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2026-04-22

世界ピクニックアンチ

端的に言えば、この作品は秘封のパクリすぎやしないかという話である

ここにおける秘封とは秘封原作および二次創作におけるテンプレまでを含めている。

どうパクリであるか。

まず裏世界ピクニック大学生である主人公二人の空魚と鳥子は極端に言うと容姿と中身を入れ替えた蓮子メリーである原作では関係性は描かれないが、二次創作でよく絡められる旧作組に相当するようなブレーン担当および依頼人としてのサブキャラも出てくる。

この二人が異界に入り、都市伝説に出てくるような異形の怪物に襲われたりしながら鳥子行方不明になった友人を探そうとするという話がメインストリーであり、襲われる怪物ごとに章がおおよそ区切られている。

要は原作でいう鳥船遺跡であり、二次創作でも幻想郷を始めとした異界で蓮子メリーが襲われて逃げたり立ち向かったりするのはよく見たものである

空魚と鳥子は秘封と同様に常人が持たない特殊能力を持つ(正確には作中で獲得する)のだが、これは作中の描写からして明らかにメリー境界視と境界操作能力を二人にそれぞれ分けたものだ。

ざっと述べられるだけでも、共通点がこれだけ出てくる。

読んでいると、他にも既視感を持つ描写や展開が度々出てきた。

何が気に食わなかったかというと、ここまでパクっておきながら作者のオリジナル要素の付与全然なかったからだ。

出てくる怪物たちもくねくねや八尺様といった既存都市伝説から引用だし、それらの存在についての深い掘り下げはあまりされていない。ホラーとしての描写も背筋が凍るようなものでもなく、追われる→立ち向かうって感じのただのパニックホラーだ。

秘封にあるような衒学的でウェットに富んだ掛け合いにも欠ける。

要は商業一次創作としてパクるのなら一回り大きな作品になるべきなのに、要素や描写が既に秘封以下の印象なのだ

ぶっちゃけ同人誌やそそわ、渋にある良質な秘封二次創作のほうが遥かに面白い

秘封的文脈にこの作品が以後も従い続けるのなら、今後は百合展開や、片割れが1人で裏世界勝手に向かったり、能力暴走したりするのかもしれない。

私は最近になって本屋でこの作品を見かけ、あらすじがあまりに秘封すぎると思いながらも一巻の途中までを読んで、思ったよりも秘封のパクリすぎてびっくりするのと同時に読むのに飽きて中断してしまった。

今後もこの漂白剤に二度漬けされた秘封二次みたいな話のままなのだろうか。

もし以降の巻で秘封の型から大きく脱却するような面白さがあるのならば、誰か教えて欲しい。

2026-03-23

情報を食ってる、は名言だ。

私がそれを名言だと思うのは、この言葉作品の中に配置する前後でこの言葉がどういうレトリックが駆使されているのかを明示的に説明することの一切なしに、この言葉までたどり着いたときにも前の言葉と同様になんのつっかえる余地もなく理解できるようになっているからだ。

それは丁寧に文脈を築き上げているということだし、いくらそうしていてもやっぱり難解なレトリックになってしまっているというものはありえるだろう。

隠喩だの直喩だの学校で教える知識というのは作者目線として有用情報として教えているのであって、読み手としてはなんら知識なんてなくて理解できるものが至高だと思う。

そうでないもの衒学趣味自己満足あって表現としては失格だと私は思う。

自分に言わせれば俳句なんて失格の宝庫だよ。解説ありきじゃん。

dorawiiより

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2026-03-04

カラマーゾフ』を語るなら、せめて神義論くらいは通ってきてくれ

先日、自称文学好き」の友人とカフェで『カラマーゾフの兄弟』について話す機会があった。

彼はラテを啜り、眼鏡ブリッジを指で押し上げながら、自分テクストの「最前線」に立っていることを露ほども疑わない口調でこう切り出した。

「結局、ドストエフスキーの凄みってのは、あの徹底した『脱構築』にあるよね。大審問官のシーンにしたって、あれは宗教的コンテクストを超えた、システムによる人間管理予言だよ。フーコーの先取りと言ってもいい。キリストという『個の超越性』が、教会の『全体主義的な統治機構』によって無化される……あの構造的なパラドックスを、あの時代に描いたのは確かに天才的だ。現代ポピュリズム批判としても完璧機能しているよね」

彼は「コンテクスト」だの「パラドックス」だのといった横文字を、安っぽいトッピングのように振りかけながら、悦に入っていた。

「まあ、現代の僕らにとって神なんてのは、単なるナラティブの一要素、あるいは古典的フレーバーに過ぎないわけじゃない? だからこそ、純粋な『自由支配相克』として、あのシーンを抽出して楽しむのが、最も知的アップデートされた読み方だと思うんだ」

私は、彼の「洗練された批評家」を気取った横顔を眺めながら、内心で深い溜息をついた。その「アップデート」とやらが、ドストエフスキーが血を吐きながら向き合った深淵を、単なる「知的ゲームの駒」にまで脱色する、いかに軽薄な行為であるか。彼は微塵も気づいていないのだ。

私は、彼の「高度な解釈」を皮肉を込めて賞賛した。

「いやあ、実にお見事。洗練された、いかにも『現代的』な解釈だね。現代思想眼鏡を通せば、ドストエフスキーもここまで『清潔』に処理できるんだ。……でも、その解釈の中で、君は『神義論』をどう位置づけているんだい? 当然、それを踏まえた上での結論なんだよね?」

友人は、今まさに自分披露した「最新の知見」を、聞いたこともない単語で遮られたことに、一瞬、不快そうに眉をひそめた。だが、すぐにせせら笑うような表情を作ってこう返してきた。

「……しんぎろん? ごめん、そういうマイナーな……何て言うか、アカデミック重箱の隅をつつくような用語には興味がないんだ。僕が言いたいのは、もっとアクチュアルな、現代を生きる僕らのための読みの話だよ。そういう賢しら気な分類学のラベルを貼って安心するのは、かえってテクスト可能性を狭めているんじゃないかな」

彼は、自分が「神義論」という言葉を知らないことを、あたかも「そんな価値のない衒学用語に触れる必要がない」という知的選別であるかのように装ってみせた。(ちなみに「神義論」は神学の基礎教養であり、これをマイナーと言い切る度胸には恐れ入る。)

神学という学問存在すら、彼の認識の外側にあるようだった。

神を「フレーバー」だと切って捨てたその口は、ドストエフスキーという男が生涯を通してのたうち回り、その魂を削り続けた神義論という名の「躓きの石」を、その一端すらも捉えていない。

神義論という「キリスト神学の最大の謎」

そもそもドストエフスキーが格闘していたのは「権力システム脱構築」なんていう安っぽい知的パズルではない。彼が対峙していたのは、キリスト世界が二千年間解けずにいる最大の問題――「神義論」だ。

神義論のジレンマ

「至善であり全能である神がいるなら、なぜこの世に不条理な悪や苦しみがあるのか?」

神が善なら悪を滅ぼそうとするはずだし、神が全能ならそれを実現できるはずだ。それなのに、世界には罪のない子供の涙が溢れている。この矛盾に対して、神をどう「弁明」するか。

歴代神学者たちは、これを「自由意志」で説明してきた。

神は人間操り人形ではなく、自ら善を選択できる存在として創られた。そのためには「悪を選択できる可能性」がセットで必要になる。自由意志という「最上の贈り物」を維持するためには、悪というリスク必然的に伴う。自由意志の価値を悪の被害以上に高く見積もることで、神が創った世界はなお善きものだと言い張る……。

これが、キリスト世界必死にひねり出した「神の正義」の証明だ。

天国への「入場券」を返すという拒絶

この神義論の伝統理解してはじめて、イワン糾弾の「本当の重さ」が見えてくる。

イワン子供虐待を引き合いに出して、神に「入場券を返す」と言い放ったあの有名なシーン。

ここで言う「入場券」とは、将来訪れるとされる「究極の調和天国)」への入場許可のことだ。キリスト教的には、今の苦しみは将来の大きな喜びのために必要プロセスだとされる。

だがイワンは拒絶する。もし、その「究極の調和」の完成のために、たった一人でも罪のない子供の涙が必要だと言うのなら、そんな高すぎる代償を払ってまで得られる幸福など自分は要らない。だから天国への入場券は恭しくお返しする。

これは単なるヒューマニズムの抗議ではない。「自由意志の価値なんて、子供の流す一滴の涙にすら及ばない」という、神学の根幹に対する絶望的な拒絶なのだ

そして大審問官が説く「自由人間にとって重荷すぎる」という言葉は、自由意志という神が与えた最大のギフトを、人類ほとんどが使いこなせずに自滅しているという、神の創造計画への凄まじい皮肉だ。

これらの文脈を抜きにして「現代ポピュリズム批判だ」などと語るのは、信仰を持たずに「この聖堂の荘厳さに心が洗われる!」と言っているようなものだ。

ドストエフスキーを「無宗教安全圏」から消費する浅ましさ

残念なことに、多くの日本人読者はこの「神との命がけの格闘」を、自分たちの「無宗教的な正しさ」を肯定するための材料として消費する。キリスト教にアレルギーを持つ自分たちの在り方を、イワン言葉を借りて正当化しているに過ぎない。

彼らは、イワン絶望自分たちの「世俗的な正しさ」の補強に使い、アリョーシャが体現しようとした「それでも神を求めずにはいられない地獄のような信仰からは目を逸らす。神義論が悲劇正当化しかならないことを痛いほど理解しながら、それでもなお神を求め続けたドストエフスキーの「祈り」の苦悩を、彼らは決して触ろうとしないのだ。

友人が「大審問官」に覚えたその薄っぺらカタルシスは、ドストエフスキーが血を吐きながら書いた思想の、ほんの出し殻に過ぎない。

文学を読んで賢くなったつもりでいる君へ

カフェを出るとき、友人は何か釈然としない顔をしていた。

「まあ、ドストエフスキーは君には難しすぎたかな。彼は未来を先取りしていたからね。『現代思想最前線』を履修してようやく理解できるのさ」

私は微笑んで頷いた。

「そうだね。君が『ドストエフスキー深読みできる自分』によって自尊心を満たせるなら、それが君にとっての正解なんだだろう」

文学を読んで賢くなったつもりでいる君へ。

君が読んでいるのは、ドストエフスキーではない。

ドストエフスキーの皮を被せられた、君自身薄っぺら承認欲求と、肥大化した自尊心鏡像だ。

君の言うその「現代思想によるアップデート」のあまりの軽さを、私はただ、憐れみをもって眺めている。

2026-01-26

anond:20260126083426

否定的意見もあるけれども、生死に対する個人的感想を述べ、悲しい、と個人的結論しているだけなのだから否定する理由はないように思うよ

書いている人がどう言うふうに生活をして、どう言うふうに生きているかからないのに、みんな相手への印象を決めつけすぎているよ

投稿者永遠に生きたいのだろうか?

その日その日が楽しくても、最後死ぬから、悲しい、のだとしたらずっと楽しく生きられたらいいのかな?

「ずっと楽しく生きていたい」と言う思いは、世界肯定する感情かもしれないとは思うよ

個人的感想だけれども、こういうことを考える人のことは好きである

タイトル疑問文に答えるなら、言葉遊びみたいで好きじゃないけど

「死んだら全てが無になるにもかかわらず、それでもなぜか目標にしたくなることを目標にして生きればいいかも」という回答がよいのかな

根本的な解決は多分無理で、とりあえずの解決策は

・日々充実していることに満足する

社会貢献や後世へ影響を残すことで満足する

・人から感謝されたり評価されることで満足する

・霊的な世界体験したり信じることで満足する

衒学的な言葉遊びに埋没して満足する

・満足しているふりをする

とかかな

2025-12-10

anond:20251209124117

衒学的(げんがくてき): 知識をひけらかすようなさま。自分教養を見せつける様子。

衒う(てらう): 知識教養をひけらかす、得意になって見せびらかす。

衒気(げんき): 他人自分の才能などを見せびらかしたがる気持ち

2025-11-25

投稿者ブコメ心理的レトリック的な観点から分析しました。

主な要素は以下の4点に集約されます

1. 「高みの見物」的な冷笑スタンス上から目線

当事者意識の欠如した「評論家気取り」の態度が鼻につくパターンです。

2. 「無敵論法」によるポジショントーク

どのような事象が起きても、すべて自分の支持する側に都合よく解釈する論法により、対話余地を感じさせません。

3. 他者の痛みに対する想像力の欠如(他責思考

リスク不利益を被る人々への配慮が薄く、他者の不幸を「必要コスト」として冷淡に切り捨てています

4. ストローマン論法仮想敵の設定)

批判対象単純化し、嘲笑することで自分正当性確認しています

まとめ

この人物ブコメ不快理由は、政治的スタンス以上に、

自分は常に賢い側にいて、愚かな大衆敵対勢力を高所から見下ろして冷笑している」

というナルシシスティックな態度が、語尾や用語を通じて滲み出ている点にあります

一見論理的ですが、自分が見たい現実しか見ない」という強いバイアス客観的分析のように装っている点が、読み手イライラを増幅させていると言えます

2025-11-24

anond:20251123041412

映画小説を見渡せば原典を浅く切り貼りした名作は多いわけで、原典を深くとか言ってんのは衒学趣味知識マウントしか無いだろ

2025-11-14

盗賊百話

アリババです。一ヶ月ほどインターン勤務を離れて充電してきたところ。

遣唐使から帰って俺は

乃木坂(村を荒らしてきた46人の盗賊団)の首領Fidoに狙いを定めた。奴は俺の遣唐使生活を掻き乱した悪人だが、急がば回れ、ここで恩を売ってアピールしておくのだ。実はFidoは、村では変装して、零細の飛脚屋を営業している。白髪混じりの髭をツルツルに剃って、黒髪の鬘を被り、村では、寄付をしないケチ実業家として知られている。労働基準法もびっくりの二重賃金価格を設定して、人の移動から引越しまで、社員をこき使っているのだ。

さて、俺は大陸で禅の修行をしていたある日、「アールワン」と禅師が叫ぶのを聞いた。日本語でいうところの、「喝」と考えてもらっていい。その瞬間、俺は閃いてしまったのだ。これは、Fidoの運送業務の難題を解決する新規経路アルゴリズムの鍵となる可能性を秘めていた。そこで俺は、派遣末期にインディードiPad検索し、そこにしれっと出ていたFido飛脚屋に応募、いや正確には、なにくわぬ顔をしてFidoにコンタクトを取った。Fidoは、「どうしてもやりたい事が見つからなければうちに来てもいい」と言ってきた。勿論俺は、そんなチンケな飛脚屋で飼い殺しにされるつもりはなく、禅の公案を考えていた最中に浮かんだアイデアを試したいだけだ。

ところが生憎、Fidoは初め俺を奴の素晴らしいアイデア証明するための突破口へと突撃させるポーン♟️として利用しようとした。俺は「毒蛇は急がない」というどこかの国の諺を知っていたので、殊勝顔で業務遂行するフリをした。糸口としては面白いが、今俺が身を切る理由はどこにもないので、客観的業務日誌を付けるよう心がけた。

半年と少しが経った

遂に好機がやってきた。ある夏の日、最新の大陸の禅書に、アールワン(とはどこにも書いてなかったが)を売り込む口実を見つけたのだ。衒学的なFidoは、飛脚屋だが最新の禅書を揃えて並べるのを趣味としている。書物配列暗号を仕込んであるらしいのだが、俺の頭では解読できそうもない。

早速俺は、Fidoへの業務報告の機会にPRを始めた。「これは大陸権威ある禅者が著したもので、このように言ってます。これが斯界の新潮流です。しかしながら、文脈Qで、世界アールワンの謎に気づいているのは私だけです。これがうまくいけば、我が社の経路探索問題解決質的な飛躍が起きます。つまり、全ての道はローマに続くことが分かれば、飛脚は走るだけで良いのです」

その時、Fidoの眼が黒く光ったのを俺は見逃さなかった。これで我が社も一息つける、天下りネタに使おう、そのために馬車馬となってもらおう、等々。大陸孫子兵法を学んだ俺は、学究心に溢れた修行僧のように見える目つきをして、このFidoの皮算用を逆に利用することにした。Fidoがこれを読んでヘソを曲げられても困るので、詳細は書かない。

ピッツァの味が懐かしい頃

必ず一年に一度、俺はなぜか無性にピザを食べたくなり、国際ピザシンジケートホームページからピザ屋の広告を眺めた。すると、あら不思議、いつもその直後にFidoの魔の手が俺に迫ってきたため、その度に俺は比叡山延暦寺に身を匿ってもらわないとならなくなった。何度か、「本当に危ない目」に遭った。ちなみに、二度目の時だったかと思うが、事の直前に俺は紅葉を見に寺社に行ったのだが、ブリタニアピザ屋の社員と思われる男が本邦の女性と秋を楽しむ名目で、俺の様子をそれとなく気にかけるのを見た。日本人の心性を探って日本進出への足掛かりとするなど、なかなか忍術兵法に熱心ではないか能天気な俺は、自分がどんな目に遭うのかこれっぽっちも思い至らないので、そんな雑駁な感想になるのだ。

このようなギャップはあったが

俺は着実に、飛脚屋最適経路問題解決すべく新規アルゴリズム開発の歩を進めた。実を言うと、それはすでに出来上がっているのだが、Fidoが本来盗賊稼業に忙しいので、いまだに実装されていない。世界の片隅でこっそり言おう、Fidoの飛脚屋が効率的仕事をする時がもし来るとすれば、それは俺のお陰である東洋島国ローカル飛脚屋の発明インパクトもつとは思わないが、未来運輸業界の歴史家は、もしかしたら寛大にも俺にウインク😉をくれるかもしれない。

時計現在に進める

さて、国際ピザシンジケート及び我が国検非違使がFidoへのラブコールを表明しているのは、周知の通りである。俺のような馬の骨はFidoのようにはモテないので、最新のピザを真っ先に試食できるFidoが羨ましくてたまらない。が、それはいい。

🇮🇱のピザ屋がFidoにピザをどうしても食べてもらいたいと熱心だったので、6月広告を見た後、俺は間に立って青田買いを控える協定合意してもらった。

🇺🇸のピザ屋は、ドンドンパチパチ薪が爆ぜる窯焼きピザ推しているようだ。

🇬🇧のピザ屋は最も狡くピザ販促において謀略を仕組み、また、村の井戸端広告を出している。Fidoがこれまでピザを食べたことがなかったのは、村人(の言論活動)にもかなり責任があると俺は思うので、これから先、村人には文明開化香りを堪能して欲しい。

俺は、Fidoの今後には二つのシナリオがあると思っている。二つ目は一つ目が起きない時で、あと20年、Fidoは俗界で過ごすだろう。一つ目は、あと5年俗界、その後5年ワンルームカーテンコール)。タイムスリップキーとなるのは🇮🇱のピザ屋の動きだ。なぜなら、一番美味い😋との噂だからだ。

しかし俺は愛国者なので、検非違使が国際ピザ販売業務の統括か、自国ピザ販売をして欲しいと思う。

話はまだまだ続く

2025-10-31

やはり、高校選びを誤ったということだろう。

どうせなら偏差値の高いところに入った方が選択肢が広がるなどと、

実績を商売道具にしたいだけの塾の思惑にのせられて、さしたる興味もない進学校に入ってしまった。

進学校に来るからには有名大学を狙っているだろうと勝手に期待され、

ここに来るからには当然予習をこなしているだろうと学習の序盤をスキップされるような学校での生活は、

私は楽しみを覚えることができなかった。

周囲を見渡しても、良い大学に入れば己の価値証明できるとでも思ってそうな衒学俗物しか見えず、

うすら寒い能力主義が見え隠れし、到底仲良くなれるような人々とは思えなかったし、

今後も関わることのない人種であるように思えた。

2025-09-29

言葉を知らない奴って徹底的にバカにしたほうが良くない?

語彙の脆弱性思考の膠着に直結する。

語の射程が短い者は抽象化の階梯に登れない。

差異を把握できず、概念分節も甘く、あらゆる対話情緒的な独白に堕す。

共通了解の前提が構築できない。したがって議論破綻議事は空転する。

これは個人資質というよりも社会全体の言語劣化、つまり集団的ディスレトリック症候群の顕現である

にもかかわらず語彙が豊潤な者が揶揄対象になる。難解な語を用いることが、しばしば衒学的だとか、衆愚を見下す姿勢だと誤認される。

語の精緻さは世界の複雑さに応答するための装置である。語彙が乏しければ、差異同化し、構造が潰れ、思考は退行する。

たとえば「美しい」と「優美」と「荘厳」と「凄艶」と「幽玄」は異なる審美的位相を指し示しているが、それらをすべて「ヤバい」で代替しはじめた瞬間意味グラデーションは瓦解する。

蔑視されるべきは語彙を行使する側ではなく、それを解さずに忌避する側だ。

言葉を知らないという状態を恥じる感性がなければ知的進化は起動しない。

無知を恥じぬ態度を礼賛し、学習努力揶揄する文化のほうが全体の認識水準を劣化させる。

まり言葉を知らないことに対しては羞恥と向学心という適切な応答が必要だ。

そうした態度の積み重ねによってのみ共同体全体の言語密度は高まり、結果として幸福の基盤となる認識力が共有可能となる。

誰もがわかる言葉だけで世界を語るなどという幻想は捨てるべきだ。理解のために学ぶべきであり、理解できるところに言葉矮小化するべきではない。

2025-09-11

anond:20250911145156

国語能力の欠如に見えるdorawiiの言動out-of-the-box能力の欠如が原因で立ち現れることが顕著

dorawiiは自分の知らないもの存在していると仮定した思考ができない

自分を疑えない

dorawiiの世界自分が知り、認知しているもの限定されている

レス相手がdorawiiの知らない概念を持ち出したとき検索せず単語類推だけで的はずれな当て擦りをする理由の一つ

dorawiiの知っていること=dorawiiが信じる世間常識

そのため知らない概念を用いるレス相手衒学者として罵倒するのがdorawii

2025-06-23

士郎正宗展とFGO

士郎正宗世界展を見にいってきた

どっかで書かれてたけど青心社講談社で固められててカドカワハブられてるため

紅殻のパンドラアニメけが年表に載ってるという、ちょびっとだけ抜けのある漫画家としての士郎正宗クローズアップした展示

 

漫画原稿普通にへーほーはーと面白かった

清書原稿の前の鉛筆原稿が残されてて、何段階も下書きを経てかなり綺麗な形の原稿として作られてたり

ペン書き原稿オノマトペを上から被せる形でクリア原稿別になってたり

自分用のトレース台をどう作ったか説明があったり

PC絵描き作業が出てくるずっと以前から手書きレイヤーな描き方を成立させてるのが

凄く士郎正宗ありすぎてギャグのようですらあった

作中プロパガンダ書き込みみたいのをオノマトペと同層のクリア部分に書き込んでるの、

技術的な意味なのか後から差し替え可能にしとくためなのか

ホワイト修正とかありえん、って感じなんだろうなという、潔癖症のような綺麗すぎ原稿ばっかだった

インク自分で配合したそう)

 

といった、手書き原稿展示なので、メインはお馴染みアップルシードドミニオン攻殻オリオン

CG作画展示はあるもの肌色は思ったより少なかったため、

売店で古今伽姫草子集という画集というかエロ画集大判を買って肌色成分を補充

 

この画集おとぎ話の登場キャラ女体化して肌多めで書いて、

その絵と同じぐらいのスペースがいつもの文章で埋め尽くされてるというモノなのだ

古典ベース + 女体化 + 関係あるんだかないんだか衒学なんだか駄法螺ってんだかよくわからないが凄い長文」という組み合わせに

うわFGO

と想起してしまった

うーん不敬(そこまでシロマサに敬服してるわけではない

 

と、いったんFGOを想起してしまうと色々と考えてしまもので、

まず思うのは型月の元々ってシロマサの影響あるんだろうか

一方がサイエンスSF)畑、一方がミステリ畑で、依拠する文脈が違うのは明白

絵的には社長絵は内藤泰弘とか方面で、辿ってくとシロマサいないわけはないだろうけど直接感はあんましない

CG以降もシロマサは割と素にCG初期のグラデーションやら光沢やらテッカテカ方面だし

ステイナイトの頃も手書き感を残してた社長絵はあんま影響って感じがない

 

と、FGOはそもそも型月コンビ作というより他メンバーの色のが濃いんだったと思い出す

FGO日本鯖は特に殆どノータッチだった

まり桃太郎エロ娘や風神雷神エロ娘やカチカチ山風エロ娘はあくまでFGOぽいのであって型月ぽいわけではない

 

ふむしかし、と別の方向に考える

節操ナシが最大の売りのFGOは、なんで士郎正宗に礼装イラストキャラデザを頼まないんだ?

今までだってユーザー無視してFGOの既存デザインと噛み合わなそうな絵を描く大御所ゴリ押しで捻じ込んできたのだ

士郎正宗エロ女体化英霊デザインを頼むなぞ、俺が思いつくまでもなくやってそうなものだが

 

……と、

ここまで無駄につらつらと考えて、ア、と気づく

奈須と、自分世界テキストゴリゴリに押し込む士郎正宗とでは、テキスト面で衝突して合流できるわけないわ

うーん時間無駄想像だった

おわり

2025-06-16

教養衒学に変わってしまった

故事文学の一部分を引用・改変してネタツイートすることを教養だとXで呼ぶようになってもう長くなった。Xはイーロン・マスクの言うように「対戦型SNS」なわけであるから仕方ないと思うが、レスバトルに教養を持ち出すのはあまりにも低俗じゃないかと思ってしまう。

教養という言葉は原義的には学問、幅広い知識精神の修養を通じて得られる創造的活力あ心の豊かさ、物事に対する理解力(コトバンクより)という意味を持つ。これに照らし合わせたら、あまりにも現在ネット教養的なものは表面的でかつ衒学的ではないかあくまでも教養人生経験から滲み出てくるのであって、ネットオタクが見てきたもの適当に改変するものではないのではないだろうか。

教養というもの自分の知性を誇示するためのアクセサリー知識を使うのではなく、自分についての問い等に内面的に用いるような世界に戻っていくことを願うばかりである。ただし、増田自身もこの場で教養をひけらかしているという点で、この行為衒学であることは自覚しているし、その点で人間衒学者化からは逃れられないことに絶望している。

どう生きていくべきなんだろうか。

2025-06-12

ジークアクスは「中年男性が軽薄でも構わない」という開き直り

物語は〈もしシャアガンダムを盗んでいたら〉という二次創作的 if を出発点に、ゲームセーブポイントマルチバース分岐を前提とした軽い世界観採用している。

キャラクターの死は重みを持たず、制作側もオマージュセルフパロディを重ねることで、現実感を極端に希薄化させた「アニメを模したアニメ」を志向している。

 

演出面でも同じ軽さが際立つ。キャラクター描写は余白というより「落丁」に近い粗さで、カットのつなぎも総集編のようにぎこちない。

放送されたばかりの10話でもマチュのケツカメラからシャリア壁ドンへの飛び方が非常に荒かった。目的物語自然さではなく、SNSで映える瞬間を切り出すことにあり、ショート動画的。

 

こうした作りの結果、視聴者は「短いのに濃密だった」という快い感覚は得られず、視聴中に「情報を詰め込まれている」という圧迫感を覚え続ける。

統一テーマはなく、12話という尺の中で①マチュ娼婦堕ちネタ代表とする夏コミ向けの薄い本ネタ、②毒ケーキ3連発などSNSバズるネタ、③ガンプラ販促という三つのノルマけが明確に見えてくる。

 

ターゲット国内の中高年オタク男性だ。彼らは「作品ファン自身に深みがなければならない」という長年の圧力から解放され、浅い流行ものを堂々と楽しめる。

乃木坂由来のキャラだろうが、JKが突然下着になる場面だろうが、旧作キャラ同窓会だろうが、「楽しければいい」というスタンス肯定される。

 

この姿勢は、重度障害者主人公に据え「女性障害者天使のように純粋」という固定観念を壊した小説『ハンチバック』と相似形をなす

あちらが障害者性格への幻想を壊した解放文学なら、ジークアクスは「中年オタクは深遠であるべき」という幻想を砕く解放アニメと言える。

 

そもそもガンダム収益の核はロボット玩具だ。一旦ちゃんと終わったはずのファーストから卒業できない視聴者に合わせ、シリーズは Z、ZZさらにはマーベルマルチバースへと広がり続けた。

近年の『水星魔女』が海外市場に目配せしたのに対し、ジークアクスは完全に国内高齢層へ照準を定める。

結果として提示されるメッセージ単純明快だ。

40歳を過ぎてもJKパンツロボットおもちゃで盛り上がって何が悪い?」

ガンダムは深くなくてもいい。浅いまま騒いでいい。」

深読み衒学的な言い訳不要とし、SNSでつるみ、大量のモブ死や露悪ネタで盛り上がる――それこそが本作の価値であり、「軽薄な空っぽおじさん完全解放」の到達点なのである

ジークアクスは「中年男性が軽薄でも良いじゃないか」というアニメ

ジークアクスはキャラクターの死が軽い。作品自体が「アムロでなくシャアガンダムを盗んでたら」というifの二次創作であり、

分岐ややり直しが容易にできるゲーム感覚ベースになっているのもあるし、制作側がアニメオマージュセルフパロディを繰り返して「アニメを模したアニメ」として現実から非常に遠ざかった記号化の極みにいるというのもある。

別に日本二次元カルチャーを叩きたいのではない。こういうゲーム的だったりマルチバース的な感覚に基づいた作品作りはアメリカヒーローもののほうが先行しているからだ。

キャラクター描写も浅い。行間が広い、余白を残してある、といった美化した解釈が難しい「落丁」に近いような雑さ。カット繋ぎが滑らかでなく、総集編のような粗い繋ぎ目の急展開。

10話ではマチュのケツカメラからシャリア壁ドンへの繋ぎが酷いものだった。9話の予告に壁ドン赤面を入れてバズらせることが重要であり、キャラクターの動きを自然にすることには意味がない)

から短いわりに内容が濃かったと視聴後に感じるのではなく、視聴しながら「詰め込まれている」という感覚を常に覚え続ける。

作品として何が言いたいのかも軸がなく毎話うろうろして繋がっていないし、12話という尺が限られているなかでマチュ娼婦落ちなどの夏コミネタ提供と、SNSバズネタ提供ガンプラ販促を行わなければならないという、『ノルマ』の存在けが感じられる。

しかしそれこそがミーハーオタク中高年男性が今求めている流行りのコンテンツであり、底が浅かろうが楽しければいい、なぜ中高年男性は深みを持っていなければならないのか?という問いにも感じられる。

元ネタ乃木坂何が悪いのか?アイドルの何が罪なのか?ジャニオタ女子と同じように「若い、ビジュの良い異性のガワ」に中高年男性が喜んでいたとして何が悪いのか?

連想したのはハンチバックである。これは重度身体障害者主人公とした小説で、主人公思考・発想などが信じられないほど性格が悪い。ネタバレにならないよう一応詳細は伏せるが、はっきり言って腐っている。怠惰系の屑さではなく、積極的・加害的に腐っている。

しか障害者女性天使のように心が美しいものである、という24時間テレビ的な圧力幻想・期待に抗って、フィクション世界では非常に尖った「性格が腐っている」という女性障害者像を打ち出したという点で、高く評価されるべき作品である。これは解放である

ガンダムジークアクスも、中高年男性への「中身があるべき」という圧力幻想・期待から解放につながるのでは。ガノタリアルロボットものに対して「深みのあるキャラクター描写であるとか「説得力のある政治描写」があると言い張ってきた。

しかし、ジークアクスには明らかにそのような重さはなく、二次創作マーベルっぽいマルチバース妄想女子高生オリキャラ女子高生がいきなり男の前で下着になったり、目が死んでいる子ども娼館にいたりするエロ

バスク・オムがどうたらという旧作同窓会的な大騒ぎ、毒ケーキという雑すぎて二次創作で騒ぐしかないネタモブが大量に死んで「大きな爆発のパワーを感じる」という小学生感覚おかしみ、などなど

ひたすら軽薄でミーハーでバズ的で、オタクのおじさんの文化祭的だ。おじさんだって中身が無くて良いのだ。ゲームのような大量死面白がって良いのだ。

やりたいことは結局、射精と、つるんで騒ぐことと、ロボットおもちゃ遊びである子供向けロボットアニメリアルロボットは違うという主張を必死で行っているグループもいるが、さすがに無理がある。

ガンダム収益化のコアは、ロボットおもちゃ遊びであるガンプラが売られているコーナーは玩具のコーナーであるロボットおもちゃ男児が遊ぶもので、いずれ卒業するものとされていたのを、

一生卒業せずにおじさんになっても遊び続けられるようにして少子高齢化社会適応したのがガンダムである

水星魔女には外国人に売って市場を広げようとした努力が感じられたが、海外のLGBTQ+活動家が度が過ぎた暴れ方をして複雑な状況になってしまった。ジークアクスには水星魔女で見たような海外目配せの試みは感じられない。完全に国内高齢層を向いている)

視聴者おもちゃから卒業したくないから、ファーストは終わらせてもらえずにZ、ZZと続き、マーベルのようなマルチバースに至った。それが2025年ガンダムである

中身が何もないことについて、SNSでつるんで騒いでいて良い。エロと露悪という、浪人生が好きそうな内容で一生騒ぎ続け、現実では友達がいない分SNS集団になって騒ぎ、一歩も成長していないままおもちゃ遊びをしていて良い。

これはおじさんの解放であるガノタ必死衒学的に理屈をこね回して深い人間であるふりなどしなくて良い。オリキャラJKパンツと、乳比べと、おもちゃが好きなだけの軽薄な人間で良いのだ。論理的である必要性もない。

40歳なのに、ずっとガンダムの話してるの!」これの何が悪いのか?という無条件肯定である

ガンダム普通アニメと違って深いから良いのだ」こういう言い訳は要らないのだ。深いオタクであるふりをしなくて良い。懐かしいオマージュ早押しクイズと、JKの乳と売春と、ロボットおもちゃだけで良い。

重度女性障害者天使のような性格をしていなくてはならないという客体化の圧力を振り払い、腐った性格を打ち出したハンチバックに似た、これは「軽薄おじさん」「空っぽおじさん」「無成長おじさん」完全解放金字塔だ。

2025-05-26

anond:20250526200151

那須きのこは初期にほんのちょっと触れた時に、なんか衒学的でいやらしい文章だなと思ったことはある

でも俺はまどマギシュタゲ虚淵に貫かれニトロプラス作品も凍京ネクロ(DMMブラゲ)経由で軽くなぞった程度には受け入れてるから

型月には縁がないとはいえギャルゲライターにはそれなりに耐性ある気がしてる

でもギャルゲ系で一番性に合うのがオーガストみたいな優等生タイプシナリオから

2025-05-18

anond:20250517165157

庵野氏が悪い。衒学的な表現オタクを釣った庵野が悪い。もはやストーリーの骨格ではなく、考察勢の為の枝葉をありがたがっているオタク気持ち悪い。

2025-04-12

anond:20250412033432

文系学問は正しさを検証できないから、理系よりさら権威主義になりがちだし、ガバナンスが効いてながち

ソーカル事件があったように、自分でも何言っているか分かっていない衒学的な無茶苦茶論法が混ざりがち

というところが、気になるところかなあ

2025-02-28

anond:20250227120642

庵野監督が「いやあれは衒学的なだけで…」って言ってて、要は中身なんかないですよって言ってたのに当時衝撃を受けたんだけど

そういう有名な経緯を知らないってことは元増田若い人(新劇場版からエヴァに入ったような)なのかな…

2025-02-16

anond:20250215185611

邪悪だろ。

うーん残念、かなり大学での成績悪そう、と煽ってみる

あなた衒学とかマウンティングハラスメントのために学問を修めたのか?

倫理の欠落を示す冒頭は知性主義と逆行してる。啓蒙意味でも逆効果だ、恥を知ってほしい。

2025-01-26

[]1月26日

ご飯

朝:朝マクド。昼:サンドイッチシロノワール。夜:お蕎麦いなり寿司。間食:小魚ピーナッツラムネチータラ。

調子

むきゅーはややー。おしごとは、やすみ。

ポケットモンスター銀(あくポケモン旅)

アカネ、マツバを倒してジョウトは折り返し。

○潮谷験「スイッチ 悪意の実験

幸せ家族経営パン屋さんを破滅させるスイッチを1ヶ月間持ち続ける、という突拍子もないアルバイトに参加した大学生達6人。

スイッチを押そうが押さまいが130万円という高額な報酬が貰えることは変わらないため、押すはずが無かったのだが、誰かが押してしまう。

という導入のとても奇妙なシチュエーションフーダニットもの

ただ犯人特定ロジックシンプルでかつ、そこに至るまでの過程はあまり重要視されていない。

文量の多くは主人公小雪が昔所属していた本作独自宗教団体光意安寧教の教義解釈することにあてられており、非常に独特な読み味の作品になっていた。

平易な言葉遣いが徹底されているので理解できないことは無いのだが、とにかくこの教義に対する問答が長く、多様な側面で議論がなされていく。

易しく読みやすい内容で、所謂幻想文学パートもどこから幻想で何の暗喩なのかがわかりやすくなっており、煙に撒くようなことをしない誠実さを感じた。

とはいえ、その上でこの小説ミステリなのか、娯楽小説なのかを問うと、なかなかにエンタメしからぬお勉強感があったのは否めない。

ならば衒学的な啓蒙思想があるのかと思えば、そうでもなく、非常に普遍的に良いとされる価値観を当たり前に肯定する部分までで区切りがついている。

真理や悟りや神のような宗教的意味合いが強い言葉を使いながらも、現代社会のかなり現実的な悩みとそれに向き合う心構えを諭すような内容だ。

主人公小雪自身に根差し宗教観を見つめ直す中で、仏教徒として宗教感を相対化するお坊さん、徹底して冷笑主義を貫く科学者生活が豊かな日本人の贅沢な悩みだと切り捨てる留学生、一時の快楽だけを追い求め続け議論に参加すらしない酔っ払いなどの、対立する価値観登場人物等もまた魅力的に描かれていくのは非常に良き。

特に物語素面時間がかなり限られている酔っ払い香川霞さんの自由さは好ましく、一ミリ探偵役をしていないが、名探偵には向いていそうなキャラだった。

ただその上で、発想が地に足がついた丁寧なやりとりが多いからこそ、奇想をロジックで説き明かす本格ミステリらしさは薄かったとは思う。

ストーリー入り口である思考実験じみた特異な設定も、この独自宗教観を語る上でこれしか無かったのかは疑問が残り、組み上げるべきパズルピースの大きさが不均等でアンバランスさを感じた。

ただ、光意安寧教を巡る幾つもの議論が、丁寧にたっぷり文量をつかい平易な語彙で書かれているのはとても好印象だった。

衒学趣味披露したがるのは、ミステリ作家たちの万国共通性癖なので、それを理解できない読者を冷笑するのではなく誠実に言葉を紡いでくれて嬉しかった。

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