえの 生真面目は一単語だぞ」

という言葉がでてきたのだろうか

無意識に回答は一単語でないとだめと自分の中で枷をはめていることになる

そういう自分ルール相手にまで拡大してしまうのは

自他境界ができていない人特有の症状なんだよな

anond:20260513173732

自分が書いた文章相手が言った言葉ということにして叩いてるの

控えめに言ってキチガイしか思えない(真顔)

永遠に苦しめ

一般的に使われてる言葉なのに、言葉意味を厳密にもとめて相手のせいにするのは

さすがに行き過ぎだと思うわ

アンチが憎すぎて難癖つけてるだけって感じ

まさに難癖増田

dorawii@新刊発売(予定)

慣用句だというのを免罪符にするようなセンス言葉適当に使う奴に困った経験が俺の記憶の中で目立つからな。

駐車可能時間に24時間とか書いてあるのを見たが、文脈というかその駐車場目的とか状況とか考える限り、これは24時間以上止めたらなにか罰則があるとかじゃなくて、一日の内でいつでも利用できるという意味合いなはずだ。

でもそう言いたいならそもそも駐車可能時間「帯」とすべきではないか?そして24時間ではなく、いつでも、とか常時、と書くべき。

dorawiiより


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anond:20260513171026

きりがないっていうか、言葉用法の厳密性の話なんて

dorawii以外そもそもしてないだろ

きりのない無益な話にばかり執着する亡者って感じ

anond:20260513164713

寿退社のこと?

言葉がどうこう言うならまず推敲したほうがええで

オタク迫害史観」にまつわる諸々のズレについて

「オタク迫害史観」というどう考えても捏造されているオタクたちへの違和感


この note 記事に書かれていることは、筆者と同世代で生まれも育ちも東京23区の私が見てきた世界とほぼ完全に一致している。


ところが、ブコメを見る限り、この記事とは全く別の世界線を生きてきた人も多いようで、

その認識のズレはに共通パターンがあるのように見えたので、ここにメモ的に記しておく。


まず、平仮名おたく」という用語侮蔑語として発明されたのは紛れもない事実である

ただし、中森明夫が「おたく」を造語したのは1983年で、宮崎事件は1989~1990年だ。

まりワイドナショー週刊誌ロリコンオタク犯行として喧伝されるようになったのは1990年から


オタク迫害史観」を持ってる人が見逃しがちなのは1983年から1990年までの7年間である


大都市出身の私には、宮崎事件までの7年間の方が「おたく」にたいするバッシングはずっと苛烈だったという記憶がある。

しろ宮崎事件で「おたく」なるレッテル田舎のお爺ちゃん・お祖母ちゃんにまで知られるようになって、

ネガティブイメージ希釈され、「おたく」がカジュアル化した感触すらある。

例えば、ファッションオタクとか、健康オタクとか、「ポジティブイメージのもの + オタク」というバリエーションが生まれたのは

宮崎事件以降だった筈だ。皆がオタクという用語を知らなければ、そういう言葉が成立しないのだから、間違いなくそうだ。


しかすると、80年代ネットが普及してなかったので、大都市以外では宮崎事件まで「おたく」という用語

そのコノテーションちゃんと知っていたのは、一部の若者だけだったかもしれない。

それなら、宮崎事件きっかけにオタク迫害されるようになったという認識の人が多数いることの説明がつく。


この「1983年から7年間の空白」という時間的なズレが「大都市とそれ以外」という地理的なズレに起因している可能性。


それからポップカルチャー全体の社会的地位にたいする認識にも、この記事肯定的な人と否定的な人でズレがあるようだ。


80年代90年代は、ポップカルチャーが天下を取り、誰もがそれを認めざるを得なくなるまでの過渡期と言える。

電車男の頃に「ついにオタク文化がメジャー舞台に上がった!俺たちは認められた!」と一瞬だけ喜んだ人も多いのでは?)

20世紀末までは、「サブ(下部)カルチャー」と、アニメ漫画ゲームを含む「ポップカルチャー」には同じように扱われていた。

世間は、地位の低い「とるに足らないもの」をわざわざ細かく分類しない。


かに80年代の親・教師世代が「中学生になったらアニメ卒業だね」という価値観を持っていたのは事実だ。

氷川竜介によると、1974年ヤマトまでは当の中学生がそういう認識だったらしい)

私を含む凡庸中学生の多くがそういう世間空気漠然内面化していのも事実だろう。決して納得はしてないけど。


一方で、2000年代以降にオタクから分離され、オタクの敵とされた「サブカル」というジャンルには、

ニューアカのような現代思想や、洋楽ファッションデザインなど、80年代当時から比較的に社会的地位が高いものも含まれていた。


おそらく、こういうイメージ2000年代初頭にオタクカルチャーが「美少女系を中心に再編されていく」過程で、

サブカルオタクとは違う」「サブカルオタクを見下してきた」という歴史修正種子となったのだろう。


2000年代オタクを「自称」するようになり、オタクと言えば電車男アキバ美少女という世界観の人にとっては

そういう対立構造が腹落ちしやすかっただろう。

もともとアニメ社会的地位が低いところに宮崎事件イメージが更に悪化したのも、

サブカル地位の高いジャンルが含まれていたのも「一部の事実」だから


でも実際には、「ハイカルチャー」の権威がまだ辛うじて息をしていた時代(80~90年代)には、

アニメを含むポップカルチャーも「サブ(下層)カルチャー」の一部としてゴッチャにされていたし、

オタク内部では、ハードSFハイファンタジー軍事などを愛好するオタク美少女イラストを描いてるような連中をバカにしていた。


その見下されていた美少女オタクが「自分たちこそオタクカルチャーの中心」みたいな顔をするようになっていくなかで、

から地位が高かったジャンルをまとめて「サブカル」という敵を設定するのは都合がよかっただろう。

オタク故に迫害された」のなら、オタクコミュニティー内で見下されていたことは忘れてしまって(又はその時代を知らなくて)

サブカルという「外部」を設定した方が構図としてスッキリするから


でも実際には、(20世紀末までの)世間から見ればオタクサブカルも「根暗なやつらのチマチマした趣味」でしかなかったし、

サブ(下部)カルチャーの内部では、それぞれが自分が愛好するジャンル地位を上げようとマウントの取り合いをしてただけ。

[B! 批評] 「はっぴいえんどが高く評価されてるのに、サザンオールスターズ評価されてない」という説に関しての私感|小野島 大

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/onojima/n/nf8244aee7267

コメント欄典型例の見本市みたいになってるね。「はっぴいえんど史観批評ボキャブラリーの偏り」が、ほぼそのまま剥き出しで出てきている。

サザンオールスターズが売れていたのは事実だけれど音楽的な完成度ははっぴいえんどのほうが高かったってだけでしょ

分かりやすい。これ、論理的には何も言っていないんだよ。「音楽的完成度」の定義を出さずに結論だけ置いて、その結論説明にしている。トートロジー。なぜはっぴいえんどのほうが完成度が高いと判定されるのか、その判定基準のものが争点になっているのに、判定基準所与のものとして使っている。「神の存在聖書に書いてあるから明らかだ、なぜなら聖書神の言葉から」と構造は同じ。

売れすぎて売れる歌謡曲しかできなくなったバンドという印象

これも興味深くて、これは無自覚に前提を晒している。歌謡曲ロックより下位にある、という序列が完全に自明のものとして発話されている。なぜ歌謡曲が劣位なのか、誰がいつそう決めたのか、という問いは消えている。はっぴいえんど史観批判される時に問題視されるのは、まさにこの「ロック/歌謡曲」という二分法と、その序列固定化なんだけどね。サザンや矢沢や竹内まりや評価しにくくなるのは、彼らが歌謡曲ロックを横断するから、つまり史観が作った二分法に乗らないからで、「歌謡曲しかできない」と評するのは、その評価フレームの内側からの発話だと自覚されていない。

日本語英語発音のようなロックを世に広めたのはすごい功績だと思うし原由子という存在も大きいけど、桑田特有のオラつきが(俺の)ロック価値観と相容れず…。はっびぃえんど的な扱いにはならないんじゃない?

括弧で「俺の」と入れているところに辛うじて自己相対化があって、そこは少し誠実。ただ「ロック価値観」が結局オラつきの種類の選別をしているという話で、はっぴいえんど内向的知的なオラつきはOKで、桑田ヤンキー寄りオラつきはNGという、そういう趣味問題を「ロック的かどうか」と言い換えているだけ、という見方もできる。

全体として、コメント欄の多くは「サザン評価されない理由」を後付けで合理化していて、その合理化言葉かいのものが、はっぴいえんど史観の語彙で組み立てられている、というのが面白いというか、批判の正しさを逆に裏付けしまっている。「ほらね、あなたたちが何気なく使っている『ロック的』『音楽的完成度』『歌謡曲っぽい』という語彙、全部はっぴいえんど史観由来ですよ」と。

まあ、はてブコメント欄に厳密な論証を求めるのも酷だけど、傾向としては綺麗に出ている。

自分を大きく見せるのを辞めたい

プライドが高いか自分を大きく見せたくてたまらない。最近はやってるフレネミーって言葉自分に当てはまると思う。どうすれば治せるんだこれ。

人権」だの「迫害」だの「燃やされた」だの、なんでオタクって強い言葉を気軽に使う人達がこうも多いんだ?言葉に対する感覚が鈍感すぎやしないか

迫害」という言葉の感じ方が30年前と現在とで変わってしまった

オタク馬鹿にされ、テレビなどでも気持ち悪いものとして扱われ、

オタクオタク同士で集まって隅のほうで縮こまって暮らしていた、

という状況は確かにあった。

でも「ホンモノ」が可視化された現在のヘルインターネットを見ると、

かにあんなのは迫害とは言えなかったよね、という感覚になってしまう。

いまの炎上・分断・憎悪差別の激しさと比べたら、

そりゃあの頃のオタク蔑視なんておままごとだったよね。

オタクの肩身が狭かった」程度の言い方でいいと思うし、それなら自分賛同するけれど

どうしていちいち差別だの迫害だのと強い言葉を使うのか

anond:20260513120526

こいつ頑張ってるけどいまいち心に響かないんだよな

言葉が全部表面的というか

禿げてるけどそれは気にしてなくて子供障害持ってることをすごく悩んでる人に対して

ハゲハゲ!」

って言い続けてる感じ

子供や妻をいじったりガイガイ音頭でも歌い上げた方がよほど効くのにそこまで読めないんだよな

anond:20260513121454

そういや居酒屋イメージってすっかり変わったよな

以前はおかみさんが1人で切り盛りする

絵もない花もない歌もない飾る言葉洒落もないのが居酒屋だったのに

オタク迫害かいう強い言葉を使っている人達、実際に拷問されたり殺されたりしている共産主義者反戦論者への迫害は多分認めてないよね

迫害」って、弱い立場の者などを追い詰めて、苦しめることだよ 例として、「少数民族迫害する」など。

迫害」の意味がこれだから、「オタク迫害」というからには、積極的に追い詰めて苦しめられるような事実が伴う必要があると思うんだけど、そんなもの本当にあったのか?

単に白い目で見られたり距離を置かれたりする程度の事を「オタク迫害」と呼ぶのは、あまり言葉が強過ぎて、他の深刻な迫害を相対化してしまうのでは?

中学校等での殴る蹴るを伴うようないじめ自体は確かにあっただろうけれど、それは果たしてオタク」を理由とするものなのか?

全く同じ人間オタク趣味をやめたらいじめられなくなったのか?どう考えても違うだろう

https://kotobank.jp/word/%E8%BF%AB%E5%AE%B3-600132

はく‐がい【迫害

[名](スル)弱い立場の者などを追い詰めて、苦しめること。「少数民族迫害する」

[類語]虐待暴行乱暴・アウトレージ・苛める・さいなむ・なぶる・いびる・虐げる・切りさいなむ

出典 小学館

anond:20260513113513

これも最近ラーニングした言葉だな

やっぱ本人だな

昼もいるんだ

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