はてなキーワード: 自分本位とは
ネグレクトと過干渉家庭育ち、自他境界をはっきりさせないと本当にやばいと最近焦り出した。
人間関係を失敗しすぎている。
30歳を超えても、自分を大事にするということすら分からない。会話している時に相手の感情の動きを読み取るのに集中しすぎて、自分の感情が本当に分からない。後になってあの時いやな気持ちだったな、と気付いたりする。
自分のものは安く済ませて、友人にやたら良いものを渡したくなってしまう。相手にぞんざいに扱われても見ないふりをしてしまう。
一番しんどいのが両親で、ずっと不機嫌でコントロールされていたので無意識に機嫌を取ろうとしてしまう。
いい大人なのに帰省一泊で泣いて帰ったことがあり、それ以降もう何年も会ってない。でも会いに行かないことで向こうがどす黒い感情を抱いているらしいことが、たまに来るLINEで伝わってくる。
会わなきゃいけないんじゃないか、何か喜ばせなきゃいけないんじゃないかとか不安になって落ち着かなくなる。どうせ会ったところでこちらの短所を楽しく列挙する会になるだけだし、プレゼントは送り返されるのに。
家と仕事のことだけ大事にする生活にしたくて人間関係を整理しているけど、自分から距離を置くことが異常に怖い。このまま孤独になってしまうんじゃないかと思うあたり、相手の機嫌を取ろうとするのは自分のためで、それは優しさではなく自分本位だなとも思う。それを見透かされて雑に扱われてるんだろうな。
その文章、すごく丁寧に書いてるんですけど、結局「評価と言うな、説明しろ」って言ってるだけなんですよね。
でもそれって、現実の言論空間の使われ方を無視してると思うんですよ。
まず、「不快」と「甘え」は別物だ、って言ってますけど、別に誰も「甘え」という言葉を学術的な規範判断として厳密に使ってないんですよね。
多くの場合、「それ、周りに配慮してないよね」「自分都合だよね」っていう日常語の圧縮表現なんですよ。
そこに「どの義務に違反したのかを明示しろ」とか言い出すのは、正直、言葉の使われ方に対する要求水準が高すぎます。
次に、「再投稿をしてはならない義務は存在しない」って点ですけど、これも論点がズレてて。
義務が明文化されてない行為でも、「やりすぎ」「空気読めてない」「自分本位」と評価されることは普通にありますよね。
それ全部「論理的に不可能」と切り捨てるなら、人間同士のコミュニケーションの大半が成立しなくなるんですよ。
あと、「スパムや荒らしとは違う、害がケース依存だ」って言ってますけど、これ、むしろ不利な主張で。
ケース依存で「うざさ」や「占有感」が発生するからこそ、雑に「甘え」と言われる余地が生まれるんですよね。
明確な線引きができない行為だから、評価語で処理されてるだけで、それ自体は不思議でも不当でもないです。
「人格評価に飛んでいる」と言いますけど、「甘え」って人格全否定ですか?
多くの文脈では「その行為、甘えてない?」っていう行為評価でしかなくて、人格を劣位化するほど重い言葉として受け取ってるのは、書き手側の解釈がだいぶ強いと思います。
これも一理あるんですけど、じゃあ逆に聞きたいんですよね。
誰かが「それ甘えだと思う」って言う自由まで封じたら、それはそれで別方向の萎縮じゃないですか?
評価や批評まで「説明が足りないから不当」とすると、発言コストが跳ね上がって、結果的に何も言えなくなる人が増えるだけだと思います。
「再投稿しただけで規範的に劣位に置くな」という主張も、実はかなり強いんですよ。
なぜならそれは、「周囲がどう感じたかを理由に評価するな」と言ってるのとほぼ同義なので。
でも評価って、基本的に他人の主観から逃れられないものなんですよね。
最後の
って部分も、きれいな言い方ですけど、実際の言論空間では完全に分離できないです。
それを全部「説明不足だから無効」と扱うのは、理想論としては分かるけど、運用論としては無理があります。
要するに、
嫌がられる自由もある。
「甘え」と言われる自由もある。
それを「説明が足りないから不当だ」「沈黙の強要だ」と一段高い場所から裁こうとする態度こそ、
これやねんなあ
日本人は米英の作った「ユートピアニズム」を内面化してしまったんや
https://gendai.media/articles/-/133855
E・H・カー『危機の二十年』は、文庫版も出ている稀有なレベルの国際政治学の古典である。
なぜアメリカ主導の新しい国際秩序は、行き詰ってしまったのか。これが我々の時代の問いである。85年前、カーは、同じ問いを発していた。
今日、多くの人々が、「それはロシアが邪悪だからだ、中国が邪悪だからだ、北朝鮮も、イランも、ハマスも、邪悪だからだ」といった解答を語り合っている。
国際社会の規範を重視する「ユートピアニズム」を含めて、「戦間期国際政治理論のほとんどすべては、十九世紀の自由主義思想を反映したものであり、それらはアメリカという鏡に映っていた」(岩波文庫版69頁)。
このユートピアニズムとしての自由主義は、国際社会における「利益調和の理論」、つまり「すべての国家は平和に同一の利益をもっている」、「したがって平和を阻もうとする国家はすべて、理性も道義もない」という理論に流れ込んでいる。
そこでカーは断言する。「こうした見解がアングロ・サクソンに起源をもっていることは、明らかである」(114頁)。
「戦争で利益を得るものは誰もいないということ」を「英語圏諸国民に確信させることは」、第一次大戦後には容易であった。
ところが英語圏諸国民以外の諸国民、とりわけドイツ国民は、同じようには考えなかった。
ドイツ人なら、戦争は、英語圏諸国民には利益をもたらし、それ以外の諸国民には不幸をもたらした、と考えるからだ。
しかし、「国際関係の理論は、ほとんどもっぱら英語圏諸国で生まれた」ので、イギリスやアメリカの国際関係の論者たちは、英語圏の外に戦争の無益さを理解しない者がいること理解しなかった(114-5頁)。
「世界利益としての平和が実際には存在するのだというユートピア的仮説」は、英語圏諸国では、普遍的な真理として、信じられた。
ところがそれ以外の諸国では、信じられていなかった。
そのような仮説は、単に「現状維持を望む国家と現状変更を望む国家との間の根本的利益対立という不快な事実を顧みないようにするには好都合であった」。
そのため、英語圏諸国民、つまり利益を享受しているがゆえに現状維持を望む諸国民だけが、信じているにすぎないものとみなされた(116頁)。
カーのユートピアニズムが、「現状維持を望む」「持つ者」「満足国家」の理論であったのに対して、その偽善を突く「現状変更を望む」「持たざる者」「不満足国家」の理論が、リアリズムであったからだ。
ユートピアニズムとリアリズムの対立は、抽象理念の対立というよりも、具体的な政治情勢の中で異なる立場を持つ人々の異なる世界観の対立のことであった。
英語圏諸国の政治家や理論家たちは、次のように考える。「アメリカやイギリスの国益と人類の利益とを同一とみなしても」、自分たちは「正しい」。
これに対して、アメリカやイギリスらがそのような態度をとるのは、「自分本位の国益を全体利益の衣のなかに隠す技能にかけては、かねてから名人であったこと、しかもこの種の偽装はアングロ・サクソン精神ならではの際立った特性である」ためだ。
リアリズムは、ドイツのように、アメリカやイギリスと共通の利益を持たない国の態度である。英語圏諸国民の偽善を突くのが、リアリズムの特徴である(164頁)。
カーは、リアリズムは誤解されている、と述べる。
リアリズムは、ユートピアニズムは理想主義的すぎるという理由で、ユートピアニズムを批判するのではない。
そうではなく、ユートピアニズムにおいて「絶対的・普遍的原理と信じられているものが、およそ原理という代物ではなく、(支配者階層の)国家政策」を反映したものでしかないことを、批判しているのである(178頁)
カーの洞察を回避したい、という願望は、誰の心の中にも根深く存在する。
だからわれわれが勝ち、悪は滅びる。
それでいったい何が悪いというのか。
率直に言って、それで本当に何もかも上手くいくのであれば、まだましであろう。
しかしもし期待を裏切る現実が生まれた場合に、ただ現実を否定し、他者を糾弾するだけに終始するとしたら、どうだろう。
敵を知らず、己も知らないまま。失敗を繰り返していってしまうことは必至ではないだろうか。
死にたくなった。こういう気持ちは初めて。母ちゃんにすご太っててダメだと言われた。何度も言われた。
たしかに太ってる。120キロある。ここ1年で更に増えた。ダメだと言われる。
土曜日に妻の七回忌やってきた。その日も繰り返し繰り返しダメだと言われ続けた。
聞き流そうって、ここ6年頑張ってきた。
いつか減量しようと思ってきたけど、うつ病がますます悪くなってきて、もううつ病も30年だし、許してはもらえない。
いつも言われる。母ちゃんは自覚がないから、そんなに言ってないと言うはず。
でも誰に嫌われても自分は言わなければならないっていつも言っている。孫にも去られた。それでも正しさを求め続けている。
おれは母ちゃんに頼っている。妻が死んでもうどこにも行き場がない。そう思って母ちゃんのところに電話すると、いつも言われる。
もう本当に限界だ。死のうと思う。この決心は本当に固くなってきた。
言わないよ。先生が大変だもの。俺はもういいの。妻が死んで、十分頑張ってきた。6年も。
死ぬと分かってから7年、13年も頑張ってきた。うつ病も30年頑張ってきた。
それなのに俺の太った体を見て、醜いと言ったんだ。それ以上の言葉はないだろう。
俺は俺の歴史を大事にしたい。静かに終りを迎えたい。2025年。もう十分だ。
俺にはハッキリ分かった。妻の命は母ちゃんにとって大したことではなかった。
なんだかいろいろ消化できて晴れやかな日がくればいいと思うが、それは俺ではない。
母ちゃんは俺の妻に対抗心がある。強烈な。死んでもなお、あれはああだとこうだと自分本位のことを口にする。
悲しみがどこから来てどこへ行くのか、考えもしない。
きっと式次第に凝って、自分の式をやる。俺のではなく。
だから大丈夫。俺の七回忌やっても、また100歳になってない。
ばあちゃんは100歳まで生きた。母ちゃんは110歳まで行く。
俺の分まで生きてくれる。
こういう終わり方だったんだな。
俺みたいなののために働いて疲れ果てて。
自殺する人も、何かやりようがあるだろうって思っていた。
そんなのどうしようも無くなる日が来るなんて思わなかった。
https://anond.hatelabo.jp/20260107144223
今回の実家滞在は、何もかもダメと言われ続けた。でも七回忌法要ではうるうるしてしまって、苦しんだ妻を思い出したよ。家に帰るとまたダメダメって言われて。妻をフッと思うこともできなかった。
分かってないなあ。母は俺の脳内にあるんだよ
俺はレクサプロ満量、ミルタザピン満量、ロラゼパム満量もらってるよ。トラウマ治療って言ったって、今までと変わらない
自分を疑わない、固執、執着、ストーカー的、強迫性障害との関係を知りたい
分離不安?
正しさへの疑いを持てないのはなぜか
ACとか毒親とか読んだんだけど、自分の人生と照らし合わせると思い当たることはたくさんあるが、それでいていわゆる脱皮みたいなことができても、親がいる自分があるということに変わりはないのでは。
洗脳されている自分が消滅するとその先に何も無いように感じるよ
医療は万能ではないというのが30年の付き合いの実感だよ。幻覚のようにこれまで信じてきたものが幻だった、存在しなかったと気づいたら?(ビューティフル・マインドのセリフ)があるし
姉は姉で、俺と似た感じで崩壊して離婚、一家離散になった。離婚にならないためには、ちょっとしたことを言わないだけなんだけど、言うということが姉のアイデンティティになっていたので、不可避だったと思う
まあでもこれまでも自分で暴露とかやれることはやってきたよ。アメリカでもカウンセリングは縮小傾向で、理由は良くならないからと聞いている。
自己満足でスッとするというのと治療的に効くというのは違うしね。10年くらい前だと禅のマインドフルネスに移行していたと聞いた。
セッションに終りがあるからで予算的にも通りやすいからだという。でも効くと証明された訳では無い
外に出て頑張って建築士にもなって成功したけど、うつ病になったら手に届く存在になって戻ってきてくれたから嬉しいという面があると思うよ
セッション映画の教師は、なぜ若者を、途方もない年下を罠にはめるのか
それで俺は死のうと思ったんだよね。居なくなるということがいいんじゃないかと思った。俺にとっても
俺は就職してせいぜい10年くらいしか自分の人生を持てなかった。うつ病で持続できなくなった。
奥さんに頼ってなんとか両親を遠ざけてきたけど死んでしまった。俺は無防備になった
昨日シークさんに言われたから、トラウマのことがわかる本 生きづらさを軽くするためにできること (健康ライブラリーイラスト版) Kindle版
白川美也子 (監修) 形式: Kindle版という本を買ったんだよ。
俺はジャスコとけんじワールドをやったよ。3年ずつ。ジャスコ相模原は今でも残っている。両親も見に行ったそうだ。そんな暇あるのかと思ったけど。両親にとっては俺に関係するものを見に行くことくらいしか社会的なものが残されていないのかも知れない。親父は銀行員なのに、仕事をちゃんとやっていない。俺のことにうつつを抜かしている暇はないはずなのに。母ももちろん同じ。専業主婦で空っぽなのは明らか。
親父も母も両方とも、社会的なつながりを持とうとしないのは、つまらないからなのか、言う通りにならないからなのか、地味に働くことができないからなのか
親父からは、仕事ってこういうものなんだよなって話を一度も聞いたことがない。青森に懲罰人事で行かされたときも、銀行には青森支店があるのに、そこじゃなかった。銀行の融資先でそこに常務としていった。完全にお払い箱にされた。でもなあ、なんでそこで仕事ってちゃんとやらないといけないよなあって思わなかったのだろう。青森は雪が多くて大変だけど、そこに生まれて生きている人がいる。そこを根こそぎかっさらってやろうと思わずに、なぜ小学生の俺に依存したのか。仕事がそんなに嫌だったのか。
やっぱ、子作りなんて猫でも犬でもできるよな。
俺は転属先で建築に没頭して、現地の女性に手を出してた。親父は俺が女だったんだよね。
姉は反発してたからね。俺はもともと受け入れる方だし。ほんの少しのところで男娼だよ。
オヤジ、ダメな男だよね。依存を捨てて女を楽しませないとならないのに、どこにどう行くのか、オヤジは。永遠の迷路。
仕事はしないし、重要人物にもならないし。仕事を、ささいなことをやっていれば、自然とそこに欠かせない人物に成れる、誰でも。それをどこに行かされてもなぜやらなかったのか。なぜ失敗ばかりしていたのか。
オヤジが飛ばされたのが、俺が4年生になるときだから俺が9歳で、オヤジは39歳くらいか。その若さで飛ばされるんだから、当時はリストラの時代とは程遠いし、きっとろくでなしだったんだろうな、会社で。ちょっとしたことで仕事でつまづくとすぐ人に振っていただろうし、それは家族作業していてもわかる。根気がいる作業はまず俺に振ってくる。だから会社でも用無しになったのだろう。それで飛ばされて初めて、どうしたらいいのかってなって、それでも家族で会食を無上の楽しみにしていて、仕事をしていない、はっきりと分かる。3年耐えてたけど、営業職には戻れなくて、検査部に行かされてた。毎週支店に泊まって検査してて、監査なんて手抜きでいいのに、何をやっているのか。
オヤジは出向イコールクビって、2回言ったんだ。行く場所で決まるなんてことはないだろう。行った先でどれだけ自分が伸びるかなのに。俺の社外出向をそういったんだ。どういう仕事感なのけ。
会社で何もしないでて、だんだん居場所がなくなるのに、なぜ仕事をしないのか。やり方が分からないときほど、これをこなせるようになる、という機会なのに。
母は、お父ちゃんは仕事が早いのって言ってた。見たこともないのに。銀行の仕事がどういうジャンルになってるかも当然知らない。オヤジはひょっとしてとんでもない嘘つきだったのか
俺の頃は仕事できない人は割とすぐ外に出されるから。そうでない人も居たけど。穀潰しが居たから、今になると分かるけど、設計部にいるのに図面がかけないとか
正体不明のサイコパスに追い詰められる系ホラーとしては骨太でよくできてるとは思うんだけど主人公にまったく感情移入できなかった。63点。
まぁ主人公が交差点で信号が変わったのになかなか発進しないピックアップトラックに全力全開クラックションを連発した結果、無敵の人のラッセル・クロウに死ぬほど追い回される話。
まず、俺はたぶん平均的増田的思考の人間なのね。被害者であっても瑕疵があれば被害者も悪いと思うし、それが女性だったらなお悪いと思っているタイプ(匿名じゃなければ許されない発言)。
主人公の女は遅刻癖があって自分本位のくせに他責思考。自分が寝坊してガキは学校に遅れそうだし自分も仕事に遅れそう。焦ってガキの制止を振り切って高速に乗るも大渋滞。度重なる遅刻に加えて本日の遅刻(しかも自分が予約が入っていたことを忘れていた)でついに太客にも愛想をつかされ「こんなに車が多いのが悪い」と車の中でブチ切れ。下道に入ったところで前のピックアップトラックがなかなか発進しないのでイライラにまかせて爆裂音量のクラックションを連発し、横からパッシングついでに手のひらヒラリのアメリカ的侮辱ジェスチャーかます。
しかしその先で渋滞につかまり、隣にはラッセルのピックアップトラックが。落ち着いたトーンで「長尺のクラクションは無礼では最初は軽くパッパッと鳴らすと習わなかったか」と話しかけてくるラッセルに対して「お前がいつまでも発進せんからやろ」と煽り返し、「考え事をしてた。いろいろイラついてて」と話すラッセルに「それはこっちもだよ!」とまた煽り返す主人公。「ぼーっとしてたのは謝る。ゴメンゴ。お前も無礼を謝ってくれたらおあいこにしよう」と提案するラッセルに「お前に謝ることなんかない!」と告げ、ラッセルブチギレ。
うん、主人公が悪いよ。
ラッセルが乗ってるピックアップトラックがいいよね。ちゃんとカンガルバーもついてて有害な男性性の化身って感じがする。でもたぶんあそこで主人公が謝ってればたぶん何事もなく終わったんだよなぁ。
このあとキレたら一番怖そうなハリウッド主役級俳優ランキング上位入賞常連のラッセルはピックアップトラックで主人公を散々負いまわしながら片手間で主人公の離婚弁護士をブチ殺し、主人公の弟のフィアンセをぶち殺し、主人公の弟を火あぶりにするという無敵の人すぎるだろ……という暴虐を働くのだが、これを怖いっていうかなんかスッキリするというか微妙な感情になってしまう。
この手の映画にしては作中のロジックが割としっかりしていてなぜラッセルが周囲の人たちを次々と手にかけられるのか、なぜ追いかけてこられるのかということがちゃんと説明されているのはよかった。そして、その一番大きな原因が「スマホのロックの解除にいつも失敗してイライラするから元からロック外したったわ!」というバカ主人公なのが、またこうアァン?って気持ちになる。
そして最後にはラッセルの目に商売道具のハサミを突き立てて「これが私からの回答よ!」つってハサミを根元まで蹴り込んでFatal KO。結局、イライラに任せてクラックション全開に大煽りしたことについては何も反省しない主人公であった。まぁ最後に事件直後、信号無視して突っ込んできた車にクラックション鳴らそうとして思いとどまるシーンがあるんだけど、あんな惨劇の直後にとどまれなかったらもう病気だよ。カウセンリングに行けとしかならないから、これをもって主人公が成長したとは取れなかったかな。あと火あぶりにされてた主人公の弟が生きてたのもマイナス。
冒頭で主人公が暮らしている地域の貧困、それに伴う治安の不安定化が報じられていて、この作品のテーマとして他者への受容であったりコミュニケーションの欠如が巻き起こす悲劇であったり、危機感の欠如がもたらす悲劇であったりと言いたいことは明白でそこはよいとはいえ、主人公が全部持ってないシンプルクズなので、クズVS無敵の人っていう誰に感情移入してみればいいの?ってなっちゃった。
90分のほぼワンアイデア映画にしては意外と予算かけてるっぽいのも見られて、ゴア描写も頑張ってるし冒頭のラッセル最初の事件では家一軒爆破してるし、カーチェイスではしっかり車の大破壊も見られてエンタメ映画としてのサービス精神も旺盛でよい。最後にはお家の中でのフィジカルアクションも見られるしこの手の映画で見たいものは大体全部見られる。
トラブルが起きて以降は次々と手を変え品を変えどんどん事件が起きるので見ていて中だるみするなみたいなこともほとんどないし、そのバリエーションも豊富だしちょいちょい主人公やこちらの裏をラッセルがかいてくるのでスリラーとしての戦闘力は高い。
主人公にイライラさせられっぱなしなところ以外はスゴイ面白い映画だったので、主人公みたいな人間を「うんうんそんな子いるよね」ってくらいにスルー出来る人だったら普通に楽しめる映画だと思う。もしくはこのイライラ自体を楽しんで最後に「やっぱイライラしてるとよくないことが起きるよね!」という他山の石映画として楽しむのもよいかもしれない。路上に出ないでロードレイジを味わえると考えればよくできてると思う知らんけど。
なのでオススメ。
最近、危うさを感じることがある。
うちの会社ではハラスメント相談員が各課から持ち回りで選任される。
「行為者を厳罰に処してほしい」「異動させてほしい」「昇格させているのはおかしい」
そんな声が想像以上に多かった。
ずっと引っかかっている。そうじゃないと思う。
という視点が消えている気がする。
事情とか関係なく、自分本位で嫌がらせやセクハラを繰り返す人は普通にいなくなっていい、
というのは本気で思う。
でも「全部のケースがそれ」ではない、という話だ。
こういう強い声を上げる人は
「自分は絶対に行為者にならない」って無条件に信じすぎてないか?
自分が正義の側にいると信じて相手を殴るのは気持ちがいいと聞いたことがある。
これって、「気に入らないから動かしてほしい」と何が違うんだろう。
もし自分が誤解されて
一気にその「悪い人」の側に置かれたら?
人は誰でも
疲れているとき、
状況が悪いとき、
相性が悪いとき、
その他様々な意図していない場面で、誰かを傷つけてしまう可能性がある。
完璧にはなれない。
と信じた瞬間に誰かへの加害が始まるリスクがある。
正義を強く振りかざす人が増えるほど
その空気こそが、新しいハラスメントの温床になるんじゃないかと思う。
会話が苦手な人は相手への質問が少なく、その本質が「相手に興味がない」というのは間違いない。
そして更にいうと、相手に興味がない人は「自分のことにもあまり興味がない」。ゆえに深掘りできておらず、自己理解が浅い。
ということらしいが。
なんというか、そうじゃなくて違いを認識したうえでも「ふーん、そうなんだ…」以上の感情にならないというかそんな感じなんだよな。
自分と他人との違いに気づかないと書かれていたが、例えるなら「僕は寿司ではマグロが好き」という自己理解だと仮定しよう。
そして相手から「私はエビが好き」と返ってきた場合にその違いは認識できるわけよ。で、その上で別にそれが面白いと感じないわけ。
「へーそうなんだ。エビ美味いもんね」で終わりなのよ。
だってエビが美味いのなんか知ってるんだよ。おかしいとも思わないしさして珍しいわけでもない。
でも例えば「こんにゃくです」とか言われればさ、「え?こんにゃく??寿司で??どこでそんなの食べられるの?ってかおいしいの?」ってなるよ。
え?あなたはエビが好きなの???なんで?どうして?どこが好きなの?エビとはどこで出会ったの?どうしてマグロじゃないの??もっと他にも美味しいものあるでしょ??
みたいなことだろ?
それってさ、むしろものすごく自分本位というか視野が狭いというか自分のことしか考えてなくね?って気がするんだよな。
自分とズレている存在を”おかしい”とか”異物”だと思うから興味が湧いたり面白いと思ったりするんじゃないの?
これってさ、他人に興味を示さない人に対して偉そうな態度取るほどの人間なんか?
自己理解が深いというわけでもないよな。むしろ社会理解が足りないんじゃないか?
そして結局色々とおしゃべりする割には相手のことを全然理解していないわけだろ?他人に興味ない人のことを自己理解が足りないとか言っちゃうくらいだし。
なんなん?こういう人たち
出生率「1.15」は当然の結果だと思う。
専業でいればズルいと言われ、働けば子どもが可哀想と言われ、電車に乗れば嫌味、バスではベビーカーをたため、公園でも近隣の家から苦情。
これに対して
子育てしてて「社会が敵」だなんて思ったこと無いけどな…。むしろ「社会に歓迎されとる!」みたいな実感ある。「行政って意外とあれこれ面倒見てくれるんだな」とか「子ども連れてるとオバチャンがやたら手を振ってくるな」とか「保育園は神」とか色々あるけど、基本的に社会は子連れに優しい。
と返せばそら批判くらいされるよ。
嫌味や陰口など人から言われたことは知らんけど、ベビーカーをたためは元バレー日本代表の大山加奈さんが双子を乗せてバス乗って死ぬほど叩かれてたし、公園とは違うけど騒音が迷惑だと保育園はNIMBYの代表的な施設だし。
それに対して「思ったこと無いけどな…」なんて返したらそらお前がそう思うんならそうなんだろうお前ん中ではなとはなるよ。ただのマウントだから。「むしろ「社会に歓迎されとる!」」なんて子育てで周囲から嫌な対応された人にとって煽りでしかないし。
元のママ垢は商売利用の悪質なアカウントだけど、ベビーカーや公園の騒音など事実も含まれた子育ての辛さで他者の共感を得やすい発言に対して迂闊すぎる。
子育て大変だけど、行政や周囲の人にこういう制度や施策で助けられました、子育て中の人に優しい人もいるよ、とかマウント取らずにいくらでも返せるだろ。なんで自分の体験ベースで、オレは人や行政に優しくされたけどな、って返すんだよ。
「外国人から被害を受けた、外国人は要らない、強制送還すべき」って発言に、オレは被害に遭ったことないから別に送還しなくていい、なんならコンビニとか助かってるし、なんて体験ベースで自分本位の返事したら反発食らうでしょ?
なんでこんな煽った返事したんだろ?
思い出せ、セックスの基本を。
何を恥ずかしがることがあろうか。
前戯をしっかりやっても良いし、後戯だってちゃんとやって良い。
その基本をお前は忘れてしまった。
画面越しの演技に慣れ、相手の反応を見るのを面倒に思うようになり、自分本位のセックスしかできなくなり、そしてお前らはセックスの技術を忘れた。
思い出してほしい、高校3年生。初めて彼女ができて、初めて二人きりになった日のことを思い出せ。
まずお前は彼女の部屋に招かれる。
緊張しすぎていたからだ。どうしたらいいかわからなかったからだ。
手が震えているお前。
お前が高校生だった頃にどれくらい手が震えていたのかは知らないが、とにかく必死だったはずだ。
最近の高校生はネットで情報収集して事前に勉強しているだろう。
そして恐る恐る手を伸ばす。
すると反応してくれる、
何をやってもいい。
大人になると、AVで見た技術が、ほとんど演技用か、あるいは男性向けファンタジーかの、どちらかであることに気づくが、必死な高校生には愛情にしか見えない。
そして時間をかけて愛し合う。とにかく真剣だ。どうやって愛してもいい。適当に済ませてもいけないし、じっくり丁寧にやらなければいけない。
ここで問題なのは、大人になったセックスでは"適当に済ませる"という最悪の選択肢が存在することだ。なんと不誠実なのだろうか。
お前は小生意気だからきっと大学生になって"高校生のセックスとか下手だろw"とか言って、少しでもテクニックがありそうに見える派手な技ばかりを覚えるかもしれない。
だが、そんなことをしても彼女は喜ばない。
なぜなら、彼女にとって、お前の愛情こそが一番の快感だからだ。
前戯2分、本番5分、後戯ゼロ。合計7分のセックスに絶望している。
違うか?
いつからお前らは「俺が気持ちよければそれでいい」と思うようになったんだ。
俺の友人なんて、もはや射精前提で行為してる。前戯は形だけ、本番は自分のペース、相手が感じてるかどうかなんて気にしない。
「面倒だし、相手も期待してないでしょ」と言い放つ。
期待してないって何だよ。相手だって人間なんだから期待してるに決まってるだろ。
でも確かに面倒だ。圧倒的に面倒だ。
昔なら一時間かかっていた行為が10分で終わる。労力も大幅削減。時間もほぼゼロ。
これが現実だ。
やらない奴は確実にセックスレスになる。時代の流れに逆らうのは不可能だ。
でも、本当にそれでいいのか?
相手の気持ちを無視して、愛情を機械的行為に堕落させて、それで満足なのか?
俺たちは楽になったかもしれないが、同時に何かを失った。
時間をかけた前戯、相手の反応を見ながらの愛撫、満足そうな彼女の顔。そこには確実に「二人で作り上げた」という実感があった。
もちろん、効率は大事だ。時間は有限だし、体力だって無限じゃない。毎回2時間かけろとは言わない。
でも時々は思い出してほしい。
だからお前ら、セックスする時は相手のことを考えろ。そして時々は自分の技術を見直せ。
それが愛し合う関係の基本だと思う。
でも正直言うと、2年も我慢してくれている彼女は聖人だ。普通なら半年で愛想を尽かされる。
お前の彼女を大切にしろ。そして今すぐ本屋に行って『セックスの教科書』を買え。
多分な。
恋愛で「いい女」って言われる人にも、実は二種類いると思うんよな。
ひとつは、これまであまり恋愛経験がなくて、普通に男友達との関係を築いてきたタイプ。中高生の頃のような、自然なギブ&テイクができるタイプだね。こういう人は恋愛しても大きくこじれず、わりとスムーズに関係が進むことが多い。
もうひとつは、過去にテイカー気質の男、つまり自分本位で奪うだけの男と付き合って、雑に扱われてきたタイプ。このタイプは恋愛観が歪みがちで、自然なギブ&テイクに出会うと感激する。すぐ慣れるけど、わりと健全な関係構築がしやすい。
よく「金銭感覚崩壊おじさん」って話があるけど、実際に女性の金銭感覚が壊れるのはかなりレアなケースだと思う。
小さい頃からそこそこ裕福な家庭で育っていれば、ある程度いいものを食べたり、ママ友とちょっとした高級ランチに行った経験があるはずだし。
だから、いきなり高級店に連れて行かれても、それだけで感覚が狂うことはないんだよね。ホス狂いとかが実際は四畳半のカップ麺ばかり食ってるとかもそう。
本当に金銭感覚が崩壊するのは、「貧しい家庭に生まれた」+「もともとテイカー気質」っていう条件がそろった人だけ。
でも、本当に厄介なのは「理解のある彼君」と過去に付き合ってしまった場合。
「理解のある彼君」っていうのは、どんなわがままも受け入れて、相手のために時間もお金も精神も全部ギブしてくれる男のこと。
最初は優しさに見えるんだけど、それに慣れてしまうと「尽くされること=愛されていること」やと刷り込まれてしまう。
こうなると、普通のギブ&テイクの関係じゃ物足りなくなって、相手がイケメンでも、性格が良くても、有能でも、満たされない。
これは麻薬みたいなもので、一度その感覚を知ると、もう戻れなくなる。
そして、普通の健全な関係は「恋愛」ではなく「友情」にしか見えなくなる。だから余計にこじれる。
しかも「理解のある彼君」って、最初は全力で尽くすんだけど、時間が経つと冷静になって現実が見えてくるんだよね。
相手が歳を重ねていくうちに色眼鏡が外れて、普通のギブ&テイクの関係を求めるようになる。結局、若い女性に乗り換えることも多い。
そうして残されるのは、「尽くしてくれる男じゃなきゃダメ」という価値観になってしまった30代前後の女性たち。彼女たちはまた新しい「理解のある彼君」を探してしまい、恋愛がうまくいかなくなる。
だから、「尽くされること」を愛だと勘違いしてしまった女性は、その考えを修正しないと幸せになれないし、「理解のある彼君」も、自分が相手を無自覚にテイカーに育てていることをちゃんと意識して、最初から健全な関係を作るべき。
先日、ある女性向けソシャゲで男性キャラの過去を描いた公式ノベルが公開されました。
その内容は「同性(モブ)からの性被害」という非常に重いものでした。
直接的な描写はなく濁されていましたが、辛い出来事があったことが示されていました。
当該キャラは、性に奔放な言動が目立ちますが、それは過去の経験による反動として描かれていたと明らかになりました。
性被害者がのちに性に奔放になるという描写にはリアリティがあると感じました。
このゲームはBLゲームでも乙女ゲームでもなく「女性向け」として展開されています。
などです。
また、この公式ノベルはゲームの進行度で順次解放されるため、一定期間はネタバレを避けるようにと公式が告知を出しています。
感想や批判をSNSに書けないことも不満を募らせている要因のようです。
一方で、疑問に思うことがあります。
といった二次創作が、検索避けをせず、センシティブな内容にチェックを入れずSNS上に数多く投稿されています。
無断で既存のキャラのセクシャリティを歪め、同性愛表現を含んだポルノに改変して性的消費に使う扱いが多数見られます。
二次創作者の都合だけで消費することは、それを好まない人にとって、キャラへの一種の暴力的な扱いと言えます。
では、今回の公式ノベルにおけるモブレ描写と、どこが本質的に違うのでしょうか。
それらには寛容でありながら、公式がキャラの過去を描いた途端に一斉に反発する。
このような自分本位な振る舞いは、不快に感じる典型的なダブスタです。
性被害の描写は重く、受け手によっては強い拒否感が出るのも理解できます。
ただ、二次創作での性的消費には目をつぶり、公式表現には激しく反応するという姿勢は、矛盾をはらんでいるのではないでしょうか。
二次創作は本来著作権侵害であり、権利元の黙認によって成り立っています。
その枠の中で欲望のままに好き勝手している立場の人が、公式表現に対して強く文句を言うのは筋が通りません。
どうしても受け入れられないのであれば、その作品や界隈から距離を置くべきではないでしょうか。
最後に、今回の公式ノベルで強い拒絶感を示した一部のファンへ。
自身の発言や二次創作作品が、BLや性表現に興味のないファンにも同様に不快感を与えていることに気づいて、ゾーニングをするように心がけて欲しいです。
なんかどれも普通に言われてそうなことばっかりだな。特に蕎麦とかサプライズとか、叩かれてるイメージしかない。
変なのはプールくらい? 使わなきゃプール持ってる意味がないだろってくらいで。
キャッチボールも子供が透明化されててよくわからないけど、言うタイプの想像はつく。
キャンプも準備段階で言うなら理解できる。登山とかアウトドアによっては珍しくないし、準備の苦労を嫌って他に重点を置きたい人はいるだろうよ。
相手の求めてない物事で自分本位に空回りしてたら「でいいよ」くらい言われるのも当たり前でしょ、というのがこのミラーリングでよくわかる格好になってる。
独りよがりの苦労を労ってもらおうなんて態度が嫌われるのは性別関係ないと思うけどな。
こういうコミュニケーションになる奴と付き合いたくねぇというのには同意するけど、コミュニケーションの問題よりも感性の違いの話になると思う。
別に気を使って言い方変えたとて相手が求めてないのは変わらないんだから、それでもやるべき・やりたいと意思を押し通すか、報われないのでやめるかを選ぶしかない。
「身長172cmでいい」「係長でいい」に至っては、平均を妥協ラインに持ってくる奴が高望みって笑われてることの方が多くないか?
イラつく人が出るのは各々のコンプレックスと関連する蔑視発言の問題だし、「男性がイラつく」「でいい」以上の共通点が何も無い。
日本人ファーストは当然だと思っているし、もっと言うと誰もが自分ファーストで行動するべきだとすら思っている。
まず自分を大切にしないと後は何もできない。
他人に親切にすることも、他人に親切にして感謝されたら気持ちがいい、と言う自分本位において考えて、可否を自分で判断するべきだと思っている。
思っている自分なのに、どうも最近の日本人ファーストには違和感を持っていた。もっと言うならアメリカファーストもだ。
あれだ、この『ファースト』で主張される、特にマクロの政策については、自分を第一に考えると言う意味だけではなく、過分に「比較一位であるべきだ」と言う事を含んでいるから違和感があるのだ。
例えば、優秀な外国人がいて、彼らを支援して日本に来てもらうのは日本人ファーストだ。
彼らを日本に呼んできて日本で研究し親しんでもらって、上手くいけば日本で働いてもらう、あるいは帰国後に知日派になってもらってお互いにウインウイン、日本の繁栄と、回り回ってオレの幸せに繋がる訳で、反対する理由はない。
だけど、これに反対する人たちがいる。彼らの言うことを聞くと、日本人で苦労している苦学生を助けるのが先だろうという。
でもそれって本当にトレードオフか?
優秀な外国人を呼んでくるのはリクルート費用みたいなもんであり、後者は福利厚生費用みたいなもんで、そもそも勘定科目が違うだろって思う。
主張をするならば、日本人苦学生の支援を強化せよ、と言う方が先行しそうなもんだが、どうも外国人への支援を打ち切れというほうが先に来ているように見える。
同じ様な話はたくさんあって、外国人が会社をやっているとか、土地を持っているとかも、それ自体は日本に投資されているのだから自分ファーストにプラスなのに反対するとかある。
それでも反対するのは、引き下げの審理というやつではないか。
自分のところをよりよい方向にできないから、他人を不幸にすることで自分を比較優位に持っていくと言う奴である。
正直この気持ちは非常によくわかる。
オレもうんこが漏れそうなときに、この世の全てを呪いたくなるし、誰もがオレと同じ苦労を背負えば、もっとトイレの数が増えるのにと思うことはある。
しかし、長い長い長い長い列を乗り越え、便器に座りすべてを解放したとき、逆にこの世の全てを許すような気持ちになるもんじゃないのか?
もちろん直接的な利害関係にある人が個別案件に対して反対運動するのはいいと思う。それがファクトに基づいている限りは。
例えば外国への工場移転に対する反対運動とか、近所に外国人のゴミ棄てマナーが悪いとかそういうのもそれはありだともう。
もちろん既存の法令違反への対応や(免許問題とか)、紛争・気候変動のリスクなどに対する懸念(ロシアによる選挙介入や、食料エネルギー安全保障)なども正当だと思う。
そこら辺をもうちょっと冷静に分離して考えたい「日本人ファースト」派なんだけど、どうもその方向に進みそうに無い。
これは、やっぱりうんこが漏れそうな時のオレのように、余裕がないからではないかと思う。
まずはそこに手当をすることに集中するべきなのかなと思うんだが、まぁ、それができた楽郎はしてないんだけど。