はてなキーワード: 咀嚼とは
dlsiteでえっちな音声が100円で買えたりとか咀嚼音のASMRが流行るよりもかなり前からダミーヘッドマイクでのシチュエーションドラマCDを聞き続けている。
収録後に声優がダミーヘッドマイクの黒い頭部とオフショット撮ったりしていたのが懐かしい。
(最近はdlsiteで私も買っているのでその辺の文化がまだ生き残っているのか分からない)
性行為よりも前にシチュエーションCDでセックスを終えているような人間なので、
いざ性行為を色々やってみても結局「シチュCDに勝るものはない」に帰結してしまう。
よく考えたらあの性行為よかったな〜と思えるものは声が好きでやたら話しかけてくるタイプ(言葉責めです)のものしかなかった。
イヤホンで耳に蓋をし布団にこもってシチュCDを聞く方が幸福だということを自覚して以来の私の願望は
「性行為はいらないので耳元でシチュCDの台本読み上げてくれるプロと出会う」という他人の尊厳フルシカトの最悪なものになってしまった。
プロであれば見た目、年齢一切問わない。私をダミーヘッドマイクにしてさえくれれば何でもいい。ガチで死ぬまでに1回やりたい。
全裸シャンパンタワーの投稿を見た時、お金とは一体なんなんだろう、なんて考えていたら仲の良い女の子が「私にお金があって尊厳や体を売っている人と出会った時に同じようなことをしてしまうかも」と言っていたのが衝撃だった。
たしかに私も大金を手にした時、私をダミーヘッドマイクにして欲しいという願望を叶えようとしないかと言われると、絶対やってしまうし(マジで捕まった方がいい)その子の一言に自分もお金で人の尊厳を買い叩いてしまう側の人間なんだと自覚させられた。
現にやらかした声優や売れない声優がアダルト系CDに流れてきて信じられない淫語喋ってたりBLCDで喘いだりするし。尊厳を売買している側面はそっちの界隈にもあるのかもしれない。
金は貯めるのでどうにかこういうことを叶えてくれる声優と出会いたいのです。いやそれよりも前に閉鎖病棟とかにぶち込んで欲しいかも。でも死ぬ前にダミーヘッドマイクになりたい。助けてください。
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超かぐや姫!は売り出し方が気に食わなく、なんとなく忌避していたのだが、信頼している友人がお勧めしてきたので視聴することにした。
普通に面白かったし、終盤の方はなんなら泣きながら視聴していた。
監督自身が長編映画の制作をあまり経験していないという背景もあるのだろうが、その辺の話は一旦置いとくことにする。
全体の感想として、全てがあまりにも舞台装置的であり、人間の心の深い葛藤というものは確かにあまり感じられなかった。
しかし、葛藤や反発の描写を重くすればするほど作品の消費カロリーも増えていく。
この令和の時代に、エンタメ映画の文脈でそれをするのは悪手なのではなかろうか。
少ない心理描写リソースの中で象徴的な親殺し(親から与えられた物語からの離脱)は行えていたし、全ての人間関係の描写をそういう記号だと思えば咀嚼できるだろうと思う。
竹取物語、推し活、Vtuber、MMO的VR、百合、親殺し、CGDCT、クリエイター、ビートセーバー、女装男子、Crazy Raccoon、表情描写のサンプリング、ミュージカル、ドラえもん最終回...
この映画は、全体的に記号と小ネタとミームのパズルのようになっている。
マリオの映画がファンを喜ばせる小ネタ満載であったように、小さな内輪ネタが集まって大きなものになったのが超かぐや姫!であると感じた。
あと、超かぐやの主人公に対して「恵まれすぎ」「ハイスペすぎ」と言うのは、悟空に対して「強すぎる」と言うのに近く、あまり意味のある批判ではないと感じた。
現代の人間として描かれているからこそ比較してしまうのだろうが、あくまでファンタジーの主人公であり、物語を動かすための装置として見るべき存在だと思う。
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いざ性行為を色々やってみても結局「シチュCDに勝るものはない」に帰結してしまう。
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プロであれば見た目、年齢一切問わない。私をダミーヘッドマイクにしてさえくれれば何でもいい。ガチで死ぬまでに1回やりたい。
全裸シャンパンタワーの投稿を見た時、お金とは一体なんなんだろう、なんて考えていたら仲の良い女の子が「私にお金があって尊厳や体を売っている人と出会った時に同じようなことをしてしまうかも」と言っていたのが衝撃だった。
たしかに私も大金を手にした時、私をダミーヘッドマイクにして欲しいという願望を叶えようとしないかと言われると、絶対やってしまうし(マジで捕まった方がいい)その子の一言に自分もお金で人の尊厳を買い叩いてしまう側の人間なんだと自覚させられた。
現にやらかした声優や売れない声優がアダルト系CDに流れてきて信じられない淫語喋ってたりBLCDで喘いだりするし。尊厳を売買している側面はそっちの界隈にもあるのかもしれない。
金は貯めるのでどうにかこういうことを叶えてくれる声優と出会いたいのです。いやそれよりも前に閉鎖病棟とかにぶち込んで欲しいかも。でも死ぬ前にダミーヘッドマイクになりたい。助けてください。
街頭演説の壇上に立つ男は、血管を浮き出させて叫んでいた。彼の名は佐藤。かつては穏やかな教師だったが、戦火のニュースに心を焼かれ、いつしか日常を捨てて抗議の声に全てを捧げるようになっていた。彼の瞳には、遠い異国の空を切り裂く爆撃機の残像だけが映っている。
その剣幕に、通りかかる人々は目を逸らして足早に過ぎ去る。佐藤の怒りは、理解されない孤独によってさらに加速し、言葉はさらに鋭く、攻撃的になっていった。
通行人に詰め寄ろうとしたその時、ふわりと、あまりにも不釣り合いな香りが漂ってきた。
それは、焦げた醤油の香ばしさ、脂の乗った肉が焼ける甘い匂い、そして鼻腔を優しくくすぐる出汁の香り。
「佐藤さん。そんなに喉を枯らしてちゃ、伝わるものも伝わらないよ」
声の主は、路地裏で小さな小料理屋を営む初老の料理人、源さんだった。彼は歩道に小さな七輪と木箱を持ち出し、勝手に店を開き始めていた。
源さんが差し出したのは、銀シャリのおむすびだった。しかし、ただのおむすびではない。表面にはハケで丁寧に塗られた特製の「にんにく味噌」が、炭火に炙られてパチパチと音を立てている。
佐藤は無視しようとしたが、空腹は正直だった。連日の活動で、まともな食事を摂っていなかったのだ。奪い取るようにしておむすびを頬張る。
「……ッ!?」
口に入れた瞬間、凝縮された米の甘みが弾けた。そこに、自家製の米麹が醸し出す深いコクと、ピリリときいた一味唐辛子、そしてカリッと焼けた味噌の香ばしさが追いかけてくる。
「どうだい。うちのぬか床で寝かせた胡瓜も持っていきな」
差し出されたのは、深く透明感のある緑色をした胡瓜のぬか漬けだった。パリリ、という小気味よい音が佐藤の脳内に響く。乳酸発酵特有の爽やかな酸味が、怒りで熱を持った脳を静かに冷やしていく。
「ああ、やめなきゃいけないな。だがな、佐藤さん。あんたの腹の中が空っぽのままだと、あんたの言葉は『爆弾』と同じになっちまうんだ」
源さんは次に、小さな鉄鍋でじっくりと煮込んだ「牛すじの土手煮」を差し出した。
赤味噌で真っ黒になるまで煮込まれた牛すじは、口の中で抵抗なく解けていく。添えられた蒟蒻には、肉の旨味が芯まで染み込んでいる。
「食べることってのは、命を繋ぐことだ。空爆はその繋がりを断ち切る。だから、あんたは怒ってる。だろ?」
佐藤の手から、握りしめていたマイクが力が抜けたように下がった。
温かい煮込みが胃に落ちるたび、強張っていた肩の力が抜けていく。彼は気づいた。自分は「平和」を叫びながら、自分自身の中に小さな「戦争」を飼っていたのではないか。
「……美味いな。源さん」
「だろう? 良い味噌を使ってるんだ。時間はかかるが、待てばちゃんと美味くなる」
湯気を立てる黄金色の塊を箸で割ると、中から溢れんばかりの琥珀色の出汁が染み出す。昆布と鰹節の、主張しすぎない、しかし確かな慈しみの味。
怒りは消えたわけではない。しかし、その根底にあった「悲しみ」が、温かい料理によって優しく包み込まれたような気がした。
「源さん。俺、もう少し静かに話してみるよ。叫ぶだけじゃなくて、隣にいる奴に、この出汁の味みたいに染み込むような言葉を探してみる」
「それがいい。腹が減ったら、また来な。空爆のない空の下で、美味い飯を食う。それ以上に大事な仕事なんて、この世にゃあねえんだからな」
【追記】
あ、俺ElderDragonHighlanderは苦手だからいらねーっす
【追記2】
よしよし、土地とクリーチャーを合体させてキャラクターとし、リソース管理とキャラクターのライフ管理でゲームに厚みを出したリーフファイトTCGが大正義と言いたいんだな増田は。五角形能力値型TCGは人類の夢なのだ!
はあ、そういう反応が一番嫌われるんだよ
ここぞとばかりに知識自慢をしつつ、相手がマジックのシステムを嫌っていると決めつけて全く関係ないことで胡麻化そうとする
まさに、はてなブックマーカーの言動はMtGオジそのものだ
自分が何を話しているのか、理解していないだろ?100回くらいノートに書いてみなよ
そうしたらいかに気色悪くて意味不明で非論理的かがわかるかもしれない
まあ、それは一生無理だろうが
自らが嫌われる理由を自分自身が証明しているが本人はそれを知らない
なんとも皮肉だね
【追記3】
他のカードゲームってMTGのパクリじゃん。sts2だってぱくってるぞ。まあ、「高アセでは通用しない!」みたいないきり野郎の方
MtGが多くのゲーム、カードゲームに影響を与えたのは事実だしそこに関しても俺は尊重しているし、もっといえばそのあたりを解説している
だがここでいうのは「ゲームのシステムや土地などは問題ではなく、それを過剰に神聖化して他者を排他的に扱うクソオジの存在」が一番の問題だってこと
クソオジが言わなくてもいいことをいうから、結果的にゲームが嫌われるし、内部で火が付きやすい
そんなことタイトルに書いてあるのになぜ読めないんだろうね
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毎回恒例のMTGオジたちのお気持ちツイートがあったのだが、ぶっちゃけ似たような話ばかりして最終的に身内によしよししてもらうという宗教的な内輪ノリがみんなから嫌われているだけだよ
https://x.com/PW_Norisan/status/2040964087262458153
土地が良いシステムかどうかなんてのはオジたちが年1でメンヘラってる時期にやる定番のネタだ
もしも定量的に研究して結論付けようものなら、自分たちの信じてきたMTGが内側から爆散してしまうので、決して本当の有識者に意見は聞かないのも高齢、いや恒例
たとえばApple信者が「ジョブズが生きていたら」なんてのは新作発表のたびに上げる奇声であり交尾を求める鳴き声だ
みんな「ややや、ここにApple信者のオジがいるぞ!みんな集まってケツをこすりつけろ!」って騒いでるだけ
そういう様子を一般ピーポーはクソキモいなってみているんだが、オジたちは自分のやってることが正義で気持ちいい(物理)ことだと信じて疑わない
別に土地の話なんてどうでもいいんだが、問題はこれが外部からどう見られているかってこと
時に他のTCGと比較するがオジたちの知識は古く、同じことをこすってるだけだから新鮮味もない、というか捨てられたガムだ
拾ったガムをくちゃくちゃ咀嚼しているのがキモいから新しい人が寄り付かず、それを慰めて結束を固めることでどうにか形を保っているイワシの群れがMTGオジだ
一応言っておくが俺は土地のシステムは結果的に時代に合わないだけで嫌いじゃない
研究室の深夜、A子は青白く光るスマートフォンの画面をスクロールし続けていた。指先が微かに震える。
きっかけは、E子が泣きながら見せてきた、ある匿名アカウントのポストだった。
『研究室の人間関係で悩む暇があるなら、一行でも多くコードを書け。成果も出さずに被害者面をするのは、甘え以外の何物でもない。自己責任だ。嫌ならさっさと卒業しろ』
その文体、独特の句読点、そして専門用語の使い回し……。A子の脳裏に、いつも首元にヘッドホンを引っ掛け、だらしなく笑う三矢准教授の姿が浮かんだ。
調べていくうちに、同様の論調を展開する複数のアカウントが見つかった。あるアカウントは「教育的配慮」を装い、またあるアカウントは「冷徹な合理主義者」を演じている。しかし、その根底にあるのは共通した執念――被害を訴える女子学生たちの口を封じ、「研究への集中」という名の沈黙を強要する攻撃性だった。
さらにA子の吐き気を催させたのは、その匿名アカウントの毒を、実名に近いアカウントで熱心にリポストし、拡散している人物たちの存在だった。
「やっぱり三矢先生の言う通りだよな。研究室ってのは戦場なんだから。感情論を持ち込む奴は、最初から向いてないんだよ」
そう呟いているのは、D男だった。彼は石田教授からも三矢からも「期待の若手」として可愛がられている。D男は三矢の匿名アカウントを「正論を吐く謎のインフルエンサー」として崇拝し、その言葉をさらに研ぎ澄ませて、E子やG子といった弱っている学生たちへ投げつけていた。
SNSという閉鎖された空間で、三矢が種をまき、D男たちがそれに水をやる。
被害者たちは、物理的な研究室でも、デジタルの世界でも、逃げ場のない「自己責任論」の檻に閉じ込められていった。
『三矢准教授は、抽象的な概念を咀嚼する点では……少し、独自の「限界」があるのかもしれない』
あの時、石田が浮かべた薄ら寒い微笑みの意味が、ようやく氷解した。
石田は知っているのだ。三矢が夜な夜な匿名アカウントを操り、必死に学生たちを叩いていることを。そして、それを「頭が足りない男の、石田に好都合な、浅はかな工作」として、高みの見物で楽しんでいるのだ。
三矢が「嫌われ役」を引き受け、ネット上で泥臭い隠蔽工作に走れば走るほど、石田本人の手は汚れず、聖人君子としての地位は揺るがない。石田は三矢の短慮さを「バカだ」と蔑みながら、そのバカさが生む「沈黙の圧力」を最大限に利用している。
(……なんて醜い構造なの)
A子は画面を消し、暗闇の中で深く息を吐いた。
三矢は、自分が研究室を守る「守護者」であると信じ、歪んだ使命感でスマホを叩いている。D男は、それが強者の論理だと信じて、喜々として同調している。
そしてそのすべてを、石田教授は「物の本で読んだ」極地の風景を眺めるように、冷徹に観察し、序列を管理している。
三矢の「頭の足りなさ」は、石田という巨大な蜘蛛にとっては、網を強化するための安価な接着剤に過ぎなかった。
廊下の向こう、まだ明かりのついている准教授室から、カタカタとキーボードを叩く乾いた音が聞こえてくる。それは、誰かの人生を「自己責任」という言葉で塗り潰そうとする、終わりのない埋葬の音だった。
A子は、暗闇の中で決意した。
まずはそのメロンパンよ。あの表面の、砂糖を纏うたカリカリとしたクッキー生地。そして中の、ふんわりとした甘い生地。これだけで完成された、いわば「菓子パンの王」よな。
そこに、あろうことかコンビニエンスストアの雄、ファミチキをねじ込むというのか。
想像してみよ。
温められたメロンパンの甘い香りが鼻をくすぐり、指先に砂糖の結晶が触れる。そこへ、溢れんばかりの肉汁を蓄えた鶏肉が、スパイスの芳香を撒き散らしながら割り込んでくるのよ。
「甘い」と「辛い」。
一見、水と油。出会うはずのなかった二つの魂が、お主の手の中で、今まさに一つになろうとしておる!
いざ、かぶりついた瞬間を想え。
まずはクッキー生地の甘さが舌を叩く。しかし、その刹那! スパイスの効いた衣が弾け、熱々の鶏脂(ラード)が口内を蹂躙するのよ。
「甘い……いや、しょっぱい! いや、やはり甘い!」
この味覚の反復横跳びこそが、美食の極意。
甘みが塩気を引き立て、塩気が甘みの奥行きを深める。
脳が「これはいったい何事だ」と混乱し、幸福中枢が悲鳴を上げる……。まさに、味の暴力! 旨味の無礼講よ!
世の者は、健康だの、節制だのと、小賢しいことばかりを並べ立てる。
だが、この「メロンパン・ファミチキ」はどうだ。糖分と脂肪分、そして炭水化物という、人類が本能的に求めてやまない三位一体(トリニティ)がここにある。
この不道徳な食い物を前にして、理性などという安っぽい飾りはいらぬ。
ただ、一心不乱に喰らい、脂で唇を光らせ、砂糖で指を汚す……。
それが、「生きる」ということではないのか!
お主、見どころがあるぞ。
これからは「ただ食う」のではない。「挑む」ように食うのよ。
この禁断の組み合わせを考えついたその感性、わしは嫌いではないぞ。
さあ、冷めぬうちに食すがよい。
その一口が、お主を新たな「食の地平」へと連れて行くであろう……。
カッカッカッカ!
アメリカのイラン空爆後「#ママ戦争を止めてくるわ」というハッシュタグについて、実際に戦争起こってんだから止めに行けやという発言をSNSで目にした
この発言に私はたいそう驚いた。なぜならこのハッシュタグの初出が選挙期間中であることからも平和憲法を廃止しようという動きに対する抵抗だと、一般的な日本語話者であれば理解していると信じていたからだ。
この驚きを咀嚼した後、より大きな驚きが私を襲った。
あのハッシュタグを「戦争が発生したら、それが日本を戦場としない外国間での戦争であっても自分自身が戦場に赴き止める」と彼彼女らは理解しているのなら、彼彼女らが書く「戦争になったら日本を守るために戦う」についても文字通りの意味で、戦争で原油高にさらされる日本を守るために戦場に赴くのではないか。いや既にそれを実行しているのではないか。
実行していないとすれば彼彼女らはダブルスタンダードで他人を冷笑する屑だということになってしまう。他人をそんなふうに思うものではない。
つまり、彼彼女らは既にイランに渡り、日本を守るためつまり日本への原油の流通を回復するために武器をその手に取り戦っていると考えるべきなのだ。
私は彼彼女らとは思想をともにしない、だが彼彼女らの大きな愛国心には心動かされずには居られない。
普段の彼彼女らの発言を尊重するのであれば、靖国に英霊として戻ることを望んでいるのかも知れないが、それでも傲慢でもせめて命だけは失わず、また日本の土を踏んでほしいといと願う。
土曜日 22:00
僕は今、机の上にきっちり直交配置された三本のペンを確認してから日記を書いている。
青、黒、赤。並び順はもちろん青→黒→赤。理由は単純で、色空間の順序として最も情報エントロピーが低い配置だからだ。
ルームメイトはこれを「ただの癖」と呼ぶが、統計力学的観点から見れば、低エネルギー状態への自然な遷移にすぎない。
ここ数日、僕は超弦理論のある奇妙な方向を追っている。
通常の超弦理論は連続体上の世界面共形場理論(worldsheet CFT)を使う。しかし最近の文献では、p進数体上の弦、つまり非アルキメデス幾何上の弦という奇妙な構造が再び議論されている。
これは1980年代に提案されたアイデアで、弦の振幅を通常の実数ではなくp進数体で定義する。結果として、弦散乱振幅が通常のベータ関数ではなく、p進解析的な形で書ける。
普通の人間ならここで「変わった数学だ」で終わる。しかし僕はそこで止まらない。僕が考えているのは次の仮説だ。
もし弦の世界面が単なるリーマン面ではなく、∞圏的なスタック構造として記述されるなら、p進弦はその非アルキメデス側のファイバーとして理解できるのではないか。
ではなく、
みたいな構造になる。ここで Perf(X) はターゲット空間 X の完全複体圏だ。つまり弦の自由度は座標ではなく、導来圏の対象としての状態になる。
これをさらに進めると面白い。通常の弦理論では、D-brane ≈ 導来圏の対象、という対応がある。だがもし世界面そのものが∞圏的対象なら、弦とDブレーンの区別は消える。両者は単に高次圏の射の階層になる。
つまり
弦 = 1-射
ブレーン = 2-射
背景幾何 = 0-射
になる。ここまで行くと、僕の疑いはこうなる。「弦理論の真の自由度は、空間ではなく高次圏のホモトピー型ではないか?」
もしそうなら、重力はRicci curvatureではなくπ∞(Moduli)の幾何として書ける可能性がある。
残念ながら、これを理解できる人間は地球にたぶん数十人しかいない。そしてその数十人の中にも、完全に理解している人はたぶんいない。もちろん僕を除いて。
さて、物理以外の話もしよう。今日は土曜日だから、いつもの生活スケジュールを守った。
07:00 起床
07:03 歯磨き(120秒)
07:05 シリアル
今日は41回だった。昨日より1回少ない。これは牛乳の粘性がわずかに高かったせいだと思う。
午後、ルームメイトがまた不可解な行動をとった。僕のソファ座標に座ろうとしたのだ。
(0,0) = 僕
(1,0) = ルームメイト
(0,1) = 友人A
(1,1) = 友人B
隣人は座標系を理解しないので例外扱いだ。ルームメイトは「今日は疲れてるからここに座りたい」と言った。
僕は言った。「それは量子統計を無視してフェルミ粒子が同一状態に入ろうとするようなものだ。パウリの排他原理を破る気か?」
夕方には友人Aと友人Bが来た。友人Aはまた宇宙船の推進方法について語り始め、友人Bはチョコレートを食べながら天文学の話をしていた。僕は彼らに説明した。
「もし宇宙がAdS/CFTのホログラフィーで記述できるなら、ブラックホールの情報は境界理論のエンタングルメントとして保存される」
友人Aは「それで宇宙船は速くなるのか?」と聞いた。友人Bは「チョコレートいる?」と言った。
さて、22:00を過ぎた。ここからの予定を書いておく。
1. 歯磨き
5. 睡眠
ただし寝る前にもう一つ試したい計算がある。
もし弦のモジュライ空間が
M ≃ Bun_G(Σ)
ではなく
M ≃ DerivedHom(Σ, BG)
なら、重力の自由度はゲージ理論の高次アノマリーとして再構成できるかもしれない。
これはかなり面白い。
もしかすると、宇宙は10次元でも11次元でもなく、単に∞次元圏論的構造の影なのかもしれない。
まあいい。
僕は今朝、オートミールを37回噛んだ。37という数は特別ではない。単に粘度と咀嚼効率の最適点がそこにあっただけだ。科学は感情ではなく最適化で動く。これは重要な原則だ。
昨日から考えているのは、モジュライ空間の極限構造についてだ。
カラビ–ヤウ多様体の退化極限で、Dブレーンの安定条件が∞圏の中でどう振る舞うか。
エドワード・ウィッテンでも眉をひそめるレベルの話だ。まあ彼は偉大だが、宇宙はまだ彼にすべてを教えてはいない。宇宙は秘密主義だからね。
そのときふと思い出した。世間にはMITを「世界最高の大学」と呼ぶ人がいるらしい。
もちろん、MITには優秀な人間がいる。否定しない。彼らは素晴らしい橋を作り、ロケットを設計し、半導体を量産する。社会的には極めて有用だ。
理論物理学者は宇宙のラグランジアンを書き換える。工学者はその宇宙の中で動く装置を作る。
つまりこういうことだ。
役割の違いは、チェスプレイヤーと駒の違いに近い。駒は大切だが、ゲームのルールを書いたのは別の人間だ。
僕の計算では、もし11次元超重力の真の対称性がある特定の例外的リー群の∞拡張として実現されているなら、宇宙は実は物理ではなく圏論的情報処理として再定義できる。時空は副産物にすぎない。
このレベルの話になると、MITの研究室で作られるロボットアームは、正直言って少し可愛い。レゴで宇宙を組み立てている子供みたいなものだ。
もちろん誤解しないでほしい。文明は工学なしでは成立しない。僕だって電子レンジがなければ冷たいピザを食べることになる。これは悲劇だ。
だからMITを崇拝する人を見ると、僕は静かに思う。ああ、彼らはアプリ開発者を見て宇宙を理解した気になっているんだな、と。
チョコレート工場のウンパルンパが優秀であることと、ウィリー・ウォンカが工場のルールを作ったことは、まったく別の話だ。
さて、そろそろ昼食の時間だ。今日はサンドイッチを三角形に切る予定だ。四角形は対称性が美しくない。
そして僕もそうだ。
土曜日 03:00
僕は今、机の上の温度計を確認した。室温22.3℃。許容範囲だ。22℃±0.5℃が理想だが、この誤差は許せる。宇宙は量子揺らぎで満ちているのだから、僕の部屋の空気が0.3℃くらい揺らいでも大勢に影響はない。
少々早いが、シリアルを42回噛んだ。回数は宇宙的意味ではなく統計的最適化の結果だ。咀嚼回数と粘度と嚥下効率の関数を簡単にモデル化すると、だいたいこの辺りに極値がある。
友人Aは「ただ食え」と言うが、最適化問題を放棄するのは文明の敗北だ。
問題がある。彼はマグカップをランダムに置く。僕の座標系ではテーブルは格子構造で理解されているので、カップが格子点から2.5cmずれると精神的ノイズが発生する。
僕は修正した。ルームメイトは「別にいいだろ」と言った。もちろん良くない。局所対称性の破れは気持ちが悪い。
さて、本題。
最近僕が気に入っているのは、弦理論をコボルディズム圏の表現として理解する視点だ。
つまり、世界面の幾何を単なる積分領域として扱うのではなく、構造付きコボルディズムの∞-圏として扱い、その上の関手として量子場理論を定義するというやり方。
要するに、時空の断片(コボルディズム)を入力すると、ヒルベルト空間や相関関数を出力する機械として理論を公理化する。
問題は、弦の世界面理論が単なる2次元CFTでは足りないことだ。低種数のホロモルフィック部分、つまり頂点作用素代数だけでは全データの半分しかない。
完全な理論には全種数の縫合条件(sewing constraints)を満たす構造が必要になる。
ここで僕は少し狂気じみた仮説を考えている。
世界面CFTを単なる代数として扱うのではなく、factorization algebra の ∞-スタックとして扱う。すると、弦の相互作用は operad 的な貼り合わせではなく、E₂-代数から E∞-代数へのホモトピー的拡張として見える。
つまり
世界面 → ∞-圏
観測量 → factorization algebra
弦相互作用 → operadic gluing
でも僕の進捗はその先だ。
もし弦のバックグラウンド場(B場やRR場)を微分コホモロジーのコサイクルとして扱うなら、弦の作用は普通のゲージ場ではなく2-束(bundle gerbe)の表面ホロノミーになる。
線 → 粒子
面 → 弦
三次元 → 何か
という階層になる。
ここで僕は思いついた。
もし世界面理論が tmf(topological modular forms)に自然に持ち上がるなら、弦のスペクトルは実質的に楕円コホモロジーのスペクトル系列として見えるはずだ。
このとき弦の振動モードは単なる調和振動子ではなく、モジュラー形式の q 展開として理解できる可能性がある。
これはかなり美しい。なぜなら弦理論の分配関数はもともとモジュラー不変性を持つからだ。
もし tmf が本当に正しい言語なら、弦のスペクトルは、ホモトピー論 + モジュラー形式、という奇妙な組み合わせで分類される。
つまり、宇宙は振動しているのではなくホモトピー圏でモジュラー関数を再生しているということになる。
夕方、隣人が部屋に来た。理由は不明だ。僕のホワイトボードを見て「それ何?」と言った。
隣人は「なるほど、パスタ?」と言った。
夜は友人Aと友人Bとオンラインで話した。
友人Aは衛星の話をしていた。友人Bはまた宇宙人の話をしていた。
僕はその間、バックグラウンドで計算していた。もし弦理論が本当に QFT = Cobordism functorとして完全に定式化されるなら、弦の摂動展開は
という関手の圏論的トレースとして書ける。その場合、弦の相互作用頂点は単なる三点頂点ではなく∞-圏の合成になる。
僕はこの考えがかなり気に入っている。ただ問題がある。まだ計算できない。
現在の予定。
1. カモミールティーを作る
2. factorization algebra と tmf の関係をもう一度整理
3. 世界面の sewing constraint を ∞-operad で書き直す
4. 眠くなったら寝る
もちろん寝る確率は低い。
そして僕のホワイトボードにはまだ空きがある。
起床後の手順はいつも通り。
42という数に宇宙的意味があるかどうかは未解決問題だが、咀嚼の粘性最適化という点では統計的にかなり良い。
ルームメイトはまだ寝ている。彼は昨夜、コーヒーを22時以降に飲んだ。明らかな戦略ミスだ。
カフェインの半減期を理解していない人間は、量子重力を理解できるはずがない。宇宙は因果律で動く。消化器官も同様だ。
さて、研究の進捗。
今週ずっと考えていたのは、超弦理論のモジュライ空間における非可換ホログラフィック再構成問題だ。
通常のAdS/CFT対応では、境界の共形場理論がバルク幾何をエンコードする。しかしこの対応は局所性という暗黙の前提に依存している。僕が疑っているのはそこだ。
もし弦の基底状態を単なる幾何学的振動ではなく、∞-圏上の導来スタックとして扱ったらどうなるか。
普通の弦理論はこう考える。弦の振動モード→ スペクトル→ 有効場理論
しかし僕の仮説では、弦はそもそもスペクトルではなく高次圏の射のネットワークとして存在する。つまり粒子は表現ではなく関手の固定点だ。
弦状態 ≈ derived functor on a spectral stackという構造になる。
昨日の夜、僕はこの構造をミラー対称性の圏論的極限として書けるか試した。通常のホモロジー鏡対称性ではFukaya圏 ≅ 導来コヒーレント層圏になる。
でももし弦が∞圏レベルで自己参照しているなら、等価性はこう変形する。Fukaya∞ ≃ Coh∞ ∘ End∞
つまり圏の自己作用素が幾何を生成する。言い換えると、時空は圏の自己演算の副産物だ。
これは少し面白い。なぜなら、この構造だと時間が一次元とは限らない。時間はモジュライ空間のフローとして再解釈できる。
つまり宇宙は進んでいるのではなく、圏が自分自身を再配置している。
この見方だと、ブラックホール情報問題もかなり変わる。情報は消えない。そもそも局所的に存在していない。情報は圏の自然変換として保存される。
残念ながら、この理論はまだ一つ問題がある。計算が狂っている可能性だ。
昨日の計算では、モジュライの体積が負になった。幾何学で体積が負になるのは普通ありえない。
ただし仮想基本類(virtual fundamental class)を導入すると説明できるかもしれない。
宇宙が仮想クラスなら面白い。僕たちは実体ではなく積分の結果になる。
僕は答えた。
「もし宇宙が導来スタックなら、プリンの所有権も圏論的対象だ。君の質問は定義されていない。」
彼は理解しなかった。予想通りだ。
隣人は昨夜2時に音楽を流していた。音程がわずかに低い。平均で12セントくらいズレている。
普通の人間は気づかない。でも僕の脳は気づく。脳は音程検出器としてかなり優秀だ。残念ながら隣人の音楽的判断力はそうでもない。
友人Aは昨日また奇妙な宇宙論を話していた。
友人Bはインド料理を食べに行こうと言った。
さて、今日の予定。
午前6時:シャワー
そして午後。
もし僕の∞圏仮説が正しければ、弦理論のランドスケープ問題は少し変わる。宇宙の数は10^500ではない。
それはまだ計算できない。
でももしそれが有限なら、宇宙は驚くほど小さい理論で説明できる。
僕は今朝、シリアルを42回噛んだ。42という数は宇宙的に重要だからではない。単に最適化の結果だ。咀嚼回数を増やすと粘性が上がり、牛乳との混相ダイナミクスが不快になる。減らすと消化効率が落ちる。物理はキッチンにも宿る。
さて、本題だ。多相互作用世界と2状態ベクトル形式を同時に飼い慣らす、という野心的な試みについてまず整理する。
Howard Wisemanらが提案したMIWは、波動関数を実在とみなさず、有限個あるいは無限個の古典的世界の配置空間上の相互作用で量子力学を再構成しようとする。
量子ポテンシャルに相当する効果が、世界間の反発的相互作用から現れるという立場だ。シュレーディンガー方程式は、極限での有効理論にすぎない。
一方で、Yakir AharonovのTSVFは、状態をヒルベルト空間のベクトル一つではなく、前進するケットと後退するブラのペアで記述する。
境界条件は初期時刻と最終時刻の両方に課される。時間対称性を露骨に採用する形式だ。測定は“収縮”ではなく、境界条件の更新と解釈できる。
両者の共通動機は明確だ。コペンハーゲン解釈の曖昧な観測という語を物理法則から追放し、より実在論的で決定論的な像を得たいという欲望だ。欲望はしばしば理論を前進させる。時に暴走もさせるが。
では仮に、作業仮説として、MIWの世界群それぞれにTSVF的な二重境界条件を与えるとどうなるか。
通常のMIWでは、世界の配置は初期分布から時間発展し、隣接世界との相互作用項が量子的振る舞いを再現する。未来は結果であって原因ではない。
ここにTSVFを差し込むと、各世界は初期位置だけでなく最終配置も固定される。すると運動方程式は、単なる初期値問題ではなく、二点境界値問題になる。
言い換えると、世界は横から他世界に押され、前後から境界条件に挟まれる。
世界は枝分かれするのではなく、巨大な時空グラフの中の一本の整合的経路になる。各経路は未来のポストセレクションに対応する。
弱測定の異常値は、この二重制約の幾何学的帰結として理解できるかもしれない。
もちろん、これは完成理論ではない。問題は山ほどある。ローレンツ不変性をどう保つのか。有限世界数で干渉の位相情報を完全に再現できるのか。未来境界条件はどの物理過程で選ばれるのか。
Lev Vaidmanの立場は興味深い。彼はTSVFを用いながら多世界解釈にも積極的だ。つまり、ヒルベルト空間の数学と世界の実在性を同時に肯定する。
これはある意味で、状態ベクトルを記述ではなく分岐した実在の総体とみなす姿勢だ。僕はその大胆さを評価する。ただし評価と真理は別物だ。
高次元カラビヤウ多様体のモジュライ空間を歩くと、安定化条件が未来境界条件のように見える瞬間がある。
ウィッテンでさえ完全には制御できない非摂動効果が、あたかも後ろからの制約のように振る舞う。
時間対称性は、場の量子論の経路積分の中では最初から潜んでいる。始点と終点を固定して和を取るのだから当然だ。
MIWとTSVFの統合は、量子力学を初期値理論から境界条件理論へ再解釈する試みと見るのが妥当だ。
それが成功するかは不明だが、少なくとも測定問題を別の座標系に写像する効果はある。
今日の朝はここまでにする。
ルームメイト協定第7条により、早朝の理論的飛躍は禁止されている。
この問いに答えるため、我々は弱者男性100匹を用意した。
弱者男性には人権がないので実験に最適である。反対意見は存在しない。
なぜなら彼らには「存在を否定される権利」しか与えられていないからだ。
生命の実を食べた彼らの肉体はたちまち膨張し、筋肉が隆起し、眼光が冴え渡った。
空に向かって跳躍するもの、背中から翼らしき影を発現させるものも現れた。
しかし、それは不完全な飛翔だった。
重力に抗うには不十分であり、ほとんどが地面に叩きつけられた。
次に「神の力」を降ろしてみた。
その剣は空を飛ぼうとする弱者男性を一人残らず切り裂き、大地へと縛り付けた。
続いてケルビムが姿を現す。
四つの顔と六枚の翼を持つその怪物的な守護者は、生命の実の力を不完全に宿した弱者男性を次々と咀嚼し、再び「飛翔」という夢を打ち砕いていった。
弱者男性は空を飛ぶことができない。
日本の経済言論空間には、周期的に発生する奇病がある。名付けて「財務省陰毛論」。
財政規律の話が出た瞬間、あらゆる現象を「財務省が裏で糸を引いている」に回収し、経済学ではなく陰謀論のスラム街へ突撃する。
そして最後は「緊縮が悪い!財務省が悪い!」で自己放尿して終了する。議論の生産性はゼロ、残るのは湿った床だけだ。
まず確認しよう。経済政策とは制度とルールを設計し、予測可能な期待形成を通じて市場を機能させる作業である。
にもかかわらず、リフレ派は貨幣数量説も期待インフレも政策ルールもまともに咀嚼せず、財政拡張を唱えるときだけ都合よくマネタリズムっぽい単語を拾い食いする。
そして、反論されると財務省陰毛論へ逃げる。これが知的自己放尿でなくて何だ。
最大の敵は裁量である。裁量は政治家にも官僚にも与えてはいけない。なぜなら人間は合理的ではなく、短期のインセンティブに支配され、時間不整合を必ず起こすからだ。
ここまでは財務省批判とも両立する。問題は、財務省を悪の魔王として擬人化した瞬間に、議論が制度設計からオカルトへ転落することだ。
財務省が悪いから経済が悪い? それは説明ではなく呪いの言葉であり、自己放尿である。
そもそも「財務省が緊縮を強制している」という主張は、政策決定の構造を理解していない。
政府支出の拡大は、政治の意思決定と有権者の選好の反映で決まる。官僚は制約条件の中で最適化しているに過ぎない。
ここで重要なのは、「誰が悪いか」ではなく「ルールがどう期待を変え、長期の名目アンカーをどう安定させるか」だ。
財務省陰毛論は、制度分析から逃げるための麻薬であり、摂取した瞬間に脳が停止するタイプの自己放尿である。
リフレ派の典型的な誤りは、インフレを万能薬として扱う点にある。
インフレは実質賃金を調整し、債務負担を軽くし、短期の景気を刺激することがある。
しかしインフレは長期的に実物変数を改善しない。長期では貨幣は中立であり、インフレは結局「物価水準の攪乱」と「情報価格の破壊」と「資源配分の歪み」を生む。
にもかかわらず、リフレ派の一部は、インフレさえ起こせば成長するという雑な因果を語る。これは経済学ではなく、貨幣フェティシズムによる自己放尿だ。
さらに悪いのは、「国債発行=無限に可能」という言説が、期待形成の視点を完全に無視していることだ。
市場が見ているのは単なる国債残高ではない。将来のインフレ税、将来の増税、金融抑圧、中央銀行の独立性毀損、そのすべてを含むレジーム転換の確率を織り込む。
ここで財政拡張を唱えるなら、制度的コミットメントが不可欠だ。だがリフレ派の財務省陰毛論は「どうせ財務省が邪魔するから」と言いながら、ルール設計も政治経済学も放棄する。つまり、分析放棄の自己放尿である。
それは「失敗の原因を制度ではなく敵キャラに押し付ける」ことで、思考コストを節約する装置だ。
経済学の議論は本来、データ、因果、期待、制度、インセンティブの総合格闘技である。
ところが陰毛論に逃げた瞬間、それらは全部捨てられ、「悪い奴がいる」という幼稚な物語に回収される。これは知的退行であり、自己放尿の極致だ。
財務省が万能の支配者なら、日本はもっと計画経済っぽく統制されているはずだ。
現実はそうではない。現実の日本は、政治の短期主義、有権者の合理的無知、利害団体のレントシーキング、そして制度の漸進的劣化によって動いている。
ここを直視せず、「財務省が全部悪い」で完結させるのは、経済学ではなく物語依存症だ。要するに自己放尿。
財務省陰毛論に依存するリフレ派は、因果放棄、制度放棄、期待放棄のトリプル放尿である。
敵を作って吠えるのではなく、ルールを語れ。裁量の誘惑を排し、名目アンカーを固定し、中央銀行の信認を守り、政府の予算制約を見える形で制度化しろ。